ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年06月

「メジュゴリエの奇跡」非公認?

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ西約50キロにあるメジュゴリエに聖母マリアが顕現して今月24日で30周年目を迎える。
 メジュゴリエでは1981年6月、当時15歳と16歳の少女に聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡が起きた。通称「メジュゴリエの奇跡」と呼ばれ、これまで1000万人以上の巡礼者が訪れている。
 バチカン法王庁はメジュゴリエの聖母マリア再臨地を公式の巡礼地と認めていないが、ローマ法王ベネディクト16世が2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置。枢機卿、司教、専門家13人で構成された同委員会が10年3月に調査を開始したばかりだ。
 同委員会議長のルイニ枢機卿は14日、ローマでの記者会見で「『メジュゴリアの奇跡』の近い将来の公認は目下、考えられない」と述べた。30周年を前に奇跡の公認を期待していた現地の多くの聖職者、信者たちは枢機卿の発言を聞き、「失望」したといわれる。
 バチカン法王庁は「奇跡」や「霊現象」には非常に慎重な姿勢を取ってきたことは周知の事実だ。カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」とし、その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題と受け取られてきた経緯がある。その点から判断すれば、今回の枢機卿の発言は決してサプライズではない。
 ちなみに、聖母マリア再臨地を実際訪問したオーストリアのカトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は09年12月、「メジュゴリエ現象は社会の平和に貢献する内容が含まれている、多くの若者たちが同地を訪れ、平和のために祈りを捧げ、病気が治ったり、回心者まで出ている」と報告し、同地には宗教的エネルギーが溢れていると証言している。
 「メジュゴリエの奇跡」公認問題が難しい背景には、バチカンの姿勢もそうだが、巡礼者へのケア問題で現地のフランシスコ会修道院と司教たちの間で権限争いがあったからだともいわれる。
 いずれにしても、「メジュゴリエの奇跡」がバチカンに公認されなくても、多くの巡礼者が今後も訪れることだけは確かだ。現代人は「奇跡」に飢えているからだ(「若者たちは奇跡に飢える」08年9月15日、「奇跡を待って徹夜する人々」(09年11月3日参照)。


ウィーンの「皆既月食」

 別のテーマに取り組んでいたので遅くなったが、音楽の都ウィーンの皆既月食について報告したい。
 当方は15日午後8時半から自宅の8階のベランダで待機していた。しかし、労働者の町オッタクリングではまだ街の灯が明るすぎて、月が見えない。天体観測の場合、忍耐が必要だと聞いてたので、街の灯が消え、月がその姿を見せるまで待ち続けた。
 9時半頃になると雲の間から赤銅色を帯びた月が見えた。月と地球と太陽が一直線上に並んだ瞬間だ。地球の影となった月は真黒になるのではなく、地球大気の屈折した光を受けて赤銅色となり、浮かび上がる。ウィーンに長く住んでいたが、皆既月食を目撃したのは初めてだ。
 当方は是非とも今回は皆既月食を観たいと決意していた。どうしてか。今回の皆既月食がウィーン市でも観測できるチャンスと聞いていたこと、メディアが掲載していた赤銅色の月が非常に神秘的に感じたからだ。
 皆既月食の瞬間を待っていた時、昔の人間は皆既月食をどのように受け止めていただろうか、と漠然と考えた。皆既月食だけではない。雷、津波、地震でも同じだろう。昔の人間にとって、さまざまな自然現象は恐怖と畏敬と不安を与えただろう。いつも見てきた月が突然、赤銅色で出現したら、何か不気味な思いに襲われるだろう。繊細な人間ならば、未来を予言したかもしれない。
 一方、現代人は皆既月食について知っている。神が怒っているのでも、月が地上の美しい女たちを見て赤面しているのでもないことを知っている。
 しかし、天上の星群をみていると、言い知れない驚きと感動を感じ、あの一等星と地球の間の距離がどれだけかを考えるだけで、もう軽い眩暈すら覚えてしまうものだ。
 ピアノソナタ「月光」の作曲者ベートーヴェンはウィーンのハイリゲンシュタットで作曲の疲れを癒すため天上の星と月を眺めただろう。
 自然現象を科学的に完全に説明できたとしても、当方などは心のどこかでは完全には納得していない面がある。「赤銅色の月」は地球の影と太陽が織り成す天体現象ではなく、ひょっとしたら、月の居住者がクレーターから一斉に顔を出し、火を炊き、踊りだした瞬間かもしれないのだ。
 赤銅色の月を観た後、床についた。深夜の2時半頃、トイレのために目が醒めた。カーテン越しに月を探したら、大きな満月がいつものように黄色の光を放っていた。

女子サッカーW杯と「北朝鮮」

 ドイツで国際サッカー連盟(FIFA)主催の第6回女子サッカー世界選手権(W杯)が今月26日から来月17日まで開催されるが、それに先立ち、北朝鮮女子サッカー選手を描いたドキュメント映画「ハナ・ドゥル・セッ」(1、2、3)がドイツ国内で今月9日から15カ所の映画館で上演されている。
 同映画は2009年の第47回ウィーン国際映画祭(ヴィエナーレ)に出品され、オーストリア国内で上演されたが、今回は女子サッカーW杯がドイツで開催されるのを契機に、ドイツ国内で再上演される運びとなったわけだ。
 ドキュメント映画「ハナ・ドゥル・セッ」(Hana Dul Sed)は上演時間98分、制作監督ブリギッテ・ヴァィヒ女史、配給会社は「Ri Filme」社だ。舞台は北朝鮮。テーマは北朝鮮女子サッカー選手の夢と現役後の日々だ。
 主人公は4人の女子サッカー選手。彼女らは北朝鮮ナショナル・チームに属する。4人は日々平壌で厳しいトレーニングに励む。北朝鮮女子チームは勝利を重ね、世界ベスト10まで飛躍したが、アテネ五輪大会予選で敗北。4人のサッカー人生は即終わり、ナショナル・チームから解雇された。その後、4人はサッカーとはまったく関係のない世界で生活をする。
 4人は再会する機会がほとんどないが、会えばサッカーの練習で明け暮れた日々が懐かしく思い出される。政治やイデオロギー色の少ないドキュメント・フィルムだ。
 監督のブリギッテ・ヴァィヒ女史が撮影開始して7年間の月日を投入して完成した映画だ。
 ちなみに、北朝鮮女子チームも今回のドイツW杯(22カ国チーム)に参加する。日本の「なでしこジャパン」も6回連続出場だ。優勝の有力候補は前回(07年)の覇者ドイツチームとそのライバル・米国チームだ。それにダークホースとして中国チームが挙げられるだろう。

ウィーン空港でテロ容疑者を逮捕

 オーストリア連邦憲法擁護・テロ対策局(BVT)の専門家が久しく警告してきたことがある。アルプスの小国オーストリアでもイスラム教活動家の過激化とリクルート活動が活発化しているということだ。
 それを裏付けるように、ウィーン国際空港で15日、パキスタンに飛び立とうとしていた3人のテロ容疑者が逮捕された。
 オーストリア日刊紙クリア電子版によると、1人のテロ容疑者は同空港で逮捕され、2人のテロ志願者はBVTに拘束された。
 それに先立ち、オーストリア人(Maqsood L、21歳)のテロ容疑者が先月16日、アフガニスタンのテロ訓練キャンプから帰国したところをベルリンで逮捕された。同容疑者の家族はアフガン出身だ。同月31日には、ウィーンでドイツ人テロ容疑者(Yusuf O)が逮捕された。彼らは潜在的なテロリストをリクルートしたり、資金支援をしていた容疑がかけられている。具体的には、ドイツ・タリバンのムジャーヒディーン(イスラム兵士)だ。
 BVT関係者によると、アフガンやソマリアでテロ訓練を受けているオーストリア人の数は2桁にはなるという。その数は年々、増加している。彼らの特長は移住者家庭の2世、3世たちだ。
 西側情報機関関係者が頻繁に使用するテロ用語の中に「ホームグロウン・テロリスト(Homegrown Terroristen)」がある。欧州で生まれたり、そこで成長したイスラム教徒が自身のイスラム教の教えを絶対視し、欧米民主主義の価値観を拒否、国際テログループの手足となったり、財政支援をする過激なイスラム主義者を意味する。このホームグロウン・テロリストの脅威が一層、現実味を帯びてきたわけだ。
 オーストリアで2007年9月12日、同国国籍を有するアラブ系の3人(男2人、女1人)のテロ容疑者が逮捕されたことがある。彼らは同年3月、ドイツと共にオーストリアを名指して、「アフガン駐留の同国軍を撤退させよ」と要求し、「応じない場合、オーストリアをテロの対象とする」という脅迫ビデオを流した。
 主犯のモハメット・M(22)は両親のアパートで妻(20、逮捕)と2人の弟たちと共に住んでいた(「子供部屋のテロリストたち」2007年9月15日)。
 「わが国にはアルカイダの脅威などない」と堅く信じていた大多数のオーストリア国民は22歳の若いテロリストの出現に大きな衝撃を受けたことはまだ記憶に新しい。
 「国際テロ組織」アルカイダの首謀者、ウサマ・ビンラディンは死去したが、テロという亡霊は西側社会で徘徊し、イスラム系移住者の2世、3世を執拗にリクルートしているのだ。

イスラム教に成長の時間を与えよ

 「世界のエトス」の提唱者として国際的著名なスイスの神学教授、ハンス・キュンク教授(Hans Kung) は「欧州のイスラム教」をテーマにオーストリアの日刊紙ザルツブルガー・ナハリヒテン紙(6月14日付)のインタビューに答えている。以下は、その主要発言だ。

 キリスト教に牛耳られてきたイスラム教が目覚め、西欧キリスト教社会に挑戦し出す契機となった出来事は「イラン革命」(1979年)と「オイル・ショック」(1970年代)だった。
 イスラム教がキリスト教の深刻なライバルとなることができた理由として、(1)イスラム教の教えが、三位一体や神の子イエスといったキリスト教教義のようには複雑でないこと、(2)信仰と行動の一致、(3)多様な国民・文化での適応力、等の3点だ。そしてその適応力を駆使して欧州でも欧州イスラム教(ユーロ・イスラム)が生まれてきた。
 「国家と宗教」の関係で目標とすべき国はイランやサウジアラビアではなく、トルコだ。完全な世俗国家でなく、民主的法体制下で信仰を重要視する。
 エジプトの民主化運動で国民が選択したのは民主国家で「神権国家」ではなかった。「ムスリム同砲団」の動向にあまり懸念していない。
 イスラム教はその権力と資金を駆使して勢力拡大に乗り出してきた。ちょうど、キリスト教が宣教活動をしていったようにだ。サウジのワッハーブ(Wahabiten)は豊かな資金を駆使して世界に寺院を建設し、その代価としてその厳格な教えを広めようとしている。しかし、ワッハーブ派の教えは受け入れられないだろう。民主主義法体制下で重要な点は「少数派宗教の保護」だ。
 最後に、「ローマ・カトリック教会もピウス12世(在位1939年〜58年)まではカトリック教国家建設が目標だったが、ヨハネス23世が主導した第2バチカン公会議(1960年代)を経て、初めて人権と宗教の自由を公認した経緯がある。ここまで発展するために長い時間がかかった。イスラム教にも同じように成長の時間を与えるべきだ。

 キュンク教授は1928年、スイス生まれ、ローマ、ソルボン、パリ、ベルリン、ロンドンなどで学び、60年からチュービンゲン大学基礎神学教授に就任。「法王の不可謬説」を否定したたため、79年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖職を剥奪された。その後、宗教の統一を目指して「世界のエトス」を提唱、世界の宗教界に大きな影響を与えてきた。
 教授は「私はこれまで異なる宗教、世界観の統一を主張して『世界のエトス』を提唱してきた。宗教、世界観が異なっていたとしても人間の統一は可能と主張してきた。キリスト教、イスラム教、儒教、仏教などすべての宗教に含まれている共通の倫理をスタンダード化して、その統一を成し遂げるのだ」と説明している。

原発ルネサンスは消滅したか

 イタリアで12日、13日の両日、原発再開を問う国民投票が実施され、投票有効に不可欠の投票率50%をクリアした上、原発反対が約94%を獲得した。この結果を踏まえ、ベルルスコーニ首相は「わが国で原発再開は今後、あり得なくなった。他のエネルギー源の利用を促進していかなければならない」と述べ、イタリアで原発再開の道が閉ざされたことを認めている。
 イタリア国民投票では、投票率が問題視され、その投票の結果は既に明らかだった。しかし、国民の「94%」が再開反対したという結果は少々、驚きだ。
 欧州の主要原発国ドイツで先月30日、与党キリスト教民主・社会同盟と自由民主党が2022年までに脱原発を決定したばかりだ。同国の17基の原発のうち、安全点検中の7基と操業中止の1基を廃炉し、残りは遅くとも22年までに脱原発するという計画だ。
 それに先立ち、スイスは34年までに脱原発を決定している。西欧諸国とは異なり、原発開発に意欲を示してきた東欧諸国でも原発導入を問う国民投票の実施を求める声が挙がってきている。例えば、ポーランドは22年に初の原発操業を目指してきたが、同国連立政権のパートナー、ポーランド農民党(PSL)がイタリアと同様に国民投票の実施を要求している。
 欧州の脱原発の動きは福島原発事故が大きな影響を与えていることはいうまでもない。特に、チェルノブイリ原発事故(1986年)の影響を受けた欧州では放射性汚染に対する恐怖感が国民の中には強い。それが福島原発事故で一層、増幅されたわけだ。
 当方が住むオーストリアでは1978年11月5日、建設された同国初のツヴェンテンドルフ原子炉操業を問う国民投票が実施された。当時のクライスキー政権は原子炉操業支持派が勝つと信じていたが、結果は反対派が勝利し、総工費約3億8000万ユーロを投資して完成した原子炉は博物館入りとなった(「オーストリアの反原発史」2011年4月26日参照)。
 国家の主権は「国民」だ。国の命運に関連する重要問題の是非を国民に問うことは当然だが、問題も出てくる。オーストリアの国民投票でも明らかになったが、専門的知識が要求される原発問題の是非を国民投票の結果に委ねることは正しいだろうか、という問題だ。特に、原発事故直後という状況下で国民は冷静に判断できるだろうか、等の疑問が出てくる。
 ドイツの場合は与党間の合意で脱原発を決定したが、メルケル政権が脱原発を早急に決定した背景には、福島原発事故で反原発に傾く国民の動向をみて、次期州議会・連邦議会選挙を考えての政治的判断が働いたからだろう。ここでも反原発に急速に傾く国民の動向が決定的インパクトを与えているわけだ。その意味でイタリアの国民投票の動向と大きくは異ならない。
 核エネルギーの平和利用を促進する国際原子力機関(IAEA)の昨年度年次総会の天野之弥事務局長の開会声明を思い出す。同事務局長は「地球温暖化や環境汚染が進む今日、クリーンなエネルギー源として原子力エネルギーに関心をもつ国が増えてきた。現在は原子力エネルギーのルネサンスを迎えている」と豪語したものだ。
 あれから半年後、福島原発事故が生じ、原発を積極的に促進してきた欧州で脱原発が緊急課題として浮上してきた。それも代替エネルギーの実用化や開発の見通しがない中、脱原発だけが一方的に決められている。そして、核エネルギーのルネサンスを迎えるはずだったIAEAは目下、福島原発事故の対応に東奔西走しているのだ。

当方が出会った中東の女性たち

 シリアのアサド政権は反政府デモに対して軍事力を行使して攻撃している。アサド政権の最後の抵抗だろうが、それにしても多くの国民が犠牲となっている。心が痛い。
 当方は先日、シリアの女性に会う機会があった。まだ若いが弁護士として活躍している女性だ。食事をしながら話していると、彼女は突然、「私は11歳の時、結婚させられたのよ。相手は22歳の男性。両方の親たちが了解のもと、婚姻を約束したの。自分は勉強がしたかったので、学校に行き、それから米国に逃げていった。そこで勉強して弁護士になったのよ」という。
 当方がビックリした顔をしていると、彼女は「彼(夫)も私がどうして出て行き、勉強したいのか、最後まで分からなかったみたいよ。最終的には離婚した」と付け加えた。
 男性も女性も晩婚傾向がある西欧社会に住んでいると、11歳で婚姻を強いられた、ということを聞いて驚く一方、勉強をしたくて米国に行き、弁護士となった彼女の意思の強さに感動を覚えた。
 中東アラブ諸国では、女性の地位、権利が蹂躙されてきて久しい。サウジアラビアでは今なお、女性は車を運転できない。同国では、公式統計は発表されていないが、離婚率は高い一方、自殺も考えられないほど多いという。
 パレスチナの女性は父親を亡くした後、家の柱となって働いてきた。「結婚は今のところ考えられない」といった。まだ幼い弟たちを養わなければならないからだ。パレスチナでは夫や父親をイスラエルとの紛争で失った家庭が少なくない。
 中東の女性たちのことを考えていた時、知人のアフガニスタン人記者が「わが国の結婚様式を強制結婚と批判し、女性の権利が蹂躙されていると批判するが、欧米では3組に1組以上が離婚するではないか。家庭が崩壊し、離婚が日常茶飯事の欧米が女性の権利尊重を主張できるのか」と語ったことを思い出した。
 欧米では自由を享受しながら不幸になる女性たちが増える一方、中東では自由意思を奪われ、生活苦に喘ぐ女性たちがいる。どちらが女性にとっていいのか、というのではない。女性たちが不幸な時、男たちにとっても幸福ではあり得ないということだけだ。

新たなペンテコステの到来

 今日(13日)は「聖霊降臨祭の月曜日」と呼ばれ、ローマ・カトリック教国では祝日(移動祝日)だ。
 キリスト教では、聖霊降臨祭はイエスの生誕日(クリスマス)、イースター(復活祭)と共に3大祝日に入る。イエスの復活50日後、聖霊が降臨した日を祝う日だ。
 イエスは十字架にかかり、3日後、復活、40日間、散らばった弟子たちを再び呼び集め、福音の伝道を指示した後、昇天される。その10日後、聖霊が降臨して弟子たちはさまざまな言語で話し出す。
 新約聖書の使徒行伝2章によると、「みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っていた家いっぱいに響き渡った。……すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」という。
 エル・グレコの有名な宗教画「聖霊降臨」では、炎のような舌(聖霊)が信者たちの頭の上に漂い、その上に鳩が描かれている。聖霊に満たされた信者たちが紅潮した表情を漂わせて天を仰いでいるシーンがとても印象的に描かれている。
 イエスの弟子たちは元々信仰の強い者たちではなかった。むしろ、直ぐに転んでしまう弱さを抱えていた。イエスの第一弟子のペテロは、イエスが十字架にかかる時、イエスの仲間と分かれば同じように殺されると思い、「この人を知らない」といって逃げたが、聖霊降臨を体験した後は死を恐れず伝道に奔走し、最終的にはイエスと同じように十字架上で死ぬ。
 ローマ法王べネディク16世は12日、サン・ピエトロ大聖堂で聖霊降臨祭の記念礼拝を行ったが、現代のキリスト教信者たちにとって「聖霊降臨」はキリスト教の教義の中でも最も信じることが難しい内容といわれる。なぜならば、聖霊(の役事)が存在するならどうして多くの紛争、困窮、病が解決できないのか、といった素朴な疑問が解けないからだ。教会側も聖霊の役割についてあえて多くを語らなくなってきたこともある。
 しかし、イエスの復活から始まったキリスト教が世界宗教に発展してきたのは「聖霊降臨」後だ。聖霊の降臨なくしては、今日のキリスト教は存在しなかったことは間違いない。聖霊降臨の日を「キリスト教の誕生日」と呼ぶほどだ。
 世界の世俗化に直面し、べネディクト16世は再福音化を宣言、宣教活動の促進をアピールしているが、キリスト教が再活性化するためには新たなペンテコステ(聖霊降臨)の到来が不可欠ではないだろうか。

北、李明博韓国政権を切り捨て?

 朝鮮半島の状況が緊迫してきた。北朝鮮の対南批判のトーンが異常なほど高まっているのだ。「平壌指導部に何があったのか」といった疑問が湧いてくる。
 対南批判が金正日労働党総書記の訪中後急速に高まってきたことから、「金総書記の訪中に何か不快な事が生じた」「中国首脳陣が金総書記の要請を断わった」等の情報が流れてくる。
 
 そこで知人の北外交官に単刀直入、聞いてみた。

 ――北朝鮮は異常なほど対南批判、対李明博政権罵倒呼ばわりを繰り返している。何があったのか。金総書記の訪中が成功しなかった腹いせか。

 「金総書記の訪中と今回の対南批判はまったく別問題だ。両者をリンクして考えるべきではない」

 ――それでは何が理由なのか。

 「明確なことは分らない。韓国軍がわが国の指導者の写真をターゲットに射撃訓練を実施しているという。許されない侮辱行為だ。明確な点は、わが国が李明博政権との交渉をもはや願っていないということだ」

 ――すなわち、現政権を見捨て、次期韓国大統領選(来年12月)に影響行使を考えているというわけか。

 「それに近いのではないか」

 ――中国の梁光烈国防相が今月7日、「(北に)冒険はさせない」と北当局に警告を発したという。この発言内容は、北側が何らかの軍事冒険を行う危険性が出てきた、という事を示唆している。

 「わが国が韓国と戦争状況に入ることはない。軍事衝突は双方に何も利益をもたらさないからだ」

 ――北がミサイル発射や3回目の核実験を実施するのではないかと予想されている。

 「核実験は金総書記と軍部の問題だから、何もいえない」

 ――ところで、北朝鮮は潘基文・国連事務総長の再選を支持したという。

 「当然だ。南北間は目下、険悪化しているが、同じ民族だ。わが国は潘基文氏の最初の立候補時にも率先して支持表明してきた」



【短信】ガネム氏、ウィーン入り

 リビア最高指導者カダフィ大佐の腹心の一人、ショクリ・ガネム(Shokri Ghanem)石油相は先月、カダフィ政権に決別し、リビアを出国してチュニジアに逃亡したが、同氏が先日、ローマからウィーン入りしたことが確認された。同氏の滞在目的は不明だが、同氏の息子が経営している会社と関係があるとみられている。リビア消息筋が明らかにした。
 同氏の周辺には数人のガードマンが常時いる。同氏は安保理決議制裁の資金凍結・渡航禁止対象リストには入っていない。

日本の共同提案国入りが遅れた訳

 国際原子力機関(IAEA)の6月定例理事会の争点は対シリア決議案だった。シリアの核関連活動がIAEAとの間で締結された核保障措置協定の義務違反に該当するとして欧米理事国が中心となって国連安保理に付託する決議案が作成された。その決議案(6月7日提出)には13カ国が共同提案国となっていた。オーストラリア、ベルギー、カナダ、チェコ、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、オランダ、ポルトガル、英国、米国だ。しかし、日本は入っていなかったのだ。
 日本は対シリア決議案の共同提案国入りを避けたのだろうか。そこで関係者に聞くことにした。
 先ず、IAEA担当のGlyn Townsend Davies米大使に尋ねた。同大使は当方の質問を笑いながら、「君、日本人外交官に聞くべきだよ。一般的には、日本外交は強硬姿勢を嫌う傾向があるがね。しかし、事務局に問い合わせて確認すべきだよ」。内政干渉と誤解される言質を与えまいとして、米大使は慎重に言葉を選んだ。
 そこで米大使のアドバイスに従い、次は在ウィーン国際機関日本政府代表部の中根猛全権大使に聞くことにした。
 穏健な中根大使は、「最初の決議案が作成された段階で日本は共同提案国ではなかったことは事実だ。外務省の承諾待ちだったからだ。しかし、日本は今(9日の段階)、決議案の共同提案国となっているよ」という。すなわち、東京の外務省の承諾を得て日本も共同提案国入りしたというのだ(これで共同提案国は14カ国となった)。
 中根大使の答えを聞いて当方の胸のつかえは取れた。日本が対シリア決議案に同調しないとは考えられないからだ。日本が対シリア決議案の共同提案国入りを避けていたならば、それこそ大きな問題となったはずだ。
 日本も共同提案国となった対シリア決議案は9日午後、理事国の過半数の支持を得て採択された。これで一件落着だが、まだしっくりとしないことがあった。決議案は会合の場でインスタントに作成されたものではない。理事会開催前に関係国が慎重に話し合ったはずだ。それなのにどうして日本が他の共同提案国より遅れたのか。アジアからは韓国が最初の決議案の段階で共同提案国入りしていた。日本は共同提案国入りが一日遅れたのだ。共同提案国入りに拘るわけではないが、日本外交はどうして決断するのに他国よりも長い時間がかるのだろうか。
 福島原発事故の対応でも情報伝達が遅く、決断と指導力が乏しいと海外から非難を受けたばかりだ。日本外交の意思決定メカニズムが官僚主義的で柔軟性に欠如しているからではないか。そのように思えてくるのだ。
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