ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2014年01月

交番がなくなる!

 オーストリア内務省は今年、全国の警察の交番(駐在所)の数を削減していく意向だ。モットーは‘現代的な警察‘だ。ヨハンナー・ミクルライトナー内相が28日公表したところによると、特別州のウィーン市を除く8州にある811箇所の交番・駐在所のうち、122カ所を閉鎖する。人口最大のウィーン市(2010年9月時点168万人)に対しては、2月末までに詳細な計画を決定するという。

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▲交番・駐在所の再編に乗り出すオーストリア内務省

 内務省の交番(駐在所)閉鎖計画が公表されると、予想されたことだが、多数の交番が閉鎖される州、ケルンテン州やブルゲンランド州の知事から「交番の閉鎖案は受け入れられない」「州民の安全を脅かす」といった批判の声が上がっている。

 それに対し、ミクルライトナー内相は「交番・駐在所を閉鎖しても国民の安全は脅かされない」と強調し、「事件が発生すれば、昔は交番まで駆けつけて助けを求めたが、今日、大多数の国民(約98%)は携帯電話で警察に連絡する。時代の変化に応じて警察機構も編成し直す必要がある」と理解を求めている。

 内務省の計画では、交番・駐在所閉鎖で浮いた人材は「犯罪の現場や担当地域の監視などに投入される。また、コンピューター犯罪、サイバー犯罪に対して対応できる専門家の育成など、警察官の専門教育に力を入れていく」という。

 現在92カ所の交番・駐在所を持つケルンテン州では近い将来、22カ所が閉鎖される予定だ。カイザー同州知事は「近くの交番が無くなれば、次の交番まで5キロ以上離れている処もある。州民の不安は大きい」と述べ、内務省の閉鎖計画には強く反対し、来月7日に市長らを招き、今後の対策を検討するという。ちなみに、警察官と州民の比率は1対7928人だ。
 
 内務省の計画通り実施されれば現交番・駐在所の7件に1件は閉鎖される。内務省が閉鎖を強行する背景について、「政府の節約政策の反映がある」という声が野党側から聞かれる。それに対し、ミクルライトナー内相は「国民の安全問題に対して節約する考えはない。内務省は3800万ユーロの節約が求められているが、交番・駐在所の閉鎖は節約政策とは全く関係がない」と反論している。

 なお、特別州ウィーン市は犯罪急増に対応するために来年までに1000人の警察官の増員を要請中だ。同市の人口と警察官の比率は1対1万7993人だ。ただし、「交番・駐在所の縮小計画でウィーン市を例外扱いはしない。人口が多いので目下、詳細な調査中だ」(内務省)という。

 参考までに同国の昨年上半期の犯罪統計を紹介する。犯罪総件数は26万5533件で前年同期比で0・3%と微増だったが、ウィーン市では10万4260件で前年同期比で3・9%と増加した。インターネット犯罪の場合、オーストリア全土で昨年上半期6413件で、前年同期比で63・1%と急増した。

お母さんが願う「平和」とは何か

 読者の皆さんは壺井栄の小説「二十四の瞳」を覚えておられるだろうか。最近、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」を観る機会があった。

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▲壺井栄の「二十四の瞳」(ポプラ社文庫)

 舞台は1928年から敗戦の翌年1946年までの時代だ。四国の小豆島の分教場に若い大石先生が赴任する。そこで12人の生徒のクラスを担当。先生と子供たちの素朴な交流が愛情深く描かれている。その小説に感動した木下恵介監督が映画化した。主人公の大石先生は高峰秀子さんが演じ、映画は当時、上演期間の新記録を作った。

 戦争が敗北し、昭和天皇の終戦詔書の玉音放送を学校で聞いて自宅に帰ってきた息子、大吉が母親の大石先生に語る箇所を紹介する。

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 大吉はしょげかえって、うつむきながら帰ってくる。

母「なにをしょげているのよ。これからこそ子どもは子どもらしく勉強できるじゃないか」

大吉「お母さん、戦争、負けたんで。ラジオ聞かなんだん」

母「聞いたよ。とにかく戦争がすんでよかったじゃないの」

大吉「負けても」

母「うん。負けても。もうこれから戦死する人はないもの。生きている人はもどってくる」

大吉「お母さん、泣かんの。負けても」

母「うん」

大吉「お母さんは嬉しいん」

母「ばかいわんと!大吉、うちのお父さんは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ。お母さんはいっぱい泣いてきた」

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 日韓、日中間では「正しい歴史認識」問題が議論されている。欧米では今年が第一次世界大戦勃発100年目を迎えたことから、「戦争回顧」や「なぜ戦争は起きたか」といったテーマで政治家、歴史家たちが議論している。

 当方は「二十四の瞳」の母親と息子のやり取りを見て、母親の「戦争と平和」への捉え方が男たちとは異なることを学んだ。
 国民学校5年生の大吉は戦争の勝ち負けに拘る。負けたことを認めることが難しい。母親は戦争の結果より、戦争が終わったことを喜ぶ。母親からは「なぜ戦争は生じたか」や「戦争の責任」云々の声より、戦争が終わり、これ以上戦死する人がいない、生きている人が返ってくる、といったことがもっと重要なのだ。

 さまざまな言論フォームでは歴史問題、戦争問題が話題となっているが、そこでは戦争の勝敗、責任問題が焦点となり、そこに拘る傾向が強い。大石先生のような「戦争は終わって嬉しい」という声、第2次世界大戦が終わって70年余り戦争がなかったことへの嬉しさ、といった意見は余り聞かれない。そして戦争の勝敗に拘るのは主に男たちだ。

 もちろん、戦争の責任、どうして戦争が生じたかを詳細に分析することは大切だが、どうしても終わりのない議論となってしまう。「正しい歴史認識」に到着するまでに多くの時間がかかる。ひょっとしたら、「正しい歴史認識」など存在しないかもしれない。

 当方は今後、女性、特に母親の平和への願いが重要であり、紛争解決や和平交渉では母親の声をもっと反映させることが大切だと感じる。母親は戦争や紛争の勝敗より、紛争が停止され、戦死者がなくなることを最優先に考えるからだ。

 大石先生は「お母さんもこれまでいっぱい泣いてきた」と息子大吉に語る。紛争、戦争の最大の犠牲者は女性であり、子供たちだ。特に、母親は戦地で戦うことは少ないが、戦争で最も涙を流してきた立場かもしれない。「母親の平和観」に耳を傾けなければならない時だ。

山茶花とツバキの区別つきますか

 「ウィーンで山茶花(サザンカ)を見たことがある?」と妻に聞いた。
 「見たことはないわ」という。
 「椿を見たことがある?」と聞くと
 「椿も見ないわね」という。

 なぜ、突然、山茶花と椿の花のことを書いたかというと、東京の友人記者がコラム欄で「山茶花と椿は区別が難しい」と書いていたからだ。

 そこで早速、検索でサーチしてみたら、友人記者が書いたように、「2つの花はよく似ている」「山茶花は椿属だが、椿とは呼ばない」とわざわざ説明されているところをみると、両者は瓜二つなのだろう。
 写真を見たが、確かに似ている。少し時期はずれるが、冬には山茶花も椿も同時に観賞できるという。友人記者の「区別がつかない」という嘆きが飛び出すわけだ。

 更にサーチしていると、両者には一つ、明らかに違う点があることを知った。山茶花は花びらを一つ一つ散らすが、椿は花びらではなく、丸ごと落ちるという。すなわち、2つの花の最期の姿が異なるわけだ。

 ちなみに、日本人の国花、桜が愛されるのは、短い時期にパッと咲き、満開後はさっと散っていく、桜の潔い生涯が日本人の心を捉えるからだ、とどこかで読んだことがある。

 「桜の樹の下には」という梶井基次郎の名短編があるが、日本人は花や樹にさまざまな思いの世界を投影してきた。

 近くに花屋さんはあるが、最近、花を買った覚えがない。花屋の主人とはほぼ毎朝、挨拶はするが、自分が余り良い客でないので、挨拶をするのも気が引けるようになったほどだ。

 欧州人も花を愛する点で日本人に負けていない。友人や知人を訪問する時は花をプレゼントする人が多い。窓側に小さな花を飾っている家も多い。最近はサボテンが愛されているという。世話がしやすく、長く生きるからだ。ちなみに、オーストリアの国花はエーデルワイスだ。

 友人記者のように、欧州の花をテーマとしたコラムを書いてみたいが、花の名前すらよく知らないので筆が動き出さない。名前も知らずにどうして花を愛することができるだろうか。無知からは如何なる情緒も生まれない。

 そういえば、人類の始祖アダムが最初にした“仕事”は万物に名前を付けることだった。名前を付け、その名前で呼ぶことから情が動き出す。親は生まれた子供に名前を付けて初めて子供に情が向く。

 当方はこれまで3000余りのコラムが書いてきたが、花についてのコラムは片手で数えられるほどしかない。友人記者は数多くの花や自然観賞のコラムを書いている。最近は、そのことを本当に羨ましく思うようになった。

中韓の反日攻勢に異なった対応を

 中国黒竜江省のハルビン駅で20日、「安重根義士記念館」が一般公開された。同記念館開設は中韓両国が反日攻勢で連携を強めてきた結果と受け取られている、しかし、両国の反日活動はけっして同一の目標を追及しているものでないことがこのほど明らかになった。

  中国は25日、「新公民運動」の中心的人物、許志永氏に対して懲役4年の実刑判決を言い渡した。その根拠について、「共産党の政策が立法の根拠であり、法執行活動を指揮する」と説明している。すなわち、中国政府はいつでも共産党の政策が最優先される国であることを自ら認めたわけだ。

 反日攻勢も同様だ。中国共産党政権の反日攻勢に対して反論してもあまり意味がないのだ。「宗教の自由」も保証せず、「良心の囚人」の臓器を党幹部に移植する国の反日攻勢を深刻に受け取る必要があるだろうか。人権活動を行う反体制派国民を簡単に「党の政策」に基づいて処罰できる国なのだ。

 中国共産党の歴史を少し振り返れば一層理解できる。毛沢東時代に千万人以上の国民を粛正した国はどの国か。国際世論に問うべきだ。国内の歴史が血だらけなのに、他の国の歴史を批判できる資格があるのか。

 安倍晋三首相の靖国神社参拝に対し、オバマ米政権は「失望した」と表明したが、中国の許志永氏の判決に対しては、米国務省サキ報道官は25日、「深い失望」と、さらに強いトーンで批判しているのだ。

 英コンサルタント会社「ヘンリー&パートナーズ」は先日、昨年7月時点でビザなしで訪問できる国数の各国リストを発表した。それによると、日本は170か国(11位)、日本をテロ国家と呼んだ韓国は166か国(24位)、世界的な反日攻撃を展開している中国に至っては44カ国で世界169位だった。世界の大多数の国が中国人にビザを義務付けている。国際社会が中国共産党政権を心からは信頼していない証拠だ。

 次に、韓国の反日攻勢に対してだ。韓国は日本と同様、民主国家であり、同じ価値観を共有できる余地がある。それだけに、歴史問題でも真摯に向かい合う必要があるわけだ。

 安重根記念館開設でも明らかになったように、中国共産党政権は揺れ動く韓国に触手を伸ばしている時だ。韓国が反日で体制も価値観も異なる中国共産党政権に近づき、連携してきていることを憂う。日本にとって大変だからではない。韓国が中国側に利用されるだけではないかと懸念するからだ。

 冷戦を目撃し、体験してきた一人として、共産党政権の戦略を甘く見てはいられない。彼らは長期的戦略で政策を履行する。選挙の洗礼を受けなければ政権が樹立できない民主国家とはスタートから異なっているのだ。 

 以上、日本は中国の反日への対応に余りエネルギーを浪費せず、これまで通り可能な限り国際社会へ貢献していくべきだ。韓国の反日に対しては、日本側は忍耐をもって真摯に対応すべきだが、いうべきことはきっちと言わなければならない。いずれにしても、日本は中国と韓国の反日攻勢に対し異なった対応が要求されるのだ。

UNIDOが日中外交戦の前線?

 ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)から新年最初に届いたニュースはポルトガルの脱退通達だった。同国は昨年12月、脱退を書簡で連絡した。

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▲加盟国から事務局長当選の祝辞を受ける李勇氏(2013年6月24日、撮影 )

 UNIDOを脱退した加盟国はカナダ、米国、オーストラリア、ニュージランド、英国、オランダ、フランス、そして今回ポルトガルだ。それだけではない。「スペイン、ギリシャ、アイルランドも脱退を検討している」(UNIDO関係者)というから大変だ。

 ユムケラー前事務局長とその仲間たちのミスマネージメントが加盟国のUNIDO離れを加速させていったことは間違いない。フランスは昨年、UNIDOの脱会を決定したが、同国がUNIDO脱会を決定した最大の理由はユムケラー前事務局長の腐敗問題だった。ただし、ポルトガルは李勇事務局長就任(昨年8月1日)後の初の脱退国となる。

中国人初のUNIDO事務局長に就任した李勇氏は昨年12月2日から6日、ペルーの首都リマでUNIDOの第15回年次総会を開催、「リマ宣言」を採択して国連専門機関として再出発するつもりだったが、ウィーンに戻るや加盟国の脱退通達が待っていたというわけだ。

 ところで、李事務局長のテーブルには、スイスで開催中の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)での安倍晋三首相の基調演説内容を伝えた書簡があったという。
 安倍首相が中国の軍事拡大政策を批判したという内容だ。UNIDO関係者からは「ひょっとしたら、日本はUNIDOへの分担金支払いを意図的に遅滞して中国人事務局長を困らせようとするのではないか」といった懸念が囁かれだしたのだ。

 日本はUNIDO最大分担国(約19%、約1299万ユーロ)だ(その次はドイツ、中国と続く)。日本が脱退でもすれば、UNIDOの存続はほぼ難しくなる。そうなれば、UNIDOはニューヨークの国連開発計画(UNDP)に吸収される可能性が高まる。

 元財務次官の李勇氏は中国人民銀行通貨政策委員会のメンバー、国際金融危機対策国家タスク・フォースの一員だった。そのエリートの李勇氏をウィーンに派遣したのは、中国がUNIDOをアフリカなど開発途上国への支援拠点に利用する一方、欧州連合(EU)の窓口にも利用できるという計算があったからだ。中国の狙いは米国がいないUNIDOの支配だ。その中国が日本の攻撃をじっと我慢することはないだろう。

 これまで分担金だけを払い、おとなしくしてきた日本の外交が中国の反日攻勢に対して牙を剥き出して戦いに挑む場合、「UNIDOが日中間の外交戦の前線となる」というわけだ。

政治家が公用車を使用しない時

 欧州では大統領、首相級となるとその公用車はメルセデス・ベンツの高級車が多い。外交官でも大使級は同様だ。公用車はVIPのシンボルでもある。

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▲自転車で公務中の駐オーストリアのデンマーク大使をトップで報じる=メトロ新聞「ホイテ」(1月22日付)

 そのシンボルを脇に置いてオートバイ、最近では自転車を利用するVIPが出てきた。ウィーンのメトロ新聞「ホイテ」(1月21日)が自転車で颯爽と公務をこなす駐オーストリアのデンマーク大使、リセロッテ・プレスナーさんの写真を掲載している。

 オーストリア大統領府では毎年この時期になるとウィーン駐在外交官を招き、大統領との新年会を開くが、大統領府周辺は当日、大使用の2桁ナンバーのベンツがズラリと並ぶ。オートバイを見たことがない。まして自転車が大統領府の壁に横に置かれているのをこれまで目撃したことはなかった。それだけに、デンマーク大使の自転車はサプライズだ。

 ところで、大統領が夜、スクーターを乗って走っているところを目撃されて大きな話題となったばかりだ。フランソワ・オランド仏大統領だ。

 安倍首相は緊急時に私邸からオートバイに乗って公邸にくるという話が昨年、飛び出したことがある。野党・民主党から「どうして首相は公邸に住まないのか」と質問された時、菅義偉官房長官は昨年11月5日の衆院国家安全保障特別委員会で「安倍首相はいざというときオートバイに乗って公邸に飛んでくる。私邸から公邸まで15分間ぐらいだ」と説明したという。あくまでも仮定に基づく話だが、オートバイに乗って東京都内を疾走する安倍首相の姿は昔のテレビ番組の英雄、月光仮面を思い出させる。

 オランド大統領の場合、オートバイではなく、スクーターに乗ってパリ市内を走っているところを目撃された。同国週刊誌「クローサー」によると、大統領は大統領宮殿から夜、黒ヘルメットを着けてスクーターで愛人(女優)が待っている場所まで飛ばし、早朝、再びスクーターに乗ってエリゼ宮に戻ってきたという。

 フランスでは大統領の愛人問題は政治問題とはならない。政治家のプライベートを尊重する慣習が強いからだ。問題視されたとすれば、大統領が逢引のために乗ったスクーターがフランス製ではなく、イタリア製のスクーターだった、という点らしい。大統領の逢引に使用されたイタリアのスクーター製造会社は「絶好の宣伝」と笑いが止まらない、といった憶測記事まで流れる有様だ。

 当方が理解できない点は、どうしてオランド大統領は愛人との逢引の為にスクーターを利用したかだ。タクシーを利用するなり、信頼できる友人の車を借りるとか、別の可能性があったはずだ。それをスクーターに乗って市内を走ったのだ。余りにも冒険的だ(ただし、エリゼ宮と愛人宅は距離的に近いのでスクーターを利用した、という情報がある)

 愛は人を狂わせる。スクーターで愛人宅まで走った大統領は愛の虜となっていたのだろうか。ちなみに、フランスは核保有国であり、大統領はその総責任者だ。大統領が一瞬とはいえ、正常な思考を失い、愛に夢中だったとすれば、少々怖い話だ。
 フランスのメディアはその点をもっと追求すべきだが、あまりそのような記事を見ない。スクーターに乗って逢引する大統領の姿と国家安全保障問題がメディア関係者の頭の中でひっつかないのだろう。

 まとめる。デンマーク大使の話はほほえましい。安倍首相の場合、月光仮面を彷彿させる。オランド大統領の場合、国家の安全保障とも密接な関連があり、本来は無視できない問題だ。
 いずれにしても、政治家や外交官が公用車を置いて別の交通機関を利用す時、警備上注意が必要なだけではなく、国家の命運に関わる事態がいつ生じるか分からない時代だけに、どのような時でも対応できるように通信手段だけは確保しておかなければならない。


日中間の軍事衝突は回避できるか

 第一次世界大戦が勃発して今年で100年目を迎えるが、スイスで開催中の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で安倍晋三首相が外国メディアの日中関係についての質問に答え、「「第一次世界大戦前の英独関係に似ている」と説明したという。

 安倍首相は「英独両国は緊密な経済関係があったが衝突した。日中両国で軍事衝突が起きないようにしなければならない」と付け加えている。首相の発言は最後まで聞けば問題ないが、一部のメディアはいつものように拡大解釈して報じている。 

 現在の日中関係と大戦前の英独関係の類似性を指摘した安倍首相の発言内容を考える前に、第一時世界大戦は回避できなかったのかを少し考えてみた。 

 第一次世界大戦前の欧州指導者の間では、「戦争はもはや回避できない」といった雰囲気があったことは事実だ。エドワード・グレイ英外相は当時、「どの人間もそれを(対独戦争)阻止できない」と戦争宿命論を主張し、英国の参戦を支持したことはよく知られている。

 ハーバード大学の国際政治学者ジョセフ・ナイ教授はオーストリア日刊紙プレッセ(20日付)に寄稿し、そこで「第一次世界大戦前、多くの政治家は戦争は回避できないと考えていた。戦争宿命論が社会的ダーウィ二ズムによって強められた時代だった」と述べている。

 第一次世界大戦勃発の結果、約2000万人が犠牲となった。ドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国は弱体、崩壊し、オスマン・トルコ帝国は消滅、1917年のロシア革命で共産主義が台頭する一方、米国と日本が世界の政治の檜舞台で上がってきた。そして、ファシズムが台頭してきた。いずれにしても、第一次大戦後、世界の情勢は大きく変わったわけだ。

 ところで、政治学者の間では、現在の日中関係ではなく、米中関係が第一次世界大戦前の政情と類似している、と懸念する声がある。それに対し、ナイ教授は「米国と中国はエネルギー、地球温暖化問題、金融安定などグローバル問題を抱えているから、最終的には協調路線を強いられるだろう。1914年当時、ドイツは英国の国力に接近していたが、米国の国力は中国のそれを大きく引き離している。当分の間、その格差は縮まらないだろう」とみている。
 
 ちなみに、ナイ教授はキューバ危機(1962年10月)を例に挙げて、「米ソ両国は戦争となれば(核兵器が投入され)莫大な犠牲が出ると懸念し、最終的には軍事衝突を回避した。1914年の時、そのような懸念があったならば、戦争を回避できたかもしれない」と述べている。一種の核兵器の戦争防止効果論だ。

 戦争不可避論者、宿命論者はジャン・カルヴァンの完全予定説を想起させるうえ、同じ過ちを犯している。人間には自由意思があり、戦争を回避できる選択権を有しているからだ。
 ナイ教授は「第一次世界大戦は決して不可避ではなかった。政治的誤算はいつでも生じるが、危機は正しい決定で最小限に制限できる」と主張している。

 安倍首相が指摘したように、日中両国の政治情勢は、1914年前の英独関係と類似している点もあるが、体制や国際情勢はまったく異なっている。ただし、ナイ教授が警告するように、政治的誤算はどの時代でも生じる危険性がある。

 日中間で軍事衝突が発生すれば、膨大な犠牲が出ることは明らかだ。私たちは21世紀に生きている。前世紀の2つの大戦から学ばなければならない。政治家の責任は大きい。

北の国民を撮り続けるカメラマン

 イタリア人のカメラマン、ルカ・ファチョ氏(Luca Faccio=写真)は「韓国と北朝鮮は歴史的、文化的にみても共通の場を有している。南北に分断されたために、両国は違ったようにみえるだけだ」という。

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▲ルカ・ファチョ氏

 2005年からこれまで6回、北朝鮮を訪問し、写真を撮ってきた。初めは撮影も難しかったが、今では北の国民の生活風景を撮影できる数少ない欧州カメラマンとして韓国でも認められている。

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▲ファチョ氏の写真「故金主席像前で献花する市民」(2014年1月21日、ウィーンの芸術家ハウスで撮影)

 そのファチョ氏の写真・ビデオ展示会が22日から来月23日までウィーンの芸術家ハウスで開催中だ。同氏にとって、07年以来の展示会だ。

 それに先立ち21日夜、ゲストや報道関係者が招かれたので出かけた。公式の開会挨拶まで時間があったので同氏と話す機会があった。以下、同氏との会見だ。

 ――今回の展示会のテーマは「共通の場」だが、南北間に共通の場は存在するのか。

 「南北両国の国民の外貌、その歴史、文化、食文化まで同じだ。南北が分断されて両国国民の接触は途絶えたが、その共通性は今も変わらない」

 ――それでは、両国の相違点は何か。

 「今回の展示会は右フロアには韓国で撮影した写真を、左フロアには北での写真を、そして中間フロアには南北両国の国民やその風景を展示した。あなたが、両国の相違点を知りたければ、中間フロアの両国の写真を比較してみればいいだろう」

 ――南北は分断後、あらゆる分野で異なった発展を遂げてきた。経済分野では両国間の相違は大きい。

 「それでも両国民は同じ民族だよ」

 ――あなたは報道関係者の政治的な質問を拒否しているが、金正恩氏が国家指導者となって以来、北は変わったと思うか。

 「自分は昨年3月、平壌を訪問した。2005年の初訪朝の時は写真撮影も難しかったが、昨年は欧州人の自分と一緒に写真を撮ってほしいと市民のほうが近づいてきたよ。また、数年前、米国人と写真を一緒に撮ることは考えられなかったが、米元バスケットボール選手が国家指導者と写真を撮る時代になった。その意味で、北も変わってきていると感じている」

 会見後、ファチョ氏の写真を見て回った。北の展示フロアではカメラに向かって畏まった国民の顔、路上で遊ぶ若者の姿が印象的だった。
金日成主席像前で献花する女性の写真が展示されていた。写真は一人の市民が献花するところだが、主席像は両足しか映っていない。画面に入らなかったのではなく、意図的に主席像の両足の一部を背景に、献花する市民の姿を撮ったのだろう。同氏が何かメッセージを伝えたようとしていると感じさせる写真だ。

 北朝鮮では張成沢氏の処刑、その後の粛清など生々しい政変が続き、国民は食糧すら満足に得られない。一方、韓国は経済発展を遂げたが、国民の精神生活は空洞化し、価値や伝統が喪失してきた。それらの情報に接していると、ファチョ氏の写真は余りにもドライな印象を受ける。日常生活を撮影しているが、国民の生の声は被写体からは浮かび上がってこない。ただし、厳しい状況下で南北国民の素顔を映し出そうとするカメラマンの懸命な吐息は伝わってくる。

 なお、展示会主催者側の説明によると、「前回の展示会には南北両国の駐オーストリア大使が参加したが、今回は両国とも大使参加を見合わせた。朝鮮半島の政治情勢が反映しているからだろう」という。


 

 

オイゲン・フロインド氏の悩み

  オーストリア国営放送(ORF)の夜7時半のニュース番組(Zeit im Bild)でアンカーを務めたオイゲン・フロインド氏(Eugen Freund)が今年5月に実施される欧州議会選挙に与党社会民主党の第一位候補者として出馬することになった。

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▲フロインド氏を報道すルオーストリア日刊紙エストライヒ(2014年1月21日、撮影)

 昨年末、ORFを定年退職したフロインド氏は社民党のオファーを快諾し、社民党候補者として出馬発表の記者会見に出たばかりだ。

 報道出身者ということもあって、フロインド氏は昔の同僚、ジャーナリストのインタビュー申込みには積極的に応じてきたが、それが最初の躓きとなった。

 週刊誌プロフィールとのインタビュ―で、記者から「フロインドさん、一般労働者の平均月収はいくらかご存知ですか」と質問された。人の良いフロインド氏は余り考えずに「3000ユーロではないですか」と答えてしまったのだ。3000ユーロといえば、約42万3000円になる。

 アルプスの小国オーストリアの一般労働者の平均月収は手取り約1360ユーロ(約19万2000円)だ。3000ユーロを稼ぐ労働者はほぼいない。フロインド氏のツイッターには「あなたは労働者の生活を知らない」「失望した」「あなたはエリート出身者に過ぎない。国民の生活を考えることができるのか」といった類の批判が殺到したのだ。同日のニュース番組でも「フロインド氏の3000ユーロ」発言はトップ・ニュースとして報じられた。

 社民党党首であり、フロインド氏を政界にスカウトしたファイマン首相は失言の影響を最小限度に抑えるために腐心。ただし、その直後開かれた社民党会合ではフロインド氏の発言の影響を懸念する声が出てきた。
 「労働者の政党という看板を掲げる社民党の候補者が労働者の生活を知らないことを暴露してしまった」といった声だ。

 社民党幹部の1人は「確かにマズいが、彼に第2のチャンスを与えるべきだ」と擁護。それに対し、「第2のチャンスはいいが、3度、4度となれば党としては考えざるを得なくなる」といった警告を発する声まで飛び出した。

 党会合では、フロインド氏の失言防止のために、同氏に党政策と路線を教育する一方、党から秘書(監視人)を派遣することなどの対応を取ることで一応落ち着いた。

 肝心のフロインド氏は自分の発言がメディアで叩かれるのを困惑な思いで受け取っている。特に、自分が久しくアンカーを務めた夜のニュ―ス番組の中で、他の民間放送と同様にフロインド氏の発言をシニカルに報道されたことは、本人にとってはかなりのショックだったようだ。

 政治学者は「ジャーナリストが政界に転身した場合、これまでのように自由に発言できない。フロインド氏は政治家として多くのことを学ばなければならない」と指摘している。

 フロインド氏は外交問題専門記者で米特派員などを経験してきたベテラン・ジャーナリストだ。同氏は社民党から声をかかられた時、「党は自分の著名度を理由に選出したのではなく、私の長いジャーナリストとしての経験を評価して選出したと信じている」と述べていた。

 オーストリアでも過去、ジャーナリストから政界に転身した報道関係者はいたが、多くは1期どまりで政界から足を洗っている。報道関係者が政治家に転身するのは考えられているほど簡単ではないわけだ。

 ジャーナリストと政治家は密接な関係がある一方、両者に求められる資質は異なる。前者は相手を批判し、質問する側だが、後者は批判され、質問を受ける立場だ。両者の相違をしっかりと理解していないととんでもない失敗をしてしまう。
 これまで政治家を批判してきた記者がある日、元同業者から厳しく批判にさらされた場合、フロインド氏のように困惑に陥るわけだ。

中韓の「記念碑」と「記念館」の違い

 中国黒竜江省のハルビン駅で20日、「安重根義士記念館」が一般公開された。初日は300人余りが訪れたという(安重根は1909年10月26日、中国・ハルビン駅で伊藤博文初代韓国総監を射殺し、その場で逮捕され、10年3月26日に処刑された)。

 読売新聞電子版(20日)によると、「ハルビン市の出資で、駅の貴賓室に作られた約100平方メートルの館内には、朝鮮独立運動家となった安重根の生涯や、同駅で1909年に伊藤博文・初代韓国総監を暗殺した時の様子などを説明したパネルが展示された」という。

 中国と韓国両国は反日で連携を一層深めてきたわけだ。同時に、反日の両国の間にも微妙な違いがあることが明らかになった。換言すれば、韓国の「記念碑」建立案と中国の「記念館」建設の相違だ。

 安重根記念館の話は 韓国の朴槿恵大統領が昨年6月に訪中した際に、習近平国家主席に提案したものだ。習主席は当時、関係機関に検討を指示したと報じられた。
 朴大統領の提案の段階では、「安重根記念碑」の建立だったが、中国側が一方的に“格上げ”して「安重根記念館」を建ててしまった。

 韓国側は、中国が記念館を建立すると知った時、少なからず驚いたはずだ。もちろん、「どうして記念碑ではなく、記念館を建てたのか」といった野暮な質問はしなかっただろう。韓国の聯合ニュースによると、同国外交部当局者は20日、「韓国政府はハルビン駅に安義士の記念館が開館したことを歓迎し高く評価する」とコメントしている。

 記念館開設のニュースを聞いたとき、当方は「中国らしいやり方だ」と感動すら覚えた。中韓両国は反日政策で一致しているようだが、当然のことだが、戦略と国益では微妙に違いがあるということだ。

 韓国側は日本に「正しい歴史認識」を要求してきた。日本でテロリストと言われている安重根の記念碑を中国の地で建立できれば、大きな外交勝利だ。その目的のためには、経費や土地、異国の地などの諸般の事情を考慮すれば、記念碑で十分という計算があったはずだ。だから、朴大統領は「記念碑でも……」と打診したわけだ。

 一方、記念碑ではなく、記念館を建立した中国は国民に反日と愛国主義を鼓舞する機会として利用できる。記念碑では通行人が見落として通過するだけで国民に十分アピールできない。その上、安重根の名前を知っている中国人は余り多くない。だから、国民に説明しなけれならない。それには記念碑では難しい。文献やパネルなどを掲示する記念館がどうしても必要だ、となったわけだ。

 韓国側は中国の「安重根記念館」建立に感謝を表明しているが、中国側の連携と過大な対応に一抹の不安を感じているのではないか。反日政策で中国に主導権を握られ、利用されるのではないか、といった恐れだ。

 中国共産党政権の反日政策は戦略的であり、状況が変われば安易に放棄できる。一方、韓国の場合、感情的で長期的戦略に欠ける。だから、両国の反日連携は決して盤石な土台に立っているわけではないのだ。

 ちなみに、安重根は当時、その著書「東洋平和論」の中で中華思想の驕りを批判している。韓国人の中国に対する歴史的な警戒心は消滅していないのだ。

 なお、菅官房長官は20日午前の記者会見で、「安重根はわが国の初代韓国総監の伊藤博文を暗殺したテロリストであり、犯罪者だ」と従来の主張を繰り返し、テロリストの記念館開館というニュースに最大級の抗議を表明している。
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