ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2013年12月

金正恩氏の誕生日は祝日でない

 明日から2014年がスタートする。14年には欧州議会選挙、インド総選挙が予定されている一方、日本では2月、猪瀬知事の退陣を受け東京都知事選が挙行される。同時に、第一次世界大戦勃発100年目を迎え、関係国では記念イベントが予定されている。スポーツ・ファンにとっては、2月のソチ冬季五輪大会、6月12日からFIFAワールドカップのブラジル大会の2大イベントが待っている。

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▲風になびく北の国旗(2013年4月11日、ウィーンで撮影)

 ところで、新年の北朝鮮はどうだろうか。父親の金正日総書記から政権を世襲した金正恩第1書記は3年目に入り、いよいよその政治手腕が問われる年となる。父親・金正日総書記の突然の死去で政権が転がり込んできた直後、叔父の張成沢氏の入れ知恵もあって不足するカリスマ性を補うために祖父・金主席の言動を摸倣してきた。父親とは違い、重要な大会では生の演説をし、髪型も祖父に似たスタイルに変え、祖父世代にノスタルジーを呼び起こした。同時に、ファースト・レディ李雪主夫人を連れて遊園地やコンサートを鑑賞し、若い世代向けにも新鮮なイメージを与えることも忘れなかった。

 しかし、祖父摸倣プロセスもここにきて一息をつき、独自のスタイルを前面に打ち出す新しいイメージ作戦に乗り出した。祖父の生誕101年祭で祖父の功績を称えるというより、米韓との軍事抗争に立ち向かい「孤高の指導者」というイメージを前面に出し、祖父の功績を想起するといった懐古趣味はまったくない。その矢先、2年間余り、政権を背後から支援してきた叔父を処刑することで、3代世襲政権で初めて親族を処刑した指導者として国民に記憶されることになったわけだ。

 注視していたことは1月8日の正恩氏の誕生日が公休日となるかだ。過去2年間、正恩氏の誕生日は同国のカレンダーには祝日ではなかった。北朝鮮では故金正日労働党総書記時代、故金日成主席と総書記の誕生日は国家祝日だった。故金主席の誕生日4月15日は「太陽節」、故金総書記の誕生日の2月16日は「民族最大の名節(祝日)」に定められ、国家祝日となっている。国民はその日、特別の食糧配給を受けたり、子供たちにはお菓子などが配られたものだ。北消息筋が「金正恩氏はは自身の誕生日はあくまで個人の問題であり、国家祝日として祝うものではないと考えている」と説明していたことを思い出す。なお、北情報誌デイリーNKによれば、「2014年も法廷祝日に指定されていない」という。

金正恩第1書記は今年1月1日、「新年の辞」の中で「経済強国建設」を今年の主要目標に掲げ、経済特区を設置し、外資誘致などの改革に乗り出す姿勢を示したが、張氏処刑でその経済政策も水泡に帰した感じがする。金正恩氏にとって、「張氏問題は終わった。次は経済立て直しだ」ということになるが、国際社会は金正恩氏の恐慌政策にショックを受け、北側との経済交流といった雰囲気はまったくない。

 金正恩第1書記は3月31日、労働党中央委員会総会で「経済・核武装並行路線」を表明したが、金第1書記の唯一領導体制を確立した北がどのような道を模索するかは、朝鮮半島ばかりか、世界の政治状況にも影響する重大関心事である点では新年も変わらないだろう。

当方が選んだ「今年の人」

 2013年はあと1日でその幕を閉じ、新しい年が訪れる。そこで遅くなったが、この1年間を振り返る。「当方が選ぶ10大ニュース」としたいところだが、「当方が選んだ3大ニュース」に絞った。

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▲第265代法王べネディクト16世(ウィキぺディアから)

 今年のトップ・ニュースはローマ法王べネディクト16世の退位だ。第2は米国家安全保障局(NSA)の世界的盗聴工作が発覚、そして第3は北朝鮮の張成沢国防副委員長の処刑だ。

 当コラムでは、“なぜべネディクト16世の退位”を今年最大ニュースと選んだかを以下、説明する。米誌タイムは今月11日、恒例の「今年の人」にローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王フランシスコを選出したと発表した。多くのメディアも南米初の法王、フランシスコ法王の登場を今年の重要ニュースに選んでいるが、現法王の評価は来年以降のバチカン改革の動向次第であり、現時点の評価は時期尚早だ。一方、べネディクト16世の退位表明は世界12億人の信者を有するローマ・カトリック教会に大変革の時を告げた。その影響は今後、さまざまな形で現れてくることが予想されるのだ。

 ローマ法王べネディクト16世は2月11日、心身の限界から退位を表明した。ドイツ人法王は「健康問題」を退位の動機と語ったが、後日、知り合いに対し、「、「神が退位するように言われたからだ」と初めてその真意を明らかにしている(カトリック系ニュース通信社「Zenit」)。
 興味深い事実は、719年ぶりのローマ法王の生前退位表明前後に神秘的な現象が見られることだ。例えば、べネディクト16世が今年2月11日、退位表明した直後、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の頂点に雷が落ちた。イタリア通信ANSAの写真記者が雷の落ちた瞬間を撮影した。イタリアのメディアは一斉に「神からの徴(しるし)か」と報じたほどだ。

 それだけではない。聖マラキはべネディクト16世がローマ・カトリック教会の最後の法王と預言しているのだ。聖マラキは1094年、現北アイルランド生まれのカトリック教会聖職者で預言能力があった。彼は「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ法王ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ法王を預言している。そして最後の法王は生前退位したベネディクト16世だ。

 聖マラキはベネディクト16世について「極限の迫害の中で着座するだろう。ローマ人ペテロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る、終わり」と預言した。実際、前法王は就任中、聖職者の未成年者への性的虐待事件の発覚、バチカン銀行の不祥事、法王執務室からバチカン内部機密が外部に流出した通称バチリークス事件など多くの難問に直面し、その対応に苦慮したことはまだ記憶に新しい。
 このように、べネディクト16世の退位表明には、神の関与を予感させるものがあるのだ。

 ローマ・カトリック教会ではローマ法王は本来、終身制であり、絶対的な権威を有してきた。1870年には、第1バチカン公会議の教理に基づき、「法王の不可誤謬性」が教義となった。ペテロの後継者ローマ法王の言動に誤りがあり得ないというのだ。「イエスの弟子ペテロを継承するカトリック教会こそが唯一、普遍のキリスト教会」という「教会論」と共に、「法王の不可誤謬性」は、カトリック教会を他のキリスト教会と区別する最大の拠り所だった。

 そのローマ法王べネディクト16世が生存中に退位を表明したのだ。英国国教会のローワン・ウイリアムズ前大主教(在位2002年〜12年)は「べネディクト16世の法王退位表明はペテロの後継者として絶対的権威を有してきた『法王職』のカリスマ性を削除し、(法王職の)非神秘化をもたらす可能性がある」と指摘している。換言すれば、ペテロの後継者ローマ・カトリック教会はべネディクト16世の退位後、これまで踏み込んだことがない道を歩みだすことになったわけだ。その影響はバチカン法王庁だけではなく、世界のキリスト教会との関係にも及ぶことが予想されるのだ。

 べネディクト16世の退位を受けて3月、システィーナ礼拝 堂.で次期法王選出会(コンクラーベ)が開かれ、フランシスコが選出されたことは周知のことだ。「貧者の教会」を標榜し、教会内外から歓迎されたフランシスコ法王は米タイム誌で「今年の人」に選ばれたが、バチカンの改革の時を告げたのは前法王べネディクト16世だ。その意味で、前法王こそ「今年の人」だ。前法王が告げた改革を、後継者のフランシスコ法王が具体的に取り組むことになる。その最初のハードルは来年2月以降に訪れる。 

拡大するクリスチャン・フォビア

 イタリアの「宗教の自由監視」調査官、トリノの社会学者マシモ・イントロヴィニエ氏(Massimo Introvigne)は「宗教活動で殺害されたキリスト者は今年、少なくとも8万人と推定される」という。バチカン放送とのインタビューの中で語った。

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▲イタリアのミラノ大聖堂(2012年8月、撮影)

 「統計は非常にあいまいな点もある。なぜならば、アフリカでのキリスト者の迫害が宗教理由によるのか、それとも部族間の闘争の結果かで、数字は全く異なってくるからだ。例えば、コンゴや南スーダンのキリスト者の迫害をどのように見るかで統計は異なってくる」と説明したうえで、「アフリカのケースを除くと、今年はキリスト者の犠牲者数は少なくとも8万人と考えられる。犠牲者数は昨年(10万人)より減少したが、キリスト者への迫害は世界的に拡大してきている」という。
 
 米国務省発行の「2013年宗教の自由レポート」によれば、宗教迫害が強い国はビルマ、中国、エリトリア、イラン、北朝鮮、サウジアラビア、スーダン、ウスべスキスタンだ。イントロヴィニエ氏によれば、「最悪国は北朝鮮だ。北では聖書を持っているだけで強制収容所に送られ、多くは処刑されている」という。その一方、「迫害が厳しいのにもかかわらず、北ではキリスト教の信仰を求める青年たちが絶えない。」と述べ、北でキリスト教への関心が静かに広がっていることを示唆した。

 北朝鮮の首都、平壌は“東洋のエルサレム”と呼ばれ、キリスト教活動が活発な時代があったが、故金日成主席が1953年、実権を掌握して以来、同国にいた約30万人のキリスト者が消え、当時、北に宣教していた大多数の聖職者、修道女たちは迫害され、殺害された。それに対し、北側は「通称、宗教問題に関する米国のわが国への批判は根拠のない、政治的扇動に過ぎない。わが国ではコリア型社会主義国家のもとで宗教の自由は保障されている」(労働新聞)と反論したことがある。

 一方、アフリカでの宗教弾圧について、例えば、ナイジェリアでは他宗派の信者を殺害するイスラム過激派テロ組織が暗躍している。アフリカの最大人口を誇るナイジェリアのイスラム過激派グループ「ボコ・ハラム」(西洋の教育は罪)だ。「ボコ・ハラム」は教会、学校を襲撃し、教室を爆発し、教師を殺害するなど、テロ活動を繰り返してきた。同テログループは過去4年間で3600人以上を殺害したという。

 ナイジェリアは、1960年の独立後、クーデター、内戦を繰り返してきた。99年にキリスト教徒のオバサンジョ大統領が就任し、軍政から民政に移行した。同国は36州から構成された連邦国家だ。北部はイスラム教徒、南部はキリスト教徒、アニミズムを信仰する住民が住んでいる。人口的には約半分がイスラム教徒、約40%がキリスト教徒だ。また、キリスト教国ケニア(人口の約80%がキリスト信者)の首都ナイロビでも隣国ソマリアから侵入した国際テロ組織アルカイダ系の「アル・シャバブ」によってキリスト信者達が殺されている、といった具合だ。

 米国内テロ多発事件(2001年9月)以降、イスラム教徒に対するイスラムフォビア(イスラム嫌悪感)現象が欧州の各地で広がっていったが、中東・北アフリカでは少数宗派のキリスト者への迫害(クリスチャン・フォビア)が拡大してきたわけだ。ただし、イントロヴィニエ氏は「キリスト者迫害はここにきて西側社会でも目撃されるようになった」と付け加えている。


 

われわれは「古代人」とは違うのか

オーストリア日刊紙クリア(25日付)はミハエル・ランダウ・カリタス会長と量子物理学アントン・ツァイリンガー教授との会見記事を掲載していた。そこでツァイリンガー教授は「神はいらない、宇宙はビックバン理論で誕生したからだと主張する者がいるとすれば、大きな間違いだ。全ての自然科学者はこの世界には説明できないものが存在することを知っている。量子物理学が神を発見することはない。神の存在有無は個人の決定問題だからだ」と述べている。

 さて、ベストセラーとなった「パイの物語」の著者、カナダの小説家ヤン・マーテル氏は「自分は神を信じているが、組織化された教会の神は信じない」と述べている。具体的には、既成のキリスト教会が主張する神を信じないというのだ。同氏の意見は今日、決して少数派ではない。神は信じるが、教会は信じない、といった声を良く聞くからだ。社会学者はその傾向を「教会の民営化」と表現している。

 近代に入って、欧米社会では「国と宗教」の分離が進められてきた。それに伴い、宗教はその権威を失い、社会の世俗化が進むにつれ信者離れが加速してきた、と一般的に受け取られてきた。しかし、独週刊誌シュピーゲルは「人間は生来、魔術や超自然なことに感じやすい。確信的な無視論者ですら、高次元の力の存在を感じる。教会だけがそれらに関心を持たない。教会の儀式は多くの人々には余りにも冷たく、抽象的過ぎる」と述べている。換言すれば、教会が超自然現象や魔術などを削除していった結果、人々の教会への関心は薄れていったというのだ。

 21世紀を迎えた今日でも、われわれの心の中には、古代人が感じてきた暗闇への恐怖、死への不安、死後の世界への恐れなどが潜んでいる。その意味で、現代人の心の世界は古代人が感じてきた世界と余りかけ離れていない。
 シュピーゲル誌によると、38%の人が「天使」の存在を、52%が「奇跡」を、そして24%が「再生」をそれぞれ信じているという。21世紀の現代人の世界には古代人が抱いていた超自然現象への畏敬が脈々と受け継がれているわけだ。

 ところで、カトリック教理の「天使論」では、神が人間を創造する前にいた「天使」は人間と神との間をつなぐ伝達役の立場だった。しかし、神がイエスという人間となって顕現して以来、天使を取り巻く状況は激変した。教会が、「神が人間(イエス)となった」と主張しだしたから、伝達役の天使はその役割を失い、失業状況に陥ったわけだ。天使についてカトリック教理が寡黙な理由はその辺にあるのだろう。

 カトリック教会は超自然現象の奇跡でも同様だ。 例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ西約50キロにある聖母マリア再臨地メジュゴリエにはこれまで1000万人以上の信者が巡礼しているが、バチカンはその巡礼地を今日まで公認していない。
 ちなみに、バチカンは1978年、超自然現象の評価に関する規約を作成したが、カトリック教会は「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」と主張してきた(バチカンが公認した聖母マリア降臨の地はルルドやファテイマなど数少ない)。

 釈尊がいった「四苦」(生、老、病、死)の運命から逃れることができない人間には、超自然現象や奇跡を求める願望が常に息づいている。それをわれわれは「宗教心」と呼んでいるのかもしれない。現代の組織化した宗教が魅力を失っていったのは、人間の四苦に対して冷淡過ぎたからだけではなく、超自然現象、奇跡などを可能な限り排斥してきた結果かもしれない。

 もちろん、「宗教心」はご利益的なものを追い求めるだけではない。理想社会への飽くなき願望、本来のアイデンティティの模索など、人間が失った世界を回復しようと働きかけるのも「宗教心」だろう。ただし、現世の苦界を生きる多くの人々にとって、前者の「宗教心」が強いのは当然かもしれない。

「彼」は5月頃、危機を知っていた

 以下は、「『彼』の行方とその生存を確認せよ」(2013年12月19日)の続報だ。「彼」とは、故金正日第1夫人の娘婿、尹ソンリム氏だ。ウィーンの国連機関に長い期間、勤務してきたが、この秋、突然、姿を消した。ここでは尹氏を「彼」として書いていく(「故金正日第1夫人の故成恵琳さんの娘婿が消えた」2013年11月11日参考)。「彼」は、金正男氏(故金総書記の長男)の欧州での連絡役だったとみられていた。

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▲尹氏が勤務していたウィーンの国連の全景(2013年12月17日、撮影)

 「彼」は遅くても9月27日にはウィーンを去ったことが分かった。「彼」の行方はスイス・ジュネーブだ。なぜ、ジュネーブに姿を消したか、新たな疑問も出てきた。

 情報源によると、「彼」は5月頃、移転する意向を大家に通知している。引っ越しの場合、3か月前にアパートメントのオーナーに通達しなければならない義務がある。9月27日が契約切れ日とすれば、「彼」は6月27日か、その前に貸主に引っ越しを連絡したことになる。ウィーン郊外の引っ越し専門会社に家財などの引っ越しを依頼している

 この情報を入手した時、少し、戸惑った。なぜならば、「彼」は張成沢処刑とは関係がなかった可能性が出てくるからだ。「彼」が早ければ5月の段階でウィ―ンを後にする考えがあったことになる。日韓メディアの情報によれば、8月末頃、張派粛清が始まり、11月に入ると、一層激化している。すなわち、「彼」の逃避は張派粛清とは全く関係のないことになるからだ。

 そのように考えてい時、韓国聯合ニュースが22日、北朝鮮の金正恩第1書記が6月の演説の中で処刑された張成沢元国防副委員長の罪状を挙げ、「同床異夢」「陽奉陰違」(面従腹背の意)という表現で反党行為を批判していたというニュースを流した。それが事実とすれば、「彼」が5月、6月の段階でウィーンから姿を消す逃避計画を建てたとしても可笑しくない。換言すれば、「彼」の逃避説はやはり十分考えられることになる。ひょっとしたら、金正恩氏から平壌の政変の情報を早い段階で入手していたのかもしれない。

 当方は4月にも「彼」と会って話している。「彼」は国連工業開発機構(UNIDO)との契約が延長されたといっていた。当方が「良かったですね」というと、「彼」は笑って頷いていた。すなわち、その段階では「近いうちにウィーンを出ていかなければならない」といった緊急事項は何もなかったはずだ。引っ越し(逃避)はその後、何かが起こったからだ、と推測できるわけだ。
 
 もう一つの疑問は、「なぜ、ジュネーブに急遽、引っ越ししたか」だ。スイスと北朝鮮は伝統的に友好関係だ。例えば、金正恩第1書記もスイスの国際学校に留学している。スイス駐在の李徹大使(当時)は1980年からスイスのジュネーブに駐在し、金ファミリーの海外資金を管理してきたが、2010年3月末、平壌に帰国し、金正恩第1書記に仕える側近の一人となっている。
 ジュネーブには国連ジュネーブ事務局(UNOG)の欧州本部がある。専門機関として国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)、世界知的所有権(WIPO)の本部が周辺にある。文字通り、国際都市だが、人口20万人弱の小都市だ。逃避先としては理想ではない。ちなみに、ジュネーブ郊外には故金総書記が数百万ドル相当の大別荘を購入している。当時、金ファミリーの亡命用ではないか、といった憶測が流れたことがあった。

 オーストリア内務省の知人は「やはり、金の問題だろう」という。すなわち、「彼」は金ファミリーの一部資金を管理していたのではないか、というのだ。「彼」がジュネーブに逃避し、そこで隠れ資金(正男氏の資金?)をピック・アップした後、ジュネーブから再び姿を消す可能性は考えられる。ジュネーブに留まり続けることは危険だからだ。いずれにしても、「彼」が生存している可能性が出てきた。

ヒジャブを着たラッパーの衝撃


 独週刊誌シュピーゲル最新号が届いたのでいつものように後ろのページから読みだした。死亡欄の前に小さなインタビュー記事が掲載されていた。エジプトの女学生でラッパーのMajam Mahmudさん(18)との会見記事だ。アラブでもラップ(rap)音楽があるとは知らなかった。それも女性ラッパー(Rapper)だ。ヒジャブを着て舞台で歌う彼女の姿はエジプト社会を驚かせたという。

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▲クリスマスの日、当方の仕事部屋から見た朝焼け風景(2013年12月25日、撮影)

 シュピーゲル記者が「母国での差別や性的ハラスメントについてどうして書くのか」と聞くと、Mahmudさんは「エジプトでは女性はもう耐えられないのだ。毎日がストレスだ。エジプトの次の革命は女性革命だろう」という。アラブ諸国では自動車の運転すらできないサウジアラビアの女性たちのことはよく聞いてきたが、エジプトでも女性は多くの迫害と差別を受けている。「90%以上の女性が性的ハラスメントを体験し、路上を一人で歩くことが危険と感じている」という報告があるほどだ。
 「若い女性がガミガミと叫ぶと扇動だと受け取られるのではないか」という質問には、「怖くはない。誰も私を裁くことはできない。結婚が若い女性の最大の人生目的と考えているエジプト社会で何を期待できるのか。人が女性に『お前は処女か」と聞くのは堪えられない。なぜ、人は未婚の男性に『お前は童貞か』と聞かないのか」と単刀直入に答える。

 そして2011年のエジプトのアラブの春(民主改革)について、「エジプトではまだ本当の革命は始まっていない。社会の変化は体制の変化によってもたらされるのではない。先ず、人々が変わらなければならない」というのだ。この箇所を読んだ時、貧者救済に生涯を捧げた修道女マザー・テレサの同じ言葉を直ぐに想起した。テレサが語った言葉を18歳の若いエジプトの女性ラッパーがさらりと語っているのだ。

 最後に、「自分は女に生まれ、男でなかったことを残念に思ったが、今は違う。女性で生まれたことを誇りに思っている。なぜならば、女性は大統領になる子供を産むことができるだけではなく、自身が大統領にもなれるのだ」と答えている。驚くべき18歳だ。

 当方は2年前、中東会議でシリアの女性に会う機会があった。若いが弁護士として活躍している女性だ。食事をしながら話していると、彼女は突然、「私は11歳の時、結婚させられたのよ。相手は22歳の男性。両方の親たちが了解のもと、婚姻を約束したの。自分は勉強がしたかったので、学校に行き、それから米国に逃げていった。そこで勉強して弁護士になったのよ」(「当方が出会った中東の女性たち」2011年6月14日)という。驚く以上に、中東の女性たちが置かれている状況が欧米社会では考えられないほど大変だということだ。

 アラブ諸国、そしてイランでは女性たちは社会的さまざまな差別や迫害されているが、その一方、高等教育を受ける女性が多い。インタビューのMahmudさんの発言を読みながら、中東では今後、女性たちが主導的役割を果たしていくかもしれない、と強く感じさせられた。

 

クリスマスのフルコース

 今日はクリスマスだ。欧州のキリスト社会ではどこでもクリスマスを祝う。欧州に長く住むイスラム教徒の家庭でも子供にせがまれてゲストを招いたり、贈り物交換をするところがある。クリスマスの祝日だけは宗派間のハードルは案外、低い。

 アルプスの小国オーストリアの日刊紙エストライヒ(24日付)は国民がクリスマスをどのように感じ、祝っているかを調査した結果を報じていたので、読者に紹介する。国民の84%は「クリスマス」を重要な伝統と感じ、普段は足が遠ざかっている教会にも10人に1人はクリスマス礼拝に参加するという。

 興味深いのは「クリスマスは家で祝う」と答えたのは88%と圧倒的に多いことだ。18歳になると、家から独立する若者が少なくない欧州社会だが、クリスマスの日だけは家に戻り、家族と一緒に祝う。クリスマスが年1回、家族を呼び戻す祝日となっているわけだ。ただし、7%は独りで祝うと答えている。彼らにとって、クリスマス・シーズンは寂しさを一層感じる季節であり、「出来れば早くクリスマスが過ぎればいい」と感じているという。

 オーストリアでは4件に3件(約74%)はクリスマス・ツリーを買って、家で飾る。クリスマス・ソングのベスト・スリーは、第1位Stille Nacht(きよしこの夜)で、第2位はLeise rieselt der Schnee、第3位はO Tannenebaum(もみの木)だ。
 
 24日午後6時頃になると、いよいよプレゼント交換(Bescherung)の時だ。クリスマス・ショッピングで見つけたプレゼントを相手に贈る瞬間だ。多くは「相手がプレゼントをもらって喜ぶ姿を見るのがうれしい」という(クリスマス明けには、どの百貨店でも貰ったプレゼントの交換に来るお客で一杯となる。最近は、商品券をプレゼントする人もいる)。混乱する市内のショッピングを避け、オンラインでプレゼントを注文する人々が増えてきた。
 ちなみに、プレゼントは電気製品、化粧品、本、おもちゃ、お菓子、チョコレートからセーターやワイシャツなどが多い。毎年のことだから、プレゼント探しも容易ではない。クリスマス・シーズンには、プレゼント代など雑費が増えて、クリスマス明けになって、家計がパンクする家も少なくない。

 午後7時過ぎると、家族とテーブルを囲んで夕食だ。クリスマスの夕食には魚料理(19%)が好まれる。魚としてはコイとサケだ。そして夕食を終えると、クリスマス礼拝(Christmette)に参加するために家族と共に教会に行く。以上がクリスマスのフルコースだ。

 当方が欧州で初めてクリスマスを迎えた時、まだ独り者だったこともあって、友人が彼の実家に招いてくれた。クリスマス・ツリーの下には美しく包装された大小さまざまなプレゼントが置かれていた。当方にもワイシャツのプレゼントがあったことを覚えている。
 
 なお、気象庁によると、24日、25日の両日、ウィーンでは気温が10度前後と暖かく、残念ながらホワイト・クリスマスとはならないようだ。

“クリスマス”って「何の日」?

 24日はクリスマス・イブ、明日25日はイエスが誕生した日だ(イエスの生誕日の真偽についてはここでは議論しない)。世界の到る所で多くのキリスト信者がイエスの生誕日を祝う。これほど多くの人々からその誕生日を祝われる人はこの地上ではイエスだけだろう。

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▲ウィーンのクリスマス市場(2013年11月16日、撮影)

 しかし、私たちはイエスのことをどれだけ知っているだろうか。「ナザレのイエス」がどうして33歳で十字架に行かざるを得なかったか。その時、父親ヨゼフやマリアはどうしていたのか。なぜ、メシアの降臨を願っていた当時のユダヤの人々がイエスを迫害したのか。なぜイエスはもう一度、降臨しなければならないのか。再臨する時、イエスはどうして再び迫害されなければならないのか、等々、イエスの33歳の生涯とその言動には多くの謎がある。世界的な神学者として誉れの高い前ローマ法王べネディクト16世が昨年、その神学の知識を駆使して書き上げた「ナザレのイエス」3部作は残念ながら上記の問いに明確に答えていない。

 例えば、キリスト教会は「イエスの十字架の道は必然、不可避であり、神の計画(摂理)に基づく」と主張してきた。そして十字架上のイエスを仰ぐことで罪から救われるという。本当だろうか、過去、イエスの十字架を仰ぐことで罪から解放され、完全に救われた信者たちはいたか。聖パウロ自身が告白しているように、イエスの十字架を信じる敬虔な信者ですら、完全には救われていない、という現実がある。

 イエスはメシアとして神の国を建設するために生誕された。33歳の若さで殉教の道を行くのがイエスの使命ではなかったはずだ。新約聖書の「ヨハネによる福音書」5章を読んで頂きたい。イエスは「私は父の名によって来たのに、あなたがたは私を受け入れない」と嘆いている。十字架の道がイエスの使命だったら、嘆く必要はない。「コリント人への第1の手紙」2章8節では、「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし、知っていたならば、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」と記述されている。この聖句は決定的だ(「なぜ、イエスは十字架に行ったか」2012年4月9日参考)。

 ただし、イエスはその後、十字架の道を妨げようとする弟子ペテロに「サタンよ、引き下がれ」(マタイによる福音書16章23節)と責めている。この聖句だけを読めば、イエスは人類の罪を背負い、十字架にいくために降臨されたと受け取れる。すなわち、聖書には、全く矛盾する内容が予言されているわけだ。なぜか。人間の自由と責任という問題が関与してくるからだ。イエスに従うか、迫害するかは、人間の責任領域に属する。神は強制できないのだ。取って食べるな、という戒めも、エバとアダムが食べるか、戒めを守るかはエバとアダムの問題だった。聖書の中の矛盾する箇所はこのように解釈することで克服できるわけだ。

 それでは、イエスは聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのか。そうではない。例えば、英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で「イエスが聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのではなく、祭司ザカリアとヨセフの許婚者マリアとの間に生まれた子供だった」と主張している。
 
 ギブス氏によれば、「聖母マリアの処女懐胎説は後日、イエスの神性を強調するために作成されたもので、実際は祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた子供であった。イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちがその事実を知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」というわけだ(「イエスの父親はザカリアだ」2011年2月13日参考)。
 
 イエスの生誕を祝うクリスマスを前に上記のような内容を紹介したのは、イエスがどのようにして生まれ、なぜ迫害され、十字架に行かざるを得なかったか等を理解することで、33歳で亡くなったキリスト・イエスの苦悩が分かり、もっと愛おしく感じることができるのではないか、と思ったからだ。

北で最も粛清されやすい「男たち」

 「北で粛清されない『男』の生き方」を紹介したので、今度は「北で最も粛清されやすい男たち」を書く。ズバリ、経済担当関係者(エコノミスト)だ。彼らは起用された当初は政権中枢から用いられ、かわいがられるが、その時期は北では一般的に、短い。多くはその後、粛正され、処刑されている。

 最近の例を挙げる。2009年11月30日に実施された北朝鮮の通貨ウォンのデノミネーション(通貨単位変更)は国内経済を活性化させるどころか、混乱に一層拍車をかける結果となったが、同貨幣政策を実施した中心人物、朝鮮労働党の朴南基計画財政部長は2010年1月解任された後、「国家経済を計画的に破壊しようとする反革命分子」として処刑されたという。

 古い話では、1990年代、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を西側企業に紹介してきた北朝鮮の代表的“エコノミスト”金正宇氏も処刑されている。金正宇氏が自宅に数十万ドルを隠していたという汚職容疑だ。西側では「北朝鮮当局が経済自由地帯構想を危険と考え直し、撤回した結果」と受け取られた。

 当方は金正宇氏と会見したことがある、スイス・ダボスの「世界経済フォーラム」出席後、オーストリア商工会議所開催の「自由経済地帯説明会」に参加した時だ。円満な笑顔をたたえ、この人物が北から来た人物かと驚くほど、その振舞いは洗練されていた(「北朝鮮“エコノミスト”金正宇氏の囁き」2006年8月27日参考)。
 
 平壌の大城銀行の出向社員としてウィーンに駐在していたホ・ヨンホ氏はロンドン留学で経済学を学んだ若手エコノミストだった。北の対オーストリア債務返済を担当して活発に動いていたが、ある日、「投機に失敗した」との理由で帰国の指令を受けた。ホ氏とビジネスをしていたオーストリア人によると、「彼は処刑された」という、といった具合だ。当方が接触した範囲でも、北のエコノミストたちは悲惨な運命を味わっているのだ。

 北では経済関係者は上からの指令に基づいて政策を実施するが、経済路線がうまくいかなくなれば必ずその責任を取らされる。「経済改革をやれ」と命じた金正日総書記が責任を取ることは絶対になかった。

 そういえば、冷戦時代の旧ソ連・東欧諸国でも同じだった。チェコスロバキアの著名なエコノミストを思い出した。冷戦の終焉を迎える直前の1988年だ。チェコスロバキアの経済自由化理論を構築した後、スイスに亡命したオタ・シク氏とサンクト・ガレン大学内で会見したことがある。同氏は経済改革の旗手として、「中央計画経済」でも「資本主義経済」でもない「第3の道」を提唱したことで有名となり、チェコ共産党政権下で副首相を務めていた。シク氏は「市場メカニズムは民主主義体系下でしか機能しない」と、当方に熱っぽく語ってくれたものだ。

 それにしても、どうして旧ソ連・東欧や北朝鮮ではエコノミストの運命は芳しくないのか。賢明な読者ならば、その答えをご存知だろう。共産主義経済体制や独裁政権下では健全な経済マインドは成長しないから、その改革はどうしても中途半端に終わるからだ。

来年の干支「馬」とその「黙示録」

 ウィーンの大韓貿易投資振興公社(KOTRA、コトラ)に勤務している友人から2014年新年挨拶のメールが届いた。そこには馬の絵が描かれていた。それを見て来年の干支は馬だったことを思い出した。ただし、友人が送ってきたメールの馬は青い馬(Blau Horse)だった。青い馬には、「フレッシュなエネルギーをもって人生の目的を成就する」という象徴的な意味がある、と但し書きがあった。馬は生命力の旺盛な動物を象徴している、風水では財運、事業運を持っているとして、その方面の人々に好まれている。当方はこれまで青い馬を見たことがない。

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▲コトラから届いた新年挨拶メールの「青い馬」

 ところで、新約聖書の「ヨハネの黙示録」第6章を読むと、小羊が7つの封印を解いていくと、「白い馬」「赤い馬」「黒い馬」「青白い馬」と4色の馬が次々と登場する。そして「青白い馬に乗っている者の名は『死』といい、それに黄泉が従っていた」と記述されている。ちなみに、米国のデンバー国際空港では巨大な青い馬の像があるという。持ち主を殺したことからその青馬を“デーモン・ホース”と呼んでいるという。

 ヨハネが神の啓示を受けて記した預言書の「黙示論」では、「千年王国」の到来とイエスの再臨が予言されている。4騎士がそれぞれ白、赤、黒、そして青白の馬を乗って登場する。「白い馬」は一般的に高貴、栄光、勝利を意味し、「赤い馬」は戦争をもたらすと記述されている。ちなみに、赤は共産主義の台頭を意味し、「赤の貴族」といえば、共産党のノーメンクラトゥーラを指している。そして「黒い馬」は世界的危機の到来を意味し、飢餓をもたらし、「青白の馬」は先述したように「死」をもたらすというのだ。

 黙示論の「青白い馬」は、コトラの友人が書いたように、「フレッシュなエネルギーをもって人生……」といった韓国の伝統的な「青馬」とはまったく異なる内容だ。

 わたしたちは、「人類の終わり」を意味するといわれてきたマヤ暦のイヤー・ゼロ(昨年12月21日)を無事通過してきた。マヤ暦騒動は終わったが、マヤ暦問題を通じて「人間の歴史にもひょっとしたら終わりがあるかもしれない」と考えた人々もいただろう。
 宇宙物理学者のインフレーション理論によると宇宙は急膨張し、今も拡大し続けている。昨年2月、小惑星「2012DA14」が地球を通過したが、その大きさは45〜50メートル、推定13万トンだ。地球に衝突していたら、大被害が予想された。地球の終わりは想定外のところから到来する可能性が排除できないわけだ。

 今年も10日余りを残すだけとなった。来るべき新年に対して希望と共に、漠然とした不安を感じる人々も少なくないだろう。年末になると占いや予言書がよく読まれるのは、人々が不安を抱いているからだ。「不安」もビジネスとなる時代だ。

 読書の皆さんはマルク・シャガールの代表作「青い馬」をご存じだろう。黙示論の「青白い馬」とは異なり、青い馬は幻想的だ。新年が黙示論の「青白い馬」ではなく、コトラの躍動的な「青い馬」の年であってほしい。来年が皆さん、家庭、国家、そして世界にとってよりよい年になることを願う。
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