ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年10月

「貧富の格差」と「聖職者の独身制」

 今回は「貧富の格差」の是正と「聖職者の独身制」の廃止問題について考えた。両者は一見、まったく別問題にみえるが、案外同じ問題を抱えているのだ。
 豊かな資産家や政治家たちが月々の賃金で辛うじて生活を維持している労働者の環境改善を真剣に考えるだろうか。
 性欲も後退した70歳以上の高齢聖職者(枢機卿)たちが「聖職者の独身制」の廃止を支持するだろうか。
 金融・財政危機の今日、資産家・政治家は労働者の怒りを少しでも和らげるために政策を考えるが、自身の財産が危機に陥るような政策は決して取らない。
 枢機卿まで上り詰めた高齢の聖職者は、若い聖職者のように「独身制の廃止」を真剣には考えず、「イエスがそうであったように」といった理屈にもならない論理を主張し、聖職者の独身制を維持する。彼らは「聖職者の独身制」がカトリック教義ではないことを知っているが、「聖職者の独身制」廃止のメリットがないからだ。
 具体的に考えてみよう。欧州の財政危機の克服のために首脳会談を頻繁に開くサルコジ仏大統領やメルケル独首相は銀行の横暴を抑え、利益の公正な配分を訴えるが、彼らの最大の関心事は次期選挙で勝利することだ。一方、どう転んだとしても路上に迷うような心配はない。その彼らが、明日、路上にさまようかもしれない不安を持つ大多数の労働者の立場を理解し、政策を立案するだろうか。
 高齢聖職者が若い聖職者たちの「独身制廃止」要望に理解を示すことは希だろう。高齢聖職者は若い時代の苦しかったことを忘れ、若き聖職者たちに同じ様な体験を強いる。
 資産家や政治家が全財産を犠牲にしても労働者の福祉向上に献身するならば、その人は英雄視されるだろう。高齢聖職者が「聖職者の独身制は若い聖職者に不必要な負担をかける」として、その廃止を主張するならば、その人は本当に兄弟愛の持ち主だ。
 しかし、現実は、そのような資産家も聖職者も多くはいないから、「聖職者の独身制」の廃止は決まらないし、「社会の貧富の格差」も是正されない。
 ギリシャでは今日、多くの労働者が政府の緊縮政策に抗議して路上デモを繰り返している。彼らは「政治家たちは豊かな生活を享受しながら、国民には緊縮を要求している」と述べ、政治家たちに不信感を露わにしている(ちなみに、2010年3月以降、2000億ユーロの資金がギリシャからスイスなどに流出しているという。政治家を含む資産家たちの資産保全だ)。
 84歳の高齢法王ベネディクト16世が率先して「聖職者の独身制は非人間的だ」と言い出さない限り、聖職者の独身制は今後も続くだろう。

宗教指導者たちよ、街に飛び出せ

 欧州連合(EU)本部のあるベルギーのブリュッセルで23日、ユーロ圏首脳会議が開催されるが、その直後(26日から28日)、同じくブリュッセルで欧州ローマ・カトリック教会司教委員会(ComECE)の秋季会合が開かれる。両者とも主要テーマは金融・財政危機への対応だ。
 前者のユーロ首脳会議では、欧州金融安定ファシリティ(EFSF)の融資能力の拡大と大量の国債を抱える銀行の資本強化などが話し合われる。
 一方、ComECEの報道向け声明文によれば、秋季会合では現行の財政危機の経済的、政治的原因、危機対応策の是非などについて協議するという。会合期間中、司教団はEU政治的機関、欧州理事会のヘルマン・ファン・ロンパウ議長(大統領)との会談も予定されている。
 ComECEはEU諸国の23の司教会議代表団から構成されている。通常の秋季会合では欧州教会の現状が主要テーマだが、今回の会合ではEU委員会ギリシャ問題タスク・フォース責任者、国際通貨基金(IMF)欧州代表、フランス金融監査局議長ら財政問題の専門家たちを基調演説者として招き、財政危機下にある欧州の金融情勢への理解を深める意向だ。
 米ニューヨークの金融街で始まった「反ウォール街デモ」は15日、世界82カ国、951の都市でデモが拡大した。EUの盟主ドイツでも50都市で約4万人の国民が結集。イタリアのローマではデモ隊と治安部隊が衝突し、70人が負傷した。
 金融・財政危機問題はもはや一部の政治家たちが取り組む課題ではなくなってきた。普通の国民にも大きな影響を及ぼしてきたからだ。
 宗教指導者たちは喧騒な日常生活から距離を置き、「聖書の世界」に閉じ籠もり、聖堂で礼拝していれば良かった時代は過ぎた。平信者たちは路上デモに参加し、日々の肉の糧の保証を求めている。方向性を失い、放浪する羊たち(平信者)を見捨てる羊飼い(聖職者)はいないはずだ。
 宗教指導者たちも街に飛び出さなければならない。もちろん、デモ行進に加わることを求めているのではない。未来に不安と焦燥感に囚われる大多数の平信者たちの悩みを聞き、それを共有しながら、牧会すべきだ。
 ユーロ首脳会談では財政危機に対する具体的な政策が話しわれるから、欧州の司教秋季会合では、物質的享楽が人生の最高の目的のように受け取られてきた現代社会に生きる平信者たちに、「神と共に生きる人生」の価値を改めて想起させなければならない(「反ウォール街デモが提示した問題」2011年10月17日参照)。
 ローマ法王ベネディクト16世は「金融危機は現代人に生き方を再考させる絶好の機会だ」と述べている。宗派の壁を超え、全ての宗教指導者たちは「現代人の霊性の覚醒」を促す絶好の機会を失わないためにも、街に飛び出すべきだ。無神論者グループの「神はいない」運動の叫びが教会の中からも聞こえ出した。時間との戦いである。

「捕虜交換」に感じた「違和感」

 イスラエルとイスラム根本主義勢力ハマスの間で18日、「捕虜交換」が行われた。両者間の「捕虜交換」は今月11日、エジプトの仲介で合意していた。
 今回釈放された囚人や兵士の家族にとって、待ちに待った再会の時だ。しかし、当方は「捕虜交換」という言葉にかなり「違和感」を感じていることを告白せざるを得ない。
 イスラエル側は2006年にハマスに拉致されたイスラエル兵ギラド・シャリート曹長の解放を要求する一方、ハマス側はイスラエルで収監中の1027人のパレスチナ人の釈放を求めてきた。1対1027人の「捕虜交換」に違和感を感じたのではない。「捕虜交換」という言葉自体に感じるのだ。
 イスラエルとパレスチナ人との間ではいまなお紛争状況が続いている。ハマス勢力は武装闘争を放棄していない。一方、イスラエル側は入植政策を継続している。9月の国連総会では、パレスチナ自治政府のアッバス議長が一方的な独立宣言と国連加盟を要求したばかりだ。イスラエルとハマスは紛争状態だから、「捕虜交換」という言葉は依然、「死語」ではないわけだ。
 当方も冷戦時代、敵国側に拘束された旧ソ連国家保安委員会(KGB)エージェントと米中央情報局(CIA)要員の「捕虜交換」が中立国ウィーンで密かに行われた事を知っている。当方は当時、「捕虜交換」という言葉に違和感はなかった。それだけ、緊迫感があったからだ。
 しかし、欧州が東西に分断されてきた冷戦時代も終わり、戦場から遠い地域に住んでいると、「捕虜交換」といってもピンとこなくなってしまった。遠い世界の出来事のように感じてしまう。
 日本に住む読者の皆さんはどうだろうか。ひょっとしたら、当方以上にピンとこないかもしれない。「捕虜」という言葉自体、日常生活ではほとんど使用されないからだ。
 現実は、「捕虜交換」という言葉が日常生活の中でも使用される地域が存在する。その代表的な地域がイスラエルとパレスチナ人問題を抱える中東だろう。
 イスラエルとハマス間の今回の「捕虜交換」は、そのことを改めて明確に教えてくれた。

99%の「わたしたち」の思想

 米ニューヨークの金融街で始まった「反ウォール街デモ」は「行動の日」と宣言された15日、米国をはじめとして世界各地の主要都市で銀行の横暴や貧富の格差是正などを要求する抗議デモとして拡大した。
 メディア報道によると、世界82カ国、951の都市でデモが行われたという。欧州連合(EU)の盟主ドイツでも50都市で約4万人の国民が結集した。イタリアのローマではデモ隊と治安部隊が衝突し、70人が負傷したが、多くのデモは平和的に行われた。
 世界各地で同時デモ開催が可能となった背後には、「アドバスターズ」(カナダ・バンクーバー)などのソーシャル・ネットワークの積極的な活用があったからだろう。
 「反ウォール街デモ」の参加者たちは「われわれは99%」と叫ぶ。彼らは大学を卒業しても職がない若者たち、働きながらも日々の生活に苦しむ国民たち、それに連帯感を示す人々だ。そして、投機で莫大な利益を享受する実業家、それを助ける銀行・金融界の横暴に対して、「これ以上、不正を甘受できない」と立ち上がったわけだ。
 デモ参加者の中にはアタックなど反グロバリゼーション活動家たちや「ブラック・ブロック」と呼ばれる過激派グループも混じっていたが、大多数は、「反ウォール街デモ」に連帯を感じて参加している。「彼らは左翼の職業活動家たちではなく、懸命に生きる国民であり、(現在の金融システム)に怒り、将来を心配する国民だ」(オーストリア日刊紙スタンダード16日付)という。
 「彼らは反資本主義者ではない。財政危機になれば国民に負担を求め、利益があればその恩恵を独り占めにする銀行業界に怒りを感じ、現金融システムの改善を求めているのだ」。
 もちろん、懸念がないわけではない。怒りに基づく抗議デモは特定な信念に立脚しているわけではないから、時間の経過と共に変容し、一種のイベントとなってしまうことが考えられる。
 99%の「わたしたち」には、新しい思想が必要だ。銀行の横暴や政治家の腐敗への「怒り」だけでは十分ではない。「経済倫理」や「社会共通の福祉」の確立など、21世紀の将来を考えた建設的なビジョンを掲げるべきだ。そうなれば、「反ウォール街デモ」は大きな転換点をもたらす歴史的な運動として評価されるだろう。

反ウォール街デモが提示した問題

 米ニューヨークの「反ウォール街デモ」はソーシャル・ネットワークを通じて世界各地に拡大してきた。ウォール街の反政府デモ参加者たちは貧富の格差や銀行を含む金融機関の横暴に批判を強めている。2008年のリーマショックの際、米政府から救済措置(国民の税金)を受けた金融機関が今日、巨額の利益を挙げる一方、多くの国民が失業で苦しんでいる、という現実があるからだ。
 一方、欧州連合(EU)とユーロ加盟国は、スロバキア議会が13日、欧州金融安定ファシリティー(EFSF)拡充案の批准を可決したことで一息ついたが、今後、緊縮財政の履行とともに、大量の国債を抱える銀行の資本強化など包括的な対策に乗り出さなければならない。同時に、それらの政策は国民にも大きな負担をかける。そこで、欧州各地で抗議デモが展開されているわけだ。
 欧米の経済システムは今日、国の財政危機、銀行の破綻など大きな試練に直面しているが、それらの問題は昨日今日始まったわけではないだろう。経済危機をもたらした原因は久しくあったはずだ。人々は昔以上に多くを消費し、医療技術の向上で長生きする一方、女性一人が生涯で生む子供の数は減少してきた。その結果、国家財政は高齢化した国民を支えるために多くの出費を強いられる一方、税収入などの国家収入は減少。それをカバーするために国は多くの財政赤字を強いられる。
 ローマのカトリック教会総本山バチカン法王庁の財政を握る宗教事業協会(通称バチカン銀行)のエトレ・ゴティ・テデスキー総裁は14日、「世界の経済・金融危機の主因は低出生率にある」と指摘、家庭観、結婚観の見直しが不可欠と示唆しているほどだ。
 もちろん、それだけではないだろう。金融機関の経済倫理の欠如が大きな問題だ。目先の利益を優先し、投機に走し、社会全般の長期的な福祉・安定は眼中にない。そのような経済システムは遅かれ早かれ行き詰る。「貧富の格差」是正を訴える「反ウォール街デモ」はそのことを端的に示している。
 スイスの世界的神学者ハンス・キュンク教授は09年10月7日、ニューヨーク国連本部で新しい「経済基本倫理綱目」を提案し、大きな反響を呼んだ。キュンク教授は「世界金融危機が発生して以来、国際金融・経済市場への倫理枠組みを求める声が高まってきた」と述べ、「各自は自身の経済的利益を追求できるが、その際、一定の倫理条件を遵守しなければならない」と説明し、人間性、無暴力、他者への尊重と連帯、公平と寛容などを挙げている。
 世界の経済システムは、家庭の崩壊、経済倫理の欠如といった根本的な問題を内包しているだけに、既成の経済政策の微調整や小手先の政策ではもはや再生できないのではないか。
 ローマ法王べネディクト16世は、「金融危機は現代人の生き方を再考させる絶好の機会だ」と述べている。同時に、修道会「神の愛の宣教者会」を創設して貧者救済に一生を捧げたマザー・テレサは「わたしたちは多くの場合、相手(個人、社会、政府、国家など)に『チェンジ』を求めるが、『あなたと私』がまず変らなければならない」と優しく諭している。

「世界宗教」の対話センター創設へ

 ウィーン市で13日、「宗教・文化対話促進の国際センター」創設に関する合意書の調印式がアルベルティーナ美術館内で行われた。
 同式にはオーストリアのシュビンデルエッガー外相、スペインのトリニダード・ヒメネス外相、サウジアラビア外相のサウード・アル・ファイサル殿下らが参加した。

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▲サウジの宗教政策、女性蔑視政策を批判するデモ(2011年10月13日、ウィーン市内で)

 同センター創設のイ二シャチブを取ったサウジアラビアのアブドッラー国王の名をつけて「国際アブドッラー国王センター」と呼ばれ、常設の国際機関として来夏頃にはウィーンで活動をスタートする予定だ。
 同センターはキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教の世界5大宗教の代表を中心に、他の宗教、非政府機関代表たちが集まり、相互の理解促進や紛争解決のために話し合う拠点となる。すなわち、世界宗教対話フォールムだ。
 一つの宗教団体が意志決定を独占しないように、加盟国・団体の総意を模索する国際機関を目指す。
 なお、世界最大の宗派、ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁も新設される対話センターに関心を示し、オブザーバーとして加盟する意向を既に表明している。
 ところで、調印式が開催された会場の外では、新設されるセンターの出資国サウジの宗教政策、女性権利の剥奪などに抗議するデモが開かれた。
 彼らは「少数宗派の信仰の自由を弾圧し、女性の基本的権利すら奪ってきたサウジがウィーンで宗教・文化の対話促進を掲げる機関を創設するということは滑稽だ」と指摘、サウジ側の偽善を厳しく批判していた。
 サウジはイスラム教発祥地であり、スン二派の中でも戒律が厳格なワッハーブ派が支配的だ。

金ハンソル君に期待すること

 北朝鮮の金正日労働党総書記の長男、金正男氏の息子、金ハンソル君(16)がボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから南東70キロに位置するモスタル市にある国際学校ユナイテッド・ワールド・カレッジのモスタル分校に入学したことが明らかになった。
 そこでハンソル君が今後2年間住むモスタル市について、少し紹介する。以下の内容は、ボスニア和平協定調印10年目の2005年11月に取材した時のモスタル市の様子だ。今も大きくは変わらない。
 
 サラエボのバス中央停留所から午前中に4本のバスがヘルツェゴビナ地方の中心都市モスタル市に向かう。2時間半余りでモスタル市に到着する。
 市中心部をネレトバ川が静かに流れている。オスマン帝国時代に繁栄した旧市街には主にイスラム系市民が住んでいる。それを包囲するように広がる新興住宅地には近代的な建物が目立ち、クロアチア系住民が多く住んでいる。その町の風情はオーストリア・ハンガリー帝国の影響が色濃い。
 ネレトバ川沿いに新しいローマ・カトリック教会がある。その大寺院の塔は100メートルにもなる。まるで、イスラム寺院(モスク)のミナレット(礼拝時刻の告知を行うのに使われる塔)を意識したようにそびえ立っている。その上、山の頂には十字架が立っている。
 「『モスタル市はクロアチア領土だ』というクロアチア系市民の宣言みたいなものさ」とイスラム系市民は説明する。

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▲モスタル市の「スタリ・モスト橋」(2005年11月、モスタル市で撮影)

 旧市街ではお土産屋が軒を連ねている。同市の名所は新旧市街をつなぐネレトバ川に架けられた石造橋スタリ・モスト橋だ。橋はボスニア紛争時にクロアチア系武装勢力によって破壊された。イスラム系勢力が国際世論にアピールするために故意に破壊したという説もある。
 モスタル市の名前の由来となったスタリ・モスト橋は民族間の懸け橋としてシンボル的な性格を持つ。ユネスコ(国連教育科学文化機関)など国際機関の支援を受けて再建された。欧米諸国から多くの旅行者がこの橋を見るためにモスタル市まで足を延ばす。エメラルド色したネレトバ川に架かる橋は初冬の淡い日差しを受けて美しいシルエットを描いていた。
 その橋の傍らで写真店を手伝うエディン・シュコプビッチ君は、1994年のモスタル紛争で腹部に銃弾を受けた。「あの日のことは忘れられない」と言う。クロアチア系武装勢力の銃弾と信じている。
 モスタル市では紛争前、クロアチア系住民もイスラム系市民も平和に共存してきた。それが紛争後、地域ごとに分かれてしまったわけだ。
 ボスニア紛争は内戦だが、その中でもモスタル紛争は「身内同士の戦い」ともいわれる。誰が何をしたかを皆が知っている。それだけに、「相手を許すことが難しく、忘れることができない」というのだ。
 ノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチに「ドリナの橋」という小説がある。ここでは橋は多民族を結ぶ象徴というより、異なる民族同士の交流がいかに難しいか、という現実を橋に託したともいわれる。スタリ・モスト橋はクロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶシンボルというより、両者を隔てる石造の壁のようだというのだ。

 ハンソル君も南北に分断された朝鮮半島出身者だから、モスタル市の歴史を当方以上に肌で感じることができるかもしれない。民族間の紛争がどれだけの多くの痛みを人々に残してきたかをどうか学び、将来の糧にしてほしい。

ハンソル君のボスニア入りを追う

 当方は13日午前4時頃(ウィーン時間)、目が醒めたのでインターネットで記事を追っていた時、北朝鮮・金正日労働党総書記の孫、長男・金正男氏の息子、金ハンソル君(16)が12日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ空港に到着したというニュースが目に入ってきた。
 「ハンソル君がボスニア入りしたのか」
 当方にとって、予想外だった。知人の北外交官も何度も「考えられないことだね」と語っていたからだ。
 ところで、ボスニア入国ニュースは正しいだろうか。そこで「ハンソル君が本当にボスニア入りしたか」を確認する作業に取り掛かった。
 記事によれば、ハンソル君は12日、ウィーンからサラエボ空港に飛んだという。そこで同日の「ウィーン―サラエボ」間の飛行機便を調べたら、13時と20時25分の2本の直行便があった。ハンソル君はウィーンからサラエボに飛ぶことはできたわけだ。
 次に、「ハンソル君はウィーンで北外交官と接触した足跡があるか」を調べた。一人の北外交官は、「ハンソル君がボスニア入りしたのを初めて知った。少々、サプライズだね」と述べた。
 同外交官の発言は多分、正しいだろう。なぜならば、ハンソル君はボスニア入国ビザ(就学ビザ)を入手していたが、シェンケン・ビザを入手していないからだ。北国籍保有者がシェンケン・ビザを得ることは非常に難しいからだ。
 ということは、ハンソル君はウィーン経由でボスニアに直行したのだ。ウィーン市内で宿泊したり、空港外で出ることはできなかったと考えざるを得ないのだ。
 以上、ハンソル君のボスニア入国を検証してみた。ただし、同君が実際、入国し、学校(ボスニア南部モスタルのユナイテッド・ワールド・カレッジ・モスタル分校)に入学したかどうかはウィーンにいる当方には確認できない。ただし、韓国の連合ニュースは13日、ボスニア政府関係者の発言を紹介し、ハンソル君のボスニア入りを確認している。サラエボ発の記事だ。
 以上から、金ハンソル君がボスニアに入国したと考えざるを得ないわけだ。

放射能を浴びた元査察官の「証言」

 ウィーンの国際原子力機関(IAEA)広報部は5日、IAEA査察官を含む3人が4日午後(現地時間)、ベルギー北部デッセル(Dessel)の核廃棄物処理施設を定期査察中、放射能を浴びるという事故が発生したと発表した。
 ベルギー側の報道では、事故現場は封印され、放射能は外部に放出していない。被爆した査察官は放射能の除染措置を受けているという。詳細な事故の状況は不明だ。
 ところで、IAEA査察官が査察活動中に放射能を浴びるケースは今回が初めてではない。1990年代、北朝鮮・寧辺の再処理施設を査察中だったベテラン査察員が放射能を浴びている。
 同査察官(エジプト人)は通算17回、訪朝し、総日数では約1年間、北朝鮮に滞在した経験がある。「IAEAの中で北朝鮮の核問題に最も精通した人物」といわれていた。
 同査察官は事故後、ウィーンで健康診断を受けた。退職後も定期的に検査を受けているという。
 当方は昨年、退職した同査察官に会う機会があったが、「幸い、これまで発病はない」と語っていた。
 同査察官によると、「北の核関連施設の作業員は不十分な安全体制下で仕事を強いられている。IAEA査察官は定期検査を受けるが、北作業員の場合はそのようなケアがない」という。そのため、「北の核関連施設に働く多くの作業員はこれまで放射能を浴びて亡くなっている」という。
 なお、放射能事故ではないが、IAEA査察官(フランス人査察官)が1979年、台湾の核関連施設で査察中、間違って電気回線に触れ、死去したことがある。IAEA査察官が作業中に死去したのは初めのケースだったこともあって、同事故は当時、IAEA関係者に大きな衝撃を与えた(その直後、査察中の事故で死去した場合、その遺族年金を増額するなどの補助制度がIAEA内でも設置されたという)。

J・パリコト氏の反教会主義

 9日実施されたポーランド総選挙(下院選挙)で第3党に躍進した新党「パリコト運動」について、これまで分った情報を読者に紹介する。
Janusz_Palikot 「パリコト」とは、実業家Janusz Palikot氏(46、写真)の名前だ。ワルシャワ大学で哲学を修得した同氏は2005年9月の総選挙で「市民プラットフォーム」(PO)から出馬して当選。再選も果たしたが、昨年、POから脱会し、新党「パリコト運動」を創設した。
  同党は、ローマ・カトリック教会の影響が強いポーランドで反教会主義を掲げ、「国民は教会に支配されてきた祖国を奪い返すべきだ」と主張し、「教会と国家」の分離を強く要求。具体的には、(1)公立学校の宗教授業の廃止、(2)教会への財政支援を停止し、教会に税金の支払い義務を課す――等だ。
 ちなみに、同党の主要メンバーの一人、週刊誌「事実と神話」発行人兼編集長のRoman Kotlinski氏(44)は元神父だった。
 議会議長のGrzegorz Schetyna氏は、「反教会を主要綱領とする政党の議会進出はわれわれが考えている以上に大きな変化を与えるだろう」(カトプレス通信11日)と予想している。教会を批判して成果を挙げた政党は、同国ではこれまで存在しなかったからだ。
 選挙結果の分析によると、「パリコト運動」に投票した有権者は18歳から25歳の青年層だ。同層では4人に1人が同党に投票している。その3分の2は男性有権者だ。
 反教会政党の躍進について、同国の教会関係者の間では、「パニックになる必要はない」と冷静を呼びかける声と共に、「拡大する反教会主義に対して対策を講じなければならない。教会は信者たちだけではなく、社会に向かってもっと積極的に対話をしなければならない」という意見も聞かれる。


【短信】駐オーストリアの北大使、帰任

 駐オーストリアの北朝鮮・金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟、金敬淑夫人は故金日成主席と金聖愛夫人との間の長女)は先週末、3カ月余りの夏期休暇を終え、平壌からウィーンに帰任した。
 同大使はウィーンに着任してから今年3月で18年目が過ぎ、現在19年目に向かっている。同国外交官によれば、「大使は今後もウィーンに留まるだろう」というから、金大使は駐在20年の大台に到達する可能性は有り得る(金大使がブルッセルの北朝鮮初代大使に就任するといった噂が流れたこともある)。
 なお、北朝鮮外交官筋によると、金正日労働党総書記の長男、金正男氏の息子、金ハンソル君のボスニア・ヘルツェゴビナの学校留学の件については、「ボスニア当局が就学ビザを発給しても、ハンソル君がボスニアの学校に通う可能性は現時点では少ない」という。
 金正男氏が息子のボスニア留学に合わせてマカオから欧州に拠点を移動するとの報道については、「正男氏が欧州で仕事ができるとは思わない。欧州を今後も訪問することがあっても駐在することは考えられない」と述べた。
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