ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2012年01月

韓国文化センター、5月開設へ

 ウィーン大学内で30日、オーストリア・コリア両国の今年修好120周年と来年の再修好50周年の記念年を表示したロゴマークとイベントの紹介が行われた。

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▲オーストリア・コリア修好120周年の記者会見=2012年1月30日、ウィーン大学内にて

 オーストリア外務省からはアジア担当マーチン・アイヒティンガー大使、韓国からはチョ・ヒュン(Cho Hyun)韓国大使が出席。その他、オーストリア・韓国友好協会メンバーやウィーン大学東アジア研究所のコリア学専攻学生たちも参加した。
 オーストリアとコリア両国は1892年、友好貿易協定を締結。その後、オーストリアは帝国時代の終焉、2度の世界大戦を経験する一方、コリアは日本の植民地化時代、世界対戦後、韓国動乱後の分断という試練を経て今日に到っている。
 南北分断後、オーストリアは1963年5月、韓国と外交関係を樹立し、来年13年には再修好50周年を迎える。韓国の初代大統領、李承晩大統領の夫人がウィーン出身のフランチェスカ・ドナー夫人で、両者は1934年、ジュネーブで知り合い、同年、結婚した話は有名だ。
 両国関係は文化・芸術分野で急速に拡大してきた。特に、1972年には「ウィーン少年合唱団」が初めて韓国で公演を開くと、世界的な韓国少女民族舞踏団「リトル・エンジェルス」がウィーンで答礼公演を行っている。
 昨年末、韓国を訪問したヴァルドナー外務次官は、「地理的にはオーストリアと韓国はかけ離れているが、韓国ではオーストリアは非常に良く知られている。文化が良好な両国関係の中心的要素だ。韓国の音楽学生にとって、オーストリアは最初の訪問地だ。修好120周年を契機にソウルとウィーンのパートナーシップが更に深まることを期待する」と述べている。
 両国間の貿易関係もダイナミックに発展してきた。韓国は今日、オーストリアにとって欧州連合(EU)諸国以外では米国、中国、日本について4番目の貿易パートナー国だ。韓国とEU間の自由貿易協定(FTA)は昨年7月1日、暫定発効したばかりだ。
 ちなみに、韓国外交官にとって「ウィーン駐在」は特別の意味合いがある。ウィーンを体験すると、将来出世する道が開かれる、といわれるからだ。例えば、国連の潘基文事務総長や金星煥現外交通商相はいずれもウィーンで大使を歴任している。
 なお、「韓国文化センター」が5月、ウィーンで開設されるが、同センターへの通りを初代韓国大統領夫人の名前に因んで「フランチェスカ・ドナー・リ・ガッセ(通り)」と呼ぶことになっている。

教会系週刊誌記者の「警告」

 オーストリアのローマ・カトリック教会系の週刊誌「ディ・フルヘェ」(Die Furche)最新号(1月26日号)は「教会はその価値を失いつつある」というタイトルの衝撃的な記事を掲載した。教会の現状が如何に深刻かを改めて明らかにしたわけだ。「フルへェ」はカトリック系だが、信者たちだけではなく、多くの知識人が購読する週刊誌だ。
 今回話題となったのはオットー・フリードリッヒ記者の記事だ。記者は「昨年度の教会脱会者数は5万人強だが、このトレンドが続けばオーストリアのカトリック主義は喪失するだろう。教会がその価値を失う時は予想以上に早く到来するかもしれない」と懸念しているのだ。繰り返すが、教会外部のジャーナリストの記事ではなく、教会のインサイドを誰よりも知る教会系週刊誌記者の記事だ。
 例えば、オーストリアのFavoriten地区のカトリック信者数は17万7000人で地区人口の3人に1人に過ぎない。そして日曜礼拝に通う信者数となれば、その信者たちの約3%に過ぎないというのだ。クリスマスやイースターの教会祝日以外は教会の礼拝は空席だらけだ。
 しかし、そのような状況はいま始まったわけではないだろう。問題は教会の対応だ。オーストリアでは2010年、聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、教会脱会者が増加。それを受け、教会側も信者数が4000人以下の教会を閉鎖したり、セルビア正教会に教会を譲渡するなど組織改革をしてきた。
 信者数が減れば、その組織は経済的にも運営が苦しくなる。そこで人員削減の対策を取る点では、教会も他の組織、機関と大きな違いはない。
 フリードリッヒ記者はいう。「教会は他の社会組織とは異なる。宗教組織だ。問題は財政問題ではない」と指摘する。教会指導部の対応が行政改革に終始していることに疑問を呈しているのだ。
 教会内でも改革運動はある。オーストリア教会では昨年、ヘルムート・シューラー神父を中心に300人以上の神父たちが女性聖職者の任命、聖職者の独身制廃止、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけた(「不従順への布告、神父たちのイニシャチブ」運動と呼ばれる)。この教会運動についてはこのコラム欄で数回、紹介したが、シューラー神父たちの刷新運動も厳密に言えば教会の行政改革を求めるものだ。その点で、教会指導部の組織改革と余り異ならない。
 ローマ法王べネディクト16世は教会がその生命力を失ってきた背景には社会の世俗化、教会の社会への適応があったと受け止めている。だから、法王はここにきて聖職者たちに再宣教活動の強化を求める一方、教会のEntweltlichung(非世俗化)を頻繁に強調している。
 ところで、ここでどうしても指摘しなければならない点がある。教会側が意図的に回避している重要な問題だ。2000年前のキリスト教の教義内容だ。特に、「真理の独占」を主張するローマ・カトリック教会は十字架の救済問題の再考を避けている。イエスの十字架を信じながら、救済されない数多くの魂の叫びに耳を傾けようとしていない。問題は社会の世俗化にあるのではなく、世俗化した社会に生きる信者たちの嘆きや悲しみを解決できない教会の教えにある。
 教会が非世俗化に腐心し、修道院化することにどのような意味合いがあるのだろうか。教会の使命は悩める魂に光を与え、救済することにあったのではないか。教会がその本来の価値を喪失した理由は、教会組織の問題でも聖職者の能力問題でもない。教会の教えでは悩める魂を救えないという現実があるのだ。教会関係者には厳しい指摘だろうが、この現実を誰よりも知っているのは聖職者自身ではないだろうか。 

IAEA代表団のミッション

 国際原子力機関(IAEA)のハイレベル代表団が29日から31日までイランを訪問する。目的は「イランの核問題に関する全ての未解決問題の解明」だ。

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▲IAEA代表団のハーマン・ナカーツ事務次長=IAEAのHPより

 IAEAは過去8年間余り、イランの核関連活動が平和目的かどうかを検証してきたが、「今なお、イランの核関連活動が平和目的かどうかを検証できない」(天野之弥事務局長の「イラン核報告書」)状況下にある。だから、ハイレベル代表団といっても3日間余りの訪問で「全ての未解決問題が解明できる」と期待することは非現実的だろう。
 ちなみに、アフマディネジャド大統領は26日、国連安保理国常任理事国とドイツを加えた6か国との協議再開に肯定的な姿勢を示したという。イランがIAEA代表団を招請したということは、テヘラン側にも何らかの譲歩の用意がある、と受け取られている。

 天野事務局長は昨年11月8日、最新「イラン報告書」を理事国(35カ国)に提出したが、そこでIAEAはイランの核軍事容疑を初めて明示した。具体的には、核弾頭製造容疑、核兵器の部品試験、外国人専門家から起爆装置関連技術の獲得などだ。また、IAEAはテヘラン近郊のパルチン軍事基地で鉄鋼製コンテナを撮影した衛星写真を入手。同コンテナは高性能爆薬の実験用施設と受け取られている、といった具合だ。
 IAEAの報告書内容を受け、欧米諸国は対イラン制裁を実施してきた。オバマ米大統領は昨年末、イラン制裁法案に署名し、イランの原油禁輸を決定。欧州連合(EU)も今月23日、原油禁輸を含む追加制裁措置に合意したばかりだ。
 一方、イランは年末、ペルシャ湾で軍事演習を開始し、「ホルムズ海峡の封鎖」の可能性を示唆。今月2日には、長距離ミサイルの試射に成功。それに先立ち、イランは核燃料棒の製造に成功し、研究炉での試験を実施し、中部コム郊外フォルドウの地下施設でウランの濃縮作業を開始した。29日にはイラン議会はEUへの原油輸出を停止する法案を審議し、EUへ圧力を行使する見通しだ。
 そのような緊迫した状況下、ハーマン・ナカーツ(Herman Nackaerts)事務次長が率いるIAEA代表団が今回、テヘランを訪問するわけだ。IAEA代表団とイラン当局間の交渉が暗礁に乗り上げるような事態となれば、テヘランの核兵器計画阻止で包囲網を組む欧米側と、それに抵抗するイランの間で軍事衝突する危険性が高まってくる。
 いずれにしても、軍事衝突は欧米側にとってもイラン側にとっても願わしい選択肢ではないことは明らかだ。イランは火に油を注ぐようなことはすべきではない。

教会脱会者の「忘れられる権利」

 アルプスのローマ・カトリック教国オーストリアで昨年、5万8603人の信者たちが教会から脱会したことは紹介済みだが、自身の担当教区の全教会脱会者のフルネームを教会誌に掲載して大きな反響を呼んでいる神父がいる。
 二ーダーエスタライヒ州のジツェンドルフ(Sitzendorf)のニコラース・ヤンセンス神父だ。脱会者名の公表がオーストリアのメディアで大きく報道され、話題となると、神父自身もビックリ。「教会誌では昨年の全ての行事や出来事を信者たちに伝えるので、教会脱会者についてもその氏名を掲載しただけだ」と説明し、他意がなかったことを強調するなど、弁明に追われている。
 ウィーン大司教区側は「教会脱会者名を公表することは個人情報の保護という観点からも容認できないことだ」と指摘し、神父の行動に対し、明確な距離を置いている。
 一方、データー保護運動グループは「公表された元信者たちは教会に対し告訴すべきだ」と述べている。告訴する場合、教会脱会者がその名前の公表でどのような被害を被るかが大きな問題点となる。
 ジツェンドルフは人口2000人余りの小村だ。誰が何をしているか、村民はお互いに知っている。教会側が昨年教会を脱会した氏名を公表すれば、村民からは「彼は教会から離れた人間だ」といった罪人扱いを受け、“村八分”にされる事態が予想できるわけだ。
 話は飛ぶが、読売新聞電子版(27日)を読んでいた時、ブリュッセル発の面白い記事を見つけた。「欧州連合(EU)の執行機関、欧州委員会がインターネット上の個人情報保護のため、利用者がネット事業者に情報の削除を要求できる『忘れられる権利』を盛り込む法案をまとめた」というのだ。
 話を戻すが、ヤンセンス神父は教会脱会者のこの「忘れられる権利」を侵害した、ということもできるわけだ。
 小村で一人の村民が教会から脱会したと公表されればさまざまなハンディを背負う。だから、教会脱会者はその事実を他の村民に敢えて知らせたくない、と考えても不思議ではないだろう。そして教会側は脱会者の「忘れられる権利」を尊重しなければならないはずだ。
 そのように考えると、教会脱会者名の公表はひょっとしたら脱会者に対する教会側の“嫌がらせ”ではないか、といった穿った見方もできるわけだ。

選民イスラエルはその名誉を守れ

 27日はホロコースト犠牲者を想起する国際デー (International Holocaust Remembrance Day) だ。ウィーンの国連では今回、ホロコーストで犠牲となった子供たちに焦点を合わせて、写真展示会が開かれている。
 当方は27日を迎える度に思い出す人がいる。クルト・ワルトハイム氏だ。オーストリア大統領(1986年〜92年)を1期、国連事務総長(72年1月〜81年12月)を2期10年間務め、政治家、外交官として活躍、2007年6月、88歳の生涯を終えた。
 同氏は大統領時代、ナチス戦争犯罪容疑問題で国際社会、世界ユダヤ協会から激しい批判に晒された。同氏は大統領時代、バチカン法王庁以外の国から招待状を受けたことがなく、「さびしい大統領」と揶揄された。
 同氏への批判のポイントは、同氏が通訳将校として派遣された旧ユーゴスラビア戦線で、ナチス軍の虐殺行為に関与したかどうかだったが、国際戦争歴史学者たちが調査した結果、「ワルトハイム氏が戦争犯罪に関与したことを実証する情報はなかった」と明らかにしている。ワルトハイム氏自身が後日出版した著書「返答」の中で、ナチス戦争犯罪の関与を否定する一方、「メディアの不当な糾弾」に強く反論した。
 それでは何故、国際社会はワルトハイム氏の過去問題をあれほど執拗に批判し続けたか。その答えは、戦争終了後に公表された「モスクワ宣言」(1950年)にあるといわれる。そこで「オーストリアはナチス戦争犯罪の加害者ではなく、犠牲者であった」と記述されたのだ。オーストリア国民は戦後、その記述を盾にナチス戦争犯罪の関与という批判をかわしてきた。
 それに対し、数百万人の同胞を失ったユダヤ人民族は「オーストリアは明らかに加害者だった」と主張し、戦争責任を回避するオーストリアに強い憤りを感じてきた。そのため、ワルトハイム氏の過去問題が浮上した時、ユダヤ人が牛耳る世界のメディア機関が一斉に反ワルトハイム・キャンペーンを張ったわけだ。
 当方は1994年、大統領退陣した直後のワルトハイム氏と単独会見したことがあるが、同氏は会見前に「どのような質問を準備しているのか」と聞いてきた。同氏がメディアに深い恨みを持っていることを感じさせられた瞬間だった。
 当方はこのコラム欄で「『個人の過去』と『国家の過去』」というタイトルで記事を書いた。そこで「ワルトハイム氏は『国家の過去』に対して償いを求められた」と指摘した。
 ところで、今回は「イスラエル(ユダヤ民族)の過去」についても言及すべき時だと感じている。イスラエル人は「人類の救世主イエスを殺害した罪のために歴史を通じてその償いをしてきた」というキリスト教派グループの主張に対し、強く反発していることを知っている。イスラエル人は反発する以外に対応の術を有していないことも知っている。
 しかし、ワルトハイム氏が「国家の罪」を背負って行かざるを得なかったように、イスラエル人も反発するだけではなく、冷静に民族の歴史を振り返る事が大切だろう。
 2000年前の出来事を「自身の罪」「民族の罪」として受け入れることは非常に至難の業だが、われわれは程度の差こそあれ、家族、氏族、民族、国家の「過去の罪」を背負いながら生きている。
 イスラエル民族がナチス・ドイツの蛮行への批判に終始しているならば、辛辣な歴史家から「ホロコースト産業」と誹謗・中傷されるだけだろう。
 イスラエル民族には選民思想がある。イスラエルの「民族の過去」は人類歴史の内容を網羅していたはずだ。だとすれば、イスラエル民族が率先して「民族の過去」を再考することで、その民族の名誉を守ることができるのではないだろうか。 

「金正恩時代」は始まっていない

 北朝鮮の故金日成主席、その息子の故金正日労働党総書記の時代、金主席と金総書記の肖像画は政府公舎だけではなく、全国民の住居にも掲げられてきた。同時に、金主席や金総書記のバッジは外交官の背広やワイシャツに付けられていた。金主席のバッジを不注意で落したりしたら厳しく処罰された。
 当方は数年前、金主席のバッジを落してショックを受けた音楽学生を駐ウィーンの北大使館で目撃したことがある。学生にとっては「大失態」だ。友人が上司に通達でもすれば、その学生は即帰国命令を受け、故郷で再教育キャンプが待っているかもしれないからだ。
 金主席、金総書記、そして世襲制は第3代目に継承され、金正恩氏の時代が始まった。過去の例に従うならば、金正恩氏の肖像画が党会議場ばかりか、国民の自宅にも飾られることは時間の問題だろう。その上、正恩氏のバッジが北朝鮮国民の胸で輝く日もそう遠くはないかもしれない。
 当方はそのように考え、金正恩氏の肖像画を見れば即撮影できるようにポケットにデジタルカメラを潜める日々だ。北朝鮮外交官に会う度に彼らの背広やワイシャツにバッジはないかと目をやる。
 しかし、知人の北外交官は「金正恩氏のバッジは今後、出てこないかもしれないね。正恩氏は国民が自分の肖像画のバッジを背広につけることなど願わないかもしれないからだ。若者はバッジなど重視しないからね。肖像画やバッジの時代は金総書記時代までかもしれない」という。
 正直いって、少々驚いた。北国民にとっては金主席、金総書記の肖像画、バッジは聖画だ。その伝統が正恩氏の時代にも当然継承されると考えてきたが、ひょっとしたら正恩氏の肖像画、バッジは作られないかもしれない。

 知人の話を聞いてみて一つ思い出した。北の新しいカレンダーにも正恩氏の誕生日の1月8日に何も特別な徴がなかったという。すなわち、正恩氏はバッジだけではなく、自身の誕生日を国家祝日とする慣例も廃止するかもしれないのだ。
 正恩氏は今年の誕生日、「祝わず、休みなさい」と国民に伝えたという情報がある。
 是非は別として、若き正恩氏は当然、父親・金総書記とは感性が違うだろう。われわれは正恩氏の感性を見誤ってはならない。
 正恩氏の感性を無視して、張成沢国防委員会副委員長ら幹部たちが政治的思惑を強いた場合、両者間に衝突が生じるかもしれない。正恩氏のヘア・スタイル(故金主席に真似た髪型)をみていると、そんな心配もある。30歳にもならない青年が古い祖父の髪型や仕草を真似たいと考えるだろうか。
 朝鮮中央通信社は25日、正恩氏を「オボイ(父母)」という呼称を付けて報じ、正恩氏の偶像化を加速させている。 北朝鮮では最高指導者に対する偶像化は当然かもしれないが、正恩氏の感性がそれらの虚飾の偶像化にどれだけ耐えられるだろうか、と心配になってくる。正恩氏が祖父の故金主席や父親・金総書記と決定的に違う点は、流血の権力闘争を経験していないということだ。

 父親から権力基盤を継承したが、正恩氏の感性が反映したと思える言動は、自身の誕生日の際の発言を除いてはほとんど見当たらない。「正恩氏時代」はまだ始まっていない、といえるかもしれない。

アルプス小国の「大統領廃止論」

 「大統領ポストは必要だろうか」
 ニーダーザクセン州首相時代(2008年)、知人の実業家夫妻から低利の住宅ローン(50万ユーロ)を借りて住居購入した問題でメディアからバッシングを受けているクリスチャン・ウルフ独大統領への嫌味ではない。
 隣国オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のエルヴィン・プレル州知事(Erwin Pr?ll)の発言だ。
 州知事はメディア関係者との会見の中で「わが国に大統領が必要かと自問せざるを得ない。スイスのように閣僚間で順番に大統領職を担うほうが得策だ。国民の直接選挙で大統領を選出する必要はない」と述べたのだ。もちろん、それだけではない。「国会議員の定数も現行の183議席から165議席に縮小し、地方議会も同様、縮小すべきだ」という。
 ここでは、州知事の「大統領廃止論」に的を絞りたい。同国では大統領職の廃止論は機会ある毎にメディアを賑わせてきたテーマだ。その意味で、州知事の廃止論は決して珍しくはないが、同州知事が与党・国民党の重鎮であり、その発言は中央政界にも影響を及ぼすのだ。
 アルプスの小国オーストリアの大統領職は一種の名誉職で政治的権限は限定されている。連邦政府の任命と罷免の他、外国貴賓を迎えたり、相手国を訪問し、友好関係を構築することがその主要な職務だ。
 その一方、オーストリア大統領の給料はオバマ米大統領のそれよりも高給だ。「小国の大統領が世界大国の米大統領より高給取りということは考えられない」といった声が出てきても不思議ではない。
 プレル州知事の「大統領廃止論」は財政赤字対策から考え出された行政改革案の一つだろう。大統領が実際廃止され、大統領府が閉鎖されれば、それによって浮く経費は少なくない。必要ならば出費も止む得ないが、絶対に必要な職ではないのだ。だから「節約すべきだ」という論理だ。
 オーストリアは第一次大戦までは帝政だったが、敗戦後(1918年)、帝政が崩壊し、現在の共和国となった。その代わりに大統領職(任期6年)が創設された。国民の間には王制へのノスタルジーが皆無ではないが、大多数は現在の共和国制に満足している。
 ところで、オーストリアではルドルフ・キルヒシュレーガー大統領(1974-86年)まで、大統領は国民の尊敬を受ける対象だったが、クルト・ワルトハイム大統領(86年ー92年)、トーマス・クレスティル大統領(92年ー2004年)頃から大統領への批判が国民の間でも聞かれだした。特に、妻を裏切り、愛人と再婚したクレスティル大統領はその任期中、家庭問題については一切、語らなかった。そして最後まで、国民の信頼を受けることができなかった。現在のフィッシャー大統領(2004年ー)は社会民主党の左派代表で、国会議長時代から親北朝鮮政治家として有名だった。大統領に選出後も出身政党の社民党寄りの言動が目立つなど、国民の代表としての大統領には程遠い政治家だ。
 欧州経済の危機、それに伴い節約と経費削減が急務の時、国民の信頼を勝ち得ない大統領の「廃止論」が飛び出してきたわけだ。当然かもしれない。

北で静かなブーム呼ぶ「ハーモニカ」

 北朝鮮の「音楽政治」は金正日労働党総書記時代、有名になった。当方もこの欄で数回、金総書記の音楽への造詣を紹介したことがあった。
 北関連のサイト「ネナラ」ニュースは2008年1月11日、「外国の友人たちの称賛の声」と題して、金総書記の「音楽政治」について説明している。それによると、「金総書記は音楽によって千万軍民を奮い立たせ、社会主義強盛大国の建設において大きな成果を収めるように導いている」という。ロシアの作曲家、ニコライ・ドルジェンコフなどは「偉大な金総書記は音楽によって大衆の心の琴線に触れる独特な政治を行っている。総書記の音楽政治は百戦百勝の保証となっている」と絶賛している。
 当方が住む音楽の都ウィーンでは過去、50人余りの北朝鮮音楽学生がウィーンの名門音楽学校に通っていたが、国民への監視強化策が実施されると共に、海外留学生の亡命防止もあって、ほぼ全ての音楽学生たちは帰国を命じられた。その後、北の音楽学生の姿は見られなかった。
 ところが、最近、15人の音楽学生がウィーンで1年間、留学中という。ピアノやバイオリンではなく、今回はハーモニカ留学だというのだ。北の「音楽政治」が今、ハーモニカに集中しているわけだ。
 「北朝鮮とハーモニカ」の関係が最初はピンとこなかった。北にハーモニカを紹介したパイオニアはウィーン音楽大学でハーモニカの教鞭をとっているイザベラ・クラップ女史(Isabella Krapf)だということが分った。
 同女史は昨年7月8日から30日まで3週間、北の文化省の招請を受けて平壌の「クロマティックハーモニカ学校」で15歳から20歳までの約110人の学生たちにハーモニカを教えてきた。3週間の練習後、生徒たちはコンサートを開催したというから、相当上達したわけだ。
 同女史は「北朝鮮には私の生徒がハーモニカを学んでいます」と誇りを持って語る。同女史はこれまで2回、ハーモニカの教鞭のために訪朝している。
 北でハーモニカが人気を呼び理由について、女史は「ハーモニカが他の楽器と比べて安価だという理由もある。その上、ピアノやバイオリンといった楽器と違って珍しさも若者をひきつける要因となっているかもしれない」と説明する。
 ハーモニカは1820年頃、オルガンの調律用として使用され、19世紀半ば、ウィーンで人気を博したという。その楽器が今、平壌で“静かなブーム”を呼んでいるわけだ。

教会改革運動は今年、正念場を

 少し遅れたが、今月10日公表された2011年オーストリアのローマ・カトリック教会信者脱会数を紹介する。
 昨年の教会脱会者数は5万8603人だった。聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚した2010年は戦後最高の8万5960人の信者が教会から背を向けたが、昨年はその教会脱会者の波も一休みといったところだ。それでも年間5万人以上の信者が教会から離れたという事実は重たい。戦後2番目に多い数だ。
 オーストリアのカトリック信者数はこれで約541万人となった。前年(545万人)比で0・8%減少。ちなみに、ウィーン大司教区の信者数は昨年、126万9745人。教会脱会者数は1万6941人だった。10年は2万5314人の信者が脱会した。
 教会関係者は一様に昨年の脱会者数が前年比で約32%減であったことにホッとしている。同国の司教会議広報担当パウル・ヴーテ氏は「脱会者数が前年比で急減したということは、教会が再び信頼性を回復できた徴だ」と指摘し、その背景として、「聖職者の未成年者への性的虐待問題への明確な対応が評価された」と述べている。
 しかし、教会が信者たちの信頼を本当に回復したのかはまだ速断できない。はっきりしている点は、過去2年間で14万人の信者が去ったという事実だけだ。
 例を挙げて考えてみよう。元FIチャンピオンのニキー・ラウダ氏は昨年教会に復帰した。その理由は「娘の洗礼」問題がある。洗礼を受けないと今後の娘の成長にマイナスとなる、という判断がラウダ氏にあったという。同氏の場合、神への信仰云々は問題ではない。社会での慣習が重要なのだ。それを教会側が「教会の信頼が回復してきた結果」と受け取るならば、大きな間違いを犯すことになるだろう。
 聖職者の未成年者への性的虐待問題が1年経てば忘れられると安易に考えるならば危険だ。教会への不信感はボクサーのボディー・ブローのようなものだ。時間が立てば効いてくる。
 さて、今年は聖職者の未成年者への性的虐待問題の対応だけではない。教会刷新運動の動向が気になる。オーストリア教会では昨年、ヘルムート・シューラー神父を中心に300人以上の神父たちが女性聖職者の任命、聖職者の独身制廃止、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけた(「不従順への布告、神父たちのイニシャチブ」運動と呼ばれる)。信者たちの教会改革運動はあったが、聖職者の改革運動は初めての事だ。
 ちなみに、今年はローマ法王ヨハネ23世(在位1958年10月28日〜63年6月3日)が教会一致(エキュメニズム)や教会の近代化を決定した第2公バチカン会議を招集して50年目を迎える記念の年だ。いずれにしても、教会改革運動は今年、正念場を迎えることになるだろう。

IAEAは「殺人幇助罪」の疑い

 今月11日、イランの首都テヘランで核科学者のムスタファ・アハマディロウシャン氏がドアに取り付けられた爆弾で爆死した。イランでは過去2年間で4人の核科学者が殺害されている(「イランの核問題と『終末時計』」2012年1月13日参照)。
 それに対し、イランのハビーブ国連副大使は19日、「犯人は事前にわが国の核開発計画に参加してきた核科学者名を入手していた可能性がある」と指摘し、イランの核査察情報を握る国際原子力機関(IAEA)から情報が漏洩した可能性を示唆した。
 イラン国連副大使の指摘は非常に論理的な推測であり、「正しい」とすれば大きな問題だ。イラン核科学者殺人グループはその目的を成就するためイラン核計画に関与している科学者名を知らなければならない。その情報源がIAEAだとすれば、IAEAは連続殺人を手助けした「殺人幇助罪」に問われることになる。
 IAEA側は過去、8年間、イランの核問題を検証してきた。核関連施設の査察だけではなく、イラン科学者とのインタビューも行ってきた。すなわち、IAEAは犯人グループが必要としていた情報を所持しているのだ。
 本来、加盟国との査察情報は機密であり、第3者への流出は厳禁だ。しかし、残念ながら、IAEAを少しでも知っている者は「IAEAほど機密情報が漏れる国際機関はない」と感じるだろう。当方もこのコラム欄で数回、IAEAの情報管理のルーズさを指摘してきた。
 話は飛ぶが、今月19日、駐ウィーンの国連機関の報道官が集まって、国連担当記者たちに今年1年間の活動目標やテーマをブリーフィングした。IAEA広報官は「3月の定例理事会開催10日前に事務局長のイラン・レポートが提出されるが、いつもその報告書内容が事前にメディアに漏れている」と笑いながら語ったのだ。
 広報官は記者たちの笑いを誘うつもりで語ったのだろうが、笑うべき内容ではない。IAEAではいつも情報が漏れていることを広報担当官自身が認めているのだ。
 参考までに、IAEAの査察情報や関連情報を第3者に漏らすのは誰だろう。考えられるのは、。稗腺釘楚Π、■稗腺釘噌報担当官、2談噌餝宛魎韻燭舛澄その中でも、問題は,鉢△澄
 メディアが「外交筋によれば……」という書き出しでイランの査察関連情報を報じる場合、その「外交筋」の多くはIAEA職員であり、広報担当官だ。彼らは「外交筋」ではないことはいうまでもない。
 天野之弥事務局長がIAEA就任後、最初に取り組んだ課題の一つは、核関連施設の機密情報を保有するIAEA職員の情報管理の強化だった。それほど、情報管理がIAEAの課題なのだ。
 ちなみに、IAEA広報史の最大の汚点はチェルノブイリ原発事故(1986年)に関する旧ソ連政府調査報告書のリーク事件だ。情報をメディア関係者に流したのは当時のIAEA広報部長だった。その経緯はこのコラム欄で何度か紹介済みだからカットするが、IAEAの情報管理はあれから余り改善されていない。機密情報を自身の売名のために利用した広報担当官もいたほどだ。
 話をイラン核科学者殺害事件に戻す。IAEAから漏れた情報で32歳の若き科学者が殺害されたとすれば、IAEAは科学者の遺族関係者にどのように弁明できるだろうか。笑い事ではないのだ。 
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