ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2013年03月

イスラム教2大祭日を法定祝日に

 独週刊誌シュピーゲル(電子版)によると、ドイツ国内に約400万人がいるイスラム教徒の代表、独イスラム中央評議会のアイマン・マツェク会長が、「イスラム教の祭日をドイツ連邦の法定休日としてほしい」と要望しているという。同会長は、ウルフ独前大統領が在任中、「イスラム教はドイツ社会に属する」と発言したことを想起させ、「イスラム教の2大祝日、ラマダン明けの祭り(イード・アル・ファトル)と犠牲祭(イード・アル・アドバー)の2日が法定祝日となれば、政府が推進する統合政策の大きな成果と評価されるだろう」とアピールしている。

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▲ラファエロ・サンティ作「十字架降下」

 もちろん、ドイツはキリスト教社会だ。イスラム教側の要望が即歓迎されることは考えられない。実際、与党キリスト教民主同盟(CDU)の議員からは「わが国はイスラム教の伝統を有する社会ではない」と強い反発が聞かれるという。。ただし、ハンブルク市など独の一部で、イスラム教信者の労働者が雇用者側に祝日の休暇を要請できる権利が認められている。

 メルケル独首相は2010年10月16日、「多文化主義は完全に失敗した。わが国は今後、統合された社会建設を目指さなければならない」と述べて、注目された。これは国内のイスラム系住民がゲットーを構築し、テロの温床となる危険性を回避するため、移住者の社会統合政策の強化が急務だということだ。イスラム教祭日の法定祝日化は社会統合政策の前進をもたらすのかどうかは、不明だ。

 参考までに紹介すると、多民族国家のシンガポールでは、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の各宗教の主要祭日が法定祝日となっている、といった具合だ。

 ちなみに、ドイツで生じていることは一定の間隔を置いて隣国オーストリアに波及するのは常だが、オーストリアのイスラム教代表がドイツのイスラム教代表と同じように、イスラム教祝日の法定祝日化を要求してきた。
 オーストリアのカトプレス通信によると、同国のイスラム教側は「ラマダンと犠牲祭の2大祝日を法定祝日にすることで、イスラム教徒は祝日を家族と一緒に祝うことができる」と説明。オーストリアの場合、イスラム教側だけではない。ユダヤ教側からも「新年(Rosch ha-Schana)と大贖罪の日(Jom Kippur)の2日のユダヤ教の祝日を法定祝日としてほしい」という要請が出ているが、いずれもオーストリア商工会議所などから反対の声が強い。
  

キプロスに飛来する富豪の専用機

 金融危機下のキプロスで28日、閉鎖されていた同国銀行の営業窓口が13日ぶりに再開し、多くの預金者が銀行に殺到した。幸い、大きな混乱は生じなかったという。ただし、タックス・へイヴンのキプロスに流れてきた巨額な資金が海外に流れるのを防止するため、預金者は一日、300ユーロ以上は引き出しできないし、海外送金は規制されるなど、さまざまな制限が課せられている。ユーロ圏17カ国と国際通貨基金(IMF)から100億ユーロ余りの融資を受けるが、キプロスの国民経済の行方は当分不透明だ。

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▲キプロスの金融危機を報じるオーストリア日刊紙エステライヒ

 ところで、キプロスの主要宗教、キプロス正教会(東方正教会のギリシャ正教会)もキプロス銀行、国民銀行の2大銀行の再編の影響を受け、銀行に預けてきた教会資産が減少、「1億ユーロ以上の損失が出た」という。キプロス正教会の最高指導者、クリゾストモス2世がニコシアの記者会見で答えたものだ。

 大多数の国民が所属する正教会は同国最大の不動産所有者でもある。正教会は豊かな資産を銀行を通じて活用してきたが、金融危機で銀行に預けてきた資金が減少してきたわけだ。その点、キプロスに巨額の資金を保管しているロシア富豪たちと同様だ。

 正教会は昨年9月、職員、聖職者の給料カットを実施するなど、出費の節約対策を実行してきた(1500ユーロ以下の給料の場合はカットしない)。その一方、同2世は「金融危機を誘発させた政権責任者は告訴されるべきだ」と主張し、政治家の責任を追及している。なかなかの強気だ。同時に、ニコス・アナスタシアディス大統領との会見では「正教会は国家の沈没を防止するため支援する用意がある」と述べ、連帯感を表明したばかりだ。

 一方、ニコシアのラルナカ国際空港などでは富豪所有のジェット機が頻繁に離着陸するのが目撃されたという。ロシアやイスラエルの富豪たちのジェット機がキプロスの銀行に預けてきた巨額の資金を運び出しているという。
 オーストリアの日刊紙エステライヒ紙(28日付)によると、3月15日前、多数の私有ジェット機が分刻みで離着陸したという。具体的には、ロシアから375機、イスラエルから344機、アラブ圏から121機、隣国ギリシャから382機、英国から245機、フランスから209機、そしてドイツから170機だ。一般市民が現金を引き出すために汗を流す前に、富豪たちは銀行から素早く資産を引き出していたわけだ。 

 ちなみに、10万ユーロ以上の預金は課税対象となることから、預金額を分散し、10万ユーロ以下にするために新しい口座を開く国民が増えているという。エステライヒ紙によると、人口約86万のキプロスに350万以上の銀行口座が存在するという。


 

イエスを閉じ込めてきたのは誰か

 法王選出会(コンクラーベ)開催前の準備会議(枢機卿会議)でブエノスアイレス大司教のホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(現ローマ法王フランシスコ)が教会の現状を厳しく批判し、「教会は病気だ」と述べていたことが明らかになった。同内容は多くの枢機卿の心を捉え、南米教会初の法王誕生を生み出す原動力となったという。バチカン放送独語電子版からその衝撃的な演説内容を紹介する。

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▲コンクラーベ前に開催された枢機卿会議(バチカン放送独語電子版から)

 コンクラーべ開催前、枢機卿会議が午前と午後の2回、通算10回、準備会議が開かれたが、ベルゴリオ枢機卿も簡潔な演説をしている。同演説内容はハバナ大司教のオルテガ枢機卿が法王の許可を得て、自身の同教区の教会誌に掲載されたものをバチカン放送が紹介した。

 枢機卿の持ち時間は5分内と制限されていたが、ブエノスアイレス出身のベルゴリオ枢機卿は短く、簡潔に語ったが、その内容は枢機卿たちが驚くほど厳しいものだ。

 曰く、「福音を述べ伝えるためには、教会は(垣根から)飛び出さなければならない」と強調。南米教会の枢機卿は「飛び出る」という概念を頻繁に使用する。新法王の教会論の基本概念と指摘する神学者もいるほどだ。「飛び出す」とは、罪、不公平、無知などの戦いで自身の限界まで全力を尽くすことを意味する。

 ベルゴリオ枢機卿は「自己中心的な教会はイエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪う」と主張。
 そして最後に、「2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまう」という。

 枢機卿の演説内容は現教会体制への厳しい批判だ。こんな批判をコンクラーベ前の準備会議で発言した枢機卿が90%以上の枢機卿たちの支持を得て法王に選出されたということは何を物語っているのか。114人の枢機卿たちの多くも教会の刷新がなければもはや存続できないと肌で感じていたことを示しているわけだ。

 法王フランシスコは、聖マラキの預言によればバチカンの最後のローマ法王となるが、ひょっとしたら重要な使命を担っているのかもしれない。それは新しい時代への架け橋的な役割ではないか。

新ローマ法王は解放神学者か

 南米教会出身のローマ法王フランシスコが就任以来、貧者の救済を頻繁に言及するため、「法王は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれる。イタリアのメディアの中には、法王を「革命者」と報じているほどだ。

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▲貧者の救済を主張するフランシスコ法王(オーストリア国営放送の中継から撮影、2013年3月13日)

 それに対し、バチカン法王庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教は「新法王は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。悲惨な状況を黙認することはできない」と強調する一方、「だからといって、新法王を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明している。オーストリアのカトプレス通信社との会見の中で語った。
 
 解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催された。そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議され、社会の改革に積極的に推進していく事が決定された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。

 バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。特に、解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で「解放の神学のいくつかの側面に関する指針」を発表、解放神学に警告を発した。
 
 しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。そしてバチカンは同年4月、「自由の自覚=キリスト者の自由と解放に関する指針」を公表した。同指針は解放神学に対するバチカンの公式見解と受け取られている。ちなみに、世界的な神学者でもあるべネディクト16世は「解放神学はカトリック教理と合致しない。神の王国という概念を誤解し、政治を神性化して革命を信者に呼び掛けている」と批判している。バチカンの懸念は、解放神学が地上の人間の業(革命、改革など)を重視する結果、神の救済の業が軽視されるのではないか、という点だ。

 冷戦の終焉(しゅうえん)後、欧州では解放神学はその魅力を急速に失っていったが、解放神学そのものは決して消滅したわけではなく、フェミニスト神学や超教派運動などの中で生き延びてきた。

 ミュラー長官は「解放神学の見直しは必要ではない。バチカンは1986年の指針の中で公式見解を発表済みだからだ。同指針は解放神学に対するカトリック教義から見た評価だ」という。
 同長官は「新法王はローマ法王としてまだ自身のコンセプトを提示していない。明確な点は南米教会での経験が強く反映されていくことは考えられるが、カトリック教会は世界教会だ。全ての教会が南米教会と同様の対応が必要とは思わない」と述べている。



 

「悪魔」の業を見てきた新法王

 新ローマ法王フランシスコは2度目のツイッターで「われわれは悪魔の誘惑に屈してはならない」というメッセージを発信したが、南米出身の法王はこれまで説教や呟きで「悪」、「悪魔」という言葉を頻繁に使用する。「神の存在」は別として、「悪魔の存在」について考えたことが余りない現代人にとって、新法王の「悪魔」が正しく理解されるだろうか。

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▲サタンの試練を受けるイエス(バチカン放送独語電子版から) 

 聖書66巻には約300回、「悪魔」が登場するから、聖書を信じる数多くの信者たちは当然、「悪魔」の存在を信じているわけだ。有名な個所を拾ってみると、「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(ヨハネによる福音書13章2節)とか、十字架に行く決意をしたイエスを説得するペテロに対し、イエスは「サタンよ、引きさがれ」(マルコによる福音書8章33節)と激怒している聖句に出会う(「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日参考)。

 ところで、「神が創造した世界」にどうして人間を誘惑し、破壊する悪魔が存在するのか、納得できる説明を聞いたことがあるだろうか。人間が願わない不和、紛争、妬みなどは全て「悪魔」の仕業というが、肝心の「悪魔」の正体については曖昧模糊としている。だから、何度も罪を犯し、何度も懺悔室で罪の許しを請わなければならなくなる。そこには罪からの解放は期待できない。なぜなら、罪を犯させる肝心の「悪魔」の正体が不明だからだ。

 教義の番人、バチカン教理省のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー長官は「悪魔は恐るべき力を有する存在だ。それは神の創造に起因しているのではなく、人間の自由意志を通じて生まれてきた存在だ。本来は神の意志に反する存在ではなかったが、悪の存在となってしまった」と説明。そして「幻想や作り物ではない。悪魔はリアルな存在だ。弾圧、搾取、破壊などをもたらし、人間間の信頼を破壊する」という。しかし、「どのような経路で悪魔となったのか」についての説明はない。
  
 フランシスコ法王は「悪魔」の正体を説明しない。新法王にとって、「悪魔」の存在は説明対象ではなく、戦わなければならない対象だからだ。新法王は「貧者の教会」の南米で「悪魔」の業をいやというほど目撃してきたのだろう。麻薬業者、売春婦、人身売買、人間の臓器取引業者などを見、その犠牲者のために祈ってきた聖職者だ。その点、書籍の世界で生きてきた前法王べネディクト16世とは根本的に違う。
 フランシスコが説教で「悪魔」の業を繰り返し警告するのは、「悪魔」が神学の世界ではなく、日常生活の中に暗躍している存在であり、その恐ろしさを誰よりも熟知しているからかもしれない。
 法王は言う。「神は、(悪魔の誘惑に負けて)罪を犯す人間を許す事に疲れない。疲れるのは人間だ。人は神に許しを請うことに疲れてしまう」という。

 新法王の説教は、「悪魔」の業を目撃してきた人間が発するだけにそれなりの説得力はあるが、「なぜ、神の創造世界に『悪魔』が生まれてきたか」を納得できるように説明しない限り、世俗社会に生きる現代人にとって、やはり救済の力とはなり得ない。

アフリカは誰のもの?  

「アメリカは誰のものか」と質問された時、「米国国籍を保有している国民のものだ」という返答が戻ってくるが、ある宗教指導者は「アメリカはアメリカを最も愛する者のものだ」と答えたという。非常に含蓄のある答えだ。

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▲万里の長城(中国国際放送日本語のHPから)

 なぜ、そんなことを思い出したのか、というと、中国の周近平国家主席がロシア訪問後、アフリカを訪問中だが、中国の国家主席ほどアフリカ諸国を頻繁に訪問する世界指導者はいないからだ。正に「アフリカはアフリカを最も愛する者のものだ」という論理でいけば、アフリカは中国のものだ。

 中国政府は06年1月、「中国の対アフリカ政策文書」を発表し、中国の対アフリカ政策の目標を初めて明記している。そして胡錦涛国家主席は同年4月、モロッコ、ナイジェリア、ケニアのアフリカ3カ国を訪問。07年2月にはカメルーン、リベリア、スーダンなど8カ国を訪問した(06年6月には温家宝総理がエジプト、ガーナ、コンゴ、アンゴラ、南アフリカ、タンザニア、ウガンダのアフリカ7カ国を訪問している)。胡国家主席は昨年6月12日にもマリ、セネガル、タンザニア、モーリシャスの4カ国を訪問している。
 そして後継者の周近平国家主席は今月24日、タンザニアを訪問した後、南アフリカ、コンゴを訪ねる予定だ。 中国国家主席だけではない。アフリカには百万人以上の中国人労働者、ビジネスマンが働いている。アフリカ大陸に対する中国の狙いは明確だ。高度成長を継続していくために不可欠な地下資源の確保だ。

 米国は中国のアフリカ攻勢の危険性を感じたのか、クリントン米国務長官(当時)は昨年8月、セネガルを皮切りにウガンダ、南スーダン、ケニア、マラウィ、南アフリカ、ナイジェリア、ガーナ、ベニンのアフリカ9カ国を駆け足で訪問したばかりだ。同長官は中国のアフリカ進出に関して「新植民地主義」への懸念を表明し、「中国は利益追及を最優先とするが、わが国は民主主義と普遍的な人権擁護の立場を堅持する」と発言し、中国のアフリカ急接近に警告を発しているほどだ。

 もちろん、全てのアフリカ諸国が諸手を上げて中国を歓迎しているわけではない。各地で問題も生じている。最近ではアフリカ西部ガーナで中国人が射殺されるという事件が発生した。中国人が違法で金鉱を採掘していたからだという。スーダンでは原油関連に中国人が投資し、同国の地下資源の独占を腐心している。
 中国人がスーダンに進出して以来、「中国企業と連携してミリオネアーとなったスーダン人が出てきた一方、中国はわが国の社会に腐敗というばい菌を持ち込んできた」と、中国人のビジネス活動を批判する声が高まってきている、といった具合だ。


最初の言葉に戻る。「アフリカは誰のもの」と聞かれれば、国家元首が何度訪問したかではなく、「アフリカの将来に責任をもち、その発展に寄与し、アフリカの国民を愛する者のものだ」という答えが出てくる。それでは、中国だろうか、米国だろうか。それとも、誰もまだいないのだろうか。

新法王フランシスコの軌跡

 聖職者となるため生まれてきた人はいないように、ホルへ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)もローマ法王となるために生きてきたわけではない。新法王が愛するアッシジの聖フランシスコも若き時代、放蕩息子で好き勝手に生きてきたが、ライ病患者や貧者をみて改心していったといわれる。ホルへも若い時、肺炎で一部肺を切り落としたことが契機となって、神の世界に入っていった。独週刊誌シュピーゲル(3月18日号)は「神が選んだベストの男?」というタイトルの記事を掲載している。それを参考にしながら、法王フランシスコの軌跡を読者に紹介する。

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▲独週刊誌シュピーゲル3月18日号の表紙「神が選んだベストの男?」  

 1936年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで北部イタリア人移民の息子として生まれた。2人の兄弟と2人の姉妹の家庭で育った。ホルへは化学者を目指していた。若い時はタンゴを踊るのが好きな平均的なアルゼンチン人青年だった。好きな女の子もいたという。
 22歳の時、肺炎に罹り、肺の一部を切り落とした。この経験が彼を精神的な世界に目を向けさせることになった。聖職者となるためイエズス会修道院に入る。チリ、アルゼンチン、独フランクフルトの聖ゲオルゲンなどで神学を学ぶ。ドイツ留学中、豊かな欧州と南米の貧しさを肌で感じ、「貧者の救済」という彼のライフ・テーマが構築されていった。ドイツでは宗教哲学ロマノ・グアルディ二の本の影響を多く受けた。
 アルゼンチンに帰国し、文学と心理学の講師をした後、神父に。彼の著書には「ヨハネ・パウロ2世とフェデル・カストロ」がある。37歳になると、アルゼンチンのイエズス会代表。その後、貧者の拠点サン・ミグエル司教区で聖職に従事。当時の彼を知っているイエズス会聖職者は「ベリゴリオは毎朝4時に起床し、祈っていた。人身売買、売春婦、人間の器官取引の犠牲者のために説教をしていた」という。そして1992年、ブエノスアイレスの司教補佐、98年に大司教となった。

 新法王のキャリアの中で影の時代もあった。軍政政権時代(1976−83年)だ。ベリゴリオ大司教時代、独裁政権との関係がメディアでも報じられた。アルゼンチン国民の中には「ベリゴリオ大司教は独裁政権への抵抗が十分ではなかった」、「修道院の同胞が迫害されても救援しなかった」、「彼は独裁政権の共犯だ」等の批判の声がある。
 ブラジルの解放神学者レオナルド・ボフ氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で「そのことは聞いている。アルゼンチンのノーベル平和賞受賞者で自身も独裁政権下で迫害を受けたアドルフォ・ペレス・エスキベル氏が『独裁政権の共犯となった司教たちがいたが、ベリゴリオはその中に属さない』と述べ、現法王の潔白を証していた」と答えている。ちなみに、バチカン法王庁のロムバルディ報道官は新法王への批判を「中傷に過ぎない」と一蹴している。

 新法王は、堕胎問題、同性愛問題など道徳的分野では超保守的だが、社会分野ではリベラルだといわれる。前法王ベネディクト16世は「信仰と知性」の統合を標語に掲げてきたが、新法王フランシスコは「信仰と公平」をモットーにその職務を進めていくだろうという。

 

3人のローマ法王と「サッカー」

 新ローマ法王フランシスコは23日、法王専用の夏季別荘カステルガンドルフォで前法王ベネディクト16世と昼食を共にしながら、楽しい一時を過ごしたという。前法王はコンクラーベ開催中はテレビを通じてその進展をフォローしていたという。南米教会初の法王が選出されたと分かると、直ぐに祝いの電話を入れている。フランシスコも機会ある度に、前法王に言及し、その功績を称えているといった具合だ。「貧者の教会」出身の現法王と「欧州のエリート教会」の前法王の関係は一部メデイアが懸念していたような気まずさや不協和音はないようだ。べネディクト16世自身、「私はもはや法王ではない。一人の巡礼者に過ぎない。新しい法王に対しては完全に従順する」と述べている。

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▲新法王フランシスコのサッカークラブ「サン・ロレンソ」のロゴ

 ところで、オーストリアのメディアには珍しい写真が掲載されていた。ヨハネ・パウロ2世、べネディクト16世、そして現法王フランシスコの3人のローマ法王が一緒に写っているのだ。その写真を見ながら、3人の法王の性格の違いについて考えた。「外交官」のヨハネ・パウロ2世、「学者」のベネディクト16世、「庶民派」のフランシスコといった相違が直ぐ浮かぶが、ここでは世界最大のスポーツ、サッカーとの関係から3人の法王の違いを紹介する。

 フランシスコが法王に選出された直後、新法王がアルゼンチンのサッカー・クラブ、サン・ロレンソ(San Lorenzo)のファンというニュースが流れてきた。クラブのトリコーを抱えて笑うブエノスアイレス大司教の写真が掲載されていた。
 調べていくと、大司教は決して単なるファンではない。正式のクラブ・メンバーに登録しているのだ。クラブへの熱意は中途半端ではない。南米はサッカーの王国だ。サッカーを理解できずに人を牧会できない。その意味で、ブエノスアイレス大司教時代、フランシスコはサッカーに自然と引き込まれていったのだろう。

 一方、学者法王のベネディクト16世の出身地ドイツも南米に負けないほどサッカー国だ。ベネディクト16世の出身のバイエルン州にはFCバイエルン・ミュンヘンという強豪チームがある。ところで、ヨーゼフ(ベネディクト16世の本名ヨーゼフ・・ラッツィンガー)はサッカーを興じる子供たちの中に入って一緒にプレイできなかったという。上手くなかったからだ。何時もベンチに座っていたという。だから、サッカーとは次第に縁が切れ、書籍の人となっていった。

 ヨハネ・パウロ2世はクラクワの子供時代、サッカーが好きでポジションはゴールキーパーだった。ポーランド出身の新法王は1978年10月22日、落ち着かなかった。夜、ASローマとFCボロニヤのサッカー試合がテレビで中継されるからだ。どうしても観戦したかった。そこでヨハネ・パウロ2世はプロトコールを早め、夜テレビ中継が観戦できるように調整したという。大したものだ。

 以上、オーストリア日刊紙プレッセに報じられていた記事を参考に紹介した。
 「サッカー・クラブのメンバー」の法王、「何時もベンチから試合をみていた」法王、「サッカー試合を観戦するために日程を調整した」法王・・・3人の法王のサッカーとの関わりは、その生い立ちと同じように違っていたわけだ。

 ちなみに、バチカンにはクレリクス・カップ(Clericus Cup)というサッカー・リーグが存在する。リーグ戦には71カ国出身の19歳から57歳までの神学生、神父たちが、出身国別ではなく、機関所属別に分かれて戦う(「サッカーを愛する『神様』」2009年8月12日参考)。
  
 

ヤコブが提示した紛争解決の公式

 イラク戦争開戦から今月19日で10年目を迎え、多くの欧米メディアは10年目特集を組んでいた。当方もイラク戦争について考えてきた。「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」という米国側の情報に基づいて戦争は開始され、約4500人の米軍兵士が亡くなり、イラク側では民間人を入れれば数十万人が犠牲となった。

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▲米映画「リンカーン」のポスター

 ブッシュ政権は「イラク政権の大量破壊兵器保有」という米中央情報局(CIA)の情報を掲げてイラク戦争を正当化してきたが、戦争後の調査でその情報が誤報と判明し、「イラク戦争の正当性」が大きく揺れたことは周知の事実だ。

 イラク戦争を主導したコリン・パウエル米国務長官は「国連安保理でフセイン政権の大量破壊兵器保有の証拠について説明したことは自分のキャリアの最大の汚点となった」と後悔している。それに対し、ディック・チェイ二ー副大統領は「フセイン政権は大量破壊兵器を保有していなかったが、その意図はあった」と述べ、イラク戦争が将来の戦争やテロ防止に貢献したと確信している。一方、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は両者の「後悔と確信」の中間のような立場かもしれない。明確なことは、当時のネオ保守派米政治家たちは、2001年9月11日の米国内多発テロ事件の影響を強く受けていたことだ(オーストリア日刊紙プレッセ)。

 「良き戦争などはない」といわれる。多くの犠牲を出す戦争は如何なる理由があっても正当化できないという意味だ。その通りだが、歴史の中には、多くの犠牲を覚悟の上で武器をもって戦場に向かわざるを得なかった戦いもあっただろう。「どの戦争がそれに該当するか」と質問されれば、正直に言って返答に困る。スティーブン・スピルバーク監督の米映画「リンカーン」はひょとしたらそれに答えてくれるかもしれない。

 人類の歴史で戦いや紛争がなかった時代はあっただろうか。人はさまざまな理由から絶えず戦ってきた。イラク戦争開戦10年目を迎えるのを契機に、ここでは聖書的観点から、「なぜ、人は戦うか」を考えてみた。
 
 聖書の中で最初に記述されている紛争は創世記の「カインとアベルの兄弟間」の戦いだ。神は弟アベルの供え物を取り、兄カインのそれを拒否された。この‘謎‘を解くために人類(カイン)は戦いを始めたのだ。聖書を読むと、アベルとカインだけではにない。イサクとイシマエル、ヤコブとエソウなど数多くの例が記述されている。善も悪もしていない前から、出生前から、神は一方(アベル、イサクなど)を愛し、他方(カイン、イシマエルなど)を憎んだと書かれているのだ。なぜだろうか。
 その‘謎‘に悩む人類は「なぜ、あなたは弟を愛し、私を退けるのか」」と、神に呟きながら放浪してきた。そして、時代の経過と共に、その嘆きは民族紛争、国家間の戦争と拡大していった。これが聖書が明記する「戦争論」だ。
 
 時代は進んだ。「外交的解決」「対話を通じて」という言葉がどこからでも聞かれる。戦闘に代わって話し合いで問題を解決しようというのだ。久しく戦闘を繰り返してきた人類が学んできた成果ともいえる。しかし、「外交的解決」「対話」という言葉が頻繁に囁かれる割には、その成果は依然、多くはない。

 そこで聖書の「戦争論」から、その知恵を拾ってみた。弟ヤコブを殺そうとしたエソウの凍りついた心を解したのは何であったか。神から愛されてきたヤコブは叔父ラバンのもとで苦労して得た人と財宝を兄エソウに全て与えた。愛されない立場にあったエソウに自身が受けてきた神の愛を全て譲り渡すことで和解できたのだ。

 ヤコブの話は、外交的解決と対話を模索する全ての世界指導者たちに大きなヒントとなるだろう。「愛されてきた者」は「愛されなかった者」に仕えることで紛争は解決できるのだ。具体的には、多くの富を保有するものは持たない者に、幸せな人は悲しんでいる人に、笑っている人は泣いている人に、奉仕してこそ双方は和解し、発展できる。
 第266代ローマ法王が「貧者の聖人」アッシジの聖フランシスコの名を法王名としたのは、決して偶然ではないだろう。時代がそれを要求しているのだ。 


  

UNIDOの乗っ取りを図る中国

 少々大げさに表現するならば、ローマ・カトリック教会の法王選出会(コンクラーベ)の動向に心を奪われている間に世界は大きく動いていた。朝鮮半島では北朝鮮の金正恩第1書記の戦争勃発へ威嚇が更にエスカレートし、キプロスでは預金課税問題を契機とした国内で混乱、中東・北アフリカの政情不安、そして当方が担当するウィーンの国連機関では人事問題、イランの核問題などが重要な段階を迎えてきた。

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▲UNIDOの次期事務局長に立候補した李勇・中国財政部副部長

焦るような思いが沸くが、可能な限り、欧州を舞台とした政治情勢、北朝鮮情報を読者の皆さんにお伝えしていきたいと思っている。

 前口上はこれまでにして、今回はウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)の次期事務局長選の動きを紹介する。3月現在で4人が立候補を届けている。その中で注目されるのは中国が李勇(Li Yong)財務部副部長(財務次官)を擁立し、必勝を期していることだ。

 UNIDOは国際原子力機関(IAEA)ほどメデイアの関心を引かないが、それゆえに、というべきかどうかしらないが、中国がUNIDOの乗っ取りに本腰を挙げてきたのだ。
 UNIDOではカンデ・ユムケラー現事務局長が今年、ウィーンに新設される「持続的エネルギー専門機関」のトップに就任するため、6月24日に開催される第41回工業開発理事会(IDB)で次期事務局長が選出され、その直後、招集される特別総会で新しい体制が正式決定される運びだ。
 地域ローテーションでは新事務局長はアジア地域から選出することになっているが、「明記された原則ではないので断言はできない」(在ウィーン国際機関日本政府代表部)という。ポーランドのコロレツ環境相の他、イタリアとカンボジアが早々と候補者を擁立したが、中国が2月9日、李勇財務部副部長という大物を担ぎ出してきた。

 UNIDOは国連の専門機関の中でも腐敗、不正、縁故主義などが席巻し、存続が問われ続けてきた機関だ。米国は1996年、UNIDOを脱退したのを皮切りに、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージランドなどが次々と脱退していくなか、中国はUNIDOをアフリカなど開発途上国への支援拠点に利用する一方、欧州連合(EU)の窓口にも利用できると計算しているという。UNIDO最大分担金(約19%、約1299万ユーロ)を担う日本が消極的な活動に終始しているのをいいことにして、中国はアジアの大国としてその力をフルに行使してきたのだ。メディアには余り知られていないが、UNIDO職員の中には中国共産党政治局員の親族がいる、といった具合だ。

 李勇財政部副部長(62)は2003年以来、中国財政分野の主要人物。中国人民銀行通貨政策委員会のメンバー、国際金融危機対策国家タスク・フォースの一員でもある。
 UNIDO関係者は「李勇副部長の当落は最大分担国の日本が握っている。日本が支持を表明すれば、当選は確実だ。反対するば、中国側も苦戦を余儀なくされるだろう。だから、北京と東京の間でなんらかの交渉が行われているはずだ」と予想している。

 なお、4月には候補者がウィーン入りして、その立候補声明の意図などを加盟国に説明する予定だ。

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