ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年02月

コソボ「独立宣言」3周年

 コソボが「独立宣言」を表明して17日で3年目を迎えた。ウィーン市でも同日午後、市内で独立宣言3周年の祝賀レセプションが開かれた。当方もコソボのサブリ・キチマリ駐オーストリア大使から招待状を受け取ったので出席した。
 人口約220万人余りのコソボの国家承認国数は今年2月現在で75カ国。欧州連合(EU)27カ国では22カ国が承認済みだが、5カ国が依然、承認を渋っている。具体的には、スペイン、ギリシャ、スロバキア、ルーマニア、キプロスの5カ国だ。いずれも国内に少数民族を抱えている国々だ。
 コソボの外交目標は国連など国際機関への加盟と、EU統合への参画だ。その意味からも、未承認国のEU5カ国の支持を得ることが重要な課題だ。例えば、ギリシャはコソボ政府発行の旅券を認知するなど、承認に向けて緩やかなテンポだが動き出している。
 一方、中国、ロシアもコソボをまだ承認していない。ロシアの場合、セルビアとの歴史的つながりが強いため、近い将来の承認は期待できない。中国は中立的な立場を守っている。国連の安保常任理事国の両国の承認は国連加盟にとって不可欠だ。
 駐オーストリアのコソボ外交官は「国連加盟には承認国100カ国以上が必要だ」と指摘、国連加盟までにはまだ時間がかかるとの見通しを明らかにした。
 コソボの国民経済の状況はどうだろうか。褐炭、亜鉛等の鉱物資源を有しているが、産業インフラの整備は遅れ、失業率も高く、住民の多くは外国出稼ぎからの仕送りで生活を凌いでいるのが現実だ。
 国内では少数民族セルビア系住民の統合促進だが、コソボ紛争でセルビアに避難した住民の帰還は前進していない。
 対日関係では、キチマリ大使は「日本はコソボの独立を最初に承認した国の一つだ。日本との関係は良好だ。これまでの経済支援には感謝している。今後は日本企業のコソボ進出を期待している」と述べている。
 ちなみに、同大使は1967年、コソボのマドッツ生まれ。ドイツで政治学、哲学、社会学を学び、プリシュティナ大学講師などを務めた後、外交官に転身。同国初の駐オーストリア大使に就任して今日に到る。

KCNAの「世界の食糧不足」報道

 北朝鮮の最高指導者、金正日労働党総書記は16日、69歳の誕生日を迎え、首都平壌では華やかな祝賀会が挙行されたという。駐オーストリアの同国大使館では10日、ゲストを招き、祝賀会が開かれたばかりだ。16日は休日だ。
 ところで、同国国営の朝鮮中央通信社(KCNA)は2日前の14日、「世界で食糧不足が深刻化」というタイトルの記事を発信した。「おやっ」と思って早速、記事を読んだが、記事の中には北朝鮮の食糧問題にはまったく言及されていなかったので、少々ガッカリした。
 先ず、記事の内容を紹介する。
 「今年の初めから穀物価格が急騰している。2月5日段階でトウモロコシ1トンは243ドルだ。前年同期比で87・68%急騰している。小麦の場合、83・16%、豆は58・09%、それぞれ急騰している」と指摘し、「現在の食糧価格は1990年以来の高騰だ」という国連食糧農業機関(FAO)の発表を付け加えている。
 その上で「穀物価格の高騰の原因は異常気象にある」と説明し、「世界のメジャー食糧生産国、中国、米国、オーストラリアなどは旱魃、土砂降りの雨、異常な寒気と暑気で大きなダメージを受けた。例えば、オーストラリアでは洪水の影響で小麦の生産量は半減、世界最大の豆生産国アルゼンチンやブラジルも深刻な旱魃の影響を受けた」と、かなり詳細に報じた。
 ところで、記事を読む前、「KCNAは自国の食糧不足を世界にアピールするために報じたのだろう」と軽く考えていた当方は、記事の中に「わが国も食糧不足で大変」といった内容が一行もなかったことにビックリした。
 それでは何の為にKCNAは「世界の食糧不足事情」を報じたのだろうか。それも金正日総書記の69歳誕生日祝賀会を2日後に控えた時期にだ。
 暫く考えた後、「多分、この記事は国内向けなのだろう。わが国は現在、食糧不足で大変だが、世界も同じ様に深刻な食糧事情を抱えている」と国民に説明し、国民の不満を懐柔したい狙いがあったのではないか」と受け取る事にした。
 実際、北朝鮮は外向けには同国の食糧危機を訴え、支援を要請している。AP通信によると、同国は国連に食糧の緊急支援を要請したという。
 国内向けでは「世界も食糧不足」と国民を説得する一方、外の世界には「食糧が不足している。助けてほしい」と、叫んでいるわけだ。
 北朝鮮では今年、厳冬の影響から作物の収穫量が減少すると予想されている。KCNAは「世界の食糧不足」を報じる余裕があるのならば、国内の食糧不足への抜本的な対策を政府関係者に聞き、国民に伝えたらどうだろうか。
 「他国の国民も空腹で苦しんでいる」といわれても、自国の国民の空腹がそれで癒されることはないのだから。

「兄弟喧嘩」の長い歴史 

 エジプト日刊紙アル・アクバルが13日報じたところによると、辞任したエジプトのムバラク大統領の2人の息子たち(長男アラア氏と次男ガマル氏)が10日、大統領府内で「デモ激化の責任問題」から激しく喧嘩したという。それを聞いて、深い溜息が漏れた。
 「兄弟喧嘩」と聞けば、直ぐにアダムとエバの間に生まれた2人の息子、カイン(兄)とアベル(弟)や、イサクの2人の息子、エサウ(兄)とヤコブ(弟)の話を思い出す。
 旧約聖書の創世記によると、兄のカインが弟のアベルを殺して人類史上最初の兄弟殺人事件が起きた。エサウとヤコブの場合、ヤコブが全ての財産を兄エサウに贈物をして、騙されて祝福を奪われたと弟を憎んでいたエサウを懐柔する。創世記ではそれ以上、記述されていないが、ユダヤ教では両兄弟は結局、一体化できず、今日まで戦いを続けているという。ユダヤ教徒は「エサウの文化がユダヤ人を苦しめている」と考えている。
 「兄弟喧嘩」は人類の初めから今日まで延々と続いてきた現象だ。ムバラク氏の2人の息子の喧嘩などは驚くに値しない。歴史上人物で兄弟が生涯、仲良く助け合って生きていった、という例があったら教えて欲しいぐらいだ。
 最近読んだマーク・ギブツ氏の「聖家族の秘密」では、2000年前、祭司ザカリアには2人に息子がいたという。6カ月違いで生まれた洗礼ヨハネ(兄)とイエス(弟)だ。そして腹違いの兄弟も他の兄弟と同じ様に、一体化できず、最終的には、一方はヘロデの娘サロメによって首をはねられ、他方は十字架の犠牲となった。
 なぜ、兄弟は仲良く生きていけないのだろうか。創世記では神は弟アベルを愛し、その供え物を受け取り、兄カインの供え物は受け取られなかったと記されている。カインの立場からいえば、アベル殺人の動機は神の不可思議な愛の対応にあったと弁解できるかもしれない。しかし、カインはアベルを愛する道もあったが、殺してしまった。聖書学的に表現すれば、その「殺人DNA」は今日までわれわれ人間の血の中に流れているわけだ。
 換言すれば、神から愛されたいと願っていたカインは神から愛されているアベルの姿を受け入れることができなかったわけだ。
 洗礼ヨハネとイエスの関係もそうだろう。祭司ザカリアとその妻エリザベツの間から生まれた洗礼ヨハネは「ひょっとしたらメシアではないか」と思われるほど立派に成長した青年であった。人望もあった。一方、ザカリアとマリアの間で生まれたイエスはその出自でいつもハンディを背負っていた。大工ヨセフの息子と呼ばれてきた。
 その両者に対し、神の計画は洗礼ヨハネを預言者エリアの再臨とし、イエスを神の子メシアとして祝福したのだ。その後、両者間で「兄弟喧嘩」のような状況が生まれていったのではないだろうか。
 イエスは洗礼ヨハネの死を聞いた時、「女の産んだ者の中で、洗礼ヨハネより大きな人物は起こらなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイによる福音書11章11節)といわざるを得なかったわけだ。この聖句から洗礼ヨハネはイエスと一体化できずに生涯を終えたことが推測できるわけだ。
 「兄弟喧嘩」を克服するためには、カインとアベルから継承した“忌まわしいDNA”を解明すべきだろう。

性犯罪を犯した神父の「自殺」

 スイスのジュネーブで一人のローマ・カトリック神父が11日、自殺した。現地メディアが報じた。同神父は今月初め、2件の未成年者への性犯罪容疑を受けていた。
 未成年者への性的虐待は許されない罪である。同時に、命を自ら絶つことも大きな罪だ。それより以上に哀しいことは、神父は未成年者への性的行為が罪であることを誰よりも良く知っていたこと、そして自殺が神の悲しみとなることも分かっていたことだ。その意味で、スイスの神父の自殺は二重の痛みだ。
 アイルランドのローマ・カトリック教会で聖職者の性犯罪が暴露されて以来、ドイツ、ベルギー、オーストリア、スイスなど欧州各地のカトリック教会で聖職者による性犯罪が次から次と明らかになっていった。多くのケースは時効のため、性犯罪を犯した聖職者は教会内の聖職を失うだけで法的な処罰を受けたケースはこれまでほぼ皆無だった。
 神父の自殺を知った時、「聖職者が結婚し、家庭を築くことができたら、独りで悩み苦しむことはなかっただろう」という思いが一層、強まった。
 バチカン日刊紙オッセルパトーレ・ロマーノは13日、「バチカン聖職者省長官マウロ・ピアチェンツァ枢機卿は、聖職者の独身義務はエロと性の氾濫する社会の中で預言者的意義を帯びている」と語ったという。独身制を擁護した同枢機卿は世界教会の約25万人の聖職者の総責任者だ。
 ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁は「聖職者の独身制は神父や修道僧らの性犯罪問題とは関連がない」と主張し続けてきたが、果たしてそうであろうか。もちろん、独身制を廃止したからといって聖職者の性犯罪が皆無となるとは思わないが、確実に減少するはずだ。
 独与党「キリスト教民主同盟」(CDU)の著名な8人の政治家は先月21日、ベルリンで「カトリック教会の司教たちは既婚聖職者の聖職を認め、聖職者の独身制を廃止すべきだ」と公式表明し大きな衝撃を与えたが、同時期、ローマ法王べネディクト16世の出身国の228人のカトリック神学者が聖職者の独身制の再考などをバチカンに呼びかける覚書「教会2011年、必要な出発」に署名しているのだ。これらの反応は聖職者の性犯罪事件が大きな契機となって生まれてきたものだ。決して偶然の叫びではない。
 一人の神父の自殺は聖職者の独身制の再考が急務であることを改めて明らかにしている。

「ムバラク氏の18日間」

 チュニジアの民主運動の影響をもろに受けた形でアラブ諸国の盟主・エジプトのムバラク大統領が11日、30年間の独裁政権に終止符を打って辞任した。国民が路上で民主化を叫びだしてから18日目の結果だ。一時は辞任を拒否したムバラク氏だったが、カイロのタハリール広場に集まった国民の「ムバラク、辞任せよ」のシュプレヒコールに対抗できず、同国の紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクに避難した。
 1月25日から2月11日まで18日間だ。ムバラク氏はその間、大統領府で何を考え、何をしていたのだろうか。軍を動員して国民を鎮圧できると考えていたのだろうか、それとも亡命先を米国を通じて打診していたのだろうか。
 ムバラク氏は国営放送を通じて「早期辞任は国をカオスに陥れる。自分はエジプトで生まれた。エジプトの地を離れることはない」と、軍人出身者らしい愛国心をも吐露した。
 ムバラク氏の愛国心を否定しないが、同氏が18日間、頭を痛めてきたのは国の命運というより、自身の海外資産の安全確保だったのではないか。辞任し、海外に亡命した場合、カイロの新政権によって前独裁者の海外資産は凍結されることが明らかだ。英紙フィナンシャル・タイムズによると、スイスは同国内にあるムバラク氏の口座を凍結処置したという。ムバラク氏には時間が必要だったのだ。
 当方は「独裁者と呼ばれる『資格』」(2011年2月9日)というタイトルのコラムでムバラク氏の海外資産を約400億ドルと書いたが、「700億ドル」という説が飛び出してきている。いずれにしても、ムバラク氏は過去30年間、その独裁的権限を駆使して国家の財産を私物化してきた。その結果が莫大な海外資産となったわけだ。その何割かはこの18日間に安全な場所へ移動したはずだ。
 18日間はエジプト国民にとって自国の民主化の夜明けを迎える歴史的プロセスだったが、ムバラク氏にとっては海外資産の隠蔽を図る最後の工作期間であったはずだ。
 同氏は「私の過去30年間の歩みに対する評価は歴史が下すであろう」と主張し、「エジプトの大地で死を迎えたい」と語ったが、ムバラク氏は新政権の動向如何では海外に亡命することも計算しているはずだ。だから、ヨットを使えばドバイまで直ぐに行ける紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクの大統領避暑地に移動したのではなかったか。
 ムバラク氏の18日間を考えていると、当方の脳裏には北朝鮮の金正日労働党総書記の「Xデイ」が浮かんでくる。そして金総書記には「ムバラク氏の18日間」のような時間はないであろうと思えてくるのだ。

イエスの父親はザカリアだった

 英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で、2000年間、秘密にされてきた「イエスの父親は誰か」を解明している。
 同氏は「メシア・コードを事実に基づいて実証するものではない。そのような証拠は存在しないが、ユダヤ人の伝統に基づき、理性と論理から考えていく」と指摘し、イエスが聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのではなく、祭司ザカリアとヨセフの許婚マリアとの間に生まれた子供だったと主張する。
 33歳で十字架で処刑されたイエスの生涯は謎に満ちている。2006年に映画化されたダン・ブラウン氏の小説「ダ・ヴィンチ・コード」は、イエスが生前、マグダラのマリアと婚姻関係にあったという説をテーマとしている。同映画が大きな反響を呼んだことはまだ記憶に新しい。
 ギブス氏は「キリスト教会でいわれてきた聖母マリアの処女懐胎は後日、イエスの神性を強調するために作成されたもので、実際は祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた子供であった」と主張。新約聖書「ルカによる福音書」を中心にイエスがどこで、どのようにして生まれたかを冷静な筆運びで記述している。
 イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていたという。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれたという。著者は「ザカリヤ家庭の失敗がイエスに十字架の道を強いる結果となった」という。換言すれば、イエスは十字架で処刑されるためにきたのではなく、この地上に神の世界を構築するためにきたこと、イエスの十字架は神の予定ではなかったこと、等が明らかになってくる。
 著者は旧約聖書に登場する信仰の祖「アブラハムの家庭」と「ザカリアの家庭」を比較する。アブラハムには本妻サラの他、召使のハガルがいた。ザカリアの家庭には本妻エリザベツと、ヨセフの妻となるべきマリアの3人が登場する。
 アブラハムの第一子はサラとの間のイサクであり、第二子はハガルとの間のイシマエルだ。同じ様に、ザカリアの第一子はエリザベツとの間に生まれた洗礼ヨハネであり、第二子はマリアとの間に生まれたイエス、という構図だ。ザカリア家庭が重要な使命をもっていたことが分る。
 また、ギブス氏は中世のイタリア人画家バルミジャニーノ(Parmigianino、1503-40年)の「聖家族」など宗教画を例にあげ、「ザカリアとマリアの関係」を解説していくが、その謎解きはサスペンス小説を読んでいるように迫力がある。
 「イエスの生涯」に関心のある読者は一度、読んでいただきたい。独語訳は「Die Jungfrau und der Priester」(仮題「処女と聖職者」)のタイトルで出版されたばかりだ。
 イエスの父親が判明することで謎の多いイエスの生涯は明らかになってくる。そして神が人類の救い主を妾の血統をひく家系から誕生させた事情などについて、キブス氏の著書はこれまで封印されてきた内容を読者に提示している。

エジプトで金総書記の著書出版

 北朝鮮国営の朝鮮中央通信社(KCNA)は6日、「金正日労働党総書記の著書『大衆を中心としたわれらの社会主義は滅ばない』がエジプトのアル・アラム商業出版社から小冊子として出版された」と報じた。
 KCNAによれば、金総書記の著書は1991年5月5日に発行されたもので、「社会主義の必然的勝利、コリア式社会主義の連帯と無敵さの秘密、その本質的な特徴」などが記述されているという。
 金総書記の著書出版は今月16日の同総書記69歳誕生日を祝う行事の一つだ。KCNAによれば、世界各地の親北友好協会で金総書記の誕生日を祝う行事や準備委員会が設置されているという。
 ところで、エジプトの出版社が金総書記の著書を出版したと知った時、当方は思わず首を傾げてしまった。「ムバラク大統領の即解任デモ集会で忙しいエジプト国民が金総書記の著書を読む時間が果たしてあるだろうか」と考えたからだ。
 音楽の都ウィーンでも2008年、金総書記の同じ著書が、同市の印刷会社「ジョセフ・ゲバウアー」社から出版されたことがある。誤解を避けるために説明するが、ウィーン市が金総書記の著書を出版したのでもなく、また、総書記の著書に感動したウィーン市民が自費出版したものでもない。駐オーストリアの北朝鮮大使館が当時、創建60周年を記念して友好協会に繋がっている「ゲバウアー社」に再出版を依頼したものだ。
 ただし、北朝鮮では「音楽の都ウィーンでも金総書記の著書が出版され、愛読されている」というふうに伝えられるはずだ。国内向けのプロパガンダである。
 ウィーンの北朝鮮外交官は昔、オーストリアの大衆紙「クローネン」紙に宣伝広告を出し、その広告欄を読んでいるウィーン市民の姿を写真に撮って、「ウィーン市民も愛する金日成主席(当時)」という見出しを付けて本国に報告したことがある。
 もちろん、金総書記の著書は通常の本屋では見つけられないし、アマゾンを通じて注文することもできない。同総書記の著書は祝賀会に参加したゲストたちにプレゼントするために、大使館の玄関脇に積まれているからだ。
 それにしても、北朝鮮はなんと不合理で非経済的なことばかりにエネルギーを投入する国だろうか。国民が飢え、苦しんでいる時、金総書記の著書を読む国民はいないように、国の命運をかけ民主改革を進めているエジプトの国民の中で世界最悪の独裁者と呼ばれる金総書記の著書を読む人間がいるだろうか。
  なお、知人の北外交官によると、KCNAを含む北の国営メディアはエジプトの民主化運動についてはこれまで何も報じていないという。
  

Facebookは離婚を増やす

 オーストリア統計局がこのほど明らかにしたところによると、離婚件数の約10%はインターネット交流サイト「フェースブック」(Facebook)の影響によるという。
 これまた「風が吹けば桶屋が儲かる」的論理に聞こえるかもしれないが、同統計局は真剣にそのように受け止めているのだ。
 同統計局の説明によると、「フェースブックは多くの未知の人々を短期間で容易に結び合わせることができる。だから、フェースブックを通じて知り合い、結婚したカップルが出てくる一方、あまりにも多くの人と知り合うことができることで“浮気の機会”も増えることになる」という。
 その結果、オーストリアでは年間約1万9000組のカップルが離婚するが、その1割はフェースブックの影響によるという調査結果が出てきた、というのだ。
 ちなみに、同国では結婚から離婚まで平均10年間だが、約26%は5年以内に離婚している。同国の首都ウィーン市は結婚した夫婦の3組に2組が離婚する都市として有名だ。

 知人の娘は「自分は世界に300人以上の友人がいる」と父親の知人に自慢したという。彼は「俺も仕事柄、多くの人々と出会い、知り合うが友人といえる人間はせいぜい数人に過ぎない」という。だから、娘の「300人の友人」と聞いて驚く一方、その「友人」の質について疑問を感じたという。
 若者たちはほとんどフェースブックを通じていろいろな友人たちと交流している。「フェースブックをもたないと、友達のサークルにも入れない」というほど、フェースブックは若者の社会では完全に定着している。

 今年に入ってチュニジア、エジプトなど北アフリカ・中東諸国で民主化運動が起きているが、「フェースブック」などソーシャルネットワークが国民を運動に駆りたたせているとして、欧米メディアは「フェースブック」を通じて民主改革への参加を呼びかけた「4月6日運動」を高く評価している。

 いずれにしても、フェースブックは新しいコミュニケーション文化だが、結び合わせる力(結婚)と同時に引き離す(離婚)力をも持っている。使い古された表現だが、全てはそれを管理する人間の対応次第でプラスにもマイナスにもなるわけだ。

欧州でトルコ再評価の動き

 エジプトで民主化運動が始まって以来、欧州でトルコに対する再評価の動きがみられ出した。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理に聞こえるかもしれないが、「エジプトの政変」の動向に懸念する欧州では「エジプトにとってトルコこそモデル国だ」といった主張が飛び出しているのだ。
 英フィナンシャル・タイムズは7日、「アラブの激動と欧州」というタイトルの記事の中で、「中東の国々とのより信頼感のある、より建設的な関係を樹立するためのモデル国はトルコだ」と指摘し、「穏健なイスラム主義政府の下で、政治的、経済的近代化が進み、民主主義が栄えているトルコは、地域における欧州連合(EU)の貴重なパートナーだ。エジプトやチュニジアなど起業家精神に富む中間層を抱える国々が、EUの支援を得て、トルコのような政治的複数主義と経済的進歩への方向に向かうのも不可能ではない」(時事通信訳)と論じている。
 ところで、2005年に始まったEUとトルコの加盟交渉は停滞している。「イスラム教を主要宗派とするトルコはキリスト教社会の欧州の一員ではない」として、トルコのEU加盟に反対の声が依然、支配的だ。具体的には、高人口国トルコはEU内で最大の加盟国になり、EUの意思決定を牛耳る危険性などが主な理由だ。
 それがエジプトで政変が起きて以来、先述したように「トルコは北アフリカ、中東諸国の民主改革のモデル国だ」といったトルコ再評価の声が欧州で聞こえ出したのだ。
 その背景には、イスラム根本主義勢力「ムスリム同胞団」がエジプトの政権を掌握し、欧米の経済的利益と密接な関係のあるスエズ運河を支配下に置くような事態となれば大変だという懸念があるからだ。
 そこで人権問題など課題を抱えているとしても、トルコは世俗イスラム国であり、民主改革も久しく進められている。だから、「エジプトもトルコのような世俗的イスラム国家の道を歩んで欲しい」という欧州の願望が“トルコ株”の上昇となって現れてきたとみて間違いがないだろう。
 換言すれば、「エジプトの政変」はEU諸国にトルコのもつ戦略的価値を目覚めさせる契機となったというのだ。
 「トルコを加盟させれば、イスラム世界との堅固な懸け橋となる」というEU内の少数派意見もここにきて俄然、説得力を増してきたわけだ。

独裁者と呼ばれる「資格」

 欧米メディアはエジプトのムバラク大統領を「独裁者」と呼ぶ。その理由の一つとして、1981年に大統領に就任して以来、30年間、政権を独占してきたことが挙げられる。その間、複数候補者下で大統領選が実施されたが、野党候補者には自由な選挙活動を認めず、民主的選挙からは程遠い名目だけの選挙が繰り返されてきたからだ。
 しかし、長期政権だけではムバラク大統領を独裁者と呼ぶにはまだ十分ではない。
 当方はエジプトで政権が起きる前からムバラク大統領を「独裁者」と呼んできた。長期政権も理由だが、それだけではない。ムバラク政権下では治安機関の国民への弾圧がアラブ諸国の中でも飛びぬけて厳しいからだ。当方は海外亡命中のエジプト人の知人たちから聞いてきた。
 海外居住のエジプト出身コプト派グループは昨年、ウィーンで記者会見を開き、そこで7人のコプト派信者たちが殺害され、多数が重軽傷を負ったナグハマディ射殺事件の責任を追及し、イスラム過激派グループと治安担当関係者を批判したが、ムバラク大統領への批判は最後までなかったことをこのコラム欄でも紹介した(「大統領批判はタブー」2010年1月19日)。
 海外に住むエジプト人は治安関係者や政府を批判するが、ムバラク大統領を公の場で批判することを避ける。なぜならば、大統領を批判した場合、さまざまな制裁が待っていること、その制裁や弾圧は本人だけではなく、親族にも及ぶことを熟知しているからだ。
 それだけではない。国家の「富の独占支配」だ。チュニジアのベンアリ前大統領のレイア夫人は国外脱出する直前、同国中央銀行から日本円で50億円相当の金塊1・5トンを持ち出した、と報じられたばかりだ。
 ムバラク大統領の場合も残念ながら例外ではない。欧米メディアによると、30年間の長期政権で約400億ドル相当の富を所有していることが判明している。世界各地に不動産を抱え、エジプトの主要観光地では大統領親族関係者が独占権を獲得し、観光収入を吸い上げてきたことが明らかになっている。
 (1)民主的選挙なく長期政権を維持、(2)国民を治安機関を通じて弾圧、(3)国家の富を「独占支配」してきたこと、以上の3点から、ムバラク大統領は「独裁者」と呼ばれる資格が十分あるはずだ。
 ちなみに、米国ABC放送が4年前、フセイン元イラク大統領処刑後、生存する最悪の独裁者5人を選定した専門家のリストを紹介したことがある。それによると、トップはスーダンのバシル大統領、第2位北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記、第3位イランの最高指導者アリ・ホセイン・ハメネイ師、そして第4位に中国の胡錦涛国家主席の名前が挙げられていた。ムバラク大統領の名前は最悪の独裁者リストにはなかった。
 最後に、世界の独裁者と呼ばれる人物には共通点もある。彼らは常に「不安」に悩まされていることだ。多くの人間を殺害してきた者にはこの「不安」が付きまとう。ルーマニアのチャウシェスク大統領やイラクのフセイン大統領のような最期を迎えるのではないか、といったあの「不安」だ。そして独裁者は死ぬまでこの「不安」から解放されない。これは「独裁者」と呼ばれてきた人物が払わなければならない代価といえるだろう。
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