ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2011年01月

当時、金総書記に何が生じたのか

 北朝鮮・金正日労働党総書記の後継者は昨年9月28日に開催された党中央代表者会で三男・金正恩氏にほぼ決定し、その後、後継者の公式化が加速していったことは周知のことだが、正恩氏の後継決定が決してスムーズに運んだわけではなく、「突然、決定を強いられた形跡」があるという情報が流れているのだ。
 金総書記は昨年5月、中国を訪問したが、その時、中国の温家宝首相に対し、「西側の金正恩後継者決定報道は間違った噂」と語ったというのだ。これは金総書記と会見できずに帰国したカーター元米大統領が同年9月13日、カーター・センターのWebサイドで訪中(9月4日〜10)報告書の中で明らかにしている内容だ。
 「正恩氏後継報道は間違い」という金総書記の衝撃的な発言について、当方はこのコラム欄で「真偽が検証できない金総書記発言」(2010年9月30日)で紹介済みだ。
 当時、考えられるシナリオを3つ挙げた。(1)金総書記から冷たい扱いを受けたカーター氏流の仕返し、(2)中国の温家宝首相は米元大統領に故意にニセ情報を流した、(3)金総書記が中国首相らにウソをいった――等の3つの可能性だ。そして最後に、「実はもう一つのシナリオがある。金総書記の発言が正しい場合だ」と述べた。
 当方はその後も金総書記の発言の真偽を考え続けてきたが、今年に入りこの件で知人の北朝鮮外交官に聞く機会があった。
 同外交官は「金総書記の発言内容は5月の段階では正しかったが、9月末の党中央代表者会開催直前、正恩氏の後継が急遽決定されたと受け止めることが出来るよ」と示唆した。
 すなわち、5月から9月の党代表者会開催の約4カ月の間で金総書記を取り巻く環境に大きな変化が生じ、後継者の決定で苦慮してきた金総書記が正恩氏の後継を決め、その公式化を急いだというシナリオが浮上してくるのだ。
 このシナリオならば、カーター氏はもちろん、温首相、そして金総書記に対し、「うそ発言」といって批判できなくなる。3者ともその発言段階で「事実」を述べていたことになるからだ。
 それでは、「なぜ、金正日総書記は後継決定を突然、急いだのか」という新たな問題が浮上してくる。換言すれば、「金総書記に後継決定を急がした何かが生じた」と推測できるわけだ。
 その「何か」とは、政変か、総書記の健康問題か、それとも金ファミリーの内紛か、さまざまなシナリオが考えられる。
 そういえば、44年ぶりに開催された党中央代表者会の日程がなかなか決まらず、一旦、平壌に上京した地方の党代表者が帰郷せざるを得なかったなど、当時、平壌周辺はゴタゴタしていたっけ。

高名聖職者の性犯罪「報道」を切る

 バチカン放送(独語電子版)は12月30日、「遅かった発覚」というタイトルの記事を発信した。タイトルにひかれた当方は早速、読んでみた。すると、ノーベル平和賞候補者に推薦されようとしたベルギー出身の高名な聖職者が過去、甥に対して性的虐待を犯したことを認めた、というではないか。これが事実とすれば、大ニュースだ。
 バチカン放送は聖職者の不祥事を報じたドイツのDAPD通信記事を転載する形で報じているが、不思議なことだが、肝心の性犯罪を犯した聖職者名は報じていない。
 ノーベル平和賞推薦キャンペーンの中で性犯罪の犠牲となった甥の妹が聖職者の犯罪を暴露したことから、高名な聖職者の性犯罪が外部に流れたという。そして、同聖職者はベルギー日刊紙ルソワールとのインタビューの中で「40年前の未成年者への性的虐待」を認めた、と付け加えている。
 もう少し事情を把握しようと思い、「世界キリスト教情報」のHPを開くと「第2バチカン公会議で『ペリトゥス』(専門助言者)を務めたベルギーのフランソワ・フタール神父(85)が、1970年代、当時8歳の甥に性的虐待を加えたことを認めた」と短いが報道されていた。ただし、ここでは実名入りだ。
 バチカン放送と「世界キリスト教情報」の両ニュースを読む限り、高名な聖職者が未成年者に性的虐待を犯していたことは間違いないようだが、気になる点は、その扱いが小さいことだ。バチカン放送は続報も流していない。
 同聖職者は開発途上国の支援組織「Cetri」の創設者であり、その活動でノーベル平和賞候補に推薦されるほどの人物だ。その聖職者が過去の性犯罪をこれまで隠蔽してきたことが判明したのだ。くどいようだが、大ニュースだ。
 ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世は昨年、多発する聖職者の不祥事に苦渋し、謝罪する一方、事実の全容解明に全力を尽くすと約束したが、昨年末に発覚した高名な聖職者の性犯罪問題ではその約束内容が実行されていないのだ。
 高名な聖職者が高齢であり、事件は既に時効となっていることから、扱いを抑えたとすれば、性犯罪の犠牲者より身内の尊厳を優先し、事実を隠蔽するカトリック教会の姿勢や体質に何の変化もないことになる。
 高名な聖職者の性犯罪が「遅かった発覚」の背景や経緯について、ベルギー教会だけではなく、バチカン法王庁も率先して解明すべきだろう。

「記憶」とロゴス

 ギリシャ神話では幽冥界にレテ河が流れているが、その河の水を飲むと全てを忘れてしまうという。最後の追い込みのため徹夜で勉強に励む受験生が間違って飲んでしまったら大変だが、多くの辛苦を背負う人にとってひょっとしたら妙薬かもしれない。
 当方はレテ河の水をまだ飲んでいないが、最近、とみに忘れっぽくなった。しかし、面白い現象も出てきた。数字を覚えるのが昔より簡単になったのだ。数字といっても、積分や関数で登場するような複雑な数字ではなく、果物、野菜、パン、牛乳といった消費財の価格だ。アカデミックなものではなく、非常に日常的な数字だ。
 当方は週末から週明け用の買い物を担当している。通常、毎土曜日の朝7時頃、大きな買い物バックを抱え、近くの大スーパーに買出しに行く。5年以上、同じタイムスケジュールを繰り返しているため、スーパーの店員とは顔なじみとなった。同時に、野菜、コメ、肉類の値段を覚えてしまった。それもユーロ単位だけではなく、セント単位までだ。
 家人が人参パンが好きなので、パン屋で買うが、4カ月前までは2ユーロ40セントだったが、最近はいつの間にか2ユーロ82セントになっている。そこで前回の買い物の時、店員に「きみ、過去4か月間で40セント以上、高くなっているよ。その値上げ幅は消費物価の平均値を大きく上回っている」と嫌味を言ったばかりだ。いずれにしても、当方は並みの奥さんたちより日常品の値段を知っていると密かに自負している。
 一方、昨夜家人と観たテレビ番組の内容や、昨日聞いた話は24時間経過すると不思議なほど忘れていることが多くなった。「昨日の映画、面白かったね」といわれても、どの映画か、誰が主演していたか、面白いほど記憶から消えているのだ。返答に苦慮する当方をみて、息子たちは深刻な顔しながらこちらを見る。
 最近、良く観ているTV番組には「クリミナル・マインド」がある。そこに登場するFBIの一人、リード博士は写真的記憶力の持ち主だ。同博士は読む本の内容を写真でコピーするように記憶してしまうのだ。ケネディ元米大統領もそのような記憶力を有していたといわれる。記憶力のいい人に出会う度に羨ましくなる。
 当方はこの欄で脳卒中で記憶を失った友人記者の話を紹介した。積み上げてきた記憶を全て失った記者の苦悩を伝えた(「記憶はどこに行ったか」2009年11月15日、「夢の中の友人」(09年12月5日)。
 その友人記者は最近、1、2,3といった数字を口にすることが多くなった。「ね、だから、1,2,3・・」といったふうに、指で数字を数え始めるのだ。何かを伝えたいが、思い出せないために数字が飛び出してくるのだろう。
 新約聖書のヨハネ福音書には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 全てのものは、これによってできた」という有名な聖句がある。
 ところで、神の言(ロゴス)には数理性が内包しているはずだ。創造された宇宙や万物が数理性で構成されているため、科学者たちが数字や公式を通じてその謎を解明できるわけだ。
 友人記者の「1、2、3・・」という数字は概念を構成する初期的、原始的な言の表現形態ではないだろうか。ひょっとしたら、友人は数字を通じて「記憶の戸」を必死に叩いているのかもしれない。

混迷の様相を深める英宗教界

 英日刊紙インディペンデントが5日、シンクタンク「フェイス・マターズ」(Faith Matters)の情報として報じたところによると、英国で2001年以来、イスラム教に改宗した国民の数が約10万人に達したという。英当局は1万4000人からせいぜい2万5000人と見積もられていたが、予想を大きく上回る国民がイスラム教に改宗したことになる。
 ちなみに、1991年から2001年まで同国のイスラム教改宗者数は約6万人、改宗者数は年間平均6000人だった。その後の10年間で年平均4000人が増加した計算になるわけだ。
 改宗者の約3分の2は女性という。多くはイスラム教徒の男性と結婚のために改宗したものと推測されるが、学者たちは「女性の改宗が結婚理由だったかどうかは実証できない」と慎重に受け取っている。改宗者の平均年齢は27・5歳だ。
 参考までに、欧州最大のイスラム教徒を抱えるフランス(約500万人)とそれに継ぐドイツ(約350万人)ではイスラム教改宗者数は年平均4000人だ。英国(約160万人)のイスラム教改宗者数が際立って多いことが明らかだ。
 英紙によれば、英国のイスラム教改宗者の多くは西側の生活様式を拒否、放棄したいためではなく、「イスラム教が西側の価値観と共存できる宗教」と受け止めているという。
 イスラム教改宗者にとって問題は、改宗者が直面する諸問題に対して支援体制がないことだ。ユダヤ教やカトリック教会に改宗したケースとは異なり、イスラム教改宗者の受け皿、同国のイスラム教団体が脆弱だからだ。
 ところで、英国の主要宗教は英国国教会(聖公会)だ。同教会は16世紀、国王の離婚問題などの理由からローマ・カトリック教会と対立し、そこから決別した。それを受け、国王を最高権威とした英国国教会が設立されて今日に到るが、ここにきて世界の聖公会で同性愛者を容認したり、女性聖職者の容認などリベラルな路線が浮上し、保守派聖職者や信者たちが反発し、カトリックへ改宗する動きが見られる。べネディクト16世は09昨年11月、使徒憲章を公布し、カトリックへの再統合の道を表明したばかりだ。
 英国では今日、イスラム教や旧教会へ改宗する国民が増える一方、無神論者グループによる「神はいない」運動や実用的な不可知論(Agnosticism)が広がってきている。同国の宗教界は文字通り、混迷期に突入しているといえる。

北居住南部出身者、投票棄権も

 スーダンで南部の分離独立を問う住民投票が9日、南部で実施される。それに先立ち、同国のバシル大統領は4日、南部ジュバを訪問し「南部が分離を選択した場合、その決定を受け入れ、支援する」と述べたという。
 20年間余り続いたスーダンの南北間の内戦は2005年、停戦で合意し、それに基づき、南部スーダンの独立を問う国民投票が今回実施されるが、キリスト教徒が支配する南部住民の多数は分離支持だが、問題がないわけでもない。北部に居住する南部出身スーダン人(出稼ぎ組み)が選挙登録を渋っているからだ。すなわち、投票率の低下が予想されるのだ。
 ハルツームからの情報によると、南部の有権者数は約900万人だが、これまで登録した国民は100万人に過ぎないという。特に、北部に働く南部出身者は、選挙登録をすれば、北部居住に支障が出、職場を失い。子供たちの学校問題でも問題が出てくる、といった恐れを抱えているという。
 スーダンの知人は「南部が独立した場合、アフリカでも最貧国となる。行政機構も整っていないうえ、人材も十分ではない。北部との内戦再発の危険だけではない。南部周辺国との軍事衝突を回避できる軍事力もない。だから、隣国との間に紛争が勃発し、南部から多数の難民が北部スーダンに逃げるといった状況も予想できる」と懸念する。
 一方、南部独立後のバシル大統領の政治生命も不透明だ。先の友人は「バシル大統領は米国の出方に神経を尖らせている。米国は南部独立後、北部のバシル政権に政治圧力を強化してくると予想されるからだ」という。
 具体的には、ダルフールの大量虐殺問題の責任者として大統領を国際刑事裁判所(ICC,本部オランダ・ハーグ)に送還するように圧力を高めてくる、ということだ(ICCは2009年3月4日、バシル大統領に逮捕状を出した)。
 米国は過去、イスラム系勢力が実権を握ってきたスーダンに対し投資を控えてきたが、キリスト教徒系が支配する南部の独立後は石油を含む地下資源開発に積極的に支援、投資する計画だという。
 南部独立後のバシル大統領が選択できるシナリオは、(1)米国の圧力をかわすために中国との繋がりを一層深めていく、(2)「南部の独立容認」と「ハーグ送還問題」で米国と何らかの取引きする―などだ。同大統領の4日の「南部独立尊重」表明は一種の米国向けアドバルーン発言だろう。
 「バシル大統領の政治生命」から「南部の行政能力」まで、多くの不透明な問題を抱えながら、南部スーダンで9日、独立を問う住民投票が行われる。

北外交官「日本との対話」を歓迎

 新年が明けると知人の北朝鮮外交官に挨拶に行くのがここ数年の当方の伝統となっている。もちろん、招待を受けて訪ねるのではないから、門前払いもあるし、運が良ければ話ができる。その意味で、当方にとって、新年の挨拶詣ではこの一年の運を占う機会でもある。

 以下、北朝鮮外交官への新年の挨拶だ。

 ――新年明けましておめでとうございます。
 「やあ、おめでとう」
 ――早速ですが、2、3質問していいですか(躊躇している場合ではない)。
 「いいよ」
 ――金正日労働党総書記の三男で、昨年9月の党代表者会で党中央軍事委員会副委員長に任命された金正恩氏の誕生日が今月8日ですが、祝賀会の準備は行われているのですか。
 「準備など何もしていないよ。そもそも、金正恩氏の誕生日が1月8日というのは正しいのかね。誰がいったのかね。公式に聞いたことないよ。確かなことは、駐オーストリアの(北)大使館では祝賀会は開かれないということだ」
 ――貴国のカレンダーでも8日は祝日となっていない、と聞いていますが、一部の情報によれば、党内部で祝賀会が行われるという話も聞きます。
 「君も見て分るように、自分のカレンダーにも8日は何も記されていないよ」(壁に掛かったカレンダーを指差す)
 ――それでは、金正恩氏が昨年9月の党代表者会で金総書記の後継者に決定したことは事実ですか。
 「それは事実だ」
 ――後継者の誕生日を祝賀しないということは不自然ではないですか。
 「くどいようだが、公式に何も聞いていない。祝日でもない日にどうして祝賀会が開催できるかね」
 ――昨年12月中旬、金正恩氏の誕生日用贈物を積んだ列車が転覆するという事件が発生したと聞きますが、正恩氏の後継者任命に反対する勢力の仕業という情報もあります。
 「いつものように信頼性のないニュースだ。考えられないことだよ」(笑)
 ――金正恩氏の後継に反対する勢力は存在しないのですか。
 「どこでもそうだが、一つの人事が決定すれば、それを良しとする者とそれに反対する者が出てくる。まったく自然のことだろう。ただし、組織的に反対する勢力が存在するとは考えられないがね」
 ――金正恩氏を後継者と認知し、それを支えていく考えというわけですね。
 「もちろんだ。100%信頼し、支えていく」(声を高くする)
 ――故金日成主席生誕100年まであと1年となりました。12年を目標としている「強盛大国」の実現可能性はどうですか。北朝鮮を取り巻く環境は益々厳しくなっています。
 「実現の見通しが難しくなってきていることは事実だ」
 ――目標が達成できない場合、どうするのですか。
 「努力していく以外に道がないだろう」(外交官が席を立った。質問を急ぐ)
 ――日本の前原誠司外相は4日の記者会見で北朝鮮との直接対話再開に意欲を示した。停滞する日朝関係の改善の見通しは。
 「両国の対話には賛成だ。わが国は日本との対話を歓迎する」
 ――北朝鮮の国民経済の再生には対米、対韓関係の改善が急務ですが、今年はどうですか。
 「とにかく、わが国は6カ国協議の再開を支持している。実際、近い内に前進があると確信しているよ」(外交官は歩き出した)

 残念ながら、これ以上質問が出来なくなった。

「奇跡」は国民経済を豊かにする

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ西約50キロにあるメジュゴリエでは1981年6月、当時15歳と16歳の少女に聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡が起きた。通称「メジュゴリエの奇跡」と呼ばれ、これまで1000万人以上の巡礼者が訪れている。今年6月、「メジュゴリエの奇跡」30周年目を迎える。
 昨年、現地を訪問したオーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は「メジュゴリエ現象は社会の平和に貢献する内容が含まれている、多くの若者たちが同地を訪れ、平和のために祈りを捧げ、病気が治ったり、回心者まで出ている」と報告し、同地には宗教的エネルギーが溢れていると証言している。
 一般的に奇跡や霊現象には慎重なバチカン法王庁はメジュゴリエの聖母マリア再臨地を公式の巡礼地とは認めていないが、2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置。そして翌年、ローマ法王べネディク16世の愛弟子シェーンボルン枢機卿がメジュゴリエの「聖母マリア再臨」の地を巡礼したわけだ。同奇跡の地の公認の日が案外近づいているのかもしれない。
 ところで、「聖母マリアの再臨」の宗教的、神学的な意義は別として、「メジェゴリエの奇跡」はボスニアにとって数少ない外貨獲得源となっている。ボスニア和平履行会議上級代表兼欧州連合(EU)特別代表のヴァレンティン・インツコ氏は昨年11月、デートン和平協定合意15周年での記者会見で「世界各地からメジェゴリエを訪問する巡礼者が落とす外貨の収入はボスニア国民経済を支えている」と語っているほどだ。
 当方は「奇跡を待って徹夜する人々」(09年11月3日)、「若者たちは奇跡に飢える」(08年9月15日)の中で言及したが、高度に発展した科学技術の世界に生きる現代人は、逆に科学では認知できない「奇跡」への憧れを抱いている。換言すれば、自身の認識を越えた世界への憧憬とでもいえるかもしれない。
 例えば、バチカン法王庁が聖母マリアの再臨として公認した有名な巡礼地としては、ルルドとファティマがある。ルルドには毎年600万人以上の人々が巡礼する。ポルトガルのファティマ(1917年5月〜)でも数多くの巡礼者が現地を訪ねている。巡礼者がもたらす経済的インパクトは計り知れない。当方はファティマを巡礼したことがあるが、ブドウ畑に覆われたポルトガルの小村に過ぎなかったファティマは今日、同国の主要観光地となっているほどだ。
 同じように、今年で30年目を迎える「メジェゴリエの聖母マリア再臨」、それに伴う「奇跡」は、長い内戦で疲弊したボスニア国民経済に恵みの雨として降り注いでいる。

「共産政権下の犯罪」を検証すべし

 「共産政権時代の犯罪」を否定する者はナチス・ヒトラー時代のホロコースト(大虐殺)の否認と同様に処罰すべきだ。
 オーストリア日刊紙クリアは先月27日、6カ国の東欧諸国がこのような動機案をEU委員会に提出した、と報じた。
 それによると、6カ国外相はブルッセルの欧州連合(EU)委員会の司法担当レディング副委員長に動議書を提出し、「共産政権下の犯罪否認」禁止の法制化を強く呼びかけたという。6カ国とは、ラトビア、リトアニア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、チェコだ。
 それに対し、EU委員会は即答を控えている。なぜならば、EU加盟国27カ国の間でコンセンサスを得るのが難しいテーマだからだ。
 元共産政権に参与してきた政治家が冷戦終了後も政権に関与しているケースが少なくない。彼らが「共産政権下の犯罪」否認禁止法令を容認するとは思えない。
 例えば、ハンガリーの場合、当時の社会主義労働者党(共産党)は今日、党名を社会党として同国の政界で活躍、昨年まで8年間、政権を運営してきた与党だった。
 「共産政権下の犯罪」の否定禁止が法制化された場合、政権に入っている元共産党出身の政治家たちから強い反発が飛び出すことは必至だ。そのため、EU側も6カ国の動機案に対し、慎重にならざるを得ない。法制化にはハードルが高すぎるわけだ。
 ところで、ナチス時代、約600万人のユダヤ人、ジプシーが殺害されたという。それに対し、共産主義政権下では中国共産党も含むと約1億人が処刑されたと見積もられている。すなわち、「共産政権下の犯罪」は犠牲者数ではナチス・ヒトラー政権時代のそれをはるかに上回っているわけだ。
 ナチス・ヒトラーを称賛したり、ホロコーストを否認すれば、ドイツやオーストリアの場合、反ナチス法違反で処罰を受ける。一方、冷戦後、20年が過ぎたが、冷戦時代下の共産政権を擁護したり、支持する言動はまったく自由だ。
 その相違はどうして生じたのか。明確な点は「共産政権下の犯罪」に関する検証作業が十分行われてこなかったからだ。
 冷戦時代、日本でも多くの進歩的知識人と呼ばれる人々が共産主義を賞賛し、その政権を支持してきたが、彼らが後日、その思想の「犯罪」について、懺悔と謝罪を表明したとは聞かない。歴史から謙虚に学ぶべきだろう。

北朝鮮とIAEAの「関係史」

 北朝鮮が訪朝した米民主党のリチャードソン・ニューメキシコ州知事に「国際原子力機関(IAEA)の監視を認める」と表明したということから、「北の強硬姿勢に変化か」といった類の憶測が流れたが、共同通信が12月29日報じたところによれば、「北朝鮮はIAEA査察因の受け入れを『視察』と『常駐』とに区別し、常駐にはさらなる条件をクリアする必要があることが判明した」という。

Bild
IAEA本部で北朝鮮使節団と協議するIAEA査察関係者(小川敏撮影)

 ここでは憶測の上に新たな憶測を付け加えたとしてもあまり建設的ではない。その代わり、北朝鮮とIAEAの「関係史」を簡単に振り返ってみた。
 ノーベル平和賞を受賞したエルバラダイ事務局長(当時)は2007年3月、核合意の早期履行のため勇んで訪朝したが、政府高官との会談はやんわりと断られている。この出来事はIAEAと北の関係を端的に象徴している(北はエジプト出身の同事務局長を特別査察作成者と受け取り、嫌ってきた)。
 IAEAは1993年2月、北に対し「特別査察」の実施を要求したが、北は特別査察の受け入れを拒否し、その直後、核拡散防止条約(NPT)から脱会を表明した。それ以降、北はIAEAを「政治的に運営された機関であり、公平ではない」と批判している。
 IAEA査察局アジア担当(北朝鮮を含む)部長には1990年代から現在まで5人が就任してきた。90年代初めはドイツ出身のビリー・タイス博士が北朝鮮の査察を担当した。タイス部長は当時、北当局の信頼を受けて、IAEAの査察活動は順調であった。同部長は北朝鮮軍ヘリコプターで上空査察も許された唯一のIAEA部長だったが、米国と連携して平壌に政治圧力を行使する政策に転換したハンス・ブリクス事務局長(当時)と対立し、結局は左遷させられた。
 その後継者として、ギリシャ出身のデメトリウス・ぺリコス部長(元国連監視検証査察委員会委員長代行)が就任。その後、査察局長・事務次長まで昇進したオリ・ハイノネン氏(昨年8月末に退職、現在、米ボストンの民間機関勤務)、カルバ・チトンボー部長(2年前に定年退職)、そしてブラジル出身のマルコ・マルゾ部長が08年4月に就任して現在に到っている。
 北とIAEAの関係はタイス時代をピークに急速に下降していった。マルゾ部長は就任年に初めて訪朝したが、09年7月の2度目の訪朝計画は北にキャンセルされている。
 北朝鮮の核問題がIAEA理事会議題となって20年あまりの時間が経過した。その間、米朝の核合意(1994年)、ウラン濃縮開発容疑の浮上、核実験(06年10月、09年5月)と、多くの試練と危機が生じた。
 北朝鮮は02年12月、IAEA査察員を国外退去させ、翌年、NPTとIAEAから脱退した。しかし、6カ国協議の共同合意(2月13日)に基づいて、北が同国の核施設への「初期段階の措置」を承認したことから、IAEAは再び北朝鮮の核施設の監視を再開したが、北朝鮮は09年4月、IAEA査察員に国外退去を要求。そのため、IAEAは北の核施設へのアクセスを完全に失ったわけだ。
 ちなみに、IAEAには過去、金石季という1人の北朝鮮査察官が勤務していた。金査察官は10年あまり勤務した後、05年5月に帰国した。それ以後、IAEAには北出身の査察官はいない。
 さて、テーマを最近の動きに戻す。北がIAEAの常駐査察を認めるかどうかは現時点では不明だ。多分、米国の出方次第だろう。
 ウィーンの国連を訪問した北朝鮮外務省国際機関担当の金トンホ氏(北ナンバー2の金永南最高人民会議常任委員長の息子)は07年12月、「IAEAは単なる技術専門機関だ。だから再加盟も容易だが、NPTは政治的であり、複雑な内容が含まれている。わが国は現在、NPT再加盟の予定はない」と断言している。
 北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記は核兵器の破棄を考えていない。その意味で、北との非核化交渉は実りの期待できない外交交渉といわざるを得ない。もう少し説明すれば、「IAEA査察受け入れは十分考えられるが、NPT再加盟の可能性は限りなくゼロに近い」ということになろうか。
 最後に、付け加えると、駐オーストリアの北朝鮮大使館のHan Won Jong参事官(核専門家)は昨年末、IAEAの元アジア担当査察部長と接触し、昼食を交えながら意見の交換をしている。

ロシアのタンデマゴギー

 あと1年あまりに差し迫った。何かといえば、ロシアの大統領選だ。現時点ではプーチン首相の再登場という線が濃厚だが、メドベージェフ大統領の再選出場の芽がなくなったわけではない。ひょっとすれば、両者間の決選投票が行われて、両者のうち、一人が民主的に選出されるかもしれない。
 知人のロシア人国連記者は「大統領選の見通しは分らないが、大多数の国民が両者の政治を支持していると考えれば、それは間違いだ。実際、最近は国民の間でタンデマゴギー(Tandemagogie)という造語が囁かれているぐらいだからね」という。
 タンデマゴギーとはタンデム(双頭、2人乗り自転車)とデマゴギーが繋がった新用語という。具体的には、国民も最近はメドベージェフ大統領とプーチン首相のデマゴギー(扇動)に飽き飽きしてきたというわけだ。
 ウィーンから「ロシアの政情」をみていると、プーチン首相の独裁的なやり方が目立つ。モスクワ裁判所が先日、脱税などで有罪になった元石油大手ユコス社長・ホドルコフスキー被告(服役中)に懲役14年の有罪判決を言い渡したばかりだ。それに対し、欧米諸国では「政敵に対するプーチン首相の政治的弾圧」と受け取られ、批判の声が出ている。
 それに対し、あるロシア人教授は「旧ソ連時代には米国の国益外交という概念がなかった。共産主義はプロレタリア・インターナショナリズムを標榜していたからだ。しかし、旧ソ連連邦解体後、プーチン氏は“国益”という言葉を主張し始めた。国益外交はプーチン氏から始まった」と解説、ロシア国民が同氏の国益外交を支持しているという。
 ところで、当方はこのコラム欄で「ロシアのプーチン首相が訪問先ブルガリアの首相から贈られた犬の名前を公募し、『バッフィー』という名前を付けた5歳の男の子を公邸に招いた」という話(「5匹のシェパードが到着した」2010年12月12日)を紹介したが、この話には後日談がある。
 バッフィーはプーチン氏が呼んでも振り向かないばかりか、勝手なところに行ってしまうというのだ。プーチン氏もとうとう「馬鹿な犬だ」と怒り出したという。
 自分の指示や意向に反する政治家たちに対して辣腕を振るってきたプーチン氏には、バッフィーの自分勝手な態度は受け入れられないわけだ。バッフィーがその後、“処罰”されたか、どこかに送られたかは知らない。
 知人のロシア人記者は「モスクワでは最近、犬より政治家の方が忠実だ」といって、笑い出した。
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