ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2016年01月

自動運転車が選択する“最善の事故”

 独週刊誌シュピーゲル最新号(1月23日号)は自動運転車が直面するテーマに関する興味深い記事を掲載している。タイトルは「Lotterie des Sterbens」(死の富くじ)だ。以下、同記事の概要を紹介しながら、自動運転車が提示する“倫理問題”について考えてみた。

 近い将来、自動車は人間がもはや運転しなくてもコンピューターで自動運転するロボット・カーが人間を目的地に安全に運んでくれる。ロボットカーは一部で既に試運転されているから、「その日」は案外、近いだろう。ちなみに、シュピーゲル誌によれば、2020年には自動運転車が高速道路を走り、その数年後には全ての道路にロボットカーが走ると予測している。

 オフィス仕事で疲れた人間が自家用車で自宅に帰宅する場合や、友達と一杯飲んだ後など、車の運転は危険だ。世界で毎年、100万人以上の人間が交通事故で亡くなっている。ある者は飲酒が原因であったり、運転中に携帯電話で会話に集中し、不注意だったなど、様々な理由で事故が発生している。車の調子や故障で事故を起こすケースより、運転手に原因がある事故がほとんどだ。

 だから、人間が運転しなくても目的地まで運んでくれるロボットカーの登場は朗報であり、その需要は大きいだろう。自動運転車だから人間的なミスは排除される。ロボットカーは目的地に最短距離で人間を運ぶ。信号のチェンジも前もって計算済みだから、ほとんどノンストップで走れる。交通事故件数も急減するだろう。

 ここまではいいことずくめだが、新しい問題が出てくる。
 路上に突然、3人の子供が飛び出したとする。ロボットカーは車に設置されたセンサーで即座に子供の動きを計算して事故を回避する処置を取る。ハンドルを右側に切って眼前の樹木に車を衝突すれば子供をひかずに済む。ロボットカーは「事故の損傷を最小限に抑える」ようにプログラミングされているから、「3人の子供の命を守る」という選択を取る。

 ロボットカーのシートで快適に新聞を読んでいた車の所有者は樹木に衝突して大けがをするかもしれない。ひょっとしたら死去するかもしれないが、子供の命は守ることができる。事故に関わった人間の数は3(子供)対1(車内の人間)だ。「事故の際、犠牲を最小限に抑える」とプログラミングされているロボットカーには他の選択肢はない。

 人間がハンドルを握っている時、運転手が飛び出した子供を救うために歩道に乗り上げ、その結果歩道にいた7人の歩行者を殺す、といった状況が考えられる。ロボットカーの場合、プログラミングに基づき瞬時に決定するから、クールであり、慌ててパニック状態に陥ることはない。

 別の状況を考える。前方に子供が歩道から飛び出した。歩道には老婦人が歩いている。子供を守るためには歩道に車を乗りあげる以外に他の選択がない。ロボットカーは躊躇することなくハンドルを歩道側に切り、老婦人は犠牲となる。人間の平均寿命のビッグ・データに基づき、ロボットカ―は子供の命が老婦人のそれより長生きすると判断する。

 それでは、子供の命が大人のそれより価値あるとすれば、子供1人に対し何人の大人の命ならば等しいのか。もちろん、ロボットカーのプログラミングの仕事は人間だ。だから、車内の人間を事故から守ることを最優先するプログラミングも可能だが、倫理的観点からそれは許されるか。逆に、車内の人間を犠牲にしても事故を避けるようにプログラミングされたロボットカーを誰が買うだろうか。コンピューターもミスを犯さないとは言えない。眼前に兎が飛び出したが、ロボットカーがそれを子供と判断し、事故を回避するために樹やコンクリート壁に衝突するかもしれない、等々、新しい問題が生まれてくる。

 交通事故の場合、想定外の事が瞬時に発生する。ロボットカーは自身で判断しなければならない状況に対峙するかもしれない。換言すれば、ロボットカーは人間の運命を決定しなければならない。もちろん、その前に、われわれはロボットカ―の倫理問題を解決しなければならないのだ。

アドルフ・アイヒマンの恩赦請願

 「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)の1月27日、イスラエルは元ナチス幹部アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の恩赦請願書を公表した。アイヒマンは1961年人道の罪、戦争犯罪の罪で死刑の判決を受けた。書簡は死刑日1962年5月31日の2日前にイツハク・ベンツビ大統領(任期1955〜63年)宛てに送られたものだ。
 エルサレムのイスラエル大統領府が公表した書簡にはアイヒマンの恩赦請願を「公平な理由が見当たらない」として拒否したベンツビ大統領の返答書簡も同時に発表された。

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▲故サイモン・ヴィーゼンタール氏はアルゼンチン逃亡中のアイヒマン逮捕に貢献(1995年3月、ウィーンのヴィーゼンタール事務所で撮影)

 アイヒマン(1906〜62年)は恩赦請願の中で、「裁判官は自分の性格への致命的な間違いを犯している」と指摘し、恩赦を求めている。アイヒマンは、「自分はユダヤ人を迫害できる高い立場にはいなかった。同時に、自分の名前でユダヤ人虐殺を命令したこともない。上からの命令に従っただけだ」と反論し、ベンツビ大統領に自分の無罪を主張し、死刑を中止してほしいと願っている。アイヒマンの夫人とその5人の兄弟もアイヒマンのために恩赦を歎願している。
 
 アイヒマンは1932年、オーストリアのナチスに入党し、後日、ドイツ親衛隊(SS)に所属した。35年には新設されたユダヤ人担当特別部門に編入されている。終戦後、アルゼンチンに逃走したが、イスラエル情報機関モサドが1960年5月、拘束。1961年4月のアイヒマン裁判で戦争責任を追及された。275時間に及ぶ予備訊問と3500頁を超える文書に基づき61年12月、絞首刑が決定された。

 ナチス軍のユダヤ人大虐殺で600万人以上のユダヤ人が犠牲となったが、アイヒマンは公判時に、「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計に過ぎない」と述べたという。逮捕後は、「私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに精神的な満足感を見出していた」とイスラエル側の尋問に答えている。そして、「私の罪は従順だったことだ」と述懐したという。

 大戦終了後、ナチハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール氏(1908〜2005年)は同胞を殺害した元ナチス責任者を世界の隅々まで探し回り、司法の場に引っ張っていった。その執念は想像を絶するものだった。アイヒマンの逮捕も同氏がイスラエル側に提供した情報が大きく貢献した。

 当方は1995年、ヴィーゼンタール氏とウィーンの同氏の事務所でインタビューしたことがある。同氏に、「戦争は終わって久しいのに、なぜ今も逃亡したナチス幹部を追い続けるのか」と聞きたかったからだ。同氏は鋭い目をこちらに向けて、「生きている人間は、死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか言える資格や権利はない」と主張し、「『忘れる』ことは、憎しみや恨みを持って亡くなった人間を冒涜する行為だ」と語った。その時のヴィーゼンタール氏の顔を今も鮮明に覚えている(「『憎しみ』と『忘却』」2007年8月26日参考)。

潘基文事務総長の「任期末症候群」

 イスラエルのネタニヤフ首相は26日、潘基文国連事務総長の発言にかみついた。事務総長がイスラエルの占領政策に対しパレスチナ人は不満を持っていると同意を表明したことに対し、ネタニヤフ首相は、「国連事務総長はテロリストを支援している」と激しく批判したのだ。

 もちろん、潘基文国連事務総長にはテロリストを擁護する考えはなかった、と信じたい。事務総長は占領地下で不自由な生活を余儀なくされているパレスチナ人に同情を表明しただけだろう。ただし、イスラエルは過激なパレスチナ活動家をテロリストと見なしていることは周知の事実だ。
 問題は国連事務総長はパレスチナ人を擁護すれば、イスラエルから批判を受けることを知らなかったわけではないことだ。「テロリストの擁護」とまではいかなくても、イスラエル側から強い反発が飛び出すことは十分予想できたことだ。イスラエルとパレスチナ人問題は非常にデリケートだ。発言に注意しなければならないことはいうまでもない。

 ところで、潘基文事務総長は残された任期が少なくなるにつれ、反発や批判を知りながら、人気取りを狙った言動が増えてきているように見える。その典型的な実例は、中国の北京で昨年9月3日開催された「抗日戦争勝利70周年式典」とその軍事パレードに夫婦で参加した時だ。潘基文事務総長は日本や米国からの批判に対し、「国連に対して誤解している。国連や国連事務総長が求められているのは中立性ではなく、公平性だ」と弁明し、日本側の「国連の中立性に違反する」という批判に反論し、予想通り、韓国からは大喝采を受けた。

 国連機関は加盟国193カ国から構成された組織だ。国連憲章第100条1を指摘するまでもなく、国連事務総長はその職務履行では中立性が求められて
いる。繰り返すが、紛争解決の場でどちら側を支持するかはどの国からも求められていない。イスラエルとパレスチナ人問題も同様だ。紛争の解決を調停するために、関係国に話し合いを求めるだけだ。

 任期の終わりが近く、3選の目がない国連事務総長という立場は危ういものだ。任期中、大国や強国に発言が束縛されてきた事務総長はここぞといわんばかりに自分の信念や思想を吐露しようという衝動に駆られる。
 問題を一層深刻にするのは、国連事務総長の任期後、次のポストを狙う事務総長の場合だ。その言動が次期ポスト獲得を最優先とした言動となってくるからだ。潘基文事務総長の場合、次期韓国大統領ポストだ。

 国連事務総長から晴れて韓国大統領に転職した場合、新大統領には中立性や公平性よりも、国益最優先が求められる。潘基文氏は中国・黒竜江省ハルビン駅舎内の安重根記念館を訪問し、その行動を称えたとしても韓国大統領としては問題はない。ちなみに、伊藤博文初代韓国総監を狙撃した安重根は日本人の目には明らかにテロリストだ。

 

 「立つ鳥跡を濁さず」という故事がある。任期末症候群の兆候が見られる潘基文氏に贈りたい。

ユダヤ人が野球帽を被る時

 1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)であり、ウィーンの国連でも追悼行事が開催された。この日を迎え、欧州の反ユダヤ主義の台頭に改めて警鐘が鳴らされる。


 フランス情報紙パリマッチが実施した世論調査によると、フランス国民の70%はユダヤ人が安全のためにキッパ(Kippa)を被らず隠すことに反対している。バチカン放送独語電子版が20日、報じた。
 世論調査は同国でキッパを被ったユダヤ人がナイフを持った男たちに襲撃されるという事件が起きた直後に実施された。同国のマルセイユでは昨年10月以来、ユダヤ人の男性を狙ったナイフ襲撃事件が3件起きている。

 キッパはユダヤ人の男性が被る円形の帽子だ。テロの襲撃を避けるためにキッパを被らないことは「テロリストの脅迫に屈服することを意味する」というのが、反対する国民の主要理由だった。

 安全のためにキッパの代わりに野球帽を被ることはイスラム教徒の女性がイスラム教徒であることが分からないようにするためスカーフを被らず歩くのと同じ状況といえるかもしれない。自身のアイデンティティを隠して生きていかなければ自身の安全が危ないという社会は普通ではない。

 隣国ドイツでも反ユダヤ主義が席巻している。特に、北アフリカ・中東諸国から昨年、100万人の難民、移民がドイツに殺到してきたが、彼らの大多数はイスラム教徒だ。増加するイスラム教徒に対し、ユダヤ人は不安を感じ出している。
 ユダヤ人中央評議会のサルモン・コルン氏は、「警察や私服警察に保護されていないユダヤ人学校、幼稚園はもはや存在しない」というほどだ。ウィーン市内にあるユダヤ文化センターも同様、24時間、警察官が警備している。

 フランスでは昨年1月、仏風刺週刊紙テロ事件とユダヤ系商店テロ事件が、11月には「パリ同時テロ」が起きるなど、イスラム過激派テロ事件が頻繁に起きている。治安状況の悪化を受け、多数のユダヤ人家庭がイスラエルに移住している。シナゴークやユダヤ系施設への襲撃が絶えない中、生命の危険を感じて移住を決意するわけだ。2014年でその数は7000人というから、少なくはない。

 パリの反テロ国民大行進に参加したイスラエルのネタニヤフ首相はフランス居住のユダヤ人にイスラエルへの移住を歓迎すると述べたほどだ。ブリュッセルに本部を置く欧州連合(EU)も欧州全土で反ユダヤ主義が拡大してきたと警告を発している(「なぜ、反ユダヤ主義が生まれたか」2015年1月28日参考)。

 野球帽を被ったユダヤ人の若者を見たら、彼が米国のベースボール・ファンとは思わないでほしい。ユダヤ民族はそのアイデンティティを隠しながら生きていかざるを得なかった悲しきディアスポラだ。

イランの旅客機購入は朗報だ

 イランは24日、エアバス旅客機114機を購入すると発表した。このニュースを聞いた時、「本当に良かった」と思った。なぜ、そのように考えたかを以下、説明する。

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▲墜落事故が頻繁に発生したイラン航空機(ウィキぺディアから)

 イランは核開発計画の容疑問題に関連して久しく国際社会の制裁下にあったので、古くなった旅客機の部品すら購入できない状況が続いてきたが、今月16日、「イランが核合意に基づく措置の履行が完了した」(国際原子力機関=IAEAの天野之弥事務局長)ということで、対イラン制裁が解除されることになった。その最初の成果がイランのエアバス旅客機購入となって結実したわけだ。

 国際社会の対イラン制裁は単にテヘラン指導部だけではなく、一般国民の生活を窮地に陥らせた。その一つはイランの航空機が頻繁に事故を起こし、墜落するケースが挙げられる。最新航空機を購入できないこと、古くなった航空機の部品、メンテナンスが難しい、といった状況が続いてきたからだ。米国の対イラン経済制裁は1979年からスタートしている。核問題に関連した国連の制裁は2006年からだ。

 当方の知り合いのイラン出身の女性記者は、「イラン航空機は絶対に利用しない。いつ墜落してもおかしくないからね」といっていたことを思い出す。イランの航空機は危ない、というのはイラン国民自身が知っていることだ。

 同女性記者は当時、「国連の制裁の影響でイラン航空はしばしば事故を起こしているのよ。メディアには余り報道されないけれど、飛行機の調子が悪い、といっては途中、緊急着地したりしている」と教えてくれた。だから、テヘランに行く時はトルコ航空を利用すると語っていた(「イラン航空は怖い」2013年7月21日参考)。


 実際、イランで国内線旅客機の事故が頻繁に起き、墜落事故も少なくない。墜落事故としては、イラン航空277便墜落事故(2011年1月9日、死者数77人)、カスピアン航空7908便が2009年7月15日、地上に墜落し、168人が死亡するという大惨事が起きた。14年8月10日には小型旅客機が墜落して39人の犠牲者が出たばかりだ。中国新華社電(2014年8月11日)によると、「旅客機の老朽化で過去25年間、イランでは200件の墜落事故が発生している」という。

 興味深いことは、イランのエアバス旅客機購入のニュースが流れた同日、インドを訪問中のフランスのオランド大統領はインドに仏戦闘機36機の商談をまとめたという。インドは戦闘機を、イラン側はエアバス旅客機114機を、それぞれ購入するわけだ。
 テヘランからの情報によると、イランは今後3年間で500機の旅客機が必要という。いずれにしても、イランの旅客機購入ニュースはイラン国民が経済制裁の解除を実感できる朗報となっただろう。

中国が“中東”外交に目覚める時

 中国の習近平国家主席は今月19日から23日までサウジアラビア、エジプト、そしてイランの中東主要3カ国を公式訪問し、24日、北京に帰国した。習近平主席の中東3カ国訪問は初めて。
 中国は米国と並ぶ大国を自負しているが、世界の紛争地、中東で和平外交に積極的に関与することで、指導国家の威信を高めたいという狙いがあるとものとみられる。

 習近平主席の訪問国3カ国は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーだが、サウジとイラン両国を同時に公式訪問する訪問日程は異例だ。サウジが今月2日、イスラム教シーア派指導者ニムル師を処刑したことがきっかけで、スンニ派の盟主サウジとシーア派代表イランの間で激しい批判合戦が展開し、一発触発の緊迫感が漂っている。そのような時に中国国家主席が両国を訪問したわけだ。

 中国外務省は、「わが国は欧米諸国とは異なり、中東で紛争に直接関与したことがない。それだけに、公平な和平交渉が可能となる」と指摘し、中国の新外交、中東和平外交の意義を強調しているほどだ。

 中国のメディアを中心に習近平主席の訪問先の言動を振り返った。同主席は最初の訪問国サウジの首都リヤドでサルマン国王と会談した。中国国営新華社によれば、サルマン国王は中国が進めるアジアと欧州を結ぶシルクロード経済圏「一帯一路」構想に支持を表明。それを受け、習主席は、サウジが軍事介入しているイエメンについて、「正統政府を支持する」として、サウジのイエメン政策を支持している。参考までに、習近平主席の最後の訪問国、イランはイエメン紛争では反政府勢力、シーア派武装組織フ―シを支援している。同主席の発言はイランに決して快いものではなかったはずだ。

 習近平主席は21日、第2の訪問国エジプトのカイロのアラブ連盟本部で演説し、中東の経済復興のために総額350億ドルの融資、紛争地の人道支援など数々の支援プロジェクトを発表した。
 具体的には、エジプトに対して数十億ドルの融資、中国観光客の増加などで合意。イランのテヘランでロハ―ニ―大統領との会談では、イランが進める高速鉄道建設計画に中国が資金提供、ガス資源の開発支援などで合意したという。イランの核問題が今月16日、合意され、国際制裁が解除された直後だけに、中国側も人口7500万人のイラン市場進出を願っていることは間違いない。

 中国は中東外交では政治面と経済面の2分野から検討している。政治面では、中東が政治版図の再構築期にあるという認識のもと、中東地域の安定化に貢献することで中国の政治的影響力を拡大すること、経済分野では、中東諸国は国民経済の発展のために支援を必要としていることから、積極的な経済的支援を実施することで、関係を深めていくという狙いだ。人民網日本語版は「中国と中東はいずれも世界文明のゆりかごであり、悠久の歴史と素晴らしい文化を持つ。双方の文明交流は大いに期待できる」と期待を表明している。

 ちなみに、習近平主席は2014年6月5日、中国アラブ諸国協力フォーラム第6回閣僚会議で、「中国はアラブの友に対して、4つのことを堅持する。第1に中東の和平プロセスを支持し、アラブ民族の合法的な権益を擁護する立場の堅持。第2に問題の政治的解決を進め、中東の平和と安定を促進する方向性の堅持。第3に中東が自ら発展の道を模索することを支持し、アラブ諸国の発展を支援する理念の堅持。第4に文明的対話を進め、文明的な新秩序提唱を追求することの堅持。中国はアラブ諸国と共に、各自の民族を振興する道を歩んでいきたい」(人民網日本語版)と中国のアラブ外交の主要4点を述べている。

 南シナ海で人工島造成など強引な海洋進出を実施している中国に対し、米国は厳しい批判を展開している。それだけに、中国側はオバマ米政権が暗礁に乗りかけている中東和平外交に関与し、その存在価値を高めていきたいはずだ。
 しかし、米国が中東外交で苦慮しているように、複雑な民族間のいがみ合いの歴史を持つ中東諸国に足を突込めば、その迷路から抜け出すことは容易ではない。それだけに、中国の中東外交が単なる資源外交、バラマキ外交に終わるか、それとも地域和平に貢献できるか、注視していきたい。

「マグダラのマリア」の伝記の映画化

 英紙ガ―ディアンの21日の電子版によると、映画製作会社「See Saw Films」がマグダラのマリアの伝記を映画化する予定だ。第83回アカデミー作品賞などを受賞した「英国王のスピーチ」(原題The King's Speech)を制作したイアン・キャニング氏とエミール・シャーマン氏らが手掛ける映画ということで話題を呼んでいる。監督はガース・ディヴィス氏だ。クランクインはこの夏だ。

 マグダラのマリアは過去、何度も映画化されたが、主人公ではなく、脇役として登場してきただけだ。例えば、マーティン・スコセッシ監督の作品「最後の誘惑」(1988年) 、2004年にはメル・ギブソン監督「パッション」、 古くは1965年の米史劇映画「偉大な生涯の物語」に登場している。

 新約聖書によると、マグダラのマリアはイエスの十字架を見届け、イエスの復活の最初の目撃者だ。4つの共観福音書に全て登場する女性は聖母マリアとマグダラのマリア2人だ。この事実から見ても、マグダラのマリアがイエスの33歳の生涯に大きな影響を与えた女性であると受け取って間違いないだろう。

 米ハーバード大の著名な歴史・宗教学者カレン・L・キング教授はローマで開催されたコプト学会で4世紀頃の古文書(縦4センチ、横8センチ)のパピルスに、「イエスは『私の妻は……』」と書いてあったと発表し、センセーショナルを呼んだことはまだ記憶に新しい。その内容が事実ならば、イエスが生涯独身であったと信じてきたキリスト教会は教義の大幅な見直しを余儀なくされる。

 聖書研究家マーティン・ダイニンガー氏(元神父)はイエスと結婚問題について、「イエスが祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた庶子だったことは当時のユダヤ社会では良く知られていたはずだ。その推測を裏付けるのは、イエスが正式には婚姻できなかったという事実だ。ユダヤ社会では『私生児は正式には婚姻できない』という律法があったからだ」と説明する。
 
 このコラム欄でも紹介済みだが、英国の著作家マーク・ギブス氏は著書「聖家族の秘密」 の中で、「イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」と述べている(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日参考)。

 イエスがユダヤ社会では正式に婚姻できなかったとしても、妻帯していた可能性は排除できない。3世紀頃に編纂された外典「フィリポによる福音書」には、マグダラのマリアをイエスの伴侶と呼び、「イエスはマグダラのマリアを他の誰よりも愛していた」といった記述がある。

 それでは、イエスの伴侶として頻繁に登場する「マグダラのマリア」とは誰か。ダイニンガー氏は「マグダラという地名はイエス時代には存在しない。ヘブライ語のMigdal Ederをギリシ語読みでマグダラと呼んだ。その意味は『羊の群れのやぐら』だ。預言書ミカ書4章によれば、「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ」と記述されている。すなわち、マグダラとはイスラエルの女王と解釈できる。そのマグダラのマリアはイエスの足に油を注ぐ。イエスは油を注がれた人、メシア(救世主)を意味する、イスラエルの王だ。イエスとマグダラのマリアは夫婦となって『イスラエル王と女王』となるはずだった」と指摘する。

 ダイニンガー氏の見解が正しいとすれば、イエスは結婚し、イスラエルの王、その妻は女王となって神の願いを果たす計画があったが、選民ユダヤ人たちの不信仰のため十字架上で亡くならざるを得なくなったわけだ。だから、再臨のメシアは必ず結婚し、「王と女王」の戴冠式を世界に向かって表明すると考えられるわけだ。「イエスが結婚できなかった理由」2012年10月4日参考)。

 マグダラのマリアがどのような人物として映画で描かれるか、今から楽しみだ。いずれにしても、世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁から激しい批判が飛び出すことは間違いないだろう。

数字「37500」が意味するもの

 北アフリカ・中東から殺到する難民・移民の受け入れを積極的に支持し、受け入れ最上限の設定にはメルケル独首相と同様強く拒否してきたオーストリアのファイマン首相にとって、1月20日は苦渋の日となったはずだ。

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▲オーストリア社会民主党党首のファイマン首相(社民党HPから)

 同国の連邦首相府で20日、連邦、州、自治体の難民政策の見直しに関する会議が開催された。そこでオーストリアは今年、3万7500人の難民申請者を受け入れると決定した。参考までに、17年は3万5000人、18年3万人、そして19年は2万5000人と最上限を下降設定している。すなわち、今後4年間、合計12万7500人の難民を受け入れることにしたわけだ。同国は昨年、約9万人の難民を受け入れている。

 看過してはならない事実は、難民数といっても、あくまで難民(申請者)数を意味し、難民(認知者)数ではない。申請が却下されれば、送還される。家族を呼ぶ権利も一定の期間のチェックがあるなど、難民審査が厳しくなる。要するに、「難民収容国オーストリアのイメージを如何に非魅力的とするか」がその主要な狙いだ。

 ファイマン首相にとって最上限はタブーだった。だから今回も首相は最上限という言葉こそ使用しなかったが、受け入れ数の設定に同意したわけだ。人道主義的な難民政策をプロパガンダしてきたファイマン首相にとって、明らかに政治的敗北を意味する。

 会議後、ヨハナ・ミクルライトナー内相は、「今年3万7500人の受け入れ最上限は夏前に到達してしまう数字だ」と述べ、3万7500人の数字が非現実的だと述べている。
 難民サミット会議では国境線を強化し、難民の所持品チェック、写真・指紋摂取のほか、通訳者による身元確認審査などが実施される。そのほか、パスポートを所持していない難民は即、送還するなどの処置が決まった。

 社民党と連合政権に参加している保守派・国民党にとって、今回の決定は政治的得点となる。参考までに紹介すると、最上限に反対してきたのは与党「社民党」、野党「緑の党」だ、一方、最上限の設定を要求してきた政党は国民党のほか野党第1党の極右政党「自由党」だ。

 昨年100万人の難民を受け入れたドイツのメルケル首相は、難民受入れ最上限設定に強く反対してきた。隣国のファイマン首相が国内の圧力に屈し、最上限設定を受け入れたが、メルケル首相は自身の信念を変える考えのないことを重ねて強調している。

 北欧スウェーデン、デンマークは難民受け入れ制限に乗り出している。トルコ、ギリシャからバルカン・ルートで欧州を目指す難民たちは、マケドニア、ブルガリア、セルビア、スロベニアなどが次々と国境線を閉じようとしていることを肌で感じているはずだ。欧州が完全に閉鎖される前にドイツ・オーストリアに到達しようとする難民たちが雪の降る寒い道を子供連れで歩く姿が欧州メディアでも連日、報じられている。少なくとも、オーストリア入りを目指す難民は3万7501人目の難民となってはならないのだ。

 難民受入れに対する欧州国民の姿勢は変わってきている。人道的受入れ歓迎から、厳しい監視と制限を求める声が高まっている。その主因は、難民数が収容能力を上回っているという外的理由とともに、独ケルン市の大晦日の難民申請者による集団婦女暴行事件、「パリ同時テロ」事件の実行犯が難民を装って欧州入りしていたことが判明するなど、難民に対するイメージが急速にネガティブとなってきているからだ。

 冷戦時代から「難民収容国家」の称号を受けてきたアルプスの小国・オーストリアが難民受入れ最上限を設定したことは、欧州の難民政策に大きな影響を与えることは必至だ。

日々の糧の労働から解放される日

 産業のロボット化(独 Roboterisierung)とデジタイズ(独 Digitalisierung)で西暦2020年までに約200万人の新しい仕事が創造される一方、700万人が職を失う。増減を差し引くと500万人が仕事を失うという結論が「世界経済フォーラム」の調査結果で明らかになった。オーストリア日刊紙プレッセが18日、経済面で一面を使って報じている。

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▲無限の宇宙(NASA提供)

 この予測は350の世界的企業のトップ・マネージャーへのインタビューを通じてまとめられたという。「第4産業革命」は500万人の職場が無くなるというショッキングな予測となったわけだ。

 工業製品の生産分野ではロボットの導入で労働者が減少する傾向は既にみられるが、管理、事務職も遅かれ早かれリストラの運命に直面するかもしれない。
 人間に激しい労働を強いる工業生産分野でロボットが代わって働いてくれることは朗報だが、将来、人間は何をすればいいのだろうか。どのような労働が残されているか。医療分野でもロボット化が進むだろうし、高齢化で需要が増える看護分野でも程度の差こそあれロボットが代行できるようになるだろう。

 ちなみに、当コラム欄でスウェーデンに本部を置くシンクタンク「グローバル・チャレンジ・ファンデーション」が公表した「人類滅亡12のシナリオ」(2015年2月24日)を紹介したが、10番目に「Artificial Intelligence」が挙げられている。人工的知的存在、すなわちロボットが人類を逆に支配する危険が指摘されているのだ。
 産業工業分野でのロボティクスの飛躍は目覚ましい。仕事を失った人間はベランダで日なたぼっこをしているとロボットが本当に人類を滅亡させるのではないか、という懸念が生まれてくる。

 そこで、日常の糧を得るための不本意な労働から解放された人間は何をするかを考えてみた。衣食住はロボットに任せるとすれば、人間は何をするだろうか。理工系の人間ならば。自分を世話するロボットとチェスをして人間の威厳を取り戻そうとするかもしれない。しかし、チェスでも囲碁でも人間を凌ぐロボットも出てくるだろうし、車が大好きな人間ももはや自分で運転する必要はなくなる。F1レースで人間のドライバーがいなくなるのは時間の問題だろう。

 理科系の人間に代わって文科系の人間が再び台頭してくるかもしれない。人間はなぜ生まれ、人生の目的は何か、などを考えざるを得なくなるからだ。小説を書く人間が増え、絵画に没頭する人間が出てくるだろうし、世界を歩き、紀行文を書くかもしれない。神はいるかどうか、考え出す無神論者が出てくるかもしれない。
 生産性に乏しいという理由でこれまで日陰の生活を余儀なくされてきた文科系の人間が俄然生き生きしてくるかもしれない。全ての人間は哲学者にはなれないが、生産性を至上命令として機能してきた産業構造が無くなると、人は労働に追われ忘れてきた思考を愛するようになるかもしれない。

 多分、ロボットに日常必需品の生産を任せた人間は生産性を考えることなく、自分に合った分野を見出すだろう。換言すれば、人間は趣味を見つけ、生きていくのではないか。「未来は趣味の世界だ」と予言していた宗教者がいたことを思い出す。

 旧約聖書の「創世記」によれば、人間の始祖アダムとエバが堕落したため汗をかきながら日々の糧を得なければならなくなったが、その強制労働から解放される、なんと喜ばしい事だろうか。とここまではいいが、この夢も人間の衣食住が保証されたら、という前提がある。

 人間が趣味に時間を費やすことができる為には、ロボットなど生産施設を独占する一部の人間と、生産手段を有さない大多数の人間との間の平和な和解と了解が必要となる。それがうまくいかないと、生産手段所有者との紛争が避けられなくなる。人類の歴史はその紛争の繰り返しだった。人類が本当の趣味の時代に入るためには富の公正な分配が実現されなければならない。さもなければ、人間が闘争している間に今度はロボットが覇権を掌握してしまうかもしれないのだ。

 いずれにしても、人類が強制労働から解放され、各自がその能力を如何なく発揮できるようになれば、どのような輝かしい文化が展開されるだろうか。幸い、宇宙は人類の能力を発揮する舞台としては十分すぎるほど広大だ。

イラン核問題は本当に解決したか

 イランが昨年7月の核合意内容を完全に履行したとして、米英仏独露中の6か国は16日、対イラン制裁の解除を決定した。国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長は同日、「核合意に基づく措置の履行が完了した」と発表した。具体的には、イランは設置済み遠心分離器約1万9000基の約3分の2を撤去し、低濃縮ウラン(LEU)約10トンの大半をロシアに搬出した。

 対イランの経済・金融制裁の解除はイラン国民が願ってきたことであり、朗報だ。それだけではない。国際企業もイランとのビジネスの再開を願ってこの日が来ることを首を長くして待ってきた。“イランもハッピー、国際社会もハッピー”なのだから、イランの核問題をいまさら蒸し返す気はない。オバマ大統領のように、「世界はより安全となった」と言い切る自信はないが、2003年以来の難問が外交上は解決されたわけだから、好ましいといわざるを得ない。

 しかし、イランの核問題は本当に解決したのだろうか。換言すれば、イラン核問題が6カ国との間の外交交渉で合意が実現したが、4回目の核実験を実施したばかりの北朝鮮とイラン両国間の核開発協力はどうなるのか、という問題を忘れることはできない。

 イランの国営メディアによると、イランと北朝鮮は2012年9月、テヘランで開催された第16回非同盟諸国首脳会談で北から出席した金永南最高人民会議常任委員長が同月1日、イランのマフムード・アフマディネジャド大統領(当時)と会談、イランとの間で「科学技術協力協定」に調印している。イランの精神的指導者ハメネイ師も同委員長との会談で、「両国は共通の敵を抱えている。敵の攻撃に対抗するために相互支援すべきだ」と述べたという。

 イランと北朝鮮両国間の協力はさまざまな分野で久しく推進されてきた。両国は2007年8月8日、エネルギー分野の協力強化で合意し、北朝鮮は原油と交換でガソリンの供給を申し出た。軍事分野の協力関係はさらに緊密だ。イランが開発した中距離弾道ミサイル「シャハブ」は北型ミサイルを原型としているといわれる。北朝鮮は06年、中距離ミサイル18基をイランに輸出している、といった具合だ。 

 両国間の核開発分野の連携については、情報が分かれている。「ミサイル開発の協力は考えられるが、核分野ではわが国は平壌からの技術支援を仰ぐ必要はない」(駐IAEA担当のソルタニエ前イラン大使)、「私は核物理学者としてテヘラン大学で教鞭をとってきたが、北の科学技術に関する専門書を大学図書館で見たことがない。核分野でわが国の方が数段進んでいる」(サレヒェ副大統領)といったイラン側の発言が支配的だが、北の2回の核実験後、イラン側の姿勢が変わったといわれる。イランが北の核技術を見直したわけだ。

 イランは中部ナタンツやコム近郊の地下施設フォドゥでウラン濃縮関連活動を進めている一方、北は寧辺で核燃料の再処理で核兵器用のプルトニウムを製造し、パキスタンのカーン博士から入手した遠心分離機関連技術を利用してウラン濃縮関連活動を開始している。IAEAは2003年からイラン問題を取り組んできたが、北朝鮮の核問題は1992年から今日まで未解決のまま残されている。

 思い出してほしい。独ヴェルト日曜版は2012年3月4日、「北朝鮮が2010年、2度の濃縮ウランの核爆発実験を極秘に実施した。そのうち1回はイランの要請を受けて行った可能性が高い」という西側情報筋の見解を報じているのだ。この報道内容が正しければ、イランは北側の技術支援を受けて既に核弾頭を製造し、爆発実験を行ったことになる。
 独紙によると、スウェーデンの核物理学者ラルス・エリク・デゲア氏は、ウィーンに本部を置く包括的核実験(CTBT)機関の国際監視サービス(IMS)に送信された韓国、日本、ロシアの各観測所のデータをもとに大気圏の放射性アイソトープの測定を分析し、「北が06年と09年の2回のプルトニウム核実験のほか、10年に2度の濃縮ウランの核爆発を行った可能性がある」という調査結果を科学専門誌ネィチャー1月号に紹介している。

 北朝鮮は今月6日、水爆実験を実施した。その10日後の16日、米英仏独露中6カ国は対イラン制裁の解除を決定した。合意表明の中には、「イランが昨年7月の合意内容を完全に履行したことが確認された」と記述されているが、もちろん、イランと北朝鮮間の「科学技術協力協定」、核開発計画の連携問題などには全く言及されていない。

 イランの改革派ハサン・ロウハーニー大統領はいつまでその任務を担当するだろうか、第2のマフムード・アフマディネジャド大統領が出現することはないか、といった不安は残る。
 果たして、イランの核問題は解決されたのだろうか。換言すれば、北朝鮮の核問題を解決するまではイランの核開発計画は本当にストップしないのではないか、という懸念が排除できないのだ。
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