ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで28日午後、自動小銃で武装したイスラム教徒の男が米大使館を銃撃、警官1人が重傷を負った。男は警察の発砲を受けて足を負傷し、逮捕された。警察当局の話によると、犯人は隣国セルビア出身で23歳。米大使館襲撃を狙ったテロ事件という。自動小銃のほか、手榴弾2個を所持していた。
男はセルビア南部のイスラム教徒が多い地域の出身で、イスラム原理主義グループのメンバーという。ロイター通信によると、男は2005年にオーストリアでの強盗で有罪となり、セルビアに強制送還されていたという。
テロ事件の舞台となったボスニアにはイスラム過激派の拠点があることは読者に紹介済みだ(「ボスニアにイスラム過激派の拠点」2011年7月15日)。その意味で、ボスニアでテロ事件が発生したとしても決して偶然のことではない。
オーストリアで6月、3人のテロ容疑者がウィーン国際空港でパキスタンに飛び立とうとしていたところを逮捕されたが、同国第2の都市グラーツ市の中央駅前で7月初め、同じくイスラム根本主義グループのサラフィスト・グループ(Salafist)がコーランや教典関連CDなどを配布しながら、イスラム教への改宗を市民に呼びかけていたという。
シュタイアーマルク州警察当局は、「イスラム過激派が白昼堂々と路上で宣教活動を始めたことに驚かされた。彼らはボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム過激派グループと接触がある」と証言している。
欧米情報機関はボスニア北部ブルチコ行政区の近郊の小村ゴルニヤ・マオチャ(Gornja Maoca)でサウジアラビア出身のイスラム過激派ワッハーブ派グループが暗躍していることを掴んでいる。
ボスニア紛争(1992〜95年)が終了、デイトン和平協定が合意した直後、サウジのワッハーブ派はその豊かな資金をボスニアに投入しはじめ、多くのイスラム教寺院を建設してきた。同時に、イランのシーア派もボスニアに進出しているという情報がある。狙いは、欧州に居住する約1400万人と推定されるユーロ・イスラム(世俗イスラム教徒)をオルグすることにある。換言すれば、ボスニアはイスラム北上戦線の主要拠点となっているのだ。ボスニアの米大使館銃撃テロ事件は、欧州の入口(バルカン)でイスラム過激派テログループが北上の日を待って武装訓練していることを明確に示したわけだ。
男はセルビア南部のイスラム教徒が多い地域の出身で、イスラム原理主義グループのメンバーという。ロイター通信によると、男は2005年にオーストリアでの強盗で有罪となり、セルビアに強制送還されていたという。
テロ事件の舞台となったボスニアにはイスラム過激派の拠点があることは読者に紹介済みだ(「ボスニアにイスラム過激派の拠点」2011年7月15日)。その意味で、ボスニアでテロ事件が発生したとしても決して偶然のことではない。
オーストリアで6月、3人のテロ容疑者がウィーン国際空港でパキスタンに飛び立とうとしていたところを逮捕されたが、同国第2の都市グラーツ市の中央駅前で7月初め、同じくイスラム根本主義グループのサラフィスト・グループ(Salafist)がコーランや教典関連CDなどを配布しながら、イスラム教への改宗を市民に呼びかけていたという。
シュタイアーマルク州警察当局は、「イスラム過激派が白昼堂々と路上で宣教活動を始めたことに驚かされた。彼らはボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム過激派グループと接触がある」と証言している。
欧米情報機関はボスニア北部ブルチコ行政区の近郊の小村ゴルニヤ・マオチャ(Gornja Maoca)でサウジアラビア出身のイスラム過激派ワッハーブ派グループが暗躍していることを掴んでいる。
ボスニア紛争(1992〜95年)が終了、デイトン和平協定が合意した直後、サウジのワッハーブ派はその豊かな資金をボスニアに投入しはじめ、多くのイスラム教寺院を建設してきた。同時に、イランのシーア派もボスニアに進出しているという情報がある。狙いは、欧州に居住する約1400万人と推定されるユーロ・イスラム(世俗イスラム教徒)をオルグすることにある。換言すれば、ボスニアはイスラム北上戦線の主要拠点となっているのだ。ボスニアの米大使館銃撃テロ事件は、欧州の入口(バルカン)でイスラム過激派テログループが北上の日を待って武装訓練していることを明確に示したわけだ。