ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年07月

立身出世主義者に欠ける「使命感」

 菅直人首相に対するメディアやネット上の論調を読んでいると、「首相の早期辞任こそ国民は願っている」「お前こそ復旧の最大の障害だ」など、厳しい批評が目立つ。大手メディアが公表した「首相の支持率」は20%以下となって久しい。野党だけではない。与党民主党内の若手議員ら約30人が首相辞任要求を要求したばかりだ。それでも菅首相は辞任する気配を見せていない。それどころか9月の国連総会の演説に対しても意欲を示しているという。
 安倍晋三元首相は内外の批判を受けて、満身創痍のような状況で辞任に追い込まれた。福田康夫元首相は与党内に反対の声が強まるとあっさりと首相職を捨てた。しかし、菅首相は安倍元首相や福田元首相の道を行く気はさらさらないのだ。
 最近は首相官邸を訪れる政治家も与党関係者も少ないという。首相が信頼できる政治家は数人に過ぎない。それでも、首相は「寂しい」とか「辞めたい」とか愚痴をこぼすどころか、女子サッカー世界選手権ドイツ大会で優勝した「なでしこジャパン」のメンバーが凱旋報告にくると、「最後まで諦めない姿勢に感動した」と述べ、「私もその諦めない姿勢を学びたい」と吐露する有様だ。
 菅首相は2世のサラブレット議員だった安倍元首相や福田元首相とは出自が違う。「辞めろ、辞めろ」といわれれば、「絶対辞めない」と一層、頑迷になる。
 当方などは、「首相ポストが四面楚歌の中でも死守したい魅力溢れるポストなのか」という疑問が自然と沸いてくる。
 日本は議会民主制だ。首相職には米国の大統領のように多くの権限はない。最近の日本の政治を振り返ると、「首相は取替えが簡単な服」のようだ。汚れれば直ぐ着換えることができる。権威とは程遠いポストだ。しかし、菅首相の目にはどうやらそのようには映っていないようだ。
 故江藤淳は菅直人という政治家を、「市民運動家の仮面をかぶった立身出世主義者」と喝破したという。多分、正鵠を射た人物評だろう。立身出世主義者の政治家にとって、最大目標は内閣総理大臣に就任することだ。
 しかし、首相職を獲得した後、生来の立身出世主義者・菅首相の目には「次」が見えてこない。だから、本人も周囲も次第に不安と焦燥感を覚える。辞任後、安倍や福田のように、「自分は一度は頂点を極めた」という自己満足に浸って後の人生を生きていくことはできないのだ。
 「立身出世」を目標としてきた人間、菅首相が陥る罠がここにある。福田や安倍のように綺麗さっぱりと辞めることはできないのだ。菅首相の終幕が惨めとなるのは当然の結果かもしれない。
 一般的に、立身出世主義者は目標意識が強く、それを達成するまでの意思力は他を凌ぐものがあるが、何かに命を掛けるといった「使命感」(独 Berufung、英 calling)には往々にして欠けている。
 「使命感」とは、心の内から突き上げてくる「これをしなければならない」といった義務感と表現してもいいかもしれない。使命感を持つ人物はその内的衝動を「天より付与された自身の人生の課題」として受け取る場合が多い。
 大震災で荒廃した国家の復旧が急がれる時、政権延命のための即製の使命感ではなく、天より与えられた使命感を抱く人物の出現が求められる。
 無い物ねだりに過ぎないよ、と冷笑されるかもしれないが、日本には必ずそのような人物が準備されていると確信している。
 日本の歴史を想起してほしい。国難の時、必ずといっていいほど、国を導く使命をもった人物、グループが生まれてきた。「3月11日」の大震災を近代日本が直面した国難とみるならば、一層、そのような確信が深まる。
 そして、立身出世主義者・菅首相がなさなけれならない事は、国家復興の使命に燃える人物にその席を潔く譲ることではないだろうか。

警察官の「燃え尽き症候」が広がる

 ウィーンの「会議は踊る」と揶揄され、勤勉より享楽を愛する傾向が強いオーストリア国民の間で最近、バーンアウト(Burnout、燃え尽き症候群)に陥る人々が増えてきた。これまでやる気をもって仕事に取り組んでいた人がある日、突然、気力を失い、次第に言動に精細を欠く。最悪の場合、欝状況に陥る。
 バーンアウトに陥るには人それぞれ原因があるという。その人の性格やキャリア、そして気質まで関ってくるらしいから、ある状況下に陥ると全ての人が同じ症状になる、というわけではない。そのため、万能薬を開発するのが難しい面がある。

20110720
▲オーストリア内務省(2011年7月19日、ウィーン市1区ヘレンガッセで撮影)

 ところで、最近は国民の安全と犯罪対策に奮闘している警察官の間でも燃え尽き症候が広がってきたという。
 オーストリア内務省は先日、警察官のバーンアウト症候に関する調査結果を公表した。それによると、警察官の約10%が過重な日々の職務履行の結果、バーンアウト症候に陥る危険性があるという。
 ちなみに、警察労組は2009年、独立調査機関に依頼して同様の調査を実施している。それによると、23%の警察官が日々の職務で疲労困憊、5人に1人がバーンアウト症候の危険性があり、年に平均20日間、病気休暇を取っているという結果が出ている。
 ところで、警察官がバーンアウト症候に陥る場合の背景について、内務省報道官は当方との電話インタビューに答え、「原因は2点だ。一つは職場での情報の流れがスムーズでない場合だ。2つ目は凶悪化する犯罪に直面し、犯罪の前線にいる警察官に未来への不安が高まってきたことだ」と説明した。
 バーンアウト症候に陥ると、人は通常、全ての事に関心を失い、仕事への意欲を無くしていく。それが国の治安を担当する警察官に生じた場合、事態は深刻だ。犯人を追ってきた警察官が突然、バーンアウト症状に陥り、戦力外となれば、犯罪対策にも支障が出てくるからだ。
 オーストリアでは昨年度、犯罪総件数が前年度比で9・4%減を記録するなど、警察当局の犯罪対策の努力は一定の成果を挙げている。自動車窃盗件数などは前年度比で50・6%減というからスゴイ。
 しかし、犯罪件数減少の背後に、犯罪対策に日々取り組む警察官のハードワークがあるはずだ。しかし、警察官も人間だから、緊張の日々が続くとバーンアウト症候に陥りやすい。専門家による警察官の精神的ケアが大切だ。
 内務省報道官は「今回の調査を通じてバーンアウト症候に陥る原因について明らかになったから、その対応に乗り出している」という。安全な市民生活を支える事ができるのは心身ともに健康な警察官だ。バーンアウト症候群対策の効果を願う。

「なでしこジャパン優勝」観戦記

 第6回女子サッカー世界選手権(W杯)ドイツ大会で17日、日本が本命の米国をPK戦で破り、初優勝した。
 涙が出るほど嬉しかったが、残念ながら、当方は試合をTVで観戦できなかった。急用でどこかに行っていたのではない。訪問客があったわけでもない。ベットの中で横たわっていただけだ。
 当方以外の家人は居間で試合を応援していた。その声が寝室まで響いてくる。仕方がないので、当方はMP3でサイモン&ガーファンクルの歌を聴いていた。
 「当方氏はなでしこジャンパンを応援する気がなかったのか」と詰問されるかもしれない。そうではない。当方は一時期、スポーツ記者だったし、サッカーは好きな競技だ。それではどうして居間で応援しなかったのか、と突き詰められれば、「なでしこジャパンが勝利するために、当方は試合の観戦を諦めてベットにいたのだ」と答えざるを得ない。
 理由はある。当方がTVでサッカー試合を観戦し、贔屓のチームを応援し出すと不思議と必ず負けてしまうのだ。家人は「パパ、テレビを観ないでくれないか」と嘆願する。
 なでしこジャパンとスウェーデンの準決勝試合の時だ。当方はTV観戦した。その時、スウェーデン・チームが早々と先制のゴールを決めた。なでしこジャパンに勢いがない、家人は「パパがいるからだ。どこかに行ってくれないか。パパが応援するといつも負けるから」と言われてしまった。
 過去の実績をみると、家人の主張は決して間違っていない。当方が応援すると贔屓チームが負けるケースが圧倒的に多い。息子は「試合中にパパはうるさい。ああだ、こうだと解説するから、集中できない。その上、味方チームは必ず負けてしまう」という。
 これで決勝戦にもかかわらず、当方がベットの中にいた事情がお分りになったはずだ。TVで応援している家人も、ベットに横たわっていた当方も心は一つだった。なでしこジャパンの勝利だ。
 ベットで音楽を聴いていると、ついつい眠ってしまった。目を覚ますと試合の結果が気になったので居間に行くと、家人はTVを見ている。試合は終わっていなかったのだ。
 「どうしたのか」と聞くと、「延長戦で2対2となった後、PK戦が始まった。米国が3度、ゴールを外したから日本があと1ゴールを決めれば優勝する」と説明してくれた。正直言って、当方は信じられなかった。寝ている間に奇跡が生じたのだ。
 当方もTVの前で熊谷紗希選手のPKを追った。ボールはゴール左端に突き刺さった。日本が勝ったのだ。家人は皆、踊りだした。
 以上、昨夜の状況を報告した。とにかく、なでしこジャパンは優勝した。日本国民へ最大の贈物となることは間違いないだろう。

 当方は翌日、なでしこジャパンの奮闘を詳細に報道している日本の新聞電子版を追った。すると、面白い記事を見つけた。「管直人首相はドイツに行ってなでしこジャパンを応援したい希望があった。しかし、政府専用機のコストや大震災の復旧問題のため、ドイツ行きを断念した」という内容だ。
 もちろん、日本首相が現地で応援できれば最高だが、行かないほうが応援になることもある。当方が家人の反対を押し切ってテレビ観戦していたならば、ひょっとしたら、なでしこジャパンは負けていたかもしれない。同じ様に、管首相がドイツまで行って応援していたならば、日本チームは負けたかもしれない。
 そういえば、菅首相は大震災後の日本を復旧するまで政権維持を願っていると聞く。しかし、首相が早期辞任するほうが日本の復旧に貢献するかもしれない。スポーツ試合の応援と同様、日本への貢献の道もいろいろある。「日本の早期復旧」という願いが同じならば、首相職に拘ることはないはずだ。

ハプスブルク家の“最後の別れ”

haps001 約640年間、中欧を支配してきたハプスブルク王朝の“最後の皇帝”カール1世の息子オットー・フォン・ハプスブルク氏(写真)の葬儀が16日、ウィーンのシュテファン大聖堂で行われた。葬儀にはスウェーデンからカール16世グスタフ国王夫妻、リヒテンシュタイン公国のアダム2世、ヨルダンのハッサン王子など世界の王室関係者、フィッシャー大統領、ファイマン首相らオーストリア政府首脳ら約1000人が参席。大聖堂前では1万人以上の市民がハプスブルク氏の最後を見送った。死者へのミサはオーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿が主礼を勤めた。
 死者へのミサが終わると、長男カール・ハプスブルク氏ら家族が見守るなか、棺はグラーベン通り、コールマルクを経由して王宮へ。そして英雄広場を通過してリング通りに出、そこからハプスブルク家の墓所があるカプチーナー教会まで運ばれ、路上の市民に最後の別れを告げた。ミサと棺の行進はオーストリア国営放送が中継放送した。

 最後に、ハプスブルク氏の棺がカプチーナー教会(Kapuziner)に入る前の儀式(ritual)を読者に紹介する。
 カプチーナー教会に到着した棺の前で、家族の代表が教会の戸を3度叩く事から始まる。

 カプチーナー教会修道僧「誰か」

 家族代表「オットー・ハプスブルク、オーストリア・ハンガリー王国の皇太子であり、ハンガリー、ベーメン、ダルマチア、クロアチア、スロヴェニアの・・・」とハプスブルク氏の王国での称号を読み上げる。

 教会「そのような人物を知らない」

 家族代表、もう一度教会の戸を3度叩く。

 教会「誰か」

 家族代表「オットーハプスブルク博士は汎欧州同盟の会長であり、数多くの名誉教授の称号を受け、国家や教会から多くの勲章を得た・・・」

 教会「そのような人物を知らない」

 家族代表、再度、教会の戸を3度叩く。

 教会「誰か」

 家族代表「オットー、死人であり、罪人です」

 教会「入りなさい」

 教会の戸が開く。そして棺が教会内に入っていく。

 カプチーナー教会には、1633年から皇帝、皇妃などハプスブルク家関係者が葬られている。


 【ハプスブルク氏は1912年11月20日、オーストリア・二ーダーエスタライヒ州のライへナウで、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝カール1世と皇后ツィタの長子として生まれた。オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後、1919年にスイスに亡命し、スペインとベルギーで成長。ドイツでナチス政権が発足すると、反ナチス運動を展開し、オーストリアのドイツ帝国併合(38年3月)に反対。世界大戦中は米国に住み、戦後、欧州に戻ってきた。そして1979年から99年まで独キリスト教社会同盟(CSU)の欧州議会議員として外交委員会で活躍する一方、「汎欧州同盟」の名誉会長を務めてきた】

国益を損する菅首相の「迷惑発言」

 菅直人首相は13日夕、首相官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策について「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と述べ、原子力を基幹に据えてきたこれまでの方針を「脱原発依存」に転換する考えを表明した(時事通信)。
 日本首相の「脱原発依存」発言は海外でも大きく報道された。オーストリアの高級紙ザルツブルガー・ナハリヒテンは14日付けの1面に菅首相の発言を掲載、「日本も脱原発へ」という見出しを付けていた。
 同紙だけではない。オーストリア国営放送も夜7時半のニュース番組で同様の報道を流した。解説記事では「原発事故で多くの被害を受けたのだから、科学技術を過信する日本人も原発から決別する決意を固めたのだろう」と受け取っていた。
 当然だろう。福島原発事故後、イタリアで先月12日、13日の両日、原発再開を問う国民投票が実施され、原発反対が約94%を獲得し、イタリアで原発再開の道が閉ざされたばかりだ。欧州の主要原発国ドイツでは5月30日、与党キリスト教民主・社会同盟と自由民主党が2022年までに脱原発を決定した。スイスは34年までに脱原発を決定している。だから、欧米では日本首相の脱原発発言をそのような流れから報道し、歓迎したのだろう。
 ところが、その翌日、「日本は脱原発を決定していない」というニュースが東京から流れてきた。欧米国民が「昨日の脱原発報道は何だったのか」と首を傾げる羽目となったわけだ。
 政府の現状を少しでも知っている日本人ならば、菅首相の「脱原発」発言が日本のエネルギー政策の最終決定とは考えていない。首相の「政権延命策」「パフォーマンス」として、「またか」といった思いで冷静に受け止めた国民が少なくなかったはずだ。
 政府内の協議や議会での討議を経ず、首相が一方的に国家のエネルギー政策の転換を発表する、ということは通常考えられないからだ。
 しかし、ザルツブルク・ナハリヒテン紙など海外のメデイアは日本のそのような冷めた反応を知らないから、菅首相の発言を文字通り、「日本もとうとう脱原発に踏み切ったか」と受け取ったわけだ。だから、その翌日の報道を聞いて「日本はどうなっているのか」といった怒りと不愉快さを覚えたのではないか。
 菅首相の「迷惑発言」は日本では甘受されたとしても海外では戸惑いと不信を引き起こし、日本の威信を傷つけ、延いては国益を損う危険性がある。自身の辞任時期に関する発言の揺れはまだ国内で処理できるが、「脱原発」発言の波紋は世界に広がる。そして、その発言内容がころころと変われば、世界は今後、日本首相の発言を信用しなくなるからだ。
 ひょっとしたら、管首相は自身の発言が世界に報道され、混乱を引き起こすとは考えてもいなかったのかもしれない。そうだとすれば、首相自身が「日本首相」の威信を余りにも軽く扱っている、ということになる。

ウィーンで今夏、最も涼しい教会

 日本でも暑い日々が続いていると聞くが、音楽の都ウィーン市でも13日は約36度と真夏の暑さだった。日本ほど蒸し暑くはないが、朝から25度を越え、歩いていても汗をかく。この1週間は日中30度を越える日が多かった。
 当方はアパートの部屋のカーテンを日中は閉め、日射が部屋に入らないようにしておく。夜9時ごろになれば、涼しい風が吹いてくる。
 ところで、外で暑い時、「どうぞ一休みして下さい」という誘いの声がかかる。声の主は、街角の薄暗い飲み屋さんの女将さんではない。教会の神父さんだ。

20110716
▲ウィーンで最も涼しい教会、ルプレヒト教会=2011年7月15日、撮影

 聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚し、聖職者の信頼性は急落、「子供に近づかないで」といわれる有様だが、そこはイエスの教えを説く聖職者だ。外で汗をかきながら歩く市民や観光客に何か役に立ちたい、ということから、「暑い日には涼しい教会に入って一休みを」というサービスを考え出したわけだ。
 夏、教会を訪ねたことがある人ならば分るだろう。外が30度以上の暑さでも教会に一歩足をいれると、ひんやりとした空気が総身を包み、快い。だから、ウィーンの神父さんたちは「涼しさを満喫する目的でいいですから、教会にどうぞ」と市民に呼びかけているわけだ。決して「ミサに参加して」とか、「告解するように」とはいわない。
 ウィーン大司教区のファーバー神父は「体だけではない。祈れば喧騒な社会のことを忘れて心も涼しくなる」と、粋な宣伝も忘れない。同時に、「祈りのためではなく、涼しさだけを求める市民にはアウグスティーナー教会(Augustinerkirche)か、ルプレヒト教会(Ruprechtskirche)を推薦します」とアドバイスまでしてくれる。外が30度を越える日でもそれらの教会では中は20度前後という。涼しさが保証された教会だ。
 どの教会がもっとも涼しいかを発表する前、教会側は市内の全ての教会の室内温度を調査したのだろう。これも暑い日を少しでも快適に過ごして欲しいという心遣いからでた行為と考えれば、その労に報いたくなるものだ。
 そこで当方は15日、ルプレヒト教会を訪ねた。ウィーンで最も古い教会だ(11世紀建設)。窓が小さいため、日射が入りにくい。その上、周辺の建物が大きくて、教会建物はその陰になる。その結果、教会内は真夏も涼しいということが分った次第だ。

ボスニアにイスラム過激派拠点

 アルプスの小国オーストリアでは先月、3人のテロ容疑者がウィーン国際空港でパキスタンに飛び立とうとしていたところを逮捕されたばかりだが、同国第2の都市グラーツ市の中央駅前で今月初め、同じくイスラム根本主義グループのサラフィスト・グループ(Salafist)がコーランや教典関連CDなどを配布しながら、イスラム教への改宗を市民に呼びかけていたという。
 シュタイアーマルク州警察当局は、「イスラム過激派が白昼堂々と路上で宣教活動を始めたことに驚かされたが、テロの直接の脅威は目下ない。彼らはボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム過激派グループと接触がある」と指摘した。
 オーストリア日刊紙プレッセによると、欧米情報機関はボスニア北部ブルチコ行政区の近郊の小村ゴルニヤ・マオチャ(Gornja Maoca)でサウジアラビア出身のイスラム過激派ワッハーブ派グループが暗躍していることを掴んでいる。
 そのワッハーブ派とグラーツのイスラム過激派勢力が繋がっているというわけだ。オーストリア連邦憲法保護・テロ対策局(BVT)関係者が神経質となるのは当然だろう(グラーツ市は一時期、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」の欧州拠点の一つだった)。
 ボスニア紛争(1992年〜95年)が終了、デイトン和平協定が合意した直後、サウジのワッハーブ派はその豊かな資金をボスニアに投入し出し、多くのイスラム教寺院を建設し、ボスニアを西欧進出への主要拠点としてきた。
 換言すれば、西欧のキリスト教文化とその世俗主義に汚染されているユーロ・イスラム教徒(推定1400万人)をターゲットに、イスラム根本主義思想を植え付けていく一方、キリスト教徒を改宗するという戦略だ。
 ワッハーブ派のプレゼンスは同時にボスニアの少数宗派にも影響を与えている。例えば、ボスニア紛争前までは約90万人いたカトリック教徒は今日、45万人と半減している。「ボスニアに帰還するカトリック教徒が少ないからだ」という。同時に、ボスニア国内のイスラム教徒とワッハーブ派グループとの間で小競り合いが絶えない。
 最後に、ボスニアで勢力拡大を狙っているのはサウジのワッハーブ派だけではない。イランのシーア派グループも活発な活動を展開していることを付け加えておく。

イスラエルの「忍耐」が切れる時

 国際原子力機関(IAEA)担当のイスラエルのエフド・アゾウライ大使(Ehud AZOULAY)はIAEAの会議場(Mビル)内で待機していた。
 暫くすると、IAEA関係者がきて、直ぐに話し出した。テーマはイランのサレヒ外相(昨年12月就任)と天野之弥事務局長との会談内容だ。
iranischer botschafter イランのサレヒ外相(写真)は12日午前、IAEAのウィーン本部を訪問、天野事務局長と会談したばかりだ。その1時間後、イスラエル大使はIAEA関係者から会談内容のブリーフィング(報告)を受けていたことになる。
 イスラエルはテヘランの核計画に対し非常に神経質となっている。「イランは核兵器を製造する」と分析しているからだ。イランに核兵器を保持させないため、軍事力を行使してテヘランの核関連施設を破壊するだろう、と予想されているほどだ。
 実際、イスラエルは2007年9月、シリア北東部の核関連施設(ダイール・アルゾル施設)を空爆した。イスラエルは同施設を核関連施設と判断したからだ(シリア側は一貫して「核施設ではなく、軍事施設」と反論)。
 天野事務局長は6月の理事会用のイラン報告書(9頁)の中で「イランの不法核開発計画(ミサイル搭載用核弾頭開発活動継続など)の疑い」を指摘し、イスラエルの懸念を一層、裏付けている。IAEA報告書によると、イランは国連安保理決議、理事会決議を無視し、ウラン濃縮関連活動や重水炉関連活動を継続・拡大している。
 ちなみに、サレヒ外相と天野事務局長との会談内容には新しいものがなかった。IAEA広報部によると、イラン側はIAEAとの協調を強化する用意があること、そのための前提条件としてIAEAはイランの不法核開発容疑調査を停止することなどを申し出たという。
 イランの核問題がIAEA理事会の議題となって8年目を迎えたが、同国の核計画の全容は依然、解明されていない。
 イランのIAEA担当ソルタニエ大使は「わが国の核計画は核エネルギーの平和利用が目的だ」と、繰り返し主張しているだけだ。
 イスラエルは忍耐を失いつつある。イスラエル大使の動向をみていると、そのような予感が高まってきた。

江沢民前国家主席と「610公室」

 今月に入り、中国前国家主席の江沢民氏の死亡説が流れ、世界のメディアは一時大慌てとなった。同氏は依然、生存しているようだが、悪化した健康は予断を許さない状況という。
 ところで、同氏の死亡報道が流れた時、同氏から激しく迫害されてきた気効集団「法輪功」メンバーたちは歓喜したという。
 江沢民氏は国家主席時代、台頭する法輪功メンバーを監視する機関、通称「610公室」と呼ばれる組織を創設し、法輪功メンバーを迫害してきた。だから、「法輪功」メンバーからはこれまで憎まれてきた経緯がある(「610」公室という数字は創設された6月10日の日付から由来)。
 610公室は超法規的権限を有し、法輪功の根絶を最終目標としている。610公室のメンバーは都市部だけではなく、地方にも派遣されている。そればかりではなく、海外の中国大使館にも派遣され、西側に亡命した法輪功メンバーの監視に当たってきた。
 当方は2005年11月3日、 シドニー中国総領事館の元領事で同年夏、オーストラリアに政治亡命した中国外交官の陳用林氏(当時、37歳)と会見したことがある。同氏は「610公室」のメンバーだった。

chinese gros
▲インタビューに答える陳用林氏(2005年11月3日、ウィーンにて)


 以下、陳用林氏との会見の一問一答の一部を読者に紹介する。

 ――亡命動機を説明してほしい。
 
 「一つは自由を求めてだ。14年間、外交官として生きてきたが、真の自由はなかった。いつも監視下にあったからだ。また、自分が政治亡命することで母国の民主化を促進させたいという願いがあった。駐シドニー総領事館では中国出身の同胞国民を監視することが私の任務だったが、それが耐えられなくなった。中国政府は政治亡命した私を『祖国の裏切り者』と批判するが、私は祖国から逃亡したのではなく、中国共産党から逃亡しただけだ。私が政治亡命したため、中国にいる家族が共産党の厳しい監視下に置かれていることは辛い」

 ――駐シドニー領事としての任務は具体的に何だったのか。

 「オーストラリアに居住する中国人を監視し、反政府活動する中国人の言動を北京に報告することだ。私は気功集団『法輪功』信者の監視を担当してきた。ちなみに、中国秘密警察『610号』高官がシドニーを視察した時、同高官は『約3万人の法輪功信者が収容所に入れられている』と語っていた」

 ――中国共産党について聞きたい。

 「中国共産党はわが国5000年の歴史を破壊した。共産党はこれまでに8000万人の同胞を殺害した。党幹部ですら、もはや共産主義を信じてはいない。かつては、海外訪問した時、その名刺に『中国共産党中央委員会第一書記』など肩書が誇らしく印刷されていたが、現在はどこそこの『会社総支配人』とか『マネージャー』といった肩書が書かれている。もちろん、架空会社だ。彼らは体制の危機を感じているため、資産を海外に密かに移したり、いざという場合に備え、2つの旅券を所持している。共産党からは大量の党員が離党している」

 中国反体制派活動家たちは「610公室」を中国版ゲシュタポ(秘密国家警察)と呼んでいる。その創設者の江沢民氏が今、死の床にある。

“デザイン・ベビー”と優生思想

 独連邦議会は7日、着床前の遺伝子の診断を条件付で容認する法案を賛成多数で採択した。議会には、条件付き賛成、反対、例外容認の3つの法案が提出され、最初の法案が賛成326票の過半数を獲得して採択された。
 ドイツではスイス、オーストリア、アイルランドと同様、これまで「着床前診断」(Praimplantationsdiagnostik)は「胚の乱用」という理由から禁止されてきた。そのため、遺伝子病の苦しむ夫婦や遺伝子の障害を事前に除去できるという理由などから、着床前診断を希望する夫婦がPIDを容認している国に出掛けて診断を受けるケースが絶えなかった。
 ちなみに、ドイツでは「胚の保護法」に基づき、PIDは禁止されてきたが、独連邦裁判所が昨年夏、「一定の状況下では着床前診断は違法とはならない」と表明したことを受け、政府は法案作成に乗り出してきた。
 独連邦議会では約40人の議員が党の拘束なく、自身の見解を自由に述べた。4時間余りの論争後、採択された法案では、遺伝子病を抱える夫婦が健康な子供を生みたいという理由から着床前診断を希望する場合、倫理委員会の容認を受けて実施することができる。
 一定の条件付きとはいえ、着床前診断が認められたことで、「試験管の胚の選択は認められ、最終的には『優生思想』に繋がる危険性が出てきた」という声から、「神聖な生命の領域に人間が関与することになる。生命の倫理から言っても容認できない」(独ローマ・カトリック教会ケルン教区のマイスナー枢機卿)といったキリスト教会関係者の批判が出ている。
 また、「一度、容認されれば、ダムの崩壊と同じように、誰もがもはや止めることができなくなる」といった懸念を抱く医療関係者もいる。すなわち、「胎児の直接の性別選択はできないが、ダウン症候群の子供の出産を回避できる」からだ。だから、「両親の幸福を胎児の殺害で買うことになる」という辛らつな批判も飛び出すわけだ。
 PIDが認められば、行き着き先は米国では既に半ば実現している“デザイン・ベビー”の誕生となる、という危惧もある。
 一方、賛成派は、「遺伝子病に悩む夫婦の健康な子供を生みたいという願いに応えることができる。その上、妊娠後期の中絶を減少できる」と主張するが、PIDが容認されているフランスでは、「妊娠後期の中絶件数が増えている。PIDが健康な子供を出産する完全な保証とは成り得ないからだ」(バチカン放送独語電子版)。

 以下は、当方の見解だ。PID問題の専門家ではないが、当方なりに考えてみた。
 遺伝子操作で問題のある遺伝子だけを除去できる医学技術があるならば、遺伝子病に悩む夫婦の願いに応えることは「時代の恩恵」として容認されるべきだろう。一方、遺伝子操作の乱用で「生命の倫理」が蹂躙される危険性も考慮しなければならない。
 PID問題だけではない。どんな最新技術や医療技術が開発されたとしても、当然のことだが、その受益者というべき人間がそれらをどのように利用するかで結果は大きく変わる。技術そのものが「生命の倫理」を蹂躙するわけではない。その技術を利用する人間が蹂躙するのだ。
 このように考えていくと、漠然としているが、「人間が良くなれば、全ての科学・医療技術の発展は本来、恩恵として自由に活用できるのではないか」という結論が見えてくる。
 ただし、「どうしたら人間は良くなるか」「良くなるとは何か」等の昔からのテーマがわれわれの前に依然、横たわっている。そして「人間が変わらない限り」、PIDを含む最新の科学・医療技術の応用では一定の条件や制限がやはり必要となってくるだろう。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ