ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2015年10月

政治家は何時まで“いい顔”するのか

 ドイツに殺到する難民問題をテーマにコラムを書いたところ、読者の一人から、「ドイツ国民は難民に反対しているのではなく、現実を無視したヒューマニズムの押し付けに抵抗を感じているのだ」といった主旨のコメントを頂いた。このコメントは多分、正論だろう。

 欧州は程度の差こそあれ、キリスト教社会であり、世俗化したとはいえ、キリスト教の神は依然、その影響を持っている。国民は教会に通わなくても、その教えを捨てたわけではない。「教会の神」ではないかもしれないが、神を信じている人が少なくない。ボランティアに励む人も多い。

 紛争地シリアやイラクから逃げてきた難民に対して、政府が先頭に立って叫ばなくても多くの国民は人道支援に乗り出す。衣服、食糧、水を難民に運ぶ人々の姿が見られる。しかし、取り巻く社会状況(想定外の難民の殺到に直面)が厳しくなり、無条件に難民を受け入れることができなくなれば、難民受け入れ制限に乗り出さざるを得なくなる。ドイツの現状はそれだろう。

 ドイツ国民が急に難民に抵抗を覚え出したというより、善意の限界に達した結果と表現すべきだろう。社会や個人がその善意の限界に達した時、ヒューマニズム(人道主義)を理由に受け入れを強要すれば、当然、強い抵抗感が出てくるだろう。先のコメント「現実を無視したヒューマニズムの押し付け」という内容だ。

 それでは、誰が「現実を無視したヒューマニズムを押し付け」ているのか。ドイツの場合、メルケル首相か、それとも欧州連合(EU)のブリュッセル本部だろうか。現実は両者とも押し付けてはいない。

 欧州では難民の受け入れを積極的に支援しているのはキリスト教会関係者が多い。彼らにとって、現実よりその信念や理念がより大切だ。例えば、オーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェ―ンボルン枢機卿は、「宗派の違いは問題ではない。神の前にはすべて兄弟姉妹だ」と主張し、難民の受け入れを訴える。キリスト教の隣人愛の実践を要求し、犠牲を求めるわけだ。ローマ法王フランシスコの難民への熱いメッセージを思い出すだけで十分だろう。

 隣人愛ではなく、ヒューマニズムが登場する場合だ。ヒューマニズムの主人公はあくまでも生身の人間だ。だから、その善意にも当然、限界がある。状況が厳しくなった場合、考え直す。難民の収容人数、受け入れ可能な人数を設定し、善意の限界線を引く。

 問題が混乱するのは、善意の限界を抱えるヒューマ二ズムに隣人愛を叫ぶキリスト教関係者が連帯し、その難民戦線に積極的に発言する時だろう。また、難民の中には経済移民だけではなく、イスラム過激派も紛れ込んでいる可能性があるだけに、問題をより複雑にしている。そのような中で、「現実を無視したヒューマニズムの押し付け」は、当然反発も生まれてくるわけだ。

 ドイツはオーストリアとの国境沿いに、オーストリア側はスロベニアとの国境沿いに金網の柵を設置しようとしているが、「あれは国境柵ではない」(トーマス・デメジエール独内相)、「安全を守るための技術的な建築物」(ファイマン・オーストリア首相)といった“柵の定義論争”が両国政治家たちの間で飛び出してくる。誰も“非人道的”と思われたくないからだ。どの国でも政治家は常に“いい顔”をしていたいのだ。

 難民問題が表面化して以来、本音で問題の深刻さを指摘したEU加盟国指導者はこれまでのところハンガリーのオルバン首相だけだ。同首相がセルビアとの国境線沿いに高さ4メートルの柵を設置した時、他のEU諸国から激しい批判に晒されたが、批判した国の指導者たちが今、オルバン首相と同じことを行おうとしているのだ。

 冬が近づいてきた。寒さに震える子供を抱える難民の母親の姿がTVニュースを通じて茶の間に届くと、ドイツ国民は再び、考え出すのだ。

安倍(首相)さん、パブ・モゴッソ?

 韓国大統領府は28日、朴槿恵政権初の日韓首脳会談を来月2日午前ソウルで開くと発表した。3年半ぶりの日韓首脳会談だ(最後の日韓首脳会談は2012年5月、李明博大統領と野田佳彦首相の間)。
 日韓首脳会談が実現するまで紆余曲折あったが、隣国の首脳同士が会談し、両国関係の改善に努力する機会が生まれたことを歓迎したい。

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▲韓国の伝統料理の一つ、ビビンバ(韓国観光公社のHPから)

 ところで、ソウルからの報道によると、日韓首脳の日程には安倍晋三首相と朴大統領の昼食会が入っていないという。俗に言うなら、メシ抜きの首脳会談という。一方、日韓中首脳会談に参加する中国の李克強首相とは31日、首脳会談後、朴大統領は夕食会を主催するという。韓国側の説明では、安倍首相のソウル訪問は実務訪問(Working Visit)だが、李首相の場合、公式訪問(Official Visit)だからだという。要するに、プロトコール上の違いに過ぎないという。

 当方が食いしん坊だから言うのではないが、メシ抜きの会談では弾みがなくなるのではないか、と懸念する。韓国人は日本人以上にメシの重要性を理解しているはずだ。“全てはメシから始まり、メシで終わる”のが韓国文化の特徴ではなかったか。
 
 「メシを食ったか」(パブ・モゴッソ 밥 먹었어?)は韓国人の挨拶言葉だ。一緒にメシを食べることを大切にする民族だ。知り合いの韓国外交官も、「君、昼の予定はどうなっている」と直ぐに聞く。当方が、「特別な予定はないです」と答えると、「それではいつもの処で食事を」ということになる。食事抜きで、韓国外交官と会って話したことは数えるほどしかない。ほとんど食事つきだ。商談でもそうだろう。食事を共にすれば、難しいビジネス問題も解決の道が見えてくることがある。

 もちろん、日韓首脳会談の場合は少々事情が違うかもしれない。慰安婦問題で何らかの前進を勝ち得たい朴大統領には国内からの圧力は安倍首相より数段大きいだろう。中国の南シナ海への進出問題もある。悠長に食事などしている場合でないかもしれない。

 それでもやはり昼食会のない日韓首脳の日程は残念だ。激しいやり取りがあったとしても、一緒にテーブルで食事をすれば、その雰囲気も変わる。首脳会談で議題の進展がなくても、首脳間の人間的繋がりが少しでも深まれば、次回の首脳会談に期待が出てくるし、不必要な誤解や偏見がなくなるかもしれないのだ。

 韓国の聯合ニュースによると、日本側は昼食会の開催を願っていたという。安倍首相は韓国文化を知っているのだろう。首脳会談までまだ時間がある。朴大統領がプロトコールに縛られず安倍首相を昼食会に招く決断を下せば、日韓両国関係は進展すると当方は確信している。安倍さん、パブ・モゴッソ?

中国共産党政権は「文化」を築けるか

 中国の海外反体制派メディア「大紀元」(10月22日)には、米ニューヨーク在住の中国問題専門家ゴードン・G・チャン氏とのインタビュー記事が掲載されていた。チャン氏には「やがて中国の崩壊が始まる」(2001年)という著書がある。

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▲ルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領の宮殿用建築物(現在「国民の館」)1980年代、建設中の大統領宮殿、ブカレストで撮影

 同氏は、「中国は今年、国内総生産(GDP)を7%の成長と予想したが、実際は1・2%だ。北京で噂されているのは2・2%だ。その上、資金の国外流失は1440億ドルから1780億ドルと推定されている。北京政府は経済刺激策を実施しているが経済の停滞を止めることが出来ないでいる。財政負債はGDPの350%にも達している」と述べ、「中国共産党政権下では持続的経済発展は出来ない」と結論を下している。

 中国経済の問題点に関しては専門家の分析に委ねるとして、チャン氏の返答で興味があったのは、「国営企業はビルを建てることはできても、文化を築くことはできない。開放的で自由な社会でしか文化は創造されない」と語っている点だ。

 チャン氏のメッセージを読んでいると、冷戦時代を思い出した。共産政権下の東欧諸国では立派な党関連の建築物が多かった。中国共産党を含み、独裁政権は大規模な建築物に異常なまでに拘る。しかし、その建物から一歩外に出ると多くの国民が欧米社会を夢み、民主主義を叫んでいたのだ。

 例えば、ルーマニアのチャウシェスク大統領(1918〜1989年12月25日処刑)は巨大な大統領宮殿を建設していたが、その大統領宮殿の住人になれず、1989年12月、民主革命で処刑されてしまった。建設中の大統領府宮殿は当時、国民を威嚇するよう異常なパワーを放出していた。同建築物を初めて見た時、当方も正直、驚いた。ウィキぺディアによると、同建築物は、米ペンタゴン(延床面積616,540平方メートル)についで世界2番目の大きさを誇っているという。

 北朝鮮を訪問したことがないが、金日成主席や金正日労働党総書記の記念像一つにしても大規模で仰々しさが漂う。共産政権の独裁者が大きな建物、記念碑に拘るのは、中身(文化)がないことをカムフラージュするためかもしれない。

 世界第2の経済大国となった中国は今日、世界各地に進出し、アフリカのエチオピアでアフリカ連合(AU)本部の建物を建設し、無償贈呈している。しかし、チャン氏流に表現すれば、中国国営企業はAU本部を建設したが、アフリカの文化にこれまでのところ何も貢献していない。経済的に進出している割には、アフリカでの中国人への評判は良くない。中国ビジネスマンの腐敗汚職を批判する声が現地から頻繁に聞こえてくる。

 中国共産党政権は過去、文化の空白を補うために同国の偉人、孔子を呼び出して、「孔子に学べ」を合言葉で儒教社会主義を提唱するなど、中国文化の復興に乗り出す一方、ノーベル賞に対抗するため孔子平和賞を創設したが、「ビル」以外に文化を構築するまでには至っていない。その理由は、チャン氏が指摘したように、文化は開放され、自由な社会でしか育たないからだ。共産党一党独裁政権下では中国の真の文化は育たないのだ。

 チャン氏は最後に、「日本は将来、再び世界第2の経済大国になるだろう」と予言している。その理由は「日本経済が発展して中国経済を抜くのではなく、日本経済はそのままであっても中国が落ちていくからだ」と説明している。

観光都市の軽佻さと馬の「死」

 フィアカーが先日、ウィーン市内で車と衝突し、馬が死去した。2007年10月にもフィアカーの馬が死んだ。後者の場合は突然死だった。当方は当時、馬の突然死にショックを受け、このコラム欄にもその出来事を書いた。記録しておきたかったのだ。


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▲市内を走るフィアカー(2013年4月27日撮影)

 8年前のコラムの一部を再現する(「フィアカーの馬の突然死」2007年10月23日参考)。

 「突然死は残された遺族に悲しみと共に、言い知れないショックを与えるものだ。その突然死が愛する馬に襲ってきた場合はどうであろうか。ウィーン市の観光目玉の一つ、観光馬車のフィアカー(2頭立て馬車)の1頭の馬がアム・ホーフを通過した時、突然、前屈みとなり、崩れるように倒れたのだ。フィアカー(Fiaker)に乗っていた観光客ばかりか、その現場を目撃したウィーン子もビックリした。検診の結果、馬が心臓発作で急死したことが判明した。翌日の日刊紙社会面には、フィアカーの馬の突然死が小さく報じられた」

 今回のフィアカーの馬の死は信号を無視して道路を渡ろうとしたフィアカーに車が衝突した結果だ。責任は馬にあるが、なぜ馬は御者の言うことを無視して走り出したかは分からない。ひょっとしたら、自分の横を走る車に怯えたのかもしれない。

 フィアカーについて、ウィーン市民の間では意見が分かれている。フィアカーの営業は1693年から始まったという。音楽の都ウィーンは観光都市だ。毎年、世界各地から音楽ファンや国際会議に参加する人々がウィーンを訪れる。観光シーズンになれば、多くのツーリストがフィアカーに乗り、市内を見学する。フィアカー観光は街を彩る大切な存在だ、という考えだ。

 もう一つは、動物愛護の観点から、フィアカーの馬にとってアスファルトの路上を歩くのは酷で、馬にとってストレスが大きいから廃止すべきだという意見だ。車が走るリンク通りを観光客を乗せながら、走るのは馬にとって大変だ。馬が車に驚かないように、前方しか見えないように一種の目隠しがつけられる。また、馬の糞が路上に落ちるのは衛生上良くない、ということで、糞受けのバックを馬のお尻に付けて走らなければならなくなった。ストレスは想像以上に大きい。

 考えられるのは、フィアカー専用地帯を設置し、車との接触を回避する案だ。専用地帯を取れるだけのスペースがあれば、それが理想的だが、多くは車両と人間が限られた場所を行き来している場所が多い。だから、観光業を優先するか、動物愛護から市内のフィアカー観光を廃止するかの選択を強いられるわけだ。

 ところで、ベートーヴェン研究家としても有名なロマン・ロランはその著書「ベートーヴェンの生涯」の中で、「ウィーンは軽佻な街だ」と評している。観光都市として常にイベントを開き、イベントで暮れる。そのような都市の片隅で自殺者が絶えないのだ。オーストリアでは自殺を Volkskrankheit(国民病)と呼ぶ。観光都市に住む人間にとって、観光は生きていくうえで生命線と理解しているが、心が落ち着かなくなる。観光都市に住む人間の宿命だ。

 当方は若い時、米国を旅行したことがある。ワシントン、ニューヨーク、ボストン、マイアミ、ニューオリンズ、ヒューストン、サンフランシスコ、ハワイなどを訪ねた。その時、知人が、「観光は光を観る業だ」と説明してくれたことがあった。光、創造された世界、自然の中でその光を発見することが観光だというのだ。神を信じていた知人だから、神の創造の光を意味したのだろう。

 ウィーン市に生きていると、その光を観るといった“観光”が難しくなってきた。様々なイベントが計画され、人々に呼びかける。光はあるが、観る余裕がないといった感じがする。フィアカーの馬の死は直ぐに忘れられ、新たな馬が観光客を乗せて市内を行く。

バチカン、非中央集権化へ前進?

 世界に12億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会は25日午前(現地時間)、記念礼拝後、3週間に渡って開かれた世界代表司教会議(シノドス)の幕を閉じた。シノドスでは265人の参加者が家庭、婚姻問題について協議してきた。その最終報告書は24日、3分の2以上(少なくとも177人)の参加者の支持を得て採択され、ローマ法王フランシスコに提出された。法王がその報告書をもとに新たな決定を下すかは不明だ。

 バチカンは今月4日から25日まで3週間、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」について継続協議を行った。参加者は13作業グループに分かれて、家庭、婚姻問題などについて意見を交換した。
 シノドスの主要議題の一つ、離婚・再婚者への聖体拝領問題については、「個々のケースを検討して決める」という見解が多数を占めたという。すなわち、神の名による婚姻は離婚が許されないが、何らかの事情から離婚した信者に対して聖体拝領の道を閉ざさず、現場の司教たちが判断を下すという見解だ。すなわち、離婚を認めないカトリック教義を維持する一方、聖体拝領を離婚・再婚者にも与える道を開くという妥協案だ。

 一方、同性愛問題については、ドイツ語圏グループの代表、オーストリアのシェーンボルン枢機卿によると、「同性愛者の権利を擁護し、差別しないことで一致しているが、同性婚やその容認といった話はまったく協議のテーマとならなかった」という。すなわち、シノドス前と後では同性愛問題では何も変わっていないという。フランシスコ法王は4日、シノドス開催記念ミサで、「神は男と女を創造し、彼らが家庭を築き、永久に愛して生きていくように願われた」と強調している。


 昨年10月の特別シノドスと今回の通常シノドス、計5週間、司教たちが協議を重ねたが、再婚・離婚者への聖体拝領問題を含め何も新しい決定はなかった。信者の間で失望の声も聞かれる。独週刊誌シュピーゲル電子版は25日、「多くの論争、少ない進展」というタイトルの記事を送信している。

 しかし、シノドスは全く成果がなかったわけではない。ローマ法王を中心としたバチカン中央集権体制ではなく、各国の司教会議に権限を委ね、その国々の事情を配慮した教会運営が大切だという意見が支配的になってきたことだ。特に、離婚・再婚者への聖体拝領問題で各国の司教会議の判断に委ねるという考えが支持されたことは、バチカンの非中央集権化の第一歩と評価できる。
 
 フランシスコ法王は閉幕の演説の中で、「家庭、婚姻問題では非中央集権的な解決が必要だ。教会は人間に対し人道的、慈愛の心で接するべきだ。教会の教えの真の保護者は教えの文字に拘るのではなく、その精神を守る人だ。思考ではなく、人間を守る人だ」と指摘し、信者を取り巻く事情に配慮すべきだと強調している。

 バチカン非中央集権化とは、ローマ法王の権利を縮小するのではなく、各国の司教会議がこれまで以上に主体的に決定できるようにすることを意味する。カトリック教会では過去、ローマ法王が任命した司教を現地の教会信者が拒否し、バチカンとの関係が悪化するというケースが多く生じた。そこでバチカンが現場の声を重要視することで、バチカンと信者間の関係をスムーズにしていく狙いがある。

 フランシスコ法王は、「家庭は失望の中にあり、社会、経済、道徳的に歴史的危機に陥っている。教会は男性と女性の婚姻に基づき、家庭の価値と美しさを擁護すべきだ。なぜならば、家庭は全ての社会の基本的な土台であり、人生の土台だからだ」と述べ、家庭の価値の再評価を求めている。

独の「難民対策案」と「極右襲撃事件」

 北アフリカ・中東諸国からの難民・移民の殺到を受け、メルケル独首相の支持率が降下してきた。「世界で最も影響力のある女性」にも選出された同首相はこれまで国内外の困難に直面してきたが、政敵が羨ましくなるほど高い支持率を維持してきた。その首相も与党内から批判にさらされ出したのだ。
 与党「キリスト教民主同盟」(CDU)のショイブル財務相は、「党内の状況は劇的に悪化している。難民対策で党内を分裂すべきではない」(独週刊誌シュピーゲル電子版)と警告を発しているほどだ。
 メルケル政権の与党パートナー、バイエルン州のキリスト教社会同盟(CSU)のホルスト・ゼ―ホーファー党首は、「難民の無条件の受け入れは出来ない」と不満を吐露し、メルケル首相の難民受入れ姿勢をあからさまに批判している。その一方、国内で極右派グループの難民・移民収容所への襲撃が急増、国内の治安は揺れ出してきた。

 メルケル首相は8月末、ハンガリー・オーストリア経由で殺到する難民に対し、「わが国は紛争で追われたシリア難民を受け入れる」と早々と表明。それを受け、大量の難民・移民がトルコ経由、バルカン・ルートからオーストリア、ドイツ南部バイエルン州に殺到した。収容能力を超える数にドイツではメルケル首相の難民対策に不満の声が上がってきたわけだ。ドイツ政府は今年80万人の難民・移民が殺到すると予想してきたが、100万人を超える見込みとなってきた。

 メルケル政権はようやく難民対策の調整に乗り出してきた。第1弾は現行の「難民審査手続き法」を改正し、「難民審査手続き迅速法」の施行だ。同法は本来、11月1日から施行予定だったが、即実施するべきだという声が高まっている。一日でも施行が遅れると、それだけ多くの難民・移民が殺到するというわけだ。ドイツの現状はそれだけ深刻だ。
 昨年4万3620人が難民審査でネガティブとなったが、その内、2万5522人は今年6月末現在、依然ドイツに留まっている。難民審査手続き迅速法は難民資格のない者を即強制送還することを求めている。

 第2弾は、バイエルン州国境に通過地帯(Transitzonen )を設置し、難民・移民審査を迅速に実施する案だ。バイエルン州のゼ―ホーファー州知事の提案だ。それを受け、トーマス・デメジエール内相は、「通過地帯で迅速な難民審査を実施、ネガティブな場合は即強制送還する」と述べている。ただし、通過地帯設置案は社民党内で反発の声があるだけに、実施まで時間がかかるかもしれない。
 ちなみに、独公共放送局ZDFが実施した世論調査(10月20〜22日、1258人に電話インタビュー)によれば、通過地帯設置案に対して国民の71%は支持、反対は25%だった。ドイツ国内で難民・移民の強制送還はもはやタブーではなくなってきたわけだ。

 一方、極右派による難民・移民収容所への襲撃、難民収容を支持する政治家、関係者への襲撃事件が多発してきた。
 例えば、ケルン市長選挙戦で有力候補者だったヘンリエッテ・レーカー氏(Henriette Reker)が今月17日、極右派の男性に襲撃されたばかりだ。同国連邦犯罪局(BKA)は、「国内で外国人排斥の機運が高まっている」と警告を発している。
 BKAによれば、レーカー氏襲撃事件の数日後、東独のAndre Stahl市長への脅迫があったという。BKAは、「政治家だけではない。難民・移民を支援、世話する関係者も狙われる危険性がある」と警戒を呼び掛けている。

 連邦憲法保護報告書によれば、難民・移民収容所襲撃件数は昨年1年間で約200件だったが、今年10月19日現在、既に576件だ。今年7月から9月だけで285件と急増した。難民・移民襲撃事件の犯人のうち、523件は極右派関係者だが、そのうち42%は単独犯行で、6人以上のグループによる犯行は少ない。独連邦憲法保護報告書によると、ドイツでは潜在的な極右派は約2万1000人。そのうち半分は攻撃性、暴力性があると受け取られている。
 看過できない点は、ドイツのドレスデン市を中心とした反イスラム運動「西洋のイスラム教化に反対する愛国主義欧州人」( Patriotischen Europaer gegen die Islamisierung des Abendlandes、通称ぺギダ運動)が国内の難民問題を契機に再び勢いを強めてきていることだ。

IPI「韓国検察の危険な過剰反応」   

 ウィーンに本部を持つ国際新聞編集者協会(IPI)は20日、朴槿恵大統領に関するコラムの中で同大統領の名誉を棄損したという理由から産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を懲役1年6カ月を求刑した件について、スコット・グリフェン(Scott Griffen) 言論自由計画局長の「韓国検察当局の非常に危険な過剰反応」( dangerous  overreaction)という論評を発表した(IPIは1958年、言論の自由を促進し、その権利を擁護する目的で設立された世界的組織。本部はウィーン。120カ国が参加している)。

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▲IPIのロゴ


 昨年8月に産経新聞に掲載された問題のコラムは、旅客船「セウォル号」沈没事故(昨年4月)当日の朴大統領の所在について、韓国紙の記事などを引用する形で紹介し、論評を加えたものだ。

 それに対し、韓国の聯合ニュースは「検察当局は、加藤被告が証拠もないのに、大統領が不適切な関係があったかのように示唆し、朴大統領の名声を不法に毀損したと判断した」( Prosecutors concluded that Kato had unlawfully damaged Park’s reputation “by indicating without any proof that [she] had improper relations)と報じている。

 IPIは昨年10月、ソウル中央地検が加藤前ソウル支局長を名誉毀損で在宅起訴した段階で、「言論の自由を著しく傷つけている。加藤氏に対し刑罰上の名誉毀損(criminal defamation)を適用することは国際法の基準を逸脱している。政府関係者や公人は批判に対して寛容であるべきだ。韓国当局は加藤氏への全ての処罰を即撤回すべきだ」(IPI言論自由マネージャー、バーバラ・トリオンフィ女史)と要求したが、韓国検察当局の求刑に対して、今回、異例の批判を発表したわけだ。

 グリフェン局長は以下のコメントを発表している。
 The criminal prosecution of Mr. Kato, to say nothing of a possible sentence of imprisonment, is wholly unnecessary in a democratic society such as South Korea and risks casting a wider chilling effect on the media,” 
 “If there is a case against Mr. Kato, it should be heard in civil court. But being a democratically elected leader means accepting that freedom of expression and the public’s right to scrutinise the actions of those in power may, at times, give rise to unpleasantries. We therefore urge President Park and government prosecutors to consider the broader harm this prosecution could do to free and open debate in South Korea, and drop the case.”

 IPIによると、「言論と表現の自由に関する2002年の国連特別審査官の共同宣言、欧州安全保障協力機構(OSCE)や米州機構(OAS)の特別報告書は「刑罰上の名誉毀損を表現の自由の制限に適応することは正当ではない」と明記している。

 ちなみに、産経新聞は21日の社説(「主張」)の中で「公人中の公人である大統領に対する論評が名誉毀損に当たるなら、そこに民主主義の根幹をなす報道、表現の自由があるとはいえない。報道に対して公権力の行使で対処する起訴そのものに、正当性はなかった。憲法で言論の自由を保障している民主国家のありようとは、遠くかけ離れている」と強く反論し、来月26日の判決日までに、起訴を撤回するよう求めている。

 なお、安倍晋三首相と朴大統領の日韓首脳会談が来月初めに実現する予定だが、その時、朴大統領は加藤氏の裁判問題について、「裁判で如何なる判決が下されるとしても、私は同氏を恩赦する」と表明し、日本側に両国関係の改善へのシグナルを送る一方、韓国側の面子を守るだろう、と予想している。

 

前法王が再び苦悩する時

 独週刊誌シュピーゲル最新号(10月17日号)は自分は同性愛者と告白したバチカン法王庁教理省のハラムサ神父(Krzysztof Charamsa)とのインタビュー記事を掲載していた。会見場所は同神父のパートナーが住んでいるスペインのバルセロナ市内だ。同神父の同性愛告白はこのコラム欄でも紹介済みだが、シュピーゲル誌を読んで驚いた点があった。ハラムサ神父がバチカン教理省に働くようになったのは、前法王べネディクト16世(在位2005年4月〜13年2月)が教理省長官時代(ラッツィンガー枢機卿)、スカウトしたからだというのだ。

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▲前ローマ法王べネディクト16世(右)=2014年4月27日、オーストリア国営放送の中継から

 バチカン法王庁教理省の前身は異端裁判所だ。ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642年)の異端裁判を実施したところだ。“カトリック教義の番人”と呼ばれている。べネディクト16世が教理省長官時代(1981〜2005年)、ハラムサ神父をローマに呼んだというのだ。その理由は、ハラムサ神父が神学者として特筆に値するほど優秀だったからだ。同神父は2003年、ローマの法王庁立のグレゴリアン大学を最優秀の成績で卒業した。同神父の能力を高く評価したラッツィンガー教理省長官は「ぜひ、教理省に来てほしい」とスカウトしたいうのだ。

 べネディクト16世は2005年、同性愛者は聖職に従事できないという法王公布を発布したが、ハラムサ神父は同公布の作成者の一人だった。同神父はインタビューの中で、「同性愛者であった自分がそのような公布を作成することに葛藤があった」と述べ、聖職者と同性愛者の2つの世界で生きてきた日々を吐露している。

 しかし、3日の同性愛告白は決して衝動的なものではなく、事前に考え抜いてきたうえでの結論だった。カトリック教会の家庭、婚姻問題などを協議する世界代表司教会議(シノドス)開催前日に記者会見を招集したことは、神父が同性愛告白を最大限に効果的に演出できると考えた結果だった。

 シュピーゲル誌の神父会見記事を読んで、「べネディクト16世はどのように受け止めているだろうか」と直ぐに考えた。同16世自身がスカウトした神学者がカトリック教会を大きく震撼させているのだ。複雑な思いを感じているかもしれない。

 同16世は生来、学者だった。大学教授、教理省長官を長い間務めた後、ローマ法王に選出された時、「ラッツィンガー長官は牧会体験が皆無だ。これまで本を読み、書斎の人だった。信者の心を理解できないのではないか」という批判的な声が聞かれた。ハラムサ神父も「べネディクト16世は知的には天才的だが、世俗社会の動向にはまったく疎い」と述べている。

 いずれにしても、ハラムサ神父をバチカン教理省にスカウトしたのはべネディクト16世だ。同16世は人間を見る目がなかった、といわれても致し方がないかもしれない。
 べネディクト16世は2010年4月、マルタを訪問し、同国の聖職者から性的虐待を受けた8人の犠牲者と非公開の場で会見した時、話を聞きながら泣き出したという。同16世には、神に召された聖職者が性犯罪を犯すとは理解できなかったのだ。

 べネディクト16世とハラムサ神父は一種の師弟関係だ。弟子の同性愛告白に最もショックを受けたのは、やはりべネディクト16世かもしれない。

「ハンガリー動乱」とマルタさんの家

 ハンガリーで1956年、ソビエト連邦の支配に抗議した国民の抵抗が始まった。同抵抗運動は通称“ハンガリー動乱”と呼ばれ、今月23日で59年目を迎える。この民衆蜂起は圧倒的な軍事力を誇るソ連軍によって鎮圧された。

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▲首都ブタペストを制圧するソ連軍(ウィキぺディアから)

 ハンガリー国民は一時、政府関係施設などを占拠し、民主化に乗り出したが、ソ連軍が介入し、翌年1月に民主化運動は終わった。同動乱で数千人の市民が殺害され、約25万人が国外に政治亡命した。隣国オーストリアにも多くのハンガリー人が政治亡命してきた。欧州の著名な東欧問題専門家パウル・レンドヴァイ教授もハンガリー動乱時にオーストリアに亡命した一人だ。

 同動乱はポーランドの自主管理労組「連帯」運動やチェコスロバキア(当時)の自由化路線(通称「プラハの春」)に先駆けて起きた東欧の民主化運動だった。その運動がソ連軍に鎮圧された。ハンガリー動乱はソ連の衛星国家だった東欧諸国の国民の記憶に長い間、重く圧し掛かってきた。東欧の民主化は、国民が再び立ち上がる1980年代まで待たなければならなかった。

 ハンガリー動乱といえば、当方には忘れることができない家庭がある。ハンガリーがまだ共産党政権時代、当方はブタペストのその家に度々厄介になった。ペスト地区の繁華街バ―ツィー通りにあって、交通の便も良かった。アパートメントの最上階の家から眺めるブタ地区の朝の風景は素晴らしかった。

 当方は当時、“マルタさんの家”と呼んできた。お母さんの娘さんの名前だ。お母さんの夫は大学教授だったが、ハンガリー動乱に関与したということで職を失い、病気で亡くなったと聞いた。

 マルタさん親子と初めて知り合ったのはブタペスト西駅の構内でだ。ウィーンからブタペスト入りした夜、当方は宿泊先を決めていなかった。そこにマルタさんと母さんが声をかけて来た。「近くに安い民宿があるからどうか」という。当時は、西側からきた旅行者に部屋を貸し、生活の足しにする市民が多かった。
 人のいい母娘という感じだったので、マルタさんの民宿に一泊することにした。民宿というより、マルタさんのアパートだ。部屋に入ると、客室を紹介された。風呂は兼用。朝食もお母さんが準備してくれた。

 それからハンガリー取材の度にマルタさんの家に厄介になった。お母さんからはハンガリー動乱やその時の政治情勢について教えてもらった。民主化後、ご主人さんの年金が入るようになり、部屋を旅行者に貸す内職は止めた。その数年後、マルタさんの家に電話をかけたら、お母さんが亡くなったことを知った。

 ハンガリー動乱は来年、60年目を迎える。動乱と聞けば、当方はマルタさん親子をどうしても思い出すのだ。動乱後、ハンガリー国民は生き延びていくために苦労した。マルタさんの家も例外ではなかった。

人は本当に「象」より進化しているか

 今回の主人公は「象」だ。タイで若者が煩い音を出しながらバイクを飛ばしていた。近くにいた象たちはその煩い音に堪らなくなって怒り出した。象の群れが襲ってくると思ったバイクの若者は路上に倒れた。動画を観ていると、怒った象たちがその若者に襲いかかろうとしている。ところがだ。その青年が命乞い(?)のため祈り出したのだ。すると、その若者の祈りを聞いた象たちが暫く考えた後、若者を置いて退去した。若者の祈りは聞き入れられたのだ。


 その動画を見ていると、「象は想像以上に進化している」といった新鮮な驚きを受けた。象は仲間が亡くなると、死体の場を離れず、涙を流して別れを惜しむ。動物学者は「一種の葬式」だと評しているほどだ。象は群れで生き、仲間を大切にする情の深い動物とは聞いていたが、命乞いをする若者の祈りを聞き入れ、相手を許すほど高次元の生き物とは考えてもいなかった。繰り返すが、象の世界では祈りは聞かれるのだ。素晴らしい発見ではないか。

 ところで、当方はミラーニューロンのことを初めて知った時、人間として誇らしく感じた。ミラーニューロンは1996年、イタリアのパルマ大学の頭脳研究者Giacomo Rizzolatti氏の研究チームが偶然にその存在を発見した。下前頭皮質と下頭頂皮質にその存在が判明している。学者たちの間では、「神経科学分野における過去10年間で最も重要な発見」と評価する声すら聞かれた。
 
 フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース教授(アムステルダム神経学社会実験研究所所長)によると、「人間の頭脳の世界はわれわれが考えているように私的な世界ではなく、他者の言動の世界を映し出す世界だ」という。すなわち、われわれの頭脳は自身の喜怒哀楽だけではなく、他者の喜怒哀楽に反応し、共感するというのだ。悲しい映画を見ていて主人公の悲しみ、痛みに共感し、泣き出す。その共感、同情は、人間生来、備え持っているミラーニューロンの神経機能の働きによるというのだ。「ミラーニューロンが示唆する世界」2013年7月22日参考)。

 しかし、その人間が織りなす世界には依然、殺人事件や紛争が絶えない。何時、人はそのミラーニューロンを失ったのか。換言すれば、何時、象はミラーニューロンを発展させたのだろうか。ひょっとしたら、象は人間の進化を飛び越していったのではないか。

 非情な人間社会に生きていると、象の情の世界に驚くというより、「人は象ほど進化していないのではないか」といった疑いが湧いてくる。人は天上天下唯我独尊ではなく、象こそ最も進化した生き物ではないか、といった突拍子もない思いが強まってくるのだ。

 人の祈り(命乞い)に耳を傾け、相手の痛みに涙する、あの「象」をみろ!
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