ドイツとフランス両国は22日、両国の歴史的和解を謳った「独仏協力条約」を締結して50周年を迎える。同条約は調印場所となった仏大統領府のエリゼ宮の名前を付けて「エリゼ条約」とも呼ばれる。

▲ベルリン市のブランデンブルク門(2011月5月、撮影)
条約署名はシャルル・ド・ゴール大統領(在職1959〜69年)とコンラード・アデナウアー独首相(同1949〜63年)の間で行われた。同条約には、外交、安保、文化など各分野の協力、両国政府間の定期的会合などが明記されている。独週刊誌シュピーゲルによると、両首脳は条約をまとめるため4年間、15回のトップ会談をこなし、100時間以上話し合い、40通の書簡交換をしたというから、険悪な関係が長かった両国間の歴史的和解は難産だったことが推測できる。
両国は過去、欧州の宿敵同士としてさまざまな紛争や非協和音が絶えなかった。歴史に残る大きな戦争だけでも、フランス王ルイ14世対アウグスブルク同盟間の大同盟戦争(1618〜1697年)、30年戦争(1618〜48年)、7年戦争(1756〜1763年)、ナポレオン戦争(1792〜1815年)、独仏戦争(1870〜71年)、そして第1次世界大戦、第2次世界大戦が挙げられる。特に、フランスは1940年6月、ナチス・ドイツ軍の侵攻を受け、パリをナチス・ドイツ軍に占領されるといった苦い経験をした(英米、自由フランス軍ら連合軍は44年、ノルマンディー上陸作戦を成功し、同年8月25日、パリを解放した)。
条約締結後も両国関係は不協和音は絶えなかった。ド・ゴール大統領はドイツの助けを受けて欧州の強化を目指し、大国化した米国の政治力を抑制しようと腐心したが、ドイツは米英との関係強化に関心があった。アデナウアー首相の後継者となったルートヴィヒ・エアハルト首相(1963〜66年)は親米派(大西洋派)であり、フランスとの関係を軽視し、独仏関係は一時、冷却した、といった具合だ。
両国関係はヘルムート・コール独首相(1982〜98年)とフランソワ・ミッテラン仏大統領(1988〜95年)時代に入ると深まっていく。コールとミッテランは84年、第1次世界大戦の激戦地ヴェルダンを訪ね、両国の友好を誓った話は有名だ。両国は1988年1月22日、国防安保協議会の常設化などを含むエリゼ条約の補完議定書に調印している。
最近では、欧州の財政危機の解決のため、アンゲラ・メルケル独首相(2005年〜)は二コラ・サルコジ大統領(07〜12年)と連携し、ギリシャの財政危機の対応で主導的役割を果たしたことはまだ記憶に新しい。独仏両国は蜜月関係に突入した、といわれたほどだ。なお、社会党出身のフランソワ・オランド大統領(12年5月〜)が登場した後、両国は債務対応政策で見解の相違が表面化してきている。
両国は今年を「ドイツ・フランスの年」とし、昨年9月から今年7月まで両国内でさまざまな祝賀会を予定している。
【短信】
徴兵制を問う国民投票スタート
徴兵制の行方を問う国民投票(16歳以上、有権者数約640万人)が20日、オーストリア全土で始まった。投票会場は午前6時から開かれ、首都ウィーン市やインスブッルク市では午後5時まで開かれる。
有権者は、現徴兵制を維持するか、職業軍人を導入するかについて決定する。複数の世論調査では現徴兵制の維持派が過半数を占めている。政府は国民投票の結果を尊重し、その決定を実行に移すと表明済みだ。
与党2党、社会民主党と国民党は徴兵制問題では立場が真っ2つに分かれている。ファイマン首相の社民党は職業軍人の導入を主張する一方、国民党は徴兵制の維持を訴えている。今回の国民投票は、今秋に実施予定の国民議会選挙の前哨戦と受け取られている。なお、投票結果の大勢は同日午後8時(日本時間21日午前4時)には判明する予定だ。

▲ウィーン市16区の投票会場(2013年1月20日、撮影)

▲ベルリン市のブランデンブルク門(2011月5月、撮影)
条約署名はシャルル・ド・ゴール大統領(在職1959〜69年)とコンラード・アデナウアー独首相(同1949〜63年)の間で行われた。同条約には、外交、安保、文化など各分野の協力、両国政府間の定期的会合などが明記されている。独週刊誌シュピーゲルによると、両首脳は条約をまとめるため4年間、15回のトップ会談をこなし、100時間以上話し合い、40通の書簡交換をしたというから、険悪な関係が長かった両国間の歴史的和解は難産だったことが推測できる。
両国は過去、欧州の宿敵同士としてさまざまな紛争や非協和音が絶えなかった。歴史に残る大きな戦争だけでも、フランス王ルイ14世対アウグスブルク同盟間の大同盟戦争(1618〜1697年)、30年戦争(1618〜48年)、7年戦争(1756〜1763年)、ナポレオン戦争(1792〜1815年)、独仏戦争(1870〜71年)、そして第1次世界大戦、第2次世界大戦が挙げられる。特に、フランスは1940年6月、ナチス・ドイツ軍の侵攻を受け、パリをナチス・ドイツ軍に占領されるといった苦い経験をした(英米、自由フランス軍ら連合軍は44年、ノルマンディー上陸作戦を成功し、同年8月25日、パリを解放した)。
条約締結後も両国関係は不協和音は絶えなかった。ド・ゴール大統領はドイツの助けを受けて欧州の強化を目指し、大国化した米国の政治力を抑制しようと腐心したが、ドイツは米英との関係強化に関心があった。アデナウアー首相の後継者となったルートヴィヒ・エアハルト首相(1963〜66年)は親米派(大西洋派)であり、フランスとの関係を軽視し、独仏関係は一時、冷却した、といった具合だ。
両国関係はヘルムート・コール独首相(1982〜98年)とフランソワ・ミッテラン仏大統領(1988〜95年)時代に入ると深まっていく。コールとミッテランは84年、第1次世界大戦の激戦地ヴェルダンを訪ね、両国の友好を誓った話は有名だ。両国は1988年1月22日、国防安保協議会の常設化などを含むエリゼ条約の補完議定書に調印している。
最近では、欧州の財政危機の解決のため、アンゲラ・メルケル独首相(2005年〜)は二コラ・サルコジ大統領(07〜12年)と連携し、ギリシャの財政危機の対応で主導的役割を果たしたことはまだ記憶に新しい。独仏両国は蜜月関係に突入した、といわれたほどだ。なお、社会党出身のフランソワ・オランド大統領(12年5月〜)が登場した後、両国は債務対応政策で見解の相違が表面化してきている。
両国は今年を「ドイツ・フランスの年」とし、昨年9月から今年7月まで両国内でさまざまな祝賀会を予定している。
【短信】
徴兵制を問う国民投票スタート
徴兵制の行方を問う国民投票(16歳以上、有権者数約640万人)が20日、オーストリア全土で始まった。投票会場は午前6時から開かれ、首都ウィーン市やインスブッルク市では午後5時まで開かれる。
有権者は、現徴兵制を維持するか、職業軍人を導入するかについて決定する。複数の世論調査では現徴兵制の維持派が過半数を占めている。政府は国民投票の結果を尊重し、その決定を実行に移すと表明済みだ。
与党2党、社会民主党と国民党は徴兵制問題では立場が真っ2つに分かれている。ファイマン首相の社民党は職業軍人の導入を主張する一方、国民党は徴兵制の維持を訴えている。今回の国民投票は、今秋に実施予定の国民議会選挙の前哨戦と受け取られている。なお、投票結果の大勢は同日午後8時(日本時間21日午前4時)には判明する予定だ。

▲ウィーン市16区の投票会場(2013年1月20日、撮影)











