ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2015年07月

「キエフ大公」とコンサート

 キエフ大公国をキリスト教化したウラジーミル大公(956〜1015年7月15日)が亡くなって今月で1000年目を迎え、ロシアやウクライナではさまざまな記念イベントが挙行されているが、当然のことだが、聖公ウラジーミルはロシアとウクライナの歴史では異なった評価を受けてきた。ちなみに、ロシア語では Wladimir(ウラジーミル)と呼ぶが、ウクライナ語では Wolodymyr(ヴォロディームィル)と発音される。

 簡単に説明する。ウラジーミル大公は兄弟間の戦いから逃れるためにスカンジナビアに一旦逃亡した後、980年、キエフに帰還し、大公に就任。988年、キリスト教を国教化し、キエフ大公国を繁栄させていった。キエフのルーシ(Rus)はロシア、ウクライナ、白ロシア(現ベラルーシ)を網羅した当時の地域名だ。

 ウラジーミル大公は西暦1000年から新たな1000年への移行期に登場し、バルト海から黒海まで全ルーシを支配し、欧州、地中海、ユーラシア地域で大きな影響を残した。ウラジーミル大公は洗礼後は社会、文化インフラを確立し、多くの教会を建設していった。モンゴルが1240年、キエフに侵攻するまで、キエフは文字通りキリスト教の中心拠点であった。ウラジーミル大公は東欧のキリスト文化の土台を築いていった中心人物だ。

 カトリック教会と正教会の両教会はウラジーミル大公を共に聖人に処している(正教徒は聖人を亜使徒と呼ぶ)。ウクライナは2008年、ロシアは2010年、ウラジーミル大公がキエフ大公国をキリスト教化した988年7月28日を祭日としている。ただし、ロシアは同日を「ロシア民族の洗礼の日」と評する一方、ウクライナ側は「ウクライナ国の始めの日」と解釈している。

 ところで、クリミア併合がきっかけでウクライナとロシア間で紛争が生じているが、ウラジーミル大公の記念イベントにも影響が出てきている。例えば、世界的な映画監督、音楽家のセルビア人エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)のロック・グループ「ノー・スモーキング」は7月28日、大公死後1000年を追悼する慈善コンサートをキエフのスポーツ宮殿で開催予定していたが、突然、キャンセルとなった。
 キエフの文化省の説明によると、「コンサートの当日、騒動が予想され、混乱が生じる危険性があるため開催をキャンセルせざるを得なくなった」という。ウクライナ通によれば、クストリッツァ氏がウクライナ紛争で常にロシア側を支援し、クリミア半島の併合を支持する発言をしてきたことから、キエフ側が同氏のコンサート開催を拒否した、というのが真相に近いという。

 ギリシャの金融危機がドラマチックな展開をする中、ウクライナ紛争は忘れられた感があるが、ウクライナ東部では親ロシア系勢力とウクライナ政府軍が戦いを続けている。今年2月のミンスク休戦合意は双方から反故にされている状況だ。
 両国がいがみ合う中、死後1000年を迎えたウラジーミル大公の「洗礼の日」を迎えようとしている。28日が両民族のルーツを確認し、和解する契機となれば幸いだが、現実は紛争をエスカレートさせる雲行きだ。

教会は“賞味期限切れ”の組織?

 ローマ・カトリック教会では欧州教会は「エリート教会」と呼ばれ、「貧者の教会」と言われる南米教会とはさまざまな点で対照的だ。そのエリート教会でも独教会は財政的に最も豊かな教会で、信者たちの献金額では他の国のそれを大きく凌いでいる。その独教会で昨年、前年比で20%以上多くの信者たちが教会から去っていったのだ。

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▲ケルン大聖堂(ドイツ観光局のHPから)

 独カトリック教会司教会議が17日ボンで公表した「2014年統計」(Jahresstatistik)によると、昨年21万7716人が教会から脱会した。2013年は17万8805人だったから、前年比で20%以上急増したことになる。ちなみに、脱会者数の過去最高は1992年で19万2000人だったから、昨年の脱会数は文字通り、ダントツだ。100人にほぼ1人のカトリック信者(0・91%)が教会に背を向けたのだ。

 ドイツではカトリック教会は依然、最大宗派でその数は約2400万人で全人口の29・5%を占める。次いでプロテスタント系教会(新教)が約2260万人で全体の27・9%だ。新教の信者数も前年比(約2300万人)で減少したが、カトリック教会のようにドラスチックではなかった。

 前年比よりポジティブな数字としては、日曜日礼拝参加率が10・8%から10・9%と微増したほか、洗礼者数も16万4833人と前年比(16万4664人)で少し増えた。その他、教会婚姻件数は4万4158件で13年比(4万3728件)より増加した。

 興味深い点は、司教区(全27司教区)によって礼拝参加率は違いがあることだ。礼拝参加率が高い司教区は一般的に東部地域だ。例えば、ゲルリッツ司教区の礼拝参加率は21・1%、次いでErfurt司教区は19・4%だ。一方、ベルリン司教区やエッセン司教区は8・5%に過ぎない、といった具合だ。教区数は1万911区で前年比で74区減少。神父数は1万2219人で前年比(1万2336人)で微減した。

 昨年の教会統計について、司教会議議長のマルクス枢機卿は、「脱会者の急増はわれわれの心を痛める。われわれの福音が人々の心に届かなかったからだ。教会を脱会する信者たちには個人的な理由や決断があっただろう。残念なことだが、信者たちの自主的な決定を尊重しなければならない」と述べる一方、「信仰の喜びと感動を強調するフランシスコ法王はわれわれにとって大きな助けだ。法王と共にドイツ教会の躍進のため努力していきたい」と強調した。

 独教会を含む欧州のカトリック教会は聖職者の未成年者への性的虐待事件で信頼を失い、活気を無くしていたが、南米出身のフランシスコ法王が就任して以来、教会を取り巻く環境は改善した。欧米のメディアも陽気で型破りなローマ法王の言動を積極的に報じてきた。にもかかわらず、ドイツでは戦後最高の教会脱会者が出たのだ。人気者ローマ法王と教会脱会者数の急増の間にどのような関連があるのか。換言すれば、独教会にはフランシスコ効果がなぜ見られず、更に停滞したのか。

 ドイツの信者たちの間でもフランシスコ法王の人気は高い。多くの信者はフランシスコ法王のパフォーマンスに新鮮さを感じていることは間違いないが、機構としての教会とその教えから彼らの心は既に遠ざかってしまっているのではないか。現代風にいえば、教会という組織自身が賞味期限切れではないか。

 独教会の脱会者急増は深刻な問題を提示している。ひょっとしたら、教会脱会者は神を探し出すために教会から去っていったのではないか。

日韓は“フェアな過去”を作ろう

 韓国では新しい為政者が登場する度に、「日韓の両国関係は未来志向でいくべきだ」と発言する。その度に日本国民は、「やっと過去問題から解放されて、新しい関係が樹立できる」と受け取ってきたが、隣国の国内情勢が厳しくなると、その為政者は日本の過去問題を争点化し、国民に媚を売るのを日本国民は何度も目撃してきた。最近では、李明博前大統領の豹変ぶりは特出していた。

 そのような歴史が繰り返されてきたので、韓国の政治家が、「日本とは未来志向で……」と発言したとしても、日本国民はもう何の感動も湧いてこなくなった。「ああ、そうですか、どうぞご自由に」と白けてしまうだけだ。

 当方もそんな日本人の一人だったが、「未来志向の関係」という言葉の意味がここにきて分かってきたのだ。21世紀の日韓は、「国際社会にどれだけ貢献する国となるか」を競う関係こそ「未来志向の関係」という意味だったのだ。

 「過去のあの時、こうだった」とか、「迫害されてきた」といった類のテーマに時間を注がず、世界の紛争解決や開発途上国の開発援助にどれだけ貢献したかの競い合いこそ、日韓両国がエネルギーを投入しなればならない課題だ。

 それでは現時点で日韓両国の国際貢献度はどうだろうか。当方が日本人だから言うのではないが、日本は貢献度レースでは韓国に圧倒的に先行している。簡単な例として、ノーベル賞受賞者の数だ。物理学、化学、医学生理学などの分野で日本人学者はノーベル賞を受賞済みだ。ノーベル賞を受賞するということは、その分野で国際貢献を果たしたことを意味する。
 一方、韓国は、数億ドルを北朝鮮の故金正日総書記にプレゼントしてその代価として実現した南北首脳会談が評価されて受賞した故金大中氏の平和賞1つだけだ。明らかに、韓国は日本に大きく水をあけられている。

 政府開発援助(ODA)の支出額や国連への救出金では韓国は日本より大きく遅れている。世界が日本人を好ましく受け取り、一定の尊敬を払うのは当然の結果だ。国際社会への貢献度が高いからだ。

 誤解を恐れずにいえば、国際社会は日韓両国間の過去の問題など余り関心がないのだ。戦時の慰安婦問題や植民地時代での強制労働といった問題は、日本よりも欧米諸国がいち早く体験済みだ。日韓両国がそんな問題で争うのをみて、欧米諸国は「時間とエネルギーの浪費だ」と受け止めたとしても不思議ではないだろう。

 国際社会は世界の紛争解決や開発支援で貢献する国に対しては尊敬を払う。過去の問題を取り上げて中傷、誹謗しあっても、国際社会から歓迎されることはないだろう。

 繰り返すが、日韓両国以外の国にとって、日韓両国が国際貢献でフェアな戦いを演じてくれたほうがどれだけ頼もしいことだろうか。未来もいつかは過去になる。「未来志向の関係」とは、次の世代の為に“フェアな過去”を積み重ねていくことではないか。そして、フェアな過去が悲惨な過去より少しでも長くなれば、それだけ日韓両国間は喜ばしい関係となるのではないか。

ジハード帰りの17歳に禁固2年半

 ウィ ーンの職業学校卒のオリバー・N(当時16)は昨年、イスラム教過激テロ組織「イスラム国」(IS)に入り、シリアでジハードに参戦したが、負傷して今年3月、ウィーンに帰国したところ、反テロ関連法違反で逮捕された。17歳となったNは15日、ウィーンの地裁で2年半の禁固刑を受けた。

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▲「憲法保護報告書」の発表記者会見(2015年7月3日、内務省内で)=オーストリア内務省のHPから

 同日は多数のメディア関係者が殺到するなど、シリア帰りのISメンバーの裁判には多くの関心が集まった。Nは「自分は戦闘には加わっていない。負傷兵の運搬を担当していただけだ」と弁明。シリア政府軍の戦闘機の爆撃を受け、負傷、生命が危なくなったので治療のため戻ってきたという。検察側の説明では、「NはISに参加したことをこれまで後悔していない」という。

 検察側は、機関銃を構え、ジハードを呼びかけるNの姿が映ったビデオを流し、反テロ関連法違反で訴えた。2年半の禁固刑は17歳の未成年者への判決としては重いが、「判決はジハードに憧れ、ISに加わろうとする若者への警告の意味合いもある」(裁判側)という。

 オーストリア内務省は3日、「2014年憲法保護報告書」を公表したが、公共安全局事務局長のコンラード・コグラー氏は、「オーストリアの安全にとって最大の脅威は宗教的動機に基づく過激主義とテロだ」と指摘し、「われわれが懸念しているのは若者たちだ。オーストリアから聖戦に参加するためシリアやイラクに行き、帰国する若者たちが増えている」という。

 欧州で生まれ、成長したイスラム教徒が自身のイスラム教の教えを絶対視し、欧米民主主義の価値観を拒否、国際テログループの手足となったり、財政支援する過激なイスラム主義者(通称・ホームグロウン・テロリスト)が増えている。オーストリアも例外ではない。
 同国では昨年、、15歳と16歳の2人のイスラム教徒のギムナジウムの少女が突然、シリアに行き、反体制派活動に関わったという情報が流れ、ウィーンの学校関係者ばかりかオーストリア社会に大きなショックを投じたばかりだ。


 最新「憲法保護報告書」によると、これまで判明しているだけで230人以上のイスラム教徒たちがオーストリアから過激派グループの聖戦に参戦し、70人以上がその後帰国した。39人が紛争地で亡くなった。これまで反テロ関連法に基づいて174件が刑法上の処分を受け、14人が判決を受けた。

 治安当局は、イスラム系青年たちの過激化防止のため文部省、社会省と連携を深める一方、過激化問題の相談所を設置し、過激な道に行こうとする子供を抱える家族関係者の相談に応じてきた。

 なお、同国は、�。稗咾筌▲襯�イダなど18テロ組織のシンボル(旗、ロゴ)禁止、�■化店饑劼鮟衢�するIS参戦者はオーストリア国籍を剥奪、�N梢討竜�可なくして未成年者の欧州連合(EU)域外旅行を禁止などの反テロ関連法を可決している。

「市場」は現代の“金の子牛”か

 人間は生きていくうえで「神のような存在」が必要なのかもしれない。キリスト教会が信じる創造の神、唯一神でなくてもいい。信じる対象、という意味でだ。そして21世紀の今日、「神の存在」は希薄となってきたが、「神のような存在」は少なくない。その中でも今、「市場」が世界に君臨してきた。「市場」は多くの信者を獲得しているのだ。

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▲「金の子牛を崇拝」二コラ・プッサン画(ウィキぺディアから)

 だから、というわけではないが、「市場」に対し、キリスト教会は厳しい評価を下している。特に、世界最大キリスト教宗派、ローマ・カトリック教会のローマ法王フランシスコは機会がある度に、「市場を崇拝する現代社会は危険だ」と警告を発している。「市場」崇拝はキリスト教会にとって偶像崇拝と受け取られているわけだ。

 イスラエル民族の指導者モーセがシナイ山で神に祈っている時、イスラエルの民が金の子牛を神として崇拝していた。山から下りたモーセはそれを見て激怒したという話が旧約聖書「出エジプト記」32章に載っている。「市場」はまさに現代の金の子牛というのだ。

 最近、市場経済が何かを目の当たりにした。イランの核協議が欧米ら6カ国とイラン間で最終合意した時だ。「世界市場の原油価格が低下した」というニュースが流れたのだ。対イラン制裁が解除され、テヘランが原油輸出ビジネスが可能となれば、原油供給量が当然増加する。そうなれば、価格は自動的に下がる、という市場メカニズムに基づいた反応だ。対イラン制裁解除は来年初めからだが、世界の原油市場が既に反応したわけだ。

 需要と供給のバランスに基づく経済活動は合理的であり、効率的だ。にもかかわらず、フランシスコ法王は資本主義経済を頻繁に批判し、不満を吐露する。なぜだろうか。世界市場では市場原則を巧みに利用して膨大な利益を得る投機ビジネスが存在する一方、市場経済に乗れず、脱落する人々が少なくない。米国のようなワイルドな資本主義社会では、貧富の格差が拡大し、富む者は益々豊かに、貧しい者はさらに乏しくなっている。世界最強国の米国で十分な医療を受けられない国民が多い。これらは何を物語っているのだろうか。フランシスコ法王がワイルドな資本主義、市場主義に警戒せざるを得ないのはそれなりの理由はあるわけだ。

 例えば、ギリシャ経済だ。同国は過去4度、破産している。破産の常習犯だ。民主主義の発祥地だが、経済運営では決して優等生ではない。そのギリシャに対し、他の欧州では「借金すれば、返すのが当然。返金できないのはギリシャ国民の責任だ」という意見が強い。欧州の経済大国ドイツの国民は「借りたが、返せないから、借金を免除してくれと泣きついてもダメだ。ギリシャ国民は生活をもっと節約し、消費よりもっと生産すべきだ」という。全てもっともだ。市場経済の原則から考え、ギリシャの現状は当然の結果と言われても仕方がない。

 参考までに、資本主義経済を批判するキリスト教会側はどのような代案を持っているのか。

 新約聖書「マタイによる福音書」20章には「ぶどう園の労働者」の話が紹介されている。朝早くから働いた労働者がいる。そして夕方、仕事を始めた労働者がいた。そして雇い主はその最も遅く来た労働者から賃銀を払っていくが、朝から働いていた労働者と同じ賃銀を与えた。朝から働いていた労働者が、「なぜ、彼らにも我々と同じ賃銀を与えるのか」と不満を言うと、雇い主は、「あなたは約束通りの賃銀をもらったのだから、不満を言うべきではない。私は遅く来た労働者にもあなたと同じような賃銀を与えたいのだ」と説明したというのだ。

 この話は「市場」原則に反する。パートタイマーが多い現在社会では絶対受け入れられない。遅く働きだした労働者が雇い主の温情を受け、朝から汗を流していた労働者と同じ賃金を貰ったのだ。キリスト教会にとって、この話は神の温情、愛を示した話だろうが、21世紀の資本主義社会では、ぶどう園の雇い主の経営では倒産は間違いないだろう。

 冷戦時代、共産政権の中央計画経済が欧米の市場経済に挑戦したが、敗北を喫したことはまだ記憶に新しい。ちなみに、旧チェコスロバキア共産党政権時代、ドゥプチェク第1書記長が「人間の顔をした社会主義」を提唱し、言論の自由や市場経済を導入した。その結果、旧ソ連共産党の怒りに触れ、試みは挫折したことがある。
 そこで「人間の顔をした社会主義」ではなく、「人間の顔をした資本主義」を真剣に考えてみてはどうだろうか。私たちは、「温情・連帯」が「市場」の冷たさを温める社会を願っているからだ。

ケリー国務長官が樹立した「新記録」

 米国務長官が訪問国に17日間も滞在し続けるということは珍しい、というより、「米国務長官の海外訪問国最長滞在記録」というべきだろう。ジョン・ケリー国務長官(71)がその新記録を樹立したのだ。「歴史的」と評価されるイランの核協議の最終合意の陰で、欧米のメディアでは無視されているケリー氏の新記録について、読者に報告する。

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▲ケリー米国務長官、ファビウス仏外相、クルツ・オーストリア外相(イランの核協議で オーストリア外務省提供)

 ウィーンで開催中のイラン核協議に出席するためケリー国務長官は先月28日ウィーン入りした。当時はまだ交渉期限が6月30日だったので、その期限に合わせてウィーン入りしたわけだ。しかし、交渉は延長し、今月14日にやっと最終文書の合意が実現した。ケリー氏はその日まで通算17日間、“音楽の都”に滞在し続けていたのだ。


 米国務長官となれば、飛行機で世界の紛争解決のために飛びまわる。米国務長官は通常、1日、最長でも2日間も同じ場所に留まらない。1日で2カ国を訪問することも珍しくない。その米国務長官が海外で同一の都市に17日間も滞在したというのは、繰り返すが、驚くべき記録だ。イラン核協議の最終合意という歴史的偉業に花を添える新記録というべきだろう。

 ケリー長官が新記録を樹立できた理由は、ウィーンでイランの核問題が大きな山場を迎え、最終合意に向かっていたという外交事情があったからだ。ただし、フランスのファビウス外相やロシアのラブロフ外相は数回、母国に戻り、協議が進展し、最終合意が確実となってから再度ウィーン入りしていた。最終合意の日までウィーンに留まり続けた外相はケリー氏だけだったのだ。

 ケリー氏が新記録を達成できたもう一つの理由は、足の骨折事故だ。ケリー氏は5月31日、訪問先のフランスで自転車事故で右足を骨折。先月2日、ボストンで手術を受けたが、歩行には杖の助けが必要な身となった。すなわち、ケリー氏は移動したくても、安易には移動できない身となったのだ。

 ケリー氏の17日間の行動を紹介する。同氏はウィーン滞在中は宿泊先のホテル「インぺリアル」から毎朝、会議場の Palais Coburg までリムジンに乗って通った。会社員が通勤するようにだ。

 ちなみに、ケリー氏が宿泊した「インぺリアル」は、オーストリアが敗戦後、米英仏ソの4カ国に10年間占領されていた時、旧ソ連赤軍が占領本部として利用したホテルだ。そのため、戦後、モスクワから要人がオーストリアを訪問すれば、宿泊ホテルは必ず「インぺリアル」を利用した。その元・ソ連赤軍の占領本部だったホテルにケリー米国務長官は17日間、滞在していたわけだ。

 ところで、オーストリアのカトリック系通信社「カトプレス」によると、ケリー長官は12日(日曜日)、オーストリアのローマ・カトリック教会の精神的中心教会、シュテファン大聖堂を訪問し、午前11時のラテン語の礼拝に出席している。ケリー氏は敬虔なカトリック教徒だ。ちなみに、カトリック教徒の政治家が米国務長官に就任したのは1980年以降ではケリー氏が初めだ。

 ケリー氏はコロラド州で生まれた後、家族はマサチューセッツ州に移転。ケリー氏はそこで成長。ワシントンの政界では「欧州の友人」として知られている。ケリー家はオーストリアとは繋がりがある。ケリー氏の父親はオーストリア・シュレシーン(Schlesien)の Bennisch 出身(現在のチェコの Benesov )だ。ケリー氏の祖父 Fritz Kohn(1873〜1921年)は1901年、ユダヤ教からカトリック教に改宗。家族は1904年、米国に移住し、姓を Kohn (コーン)から Kerry に改名した。

 なお、イランの最終文書が計画通り履行されるならば、ウィーン核協議の立役者だったケリー氏はイランのザリフ外相と共にノーベル平和賞の有力候補者に挙げられるという。その際、ケリー氏の“ウィーン17日間滞在記録”はノーベル委員会にも必ず高く評価されるだろう。

イラン核協議の合意と「その後」

 国連安保常任理事国(米英仏ロ中)にドイツを加えた6カ国とイラン間で続けられてきたイラン核協議は14日午前(現地時間)、最終文書の「包括的共同行動計画」で合意し、2002年以来13年間に及ぶ核協議はイランの核計画の全容解明に向けて大きく前進した。

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▲合意した「行動計画表」を示すIAEAの天野之弥事務局長とイランのサレヒ原子力庁長官(2015年7月14日、IAEA提供)

 最終文書は、イランに核兵器製造の道を閉ざすことを至上目標とした欧米側と、国際社会の制裁解除を最大課題と位置付けてきたイラン側の双方の妥協の成果だ。イランのザリフ外相は同日、ウィーン国連内の共同記者会見で、「合意内容はウイン・ウインだ。完全ではないが、新しい希望の道を開く歴史的な瞬間」と評している。今後の焦点は、「共同行動計画」に基づき、国際原子力機関(IAEA)が主導する検証と監視作業に移る。

 IAEAは定例理事会の度に、「イランの核計画が平和目的であると実証できない」と主張し、イラン側の全容解明への協調不足を指摘してきた。特に、テヘラン郊外のパルチン軍事施設への査察はイランの核問題の解明の鍵と見なされてきた。同施設で核軍事転用の為に起爆実験が行われた疑いが囁かれてきたからだ。通称、「軍事的側面の可能性」(PMD)の問題だ。
 IAEAが同日公表した報道声明によると、IAEAとイランは「行動計画表」(ロードマップ)で合意したという。それによると、パルチン施設を含むPMD関連施設へ査察を実施し、今年末までにPMD問題の解決を目指すという。

 ただし、イランのPMDが指摘された直後、テヘラン側は同施設から大量の器材を運び出す一方、施設内をアスファルトで舗装するなど証拠の隠滅を図ったという情報が流れたことがある。それだけに、パルチン軍事施設の査察に過大の期待をもつことは得策でないだろう。むしろ、同施設の査察を認可するという譲歩を演出するために、イラン側は頑迷に査察拒否をこれまで表明してきた、という疑いすら聞かれるからだ。換言すれば、イランはパルチン施設の査察承認という譲歩を欧米側に高く売りつけ、制裁解除を手に入れた、と受け取れるのだ。

 イラン側は「パルチン施設は軍事施設だ。どの国が第3者に自国の軍事施設の査察を認めるだろうか。IAEAとの間で締結した核保障措置協定(セーフガード)には軍事関連施設の査察など含まれていない」と説明し、軍事施設の査察を要求する欧米側を「主権国家への蹂躙」と反論してきた経緯がある。

 イラン外交官は、「わが国は核兵器を製造する意図はない。大量破壊兵器(原爆)はイスラムのコーランの教えにも反する」と頻繁に語ってきた。その内容が追認されるためにも、イラン側はIAEAの査察要求に積極的に応じるべきだろう。

 イランの国民経済は国際制裁下で停滞し、国民は生活苦に悩み、希望を失ってきている。制裁がこれ以上長期化すれば、国内の政情悪化にもつながるという判断がテヘラン側にあったはずだ。その意味で、ウィーンの核協議では、イラン側が6カ国以上に今回の合意を願っていたはずだ。

 興味深い点は、ウィーンの核協議で後半、国連の対イラン「武器禁輸」、「ミサイル禁輸」制裁の解除が急浮上し、最大の対立点となったことだ。その背後に、ロシアのプーチン大統領の画策が感じられる。イランの核協議で合意を外交成果としたいオバマ米政権に対し、プーチン氏流の嫌がらせではないか。なぜならば、「武器禁輸」解除は本来、イランの緊急テーマではないからだ。テロリストに渡る危険性のある武器・ミサイル禁輸制裁の解除に対し、米国は強く反対してきた。最終合意では、武器・ミサイル禁輸制裁は維持されることになっているという。なお、イランが合意事項を履行しない場合、「65日内に制裁を再発効できる」という
。

 イラン核協議を主導した米国はこの機会を利用し、イランとの信頼関係の醸成に向かって積極的な外交を重ねていくべきだ。イランとは核問題だけではなく、シリア、イラク紛争問題、イスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)の対策などで、連携が願われるからだ(「『核』は外交文書では消滅しない」2015年7月10日参考)。また、イラン核協議の合意を警戒してきたイスラエルやサウジアラビア両国の出方にも注意を払わなければならないだろう。

哲学者ニーチェは正しかった

 欧州連合(EU)のユーロ圏首脳会談は13日、ギリシャへの金融支援再開に関する協議を始めることで一致した。これでギリシャの破産の危機は一応遠ざかったと受け取られている。

 話は少し戻る。ギリシャが先月30日までに国際通貨基金(IMF)へ債務を返済できなかった時、IMFは「延滞」という言葉を使い「デフォルト」という言葉を回避した。経済問題に疎い当方は、コラムを書くときは経済用語に苦慮する。国が債務を返済できない場合、通常デフォルトと呼ぶ、と単純に考えてきたが、どうやらそうではないらしい。債務返済が履行できなかった場合、デフォルトだが、デフォルトという判断が下されるまでデフォルトではない、ということが分かってきたのだ。

 ドイツの哲学者ニーチェは、「事実など存在しない。存在するのは(事象に対する)解釈だけだ」と述べている。日本人の読者ならば直ぐに、憲法第9条の話を思い出すだろう。憲法第9条は解釈の歴史だ。シンプルに考えれば、現状に適応できなくなったのならば、改正するか、新しい憲法を作成すればいいと思うのだが、日本では憲法改正は久しくタブー視され、解釈を繰り返すことで乗り越えてきたことは周知の事実だ。憲法問題では、日本はニーチェの良き理解者といえるわけだ。

 先述したように、ギリシャのデフォルト問題でも、事実はデフォルトだが、デフォルトと解釈されない限り、デフォルトとはいえない。それでは、いつデフォルトとなるのか。欧州の政界ではEUの盟主ドイツが、「ギリシャはデフォルトだ」と断言するまではデフォルトとは言えないのだ。もう少し、突っ込んでいえば、メルケル独首相が、「われわれはギリシャのデフォルトを回避するためにあらゆる手段を駆使したが、アテネはデフォルトに陥った」と発言した時、ギリシャは5度目のデフォルトに陥ったことが正式に事実として定着するわけだ。

 すなわち、デフォルトという経済用語一つにしても、事象だけではなく、それを判断し、解釈する人が不可欠となる。そして最終的解釈を下せる人こそ本当の権威者ということになる。欧州の場合、オランド仏大統領でもなく、トゥスク欧州大統領でもない。メルケル独首相が欧州政界では最終意思決定権を持っているのだ。
 ブリュッセルが作成した緊縮政策に反対するアテネ市民の最大の攻撃対象はオランド大統領ではなく、メルケル首相だ。これをみても、同首相が欧州の権威者であることが分かる。当方が住むオーストリアのファイマン首相がアテネ市民から攻撃を受けることは考えられない。なぜならば、ファイマン首相は最後の解釈を下す政治家ではないからだ。

 ギリシャの債務問題で欧州政界が混乱してきた背景には、最後の解釈権を持つドイツがフランスや他国の加盟国に気兼ねして決定を安易に下せられないからだ。ナチスの蛮行という暗い歴史を背負うドイツは戦後70年を過ぎても、その指導力を発揮する際には躊躇せざるを得ないのだ。
 そのメルケル首相が、「破産を繰り返すギリシャをユーロ圏から追放しよう」と主張したならば、フランスやイタリアは不満があったとしても、メルケル首相の解釈に正面から反対することは出来ないだろう。
 
 例えば、国連でテロ対策に関連した国連文書が作成された時だ。最初の争点は、「テロとは何か」といった定義だった。そしてテロの定義は国連加盟国の数ほどあることが判明した。すなわち、テロに関する共通の定義など存在しなかったのだ。しかし、国連は反テロに関する宣言文書を採択した。同宣言文書を主導した米国がテロの定義で解釈を提示し、加盟国がそれを受け入れたからだ。

 いずれにしても、「神は死んだ」と宣言したニーチェには首肯出来ない部分もあるが、「事実は存在しない。存在するのは解釈だけだ」という哲学者の考え方には教えられる点が少なくない。

君は「多様性」の果てに何を見るか

 南米3カ国訪問中のローマ法王フランシスコは11日、パラグアイの首都アスンシオンの市民集会で、「社会の発展には多様性が不可欠だ」という趣旨の話をしたという。同集会には同性愛者グループが招かれていた。
 フランシスコ法王の「多様性」は同性愛者を支持する意味で使用されたのではないという。だから、法王の発言を取って、カトリック教会が同性愛者を承認したとは受け取れない。しかし、フランシスコ法王は同性愛者が招かれていることを知ったうえで、「社会の多様性」という言葉を意識的に選んだことは間違いないだろう。

 いうまでもなく、カトリック教会は、「家庭は男性と女性のカップルが営む基盤」と受け取り、神は同性愛者のカップルを祝福された家庭とは見なしていない。すなわち、同性愛者を差別することには反対だが、積極的に支持しないという立場だ。その際、魔法の言葉、「寛容」という言葉が飛び出してくるわけだ。そして今回の法王の発言を聞けば、「寛容」を支える思想的バックボーンとして「多様性」という概念が使用されていることが分かる。

 「多様性」は、自然科学的概念と社会・人文学的概念の2つに大きく分けて考えられる。後者の場合、通常、「社会の多様性」、「地域の多様性」といった表現のほか、「価値観の多様性」といった言葉も出てくる。「社会、文化の発展に不可欠な要因」と発言したフランシスコ法王の「多様性」はもちろん後者の概念として使用されたわけだ。

 「多様性」という言葉は「寛容」とよく似た魔力を持っている。「寛容」であることに反対する人は少ないだろう。「自分は非寛容だ」と言って自慢する人などいない。多くの人は他者に対して「寛容」でありたいと願っている。だから、同性愛者問題では「寛容」という言葉が必ず関係者の口から飛び出し、同性愛者でない人々も同性愛者の支持グループに入って応援する。同性愛者問題は「寛容」を実証する最良の機会となるからだ。「多様性」も同様だ。多様性に反対するといった状況は考えにくい。すなわち、同性愛を支持する人々は、「寛容」と「多様性」という2つの魔法の言葉を駆使し、支援グループを拡大し、反対者の口を閉ざさせてきたわけだ。

 ところで、ここでテーマとしている法王の「多様性」は果たして無限なのか。それとも一定の段階に到達した時、「多様性」もその終わりを迎えるのだろうか。法王は「社会の発展には不可欠だ」というだけで、その「多様性」に制限が伴うのか否かについては何も言及していない。

 ドイツで今、近親婚が話題となっている。同国の政府倫理委員会が8日、「兄妹婚や姉弟婚の合法化を支持する」と表明したというニュースが流れてきた。これも「多様性」の表れだろうか。同性婚が市民権を獲得してきたばかりだ。そして今、「近親婚」が話題に上がってきたのだ。近親婚は遺伝学的に好ましくはないといわれてきたが、社会・文化的多様性の概念からは反対しにくいのは同性婚と同じだろう。

 「多様性」の果てに何が見えるだろうか。

ギリシャの“5度目”の破産を避けよ

 日韓の「正しい歴史認識」問題では「歴史から学べ」という表現を度々聞いてきたが、正直言ってピンとこなかったが、あのギリシャが建国(1830年)以後、4度、破産したという歴史的事実を聞いて、「アテネは歴史から学んでこなかったのか」と、思わず呟いてしまった。

 オーストリア日刊紙「プレッセ」(7月10日付)に寄稿した歴史家で国家債務問題専門家のヴァルター・M・イバー博士は、「ギリシャは建国以来、4度、1843年、1860年、1893年、1932年に破産している。国家の破産ではギリシャは常習犯だ」という。政府総債務残高(対GDP比)が170%以上に膨れ上がった現在のギリシャの財政状況を見れば、同国が財政分野で厳しいことは誰の目にも明らかだが、過去に4度も破産していたという事実は余り知られていない。

 イバー博士は「1843年、60年、93年の破産は主に対オルマン・トルコとの戦費調達が主因だった。1932年は世界の経済恐慌の影響だ。アテネは莫大な戦費を賄うためにロンドンなど海外で資金を借りまくったが、最終的には償還できない状況に陥った。ギリシャは建国以来、2008年までほぼ2世紀にわたって、常に金融危機下にあったのだ」と説明、現在のギリシャの金融危機は決して珍しくないという。


 ギリシャの財政危機に直面した欧州の強国は無策であったわけではない。例えば、バイエルン王のオットー1世(在位1886〜1913年)は当時、長期化する戦争で疲弊したギリシャ財政を健全化するためにバイエルン式の能率的財政機構を構築しようとしたが、ギリシャ国民の理解が得らずに実現されなかったという。債務返済不能国となったギリシャを何とか立て直そうとしたトリクウピス政権は経済状況が良くなると、再び巨額の資金を外国から借り出した、1890年代に入ると、経済危機が広がっていった。ちなみに、巨額の外国資金は軍隊の強化と国家公務員の人件費に使われ、国内のインフラ完備には投資されなかったという。そして1893年末には新たに国家破産に追い込まれていったのだ。

 ギリシャのチプラス首相は現在、欧州連合(EU)、ユーロ圏グループ、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)らと政府債務の償還や金融支援を受けるために交渉を続けているが、欧州債権団は対ギリシャ金融支援では意見が分かれてきた。ドイツのショイブル財務相は、「ギリシャをユーロ圏から追放することもやむ得ないかもしれない」と考えている一人だ。同相はギリシャ政府の緊縮案には常に懐疑的だ、バルト3国も多分同じ意見だろう。一方、ギリシャをユーロ圏に留めさせたいと願っているユンケルEU委員長やオランド仏大統領は、「ギリシャ国民は今度の危機からきっと学んだはずだ」と、ギリシャ国民の奮起に期待している、といった具合だ。

 ギリシャは6月末のIMFへの約15億ユーロ返済が滞ったばかりだが、7月20日に約35億ユーロ、8月20日に32億ユーロをECBへ償還しなければならない。次から次と債務返済日が訪れてくるのだ。ギリシャを取り巻く財政事情は本当に厳しい。

 少し、チプラス首相の過去2週間の動向を思い出してみよう。同首相は先月末、ブリュッセルと交渉中に突然、緊縮案の是非を問う国民投票を実施すると表明。6割以上の国民がブリュッセルの緊縮政策に反対すると、今月10日、増税や年金見直しを含む改革案をブリュッセルに提示し、議会からその緊縮案への全権を得たばかりだ。最初は、緊縮案に反対の国民投票を主導し、そして今度は緊縮改革案を受け入れた政府案の容認を議会に求めたわけだ。「チプラス首相の政策はコロコロと変わる」といった批判が飛び出すかもしれないが、同首相にはそれ以外に他の選択肢がないのだ。なぜならば、欧州から支援融資を受けない限り、同国の5度目の破産は避けられないから
だ。

 イバー博士は「現在の危機は単に財政的問題だけではなく、歴史の中に深く根を下ろしたギリシャ民族のメンタリティ―と繋がった問題だろう」と述べている。
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