ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2014年11月

プーチン大統領の“新しい”友達

 小学生時代を思い出す。友達が多い子供がいる一方、一緒に通学する友達もいない淋しい小学生もいた。当方はほどほどの友達がいたほうだが、いつも独りでいる同級生を見て、可哀想に思ったことを覚えている。

 ロシアのプーチ大統領はウクライナのクリミア半島にチョッカイを出し、同国東部の親ロ派の軍事活動を支援している、ということで欧米諸国から厳しい批判の声が出ている。そのためか、G20など国際首脳会談では友達がいない小学生のように孤立しているシーンも見られた。もちろん、演説はするし、公式行事には顔を出すが、その表情には少々寂しさを感じさせたのだ。

 しかし、KGB出身のプーチン氏は困難な時ほど強い。友達がいなければ見つけ出す努力をするタイプだ。影に隠れて恨み、つらみをこぼすような陰湿な性格ではない。友達を探すだけではなく、いなければ友達になってくれそうな政治家、指導者を買う努力すらする。

 ここからいよいよ本題に入る。ロシアのプーチン大統領は欧州の極右政党指導者を招いたり、その政党に資金など提供し、間接的な形で支援していることが明らかになった。プーチン氏から最初に声をかけられたのはフランスの極右政党「国民戦線」のマリーヌ・ル・ペン党首だ。ロシア系銀行(FCRB)を通じてかなりの額の資金が同党に流れたといわれる。もちろん、同党はその報道を否定しているが、かなり信頼性があるニュースだ。

 フランスのル・ペン氏だけではない。オーストリアの第3政党、野党第1党自由党もここにきてモスクワに党使節団を派遣するなど、モスクワとウィーン間で人的交流を活発化している。オーストリアは元々ロシアとの関係は悪くはなかったが、野党政治家がモスクワ詣でする、ということはこれまでなかった。その背後に、友達を求めるプーチン氏の必死さが感じられるのだ。

 オーストリア日刊紙プレッセによると、ロシアに接近中の西側極右政党としては、国民戦線、自由党のほか、ドイツ国家民主党(NPD)、ブルガリアのアタカ国民連合(Ataka)、ハンガリーのヨビックなどの名前が挙げられている。ハンガリーの場合、与党フィデスのオルバン首相自身がEUのブリュッセルではなく、モスクワに目を向けているといわれるほど、プーチン・ファンで知られている。曰く、欧米諸国を相手に決して媚ないプーチン氏の一貫性のある政策を支持するというのだ。

 それではプーチン氏の狙いはどこにあるのだろうか。ズバリ、対ロシア制裁を米国と組んで実施する西側諸国の分断だ。すなわち、西側諸国内に親ロシアの指導者を多く抱えることで、EUの結束を崩し、ひいては対ロシア制裁の弱体化を図るというものだ。

 一方、プーチン氏の新しい友達となった西側の極右政党の目的は何か。落ちぶれたといえ、依然軍事大国のロシアとの繋がりを構築することは野党政党としては拍がつく、というものだ。それだけではない。プーチン氏の伝統的、民族主義的世界観に惹かれている気配が見られる。例えば、同性愛者問題では「それは違う」と堂々と発言する政治家は西側では極右政党以外にないが、プーチン氏は同性愛者問題で終始、反対し、「夫婦は男女の結婚によって成り立つ」と自信をもって発言する。だから、西側の極右政党はプーチン氏に共感を覚えるわけだ。

 プーチン氏と西側極右政治家との新しい友人関係は将来、どのように展開していくだろうか。プーチン氏の狙い通り、欧州は反プーチンと親ロシアに分裂するだろうか。それとも、束の間の関係に終わるのだろうか。

 ここでは少し付け加えておく。このコラム欄で「独露の“ホットライン”が凍る時」(2014年11月20日)という記事を書いたが、プーチン氏は西側の極右政党との関係だけではなく、バルカン半島の正教圏に急接近中だ。プーチン氏は欧州全土で新しい米国との冷戦時代に備え、手を着実に打っているのだ。オバマ米大統領はグズグズしているとプーチン氏の戦略に翻弄されてしまう危険性が出てくる。

法王のトルコ訪問とその目的

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は28日、3日間の日程でトルコ訪問を開始した。ローマ法王のイスラム教国トルコ訪問は2006年の前法王べネディクト16世以来で8年ぶりだ。28日に首都アンカラでエルドアン大統領らと会談し,29日には今回のトルコ訪問の主要目的、イスタンブールで東方正教会の精神的指導者(エキュメニカル総主教)バルトロメオス1世と会談し、キリスト教分裂(シスマ)以来の正教徒カトリック教会の再統合を目指す共同声明を公表する予定だ。キリスト教は1054年、ローマ法王を指導者とするカトリック教会(西方教会)と東方の正教会とに分裂(大シスマ)し、今日に到る。

 フランシスコ法王は正教会の祝日、聖アンドレアス祭に参加する。法王はバルトロメオス1世を「私の兄弟、アンドレアス」と呼びかけている。聖アンドレアスは聖ペトロの兄弟だ。聖アンドレアスはコンスタンティーノポリスの守護聖人、聖ペテロはローマの守護聖人だ。
 なお、両者は、パウロ6世と正教会のコンスタンディヌーポリ総主教アテナゴラスが1964年、会合し、1054年以来続いていた東西教会の相互の破門宣告を取り消した歴史的な出来事を記念する。


 トルコの人口97%はイスラム教徒でキリスト教徒は人口1%にも満たない。エルドアン大統領との会談ではシリア内戦と難民収容問題などが話し合われるとともに、中東の少数宗派キリスト教徒への迫害問題が議題となるとみられる。シリア難民問題では、トルコはこれまで約160万人の難民を収容するなど貢献していることに対し、フランシスコ法王は感謝を表明する意向だ。

 前法王べネディクト16世は法王就任年の2005年9月、訪問先のドイツのレーゲンスブルク大学の講演で、イスラム教に対し「モハメットがもたらしたものは邪悪と残酷だけだ」と批判したビザンチン帝国皇帝の言葉を引用したため、世界のイスラム教徒から激しいブーイングを受けた。トルコ訪問時でもイスラム教徒の激怒を買ったことはまだ記憶に新しい。
 フランシスコ法王の場合、トルコ国内では歓迎の声が聞かれる一方、シリア内戦で多数の難民が殺到していることもあって、治安情勢を懸念する声が聞かれる。トルコ側はローマ法王の安全のためイスタンブールだけでも約7000人の警察官を配置している。イスタンブールはイスラム国の拠点の一つと見られているからだ。トルコ側は、ローマ法王が市内を走る際、窓ガラスがオープンな車ではなく、防弾ガラスのリムジン車の使用をバチカン側に要請している。

オイルは国民を幸せにするか

  ウィーンで27日、石油輸出国機構(OPEC)第166回総会が開催されたので総会後の記者会見に久しぶりに顔を出した。事務局がドナウ河沿いにあった時代は結構まめに記者会見をフォローしたが、事務局がウィーン市1区に移転して以来、ご無沙汰することが多くなった。それなりの理由はある。OPEC取材は基本的には原油問題専門記者がフォローするテーマであり、原油市場に疎い当方が食い込む余地などないからだ。

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▲OPEC総会後の記者会見風景(2014年11月27日、ウィーンOPEC事務局で撮影)

 記者会見でも原油関係会社のロビイストと思われる記者が主軸になって質疑する。彼らはOPEC事務局長が生産枠や今後の見通しについて答えると即、依頼主、本社に電話する。原油価格は関係国、関係閣僚の発言一つで上下するからだ。OPECは文字通り、「時は金なり」の世界だ。

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▲バドリ事務局長(中央)

 OPEC加盟国(12カ国)はサウジアラビア、イラク、イランなど中東諸国が中核だから、地域紛争が原油価格に反映する。少々血なまぐさい世界だ。中東で紛争が発生すると原油生産量の減少を見越して価格が上昇する。需要と供給の原理が支配する。ところが、今年6月からOPEC価格は急落してきた。26日現在1バレル73・70ドルと約4年ぶりの安値水準だ。100ドルを超えていた時と比較すれば、3割減だ。

 シリア、イラクでは内戦が続き、リビアは混乱し、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」が席巻している。中東全土に火がついている状況だ。にもかかわらず、原油価格は低下している。従来の需要と供給の原則とは少々一致しない価格の動きだ。だから、現行の原油価格は米国とサウジアラビアが意図的に操作しているのではないか、といった憶測情報が流れるわけだ。

 シェルオイル・ブームの米国は生産量を拡大し、ウクライナ紛争で侵略的作戦を展開させたロシアに対し、原油価格の急落で反撃しているというのだ。ロシアはその外貨収入の半分近くを原油輸出で賄っているから、原油価格が下がれば、国庫収入が減るため痛手だ。
 一方、世界最大の原油輸出国サウジは原油価格が低下しても減産を拒否している。原油価格の下落を甘受しているのだ。その背景について、サウジは一時的に収入が減ったとしてもシーア派の盟主・宿敵イランにダメージを与えるほうが得策と考えているからだという。ちなみに、ウィーンで開催されたイラン核協議で米国がイランと合意することを恐れていたのはイスラエルとサウジ両国だったといわれた。

 27日の総会では、イランやベネズエラが価格低下を防ぐために現生産枠(日量約3000万バレル)の減産を要求したが、サウジやクウェートらが押し切って、現生産枠の維持で決着した。

 参考までに、OPEC総会取材をしていると、スーダンの国連記者の言葉を思い出す。「わが国で原油が発見されて以来、南北スーダン間で利権争いが激化した。イスラム教とキリスト教の宗派間の戦いではなく、実際はオイルの争いだった。わが国で原油がなかった時代のほうが国民はひょっとしたら幸せだったかもしれない」と語っていたのを覚えている。オイル資源が国民の福祉と幸福の向上につながっていない国が少なくないのは悲しい現実だろう。

神父たちが悩んでいる!

 独ヴルツブルク司教区所属の神父が聖職停止処分を受けた。理由は未成年者への性的虐待行為への疑いからで、真相が明らかになるまで、神父は聖職を停止されるという。

 フランシスコ法王は4人の未成年者への性犯罪で有罪判決を受けたアルゼンチンの神父の聖職を剥奪した。サン・イシドロ司教区所属の同神父は2011年、性犯罪の罪で14年の有罪判決を受けている。フランシスコ法王は11月初め、神父の聖職はく奪を決定したが、このほど明らかになったもの。聖職者による性犯罪の犠牲者団体はフランシスコ法王の決定を歓迎する一方、「判決まで余りにも時間がかかり過ぎる」と批判している(バチカン放送独語電子版11月10日)。

 米シカゴ大司教区は11月7日、聖職者による性犯罪関連の内部文書を公開した。ニューヨーク・タイムズ紙によると、文書は性犯罪容疑で調査された過去36人の神父に関するもので、約1万5000頁に及ぶという。同大司教区では10年前から聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚し、教会内外に大きな衝撃を投じた。犠牲者への賠償金は数百万ドルにもなる。同大司教区は今年初めにも、性犯罪を犯した30人の神父の関連文書を公開している。


 スペインのローマ・カトリック教会は複数の神父の未成年者への性的虐待事件の発覚で大揺れだ。南部グラナダで今月24日、3人の神父と1人の宗教教師が未成年者への性的犯罪の疑いで逮捕された。

 グラナダの24歳の青年が未成年時代、複数の聖職者によって性的虐待を受けたことをフランシスコ法王宛てに一通の書簡を送って訴えたことから、メディアで大きく報じられた。フランシスコ法王はローマ・カトリック教会の代表として謝罪を表明する一方、グラナダ大司教区のJorge Fernandez Diaz 大司教をバチカンに招き、事件の対応について話し合うという。
 ちなみに、同国メディアによると、新たに7人の神父と1人の宗教教師が性犯罪の容疑で警察当局の訊問を受けているという。

 上記の記事はあくまでも一部で、全てではない。バチカン側が掌握している聖職者の代表的な性犯罪事件に過ぎない。 

 聖職者の性犯罪はフランシスコ法王時代に入っても発生し、昔の性犯罪事件が発覚している。教会側は信頼回復に努めているが、スペイン教会のように過去の犯罪が発覚し、大揺れになっている教会も出てきているわけだ。

 なぜ、イエスの十字架信仰で救われたと主張する教会の聖職者たちが性犯罪に走るのだろうか。教会の制度にも問題があるが、カトリック教会の救済信仰の限界を示しているのではないか。後者が事実に近いとすれば、カトリック教会は深刻な問題に対峙していることになる。

画家ヒトラーの道を拒んだ「歴史」

 ヒトラーが若い時に描いた水彩画が22日、独南部ニュルンベルクで競売に掛けられ、13万ユーロ(約1900万円)で落札されたというニュースを読んだ時、ウィーン美術アカデミーのクリスチャン・グリーケァル教授のことを思い出した。

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▲ナチス・ハンターと呼ばれた故サイモン・ヴィーゼンタール氏(1995年3月、ウィーンのヴィーゼンタール事務所で撮影)

 アドルフ・ヒトラーは1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学を目指していたが、2度とも果たせなかった。ヒトラーの入学を認めなかった人物こそ、グリーケァル教授だ。
 もしヒトラーが美術学生となり、画家になっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていたかもしれない。ウィーン美術学校入学に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は政治の表舞台に登場していくのだ。
 
 同教授は1839年生まれの歴史画家であり、画家エゴン・シーレの師としても有名だ。同教授は68歳の時、ヒトラーの入学試験に初めて立ち会った。グリーベンケァル教授はシーレを合格させ、ヒトラーを不合格にした美術教授として歴史に名を残した。


 当方は2008年2月、教授の墓を訪ねたことがある。グリーベンケァル教授の墓はウィーン市中央墓地の名誉市民地区に埋葬されている。作曲家や政治家たちなどが埋葬されている区域に、教授の墓もあった。墓碑には、「画家クリスチャン・グリーペンケァル教授、1839〜1916年」と記されている。古くなった墓石の周辺には、花はなかった。

 歴史で「イフ」はタブーだが、教授がヒトラーを入学させていたならば、その後の歴史は変わっていただろうか。ナチス・ドイツ軍は存在せず、ユダヤ民族への大虐殺はなかったかもしれない。そうなれば、ナチス・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタールの人生は180度変わっていただろうし、ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪関与を疑われたために大統領再出馬を断念せざるを得なかったクルト・ワルトハイム氏の晩年は穏やかな日々となっていたかもしれない、等々が考えられる。

 ところで、旧約聖書の主人公の一人、モーセはエジプトから約60万人のイスラエル人を率いて“乳と密が流れる地カナン”に向かったが、途中、挫折した。すると神はモーセの代わりにヨシュアとカレブの2人を選び、カナンへ向かわせた。神は、選んだ中心人物がその使命を果たさなかった時、躊躇せずその代理人を擁立して目的を実現しているのだ。同じように、オーストリア出身のヒトラーが画家になっていたならば、歴史はひょっとしたら別の第2のヒトラーを探し出していたかもしれない。

 しかし、現実の歴史は、ヒトラーが画家の道を諦めた後、ドイツの指導者として台頭し、ユダヤ人の大虐殺を実行したと記している。ヒトラーの蛮行を間接的に助けたのが、先述したクリスチャン・グリーケァル教授というわけだ。

 ウィーンの中央墓地に埋葬されている教授は自身が関わった歴史をどのように解釈しているだろうか。「ヒトラーの絵画は水準以下だったから入学させなかっただけだ」と弁明するだろうか、それとも「私は歴史の歯車の手先となっただけだ。私の責任ではない」と反論するかもしれない。

イラン核協議と国内事情

 ウィーンで18日から開催されていたイラン核協議は交渉最終期限の24日、参加国間で包括的合意が実現できず、来年7月1日まで協議を継続することで一致して閉幕した。この結果、昨年11月ジュネーブで採択した「暫定合意」の内容が今後も有効となる。

 国連安保常任理事国(米英仏露中)と独の6カ国とイランの核協議は2008年から始まったが、イランの核問題自体は03年からで、今年で12年目の長期議題だ。イランがナタンツにウラン濃縮関連施設を有していることがイラン反体制派グループの情報で明らかになってから、イランの核関連活動が核エネルギーの平和利用ではなく、軍事目的を有している疑いが出てきた。そのため、ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)はこれまで検証活動を行ってきたが、イランの核関連活動が平和目的だと実証できない状況が続いている。

 欧米諸国やイスラエルはイランが不法な核活動を行い、起爆実験など繰り返してきた疑いを払拭できない。一方、イラン側は終始、「わが国の核活動は核エネルギーの平和利用だ」と反論してきた。例えば、テヘラン近郊のパルチン軍事施設の査察を「軍事施設であり、IAEAとの間の核保障協定の対象外」という理由を挙げてIAEAの査察を拒否してきた経緯がある。IAEAの天野之弥事務局長は11月定例理事会で、「イランは未解決問題の解決に対する協調が足りない」と批判している。
 
 6か国とイランの核協議の対立点は大きく分けて4点だ。第1はイランにどれだけの遠心分離器設置を認めるかだ。イランは現在1万9000基(旧式)を設置し、そのうち1万基が操業している。イランは将来、19万基の遠心分離器を設置する計画を有している。それに対し、米国は4500基に削減すべきだと主張してきた。遠心分離器の数を制限することでイランの核兵器用濃縮ウラン製造を遅らせる狙いがある。
 第2は、アラクの重水炉建設問題だ。欧米側は核兵器転用可能なプルトニウムを製造できる重水炉建設を破棄するか、軽水炉に変更すべきだと要求してきた。イラン側は建設続行の姿勢を崩していない。第3は、6カ国とイラン間で「包括的核合意協定」が成立した場合、協定の有効期間問題だ。欧米は20年間を提案する一方、イランはせいぜい数年間と考えている。最後の第4は、対イラン制裁の解除問題だ。欧米側はイランの出方を見ながら漸次解除していくという考えだ。それに対し、イラン側は包括的合意後、即、全面的解除を実施すべきだと主張してきた。

 ウィーン会合ではそれらの4点の争点を中心に、参加国が協議を続けた。イランのザリフ外相は各会合が終わる度、テヘランに逐次電話して協議内容を報告、テヘランの指示を仰いでいた。ロウハニ大統領は欧米の制裁を早期解除させ、国内経済を回復したいという願いが強いが、イラン最高責任者ハメネイ師は、「欧米の圧力に屈し、イランの核開発の道を閉ざすことはできない」と強硬姿を見せている。それだけに、イラン外相はハメネイ師の意向を無視して欧米側に妥協できないわけだ。

 ウィーン会合のもう一人の主役、ケリー国務長官もウィーン会合中、サウジアラビアやイスラエル代表と会合し、ウィーン協議の内容を報告していた。イランと宿敵関係のサウジにとって、イランが核兵器を開発し、中東の主導権を握れば大変だ。イスラエルも、「イランの核開発は自国の安全を脅かすもので、絶対に容認できない」という考えだ。米国は両国の懸念を配慮しなければならない立場で、中途半端な妥協はできない。イスラエルのネタニヤフ首相は「悪い協定は無協定より始末が負えない」と警告を発しているほどだ。
 米国の場合、それだけではない。国内の議会の動きも無視できない。オバマ大統領はイランとの核合意を承認できるが、共和党主導の議会の許可なくして対イラン制裁解除はできない。すなわち、米国の交渉も国内事情から制限されているわけだ。

 イランと米国両国の交渉責任者が国内事情からその交渉に制限がある以上、抜本的な提案や妥協は最初から難しかったわけだ。しかし、国際社会が注目する会合の決裂は避けなければならない。そこで7カ月間の継続協議で合意し、ウィーン会合を閉じたわけだ。

「世界哲学の日」に考える

 約2400年前の哲学者ソクラテスが毒杯を煽り、死去した4月27日を「哲学の日」と呼ぶが、11月の第3木曜日はユネスコの「世界哲学の日」だ。だからとって、急にカントの本やヘーゲルの本を図書館から借りて読み出す人はそう多くはいないだろう。哲学は内省の学問であり、喧騒な日々を歩む現代人にとって次第に関心が薄くなりつつあるのかもしれない。内省している間に目の前の状況が急変してしまう今日、ゆっくりと哲学する時間はない、というのが現実かもしれない。

 欧州最古総合大学のウィーン大学では哲学を学ぶ学生は少なくない。経済学は基本的には万物の公平な分配を考える学問であり、法学部は社会秩序を維持する上で最低レベルの道徳を考える学問といえるかもしれない。一方、哲学は、人間はどうして生まれ、人生の目的は、神は存在するか、といった宇宙的なテーマを考える学問だが、現実社会への貢献度は少ないかもしれない。

 当方の家庭医が「患者の女学生が大学で比較文学を学んでいると聞いて、嬉しくなったよ。久しぶりにアカデミックな学問を好む若者に会った」と語っていたことを思い出す。
 多くの若者は、特別な才能がない限り、就職に有利な学部、経済学部や法学部を専攻する者が多い。大学生の気質はどの国でも同じだろう。

 奥さんが日本人のオーストリア人の哲学教授を知っている。彼は日本食が大好きで、奥さんが料理した昼食を食べるのが人生の主要目的ではないかと思えるほど、日本食を食べるのを好む。そのうえ、映画好き、ボクシング界にも精通している教授だ。教授が近代哲学を専攻しているのか、古代哲学の専門家かは聞かずじまいだが、退職後もまだ週に2、3回講義しているという。
 教授の生活を観察していると、上司との葛藤、昇進争いといった世界とは関係がないところで生きている人間の大らかさと、余裕が感じられる。哲学する人には、宇宙を観察している天文学者と同様、人生に対する余裕が感じられる(もちろん、全ての哲学者が人生に余裕を感じながら生きていると考えるのは間違っている)。

 哲学は昔、神学とほぼ同じ分野を扱ってきたが、最近の哲学は近代科学の良き友となってきた。宇宙の起源、人間の構造、脳神経学といった学問の成果を無視しては、現代の哲学者は思考できない。神は現代哲学では思考の対象外に追い出されている。

 さて、ここにきて哲学する若者を雇いたいと願う会社が増えてきているというのだ。哲学部卒業者の場合、その就職先は大学に残って学問を続けるか、教師となるか、研究所で勤務するぐらいだったが、哲学する若者を希望する一般企業がでてきた、というのは新しい社会現象だ。オーストリア日刊紙プレッセが報じていた。
 その理由の一つは、「哲学する若者は給料の多少に余り関心がない一方、人間や宇宙の動向に関心を注ぐ若者だ。思考世界がでっかい」というのだ。哲学する若者が実際そうかは別問題として、哲学する若者が万物の配分に心を配る経済学部出身や法で人間を管理できると信じる法学部出身の若者より魅力的と受け取られだしてきたのかもしれない。

 昔の哲学者は「人間は考える葦」(ブレーズ・パスカル)といい、「汝自身を知れ」(古代ギリシャの格言)と呼びかけている。哲学は結局は自身の再発見を求める学問といえる。哲学する若者が魅力的に受け取られ出したのは、それだけ自己喪失で悩む人が多くなってきたからかもしれない。

万全の体制で北の核実験を監視中

 北朝鮮外務省は20日、国連総会第3委員会(人権)が同国の人権蹂躙を批判し、国際刑事裁判所(ICC)に付託する内容が明記された決議案を採択したことに対し、「われわれの戦争抑止力は無制限に強化される」といった内容の報道声明を公表し、第4回の核実験を実施する可能性を示唆したばかりだ(北朝鮮は2006年10月、09年5月、そして13年2月の計3回の核実験を行った)。

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▲「核爆発」(CTBTOのHPから)

 そこでウィーンに事務局を置く包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会のトーマス・ミュツェルブルク報道官に北の核実験警告への対応のほか、イランの批准問題、条約の発効の見通しなどを緊急質問した。

 ――北朝鮮は人権問題に対する国際社会の圧力に対抗するため核実験の実施を示唆している。CTBTOの監視体制はどうか。

 「われわれは常に万全の体制を敷いている。国際監視システム(IMS、地震波、放射性核種、水中音波、微気圧振動の4種類)は今年に入り2カ所増強した。朝鮮半島周辺だけではなく、世界の核実験を監視している。北側はこれまで3回、核実験を行ってきた。21世紀に入って核実験をした唯一の国だ。北が更なる核実験を実施しないことを願っている」

 ――米国、韓国から監視強化などの緊急要請は届いているか。

 「加盟国からの緊急要請はない。なぜならば、CTBTOの監視体制は機能しているからだ。核実験是非の判断の要となる放射性物質キセノン133など希ガス検出体制も高崎の放射性物質観測所やウラジオストックなど4か所の観測所がマークしている」(CTBTOは2回目の北の核実験後、放射性物質の観測所の不備を改善するため合計31カ所の放射性物質観測所を設置した)。

 ――昨年2月の核実験では北がウラン核実験を初めて実施した可能性があると予測されたが、北の核実験がウラン核実験かプルトニウム核実験か判断できずに終わった。その理由は核実験で放出された放射性物質の希ガスが少量であり、判断出来なかったからだと聞く。

 「CTBTOは核爆発があったかどうかを判断する機関だ。核爆発がウランによるのか、プルトニウムかの判断を下す権限はない。核実験データーに基づき、加盟国が判断する作業だ。CTBTOは核実験の有無を監視する権限しか有していないのだ。核爆発が実際行われたかを100%実証するためには現地査察(OSI)以外に方法がない」

 ――CTBTOは北側と接触はあるのか。

 「北朝鮮は、インドとパキスタンと共にCTBT条約に署名していない国だ。だから、公式のチャンネルでは北側との接触や交渉はない。ただし、ラッシーナ・ゼルボ事務局長は北側が招いてくれば、平壌を喜んで訪問し、CTBT条約の意義を関係者に説明する用意があると繰り返し表明してきた」

 ――ところで、ウィーンでイランと国連安保常任理事国5カ国プラス独6か国間で核協議が行われているが、イランがCTBT条約に批准すれば、核協議にも大きなインパクトを与えるのではないか。

 「その通りだ。イランは1996年、CTBT条約に署名したが、これまで批准していない。イランが条約に批准すれば、その核関連活動が平和目的であることを内外にアピールできる機会となり、国際社会との信頼醸成でもプラスだ」

 ――CTBTは今年9月で署名開始から18年目を迎えた。条約の発効の見通しはどうか。

 「条約発効に批准が不可欠な核開発能力保有国44カ国中8カ国が批准を終えていない。未批准国は8カ国。そのうち米国、中国、イスラエル、イラン、エジプトの5カ国は署名済みだが、未批准だ。インド、パキスタン、北朝鮮の3国は署名も批准もしていない。ハンス・ブリックス国際原子力機関(IAEA)元事務局長は、『CTBTはまだ発効していないが、実質的には発効しているような状況下にある。なぜならば、加盟国183か国は署名後、条約を守り、核実験をしていないからだ』と語っている。米国や中国はまだ批准していないが、ヨルダンで今月開始された現地査察演習には積極的に協力している。米国は現地査察の費用を拠出する一方、中国は機材を提供している。イスラエルやエジプトも専門家を派遣し、積極的に関与している」

なぜ前法王は著書を書き直したか

 前ローマ法王べネディクト16世がラッツィンガー枢機卿時代の著書全集第4巻(Freiburger Herder-Verlag)の一部を書き直したことが明らかになり、話題を呼んでいる。べネディクト16世が書き直した部分は離婚、再婚者の聖体拝領問題についての箇所だ。

 1972年の初版では「神の下で婚姻した夫婦は絶対に分けることができない」という教会の教えに基づき、離婚、再婚者は聖体拝領を受けることはできないが、「可能性は限られているが、教会の伝統の中では、個人的解決によって、離婚・再婚者が聖体拝領を現場の聖職者に認められる例はある」と書いていた。その箇所を今回、「離婚、再婚者が聖体拝領を受けることは不可能だ」という教会の教えを明確にする一方、「聖体拝領を受けるためには婚姻無効手続きを行うことだ。それによって、再婚者に離婚、再婚者の聖体拝領の道が開かれる」と筆を加えているのだ。

 教会の教えを順守する一方、離婚、再婚者を突き放すのではなく、その解決策を提示している。表現の微調整に過ぎないといわれればそれまでだが、神学者べネディクト16世の書き直しは「それだけではないだろう」と多くのバチカン・ウォッチャーたちは受け取っている。興味深い点は、前法王の書き直しをバチカン放送独語電子版が18日、かなり大きく報じたことだ。

 独ミュンスターの教会歴史学者フ―ベルㇳ・ヴォルフ(Hubert Wolf)氏 は独日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(20日付)に寄稿し、その中で前法王のべネディクト16世とフランシスコ現法王はバチカンでは2つの異なった権力拠点だと指摘している。俗な表現でいえば、、前法王と現法王の権力争いを懸念しているわけだ。

 同氏は、1415年に退位した法王グレゴリウス12世(在位1406〜1415年)を例に挙げ,前法王の在り方を述べている。教会大分裂の時に選出されたグレゴリウス12世は退位後、現法王との誤解を回避するため枢機卿会議の一メンバーに戻り、法王の白衣を脱ぎ枢機卿の服に着かえたという。
 ところが、べネディクト16世は特別世界司教会議(シノドス)で争点となった離婚、再婚者への聖体拝領問題について、自身の著書で意見を明確にすることで、高位聖職者へ影響力を行使する一方、フランシスコ現法王に対して権力争いを臨んでいるかのようだ、というのだ。少々、深読みの感じがする。現・前の2人の法王が同じ時代に生存していれば、様々な争いや軋轢が生じてくるのは至極当然なことだろう。ちなみに、離婚・再婚者への聖体拝領の是非問題では、べネディクト16世の考え方はバチカンの保守派代表で教理省長官のミュラー枢機卿とまったく同じだ。

 蛇足だが、離婚、再婚者の聖体拝領問題について、べネディクト16世とフランシスコ法王の間では余り大きな見解の違いはない。学者出身の前法王が表現に拘る一方、南米出身のフランシスコ法王は実質的で単刀直入の発言が多い、という相違があるだけだ。
 
 いずれにしても、教会が本来取り組まなければならない点は、離婚、再婚者への聖体拝領是非に頭を痛めることではなく、なぜ婚姻した信者夫婦が離婚するかを深刻に考え、信者夫婦に助言と処方箋を提供することではないか。それができないとすれば、聖体拝領云々の論争はまったく意味がないことになる。

カトリック教国から無宗教国家へ?

 オーストリア科学アカデミーは先日、首都ウィーンの2046年宗教界を予測した研究結果を発表した。それによると、ローマ・カトリック教会が第1宗教の位置をかろうじて維持する一方、イスラム教は2011年時のほぼ倍化する。そして無宗教者が国民の3割を占めている。

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▲1970年から2046年のウィーンの宗教構図の動向(ウィーンのメトロ新聞「ホイテ」11月19日付から)

 先ず、2011年ではカトリック教会が41%、イスラム教12%、無宗教30%、正教9%、新教4%、ユダヤ教0・5%、その他3・5%だった。それが46年では、カトリック教33%、イスラム教21%、無宗教27%、正教11%、新教4%、ユダヤ教0・5%、その他3・5%となっている。
 11年から46年の間でカトリック教は8%をその勢力を失う一方、イスラム教は12%から21%に急増。一方、無宗教は30%から27%にほぼかわらず、正教は9%から11%に増加している。
 
 アルプスの小国オーストリアは久しくローマ・カトリック教国と呼ばれてきた。戦後から1960年代までは人口80%以上の国民がカトリック教徒だったから当然だが、1970年に入るとその割合は78・6%と80%の大台を割った。20年後の1990年には53・2%となり、新世紀の西暦2000年に入ると、52・5%、そして2046年にはその割合は33%と低下すると予想されているのだ。人口80%以上がカトリック教徒だった国で国民の半分以上が教会から離れていくわけだ。民族大移動というより、信者大移動というべき現象だ。

 もちろん、カトリック教会の衰退現象には理由がある。聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発で教会は完全に社会の信頼を失ってしまった。そのうえ、2000年前の教えに固守し、現代人の反発と冷笑を受けてきたからだ。南米出身のフランシスコ法王がローマ法王に就任した後も信者の教会離れは、聖職者の性犯罪と同様、続いている。

 一方、イスラム教徒の増加は移住者の急増が大きな原因だ。ボスニア紛争、中東紛争の影響で多数のイスラム教徒が流れ込んできた。イスラム教徒の高出産率は人口増加を後押しした。ただし、ここにきてユーロ・イスラム教徒の出産率はキリスト教徒と同じように低下傾向がみられる。

 オーストリア科学アカデミーが指摘しているように、政府の移住者政策が変わり、その受け入れが厳しくなった場合、当然、46年のイスラム教徒の数にも反映してくるだろう。

 驚くべき点は、無宗教者が1970年に10・3%に過ぎなかったが、2011年には31%の国民が「宗教を持っていない」と答えていることだ。音楽の都ウィーン市は他の欧州都市と同様、世俗化の波に押されている。例えば、「神はいない運動」が数年前、英国で始まり、ポーランドやオーストリアなどカトリック教国でも拡大してきた。同時に、知識人の間で不可知論者が増えてきている。

 ウィーンは17世紀、イスラム教の北上を阻止したが、無宗教者の増加に対し、これまでほとんど無防備状況だ。オーストリアがカトリック教国に留まるかどうかは無宗教者の対策如何にかかっているわけだ。

 蛇足だが、現代の無宗教者には、個人的には何らかの信仰、信念を有しているが、既成宗教団体への不信が強く、如何なる宗教にも所属しない、という人々が多い。
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