ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2012年04月

なぜ、人は愛さねばならないか

 当方は昔、デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの「人は愛さなければならない」という本を読んだことがある。「愛する」という人間の願望に対し「愛さなければならない」と言い切っている哲学者の存在に新鮮な驚きを覚えたことを思い出す。すなわち、「私が愛したい」のではなく、「愛さなければならない」とわれわれに「愛」を強要しているのだ。

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▲デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール

 そこで今回、「愛する」ことを義務として受け入れることができるか、を考えてみた。人は他者を愛する時、いろいろな事情から「愛せない」ことがある。自分を愛してくれる人を愛するのは多分、自分を嫌う人を愛するより容易かもしれないが、それでも、「絶対に容易だ」と断言できない。それほど、人にとって「愛すること」は容易な業ではない。
 それでは、難しい「愛する」ことをなぜ、人は求めるのだろうか。難しいのならば、愛することを諦めれば楽だ。にもかかわらず、愛する対象を求め、試行錯誤しながら「愛する」道を行こうとする。少し格好をつけて表現すれば、「人は愛の殉教者の運命を逃れることができない存在」といえるわけだ。
 ところで、「どうして人は愛せないのか」という基本的なテーマは残る。われわれの周囲には時として、家族や友人から無条件に愛されている人がいる。そうではない人から見れば、羨ましい限りだ。「愛されていない」と感じる人は多くの人から「愛されている人」を研究するのも無益でないかもしれない。
 ここでは、愛されている人を羨ましく感じ、「どうして自分は愛されず、彼は愛されるのか」と悶々とし、最後には「愛されている人」を殺した話を紹介したい。人類始祖アダム・エバの家庭の「カインとアベル」の兄弟の話だ。兄カインは神が自分の供え物ではなく、弟アベルの供え物を受け取ったことに憤りを感じ、神から愛される弟アベルを殺害した。旧約聖書創世記に出てくる話だ。
 人類最初の家庭で「失楽園」(原罪)ばかりか、「殺人事件」まで生じた。いずれも、「愛」の問題で躓いている。その後孫が愛で悩み、苦しむのも当然の結果かもしれない。「(神が愛する者を)愛せない」という気質や性向が人間の中に刻み込まれてしまったからだ。
 しかし、悲観的になることはないだろう。もともと愛せない存在だったら、悩むことはなかったはずだ。人が「愛する」ことで悩み苦しむということは、「愛する存在」から「愛せない存在」に堕ちてしまった結果だ、といえるからだ。キルケゴールの「愛さなければならない」という少々命令調のテーゼも、われわれは本来、愛し合うことができる存在だった、ということを前提としているはずだ。
 命令や義務を重荷に感じやすい現代人にとって、「愛する」というほうが受けがいいかもしれないが、われわれは「愛さなければならない」のだ。その為の苦悩や痛みは自身の発展の糧として甘受していく以外にない。なぜならば、われわれはまだ一度として本来の愛を体験していないからだ。その意味でも、敵をも愛したイエスの存在は歴史上記念碑的な出来事だったわけだ、キリスト教が世界宗教として発展してきた背景には、「愛する」ことをその教えの中心に置き、それを実践したイエスがいたからだ。

なぜ、イエスは十字架に行ったか

 9日はイースター・マンデーだ。欧州のキリスト教社会では祝日の国が多い。復活祭は終わったが、「なぜ、イエスは33歳の若さで十字架上で殉教せざるを得なかったか」をもう一度、考えてみたい。

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▲活祭の記念礼拝をするローマ法王=バチカン放送独語電子版のHPから

 キリスト教は「イエスの十字架の道は必然、不可避であり、神の計画(摂理)に基づく」と主張してきた。そしてその十字架の殉教イエスを仰ぐことで罪から救われると信じてきたが、そろそろその思い込みから脱皮しなければならないだろう。聖書を偏見なく読めば、イエスの十字架は神が本来願った道ではなかったと分かるからだ。
 もう少し、実証的にいうならば、過去、イエスの十字架を仰ぐことで罪から解放され、救われた信者たちは現れただろうか。イエスの十字架を信じる敬虔な信者ですら、完全には救われていない、という現実がある。
 イエスはメシアとしてその使命を成就し、神の国を建設するため生誕された。決して33歳の若さで殉教の道を行くのがイエスの使命でなかったはずだ。新約聖書の「ヨハネによる福音書」5章を読んで頂きたい。イエスは「私は父の名によって来たのに、あなたがたは私を受け入れない」と嘆いている。十字架の道がイエスの使命だったら、嘆く必要はないはずだ。「コリント人への第1の手紙」2章8節では、「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし、知っていたならば、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」と記述されている。
 ただし、聖書の中には「イエスは十字架の道を行くために降臨した」と受け取れる箇所もある。例えば、イエスは十字架の苦難の道を行かざるを得なくなった時、これを止めようとした弟子ペテロに「サタンよ、引き下がれ」(「マタイによる福音書16章23節)と責めている。
 すなわち、イエスはある段階に入ると、十字架の道を避けられないことを示唆していることは事実だ。それでは、「どの段階から」かといえば、ユダヤ教指導者の無知と不信が強まり、もはや十字架の道を行かざるを得なくなった時からだ。イエスは「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おもえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、お前たちは応じようとしなかった」(「マタイによる福音書」23章37節)とはっきりとその失望感を吐露している。
 ユダヤ教指導者がイエスの教えを受け入れれば、その教えはローマを通じて全世界に宣布できる状況だったが、イエスは生きて神の願いを果たせなくなった結果、「私はもう一度来る」と再臨を約束せざるを得なくなったわけだ。
 イエスの十字架の受難とその勝利を信じれば救われるのであれば、イエスは再臨する必要はない。十字架を信じるだけでいいからだ。イエスの再臨の約束は十字架の受難が決して完全な救いをもたらさなかったことを物語っている。
 「神の審判」のためにイエスは再臨するのではない。2000年前に成就できなかった使命を完成するために再び降臨せざるを得ないのだ。

なぜ、人は神を追放するのか

 旧ソ連・東欧諸国の共産政権は宗教を敵視してきた。唯物思想の世界観では見に見えない世界は存在せず、人間や万物を創造したした存在(神)などは考えられないから、宗教に対して拒絶反応が出てきても当然だろう。
 幸い、共産世界建設の夢は消え、旧東独の人権活動家でルター派教会元牧師だったヨアヒム・ガウク独大統領のキャッチフレーズ「民主主義と自由」を謳歌できる欧米社会が理想社会として称えられてきた。しかし、ここでも神は受け入れられず、敵視され、キリスト教の象徴の十字架は「他宗派の人の宗教心を傷つける」という理由から公共場所から追放されている。神は、共産主義社会だけではなく、「民主主義と自由」が謳歌されている欧米社会でも守勢を余儀なくされているわけだ。どちらに転んでも、神の立場は変わらないのだ。
 「なぜだろうか」と首を傾げる哲学者や歴史家が現れてもいいと思うのだが、そんな受けの悪い役割を担う人間はなかなか出てこない。共産主義社会では唯物思想が国是だったから、「宗教はアヘン」として一蹴できたが、欧米社会では一応、宗教の自由、信仰の自由は保証され、憲法にも明記されている。どの国も表向きは宗教を尊重するが、多数決原理が支配する欧米社会では宗教は次第に少数派になってきた。できれば消滅して欲しい、と考えている進歩的知識人も少なくない。科学が進み、人間の知性が開発されれば、宗教は自然消滅するだろうと、と密かに期待する学者たちも結構いる。
 私たちが今生きているリベラルな世俗化社会では、宗教はプライベートな問題として公の場から追われ、その宗教典礼が公の場で施行される機会は年々少なくなってきた。
 共産主義世界と命がけで戦ってきた人々は、「ベルリンの壁」が崩壊すれば、民主主義と自由を享受できると信じてきた。しかし、自由という錦の御旗を掲げて神を追放できるとは考えてもいなかったことだ。これでは、共産主義社会より悪意に満ちた世界だ、という批判の声がひとつぐらい飛び出しても可笑しくない。
 それにしても、人は右でも左でも神をいつも追放しようとする、という事実は貴重な教訓となるだろう。しかし、その教訓を生かして新しい世界を建設できる時間とチャンスを、わたしたちはまだ持っているのだろうか。

モルモットの「権利」

 当方宅ではここ10年以上、メアシュバインヒェン(Meeschweinchen)を飼っている。日本では余り知られていない動物だが、モルモットといえばお分かりになるだろう。オーストリアでは最も多く飼われているハウスティア(ペット)だ。数では犬よりも多いはずだ。犬とは違い散歩する必要はなく、猫のように一匹狼的な動物でもない。静かな動物だが、賢い。

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 南米ペルー原産だが、もともとルーデル・ティア(Rudeltiere)だ。集団動物だ。だから、一匹で飼うことが禁止されている国もある。例えば、アルプスの小国スイスだ。同国では2008年4月、連邦議会が新しい動物保護法令を施行したが、それによるとメアシュバインヒェンを一匹で飼ってはならない、と明記されている。そして檻の大きさも2匹用としては0・5平方メートルが必要であり、1匹増える毎に0・2平方メートルを追加しなければならない。
 新保護法令によれば、エサも干草だけではなく、ビタミン入りのエサが要求されている。「スイスらしい」といえばそうだ。小動物のメアシュバインヒェンの権利を詳細に渡り明記し、それに違反すれば罰金を課す国が存在すること事態、日本人には考えられないだろう。
 メアシュバインヒェンは犬猫とは違い、表情は乏しいと思われるかもしれないが、そうではない。犬と同じ程度に表情豊かな動物だ、エサをあげる時も飼主の手から直接もらえば喜びが倍加するのだろう、嬉しそうな動きを見せる。逆に、寂しい時は泣く。
 家人が台所に入ると、泣き出す。冷蔵庫にサラダがあるのを知っているから、家人にサラダを要求しているのだ。名前がメア・シュバイン(豚)ヒェンと呼ばれるように、とにかく食欲旺盛な動物だ。
 仕事から帰宅した時だ。部屋の隅の籠から挨拶のため乗り出して家人をみるメアシュバインヒェンを見て驚いた。その反応や仕草は犬猫と同じだ。
 当方宅では昔、犬を飼っていたが、都会のアパート暮らしでは犬も可愛そうだということが分かってからは、メアシュバインヒェンがわが家の動物の主人公となって久しい。時たま、夏季休暇などで留守をする家の犬を自宅で預かることはあるが、その時はわが家の主人公には申し訳ないが、別の部屋に移動してもらっている。犬が賢いメアシュバインヒェンの存在に驚いて落ち着かなくなるからだ。

体力消耗激しい法王に“赤信号”?

 ドイツ人のローマ法王べネディクト16世は一見、強靭な体力の持ち主のようだが、メキシコ・キューバの訪問(先月23日―28日)中にも、時たま疲れた表情を見せていた。体力の極度の消耗だ。10時間以上の時差と異なる気候を克服して南米2カ国を訪問したローマ法王はローマに戻るとキリスト教の最大行事、復活祭が待っていた。
 4月1日にはエルサレム入りしたイエスをシュロの枝で迎えた「シュロ枝の主日」を、5日にはイエスが弟子の足を洗った「洗足木曜日」を祝い、7日夜から8日にかけ復活祭記念礼拝を挙行する。サン・ピエトロ大聖堂の場所から広場に集まった信者たちに向かって「Urbi et Orbi」(ウルビ・エト・オルビ)の公式の祝福を行い、一連の聖週間の行事を終える。高齢の法王は「全ての典礼、記念行事を主導する」(バチカン放送)というから、その体力的負担は大変だろう。今月16日に85歳を迎える法王は疲労困憊といった状況だろう。
 べネディクト16世の実兄ゲオルグ・ラッツィンガー氏(88)は4日、「弟はバイエル(独バイエルン州マルクトム・アム・イン生まれ)を再訪することはもはやないだろう。ローマ法王は体力を消耗する訪問を制限しなければならないからだ。弟はその職務の重要さをよく理解している。法王の訪問には多くの責任と課題が付きまとう」と述べ、「16日の誕生日は静かに過ごしたいだろう」と述べ、弟の健康を心配している。
 実兄によれば、ベネディクト16世は過去3度、軽い脳卒中の発作に見舞われている。ラッツィンガー枢機卿が第265代法王に選出された時(2005年4月19日)、実兄は「心労が重なる法王職を務めることは無理ではないか」と懸念を表明したほどだ。
 2年前、訪問先のマルタのフロリアナで礼拝中、べネディクト16世は瞬間、前屈みとなり、眠り込んでしまった。驚いた周りの者が法王をそっと起こすというハプニングがあった。
 べネディクト16世はバチカン法王庁教理省長官のラッツィンガー枢機卿時代、法王選出に関する教会法改正について、「古い法王がまだ生存している時だけ合法だ」と主張したことがある。ローマ法王は終身制だが、法王の中でもケレスティヌス5世(1215年〜96年、Caelestinus)は自ら教会法を改正し、半年余りで法王職を自主退位している。ひょっとしたら、べネディクト16世は自主退位した“ケレスティヌス5世流の身の振り方”を考えているかもしれない。

イスラム過激派からサラエボを守れ

 セルビア系、イスラム系、クロアチア系の3民族が共存してきたボスニア・ヘルツェゴビナで20年前の1992年4月、民族紛争が勃発した。6共和国、2自治州から構成されていたユーゴスラビア連邦が解体し、スロベニア、クロアチアなどが次々と独立宣言を表明。それを受け、ボスニアでも92年3月、独立を宣言したが、セルビア系側はユーゴ連邦に留まることを主張し、各民族間で緊張が高まり、武力紛争が勃発したことはまだ記憶に新しい。

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▲旧サラエボ市街(2005年11月、サラエボで撮影)

 93年にはセルビア軍を主導とする旧ユーゴ軍の戦車によって、サラエボは完全に包囲された。数万発の砲弾が市内に撃ち込まれた。民族図書館もその時全焼した。小学校も砲撃され、児童も犠牲となった。94年2月、サラエボ中心地にある青空市場が砲撃され、ボスニア紛争最大の70人余りの犠牲者を出した。
 当方は2005年11月、ボスニア和平協定調印10年目の取材のためサラエボを訪れた。紛争の傷跡は、旧市街の繁華街フェルハディヤ通りを歩いている限り見つからなかったが、横道に入ると、銃弾の跡が生々しい建物に出くわしたことを思い出す。
 3年半余りの民族紛争後、95年12月 ボスニア和平協定(パリ)が調印された。ボスニア紛争は死者20万人、難民、避難民約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇であった。
 ボスニア和平履行会議上級代表を務めたウォルフガング・ぺトリッチュ氏は当時、当方とのインタビューの中で「ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語っている。
 バチカン放送独語電子版によると、 サラエボのローマ・カトリック教会ヴィンコ・ブルジッチ(Vinco Puljic)枢機卿は「残虐で意味のない戦争だった」と振り返っている。なお、今年9月サラエボでさまざまな宗教団体が結集して国際平和会議が開催される予定だという。
 当方は05年末のサラエボ取材後、現地を訪れる機会がないが、ボスニア紛争(1992年〜95年)が終了、和平協定が合意した直後、サウジのワッハーブ派はその豊かな資金をボスニアに投入し出し、多くのイスラム教寺院を建設し、ボスニアを西欧進出への主要拠点としてきたと聞く。首都サラエボで昨年10月28日、自動小銃で武装したイスラム教徒の男が米大使館を銃撃、警官1人が重傷を負うというテロ事件が発生している。
 サラエボは昔、多民族共存のシンボルの都市だった。第14回冬季五輪大会(1984年2月)が開催された国際都市サラエボの行方が心配だ。

オスロ大量殺人テロ事件の公判

 オスロ大量殺人テロ容疑者アンネシュ・ブレイビク容疑者(33)の公判が今月16日に始まる。ノルウェー社会では緊迫感が高まっている。容疑者は昨年7月22日、政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害した。
 容疑者は事件発生当初から、「信念がある1人の人間は自身の利益だけに動く10万人に匹敵する」と豪語し、「自分はイスラム教徒の進出を阻止するテンプル騎士団の騎士だ。自分は今、戦争の最中にいる」と宣言し、無罪を主張してきた(「オスロの容疑者の『思考世界』」2011年7月26日)。
 オスロ検察庁は昨年11月29日、ブレイビク容疑者の精神鑑定書の結果を明らかにした。それによると、「容疑者は偏執病精神分裂者(paranoider Schizophrenie)である」という。ノルウェーでは死刑はないから、77人を殺害した容疑者の場合、最高刑の21年間が妥当と受け取られてきたが、容疑者が精神分裂者と判断された場合、刑務所ではなく、精神病棟に収容することになる。そして3年毎に診断のチェックがあり、医者が「容疑者の病は癒えた」と判断したならば、彼は精神病棟から退院し、自由の身となれる、という事態が考えられるわけだ(「大量殺人容疑者の『罪と罰』」11年12月3日)。
 77人の人間を殺害した容疑者が精神病という理由から「その行動に責任なし」とすべきかどうかで、リベラルな社会を誇示してきたノルウェー国内でも議論が沸いてきた。そこで容疑者の精神鑑定を再度実施することになり、公判開始前までに精神鑑定結果が提出される運びとなったわけだ(ちなみに、犠牲者側の復讐や攻撃から犯罪人の身辺を保護するという観点から、容疑者を精神病院ではなく、刑務所に収容できる刑法の改正を検討中という)。
 被告弁護士は2日、「公判では40人余りの証人リストを裁判所に提出する」と述べた、リストの中には拘束後の容疑者の言動を観察してきた精神分析学者、拘束中のクルド系イスラム過激派指導者、反イスラム教の著名なブロガーなどが含まれているという。弁護士の説明によると、「容疑者は自身が責任能力のあることを裁判を通じて証明する」という。換言すれば、「大量殺人テロは精神病者の犯行ではなく、思想に基づいた行動であることを証明する、というわけだ。
 ノルウェーでは移住者が近年増加傾向にあるが、イスラム教徒の数は人口の2%にもならない。にもかかわらず、容疑者の憎悪はイスラム教徒に向けられ、イスラム教の欧州進出に強い危機感を持っている。01年9月11日の米国内多発テロ事件後、イスラムフォビア(イスラム教嫌悪)と呼ばれる社会現象が欧米社会で広がってきた。その意味で、オスロ容疑者の公判はイスラムフォビアが問われる裁判ともいえることから、その行方が注目されるわけだ。

枢機卿と同性愛者の「教区評議員」

 ローマ・カトリック教会の各教区には聖職者のほか、教会の諸行事などを聖職者と共に組織したり、運営を担当する評議員会があるが、そのメンバーは定期的に信者たちから選出される。ところが、同性愛者の信者が評議員に選出されたことがこのほど判明して、オーストリアの教会全土に大きな波紋を投げかけている。
 ニーダーエストライヒ州のシュッツェンホーフェンで3月18日、教区の評議員会選出が実施され、26歳の同性愛者の信者が選出された。青年は2年前に男性とパートナー関係を登録している。
r_katechesen_190x100 教区の神父は「教会法では同性愛者の評議員入りは公認できない」と主張し、同性愛者の評議員会入りに反対を表明。オーストリアのカトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿(67、写真=ウィーン大司教区のHPから)も教区側の見解を支持した。
 ところが、シェーンボルン(Christoph Schonborn )枢機卿はその後、「自分は同性愛者の評議員会入りに反対の見解を明らかにしたが、考え直して、その青年に会ってみたくなった。そこで青年を昼食に招き、語り合った。青年は人間的に立派であり、キリスト教の信仰を有していることが分かった。教区の信者たちが青年を支持した理由も理解できた」と述べ、「教会法では問題があるが、青年を評議員選出に受け入れる決意をした。これは私の個人的決定だ」と表明した。一方、青年は「枢機卿の決定には驚いたが、嬉しい。教会内で同性愛者が一層容認されることを期待する」と語っている。
 今回は面白い展開を見せた。教区側が同性愛者を受け入れ、教会最高責任者が教会法に基づいて拒否するというパターンが普通だったが、今回は逆の展開だった。教区側が反対で、教会最高指導者が受け入れを表明したのだ。それだけに、シェーンボルン枢機卿の決定は今後、教会全土に大きな影響を与えることが予想されるわけだ。
 更に好奇心を呼ぶことは、バチカン放送独語電子版が1日、シェーンボルン枢機卿の「同性愛者の評議員会入り容認」をかなり大きく報道したことだ。
 シェーンボルン枢機卿は1日、オーストリア国営放送の番組の中で「われわれは教会の規則を守らなければならないが、個々の人間の事情をも無視できない」と述べている。ローマ法王べネディクト16世の愛弟子、同枢機卿の決定が教会のリベラル化の始まりを告げるのか、それとも単なる例外的処置に過ぎないのか、その動向が注目される。

聖週間とローマ法王

 ローマ法王べネディクト16世は今月、超多忙だ。先月末、メキシコ・キューバ訪問からローマに戻ると、4月1日から復活祭の聖週間が始まり、4月8日の「復活の主日」を迎える(復活の主日から聖霊降臨までの7週間が「復活節」と呼ぶ)。復活祭が終わると、ローマ法王は16日には85歳の誕生日を迎える、といった具合だ。

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▲バチカン法王庁のサン・ピエトロ広場でのイースター礼拝  2011年4月24日、撮影

 先ず、復活祭(イースター)だ。復活祭はイエス・キリストの生誕を祝うクリスマスと共にキリスト教の2大祝日だ。キリスト教の誕生という意味では、復活祭はキリスト教にとって最大行事だ。十字架上の死の後、“復活したイエス”によってキリスト教が始まったからだ。
 十字架で亡くならなかった場合、イエスはユダヤ教の土台でその教えを宣布すればいいだけだった。しかし、ユダヤ教指導者たちの反対と弾圧の結果、十字架で亡くなられた。そのため、イエスは復活後、ばらばらになった弟子たちを呼び集めると共に、その教えがローマに伝えられていったわけだ。初代キリスト教の誕生だ。
 4月1日は復活祭前の最後の日曜日だ。エルサレム入りしたイエスをシュロの枝で迎えたことから「シュロ枝の主日」と呼ぶ。5日は復活祭前の木曜日で、イエスが弟子の足を洗った事から「洗足木曜日」と呼ぶ。イエスは十字架磔刑の前夜、12人の弟子たちと最後の晩餐をもった日だ。ローマ法王はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂でイエスの故事に倣って聖職者の足を洗う。6日は「聖金曜日」でイエスの磔刑の日であり、「受難日」、「受苦日」とも呼ばれる。そして7日夜から8日にかけ法王は復活祭記念礼拝を挙行し、サン・ピエトロ大聖堂の場所から広場に集まった信者たちに向かって「Urbi et Orbi」(ウルビ・エト・オルビ)の公式の祝福を行い、一連の聖週間の行事を終える。
 ちなみに、オーストリアでは復活祭後の月曜日(9日)はイースターマンデーと呼ばれ、公式の祝日だが、グット・フライデー8日は祝日ではない。例えば、スイスやドイツではグットフライデーからイースターマンデーまで4日間連続の大型休日だ。
 バチカン法王庁によると、ベネディクト16世は復活祭の一連の行事を全てこなすという。85歳を迎えるドイツ人法王にとって肉体的にはかなりの負担となることは確実だ。

A君の「シビル・サービス」の日々

 オーストリアでは若者は健康体である限り、兵役(ミリタリー・サービス)か市民奉仕者(シビル・サービス)を選択しなければならない義務がある。兵役義務は6ヶ月間、市民奉仕者は9ヶ月間だ。後者を選択する若者が増えている。移住者も国籍を修得した時が35歳以下の場合、兵役か市民奉仕者として国家に奉仕しなければならない。
 知人の息子さん(A君)は今年初めから市民奉仕者として働いている。息子さんはウィーン大学法学部の学生だが、9ヶ月間休校を強いられるわけだ。息子さんは「早めに義務を果たし、その後、学業に専念したい」という。
 A君はウィーン市内の老人ホームで奉仕活動をしている。毎朝7時に出かけ、勤務は7時半から4時まで。休憩は昼食の一時間。朝はホームの老人たちの朝食準備、スーパーでホームで必要な日用品の買い物、病気になった老人がいれば、病院に運ばなければならない。ベット作りから、老人に頼まれて近くの銀行にお金を下ろしに行くなど、さまざまな雑務が待っている。
 市民奉仕者は勤務先の希望を申請できるが、最終的には市当局が決定する。A君の場合、自宅から近い施設という希望だけを伝えていた。兵役を選択した若者も「自宅から通える兵舎」を希望する声が多く、兵舎で寄宿生活を避ける傾向は強い。
 ホームで老人をお世話していると、老人の中には奉仕者にチップ(お駄賃)を渡す場合があるが、ホームでは「絶対受け取ってはならない」という規則がある。また、正式の看護人ではないので、奉仕者は老人を看病したり、直接、体を触れてはならないことになっている。
 ホームには80歳以上の老人が多いこともあって、「働き出してから既に4人の老人が亡くなったのを見てきた」という。一人の老人が亡くなれば、翌日には新しい老人が入居するという。病院と同じで、ベットの空きをまっている老人たちが多いわけだ。
 A君によれば、「ホームでは誰も尋ねてこない孤独な老人が多く、一日中、椅子に座って一つの方向だけをを見つめている老女もいる」という。看護人たちの間で最近、「一人の老女が亡くなったが、夜になるとその部屋から電気が突然つく」という幽霊話が囁かれているという。
 兵役でも市民奉仕者でも一定の給料は支給される。A君の場合、2週間毎にもらっている。食事代も支給される。A君の先輩の市民奉仕者はホームから「9ヶ月が過ぎても勤務しないか」というオファーをもらったという。先輩は「職を見つけるのが難しいので、9ヵ月後、このホームで職員として働くつもりだ」という。
 知人は「息子は老人たちの現状や人間の死を身近にみて、いろいろと考えさせられている。私と妻は毎朝、出かける息子に、『今日もおじいちゃんとおばあちゃんに宜しくね』といって送り出している」という。
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