ジュネーブに本部を置く国連人権理事会は24日、欧州連合(EU)らが提出した「宗教の自由」に関する決議案を全会一致で採択した。
オーストリアのシュビンデルエッガー外相は、「採択された決議案は国際社会にさまざまな宗教が平和的に連帯することの重要性をアピールしたものだ」と説明し、同決議案採択を高く評価した上で、「少数宗派の権利保護はわが国の重要な関心事だ。そのため他のEU加盟国と共同で戦ってきた」と述べた。
決議案はEU27カ国を含め50カ国以上が共同提案国となって提出されたもので、全ての「宗教、良心の自由」を保護し、宗教的寛容と宗教間の対話促進を明記している。
EUが中心となって今回の決議案が提出された直接の契機は、イスラム教国、アラブ諸国で少数宗派のキリスト教信者たちの迫害が深刻化してきたことだ。
最近では、エジプト地中海沿岸の都市アレクサンドリアで1月1日未明、キリスト教徒を標的にした爆弾テロがあり、少なくとも信徒ら21人が死亡、40人以上が負傷するという事件が発生した。
イラクでは戦争前に約85万人いたキリスト教信者(同国人口約3%に相当)は今日、半分以上が国外に避難し、同国南部ではもはやキリスト教のプレゼンスはなく、首都バグダッドと同国北部にかろうじてキリスト教社会が生きのびているだけだ。
迫害されるのは信者だけではなく、聖職者も同様だ。同国北部モスルでは2008年3月13日、武装集団に殺害されたカルデア典礼カトリック教会のパウロス・ファライ・ラホ大司教の遺体が見つかっている。宗教学者の中には「キリスト教徒迫害時代の到来」と呼び、「イスラム教圏でクリスチャンフォビア(Christianophobia、キリスト教徒嫌悪)が広がってきた」と警告を発しているほどだ。
もちろん、「宗教の自由」はイスラム教徒圏の少数宗派キリスト教徒の権利尊重だけではない。例えば、日本では世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)信者たちの拉致監禁問題がある。1966年以降、4300人の統一教会信者たちが拉致監禁・強制改宗の犠牲となっている。これは「信仰の自由」蹂躙の典型的な実例だろう。
東日本大震災に襲われた日本に対して、全世界から支援が送られ、震災にも負けず復興に努力する日本人の姿に対して高い評価の声が挙がっている。とても嬉しく、誇らしく感じるが、国内の「宗教の自由」問題に目を向ければ、世界は驚き、失望するのではないか、と心配になってくる。
ジュネーブ国連人権理事会の決議案採択は日本への警告でもあるわけだ。
オーストリアのシュビンデルエッガー外相は、「採択された決議案は国際社会にさまざまな宗教が平和的に連帯することの重要性をアピールしたものだ」と説明し、同決議案採択を高く評価した上で、「少数宗派の権利保護はわが国の重要な関心事だ。そのため他のEU加盟国と共同で戦ってきた」と述べた。
決議案はEU27カ国を含め50カ国以上が共同提案国となって提出されたもので、全ての「宗教、良心の自由」を保護し、宗教的寛容と宗教間の対話促進を明記している。
EUが中心となって今回の決議案が提出された直接の契機は、イスラム教国、アラブ諸国で少数宗派のキリスト教信者たちの迫害が深刻化してきたことだ。
最近では、エジプト地中海沿岸の都市アレクサンドリアで1月1日未明、キリスト教徒を標的にした爆弾テロがあり、少なくとも信徒ら21人が死亡、40人以上が負傷するという事件が発生した。
イラクでは戦争前に約85万人いたキリスト教信者(同国人口約3%に相当)は今日、半分以上が国外に避難し、同国南部ではもはやキリスト教のプレゼンスはなく、首都バグダッドと同国北部にかろうじてキリスト教社会が生きのびているだけだ。
迫害されるのは信者だけではなく、聖職者も同様だ。同国北部モスルでは2008年3月13日、武装集団に殺害されたカルデア典礼カトリック教会のパウロス・ファライ・ラホ大司教の遺体が見つかっている。宗教学者の中には「キリスト教徒迫害時代の到来」と呼び、「イスラム教圏でクリスチャンフォビア(Christianophobia、キリスト教徒嫌悪)が広がってきた」と警告を発しているほどだ。
もちろん、「宗教の自由」はイスラム教徒圏の少数宗派キリスト教徒の権利尊重だけではない。例えば、日本では世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)信者たちの拉致監禁問題がある。1966年以降、4300人の統一教会信者たちが拉致監禁・強制改宗の犠牲となっている。これは「信仰の自由」蹂躙の典型的な実例だろう。
東日本大震災に襲われた日本に対して、全世界から支援が送られ、震災にも負けず復興に努力する日本人の姿に対して高い評価の声が挙がっている。とても嬉しく、誇らしく感じるが、国内の「宗教の自由」問題に目を向ければ、世界は驚き、失望するのではないか、と心配になってくる。
ジュネーブ国連人権理事会の決議案採択は日本への警告でもあるわけだ。