前日と同様、当方の過去の体験談を書く。お付き合いを願う。
冷戦時代、当方はウィーンの外国人記者クラブに登録するためクラブ事務所に出かけた。クラブ関係者が会員申請書を持ってきたので、名前と住所、国籍、会社名などを記入して渡した。その時だ。名前の欄を見て「えーっ?」と驚くではないか。数週間前、日本人ジャーナリストがクラブに登録したが、彼はその直後、急死したという。「自分はその名前をよく覚えているが、君の名前とまったく同じだ。君と同姓同名のジャーナリストは 亡くなったんだよ」と説明してくれたのだ。
後で聞いたところによると、急死した日本人ジャーナリストはウィーンに来る前は 産経新聞ワシントン特派員だった。旧ソ連・東欧共産政権が勢いを持っていた時だ。産経新聞社は、やり手ジャーナリストを米国からウィーンに派遣した。そのジャーナリストが急死したというのだ。産経新聞社も驚いたことだろう。それ以降、同社はウィーンに特派員を送らず、ベルリンを拠点に共産圏をフォローしていた。産経新聞社のウィーン特派員が急死した直後、当方がウィーン外国人記者クラブを訪ね、会員登録をしたわけだ。事務所関係者が当方の名前をみて驚いたのも無理はない。
前日、「めぐみさんの話」を書いたが、昔体験した奇妙な偶然について思い出したわけだ。めぐみさんの場合、名字は全く別だ。産経新聞記者と当方の場合、同姓同名で漢字も同じだ。職業も同じで、派遣された駐在地も同じだったわけだ。偶然にしてはかなり複雑な絡みを感じる。いずれにしても、外国人記者クラブに登録してから、当方の本格的な東欧取材が始まった。
外国人記者クラブでは一期、理事を担当し、ウィーンの国連記者クラブでも1期理事をしたが、駐ウィーン日本人記者クラブに加わっていないこともあって、日本人大使が開いた記者会見などには日本人記者クラブから招待されなかった。その時、ベルリンから派遣された産経新聞の黒沢潤特派員が助けてくれた。日本大使が何を発言したかなどを記者会見後、当方に教えてくれたのだ。同記者はベルリン特派員として活躍した後、米ニューヨーク特派員として頑張っていると聞いた。当方より若手の記者だったが、シャープなジャーナリストだった。黒沢記者は当方と同姓同名でウィーンで急死された同僚記者のことをご存じだったのかもしれない。
当方は、同姓同名の産経新聞特派員について、残念ながら顔も人となりも知ることがなかったが、上述した体験話を忘れることはできない。時間があったら、産経新聞関係者に聞いてみたいと思っているほどだ。冷戦時代の取材では、共産政権下で拘束されたり、治安部隊に追われ、私服警察官にマークされたことがあったが、不思議といつも守られてきた。ひょっとしたら、同姓同名の記者に当方は感謝しなければならないのかもしれない。
冷戦時代、当方はウィーンの外国人記者クラブに登録するためクラブ事務所に出かけた。クラブ関係者が会員申請書を持ってきたので、名前と住所、国籍、会社名などを記入して渡した。その時だ。名前の欄を見て「えーっ?」と驚くではないか。数週間前、日本人ジャーナリストがクラブに登録したが、彼はその直後、急死したという。「自分はその名前をよく覚えているが、君の名前とまったく同じだ。君と同姓同名のジャーナリストは 亡くなったんだよ」と説明してくれたのだ。
後で聞いたところによると、急死した日本人ジャーナリストはウィーンに来る前は 産経新聞ワシントン特派員だった。旧ソ連・東欧共産政権が勢いを持っていた時だ。産経新聞社は、やり手ジャーナリストを米国からウィーンに派遣した。そのジャーナリストが急死したというのだ。産経新聞社も驚いたことだろう。それ以降、同社はウィーンに特派員を送らず、ベルリンを拠点に共産圏をフォローしていた。産経新聞社のウィーン特派員が急死した直後、当方がウィーン外国人記者クラブを訪ね、会員登録をしたわけだ。事務所関係者が当方の名前をみて驚いたのも無理はない。
前日、「めぐみさんの話」を書いたが、昔体験した奇妙な偶然について思い出したわけだ。めぐみさんの場合、名字は全く別だ。産経新聞記者と当方の場合、同姓同名で漢字も同じだ。職業も同じで、派遣された駐在地も同じだったわけだ。偶然にしてはかなり複雑な絡みを感じる。いずれにしても、外国人記者クラブに登録してから、当方の本格的な東欧取材が始まった。
外国人記者クラブでは一期、理事を担当し、ウィーンの国連記者クラブでも1期理事をしたが、駐ウィーン日本人記者クラブに加わっていないこともあって、日本人大使が開いた記者会見などには日本人記者クラブから招待されなかった。その時、ベルリンから派遣された産経新聞の黒沢潤特派員が助けてくれた。日本大使が何を発言したかなどを記者会見後、当方に教えてくれたのだ。同記者はベルリン特派員として活躍した後、米ニューヨーク特派員として頑張っていると聞いた。当方より若手の記者だったが、シャープなジャーナリストだった。黒沢記者は当方と同姓同名でウィーンで急死された同僚記者のことをご存じだったのかもしれない。
当方は、同姓同名の産経新聞特派員について、残念ながら顔も人となりも知ることがなかったが、上述した体験話を忘れることはできない。時間があったら、産経新聞関係者に聞いてみたいと思っているほどだ。冷戦時代の取材では、共産政権下で拘束されたり、治安部隊に追われ、私服警察官にマークされたことがあったが、不思議といつも守られてきた。ひょっとしたら、同姓同名の記者に当方は感謝しなければならないのかもしれない。