ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2012年12月

「世界の政治」の舞台役者が揃った

 韓国で19日、与党セヌリ党の朴槿恵候補が第1野党民主統合党の文在寅候補を破って同国初の女性大統領に選出された。それに先駆け、日本で16日、総選挙が実施され、自民党が政権を奪回し、安倍晋三総裁の首相再就任が確実となったばかりだ。韓国大統領選をもって「選挙の年」といわれた2012年は幕を閉じる。

 そこで今年実施された主要選挙を振り返る。ロシアで5月、プーチン首相が予想通り大統領に復帰し、中国共産党第18回党大会で11月14日、これまた予想通り、胡錦濤国家主席の後継者に習近平・国家副主席が選ばれた。米国では11月、オバマ大統領が現職の強みを発揮し、共和党候補者のロム二ー氏(前マサチューセッツ州知事)を破り、再選された。
 欧州ではフランスで5月、社会党(PS)のオランド党首がサルコジ大統領の後任に選ばれた。欧州連合(EU)の盟主ドイツでは来年秋、連邦議会選挙が実施される。ちなみに、今年3月、辞任したヴルフ大統領に代わり、旧東独時代の人権活動家であり、プロテスタント教会牧師だったガウク氏がドイツ大統領に就任している。

 世界の動向を握る主要国家の国家元首、政権担当者の顔ぶれがこれほど短期間で大きく変わった年はなかった。はっきりしている点は、今年選ばれた政治家たちが2013年以降の世界の政治を主導するということだ。

 付け加えるなら、国連安保理決議を無視して長距離ミサイルを発射した北朝鮮の金正恩第1書記は政権1年目を迎えた。世界の政治指導者の中で最年少の金正恩氏の動向は朝鮮半島ばかりか世界に大きな影響を及ぼす可能性がある。北アフリカ・中東諸国で2年前から民主化の波(アラブの春)が吹き荒れ、エジプトのムバラク政権やリビアのカダフィ政権の独裁長期政権があっという間に崩壊したのを目撃してきた。

 世界の政情は大きく揺れ動き、時代の変化が加速し、新しい時代圏が到来することを感じさせる。新しい時代がわたしたちの幸せを増幅してくれるのか、それとも閉塞感を一層深め、見通しがつかない暗黒の時代に突入するのだろうか。
 私たちは前者の訪れを心から期待するが、到来する時代に迎え入れられるために何らかの準備が必要ではないか、と感じる。ただし、どのような準備が求められ、何を変えなければならないのかは、各自がその答えを探し出していかなければならないだろう。

 参考までにいえば、当方は「『相違点』から『共通点』への飛躍」(2012年12月8日参照)の中で述べたが、私たちの思考が、「個性尊重、相違点の模索」から「共通点の再発見」へと飛躍する時を迎えていると考える。

地雷除去作業は愛国心で

 イラクの知人が久しぶりに国連記者室に顔だした。数カ月前から新しいビジネスを始めたという。地雷の除去作業だ。30人以上の労働者を抱え、イラク北部のクルド地域で地雷除去の会社を運営している。
 「クルド地域だけでも今後20年間の仕事分の地雷が埋まっている。イラク・イラン戦争とイラクのフセイン政権時代のクルド系住民への弾圧などで地雷は到る処に敷かれたからだ」という。
 知人はクルドの地元政府と契約し、現在13社が地雷除去作業の契約を結んでいるという。政府側が保護服、ヘルメットなどを供給する一方、知人は労働者の衣食住をケアする。収入の4分の3は労働者の賃金や衣食住代に消え、社長の知人のもとには約25%が残るだけという。
 「地雷除去は金だけの問題ではない。心も大切だ。祖国の安全に貢献しているという愛国心だ」という。

 ところで、知人は労働者の多くをボスニアからリクルートしている。ボスニアにはイスラム系、クロアチア系、セルビア系の3民族が住んでいる。そこで「イスラム系住民をリクルートしているのか」と聞くと、「イスラム系は一般的に怠け者だ。クロアチア人は嘘をつく、その点セルビア系住民は陽気であり、心がオープンだ」と説明、知人の会社にはセルビア系労働者しか雇用していないという。彼らはボスニア紛争後、地雷除去の体験をしている。知人は今週、再度、ボスニアに行き、派遣会社と交渉して労働者を確保するという。

 イラクの首都バグダッド周辺はまだ治安が不安定だが、北部クルド人自治区はかなり治安も安定してきたという。ここ暫くはウィーンとイラクの間を行き来するという。知人は約30年間、国連警備を担当し、数年前、退職したばかりだ。「母国のために仕事ができることは幸せだ」と笑いながら語った。

 アフガニスタン東部で17日、地雷が爆発し、9〜13歳の少女10人が死亡したばかりだ。知人の「金ではない、祖国の為に貢献したい」といった言葉の重みを感じている。知人には、イラクで地雷が完全に除去される日を目指して、頑張ってほしい。

クリスマス前の昼下がり

 ウィーンの国連内はクリスマスを前に静かだ。重要な会議は年明けの来月後半に入ってからだ。それまで国連はクリスマス休暇に入る。
 17日午前の国連記者室にはイランのテレビ局レポーターの女史だけだった。彼女は当方が入ってくるとイランのアフマディネジャド大統領を「彼はクレージーだ。国民は皆、彼を嫌っている」と言い出した。イラン国営IRNA通信記者を「彼の記事はプロパガンダだけだ」と批判する。記者室に当方しかいないので気が緩んだのか、女史はイラン政府の批判を繰り返した(女史は記者室にイラン人記者がいる時は絶対、政府批判をしない)。

 当方が仕事に取り掛かった時、知人の韓国外交官から電話が入った。クリスマス休みの前に昼食を一緒にしようという誘いだった。

 知人は今年のクリスマスはどこにも行かず、ウィーンに留まるという。食事をしながら、家族や仕事のことを話した。知人はあと1年半はウィーンに駐在する。音楽の都ウィーンが気に入っているようだ。外観は華奢な感じがする知人だが、テコンドー黒帯の持ち主だ。

 話は韓国の大統領選になった。与党セヌリ党の朴槿恵候補と第1野党民主統合党の文在寅候補が争っている。「君はどちらが当選すると予想するか」と聞いてきたので、「文氏の支持率が接近してきたと聞きましたが、韓国で初の女性大統領が誕生してもいいですね」と朴女史の支持を匂わせた。知人は頷いているだけで、自分からは誰を支持しているか言わなかった。

 駐オーストリアの韓国人は先週、ウィーンの韓国大使館で不在投票を行ったが、「オーストリアに住む韓国人は文氏支持が多かった」という情報が流れている。知人は「不在投票は開票されず、ソウルに直ぐに外交郵袋で送られたから、投票結果は誰も分からないはずだよ」といって、海外居住の韓国有権者の文氏支持説に首を傾げた。

 2時間ぐらい話をした後、クリスマス明けにまた会おうと約束して別れた。レストランから1歩外に出ると、ひんやりとした空気が肌を包んだ、路上には多くの市民が慌しく歩いている。「今年もクリスマスが来た」という思いが急に胸に迫ってきた。クリスマスの時期は、日本の年末年始の風景を忘れてしまった当方に、年の瀬の雰囲気を味わわせてくれるシーズンだ。

日本の総選挙結果は報道されず

 当方は夕食後、民放と国営放送の夜のニュース番組を聞くのが習慣となっている。日本で総選挙が実施された16日の夜もいつもの通り、テレビのスイッチを入れた。民放のニュース番組では米コネティカット州ニュータウンの小学校で起きた銃乱射事件の続報がトップだった。「ひょうとしたら次は日本の総選挙結果を報道するかな」と考えながらニュースを追ったが、最後まで日本の総選挙結果は報じられず、スポーツ・ニュースになってしまった。
 当方は思わず、「日本の総選挙報道はどうした!」と家人に叫んだ。当方はインターネットで選挙結果速報をフォローしていたから、結果は知っていたが、オーストリアのメディアが日本の選挙結果をどのように受け取っているかを知りたかった。しかし、民放のニュース番組は日本の選挙結果をボツにしたのだ。

 チャンネルを国営放送に回した。幸い、国営放送のニュース番組は日本の総選挙結果を報じると共に、北京駐在特派員の解説報道も付け加えていた。曰く「自民党政権には新鮮味がなく、余り期待できない」という。そして「日中関係が更に険悪化する危険性はあるが、日中両国も経済関係を完全に損なうような正面衝突は回避するだろう」と解説していた(同特派員は福島第1原発事故では放射能が怖くて東京事務所から逃げ出し、大阪から報道していたが、徹底した反原発派ジャーナリストだ。その報道内容は客観性に乏しく、反原発を煽る姿勢に当方は不愉快さを感じたことがある)。

 翌日の17日、購読している日刊紙クリアを読んだが、その国際面には日本の総選挙結果は報じられてなかった。高級紙プレッセは報じていた。いずれにしても、アルプスの小国オーストリアのメディアは米国の銃乱射事件には関心があるが、日本の総選挙結果と政権交代については関心がない、というより、どうでもいいのかもしれない。

 当然かもしれない。2009年から3人の首相が誕生するなど、政権はコロコロと変わる。大臣の名前など覚えられない。日本は世界3番目の経済大国だが、国際社会での政治力はほとんど無きに等しい。隣国・北朝鮮にすら「日本の政権が短期間に変わるので、真剣な交渉が出来ない」と嘆かせているほどだ。
 日本よ、目覚めよ。

EUの拡大はちょっと待って

 ドイツのメルケル首相は13日、独連邦会議で「欧州連合(EU)の拡大はストップすべきだ。新たな拡大の時はまだ成熟していない」と述べ、EU域内外で大きな反響を呼んでいる。オーストリアの代表紙プレッセは14日付で大きく報道した。
 
 EUは目下、27カ国体制下にある。来年7月1日、クロアチアが28番目の加盟国入りすれば、「EUの拡大はクロアチアで当分終わりだ」というのだ。同首相の発言はノーベル平和賞の受賞式参加後に出たものだ。そこにはEUがノーベル平和賞を受賞したといった高揚感も使命感も感じられない。

 ギリシャの財政危機が表面化して以来、EUは頻繁に首脳会談を開催する一方、共同通貨ユーロの維持のために腐心してきた。特に、最大の分担金拠出国ドイツの責任者メルケル首相にとって「今年の1年はギリシャとユーロ対策に明け暮れた超多忙な年」となったことは間違いないだろう。

 メルケル首相の発言が報じられると、バルカン諸国と国境を接するオーストリアでは「メルケル発言には失望した」といった反応が飛び出した。シュビンデルエッガー外相は「メルケル首相の発言はショックだ。欧州全土の国境線を廃止し、自由に移動できる地域の構築という目標はどうしたのか。EUは拡大することで繁栄してきた歴史がある」と主張する。
 少なくとも、オーストリアはEU拡大で繁栄してきた国だ。特に、ボスニア戦争など民族紛争に明け暮れていたバルカン諸国のEU統合はオーストリアにとって安保の強化に繋がる。バルカンのEU統合は経済的な恩恵も多い。例えば、オーストリア企業はセルビアのEU加盟を視野に入れて進出している。それだけに、オーストリアはこれまでクロアチアだけでではなく、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニアなどバルカン諸国のEU統合を積極的に支持してきた経緯がある。ただし、拡大推進派のオーストリアは加盟国内で次第に少数派となってきたことは事実だ。
 
 一方、バルカン諸国にとっても、将来EUに加盟するという目標を掲げることで、国内の民主化や経済改革、司法改革を前進できる。拡大停止発言はそのインパクトを奪うことになり、バルカン諸国の民主化を後退させる危険性すら出てくるという。プレッセ紙は14日付け社説の中で、「メルケル首相の発言は疲労による一時的な弱音に過ぎないか」と問いかけているほどだ。

 もちろん、メルケル首相の発言をもう少し冷静に分析しなければならない。プレッセ紙は「ドイツでは来年秋に総選挙が実施される。ドイツ国民の中には、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャなど南欧加盟国を抱え、多くの財政負担を強いられてきた苦い経験から更なる拡大に拒否感が高まってきている。メルケル首相の発言はその意味で有権者の意向を反映したものだ。同時に、独与党のキリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)内の拡大懐疑派を意識した発言とも受け取られている」と説明する。

 拡大拒否はドイツ国民だけの傾向ではない。フランスを含む主要加盟国では拡大懐疑派が増えてきた。プレッセ紙は「メルケル首相の発言は国際社会に“対応能力の乏しいEU”というシグナルを発信することになる」と警告を発している。

教会の危機は「神の危機」にあらず

 オーストリア国民の信仰調査の結果がこのほど明らかになった。それによると、「神への信仰」と「日々の生活」が不調和となってきたが、信仰調査を担当したカトリック教牧会学のパウル・ツーレーナー教授は「『教会の危機』と『神の危機』を同列視してはならない」と強調している。

 1000人を対象に国民の宗教性の動向の調査が行われた。得られたデータは1988年、92年、そして2007年の過去3年のデータと比較された。その結果、約39%の国民は今日、「神は人生にとって重要な役割を占めている」と考えている。その割合は1988年時の42%より減少したが、2007年の34%より増加している。    

 教授は「国民の信仰は冷却してきた。現代社会で神を信じる生活は難しくなってきた」という。残念ながら、欧州のキリスト教社会の現状はその通りだろう。これまで心の拠り所だった神への信仰は世俗化の波に遭遇して、形骸化し、生き生きとした信仰は久しく消えうせてしまったという印象を受ける。

 クリスマス・シーズンが到来して人々は少々ウキウキしているが、その半面、不安が人々の表情から読み取れる。それは決して今月21日に終わるマヤ暦のせいだけではない。欧州は財政危機に陥り、緊縮政策が席巻し、従来の価値観はもはや解決策を提示できない。その閉塞感が人々の心を占め出したからだろう。クリスマス・ツリーのイルミネーションは今年は少し暗いように感じるほどだ。

 現代人の信仰の危機について、教授は「教会は危機だが、神の危機ではない」と分析する。聖職者の性犯罪が発覚し、教会への信頼感がもはや修復できないほど失墜した。神父に人生の問題を尋ねることすら出来なくなった。なぜならば、聖職者自身が罪の中にあり、他者を救済できる霊的なパワーを有していないからだ。その意味で、教会は危機に直面している。

 しかし、教授は「神の危機ではない」と受け取っている。神が無能力になったのでも、愛を失ったのでもない。神はアダムから今日、変わらない能力と愛を注いでいる。「機関」「組織」としての教会はその存続すら危ぶまれてきたが、人々の神への信仰、憧憬には大きな変化はないからだ。

 教会が抜本的な改革に乗り出し、失った信者たちの信頼を回復できるか、それとも教会という組織は単なる集会所に過ぎず、個々の信者たちは家庭を中心にその信仰を保つ時代に入るか、現代は大きな分岐点に遭遇しているといえるかもしれない。

アイデアが消えた日

 デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜75年)は皆さんも良くご存知だと思う。「マッチ売りの少女」「醜いアヒルの子」「裸の王様」「人魚姫」などの童話はとても有名だ。その豊かな表現とアイデアは驚嘆に値する。
 靴屋の貧しい家庭に生まれたアンデルセンは幼い時から「有名になりたい」という上昇感情が強かった人物という。16歳ごろからさまざまな職業についている。

 ところで、彼は年をとってから「昔は花を見れば、私の話を聞いて、と花が物語りを語りかけ、鳥も話しかけてきたが、今は花も鳥も語ってくれなくなった」と嘆いている。70歳で亡くなった。
 植物や動物たちが自ら話を語りかけてきたというアンデルセンには、アイデアが擬人化され、そのアイデアが勝手に出て行ってしまった、という童話がある(申し訳ないが、書名を思い出すことが出来ない)。いずれにしても、アイデアが消えれば、書くことを生業とする小説家やジャーナリストにとって「死の宣告」に等しい。

 当方は今朝、アイデアが自分勝手に出て行ったしまったような感覚に陥っている。普段はテーマに困らないほうだが、今日はちょっと状況が違う。疲れが溜まり、頭に酸素が流れていないような症状かもしれない。その一方、当方の頭の中に住んでいたアイデアが家人に断り無く、出て行ったという感じだ。そこでアンデルセンの童話を思い出した次第だ。

 そこでもう少し、アンデルセンのことを考えた。彼は願望だった有名人にはなったが、社会に認められた後もその性癖は無くならなかったという。ノーベル文学賞を得ることができなかったことを悔やんでいたスウェーデンの作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)とノルウェーの国民劇作家ヘンリック・イプセン(1828〜1906年)と共に、アンデルセンはスカンジナビア文学界の巨峰だろう。

 それにしても、アイデアが家(頭の中)から出て行ってしまう、という発想は斬新だが、恐ろしいことだ。 

「終末論」が持てはやされる理由

 「到来しない世界の終わり(おそらく、“今”ではない)」(Das Weltende, das nicht stattfindet (jedenfalls jetzt noch nicht)
 バチカン放送独語電子版を読んでいると、上のようなタイトルの記事に遭遇した。まず、記事を紹介する。

 バチカン天体観測所所長、イエズス会神父のジョゼ・フネス氏(Jose Funes)はバチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」の中で「世界の終わりといった偽予言に惑わされるべきではない」と語った。この場合、12月21日に終わるマヤ暦の事を示唆している。一部で「黙示論的な人類の終わり、死者の復活、最後の審判、メシアの再臨」等の一連の終末現象を信じ、懸念する声が聞かれる。
 天文学者の同神父は「宇宙の動きを観測する限り、世界の終わりの兆候はない」という。
 
 興味深い点は「到来しない世界の終わり」というタイトルに、「おそらく、今ではない」と付け加えられていることだ。神父がそのようにいったのか、バチカン放送編集者が付け加えたのか定かではないが、そこには皮肉なトーンが含まれているが、「今ではない」という以上は、カトリック教会も「いつかは世界の終わりが来る」と考えているわけだ。
 換言すれば、終末を迎え、メシアの再臨、最後の審判が行われ、人々は天国行きか地獄行きかとに分けられることを示唆しているわけだ。ただし、バチカンは賢明にも「その時」を敢えて主張していないだけだ。

 当方はこのコラム欄で「『人類の終わり』は到来するか」を書いたばかりだが、なぜ、終末論が人々の関心を惹くのかを少し考えてみた。

 どのような信仰にも一種の「報酬」が付きまとう。例えば、イスラム過激派自爆テロリストは死んだら天国に行き、好き放題のことができると約束されたから、自爆する。死んで地獄へ行くといわれれば、誰一人として自爆テロをしないだろう。キリスト信者も敬虔な人であればあるほど、その信仰の報酬を願うものだ。彼らにとって、最初に祝福を受ける14万4000人に入ることがそれに当たるかもしれない(「報酬を求める宗教」は御利益宗教に過ぎず、高級宗教ではないと反発を食らうかもしれないが、この言葉をここでは敢えて使用する)

 報酬だけではない。不安も信仰には大きな影響を与える。報酬を約束しない宗教もないが、不安を煽らない宗教もない。信仰は不安に刺激されて深まっていく。終わりの日を予言する宗教が信者たちを惹き付けるのは「報酬」と「不安」のメカニズムではないか。そして人々は「報酬」と「不安」の間で揺れ動く。

 ところで、なんの「報酬」も約束せず、「不安」を煽らない宗教は存在するだろうか。「報酬」と「不安」という要因を全く内包しない宗教はひょっとしたらもはや宗教ではなく、哲学か倫理と呼ぶべきかもしれない。

新年カレンダーからみた“北の風”

 北朝鮮では故金正日労働党総書記時代、故金日成主席と総書記の誕生日は国家祝日だった。同国では故金主席の誕生日4月15日は「太陽節」、故金総書記の誕生日の2月16日は「民族最大の名節(祝日)」に定められ、国家祝日となっている。国民はその日、特別の食糧配給を受けたり、子供たちにはお菓子などが配られたものだ。2代続いてきた伝統は3代目にはひょっとしたら廃止されるかもしれない。

 訪朝し、帰国したばかりの欧州実業家筋は、「2013年の北朝鮮のカレンダーには金正恩第1書記の誕生日(1月8日)が国家祝日として記載されていないだろう」と予想する。もしそれが事実とすれば、画期的な出来事だ。北で国家指導者の祝日を国民が公式に祝わない初のケースとなるからだ。同筋は「金正恩氏は自身の誕生日はあくまで個人の問題であり、国家祝日として祝うものではないと考えているのではないか」と説明する。

 当方はこのコラム欄で「『説明衝動』に駆られる金正恩氏」(2012年3月21日)を書いたが、北朝鮮で金正恩氏が登場して変化した点は、国際社会を意識して物事を以前よりも多く説明しようとする傾向だ、と書いた。

 金日成主席、金正日総書記時代、独裁者とその一党は国民に向かって命令をしても、国民にそれを説明することはなかったが、3代目の金正恩氏が登場して以来、北当局は他者を意識して説明するようになった。食糧問題、人工衛星打ち上げ問題でも金正恩氏は国民と国際社会の動向を意識している。李雪主夫人同伴の視察も新しい伝統だ。

今回の長距離ミサイル発射でもその「説明衝動」は遺憾なく発揮された。同国国営中央通信(KCNA)は8日、朝鮮宇宙空間技術委員会の報道官の話として「衛星打ち上げ時期を再調整する問題を真剣に検討している」と報じ、10日は、「ロケットの発射予告期間を29日まで延長する」と伝え、「ロケットのエンジンモジュールの技術的な欠陥」とその理由を説明している。
 今回はこの情報公開を巧みに駆使し、技術欠陥でロケット発射の延期を報じる一方、12日、突然、ロケットを発射させ、国際社会を撹乱させたとすれば、金正恩氏もなかなかやる。

 2013年のカレンダーに金正恩氏の誕生日が国家祝日として記載されていないことが確認されれば、金正恩氏は明らかに北に新しい風を巻き起こしていることになる。
 ただし、金正恩氏の誕生日が国家祝日でない場合、指導者の誕生日の度に豪華な贈物を受けてきた党・幹部たちは寂しいかもしれない。

選挙の“洗礼”とモンティ氏の教訓

 日本で16日、総選挙(第46回衆院選)が実施される。1500人以上の候補者が議席獲得のため奮闘中だ。国民主権の民主国家では選挙は国民がその意志を直接表明できる機会として重要な政治行事である点で疑いないだろう。しかし、選挙でベストの議員を選出でき、ベターな政権が確立できるという保証はない。それでも国民は期待と希望をもって貴重な一票を投じる。

 ところで、当方が住むオーストリアの隣国イタリアの政界動向を見ていると少し考えてしまう。イタリアのマリオ・モンティ首相(69)は8日、2013年度予算の成立後、辞任すると表明した。その直接の理由は、ベルルスコーニ前首相率いる自由国民党(PLD)がモンティ政権への支持を取り下げたことからだ。
 モンティ首相は総額300億ユーロの緊縮財政や構造改革を実施し、沈下していたユーロ圏第3番目の経済大国・イタリアの国民経済への信頼を回復させてきた。同首相の政策を高く評価してきた欧州連合(EU)は同首相の突然の辞意表明に衝撃を受けている。モンティ首相は来年2月中旬に実施予定の総選挙で新政権が誕生するまでその職務の継続を約束し、同国の国家債権や株価の低下など、市場の混乱を懸命に抑えている。

 ミラノの大学教授、モンティ氏は、辞任したベルルスコーニ前首相の後釜に選ばれた経済専門家だ。モンティ首相は選挙という“洗礼”を経て首相に就任した政治家ではない。そのモンティ首相は選挙で国民の洗礼を経て選出されたベルルスコーニ政権が残した巨額の財政債務と機能しない腐敗した構造改革に取り組み、13カ月余りの短期間でイタリア経済を安定化させてきたわけだ。換言すれば、選挙という国民の洗礼を受けずに誕生したモンティ政権が、選挙で選出されたベルルスコーニ前政権の失政を正し、国際社会の信頼を回復させたわけだ。

 選挙という国民の“洗礼”は一体何を意味するのか。民主国家の選挙では人気取りや空公約が吹き荒れる。一方、有権者の国民は自身の利害を国家の命運より優先するから、どうしても目先の空約束に動かされる。その結果、誕生する新政権は前政権と同様、同じような失政と解決能力の無さを暴露する。選出した側(有権者)の責任も問われるべきだろう。
 
 幼児洗礼を受けたからといってその人が将来、敬虔な信仰者となる保証はないように、選挙という洗礼を受けて選出されたからといって、その政治家が正しく国家を主導できる保証はない。モンティ氏の教訓は日本の政界にも当てはまるだろう。
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