ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2015年11月

「国際テロ」とドイツの関わり方

 「パリ同時テロ」の首謀者アブデルハミド・アバウド容疑者が9月、難民に紛れてギリシャから欧州入りしたという。首謀者を知る証人が語った内容だけに信頼性は高い情報だ。このニュースは「パリ同時テロ」後、治安関係者が常に懸念してきたものだ。
 多くの難民がトルコからギリシャ経由、バルカン・ルートからオーストリア、ドイツ入りしたが、その中にイスラム過激派が潜入していても不思議ではなかった。ギリシャでは難民の身元確認は難しく、混乱状況が続いていたからだ。もちろん、偽造旅券も出回っていた。身元確認が不十分にもかかわらず、多くの難民・移民が欧州入りした事情があったからだ。

 このコラム欄でも指摘したが、ドイツのメルケル首相が8月末、「ダブリン条約を暫定的に停止し、紛争で犠牲となったシリア難民を受け入れる」と表明したことが、呼び水となって難民が欧州に殺到した。その直後、難民がオーストリア経由でバイエル州に殺到し、バイエル州も対応に苦慮、「キリスト教社会同盟」(CSU)のホルスト・ゼ―ホーファー党首はメルケル首相に難民受け入れ表明の撤回を要求したほどだ。メルケル首相の「キリスト教民主同盟」(CDU)内でも首相の難民受け入れに批判の声が聞かれる。ドイツ国民もメルケル首相の難民対策に批判的になってきている。首相就任10年を迎えたメルケル首相の支持率がここにきて低下してきた最大の主因はやはりその難民政策にあることは疑いないだろう。

 メルケル首相は「パリ同時テロ」後も、難民受入れの規制に繋がる最上限(Obergrenze)という言葉を避け、「われわれは出来る」と就任直後のオバマ米大統領のキャッチフレーズを思い出させるような言葉を繰り返している。

 次は、2001年9月11日の米国内多発テロ事件を思い出してほしい。米国内多発テロ事件のテロリストの多くがテロ前にドイツ国内に潜伏して、訓練を受けてきたことが明らかになった。すなわち、国際テロ活動でドイツがィスラム過激派テログループの拠点となっていたのだ。
 米国家安全保障局(NSA)の元メンバー、Thomas Drake氏は、「9・11テロ後、ドイツはNSAの海外盗聴活動最重要拠点となった」と証言し、ドイツ国内に約150カ所の盗聴拠点があることを明らかにしている。同氏によれば、NSAの監視体制はイスラム過激派テロリストを潜伏させ、テロリストに訓練と通信を支援したドイツに対する制裁という意味合いがあるというのだ。

 NSAがメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚して以来、米独関係は一時冷たい関係となり、危機的な状況に突入したが、米国はその後もドイツ内での情報収集を止めていない。

 ドイツが「パリ同時テロ」と米国内多発テロ事件の2件のテロ事件に直接、ないしは間接的に関わっていたことが実証された。イスラム過激派テログループはドイツの経済的、政治的条件を悪用し、ドイツ発の国際テロを繰り返しているわけだ。

 難民の欧州殺到、米国内多発テロリストのドイツ潜伏問題でその責任を追及されたならば、ドイツ政府も国民も戸惑うかもしれない。しかし、ドイツは欧州連合(EU)の盟主であり、経済大国だ。責任を背負えるだけの国力はある。ナチス・ドイツの過去ゆえにこれまで回避してきた政治的指導力を発揮し、難民問題とテロ対策の解決に積極的に立ち向かうべき時ではないか。

クロアチアの女史が問う「男の責任」

 クロアチアの放送ジャーナリスト、M女史と久しぶりに国連記者室で会って、話した。テーマは当然「パリ同時テロ」になった。M女史は、「クロアチア国民もパリのテロ事件には大きなショックを受けた」という。一方、バルカン・ルートで押し寄せてくる難民については、「ジュネーブの難民条項に一致するシリア難民は受け入れるべきだが、受入れは次第に難しくなってきている。難民を受け入れているのは欧州連合(EU)28カ国のうちドイツ、オーストリア、スウェ―デンなど数カ国だけだ。他のポーランド、チェコ、ハンガリーなどの東欧諸国は難民の受入れを拒否している」と説明した。

 イスラム国のテロリストが難民の中に紛れ込んでくる危険性については、「やはり、EUはギリシャやイタリアで難民の身元をチェックできる体制を早急に立てなければならない」という。クロアチアとしては、「スロベニアとオーストリア両国が防御塀を立てたならば、わが国も何らかの塀の建設も考えなければならないだろう。目下は実施していない」という。

 「パリ同時テロ」後、欧州全土でイスラム・フォビア(イスラム嫌悪)が見られだしたが、M女史は、「わが国には昔からイスラム教徒が住んでいる。イスラム教徒だからと言って嫌悪することはない」と述べた。

 M女史が力を入れて語ったのは難民の現状だ。「難民の中には西側から支援を受けて当然と考え、提供された住居に文句を言う者もいる。考えられないことだ。スウェ―デンでは家族持ちの難民に広い住居を提供したところ、生活に便利な市内のアパートメントを要求したという話がメディアに流れ、難民に好意的なスウェーデン国民もさすがに呆れ返ったという。われわれはボスニア紛争(1992〜95年)で難民生活を体験してきた。母国を捨てて逃げることの大変さは解かる。それにしても理解できないのはシリアから逃げてくる難民はほとんど男たちだ。特に若い青年たちだという事実だ。ボスニア紛争時には、難民として逃げるのは女性と子供と決まっていた。男たちは母国に残り、国を守るため戦った。それが男の責任だったからだ。しかし、シリアから逃げてきた難民の3人に2人以上は若者たちだ」と述べ、首を傾げた。

 少し、説明しなければならない。シリアの難民事情はボスニア紛争時とは異なっている。シリアの若者を弁護する考えはないが、シリアではアサド政権派か、反政府派(複数)か、それともスンニ派過激組織「イスラム国」の3つの選択肢しかない。どこにも所属しない場合、生命の危険がでてくる。また、女と子供が逃げるとしても、長い路程を歩いていくためには体力のある男の助けが必要だ。一方、ボスニア紛争の場合、オーストリアまで遠くないから、女と子供は自力でオーストリアに国境線まで逃げることができた。だから、ボスニア紛争時は女と子供を先に逃がし、男は母国に留まり、国のために戦ったわけだ。

 ただし、M女史の言いたい点は理解できる。男が国を守るために残り、国のために命を捧げる。若者が真っ先に逃げ出す国には未来はない。国の未来に対して、男は責任がある。M女史の言いたい点はそこにあるのだろう。

 カトリック教徒のクロアチアのM女史は、「理解できない点はまだある。同じ宗教を信じている湾岸諸国がシリア難民に対しまったく連帯感がないことだ。資金があり、アラブの同胞なのに彼らは無関心だ。イスラム教徒のシリアの難民を助けているのは西側キリスト教社会だ」と少し、憤りながら説明した。

「砂漠の宗教」とテロリスト 

 「月の沙漠」という童謡を聞くと、目頭が次第に熱くなるのを感じる。いつもそうだ。まだ見たこともない砂漠の世界が脳裏に浮かび上ってくる。やり切れないほどの静かさの中、月だけが神々しい光を放つ。

 ウィーンの自宅の仕事場で疲れたら窓から空を見ると、午前中ならウィーン国際空港に向かう旅客機がかなり大きく見える。大好きなコーヒーもその気になれば何杯も飲める。砂漠の反対の世界だ。そして自分は砂漠の世界には生きていけないことを感じる。コーヒーが自由に飲めないからではない。砂漠の世界に生理的に耐えられないと感じるからだ。

 昨年5月、ヨルダンの首都アンマンに取材で出かけた。幸い、砂漠を目にしなかったが、その空気や大地は乾燥していた。アンマンより砂漠に近い場所を訪れたことはない。欧州の国々はほとんど訪問したが、砂漠との出会いをこれまで避けてきた。

 多分、砂漠には神が存在し、そのプレゼンスを感じることができる場所だろう。砂漠では、心を動かされる何もないので、人の思考は自然に天に向かう。そして唯一の神を崇拝する宗教が誕生したわけだ。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の唯一神教が砂漠の地で生まれたのも偶然ではないはずだ。唯一神教は“砂漠の宗教”と呼ばれている。


 イスラエル民族の指導者モーセは60万人の民を率いてエジプトを出国し、荒野を流浪した。イスラエルの民が金の子牛をつくり、それを「民を導いた神だ」として崇拝する姿を見たモーセは激怒した。お腹が空いたとしてエジプトを恋い慕う民を見てがっかりする。神はイスラエルの民にマナとウズラを与えた。モーセは40日間断食しながら、神に呼ばれ、あの有名な十戒を神から受け取っている。エジプトから出たイスラエルの民の多くは荒野で死んだ。ヨシュアに率いられて約束の地に入れたのは荒野で生まれた2世たちだった。唯一の神を崇拝することは如何に難しいことだろうか。

 なぜ、神はイスラエル民族を砂漠に導いたのだろうか。もっと楽な道があったが、神はその道を選び、導いた。何の助けも期待できない砂漠でイスラエルの民が自分に救いを見出すことを願っていたのだろうか。なぜならば、神は“妬む神”だからだ。

 当方は音楽の都ウィーンに住んで長くなる。26日、初雪が降った。雪を見ながら、コーヒーを飲み、新聞を読む。多くの人々でにぎわう都会に住む当方が神を見出すことは容易ではない。弁解に聞こえるかもしれないが、実際問題だ。欧州のキリスト教社会で神は次第にその姿を隠し、教会も内外の問題を抱え、生きのびていくのに苦慮している。

 「都会の砂漠」という言葉がある。多くの物質に取り囲まれ、一見、恵まれているが、心の世界は砂漠のように乾燥している都会人が少なくない。そのような都市社会の真っ只中、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が襲ってきた。カリフの世界、イスラム国の建設を訴え、異教徒を襲撃する彼らの姿は異様であり、どこか砂漠から来た群れのような雰囲気を与える。

 「イスラム国」メンバーの多くは砂漠の世界を知っているのだろう。「都会の砂漠」(ホームグロウン・テロリスト)から、ある者は「中東の砂漠」から来たテロリストたちが、獰猛な野獣のように襲いかかっている。砂漠は神に出会う場所かもしれないが、同時に、悪魔の声も聞こえてくるのではないか。

“愛されなかった人”の時代は来るか

 「悲しみよこんにちわ」というフランス作家フランソワーズ・サガンの小説があるが、人生の悲しみは出来る限り少ない方がいい。悲しい体験、経験が多いと、その人の言動にどうしても歪みが出てくる。人は悲しさに対して無傷であり得ないからだ。
 悲しみは単なる感情の揺れではなく、人の心の奥まで侵入して消えない。ある日、突然、過去の悲しい思い出が顔を出し、その言動に影響を与える。そんな経験をした人もいるだろう。悲しい体験を昇華して、その残滓を感じさせない人は本当に少ない。

 悲しみを多く体験した人は満身創痍だ。KO寸前のボクサーの姿を思い出してほしい。ボクサーの場合とは違い、人生の悲しい体験は精神的痛みだ。その痛みは消えることはなく、暴発する機会を伺っている。

 それでは悲しみの体験のまったく無い人はいるのか。悲しみを体験していない人のイメージはなかなか湧いてこない。ひょっとしたら生まれたばかりの赤子かもしれない。イエスは「神の国は幼子のような者の国だ」と述べている。しかし、その赤子も胎児期間、親から既に悲しみを継承したDNAを受け取っているはずだ(「人類の“殺人へのDNA”を解明せよ」2015年1月31日参考)。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52094454.html
 少し遅くなったが、ここでいう「悲しい体験」について、少し説明する。ここで扱う悲しみとは、「愛されなかった」という感情に集約できるだろう。「愛されない」ことで心が蹂躙された体験だ。この体験は残念ながら容易には癒されない。

 人類始祖アダムとエバの間の2人の息子、カインとアベルの話をご存知だろう。カインは弟アベルを殺した。人類最初の殺人事件だ。カインの殺人動機は神から「愛されていない」という感情だ。神はアベルの供え物を受け取り、カインのそれを拒否した話は創世記に記述されている。神から愛されているアベルに対し、抑えることができない嫉妬と恨みが湧いてきた。シャーロックホームズの登場を願わなくても、カインの殺人動機は明らかだ。この「愛されなかった」という思いがカインの心の中に定着し、後世に継承されていった。

 「愛されていない」と感じるカインを「愛されている」と悟らせてきたのがイエスの福音だった。「愛されていない」と感じてきたカインを「愛されている」と実感させることができたら、それは奇跡だろう。一方、共産主義は「愛されていない」と感じている多くの人々に、「われわれを愛さなかった人」を見つけ、吊し上げようと呼びかけた。共産主義を標榜する政党の歴史に粛清が絶えなかったのは偶然ではなく、必然だった。しかし、愛さなかった人(資本主義者)を吊し上げても、やはり愛される体験を味わえなかった人々が多かったことは共産党の歴史が実証している。

 「愛されなかった」人はその悲しみを昇華できるだろうか。カインがアベルを愛する日が到来するだろうか。もし「愛されなかった」人が「愛されてきた人」を積極的に愛する姿を見たら、その人こそ愛の王者というべきだろう。

 神の祝福を受けた立場にあったヤコブが21年間、苦労した後、その妻、子供、財物をもって兄エサウと出会い、互いに和解する話が聖書にある。エサウは弟ヤコブに騙されて神の祝福を受けられなかった。その意味で、カインの立場と酷似している。問題は、聖書はヤコブの苦労を描いているが、祝福を奪われたカインの立場のエサウの「その後」については何も言及していないことだ。「愛されている者」(ヤコブ)と「愛されなかった者」(エサウ)の愛の和解では、前者の責任がより大きいことを示唆している。

 疑問が一つ残る。カインとアベルが和解できずに戦っていた時、なぜ母親のエバは両者の間に入って互いに歩み寄るように説得しなかったかだ。エバが両者の間に入って調停すればカインはアベルを殺さずに済んだかもしれない。同じように、なぜマリアは息子イエスを助け、十字架の道から息子を守ることが出来なかったのか。ひょっとしたら、エバもマリアも愛の感性ではまだ未熟だったのかもしれない。21世紀は女性の時代といわれるが、その女性の愛の感性が再び問われる時代に遭遇してきたように感じる。

セーヌ川が血で赤く染まった日

 独週刊誌シュピーゲル最新号(11月19日号)は25人のレポーターを動員した「パリ同時テロ」取材の成果を28ページに当たって特集していた。欧州一の情報紙と言われる同誌はその取材力を発揮し、パリ、ブリュッセルなどテロの舞台を取材した。写真も記事もやはり迫力があった。

 ここではシュピーゲル誌を称賛することが目的ではない。その特集の中のインタビュー記事で、イスラム問題専門家オリビエ・ロイ氏(Olivier Roy)が「パリ同時テロ」の最大の理由はやはりフランスの外交にある、と主張していた。具体的には、米国と共にシリア空爆を続け、反イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」を明確にしているパリの外交が「イスラム国」を敵に回したというのだ。実際、「イスラム国」も犯行直後、パリの外交を批判する犯行声明を発表している。また、テロリストたちも、「フランスがわれわれを空爆したからその報復だ」とテロ犯行現場で語っていたという証言がある。

 当方は「パリ同時テロ」直後、フランス居住の少数民族アルジェリア人の対フランス関係について考えてきた。テロと歴史との関連性に関心があったからだ。フランスの北アフリカ・中東諸国の植民地化時代、アルジェリア人がフランスに逃げたり、移住してきた。フランスには500万人以上の中東出身のアラブ人が住んでいる。文字通り、欧州最大のイスラム系コミュニティだ。それだけに、フランス国内の治安状況が中東情勢の動向に敏感に影響されることは避けられないわけだ。

 イスラム教徒のアルジェリア人は世界大戦ではフランス人として戦ったが、フランス人からはフランス人とは見なされなかった。貧しいアルジェリア人たちは本国フランスに出稼ぎに行った。1961年10月17日、アルジェリア民族解放戦線が主導した平和デモに対し、パリの治安部隊が鎮圧した。デモ集会に参加したアルジェリア人は橋から投げ落とされたり、銃殺された。アルジェリア出身の2世作家、レイラ・セバ―ルはその作品の中で「セーヌ川は血で赤く染まった」と描いている。フランス政府はこれまでアルジェリア虐殺事件に正式に謝罪したことがない。

 アルジェリア人の中にフランス人に対して恨みを抱く人がいたとしても不思議ではない。「パリ同時テロ」の実行犯はシリア出身者が多かったが、過激なアルジェリア人が過去、テロに走ったケースもあった。フランスが抱える過去問題がテロの温床となっていることは否定できないだろう。

 「外交」と「歴史問題」のどちらがテロを誘発する主因か、といった論議は余り意味がないかもしれない。両者が絡んでテロが起きると見た方がより現実的だからだ。テロによって、前者が近因で後者が遠因ということもあるし、その逆も考えられるからだ。

 今回の「パリ同時テロ」はシリア問題が色濃く反映している。その意味でフランスの外交が「パリ同時テロ」を誘発したと指摘したロイ氏の意見は正しい。同時に、フランスが北アフリカ・中東地域で犯してきたさまざまな過去の蛮行を無視してテロの原因を解明はできないのではないか。

 過去問題は欧州ではドイツだけではない。フランス、英国、スペインなど欧州の主要国は戦後、ナチス・ドイツの問題の影に隠れて表面化することは少なかったが、やはり清算せずに残してきた過去問題を抱えている。1916年のサイクス・ピコ協定でアラブ諸国の国境線を一方的に決定した問題だけではない。その植民地化時代の弾圧の歴史も当然含まれるのだ。

「パリ同時テロ」で殉職した警察犬

 パリ同時テロ事件が発生して以来、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)について考えてきた。同時に、犠牲となった人々の運命を考えざるを得なかった。突然、人生を失った人々、その家族、友人、知人たちにとってどれだけ無念だったことだろうか。

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▲警察犬とその指導官(オーストリアの警察犬を報じる同国内務省発行雑誌「公安」から)

 米国内多発テロ事件以来、テロは世界各地で発生し、その度にメディアで詳細に報道されてきた。テロの脅威をメディアを通じて知るだけで、身近に感じることは少なかった普通の人々が突然、テロリストの銃弾のターゲットになり、犠牲となった。その衝撃は大きい。

 ところで、パリ近郊のサンドニで18日早朝、警察部隊とテロリストの間で激しい銃撃戦が起き、5人の警察官が負傷したが、出動していた警察犬ディーゼル(Diesel)がテロリストの銃弾の犠牲となった。そのニュースが世界に伝わると、大きな反響があったという。多くの人々が殉職した犬に心が揺り動かされたことが分かる。

 当方も警察犬ディ―ゼル(7歳)について考えた。当方はこのコラム欄で「なぜ、警察犬は短命か」(2012年5月22日参考)というタイトルの記事を書いた。普通の犬たちとは違い、警察犬は激しい訓練を受ける一方、危険な状況で冷静に対応しなければならない。

 3年前のコラムでも書いたが、警察犬はストレスの状況下で生きている。出動を受けたその時、日ごろの訓練を発揮する時だ。その臭覚をフルに駆使し、爆弾物、異常な対象を見つけなければならない。時には犯人と対決しなければならない。命がけの使命だ。そのような状況下に生きている警察犬は短命だという。残念なことだが、当然かもしれない。極度のストレスが人間の健康を害するように、犬にとってもその寿命を縮めるわけだ。

 サンドニに出動したディーゼルはどうだったのだろうか、どのような訓練を受けてきたのだろうか。ネット上で見るディ―ゼルの写真は堂々としている。殉教した犬は生涯最大の使命を受け、警察官の前にテロリストが潜む家屋に近づいていったのだろう。

 犬は人間の最高の友だ。同時に、助け手でもある。盲導犬を見れば分かる。その盲導犬も普通の犬の平均寿命より短いと聞いた。人間が背負っていけないような重荷を人に代わって背負っていく。その姿は神聖だ。媚びることも、己惚れることもない。与えられた使命を忠実に行う。これを神聖といわずに何といえばいいのだろうか。余りにも身近にいるので、われわれは犬への感謝を忘れがちだ。

 もちろん、犬にもさまざまな気質がある。全ての犬が忠実だと断言していない。無条件の犬賛美ではない。9年前に「西側に亡命した犬」の話を書いたことがある。主人、その環境が良くないと、犬は逃げ出すことだってあるからだ。このコラム欄ではあくまでも警察犬に焦点を絞っている(「西側に亡命した犬の話」2006年10月24日参考)。

 愛犬家のプーチン大統領が先日、殉職したディ―ゼルの代わりに、1匹のジャーマン・シェパードをフランスに贈ったという話が報じられた。
 “ピンポン外交”ではないが、殉職した犬がきっかけでウクライナ紛争で険悪化してきた西側とロシアとの関係が改善に動き出すかもしれない。そうなれば、“ディ―ゼル外交”と呼ぼうではないか。

「イスラム国」の背後に潜むもの

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」は8月21日、シリアのKarjatain で西暦4世紀ごろ建立された修道院 Mar Elian をブルドーザーで破壊した。シリアの砂漠に立つ修道院はこれまで多くの紛争や戦闘を目撃してきたが、生き伸びてきた。しかし、ISが Karjatain に侵攻すると2週間も経たずに、完全に破壊されてしまった。ISは修道院破壊の理由を、「同修道院には3世紀のキリスト教の殉教者聖人エリアンが祭られている。これは神の神性を蹂躙するものだ」と説明している。要するに、「偶像崇拝」というのだ。また、シリアのパルミラ( Palmyra )の遺跡管理元総責任者であった考古学者ハリド・アサド氏( Khaled Asaad、82)がISに公開斬首されたばかりだ。

 ISはシリアだけではなく、イラク内の占領地でも世界的遺産を次々と破壊している。ISは2月、イラク北部のモスル博物館に収蔵されていた彫像を粉々に破壊し、古代ローマの主要都市ハトラでも破壊を繰り返した。4月11日には、イラク北部にある古代アッシリアのニムルド遺跡を爆発している。ニムルド遺跡はアッシュールナシルパル2世が紀元前879年から建設したアッシリアの首都の王城跡だ。

 ISは過去の文化遺産を破壊する理由として常に偶像崇拝をあげ、神を冒涜していると主張する。ISにとって、神は無形の存在であり、その神性を具象化することは神が最も忌み嫌う行為というわけだ。

 著名な神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰( MonotheISmus) には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げている。その暴力性は具象化した世界への憎悪に向かい、その破壊へと駆りたたせているわけだ。

 ここで、「唯一神教は文化を構築できるか」という問題を提示したい。全ての文化は具象世界で展開され、表現されている。だから偶像崇拝を忌む唯一神教は文化を創造できないのではないかという問いかけだ。
 もちろん、唯一神教のキリスト教は偉大な文化をこれまで創造してきた、と反論されるだろう。確かに、欧州の文化遺産はキリスト教の影響がないものは皆無と言っても間違いないだろう。 

 当方は8年前、イタリアのフィレンツで旧約聖書の英雄、ダビデ像を見学した。青年ダビデ像は裸体だ。ダビデ像は、神の信仰(キリスト教の信仰)と共に、人間の肉体の美しさを称えるヘレニズム文化を継承している作品だ。

 無形の神を崇拝するだけで、有形な形でそれを表現することを禁止すれば、文化は生まれてこない。欧州キリスト教文化はヘレニズム文化の助けを借りて構築されていった。ISが無形の神の世界に集中し、具象の世界を憎悪し、破壊し続ければ、新たな文化を創造できないわけだ。

 創世記によれば、われわれ人間は神の似姿であり、神の神性が具象化した存在だ。ISの論理を突き詰めていけば、人間も偶像ということになる。彼らが野蛮な方法で多くの人質を殺害できるのは人間を偶像と見なす人間観がその根底にあるからだ。極論すれば、自爆も同じ理由だ。「多くの人々を殺す自分も本来の姿ではなく、偶像だ」という結論になり、偶像の自分を破壊することで救済を希求するわけだ。

 少々飛躍するが、天使は無形の世界に住んでいる。神は自身の似姿としてアダムとエバを創造した。有形の世界で戯れるアダムとエバの姿を見た天使は彼らを羨み、最終的にはエバを誘惑して堕落させた。これは旧約聖書創世記の「失楽園」の話だ。有形な実態世界に対するISの憎悪は、神が人間を創造した後、天使ルーシェルが味わった思いを彷彿させるものだ。

北の“ヘア革命”とドッペルゲンガー

 朝鮮日報日本語電子版(21日付)で北朝鮮の最高指導者金正恩第1書記の髪型についての記事を読んで、金正恩氏の将来に暗雲が漂うのを感じた。以下、当方の直感を読者と共に分かち合うために、少し説明する。

 朝鮮日報の記事によると、「北では大学生や中学・高校の生徒といった若者に対し、短いヘアスタイルを強要し厳しい取締りを行っている。労働党青年同盟が男性は2センチ以下、女性はおかっぱにするよう指示を出し、監視チームがはさみを持って見回り、長髪の若者を見つけるとその場で短く切ってしまっている」というのだ。

 この記事を読めば大方の読者は笑い出するだろう。当方も笑おうとしたが、「ひょっとしたら、これは金正恩氏にとって暗殺の危険を高めるだけではないか」という思いが湧いてきた。

 横と後ろを短く切り落とし、前と上だけを残すヘアスタイルは「覇気ヘア」と呼ばれるそうだが、街中、国中、若者が金正恩氏の「覇気ヘア」をして歩いている情景を思い浮かべてほしい。これは滑稽というより、恐ろしい風景だ。それだけではない。北の若者が覇気ヘアで歩く。その中には金正恩氏と似た体形の若者も必ずいるだろう。そして、その若者がある日、「自分は金正恩だ」と言い出したらどうするのか、と考えたのだ。当方は金正恩氏のそっくりさん(ドッペルゲンガー)の出現を考えているのだ。

 もちろん、当方の妄想には決定的な問題点がある。金正恩氏と同じく170センチの若者はいるだろう。しかし、同時に130キロの体重の若者を探し出すのは難しい。北の食糧事情を考えれば、130キロに達するためには3食をたらふく食べるだけでは十分ではない。ケーキやチップスなど間食を取っても十分とはいえない。糖分の多いアルコール類をたくさん飲む必要がある。それでも難しいかもしれない(「金正恩氏が首脳外交できない理由」2015年9月28日参考)。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52116446.html
 金正恩氏そっくりさんの最有力者は元々太る体質の労働党幹部の息子で、日頃からぐうたらな生活している若者だ。その若者が金正恩氏の覇気ヘアをした場合、本物の金正恩氏のドッペルゲンガーの道が開かれるのだ。

 アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを暗殺した米海軍特殊部隊(Navy SEALs)が今度は北の金正恩氏の寝室を襲撃し、暗殺する計画がある、という情報が正恩氏の耳に届いたとする。金正恩氏は早速、自分とそっくりさんを寝室に送る。それと知らない米軍特殊部隊はそっくりさんの金正恩氏を暗殺した後、本国に連絡する。朗報を待っていたオバマ大統領は早速、オワイトハウスで記者会見をし、北の独裁者が死亡した、と世界に向かって発信する。

 その直後だ。北の平壌中央放送が軍事施設を視察中の本物の金正恩氏の姿を放映する。笑顔で視察する金正恩氏のライブ姿を大々的に放映すれば効果的だろう。世界はオバマ大統領が30歳代の若い金正恩氏の天才的な作戦に敗北したことを知る。オバマ大統領は世界の笑い物となる一方、金正恩氏への国際社会の評価はひょっとしたら変わるかもしれない。

 上記のストーリーは“金正恩氏のそっくりさん戦略”のポジテイブな側面だが、問題はネガテイブな面もあることだ。正恩氏のそっくりさんを担ぎ上げ、平壌官邸を襲撃し、本物の金正恩氏を暗殺し、そっくりさんを指導者に担ぐ官邸クーデターが発生する危険性が出てくるのだ。覇気ヘア奨励は官邸クーデターを密かに計画している人民軍幹部に絶好のチャンスを提供するだろう、という直感だ。

 独裁国家では何が契機となってクーデターが起きるか予想できない。当方は北の「覇気ヘア」奨励キャンペーンのニュースを聞いた時、後者のシナリオ(暗殺誘発)が脳裏を横切ったのだ。

 北の「覇気ヘア」奨励キャンペーンは要するに独裁者・金正恩氏のようになれ、という思想だ。それはヘアスタイルだけではない。思想的にも独裁者の金正恩氏のようになることが願われているわけだ。それを極限までに突きつめていくと、金正恩氏のドッペルゲンガーが誕生する。皮肉にも、そうなれば金正恩氏は自分のドッペルゲンガーに抹殺される危険性が排除できなくなるのだ。独裁者は本来、自分に似た人間を生み出してはならないのだ。これが「覇気ヘア」奨励キャンペーンが金正恩氏にとって非常に危険な試みと言わざるを得ない理由だ。

「私はパリ」は戦争宣言だ

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による「同時テロ」事件で少なくとも129人の犠牲者を出したフランス国民は今、そのショックから立ち上がろうとしている。今年1月7日に起きたイスラム過激派テロリストによる仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件直後、パリ市民は「「Je suis Charlie」(私はシャルリー)」と書いた紙を掲げ、犠牲となった週刊誌ジャーナリストを追悼した。同じように、パリ市民は壁やパンフレットなどに「私はパリだ」(Je suis Paris)と書き、連帯感を表している。

 仏主要メディアは15日、1面の紙面に「私はパリ」「今回は戦争だ」と書き、批判を表明した。若い男性は、「自由、平等、友愛はわが国の価値観だ。テロリストはそれを踏みにじった」と述べ、「私はパリだ」と書いた理由を説明していた。

 人は自由を求める存在だ。取り巻く環境、社会が自由を制限するならば、それを突破して自由を獲得しようとする。中世時代からカトリック教会の伝統や慣習に縛られていたフランス国民が起こした革命はその代表的な例だろう。人間本来の自由の謳歌を求めたルネッサンス運動は当時のフランスに影響を与えていた啓蒙思想と結びついて1789年、フランス革命を引き起こした。
 その革命で獲得した成果の一つが「言論の自由」だった。だから、イスラム過激派テロリストの風刺週刊紙本社襲撃事件直後、300万人以上のフランス国民が反テロ国民行進に参加した。行進に参加した国民は同週刊紙の愛読者だけではなかった。むしろ、「言論の自由」という革命の成果が攻撃されたことに対する憤りが強かった。


 ところで、ソフトターゲットの今回の「同時テロ」事件は1月テロとは明らかに異なっている。週刊紙本社を襲撃した1人のテロリストは、「市民を殺害する考えはない」と語っていたという。彼らのターゲットは「シャルリ―・エブト」紙でイスラム教創設者ムハンマドの風刺を書いたジャーナリストたちだった。 しかし、今回は市民を狙った無差別テロだ。それも可能な限り多くの市民を殺すことが彼らの狙いだった。その意味で、パリ市民にとって今回のテロは自分たちが狙われていたことを肌で感じた事件だったわけだ。

 1月のテロ事件直後、オランド大統領の呼び掛けて約300万人の国民が抗議行進をしたが、国民がテロのターゲットとなった今回、この種の大集会、抗議行進は一切行われていない。この違いはどこからくるのだろうか。もちろん、新たなテロが起きる危険があったから、抗議集会や行進は出来なかったという理由もあるが、それだけではない。
 前者は「言論の自由」を守るという大義がはっきりとしていたが、今回はそのような大義は見当たらない。守らなければならないのはわれわれ自身だ。厳密にいえば、われわれの生命だ。
 オランド大統領が表明したが、「フランスは今、テロとの戦争に入っている」からだ。抗議行進の時ではないのだ。武器を持って戦地に赴き、テロリストと戦争をしなければならない時なのだ。だから、オランド大統領は非常事態宣言を表明したわけだ。

 「言論の自由」の大義のため戦争を始める国はないが、「国民の命を守る」ためには戦争を始める。「戦争宣言」は主権国家の3条件、領土、国民、主権が蹂躙された時、それらを守るための最後の手段だ。繰り返すが、「フランスは今、戦争下にある」と述べたオランド大統領の発言は指導者のレトリックではなく、同国が置かれている現状を正確に表現した言葉なのだ。

 戦争下に入ったフランスは17日、欧州連合(EU)国防相理事会で加盟国に対し、EU基本条約に基づき集団的自衛権の行使を求めた。その結果、「私はパリ」は「われわれはパリ」となり、欧州全土が対テロ戦争下となった。一方、国連安保理事会は20日、ISに対し、あらゆる手段を駆使して戦うことを求めた決議案を全会一致で採択した。それによって、ISへの戦争宣言は国連の全加盟国に及ぶことになった。もちろん、日本は国連加盟国である限り、ISに対して戦争宣言をしたパリと同じ立場となったわけだ。

ISはアッシリア王国の再現?

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)はアッシリア王国の再現という話を聞いた。実証が難しく、思い付きの域を出ない感じがするが、新鮮な観点なので読者に紹介する。

 アッシリア王国はメソポタミア(現在のイラク)北部の地域の王国で、ティグラト・ピレセル3世の治世時代に栄えた。紀元前7世紀初頭にはニネベを首都にメソポタミアからエジプトまで支配下に置いたオリエント最初の統一帝国を建設したが、分裂と反乱から紀元前612年に滅亡した。

 ISは21世紀に現れたイスラム教スンニ派過激派組織だ。ISはイラクとシリア両国の国境付近を武力制圧し、「カリフ国家」を宣言し、欧州から中国までを支配下に置くイスラム国の建設を夢みている。

 アッシリア王国と「イスラム国」は支配地が重なるだけではない。人質に対する野蛮な行為は似ている。アッシリア王国のイスラエル民族への蛮行は現代の「イスラム国」のそれを凌ぐほど野蛮なものだったという。「イスラム国」は人質の首を斬り、高台から突き落とすなど蛮行を繰り返し、世界を震撼させているが、アッシリア王国はイスラエル人の皮膚を生きたまま剥ぎ取るなど冷血なやり方で虐殺していったという。

 21世紀の「イスラム国」が登場した背景を考える上で、アッシリア王国と関わったイスラエル民族の歴史を少し振り返る必要があるだろう。 ヤコブから始まったイスラエル民族はモーセに率いられたのち、神が約束した“乳と密の流れる地”カナンに入り、民族を形成したが、民族をエジプトから導いた神を忘れ、偶像神崇拝に陥った。神は預言者を送り、イスラエル民族に悔い改めを求めたが、彼らはその声に従わなかった。旧約聖書の列王紀では、神は、「いつまであなた方は2つのものの間に迷っているですか」と預言者に語らせている。イザヤ書7章では、「その日、主は大川の向こうから雇ったかみそり、すなわちアッスリヤの王をもって、頭と足の毛とをそり、また、ひげをも除きさられる」と記述されている。

 異教の神を拝みだしたユダヤ民族は南北に分裂し、北イスラエルは紀元前721年、アッシリア王国の捕虜となり、南ユダ王国のユダヤ人たちはバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王クロスの支配下に入った。北イスラエルはアッシリアに壊滅され、地上から消えた(南ユダ王国の国民はクロス王朝時代に再びエルサレムに帰還)。

 21世紀の「イスラム国」はイスラム教のシーア教徒を殺し、中東地域の少数宗派キリスト教徒を迫害している。同時に、欧米のキリスト教資本主義社会を腐敗した異教世界と見なし、“聖戦”を呼びかけ、破壊を続けている。「イスラム国」は世界の全てを敵に回し、テロを繰り返し、恐怖を与えている。ISの今後はもうしばらく待たなければならないが、アッシリア王国と同様、地上から消滅するのは間違いないだろう。

 ちなみに、アッシリア王国の侵略を選民イスラエル民族への“神の刑罰”という観点から受け取るように、「イスラム国」の登場を人類の神の刑罰と受け取る見方は、一般的な歴史観とは異なるだろう。
 ただし、歴史から教訓を引き出すという立場からいえば、「イスラム国」をアッシリア王国の再現と見る歴史観は非常に興味深い。それでは、21世紀に生きるわれわれはアッシリア王国現代版の「イスラム国」の登場から何を教訓として引き出さなければならないのだろうか。ユダヤ教から継承したキリスト教社会とイスラム教社会の覚醒が求められているのだろうか。
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