19日午前は新ローマ法王フランシスコの就任式典を独民放放送でフォローしていた。世界130各国以上からゲストが参加し、盛大の式典が挙行された。そこで感じたこと、気がついたことを忘れないうちに報告する。

▲就任式典に臨むフランシスコと歓迎するローマ市民(2013年3月19日、ドイツ「N-TV」中継から)
アルゼンチン出身のローマ法王はサンピエトロ広場を車でまわりながらローマ市民や世界の信者たちに手を振った。病人の前では車を止めさせ、そこで祈り、幼児には頬を付けて愛撫した。アルゼンチンからの巡礼者たちの前にくると、ウインクしながら笑顔を返した。少々はにかむ癖のあった前法王べネディクト16世とは異なり、春の光のように明るい新法王の仕草に、集まった信者たちは新鮮な感動を受けただろう。
ブエノスアイレス大司教だった新法王は確かに庶民的だ。プロトコールを重視し、それらを真面目にこなしていったドイツ人法王とは違い、人とのふれあいを重視する南米教会出身の法王は欧州人の目にも新鮮だ。
べネディクト16世は歴代最高峰の知性法王だったといわれた。その法王に欠けていたのは牧会力だったという。書籍を愛する一方、信者たちにその愛を表現することに長けていなかったからだ。その点、フランシスコは一流の神学者ではないかもしれないが、「貧者の教会」出身の牧会者だ。人々は愛に飢えている。知性のローマ法王より、愛を表現しようとする法王に信者たちが喜ぶのは当然かもしれない。
ジャーナリストの宿命か、当方はかなりひねくれている。普通の人々のように目の前の事実をストレートには受け入れない。先ずは疑う。実際、庶民派といわれた数多くの政治家や指導者が最終的には庶民派ではなく、権力欲のある人物に過ぎなかったことを数多く見てきたからだ。だから、「フランシスコは庶民的」といった受け取り方には依然、抵抗を覚える。
コンクラーベで法王に選出された後、バチカンの宿泊代を自分の財布から支払うシーンが写真付で報道された。その際、「庶民派のローマ法王」というタイトル付だ。当方はそれでも新法王のパフォーマンスではないか、と疑った。バチカンが「フランシスコ1世」ではなく、「フランシスコ」と呼ぶべきだと呼称の訂正を要求した時も、「バチカンはアッシジの聖フランシスコの精神を継承する唯一の法王」と言った印象を与えようとしているのではないか、といった憶測すら沸いてきたほどだ。
しかし、懐疑的な当方もビックリした。聖ペテロの墓の前で祈祷を捧げた後、サンピエトロ広場の就任式典に臨む時だ。新法王は足を止め、腕の法衣をまくり、腕時計を見たのだ。式典開始の時間が気になったのか。それともいつもの癖で腕時計を見ただけだろうか。ミサや公式行事中、自身の腕時計を見たローマ法王を当方は知らない。ローマ法王は通常、腕時計などつけていない。時間を知りたければ式典関係者に聞けば済むからだ。「確かに、アルゼンチン出身のローマ法王はかなり変わっている」と感じた。
しかし、庶民派であろうが、学者派であろうが、問題は、ローマ法王として12億人の信者を有する世界最大の宗教をどのようにして神の願いと一致させるかだ。8年間の「学者法王」から「牧会者法王」に代わった直後だから、どうしてもそのイメージが先行するのは仕方がないが、新法王の評価は、信頼性を失った教会を建て直し、法王庁内の官僚的体質を改善するなどその危機管理能力によって下されるからだ。
1年も経過すれば、フランシスコは自身の腕時計を見ないだろうし、宿泊先のホテルの代金を自分で払うことはないだろう。その時、新法王を歓迎した信者たちは何をもってフランシスコを歓迎するだろうか。今から楽しみだ。

▲就任式典に臨むフランシスコと歓迎するローマ市民(2013年3月19日、ドイツ「N-TV」中継から)
アルゼンチン出身のローマ法王はサンピエトロ広場を車でまわりながらローマ市民や世界の信者たちに手を振った。病人の前では車を止めさせ、そこで祈り、幼児には頬を付けて愛撫した。アルゼンチンからの巡礼者たちの前にくると、ウインクしながら笑顔を返した。少々はにかむ癖のあった前法王べネディクト16世とは異なり、春の光のように明るい新法王の仕草に、集まった信者たちは新鮮な感動を受けただろう。
ブエノスアイレス大司教だった新法王は確かに庶民的だ。プロトコールを重視し、それらを真面目にこなしていったドイツ人法王とは違い、人とのふれあいを重視する南米教会出身の法王は欧州人の目にも新鮮だ。
べネディクト16世は歴代最高峰の知性法王だったといわれた。その法王に欠けていたのは牧会力だったという。書籍を愛する一方、信者たちにその愛を表現することに長けていなかったからだ。その点、フランシスコは一流の神学者ではないかもしれないが、「貧者の教会」出身の牧会者だ。人々は愛に飢えている。知性のローマ法王より、愛を表現しようとする法王に信者たちが喜ぶのは当然かもしれない。
ジャーナリストの宿命か、当方はかなりひねくれている。普通の人々のように目の前の事実をストレートには受け入れない。先ずは疑う。実際、庶民派といわれた数多くの政治家や指導者が最終的には庶民派ではなく、権力欲のある人物に過ぎなかったことを数多く見てきたからだ。だから、「フランシスコは庶民的」といった受け取り方には依然、抵抗を覚える。
コンクラーベで法王に選出された後、バチカンの宿泊代を自分の財布から支払うシーンが写真付で報道された。その際、「庶民派のローマ法王」というタイトル付だ。当方はそれでも新法王のパフォーマンスではないか、と疑った。バチカンが「フランシスコ1世」ではなく、「フランシスコ」と呼ぶべきだと呼称の訂正を要求した時も、「バチカンはアッシジの聖フランシスコの精神を継承する唯一の法王」と言った印象を与えようとしているのではないか、といった憶測すら沸いてきたほどだ。
しかし、懐疑的な当方もビックリした。聖ペテロの墓の前で祈祷を捧げた後、サンピエトロ広場の就任式典に臨む時だ。新法王は足を止め、腕の法衣をまくり、腕時計を見たのだ。式典開始の時間が気になったのか。それともいつもの癖で腕時計を見ただけだろうか。ミサや公式行事中、自身の腕時計を見たローマ法王を当方は知らない。ローマ法王は通常、腕時計などつけていない。時間を知りたければ式典関係者に聞けば済むからだ。「確かに、アルゼンチン出身のローマ法王はかなり変わっている」と感じた。
しかし、庶民派であろうが、学者派であろうが、問題は、ローマ法王として12億人の信者を有する世界最大の宗教をどのようにして神の願いと一致させるかだ。8年間の「学者法王」から「牧会者法王」に代わった直後だから、どうしてもそのイメージが先行するのは仕方がないが、新法王の評価は、信頼性を失った教会を建て直し、法王庁内の官僚的体質を改善するなどその危機管理能力によって下されるからだ。
1年も経過すれば、フランシスコは自身の腕時計を見ないだろうし、宿泊先のホテルの代金を自分で払うことはないだろう。その時、新法王を歓迎した信者たちは何をもってフランシスコを歓迎するだろうか。今から楽しみだ。









