ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年08月

日本人は「言葉」との出会いを願う

 国際原子力機関(IAEA)の図書館で日本の新聞を読んでいて気がついたことだが、「土光敏夫、100の言葉」(出町譲著)「P.F.ドラッカーの『マネジメント』」、五木寛之著「いまを生きることば」など、経営者、大学教授、作家らの「言葉」「名言」「助言」をまとめた新刊書の広告が多いということだ。日本人はそんなに「言葉」に飢えているのか、というのが当方の最初の印象だった。
 「言葉」には人生の指針から会社経営の教訓までいろいろあるが、出版社側は国民の「言葉」への需要に応えるため装丁を凝らしながら新刊を出し続けているわけだ。
 それでは、なぜ日本人は「言葉」を探すのだろうか。
 先ず、考えられることは、日本人が東日本大震災という想像を絶した天災に遭遇し、これまでの「生き方」に自信を失ったこと、それだから、人生の先輩や成功者の「言葉」から学ぼうという姿勢が高まってきたことなどが「言葉」ブームの背後にあるのだろう。
 著名な人物の「言葉」が生き方を模索する読者に指針を与え、会社経営に苦しむ経営者を元気つけるというわけだ。例えば、ドラッカー著の新刊は100万部以上の売れ行きを示しているという。
 新聞広告の宣伝文句を読んだ範囲だから詳細なことは言えないが、著者たちの「言葉」「教訓」が決して斬新な言葉で溢れているわけではない。むしろ誰でも知っている言葉が多い。「私心をなくして無我でがんばる」などの言葉はまったく昔から聞く「箴言」だ。それを読んだ読者が感動したり、「元気をもらう」のは、「言葉」の力だけでなく、読者が「言葉」を探しているという状況が先に存在するからだろう。
 欧州の出版業界を良く知らないから詳細なことはいえないが、日本のような「言葉」をまとめた本は少ない。もちろん、皆無ではない。例えば、オスカー・ワイルドやウィリアム・シェイクスピアの著書の名言をまろめた本がある。ただし、欧州の多くの読者はそれらの名言を楽しむために本を読むのであって、日本人のようにそこから人生の指針を得ようといった姿勢は少ないように思える。
 キリスト教文化社会の欧州では、人生の指針を求める時、作家や経営者の「言葉」ではなく、「聖書」の世界に求めることが多い。その意味で、世界最大ベストセラーの聖書は「言葉」の宝庫といえるかもしれない(日本人の場合、仏教の教典や教祖たちの「言葉」が愛用される。例えば、五木氏の場合、親鸞の「言葉」だ)。

 いずれにしても、日本人は困窮した時、パンを求めると共に、自身を鼓舞してくれる「言葉」との出会いを願う民族といえるかもしれない。

中国共産党組織から1億人が離脱

 韓国国内に住む脱北者数が2万人を突破したというニュースは以前、聞いた覚えがあるが、今度は「中国共産党とその関連組織から1億人が離脱した」というニュースが飛び込んできた。発信元は中国反体制派メディア「大紀元時報」の9日付記事だ。
 具体的には、中国共産党、中共青年団(共青団)と中国少年先鋒隊(少先隊)の3つの組織から離脱(3退)が拡大し、その数は今月7日現在、1億人を突破したというのだ。この数字は離脱者数データを管理する全世界脱党支援センターによるもの。
 大紀元時報は、「中国共産党からの脱党者数は3000万人ということになり、全党員8000万人の4割弱に及ぶ。脱党者の中には、中央政府官僚、各地方政府幹部も含まれており、脱党の動きは中国の各社会階層に広がっている」と分析している。
 欧州連合(EU)は現在、アイルランド、ギリシャから始まり、スペイン、ポルトガルなどで財政危機が表面化し、ユーロ加盟国はその対応で悪戦苦闘している。一方、米国は債務上限引き上げ問題で与野党が激突後、瀬戸際で法案が成立してデフォルト(債務不履行)を回避したが、大国・米ドルの信頼性は大きく傷ついたばかりだ。
 それに対し、中国経済は拡大を続け、一見、勢いがある。中国共産党創立90周年祝賀大会が先月1日、北京人民大会堂で盛大に開かれた際、胡錦濤・国家主席(共産党総書記)は「過去90年間の中共の実績」を豪語したが、今回の「1億人の離脱」ニュースは、中共とその関連組織の内部で大きな動揺が進行中であることを明らかにしている(「中共創建90周年」は祝日でない」2011年7月2日参照)。
 ちなみに、中国の場合「金」ではなく、「人」が政府から背を向けだしてきたのだ。その意味で、中国の現状はEUや米国よりも深刻だといわざるを得ない。
 大紀元時報は「3退」の主因として、「食品の安全問題」や「高速鉄道事故」などを例に挙げながら、「国民は政府が安全を守ってくれると信じていたが、そうではないことが明確になったからだ」と指摘している。
 換言すれば、「中国共産党の目は一定の特権階級の利益擁護に向けられ、国民の安全と福祉ではない」ということだ。中国の国民は90年間の中国共産党政権を通じてそのことを実感してきたわけだ。「3退」は中共政権の崩壊がもはや不可避であることを端的に物語っている。

外出を恐れる若い神父たち

 聖職者の未成年者への性的虐待事件の発覚後、若い神父たちは外出を恐れるようになったという。アイルランドの日刊紙アイリッシュ・インデペンデント紙が5日付けで報じたところによると、「若い神父たちは聖職者の服を着て路上に歩くと市民から非難や中傷を受けるので外に出たがらない」というのだ。
 司教区広報担当の神父によると、「路上にいると、時として唾をかけられることもある」というから、若い神父たちにとっては辛いわけだ。また、神父の中には教会の聖職者が犯した性犯罪を恥ずかしく、信者たちと顔を合わせられないという。以上の内容は、バチカン放送(独語電子版)が5日、報じたものだ。
 当方はこのコラム欄で、「神父さん、子供に近づかないで」(2010年3月11日)というタイトルの記事を書いたが、性犯罪とはまったく関係のない神父たちからみたら、「なんとわれわれを侮辱する話だ」と怒られるかもしれないが、犠牲者側からみれば、「当然だ。許せない」ということになる。
 アイルランド教会の聖職者による性犯罪は件数とその規模からみても欧米教会の中で米国教会と並んで最も深刻だ。国民の聖職者を見る眼も以前のような尊敬心に満ちたものではなくなった。
 アイルランド議会は先月20日、「バチカン法王庁は聖職者の性犯罪調査を妨害してきた」と指摘、バチカンを非難する声明文を採択。同国のエンダ・ケ二ー首相は、公表されたコーク教区の聖職者性犯罪報告書(300頁以上)に言及し、「バチカンはエリート意識と自己愛の文化に支配されている」と述べ、一国の首相としては異例の厳しいトーンでバチカンを批判したばかりだ。そして「教会と国との関係を再考せざるを得ない」とまで警告を発している。
 アイルランド首相の言動を見ても、国民のカトリック教会とその聖職者を見る目は予想以上に厳しくなってきている。若い神父さんたちの“出不精”はそれなりの理由があるわけだ。
 アイルランド教会問題について、バチカンのロムバルディ報道官は先月21日、「聖職者の性犯罪という重要なテーマについては客観的に話すべきだ」と述べ、ケ二ー首相らアイルランド議会関係者に冷静を呼びかける一方、「バチカンは最適な方法でアイルランド政府の質問に答える予定だ」と表明したが、バチカンがこれまで取った対応は駐アイルランドの法王庁大使をローマに召還しただけだ。この処置も表面上は、「アイルランド教会の事情を掌握するため」というが、「ケ二ー首相らアイルランド政府のバチカン批判に抗議する意味合いが強い」と、ダブリンでは受け取られている。
 若い神父さんたちがなんの憂いもなく自由に散歩し、市民は神父たちをみれば軽くお辞儀する光景は欧州キリスト教社会で良く見られたものだ。当方はそのような風景が好きだ。

南スーダンの国旗掲揚

 ウィーンの国連で5日午前、新しく独立国となった南スーダンの国旗掲揚式典が挙行された。193番目の国連加盟国となった南スーダンの国旗は国連工業開発機関(UNIDO)の建物があるDビル入口に近いポールに掲揚された。

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▲ウィーン国連で掲揚された南スーダンの国旗=2011年8月5日、アブドラ・シェリフ氏提供

 新しい国家が誕生すれば、国旗も一つ増え、国連内のシートも一席増す。モンテネグロが独立国家(2006年6月)となった時も、国連加盟直後、ウィーンの国連で同国の国旗掲揚式が行われたことを思い出した。
 当方は当時、同式典を見ながら、「世界は緩やかだが、統合に向かっている一方、人口約60万人の新しい小国家がまた生まれた。統合と解体・分裂という相反するプロセスが同時進行している」と強く感じたものだ。
 今回もその思いに大きな変化はないが、内戦を繰り返し、多くの犠牲者を出したスーダンの歴史を思い出す時、結局は「一度は独立しないと再統一は難しいだろう」という諦観に似た思いが湧いてきた。
 南スーダンは7月9日、正式に独立国家となった。それまでの長い戦いの歴史を知る者にとって、「よく独立を獲得できた」という思いがするが、「今後は独立国として国を発展させていかなければならない。大丈夫だろうか」という一抹の不安を感じてしまう。難問は、最大の油田地帯アビエイ(Abyei)の帰属問題だけではない。
 北アフリカ、中東では現在、独裁政権から民主政権へ移行する時期を迎えている。欧米大国による植民地時代、その後の軍事独裁政権などを経て、民主化政権の誕生を目指しているわけだ。シリアでは独裁政権と民主化勢力とが激しく衝突を繰り返している。そのような変遷の時代にキリスト教徒が多いアフリカ系民族の南スーダンが独立したわけだ。
 潘基文国連事務総長は先月14日、国連総会で「南スーダンを国連家族の一員として歓迎します。南スーダンの首都ジュバで7月9日、独立祝賀式が開催された時、新国家のエネルギーと国民の純粋な喜びを強く感じました」と述べている。そうあってほしい。
 独立を獲得するまでの歴史は終わった。これからは国民と共に国作りの時を迎えている。この道はひょっとしたら独立までの道より厳しいかもしれないが、もはや後戻りできない。南スーダン国民の新しい国作りが成功することを期待する。同時に、北部スーダンとの連携を忘れないで欲しい。
 なお、先月のジュバの独立祝賀式に参加して戻ってきたスーダンの知人アブドラ・シェリフ氏に新国旗を説明してもらった。
 「黒はアフリカ大陸を、赤は革命を、緑は豊かな大地を、青は水をそれぞれ意味している。星は昔、赤色で描かれたが、新国旗では白色の星だ」

家に帰れない国連職員の“事情”

 ウィーン国連には国際原子力機関(IAEA)、国連薬物犯罪事務所(UNODC)、国連工業開発機関(UNIDO)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)などの本部があるが、以下の話の主人公がどの機関の職員かはいえない。機密だからではない。その職員の名誉を守るためだ。
 同僚たちが既に帰宅したが、その職員は事務所にいる。見回りに来た若い警備職員が、「そろそろ閉鎖時間ですよ」と声をかけるが、その職員は聞こえないのか、デスクから離れない。
 警備職員は、「多分、急いで仕上げなければならない仕事が残っているのだろう」と考え、強くは帰宅を要請しなかった。国連職員の中には総会や重要な会議が近いと、徹夜で仕事に専念しなけれなならない時もある。時として国連で宿泊することもあるからだ。
 機関トップの事務局長になると、オフィスに仮眠室があるし、シャワー室もあるという。当方は確認していないので断言できないが、その仮眠室で女性秘書と問題を起こしたトップもいたという(ここではテーマが違うのでそれ以上、突っ込んで書かない)。
 若い警備職員は翌日の夜も、昨日の男性職員がオフィスにいるのに気がついた。どうみても急用の仕事のためというより、帰宅しないだけのようにみえるのだ。
 午後10時が過ぎても、その職員の部屋だけは明かりがついている。見回りにいくと、その職員はどこから持ってきたのか寝袋を出して眠ろうとしていた。許可なくオフィスで宿泊することは禁じられている。そこで警備職員は彼に尋ねた。
 「国連の勤務時間はとっくに過ぎていますよ」というと、その職員は思いつめた顔をしながら、「なぜ帰らないのか」を若い警備職員に語り出したというのだ。
 「おれは帰宅したいが、妻が怖くて帰れないのだ」。中年職員は次第に涙声になってきた。「俺は妻が怖いのだ」というのだ。どうやら浮気がばれ、帰宅すると妻から叱咤されるのが怖くて、家に帰れない、という事情があるようだ。若い警備職員は呆れるより、涙声で語る中年職員の顔を見ているうちに同情心が沸いてきたという。
 若い警備職員は“帰宅できない職員”の事情を上司に報告。その日は宿泊を許可して「明日は帰宅するよう」に要請して終わったという。その後の話は聞いていない。
 この話、実話だ。いろいろな事情から家に帰れず、会社や駅構内で夜を明かすサラリーマンの話は聞いたことがあるが、国連職員の中にも妻が怖くて帰宅できない職員がいることを分かっていただいたろう。ちなみに、あのソクラテスも妻が怖くて、家に帰らず路上で哲学を論じていたという。

北欧のイスラム教徒と「ラマダン」

 イスラム暦に基づきラマダン(断食月)が1日から始まった。イスラム教徒にとって、ラマダンは、日に5回メッカの方向に向かって祈ること、生涯に1度メッカを巡礼することなどと共に「聖なる義務」に属する。幼少年、妊婦、病人以外のイスラム教徒はこの期間、日の出から日沈まで、飲食、喫煙、性生活を慎まなければならない。
 アラブ・イスラム諸国では通常、全ての国民が断食に入るから特別な感慨もないかもしれないが、欧州のキリスト教社会に住むイスラム教徒たちにとって、「ラマダンは自分がイスラム教徒だという自覚を深める機会」となるという。
 欧州には約1400万人のユーロ・イスラム教徒が住んでいる。彼らも断食し、太陽が沈むと自宅か、近所のイスラム寺院で断食明けの食事をする。知人・友人宅に招かれて食事をすることも多くなる。その意味で、ラマダン期間は親交を深める機会だ。キリスト教社会ではそのような機会は少なくなった。
 ラマダンの意義と価値について、スーダン出身の知人は、「ラマダン期間は日頃の物質的な思いから解放され、神と対面できる期間として非常に重要だ。普段だったら直ぐ怒りが飛び出すケースでもラマダン期間だと不思議と平静に対応できる。これもラマダンの影響ではないか」という。若い時より、年を取るほど、ラマダンの価値が理解できるようになったという。
 当方の周辺には、スーダン出身の知人のように熱心なイスラム教徒たちだけではない。断食をしないイスラム教の記者もいる。断食しないのに、イフタール(断食明けの食事)の席に平気で顔を出す度胸のあるイスラム教徒もいる。
 ところで、北欧社会ではイスラム教徒が少ないこともあって、イスラム教徒の動向にあまり関心が払われなかったが、オスロの大量殺人事件の容疑者が「反イスラム主義」を標榜していたと伝わると、北欧のイスラム教徒に関心が注がれ出した(イスラム教徒数はスウェーデンで約10万人、ノルウェーは10万以下だ。人口の2%にも満たない)。
 北欧のイスラム教徒にとって問題は、断食明け後の持ち時間が少ないという事だ。太陽が沈んでから、翌日太陽が昇るまでの時間だ。この間、食事ができる。サウジアラビアなど中東諸国では断食明けから次の断食開始まで10時間以上あるが、北欧では5時間あまりしかない、といった具合だ。
 世界のイスラム教指導者たちの間でも、「北欧のイスラム教徒がラマダンでは最も肉体的に厳しい」というテーマについて話し合われているという。
 「ラマダンの断食明けを統一すればいい」といった改革案から、「北欧のイスラム教徒は最も地理的に近いイスラム教国のラマダン明けに従えばいい」といった妥協案まで出ている。
 いずれにしても、今年のラマダンは今月29日(一部で30日まで)に終わる。その後、断食明けを祝う(イード・アル・フィトル)祭日が待っている。

エメンタール・チーズのない朝食

 アイルランド、ギリシャから始まり、スペイン、ポルトガルなどで財政危機が表面化し、ユーロ加盟国はその対応で悪戦苦闘。一方、米国は債務上限引き上げ問題で与野党が激突後、瀬戸際で法案が成立してデフォルト(債務不履行)を回避したばかりだが、大国・米ドルの信頼性は大きく傷ついた。
 一方、ユーロ安とドル安を尻目に、スイスの通貨スイス・フラン高が続いている。特に、EU第4位の経済国イタリアの財政も大変だということが判明し、国際投資家の目は安定したスイス・フランに注がれだした結果、フランは一層高騰してきたのだ。例えば、2日現在で1ユーロは1.1641フランだ。
 その結果、スイスの輸出産業は益々苦しくなる。その辺の事情は円高を抱える日本の輸出企業とよく似ている。
 スイス国立銀行(SNB)は3日、追加金融緩和策を実施したと発表したが、「その程度ではフラン高を阻止できない。もっと抜本的な通貨政策を実施しなければならない」といった声が同国経済界から聞こえる。例えば、フラン売りの為替介入などだ。
 SNBのヒルデブランド総裁は、「フランの動向は国民経済にとって大きな負担となってきた」と認めている。
 詳細な通貨政策云々は経済専門記者に任せるとして、食いしん坊の当方などは今、「フラン高がこれ以上続くと、エメンタール・チーズ(Emmental Cheese)を口に出来なくなるかもしれない」と心配しているところだ。
 スイスは欧州連合(EU)加盟国ではないが、同国企業は国際企業も多く、EU内で生産、販売している企業は少なくない。エメンタール・チーズは同国ベルン北東部エメン渓谷近郊で製造された硬質チーズの名品だ。
 オーストリアにもさまざまなチーズはあるが、エメンタール・チーズは格別だ。それが高級品になってきた。朝の食卓に欠かせられないスイス産チーズを口に出来なくなる日が到来するかもしれないのだ。
 もちろん、エメンタール・チーズだけではない。時計製造メーカーのスウォッチ(Swatch)も同様と聞く。フラン高で海外での市場価格が高騰し、売れ行きにも影響が出て来ているという。
 これもあれも、フラン高のせいだ。SNB関係者には、エメンタール・チーズが海外の人々の口にも入ることができる為替政策を実施して頂きたいものだ。

福島被災地の青年たちが招かれる

 オーストリアのロータリー・クラブの招きを受け、大震災で被災した福島県南相馬市から21人の青年たち(15歳から18歳)が2日、オーストリア入りした。翌日の3日午前にはウィーンの外務省を訪ね、オーストリア側の歓迎を受けた。

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▲オーストリア側の歓迎を受ける福島の青年たちと挨拶する岩谷滋雄大使、=2011年8月3日、ウィーン外務省内で撮影


 オーストリアのロータリー・クラブ(国際社会奉仕団体)は大震災後、同国企業の財政支援を受け、福島の被災地の青年たちを招き、オーストリア各地を見学しながら夏季休日を楽しんでもらうと計画。日本の松本剛明外相とオーストリアのシュビンデルエッガー外相がこのイニシアチブのパトロン(後援者)となっている。
 外務省では3日、シュビンデルエッガー外相代理のフランツ・クグリチュ大使が、「大震災はわれわれにとっても心痛む体験でした。民間のイ二シアチブを通じて両国間の交流が更に深まることを期待しています」と歓迎。
 一方、駐オーストリアの岩谷滋雄・特命全権大使は「オーストリアのロータリー・クラブをはじめ、この計画を実現するために努力された皆様に心から感謝します。南相馬市は今回の大震災で大きな被害を受けた町です。今回招待された青年たちは日本の外に出て、まったく異なった世界を享受し、今後の人生に役立たせてください。オーストリアは自然も文化もそして人々も素晴らしい国です」と語る一方、オーストリア側の関係者に、「日本国民は現在、復興のために最善を尽くしているところです」と報告した。
 青年たちは2日から21日までの19日間のオーストリア滞在中、音楽の都ウィーン市を皮切りに、湖上の野外オペラで有名なブレゲンツ音楽祭などオーストリア各地を訪ねる予定だ。

独旧教会の昨年度脱会者数公表

 独ローマ・カトリック教会司教会議が先月29日、公表した昨年度教会統計によると、同国教会で昨年、18万1193人が教会を脱会した。その数は前年度比約47%増となる。
 ハンブルク教区のヤシュケ司教補佐は「独教会の辛く、悲しむべき事実を現している」と指摘。信者の教会離れの原因については、「聖職者の未成年者への性的虐待事件を契機に、国民は教会に距離を置きだした」と分析している。
 ちなみに、教会の公式統計によると、昨年度洗礼者数は17万0339人、死亡信者数は25万3000人。礼拝訪問率12・6%(前年度13%)だった。
 独教会信者総数は27司教区で2465万人、独人口の30・2%を占める(前年度比で0・3%減)。
 独出身のローマ法王ベネディクト16世は9月22日から4日間の日程で母国を司牧(訪問)する。それに先立ち、独司教会議議長のロベルト・ツォリチィ大司教は「法王の訪問が国民の神への信仰を蘇生させる切っ掛けとなることを願う」と述べている。


【短信】 ナチス副総裁ヘスの「墓」解体

 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)副総裁、ルドルフ・ヘスの墓は先月20日未明、墓の管理人と遺族の合意のもと解体され、遺体は火葬され、灰は翌日、海に流されたばかりだが、ヘスを崇拝する約250人の極右過激派が23日、墓があったヴンジーデル市内に結集してデモ行進した。
 約50人の極左派活動家が反デモを行い、極右派のデモ行進を妨害した。警察部隊が衝突を警戒して警備にあたった。また、約300人の市民が極左派と極右派のデモに抗議して教会に集まり、無暴力を呼びかけ、憎悪と外国人排斥に抗議する礼拝を開いた。
 同市のカール・ヴィリ・ベック市長は極右派のデモを「われわれの民主主義への攻撃だ」と批判し、オスロの大量殺人事件に言及しながら、「ドイツにとって侮辱だ」と述べた。
 ヘスの墓は久しく極右派活動家たちの巡礼地となり、ヘスの死去した8月17日には慰霊集会が開かれるなど、ヒトラーの副総裁ヘスは殉教者と称賛されてきた経緯がある。
 ヘスは1894年、オスマン帝国アレクサンドリアで生まれ、1933年、ヒトラーの片腕となった。敗戦後の1946年、ニュルンベルク国際軍事裁判で終身刑の有罪判決を受けた。そして87年、ベルリンのシュパンダウ刑務所で自殺した。彼の遺言に基づき、両親が葬られているヴンジーデル市にこれまで埋葬されてきた。

クラブ「27」の呪い

 世界の若いミュージシャンが不思議と27歳で死去するケースが多い。彼らにとって「27歳」は厄年に当たり、ロック・スターたちから恐れられてきた。オーストリア日刊紙クローネ記者のフランチスカ・トロスト女史が31日付で「悲しきクラブ『27』メンバー」というタイトルの記事を書いている。
 最近では、英国のソウル歌手エイミー・ワインハウスさん(27)が先月23日、ロンドンの自宅で亡くなった。先日、ユダヤ教の儀式に基づき葬儀が挙行されたばかりだ。2008年にはグラミー賞で5冠を獲得、スーパースターの座を得て、若者たちの間で人気があったが、薬物中毒とアルコール中毒に悩み、今年6月の公演をキャンセルするなど、その言動は不安定さを増していた矢先だ。公式の死因は明らかにされていないが、麻薬中毒死の可能性が濃厚だ。
 ワインハウスさんの助手によると、「27歳の誕生日の時、ダモクレスの剣(注)のように、危険が彼女に近づいてきていた」という。あと2カ月余り生き続ければ良かったが、運命はワインハウスさんに28歳の誕生日を迎えることを許さなかったわけだ(ワインハウスさんは1983年9月14日生まれ、2011年7月23日に亡くなった)。
 クラブ「27」に所属するミュージシャンたちを挙げるとすれば、英ロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズの元ギタリスト、ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)だ。彼は1969年7月3日、プールで溺れ死んでいたところを発見された。米ミュージシャンのジミ・ヘンドリックス(Jimi・Hendrix)は70年9月18日、ロンドンのホテルで麻薬中毒死。米ロックシンガー、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)は70年10月4日、麻薬とアルコールで死んでいる。また、米ロックバンド、ドアーズのボーカリスト、ジム・モリソン(Jim Morrison)は71年7月3日、パリで心臓発作で亡くなったが、死因については最後まで不明な点が残った。彼らは死亡した時、いずれも「27」歳だったのだ。
 トロスト女史によると、クラブ「27」という言葉が生まれる契機となったのは1994年4月5日、米ミュージシャン、カート・コバーン(kurt Cobain)が銃で自殺してからだという。それ以後、“急いで生き、激しく愛し、若くして死んだ”ミュージシャンたちのグループ、クラブ「27」伝説が生まれたというわけだ。
 クラブ「27」に属するロック・スターたちの多くは麻薬とアルコールに溺れている。トロスト女史は、「彼らの音楽は多くの若者たちを喜ばし、感動を与えたが、彼ら自身の救いを求める魂の声は決して傾聴されることがなかった」と述べている。


注・「ダモクレスの剣」
 古代ギリシャ神話の話。剣が髪の毛一本で吊るされている状況で、危険が常に迫っているという故事。
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