ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年03月

国連人権理、「宗教の自由」案採択

 ジュネーブに本部を置く国連人権理事会は24日、欧州連合(EU)らが提出した「宗教の自由」に関する決議案を全会一致で採択した。
 オーストリアのシュビンデルエッガー外相は、「採択された決議案は国際社会にさまざまな宗教が平和的に連帯することの重要性をアピールしたものだ」と説明し、同決議案採択を高く評価した上で、「少数宗派の権利保護はわが国の重要な関心事だ。そのため他のEU加盟国と共同で戦ってきた」と述べた。
 決議案はEU27カ国を含め50カ国以上が共同提案国となって提出されたもので、全ての「宗教、良心の自由」を保護し、宗教的寛容と宗教間の対話促進を明記している。
 EUが中心となって今回の決議案が提出された直接の契機は、イスラム教国、アラブ諸国で少数宗派のキリスト教信者たちの迫害が深刻化してきたことだ。
 最近では、エジプト地中海沿岸の都市アレクサンドリアで1月1日未明、キリスト教徒を標的にした爆弾テロがあり、少なくとも信徒ら21人が死亡、40人以上が負傷するという事件が発生した。
 イラクでは戦争前に約85万人いたキリスト教信者(同国人口約3%に相当)は今日、半分以上が国外に避難し、同国南部ではもはやキリスト教のプレゼンスはなく、首都バグダッドと同国北部にかろうじてキリスト教社会が生きのびているだけだ。
 迫害されるのは信者だけではなく、聖職者も同様だ。同国北部モスルでは2008年3月13日、武装集団に殺害されたカルデア典礼カトリック教会のパウロス・ファライ・ラホ大司教の遺体が見つかっている。宗教学者の中には「キリスト教徒迫害時代の到来」と呼び、「イスラム教圏でクリスチャンフォビア(Christianophobia、キリスト教徒嫌悪)が広がってきた」と警告を発しているほどだ。
 もちろん、「宗教の自由」はイスラム教徒圏の少数宗派キリスト教徒の権利尊重だけではない。例えば、日本では世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)信者たちの拉致監禁問題がある。1966年以降、4300人の統一教会信者たちが拉致監禁・強制改宗の犠牲となっている。これは「信仰の自由」蹂躙の典型的な実例だろう。
 東日本大震災に襲われた日本に対して、全世界から支援が送られ、震災にも負けず復興に努力する日本人の姿に対して高い評価の声が挙がっている。とても嬉しく、誇らしく感じるが、国内の「宗教の自由」問題に目を向ければ、世界は驚き、失望するのではないか、と心配になってくる。
 ジュネーブ国連人権理事会の決議案採択は日本への警告でもあるわけだ。

今夏はざるそばが食べられない?

 27日実施された独バーデン・ビュルテンベルク州議会選挙で野党の環境政党「90年連合・緑の党」が大躍進し、同党の州首相が誕生する見通しとなったが、独メディアは「福島効果」と呼んで、福島第1原発の危機が有権者を反原発政党に走らせ、「90年連合・緑の党」に躍進をもたらした、と分析している。
 「福島効果」はそれだけではない。欧州連合(EU)は日本から到着した旅行者や日本からの食品に対して放射能汚染を厳しく検査しているが、福島第1原発から放出された放射能で福島近辺の野菜ばかりか、海の汚染も報じられると、欧州の日本レストランや日本食料品販売店から「日本商品が今後、輸入できなくなるのではないか」と心配する声が出てきたのだ。
 音楽の都ウィーンにも数軒の日本レストランと日本食品販売店がある。欧州の寿司ブームもあってこれまでどこも大繁盛。しかし、ここにきて「福島原発の危機が“欧州の寿司ブーム”を吹き飛ばしてしまうのではないか」といった懸念もある。
 しかし、それは杞憂のようだ。「魚類など生鮮食品は日本から輸入していない。オランダやドイツ業者から輸入している。寿司用の新鮮な魚類が不足することはない」(日本レストラン関係者)という。
 しかし、問題はある。「生鮮な野菜や魚類はいいが、その他の日本商品は検査を受けるため輸入手続が難しくなる。その上、日本側も欧州輸出用食品の放射能検査担当役人がはっきりしていないから、輸出認可を得るのに時間がかかる」とみている。
 先述した日本レストラン関係者は「寿司は問題ないが、例えば、うどんや蕎麦を日本から輸入できないケースが考えられる。うどんの場合、韓国製を代用できるが、蕎麦は日本製でないと難しい」という。だから、業者間で日本製蕎麦の買占めが既に始まっているという。
 夏になれば、口当たりのさっぱりとしたざるそばを注文する客が増えるが、「この夏、ざるそばがない」といった非常事態も考えられるわけだ。

「無神論者との対話」の行方

 オーストリアのチロル州で一人の生物学教師が生徒に日本語で「コンニチワ」の意味に当たる挨拶「グリュス・ゴット」(Gruess Gott)を禁止したということで、学校、生徒の両親たち、教育関係者の間で物議をかもしているという。同教師の言い分は「神は神話の世界だけで、存在しない」というのだ。
 日本の読者にはちょっと理解できないかもしれないが、無神論者の中には日常会話の挨拶で使用される「神」という言葉すら嫌で、「グリュス・ゴット」(神が挨拶します)といった人には返答しない人がいる。
 ウィーン大学の学生から聞いた話だが、ある教授は学生が「グリュス・ゴット」と挨拶しても知らん振りしているが、「グーテン・ターク」と挨拶すれば、笑顔で「グーテン・ターク」(guten Tag)と答えてくるというのだ。教授が無神論者であると知らない学生などは「どうして自分の挨拶には答えてくれないのか」と悩むことになるわけだ。
 当方にも覚えがある。近所の動物屋さんにモルモットの餌を買いに行った時だ。当方はいつものように「グリュス・ゴット」と挨拶したが、店主からは何も返ってこない。「愛想のない店主だ」と思ったが、後から娘の話を聞くと、「あの店主は無神論者だからグリュス・ゴットをいってもダメよ」という。それで店主の無愛想の理由が分かったという次第だ。
 ところで、「無神論者との対話」集会が24日、25日の両日、フランスの大学や国連教育科学文化機関(UNESCO)本部で開催されたばかりだ。同対話はローマ法王べネディクト16世のイニシアチブによるもので、無神論者との対話促進を目的とした「異邦人の中庭」と呼ばれるバチカン新機関が創設された。バチカン法王庁の文化評議会議長ジャンフランコ・ラヴァージ大司教によると、「新設された機関はキリスト者と無神論者、不可知論者との真剣で相互尊重の対話を促進させていく」という。
 欧州社会では今日、無神論だけではなく、実用的な不可知論(Agnosticism)と宗教への無関心が次第に広がってきた。十字架は学校や公共場所から追放され、人間は一個の細胞とみなされ、金銭的な評価で価値が決定されている。その一方、「神はいない」運動が欧州全土で広がってきた。
 独教会のカスパー枢機卿が「攻撃的な世俗主義」と表現したように、欧州の世俗主義には一種の「宗教フォビア」と受け取られる宗教一般への憎悪、敵意がみられることも事実だ。その攻撃的な無神論者の台頭に危機感をもったカトリック教会が無神論者との対話を積極的に進めていこうというわけだ。
 ちなみに、ドイツ出身の法王、べネディクト16世のライフ・テーマは「理性と信仰」だ。同法王にとって、両者は決して対立するものではなく、相互補完関係にある。しかし、多くの現代人は両者を対立関係と受け取り、神を信じることは簡単ではない。スウェーデンの代表的作家アウグスト・ストリンドベルクは「子供の時から神を探してきたが、出会ったのは悪魔だった」と嘆いているほどだ。
 「無神論者との対話」はバチカンの野心的な試みだが、それが成果をもたらすかどうか、残念ながら不確かだといわざるを得ない。

「原発」報道の難しさ

 東日本で巨大地震と津波が発生し、多数の国民が被災されて早や2週間が過ぎた。世界のメディアは目下、福島の第1原発の危機を連日、大きく報道している。
 当コラム欄の「原発危機に過敏なオーストリア人」(3月20日)でも紹介したが、アルプスの小国オーストリアのメディアだけを読んでいると、福島の原発危機は既にチェルノブイイリ原発級の大爆発し大量の放射能を放出していなければならないことになる。同国では国営オーストリア放送が率先して福島の原発危機を煽っている面を否定できない。国民のほうが冷静に受け取っているのではないか、と思うことすらある。
 炉心温度が高まり、核燃料を覆っていたジルコニウム金属が水と反応し、水素が発生、水素爆発が生じると、「そらみたことか」といった論調が出て、「原発が爆発し、大量の放射能が日本全土に放出された」とも受け取られるようなパニック報道が繰り返された。
 国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が15日、メディア関係者に対してブリーフィングした時だ。天野氏は「日本から情報を受け取っているが、情報交換の迅速化が重要だ」と述べたが、その記者会見の内容を報じたオーストリア放送記者は、「日本政府はIAEAに情報を提供していない」と報じたのだ。「情報交換の迅速化」と「情報を受け取っていない」ではまったくその意味内容が異なる。同放送記者は、「原発反対」という国民世論を背景に情報を操作しているわけだ。
 もうひとつ例を挙げる。東京に駐在していたオーストリア放送の特派員が、「東京も放射能で汚染され、人体に危険です」ということから、事務所を大阪に移動し、そこから報道を続けていたが、いつの間にか東京の事務所に戻って放送している。「東京も危ない」から他の外国人特派員と共に大阪に移動したのではなかったか。東京の事務所に戻り、報道を再開したということは、「東京が(自分が報道したほど)危険でないことが分かった」からではないか。同特派員からその辺の事情を聞いてみたい。
 時事通信は23日、骨髄移植の権威で、チェルノブイリ原発事故(1986年4月)や東海村臨界事故で被ばく者治療に携わった米国のロバート・ゲール医師が来日し、都内で22日、記者会見を開き、「福島第1原発とチェルノブイリは全く事情が異なる。現時点の発がんリスクは低いだろう。大半の放射性物質は格納容器に入っている。漏れ出た量はチェルノブイリの数千分の一ではないか。はるかに喫煙の方が発がんリスクが高い」との見方を示したという。残念ながら、この記者会見の内容はオーストリアまで届かなかった。
 今回のような大震災となると、多数の情報が流れると共に憶測や風評も送信されていく。メディア関係者も核問題専門家は少ないから、情報の真偽や信頼性について独自判断出来ないことが多い。だから、どうしてもセンセーショナルな記事内容が優先的に送信される結果となるわけだ。
 一方、政府当局者や原発会社代表の報告をそのまま鵜呑みにして報道していると、「政府が情報操作している疑いがある」「事実を隠蔽しているのではないか」といった憶測が飛び出してくる。どちらに転んでも「原発」報道は難しいわけだ。
 その背景には、「原発は危険だ」と考える人々と「原発は未来のクリーンなエネルギー源だ」と考える人たちが激しくいがみ合っている、という現実があるからだろう。両者の間には信頼感はまったく存在しない。
 メディア側も自然にどちらかを応援せざるを得なくなる。立場が決まれば次はそのための情報を恣意的に選択していく、といった具合だ。ちょうど現在の「オーストリア放送」が前者を応援し、それを支持する情報を大きく報道しているようにだ。

在外日本人の大震災後の精神状況

 東日本大震災は全ての日本人に大きな衝撃を与えたことは間違いないが、「たまたま大震災の時に日本にいなかった邦人」「外国の地で生活している日本人」にも消すことが出来ない精神的な影響を与えたのではないか――。日本のメディアが先日、その点について少し報じていた。
 そこで当方もそれに該当する日本人の一人として「大震災は自分にどのような影響を及ぼしたか」を可能な限り、自己分析してみた。
 先ず、涙もろくなった。これは歳をとったこともあるが、サッカーの試合前に日本人の被災者のために黙祷している選出たちの姿や「がんばれ、日本」と書かれたバナーを見ただけで、当方の目頭は熱くなってくるのだ。
 また、反日教育を受けてきた中国人や韓国人から「日本、ばんばれ」といわれたらもうダメだ。涙が出てくるのだ。以上、大震災後、当方自身が感じる大きな変化だ。

 しかし、それだけではないような気がする。人間の「想定外」の大震災を目撃し、人間のもろさ、その人間の欠点をあれこれ批判する作業が嫌になってきたのだ。批判精神を失えばジャーナリストとしての資格を失うよ、と言われるかもしれないが、「批判する」という行為の傲慢さが耐えられなくなってきた。他者の欠点に対するこの寛大な心がいつまで続くかは分らないが、現時点では「批判の空しさ」を強く感じている。
 ブロガーとして他のブログを偶々読むが、「大震災後、日本の国、日本民族への愛着心が高まってきた」と書いていたブロガーに出会った。「当たっているな」と思う。自分が生まれた国、その国に住む同胞たち、といった思いが震災後、深まってきた。
 人生の半分以上を異国で住んできた当方などは時として「無国籍」の自分を感じ、空しくなることもあったが、「先端技術を駆使し、成長している時代」には感じなかった日本に住む同胞たちへの思いが大震災後、湧きあがってきているのを感じる。
 当方の身近にいる日本人からも、「被災者のために何かできないでしょうか」という思いを聞く。国連内でも日本人職員が支援金集めをしていた。困窮下にある同胞たちを助けたい、といった素朴な思いからだろう。
 人は震災に遭いたいとは思わないし、被災しなかったことは幸いな事だが、「苦しみ」が不可避な時、自分だけがその「苦しみ」から疎外されていると感じた時、そのことが「苦しく」、心が押しつぶされそうになることがある。
 大震災を外地で聞いた多くの日本人の心も揺れているはずだ。それは災害に遭遇した同胞たちと「民族の運命」を共有できなかったという一種の“苦い思い”といえるかもしれない。人は「喜び」を愛する人たちと分け合いたいと思うが、同時に、「苦しみ」も共有したいと願う存在ではないだろうか。当方が大震災のことを頻繁にテーマとし、「がんばれ、日本!」を書くのも、自分の心を掴むこの“苦い思い”から解放されたいための作業なのだろう。

ちょっと寛いで下さい

 東日本を巨大地震と津波が襲ってきてから2週間が経過した。直接の被災者の方々、そして日本の国民の皆さんも辛い、長い時間を耐えて来られたと思う。
 今後の復旧作業のために体力を蓄え、精神力を高めていくためにも、皆さんは心の緊張を少し解き、寛ぐことが大切だろう。そこで、「地震のない国」に住む日本人の一人として、日本の皆さんに欧州の国民なら知っているちょっとした小話を紹介する。

1)教会の時計と「悪魔」

 マルタ(Malta)をご存知だろうか。人口40万人余りの地中海の小国だ。欧州連合(EU)加盟国であり、ローマ・カトリック教が主要宗教だ。ローマ法王ベネディクト16世が昨年4月、2日間の日程でマルタを司牧(訪問)したばかりだ。
 ところで、同国のカトリック教会には通常、礼拝を告げる教会の鐘と時計がある。問題はその教会の時計だが、マルタの教会の時計は“どこも”正しい時刻を示していないのだ。もちろん、バテリー不足でも故障でもない。
 「時刻を正確に示さない時計など価値がないから、新しい時計を取り付ければいいだけだ」と賢明な日本人ならば直ぐに考えるだろう。
 問題は教会の時計が「わざと」とデタラメな時刻を示していることだ。それも先述したように、同国の全ての教会の時計が正確な時刻を示していないのだ。理由はある。「悪魔が礼拝の時間を知れば、それを妨害しようと事前に画策する危険がある。そのため、意図的に間違った時刻を示している」というのだ。
 キリスト教信者ではない人に向かって、「悪魔」といえば笑われるかもしれないが、マルタの敬虔なキリスト教信者たちにとって、「悪魔」は疑う事ができない存在なのだ(聖書には300回以上、悪魔が登場する)。
 いずれにしても、信者たちは、教会の時計ではなく、自分の腕時計をみて、礼拝に遅れないようにしなければならないのだ。


2)劇場と「黄色」

 17世紀のフランス劇作家モリエールをご存知の方は多いだろう。当方は「人間嫌い」「病は気から」「いやいやながら医者にされ」等の作品を読んだ程度だが、「喜劇を悲劇と同じ水準まで引き上げた功績者」といわれ、高く評価されている劇作家だ。現在の「コメディ・フランセーズ」はモリエールの死後、創設された。
 ところで、モリエールは1673年、自作「病は気から」の主人公を演じている時、心臓発作を起こして急死した。モリエールがその時、黄色の衣装を着ていたことから、「劇場関係者はその後、黄色をタブー視しだした」という。
 黄色は交通標識では「注意」を意味し、自動車や歩行者は気をつけなければならないが、劇場関係者にとっては「黄色」はモリエールの急死以降、不吉な色と受け取られているというのだ。


3)イプセン夫人とクリントン米国務長官

 ヘンリック・イプセン(1828-1901年)はノルウェーの代表的劇作家だ。多くの作品が日本訳で出版されているから、読者の皆さんも良くご存知だろう。ここではイプセン論を展開する考えはまったくない。ウィーン大学の文学教授から聞いた話を紹介するだけだ。
 ウィーン大学でイプセンに関するシンポジウムが開催された時だ。駐オーストリアのノルウェー大使がわざわざ会場に尋ねてきて、シンポジウム主催者に「イプセンを批判しないでほしい」と要請したというのだ。イプセンはノルウェーでは国家的劇作家だけではなく、聖人と受け取られているというのだ。その聖人を批判しないでほしいというわけだ。この願いを聞いた主催者側は驚くと共に、「ノルウェー国民にとってイプセンは民族の誇りなのだ」ということを知ったという。ちなみに、肝心のイプセンはノルウェーが余り好きではなく、ドイツやイタリアで長い間、生活している。
 ところで、イプセン夫人のスザンナさんは、いろいろな不祥事を起こす夫イプセンと最後まで離婚しなかったことから、米文学者は「イプセン夫人はクリントン国務長官に似ている」と評しているという。

“揺れ”のないイランと北の核計画

 福島第一原発危機は世界の耳目を集め、原発の安全性について改めて議論を呼んでいるが、核開発を続けるイランと北朝鮮は今回の福島の原発危機をどのように受け止めているのだろうか。駐ウィーンの両国外交官に単刀直入、聞いてみた。

 イランの外交官は「被災を受けた日本人に対して哀悼の意を表明したい。わが国も過去、多くの地震で被害を受けてきた国だ。その意味で、日本人の苦悩はよく理解できる」と語る一方、「わが国の核計画には何の変化もないだろう。もちろん、原発の安全性問題はこれまで以上に慎重に対応していくだろうが、原発開発計画には変更はないはずだ」と説明した(イランのアハマディネジャド大統領は先日、「最新の安全規制を順守している」と豪語している)。

 ――イランは日本と同様、地震の多発国だ。福島原発は地震とそれに伴った津波で被害を受けた。

 「全ての科学分野の開発では危険が常に伴うものだ。危険があるからといって科学技術の開発を放棄することはできないだろう。例えば、飛行機の場合、離陸と着陸の時がもっと危険だといわれてきた。だからといって、飛行機の開発や飛行を止めることはなかった。同じことが原発開発にもいえる」と主張し、「わが国の核開発計画は問題がない」と強調した(同国初の原発、ブシェール原発が昨年8月、原子炉に核燃料を装填したばかりだ)。

 ――ドイツやイタリアなど欧州では今回の福島の原発危機が契機となって原発利用の廃止論が再び高まっている。

「欧州では原発問題は政治議題だが、わが国の場合、エネルギー問題に過ぎない」


 知人の北朝鮮外交官は「犠牲となった多くの日本人には哀悼を表明するよ」と述べた。

 ――北朝鮮の国営メディアは福島の原発の危機に関する報道を流していますが、北の核開発の変更は考えられますか。

 知人は軽く笑顔を見せた後、「わが国の核開発計画に大きな変化はないだろう。エネルギー源として核エネルギーの平和利用は重要だからだ」という。

 ――白頭山の地震予測と第3回の核実験の危険性について。

 「それは深刻な問題だが、私からは何もいえないね」と述べるに留めた(白頭山火山活動について、韓国と北両国は今月29日、専門家協議を開催予定)。

 韓国連合ニュースによれば、朝鮮中央通信社(KCNA)が12日、外電で東日本の地震を報道。翌日の13日、朝鮮中央テレビが日本で地震発生と報道し、津波の映像も伝えた。14日にはKCNAが朝鮮赤十字会が日本赤十字社に哀悼の言葉を伝えたと報じている。
 また、福島の原発危機については、KCNAはNHKの報道内容を紹介し、福島第1原発1号で2度爆発があリ、放射能が放出されたことも伝えている。

 イランと北朝鮮の両国外交官は福島の原発危機後も自国の原発計画に変更はないと改めて強調した。ドイツなどの欧州政治家たちとは異なり、両国外交官は原発開発問題では目下、まったく“揺れ”を感じさせない。

大震災の文化・思想的挑戦

 東日本を巨大地震とそれに伴う津波が襲ってから明日25日で2週間が経過する。福島の原発が危機に陥って以来、世界の耳目は原発の動向に集まっている。
 M9・0の大地震と津波で1万人以上の国民が犠牲となり、行方不明者を含めるとその被災者総数は2万人を超えると予想されている。この「日本史上、最大の自然災害」は多数の犠牲者と被害を残したが、同時に、日本社会の政治、文化にも消すことが出来ない痕跡を残すだろうといわれる。
 バチカン放送(独語版)は22日、東日本の巨大地震に関連し、1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲ったリスボン大地震を挙げ、「大惨事が当時の欧州に与えた文化的、思想的影響」を紹介している。
 それによると、マグニチュード8・5から9の巨大地震がリスボン市を襲い、それに伴い津波が発生。同市だけでも3万人から10万人の犠牲者。同国では総数30万人が被災したといわれる。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、国民経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた。
 例えば、震災後の復旧で手腕を発揮したセバスティアン・カルヴァーリョ首相は国王と国民の信頼を得て権力を拡大する一方、無能な貴族たちはその政治的影響力を喪失していった。大震災がもたらした政治的影響だ。
 それだけではない。「大震災の影響は人間の思考にも大きな変化を与えた」(バチカン放送)というのだ。例えば、ヴォルテール(Voltaire)、カント(Kant)、レッシング(Lessing)、ルソー(Rousseau)など当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けた知識人だ。彼らを悩ましたテーマは「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだったという。例えば、「ヴォルテールはライプニッツの弁神論から解放されていった」といった学者の報告もあるほどだ。
 また、大震災はカトリック教国ポルトガル国民の信仰にも大きな影響を及ぼした。「神はこのような大惨事をなぜ容認されたか」といった「神の沈黙」への最初の問い掛けが呟かれ出したのだ(リスボン地震はカトリック教会の祭日に発生した)。
 21世紀の今日に戻る。リスボン地震と同じ様に、東日本の巨大震災は日本の文化、思想界にどのような影響を及ぼし、何を生み出し、何を変えていくだろうか。日本はキリスト教文化圏ではないから、「神の沈黙」「神の責任と人間の自由意思」の問題は主要テーマとはならないだろうが、何らかの思想的影響を及ぼすとみて間違いないだろう。
 ちなみに、以下は当方の個人的な受け取り方だ。阪神・淡路大震災は1995年1月17日、「神戸」を直撃した。東日本を襲撃した今回の大震災は「福島」の原発を危機に陥れた。「神戸」は「神の戸」と書き、、「福島」は「福の島」と綴る。当方などは、人間の「想定外」のこれらの大惨事から“啓示的な意味合い”を否応なく感じてしまう一人だ。

欧州人権裁「十字架」の容認判決

 仏ストラスブールの欧州人権裁判所(EGMR)の大審議院は18日、公共学校で十字架をかけることを違法とした2009年11月の判決の再審結果を公表し、「公共学校で十字架をかけることは欧州人権憲章第2条1項の教育権に違反しない」との判決を明らかにした。
 17人の裁判官の内、15人が1審判決を拒否、2人が支持した。06年7月に始まった「公共学校での十字架問題」の審議はこれで結審となる。
 大審議院は判決理由を「学校内の十字架は生徒にキリスト教の教え宣教する目的ではなく、キリスト教国の文化、宗教的アイデンティティの表現に過ぎない」と指摘、「十字架が生徒に悪い影響を及ぼしたという証拠もない」としている。
 EGMRは09年11月3日、フィンランド出身のイタリア人女性の訴えを支持し、彼女の2人の息子が通う公共学校内で十字架をかけてはならないと言い渡し、イタリア政府に「道徳的損傷の賠償として女性に5000ユーロ(約57万円)を支払うように」と命じた。
 当時の裁判所判決文によると、学校の教室内で十字架をかけることは両親の教育権と子供の宗教の自由を蹂躪するというもの。換言すれば、学校内で十字架をかけることは「欧州人権憲章」と一致せず、国家は公共学校では宗教中立の立場を維持しなければならないとした。
 それに対し、イタリア政府は昨年6月、判決を不満として上訴。ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁も当時、強い抗議を表明。バチカンのロンバルディ報道官は「欧州人権裁判所はイタリアの国内問題に干渉する権利はない。裁判所は欧州のアイデンティティ形成でキリスト教が果たした役割を完全に無視している」と不満を吐露。ドイツのカトリック教会カスパー枢機卿も十字架違法判決直後、「欧州の攻撃的な世俗主義がもたらしたこの判決に、われわれは覚醒しなければならない。われわれの声をもっと積極的に発信しなければならない」と述べ、世俗主義に対し宣戦すべきだと檄を飛ばしている。
 大審議院は今回、「十字架は原罪からの救済というキリスト教の教義を象徴したもので、単なる欧州文化のシンボルではない」という09年11月の判決内容に言及せず、「十字架はキリスト教国の歴史、文化、宗教のシンボル」と判断を下し、その神学的領域にはまったく踏み込まなかった。
 EGMRが十字架違法判決を覆した事に対し、バチカン法王庁の新福音化推進評議会議長のサルヴァトーレ・フィジケッラ大司教はミラノ日刊紙コリエレ・デラ・セラとのインタビュー(19日)の中で「裁判の判決結果はイタリア創設150周年への最大の贈物だ」と喜びを表明している。
 なお、欧州では現在、各地で十字架論争が起きている。例えば、独ノルトライン・ウェストファーレン州でデュッセルドルフ州裁判所のハイナーブレシング長官が「新しい州裁判所建物内ではもはや十字架をかけない」と決定している。ちなみに、ドイツでは1995年、独連邦裁判所が公共建物内の磔刑像(十字架)を違憲と判決している。


【短信】国連職員、日本被災者支援活動を

un003 ウィーンの国連には国際原子力機関(IAEA)、国連工業開発機関、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)などの本部が入っているが、そこで働く日本人国連職員たちが19日から22日まで東日本を襲った巨大地震・津波の被災者への救援募金活動を行っている。
 Cビルのグランド・フロアー、社員食堂内、会議室のMビル内などで昼食時間を利用して支援を呼びかけている。支援してくれた職員には日本人職員たちが作った折り紙の鶴を渡している。
 UNIDO職員のO氏によると、「職員の反応はいいです。多くの支援を頂いています」という。集まった支援金は日本赤十字社を通じて被災者に送られることになっている。

それではソマリアはどうしたのか

 仏サルコジ大統領はカダフィ大佐の国民への軍事行為を「絶対に容認できない」としてリビアの独裁者カダフィ大佐政権の攻撃を強めている。軍事介入に消極的だったオバマ米政権もフランスに遅れを取ってはならないとして反カダフィ陣営に加わったわけだ。
 米英仏ら欧米諸国は飛行禁止区域設定や軍事行動を明記した国連安保理決議に基づき、「リビア国民の生命を守る」という人道主義的な理由から空爆を実施したわけだ。
 しかし、アラブの国民からは「リビア上空の飛行禁止区域設定が目標なのにどうして空爆を実施したか」「欧米はリビアの原油が狙いだ」といった反発が飛び出している。彼らは「イラク戦争を見れば、欧米諸国の意図は明確だ。彼らは軍事攻撃の裏でリビアの新政治勢力と新しい原油開発に関する協定を締結している」と受け取っているのだ。
 イラク出身の中東問題専門家アミール・ベアティ氏は「欧米はリビア国民の命を独裁者から守るためにとして空爆を弁明する。しかし、空爆で多くの民間人も殺害されている。欧米の人道主義的主張からいえば、どうして彼らはソマリアを守り、国家の秩序回復のために努力しないのか、無政府状態のソマリアをどうして放置しておくのか―等の疑問が湧いてくる。理由は簡単だ。ソマリアには原油がないからだ」という。
 今年に入り、チュニジア、エジプト、イエメンなどで民主化運動が進められているが、同氏によると、「北アフリカ・中東アラブ諸国の民主化運動は今回の欧米のリビア空爆で後退するかもしれない」という。欧米諸国への不信感が強まるからだ。
 アラブ諸国はオスマン・トルコに350年以上支配され、その後、英国ら欧州の強国のもとアラブ諸国は支配されてきた歴史がある。そして「欧米は結局、原油が狙いだった」と分ると、アラブ国民の欧米諸国をみる目は非常に厳しくなっていった。
 「カダフィ攻撃を強めているサルコジ大統領の場合、選挙を控えているという国内事情もある。欧州の指導者は自身の政治生命のために他国へ軍事攻撃を余り躊躇しない」という醒めた見方も聞く。
 読者はどのように受け止められるだろうか。

訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ