ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2016年07月

なぜ17歳の少年がテロリストに?

 ドイツ南部のビュルツブルクで18日午後9時ごろ、アフガニスタン出身の17歳の難民申請者の少年が乗っていた電車の中で旅客に斧とナイフで襲い掛かり、5人に重軽傷を負わせるという事件が起きた。犯行後、電車から降りて逃げるところを駆け付けた特殊部隊員に射殺された。少年の犯行動機、背景などは不明。目撃者によると、少年は犯行時に「神は偉大なり」(アラー・アクバル)と叫んでいたという。

 バイエルン州のヨハヒム・ヘルマン内相が19日明らかにしたところによると、少年の部屋から手書きのイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の旗が見つかったという。少年は1年前に難民としてドイツに来た。保護者はいなかった。

 フランス南部ニースでも今月14日、84人の犠牲者が出たトラック襲撃テロ事件が発生したばかりだが、容疑者(31)も犯行時に「神は偉大なり」と叫んでいたという目撃者の証言があった。

 容疑者が射殺された場合、犯行動機を直接聞きだすことはできない。だから、容疑者の家族関係者、友人、知人から聞きだす一方,捜査官は容疑者の住居、使用していたPC,スマートフォン、携帯電話のメモリーを詳細に調べる。その中でも、「神は偉大なり」の叫びは容疑者の動機を知るうえで重要な情報と受け取られ、ISメンバーか“ローンウルフ”かは別として、容疑者が少なくともイスラム過激派ではないか、という疑いが出てくるわけだ。

 ところで、独バイエル州やオーストリアでは「グリュース・ゴット」(Gruess Gott)(神があなたに挨拶しますように)という挨拶表現がある。グリュース・ゴットはキリスト信者たちの間だけではなく、一般社会でも使われている。
 「アラー・アクバル」と「グリュース・ゴット」は神が登場する点で同じだが、前者はイスラム教徒の祈りの一節であり、信仰告白の性格が色濃い。後者の場合、「オー・ゴット」と同様、神自身には意味がない。「神」は完全に意味を失い、形骸化している。その点、イスラム教徒の「アラー・アクバル」は偉大な神への呼びかけであり、イスラム教徒にとって言葉「アラー」と意味は一致している。


 イスラム教もキリスト教も信仰の租アブラハムから派生した唯一神教だ。前者は神の全知全能性を強調する一方、後者は神の愛を重要視してきた。「神は偉大なり」という言葉はイスラム教徒の信仰告白であり、彼らは日に5回、「神は偉大なり」と祈る。ただし、イスラム過激派テロリストが「神は偉大なり」と叫び、テロを実行することから、「神は偉大なり」がテロリストの犯行宣言のように受け取られるケースが増えてきたわけだ。

 17歳の少年の話に戻る。彼は昨年6月30日、ドイツ南部バイエルン州国境の都市パッサウからドイツ入りした。同年12月16日に難民申請し、今年3月31日に滞在許可証を得ている。難民保護家庭に宿泊し、パン屋さんの見習いとして仕事を始めたばかりだった。関係者によると、「少年はドイツ社会に積極的に適合するために努力していた」という。

 独週刊誌シュピーゲル電子版は20日、「1年間難民、そして1日でイスラム過激派に」という見出しの記事を掲載し、なぜ少年が突然、イスラム過激派となり、テロを行ったかを追求している。分かっている点は、アフガニスタンにいる友人が最近、亡くなったことに少年は非常にショックを受けていたということだ。治安関係者は少年の動向をまったくマークしていなかった。
 ちなみに、ドイツには保護者がない未成年者の難民数は現在、約1万4000人だ。未成年者の難民はイスラム過激派によってオルグされる危険性が高い。未成年者の難民の心のケアが大きな課題となっている。

アウシュヴィッツ以後の「神」

 ローマ法王フランシスコは今月27日からポーランドを訪問する。目的はクラクフで開催される第31回世界青年集会に参加することだが、ユダヤ人強制収容所があったアウシュヴィッツを訪ね、そこで75年前犠牲となったマキシミリアノ・コルベ神父の前で祈祷を捧げる予定だ。なお、故ヨハネ・パウロ2世、前法王ベネディクト16世も任期中に同地を訪問している。

 フランシスコ法王のポーランド訪問に先駆け、バチカン放送独語電子版は13日、「アウシュヴィッツ以降の神学」という見出しの興味深い記事を掲載している。600万人以上のユダヤ人がナチス・ドイツ軍の蛮行の犠牲となった後、「なぜ神は多数のユダヤ人が殺害されるのを黙認されたか」「神はどこにいたのか」といったテーマが1960年から80年代にかけ神学界で話題となった。すなわち、アウシュヴィッツ前と後では神について大きな変化が生じたわけだ。神学界ではそれを「アウシュヴィッツ以降の神学」と呼んでいる。

 ドイツの実存主義哲学者のハンス・ヨナス(1903〜1993年)は「アウシュビッツ以後の神」という著書を出し、ナチス・ドイツの絶対悪に対してなぜ神は沈黙していたのか、暴力の神学的意味などを追求した一人だ。同時に、「神の死」の神学が1960年代に登場してきた。

 キリスト教では神といえば、愛の神であり、慈愛の神を意味する。その「愛の神」の欧州キリスト教文化にアウシュビッツ以降、「神が愛とすれば、なぜ神は救済しなかったのか」という疑問が沸いてきたとしても不思議でない。アドルフ・フォン・ハルナックの「神は愛」といった神学ではもはや不十分だというわけだ。
 今月2日死去したユダヤ人作家で1986年のノーベル平和賞受賞者エリ・ヴィーゼル氏(1928−2016年7月2日)は自身のホロコースト体験を書いた著書「夜」の中で、「神はアウシュヴィッツで裁判にかけられた。その判決は有罪だった」と述べている。アウシュヴィッツ以降、神の全能性、善性に疑問が呈されていったわけだ。

 もちろん、神の不在が問われたのはアウシュヴィッツが初めてではない。欧州の近代史で2回、大きな天災があった。「リスボン大地震」と「1816年」だ。前者は1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲ったマグニチュード8・5から9の巨大地震で、津波が発生。同市だけでも3万人から10万人が犠牲となり、同国全体では30万人が被災した。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、国民経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた。ヴォルテール、カント、レッシング、ルソーなど当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けた。そして北欧、米国・カナダなど北半球全土を覆う異常気象が発生し、農作物に大被害をもたらし数万人の飢餓者が出た「1816年」の時もそうだった。「夏のない年」と呼ばれた。

 アウシュヴィッツの場合、犠牲者の多くがユダヤ人だった。彼らは神を信じる民だ。そのユダヤ人がユダヤ人であるゆえにナチス・ドイツ軍の蛮行の犠牲となった。その数はリスボン大震災を上回っている。神の不在に悩み、その解答を見いだせないため信仰を捨てた多くのユダヤ人もいた。神を捨てることができない者の中には神と和解するために苦難の日々を過ごした人たちも少なくなかっただろう。神学者の中には、「神はその全能性を被造世界の創造後、放棄した。そして人類が神に代わって責任を担うことになった」と考えて、神の不在を乗り越えていこうとした。カール・バルトの「悪は創造の影」といった神義論もある。

 ユダヤ民族は“受難の民族”と言われる。その受難は、神を捨て、その教えを放棄した結果の刑罰を意味するのか、それとも選民として世界の救済の供え物としての贖罪を意味するのか。アウシュヴィッツ以降の神学はその答えを見出すために苦悶してきたわけだ。

懸念される米国とトルコ両国関係

 トルコ国軍の一部が15日、クーデターを実行し、イスタンブールとアンカラの政府関連施設や主要橋を占領したが、休暇でエーゲ海沿いのトルコ南西部マルマラスにいたエルドアン大統領はスマートフォンなどを通じて支持者や国民に抵抗を呼びかけた結果、16日に入るとクーデター派は頓挫し、政府側はクーデター派を鎮圧したと表明した。

 トルコは地理的にもオリエント(東洋)とオクシデント(西洋)の2つの世界の中間点に位置する。当方も国際会議の取材のためトルコ最大の都市イスタンブールを訪ねたことがある。ホテルからボスポラス海峡を眺めながら、両世界の接点の街風景を堪能した。

 トルコは1952年以来、イスラム教国の初の北大西洋条約機構(NATO)加盟国として重要な役割を果たしてきた。それだけに、トルコの政情不安が長期化すれば、イスラム過激組織「イスラム国」(IS)との戦いに支障が懸念される。

 具体的には、米国とトルコ両国関係の悪化だ。エルドアン大統領はクーデター蜂起の主体勢力は、米国に亡命中のイスラム指導者ギュレン師と名指しで批判し、米国政府に同師の引き渡しを要求している。それに対し、ケリー国務長官は、「同師がクーデターに関与したという明確な証拠がない限り難しい」と答えたという。

 トルコ政府はインジルリク空軍基地の米軍利用を拒否している。同空軍基地は米軍とトルコ空軍が共同利用し、対IS空爆での重要拠点だ。その空域を閉鎖し、米空軍の利用を拒んでいるのだ。ワシントンで開催された第4回核安保サミット(3月31日〜4月1日)ではオバマ大統領はエルドアン大統領との公式会談を避けるなど、米・トルコ両国関係はここにきて悪化している。

 興味深い点は、米・トルコ関係の悪化とは好対照に、トルコとロシア両国関係に正常化の動きが見られることだ。トルコ空軍のF16戦闘機が昨年11月24日、トルコ・シリアの国境近くでロシア空軍戦闘機がトルコ領空を侵犯したとしてロシア戦闘機を撃墜したことから、ロシアとトルコ両国関係は険悪化してきた。エルドアン大統領が先月、ロシアのプーチン大統領宛てに書簡を送り、謝罪表明したことで、両国関係は正常化に向けて動き出してきた。

 米国内でもエルドアン大統領の権威主義、独裁的政治に強い抵抗がある。欧州もトルコに対しては厳しい。難民・移民政策でトルコ側の要求に応じたドイツのメルケル首相は欧州連合(EU)への査証自由化などのトルコ側の要求に対し、他の欧州諸国から激しい抵抗にあっている、といった具合だ。

 クーデターが短期間で失敗したことについて、欧米の軍事専門家は、「クーデター計画としては軽率で準備不足な感じがする」と指摘している。エルドアン大統領は今年8月、軍部指導部の大幅な人事を実行するといわれてきたことから、人事で左遷させられる可能性のある軍幹部たちが早急に立ち上がってクーデターを実施したという憶測が聞かれる。その一方、クーデター計画は軍部を掌握し権力を強固にしたいエルドアン大統領の“自作自演”ではなかったか、という情報まで流れている。

 欧米の軍事専門家は、「トルコでは過去3回、クーデターは起きたが、軍の反乱は基本的には早朝、国民が目を覚ます前に主要施設や政府関連施設を占領するが、今回のクーデターは夜になって始まった」と指摘し、首を傾げている。
 
 ちなみに、トルコ当局は17日現在、クーデターに関与した疑いがあるとして、軍司令官や憲法裁判所判事らを含む約6000人を拘束したという。エルドアン大統領側の対応の迅速さが目立つ。

 ところで、米国、欧州諸国、日本など主要国がトルコのクーデター事件を批判し、現トルコ指導部を支持する声明を早々と発表した。民主的に選出された政府がクーデターで打倒されることを許すわけにはいかないからだ。ただし、クーデターを抑えたエルドアン大統領が今後、益々強権政治を実施する可能性があることから、国際社会はクーデター派を批判することでエルドアン大統領に独裁者への道を開いたことにもなるわけだ。

テロとの戦いは今後10年間は続く

 フランスの著名な社会学者、ファラード・コスロカバー(Farhad Khosrokhavar)教授は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューに答え、「犯人(31)がイスラム過激派テロリストか、精神的病の持ち主か目下不明だ。フランスのオランド大統領が早い段階でテロと断言したのには驚いた。犯人はトラクターをそのテロの道具として利用したが、イスラム過激派組織『イスラム国』(IS)が既に提案していたやり方だ。その意味で、犯人とISのつながりが考えられる。その一方、犯人は簡単な鉄砲だけしか所持していなかった。彼がテログループと接触していたら、機関銃などを簡単に入手できたはずだ」と指摘、犯人がテログループとは関係がない一匹狼的な存在、ローンウルフで精神的病にあった人間の可能性が排除できないという。

 同氏によれば、ニースはパリに次いでイスラム過激派が多くいる。ニースには治安関係者が名前を握っている過激派だけでも60人はいる。シリア内戦から帰国したイスラム過激派も多数という。

 フランスはサッカー欧州選手権(ユーロ2016)のホスト国として優勝こそできなかったが、久しぶりに国民は心を休め楽しむことができた。幸い、大きな事件もなかった。そして夏季休暇がいよいよ始まったばかりだった。
 フランスは過去、18カ月間、非常事態下にあった。オランド大統領が今月26日で非常事態宣言を終了すると表明した数時間後にニースのテロ事件が発生した。オランド大統領は改めて非常事態宣言の継続を宣言せざるを得なくなったわけだ。テロとの戦いを世界に向かって宣言したオランド大統領にとっては面子を失った瞬間だ。

 フランスのカズヌーブ内相は、「犯人はイスラム過激派と接触し、急速に過激化したのではないか」とみている。ISは16日、「わが戦士が我らの願いに呼応してテロを実行した」と犯行声明を明らかにしている。なお、犯人の家族は「彼は宗教には全くタッチしていなかった」と述べ、なぜ犯行に走ったのか分からないと語っている。犯人とイスラム過激派テロ・グループとの関係は今後の捜査を待たないと断言できないだろう。


<過去18か月間のフランスでのテロ事件>

2015年1月7日―9日
 武装した2人のイスラム過激派テロリストが7日、パリの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社を襲撃し、自動小銃を乱射し、編集長を含む10人のジャーナリストと、2人の警察官を殺害するというテロ事件が発生した。その直後、別の1人のテロリストがユダヤ系スーパーマーケットを襲撃し、4人のユダヤ人を殺害した、3人のテロリストは9日、治安部隊との衝突で射殺され、多くの死傷者を出した2つのテロ事件は幕を閉じた。


8月21日
 25歳のイスラム過激派がパリとブリュッセル間の急行列車でテロを計画していたが、旅行客が取り押さえて無事だった。

11月13日
 パリのバタクラン劇場や喫茶店などでイスラム過激派テロリストによる同時テロ事件が発生、130人が死亡した。
 
2016年6月13日
 パリ近郊マニャンビルで警察官夫妻がISテロリストによって殺害された。

7月14日
 フランス革命記念日の日、フランス南部ニースの市中心部のプロムナード・デ・ザングレの遊歩道付近で発生した。慣例の花火大会が終了した直後、チュニジア出身の31歳の犯人がトラックで群衆に向かって暴走した。犠牲者は少なくとも84人。


 なぜフランスでイスラム系過激派テロ事件が多発するかについて、テロ問題専門家の意見をまとめると、.侫薀鵐垢シリア、イラクでの戦闘で欧州の中で最も積極的に関与していること、▲侫薀鵐垢硫甬遒遼魅▲侫螢での植民地政策のつけ、フランス居住のイスラム教系住民の社会的統合問題、雇用状況が悲惨であること、などがその主因として挙げられている。

 テロ事件が多発する中、フランス国民の中にもテロとの戦いに疲れが見えてきたという。「米国同時多発テロ事件からまもなく15年が過ぎるが、米国は依然、テロとの戦いを継続せざるを得ない状況だ。同じように、欧州でもテロ戦争は今後、10年以上は続くと覚悟しなければならない」と助言するテロ問題専門家がいるほどだ。

終身制の功罪について

 天皇陛下が生前退位の意向をお持ちだというニュースは欧州のオーストリアでも大きく報道された。東京発の通信社のニュースを土台に詳細に天皇家の背景を報じるメディアもあった。

 天皇陛下の生前退位の意向を聞き、終身制の良し悪しを改めて考えざるを得なかった。体力の限界まで公務を遂行しなければならない終身制はある意味で非常に酷なシステムだ。

 天皇閣下の生前退位のニュースは2013年2月11日のローマ法王べネディクト16世の退位表明とどうしても重なってしまう。前者は世襲制であり、後者はコンクラーベ(法王選出会)による選出制だが、両者とも基本的には終身制だ。ドイツ人のべネディクト16世は当時、健康を理由に生前退位を表明した。自由意思による生前退位は719年ぶりだった。

 終身制を基本とする社会で生前退位を表明すれば、様々な憶測が生まれ、混乱が起きることもある。実際、ベネディクト16世の場合も例外ではなかった。生前退位後、様々な憶測が流れた。
 バチカン放送によると、フランシスコ法王は最近、ベネディクト16世の生前退位は決して個人的な健康問題が主因ではなかったはずだという内容の発言をしている。南米出身法王は、「べネディクト16世の生前退位は革命的な決定だった」と表現し、ドイツの法王が自身が身を引くことでバチカン内の刷新を図ったという意味合いを示唆している。

 「人生50年」といわれた時代とは異なり、100歳の長寿も決して珍しくなくなってきた時代に生きている。だから、終身制はある意味で長い任務を課すことになり、任期が長くなれば、「生き生きとした気持ちで任務を遂行できなくなる」ケースも出てくるだろう。
 ヨアヒム・ガウク独大統領は先月6日、2期目の出馬に対し、「与えられた職務に生き生きとした気持ちで応じられなくなるのではないかと懸念している」(独週刊誌シュピーゲル)と述べ、再選出馬を断念する意向を表明したばかりだ。

 ガウク大統領の再選出馬断念を思い出していると、静岡県の川勝平太知事が、「階段が上れなくなったら即辞める」と述べたという記事が読売新聞電子版(14日)で報じられていた。簡単に言えば、体力の限界が任務の終わりを告げるというわけだ。本人がやる気いっぱいでも体力が許さない場合、辞任せざるを得なくなる。その意味からも、終身制は非常に酷なシステムと言わざるを得ない。

 故ヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月〜2005年4月)は亡くなるまで法王の任務を遂行したが、晩年はパーキンソン症候群などで肉体的に苦痛の日々を送った。その姿は痛々しかったほどだ。ポーランド出身のローマ法王は27年間、法王の座にあった。近代法王の中で在位期間は最長だった。

 もちろん、体力、意志力などは個人差が大きい。だから、何歳までといった明確な年齢制限は適切ではないかもしれない。故ロナルド・レーガン米大統領(任期1981〜1989年)が2期、8年間の任期を終え、辞任する時、「どうして米大統領職は2期で終わるのか」と不満を漏らしたと聞く。高齢で大統領に就任したが、2期を終えた後も3期を遂行できる体力と意志力があったのだろう。

 全てには時がある。スタートする時も、休む時も、考える時も、時がある。制度でその時を禁じる終身制はやはり再考が必要だろう。その意味で、ベネディクト16世の生前退位は法王の終身制に終止符を打った革命的な決定だった。天皇陛下の生前退位への意思表明については、日本国民として陛下のご健康を祈りつつ、謹んで受けたまわりたいものだ。

イラン核協議の合意「1年後」

 国連安保常任理事国(米英仏露中)にドイツを加えた6カ国とイランとの間で続けられてきたイラン核協議は昨年7月14日、最終文書の「包括的共同行動計画」で合意し、2002年以来13年間に及ぶ核協議はイランの核計画の全容解明に向けて大きく前進した。

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▲合意した「行動計画表」を示すIAEAの天野之弥事務局長とイランのサレヒ原子力庁長官(2015年7月14日、IAEA提供)

 最終文書は、イランに核兵器製造の道を閉ざすことを至上目標とした欧米側と、国際社会の制裁解除を最大課題と位置付けてきたイラン側の双方の妥協の成果だ。イランのザリフ外相は当時、ウィーン国連内の共同記者会見で、「合意内容はウイン・ウインだ。完全ではないが、新しい希望の道を開く歴史的な瞬間」と評していた。あれから1年が過ぎた。


 米英仏独露中の6カ国は今年1月16日、イラン側が核合意の義務を履行したことを受け、対イラン制裁の解除を決定した。国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長は同日、「核合意に基づく措置の履行が完了した」と発表した。具体的には、イランは設置済み遠心分離器約1万9000基の約3分の2を撤去し、低濃縮ウラン(LEU)約10トンの大半をロシアに搬出した。

 国際社会の対イラン制裁解除が伝わると、停滞してきた国民経済の復興を期待するイラン国民の声が高まったのは当然だ。一方、制裁解除前からドイツなど欧米諸国の指導者や企業代表のテヘラン詣でが始まった。その一方,ロウハーニー大統領も欧州諸国を訪問するなど外交を活発化していった。

 イランは核合意後、外貨獲得源の原油生産は今年4月段階で日量350万バレルを越え、制裁前の規模に近づいてきた。インフレ率も40%から10%と低下し、物価が安定化する一方、失業率の低下はまだ見られない。国民生活の急速な改善を期待していた国民の間には制裁解除直前のような高揚感はもはやない。

 核開発関連の対イラン制裁は解除されたが、対イラン制裁はそれだけではない。例えば、米国はイランの人権問題やテロ組織支援、ミサイル開発関連などに対して制裁を依然堅持している。だから、欧米企業はイラン企業と商談を安心して進めることができないのが現状だ。制裁違反が判明すれば、米国当局から莫大な賠償金を請求されるからだ。

 それだけではない。米共和党大統領候補者のトランプ氏は、「自分が大統領になれば、イランとの核合意などは完全に破棄する」と豪語している。イランとの核合意に難色を示しているのは共和党内ではトランプ氏だけではない。ちなみに、イラン政府は先月、米大手航空機メーカーのボーイング社との間で100機を購入することで合意したが、共和党が支配権を握る米下院で先日、ボーイング機の対イラン輸出を禁止する法案が採決された、といった具合だ。

 イラン指導部でも改革派のロウハーニー大統領の路線に、保守派から強い抵抗が見られる。外交分野の最高意思決定はロウハーニー大統領ではなく、最高指導者はハーメネイ―師だ。同師はイラン社会の西欧化を恐れ、保守派との連携を深めてきている。
 例えば、ロウハーニー大統領のオーストリア訪問(3月30日から2日間)が、土壇場で延期されたことがあった。表向きの理由は、安全問題というが、テヘラン消息筋は「イラン最高上部(ハーメネイー師)から訪問中止の命令が下された」と証言している。

 ロウハーニー大統領は来年6月の選挙で再選できるか、マフムード・アフマディネジャド大統領(保守派)がカムバックするかなど、イランを取り巻く内外の政情はここにきて一段と不透明さ増してきているのだ。

「EU国民」はそもそも存在するのか

 「あなたはヨーロッパ人ですか。それともイギリス人ですか」と聞かれた場合、欧州連合(EU)残留派の英国民もやはり後者と答える人が多いだろう。ブリュッセルのEU指導者たちは事ある度に「欧州国民」と呼ぶが、加盟国の国民の多くは欧州国民というより、まず自国の国民意識の方が強い。そもそも欧州国民は存在するのだろうか。イエスならば、欧州国民のアイデンティティは何か?だ。

 欧州の近代史をみると、民族とは関係なく架空の国籍が存在してきた。一つは「ソ連人」だ。次に「ユーゴスラビア人」だ。いずれも多様な民族を内包する一方、その民族、歴史とは直接関係のない国名の下で集合した国家だった。それ故にというか、両者とも既に消滅した。

 「ソ連」は民族の壁を超えたインターナショナル主義を標榜した共産主義社会を意味した。労働者の天国を豪語したソ連は理想国家の称号だった。しかし、ゴルバチョフ大統領が出現し、民主化が進められた結果、ソ連は解体され、各共和国が独立していった。ソ連という称号も歴史上から消えていった。

 「ユーゴスラビア」という国名も同様の運命を辿った。ソ連に対抗したチトー大統領がユーゴスラビア連邦を建設し、独自の自主管理経済システムを進めていった。同連邦もスロベニアとクロアチア両共和国が独立宣言し、ユーゴ連邦から離脱していった後、解体していった。ユーゴ人と言う国籍も消えていった。

 ソ連、ユーゴに続く第3の架空国名「欧州国民」はどうだろうか。EUには現在、27カ国が加盟している。共通市場、単一通貨などを目標に統合プロセスを進めてきたが、英国が6月23日、EU離脱を問う国民投票で離脱を決定したばかりだ。英国のEU離脱決定が欧州の解体の始まりとなるか、現時点では不明だ。EU離脱決定に基づき、英国はメイ新首相のもと、ブリュッセル側と離脱交渉を始める。英国ばかりかEU側にとっても加盟国の離脱交渉は初体験だけに、交渉プロセスでどのようなハプニングが生じるか分からない。

 EU解体の兆しは旧東欧諸国の加盟国で既に見られる。例えば、ドイツでは極右勢力「ドイツの為の選択肢」(AfD)が台頭しているが、チェコでも来年を目指して「チェコの為の選択肢」(IPC)の創設が進められている。新党の指導者、社会学者 Petr Hampl氏は、「多文化主義と欧州のイスラム教化を阻止し、欧州連合が変わらない限り、EU離脱(Czexit)も辞さない」という声明文を公表している。同国のミロシュ・ゼマン大統領は、「EUの無意味な政策が英国のEU離脱を誘発した」と述べている。チェコは伝統的にブリュッセル主導のEUに対しては常に懐疑的だった。


 チェコの隣国スロバキアでは極右派グループ「われらのスロバキア」(LSNS)がEU離脱の署名運動を開始した。同党は、「スロバキアも欧州のタイタニック号から降りる時を迎えている」と主張している。

 ハンガリーのオルバン首相は、「英国の離脱で明らかになったようにEUは加盟国の関心を土台に運営されるべきで、ブリュッセル主導ではない」と従来の主張を繰り返した。ハンガリーのメディアによれば、同国は10月2日、中東や北アフリカからの難民を加盟国が分担して受け入れるEU計画の是非を問う国民投票を実施する予定だ。オルバン首相のEU揺さぶり戦略だ。


 旧東欧加盟国の中にEU懐疑派が多いのは偶然ではない。彼らはソ連主導の共産主義社会を体験し、共産主義が標榜する国際主義が偽善であったことを体験してきた。主権国家を超えたスーパー・ネーションが主導する機構に対し本能的に拒絶反応を示すわけだ。

 「EU」は主権国家を超えた超国家共同体だ。「EU」という概念がEU国民の間に完全に定着し、受け入れられるまでには時間が必要だろう。共通外交やユーロ通貨の導入は統合への手段だが、それだけでは十分ではない。多民族の寄せ集め集団のEUを網羅できるアイデンティティが必要となる。ソビエト連邦では共産主義思想が一応その役割を担っていた。

 EUの場合はどうだろうか。キリスト教価値観が加盟国を結合させる価値観になる場合、イスラム教国・トルコの将来のEU加盟は考えられなくなる。EUの拡大政策はそのアイデンティティを希薄化させ、加盟国間の結束を弱める。キリスト教価値観としても、北欧のプロテスタント、中欧、南欧のローマ・カトリック、英国国教会、そしてバルカン諸国の正教圏といった具合で、その中身はかなり異なってくる。

 EUの拡大政策の結果、その本来のアイデンティティは希薄化され、加盟国間の結束は弱まってきている。欧州国民、欧州人が近い将来、定着するか、ソ連人、ユーゴ人と同様の運命を辿るか、EUは文字通り、大きな正念場を迎えているわけだ。

欧州の入口、西バルカンが危ない

 バルカンには欧州最古のイスラム教共同体が存在する。その中でもボスニア・ヘルツェゴビナでは、イスラム教創始者ムハンマドの生き方を模範とし初期イスラム教(サラフ)への回帰を訴えるイスラム原理組織サラフィー主義者がイスラム戦士をリクルードし、シリアやイラクで戦うイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に送っている。オーストリア国際政治研究者のバルカン専門家 Vedran Dzihic氏がオーストリア放送とのインタビューの中で答えている。以下、同氏の情報に基づく。

 バルカン最大のISリクルート先はボスニア、それにセルビア共和国南部サンジャク地域、アルバニア、マケドニアだ。昨年初めまでにボスニアから330人、コソボ出身が150人、アルバニアから90人、セルビア出身70人、そしてマケドニアから12人がサラフィー主義者にリクルートされ、シリア入りしたことが明らかになっている。

 バルカンでのリクルートのやり方は欧州諸国と同様、インターネットが利用されている。ブリュッセル、パリ、ウィーンと同様、若者たちがネット世界で過激派と遭遇し、リクルートされている。それに対し、バルカン諸国の指導者たちは、若い青年たちがネットでイスラム過激派と接触する危険性を過少評価してきた。IS関係者はバルカンの若者たちにソーシャル・ネットワークを通じ、よりよい生活を約束し、勧誘している。バルカンのイスラム教専門家たちは、「イスラム過激派のビデオがソーシャルネットワークで拡大されている」と久しく警告を発してきた。

 それでは、なぜボスニアの青年たちがイスラム過激派のリクルートに応じるのか。Dzihic氏は、「若者の失業率の高さを見れば分かる。バルカンでは平均50%だ。2人に1人が失業状況だ。ボスニアでは63%だ。世界最高の失業率だ。彼らは両親のもとで生活している。生活の急速な改善の見通しはない。雇用市場は縁故主義が席巻し、政府関係者が独占している。一方、青年たちは理想主義、行動欲から、イスラム過激派のリクルートに応じてしまうのだ」という。

 コソボでも同様だ。コソボは欧州でも最も若い国家だ。ほぼ90%の国民が30歳以下だ。ISはコソボの若者たちに「もし一緒に戦うのならば家庭持ちにはハウスを与える」と約束する。コソボは2008年、念願の独立国家となったが、国民経済は停滞し、国民の間で失望が大きい。

 IS闘士にボスニア出身者が多いのは、ボスニアではイスラム教徒が最大宗派であるという事実だけではない。旧ユーゴスラビア戦争で多数のムジャーヒディ―ン戦士(ジハードを遂行する者)が国内に入ってきた。彼らは1979年のアフガニスタンで対ソ連戦争を経験してきたプロの戦闘士だ。ユーゴ戦争ではイスラム教派を支援して戦った。戦争後、サウジアラビアの財政支援を受けてボスニアでイスラム寺院、イスラム文化センターが建設され、そこでサウジの主要宗派ワッハープ派がボスニアのイスラム教徒に影響を与えている。

 ボスニア政府は2015年7月、テロ戦略を構築して、テロ対策に乗り出し、同年10月には欧州評議会のテロ対策関連の付属議定書に署名している。同国はテロ対策で欧州連合(EU)との連携を強化する一方、バルカン地域協力を深め、地域間の協力、情報交換の促進にも積極的に乗り出している。

 なお、パリで開催された第3回西バルカン諸国首脳会議で4日、メルケル独首相は、「英国のEU離脱は西バルカン諸国の加盟問題に悪影響はない」と述べ、欧州統合を目指す西バルカン諸国を安心させている。オーストリアのケルン首相は、「西バルカンの安定発展は欧州にとっても重要だ」と述べる一方、西バルカン諸国がイスラム過激派の影響を受けていることに懸念を表明している。なお、欧州委員会はボスニアをイスラム過激テログループへの支援国ブラックリストに載せている。

極右政党「自由党」、EU政策を修正

 余り気づかれていないが、オーストリアの極右政党「自由党」副党首であり、大統領候補者のノルベルト・ホーファー氏は「欧州連合(EU)から離脱は考えていない」と強調し、「EUの改革が進まない場合、1年以内にEUに留まるかを問う国民投票を実施したい」と答えた先月の発言を修正している。

 オーストリア大統領決選投票は10月2日、やり直しが行われることになったが、極右政党「自由党」の大統領候補者ホーファー氏は、同国代表紙「プレッセ」の9日付のインタビューの中で、「EU離脱はわが国にとって望ましくはない。私はEUが改善されない場合とトルコのEU入りの場合という条件でEU離脱を問う国民投票の実施を提案してきただけだ」と強調し、現時点でEU離脱を問う国民投票実施を要求する考えはないことを明らかにしている。

 ホーファー氏は英国のEU離脱決定直後の日刊紙「エステライヒ」(6月25日)とのインタビューの中で、「EUが加盟国の主権国家を尊重せず、ブリュッセル主導の政治を継続するなら1年以内に国民投票を要求する」と述べた。それに対し、同氏は「EUに対する考えは何も変わっていない。EU離脱のシナリオはあくまでも緊急状況下で考えられるだけだ。わが国のEU離脱は損害が多い」と説明した。

 それでは、ホーファー氏が考えるEU離脱の緊急事態は、.肇襯海裡釘娉談繊↓加盟国の主権国家としての権限縮小を明記したEU条約の成立、2談噌颪料寛餔戝弩饗Г諒棄、ブリュッセルの中央集権的運営などを挙げている。その上で、「ユンケルEU委員会委員長も英国離脱の国民投票結果を目撃し、そこから教訓を引き出しているはずだ」と指摘、EUの改革が今後進むことを期待した。

 ホーファー氏が「1年以内に国民投票の実施」(6月25日)という従来の主張から、「EU離脱の考えはない」(7月9日)と変更した背景について、「英国がEU離脱を決定した後、国内で離脱反対の声が高まる一方、離脱推進派の無責任な辞任劇などを目撃し、オーストリア国内でもEU離脱に強い抵抗が生まれてきている。自由党の政策変更はその現状を反映したものだろう」とクールに受け取られている。

 自由党はブリュッセル主導のEU政策に批判的で、EU・米国間の包括的貿易投資協定(TTIP)に反対し、TTIPを問う国民投票の実施を要求する一方、難民問題では、“オーストリア・ファースト”を前面に出し、外国人排斥を選挙戦では訴えて、躍進してきた。欧州レベルでは、フランスの ジャン= マリー・ル・ペン党首が率いる「国民戦線」、オランダのヘルト・ウィルダース党首の「自由党」など欧州の極右政党との連携を深めてきた。その自由党がEU離脱を拒否したことで、欧州内の極右政党間の連携にも支障が出てくることが予想される。

 ホーファー氏は、「フランスがEUに留まるかどうかはフランス国民が決めることだ。私はオーストリアがEUから離脱することを願っていない」と重ねて強調している。

 ホーファー氏のEU離脱拒否発言は10月2日の大統領選決選投票向けの選挙戦略に過ぎないのか、それとも欧州の極右政党の中で最も躍進中の自由党の抜本的政策変更を意味するのか、その判断を下すためにはもう暫くその言動を注視する必要があるだろう。

韓国は何を誤解していたのか

 米韓が8日、米国の最新鋭地上配備型迎撃システム、高高度ミサイル防衛(THAAD)システムを在韓米軍に配置すると決定したことに対し、予想されたことだが、中国は激しく両国批判を展開している。

 中国外務省は、「中国の安保利益を害するTHAAD(サード)配備決定に対して強い不満と断固たる反対を表示する」と明らかにする一方、金章洙駐中韓国大使を2日連続で外務省に呼び、不満を表明した。
 中国メディアの中には、「THAAD配置と関連した韓国政府機関と企業、政治家への制裁を呼びかける声が聞かれる」という。韓国大手メディア「中央日報」(日本語電子版)は10日、「韓中関係はこんなものだったのか」という見出しで中国世論を紹介しているほどだ。


 サード配置決定に対し、韓国側は中国側の反発をある程度予想していただろうが、北京政府の強い抗議に驚きを隠せられないのが本音だろう。ソウルは「THAADは北朝鮮の核とミサイルへの自衛的防御措置」と説明しているが、中国側は納得していない。韓国「朝鮮日報」電子版は10日、「THAAD配置は韓国の主権で決定、中露には堂々と構えよ」という見出しの社説で、韓国政府に「主権国家として堂々と対応すべし」と発破をかけている。

 朴槿恵政権の外交は明らかに間違っていた。朴槿恵大統領は就任後、隣国日本を訪問せず、「正しい歴史認識」をモットーに中国側と頻繁に接触し、日本批判を展開させてきた。
 その例を挙げてみる。中国黒竜江省のハルビン駅で2014年1月20日、「安重根義士記念館」が一般公開された。韓国側は「韓中の蜜月関係」のピークと感じていたかもしれない(安重根は1909年10月26日、中国・ハルビン駅で伊藤博文初代韓国総監を射殺し、その場で逮捕され、10年3月26日に処刑された)。

 朴槿恵大統領は13年6月に訪中した際、習近平国家主席に安重根記念碑の設置を提案した。それを受け、習主席は当時、関係機関に検討を指示した。朴大統領の提案の段階では、「安重根記念碑」の建立だったが、中国側が一方的に“格上げ”して「安重根記念館」を建てた経緯がある。
 韓国はその時、中国側の配慮を感謝し、同国外交部当局者は、「韓国政府はハルビン駅に安義士の記念館が開館したことを歓迎し高く評価する」とコメントしているのだ。

 韓国は中国が同じ価値観、世界観を共有する国と勘違いしてきた。そして中国共産党政権の反日政策が戦略的であり、状況次第で変わることを忘れてきた。朴槿恵政権は、外交が基本的には国益で動くこと、中国政府が共産党一党独裁国家であること、この2点を忘れ、「正しい歴史認識」という標語に溺れてきたのだ。

 その結果、中国側が米韓の在韓米軍へのTHAAD導入決定に抗議した時、北京を対日政策パートナーと考えてきた朴槿恵政権はその激しさに衝撃を受けているわけだ。

 日韓両国は慰安婦問題など歴史問題で久しく対立してきた。韓国側はその歴史問題を解決するため価値観、世界観が違う中国と手を結んで喜々としてきたわけだ。中国は重要な国防、戦略的な議題が浮上すれば、韓国との歴史的連携など直ぐに忘れてしまうだろう、という冷静な見方が出来なかった。

 韓国は昨年末、慰安婦問題で日本側と「最終的、不可逆的な合意」が実現したばかりだ。日本との関係を早急に修復しなければならない。なぜならば、中国は今、アジアを支配下に置く軍事大国を目指して腐心してきている。韓国は、手痛いダメージを受ける前に、隣国日本との関係がどれだけ貴重であり、日本が同じ戦略的利益を共有するパートナーであるかを理解しなければならない。
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