ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年07月

「UFO」を説く神父、解任される

 キリスト教会で信者たちを前に、「神は存在しない」と説教した聖職者が現れるご時世だから、ちょっとやそっとでは驚かなくなったが、ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁があるイタリア教会のピストイア教区は18日、66巻からなる聖書の内容をUFO(未確認飛行物体)学的観点で解釈する一方、自身を“奇跡を行う人”としてさまざまな活動を繰り返してきた神父を解任した、と発表した。解任された聖職者は同教区のルチアノ・ヴィティ神父(48)だ。
 当方はこのコラム欄で数回、UFOについて紹介し、バチカンはもはやUFOの存在を排除していない、という内容のコラムを書いてきた。
 例えば、バチカン法王庁天文学者責任者、イエズス会のジョセ・ガブリエル・フネス神父はバチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノとのインタビューの中で「神の信仰と宇宙人の存在を信じることは決して矛盾しない。神の創造や救済を疑わず、人間より発達した存在や世界を信じることは全く正当だ。天文学と神信仰は決して互いに対立するものではない」と主張している。バチカンが主催した「宇宙と生命」という専門家会議でも、宇宙に人間以外の生命体が存在しても可笑しくないという意見が主流を占めたほどだ。
 それではどうしてイタリアのヴィティ神父は聖職を解任されたのだろうか。その点、ローマ発のオーストリアのカトリック通信の記事は詳細に記述していない。ピストイア教区のビアンチ司教は教区の信者宛て書簡の中で、「今回の決定は痛みが伴うものだった」と説明しているだけだ。
 そこで当方が想像するとすれば、「UFO学的観点で聖書を解釈した」というのだから、神父はUFOの存在だけではなく、UFOファンが陥りやすいことだが、UFO信仰を主張し出したのではないか。
 UFOやエイリアン(宇宙人、異星人)の存在を信じる者は「地球は銀河の中でも端っこに位置する太陽系の一惑星に過ぎない」と説明し、神の創造論を地球中心の世界観と嘲笑する傾向がある。解任された神父は知らないうちに「創造神」信仰から「UFO」信仰に回心してしまったのではないだろうか。

独ユダヤ人中央評議会、60周年

 独ユダヤ人中央評議会(ZdJ)は19日、設立60周年を迎えた。ドイツ国内では現在、約10万5000人の会員を抱え、108の自治体を有する。
 同評議会は1950年7月19日、フランクフルトで創設された(現本部は1999年以降、ベルリン市)が、当時、ユダヤ人数は約1万5000人余りに過ぎなかった。第2次世界大戦前、ホロコースト前には約60万人のユダヤ人が住んでいたというから、ユダヤ人の数は今なお、戦前の約6分の1に過ぎないわけだ。
 同評議会は「ユダヤ人の権利の保護」をその主要目的とし、ユダヤ教やその文化の育成を重要な課題としている。設立当初は、自治体や会堂(シナゴーグ)の復興や賠償保証に関する法的枠組みの確立が急務だった。そして1990年以降は、旧ソ連・東欧諸国のユダヤ人移住者の統合問題が主要テーマとなってきたという。時代の移り変わりに伴い、評議会の重点も変ってきたわけだ。
 中央評議会には数多くの組織や機関が帰属している。ラビ会議、ドイツのユダヤ人の歴史に関する中央古文書保管所、ユダヤ人学校、そして新聞 Juedische Allgemeine(ユダヤ・アルゲマイネ)などだ。
 イスラエル政府は当初、ヒトラー政権の悪夢に悩まされてきたドイツのユダヤ人全て故国に呼び集めることを計画していたというが、多くの独ユダヤ人はドイツに留まり、ユダヤ人の復興に専心していったという。
 同評議会のシュテファン・クラマー(Stephan Kramer)事務局長は「評議会の課題はユダヤ人としてのアイデンティティを保護し、教育することだ。同時に、単に社会の少数民族としてではなく、社会の一員としてその政治的責任をどのように真剣に受け止めるかが問題だ」と説明している。

 以上は、オーストリアのローマ・カトリック教会通信社(カトプレス)が18日、ベルリン発で報じた内容だ。

 独ユダヤ人中央評議会の60年の歴史は、ヒトラー政権下で生きのびてきた一人、一人のユダヤ人の歴史が重なったものだろう。そして、その復興の歴史を知る時、ユダヤ人民族の強い信仰に驚きを覚える。

来年度「世界平和の日」のテーマ

 ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁の広報担当官は13日、ローマ法王ベネディクト16世が2011年度1月1日の「世界平和の日」のテーマを決定したと公表した。来年度は「信仰の自由、平和への道」だ。
 その背景について、「世界の多くの処で信仰の自由が依然、制限されるか、否定されている」「少数宗派が疎外され、迫害されている」からだという。
 その上、「市民として認知されるために、信仰を否定しなければならないということは決して容認されることではない」「神への信仰否定が市民としての権利認知の条件であってはならない」「特に、世俗思想や主要宗派と対立している状況下では、信仰の自由は守られなければならない」と述べている。
 バチカンが「信仰の自由」や「少数派宗派の権利擁護」を叫ぶ時、多くはイスラム教が主要宗派のアラブ・イスラム諸国での「少数派宗教キリスト教の権利」のことを意味する。
 例を挙げれば、イラクではイスラム過激派の迫害を受け、キリスト教徒たちが次々と国外に逃げている。カトリック教会の大司教が殺害されたこともある。また、マレーシアのクアラルンプール上級裁判所が昨年12月31日、キリスト者も神を意味する「アラー」を使用できるという判決を言い渡した後、それを不満とするイスラム教徒がカトリック教会にさまざまな嫌がらせを行っている、といった具合だ。
 バチカンが指摘する「信仰の自由」問題では、日本も例外ではないだろう。米国務省の「宗教の自由に関する報告者」では、日本で少数宗派の権利が十分に保証されていないと述べ、その実例として世界基督教統一神霊協会(通称統一教会)の信者達が強制拉致監禁されている問題を挙げ、その是正を要求している。
 「信仰の自由」の重要性は誰でも知っているが、それが十分に履行されていないのが現状だ。その意味で、来年度の「世界平和の日」のテーマは非常に時代的な要請に呼応した価値あるものだ。
 少し、注文をつけるとすれば、バチカンの「信仰の自由」が、イスラム教圏のキリスト教の権利問題に縮小されず、普遍的な「信仰の自由」を目指すものであってほしい。
 ちなみに、「世界平和の日」はパウロ6世(在位1963-78年)が提唱し、68年1月1日に第1回「世界平和の日」を宣言したことから始まった。その日にローマ法王が世界に向かって「平和の福音」を公表してきた。

ウィーン大司教区から返信メール

 オーストリアのローマ・カトリック教会ウィーン大司教区広報担当エリッヒ・ライテンベルガー教授(Erich Leitenberger)から返信メール(13日付)が届いた。当方は「法王の『清貧の勧め』と退職聖職者」(2010年7月9日)を書く段階でウィーン大司教区広報に電話で質問したが、担当者がライテンベルガー教授にメールで質問したらいいといわれたからだ。
 当時のテーマは「聖職者の年金問題」だ。先述したコラムと重複する部分もあるが、勉強になるのでここで教授の返信メールの概要を紹介する。


(1)神父(司教、枢機卿)の年金年齢は?

 「神父は65歳から年金生活者となれるが、多くの神父たちはそれ以降も聖職に従事する。80歳になっても神父として活躍する聖職者がいる。昔は90歳になっても聖職に従事していた神父がいた。
 司教は教会法によれば75歳になれば、ローマ法王に辞職を願うことが出来る。原則としては、枢機卿も同様だ。しかし、通常、枢機卿は80歳まで聖職に留まる。例えば、フランツ・へー二ヒ枢機卿は80歳で辞任している」

(2)神父の平均年金額は?

 「退職聖職者の平均年金額を答えるのは難しい。なぜならば、退職する神父の現役時代の活動期間や特別手当などによって異なるからだ。最高限度は2150.39ユーロだ。
 ウィーン大司教区の規約によると、65歳で退職した神父はこれまでの給料の90%に相当する額を年金として受ける。神父が66歳まで従事した場合、91%相当を得る。最高限度は95%までとなっている」

(3)停職聖職者は教会関連施設や住居を利用できるか?

 「退職した聖職者は住居や教会関連施設を利用できる権利を失うから、個人で住居を探し、家計を賄わなければならない」

「警察まわり」体験記

 ある1件について、ここ数日間、取材している。具体的には、ウィーン市区担当警察署回りだ。そこでは国連や北朝鮮取材とはまったく異なったルールと雰囲気が漂っていた。
 事件の詳細な内容はまだ語れない。オーストリアとの友好関係促進を目的として設置された「ある友好協会」の会計で不祥事が生じたのだ。協会側は薄々、誰が協会会計の口座から不法に金を引き出したかを知っていたが、問題を大きくしたくない、といった配慮もあって、被疑者を匿名で告訴した。それは今年3月頃だ。それを受け、ウィーン市地元警察が捜査に乗り出したわけだ。
 その情報を入手した時、「協会関係者を直接取材しても、関係者は絶対に事件の内容を語らないだろう」と考え、警察回りで事件の経過と事実を固めていこうと考えた次第だ。
 そこでウィーン市警察本部、区警察本部、地元警察署を取材してきた。
 地元メディアの警察担当記者ではなく、外国人記者の取材を受けた経験が少ないこともあってか、地元警察側はいずれも「そんなことは分らない」「情報の開示はできない」といったぶっきらぼうな返答が返ってきた。まるで、「どうして、そんなことを外国人記者が聞くのか」といった疑い深い眼差しを当方に投げつけながら、だ。
 当方は内務省関係者との交流はあるが、地元警察関係者を直接取材した経験は乏しい。だから、余り愛想のない対応に当方は少なからずショックを受けた。区警察署犯罪チーフ捜査官との会見では、「電話では話せない、というからここまできたが、あなたの対応は何だ」と、怒りを発してしまった。一方、日々、犯罪人と接し、尋問している経験豊富なチーフ捜査官は顔色一つ変えず、「君の知りたい用件は分らない」というだけだ。犯罪担当の地元記者だったら、少しは対応は変っただろう、と悔しい思いをしながら警察署を後にした。
 事件の内容はほぼ掌握したと思っているが、まだ確信がない。しかし、まだ、時間はある。次は協会関係者と被疑者に会ってみるつもりだ。事件の全容を掌握次第、読者の皆さんに報告するつもりだ。

「暑い日」には教会へどうぞ

 なんと暑いのか。15日はとうとう38度までなった。当方はイタリアのフィレンツェ市とチェコのプラハ市で「『40度』の恐怖」(2007年8月18日)を経験したことがあるが、ウィーンで38度は初めてだ。
 同日午前、ウィーン市5区の犯罪捜査官との会見約束のため外出したが、そこに到着するまでに汗ビッショリとなった。地下鉄4号が不通だったこともあって、かなりの距離を歩いたこともある。
 5月は雨が続き、温度は10度前後の日々が続いたが、7月に入ると今度は「観測史上、最も暑い7月」と予測されている、といった具合だ。
 34、35度と気温が続くと、暑さに慣れていないウィーンっ子は苦しい。30度以上の日があと1週間は続くというから、逃げ出したい思いだろう。
 日本のように冷房が入っている喫茶店やレストランは少ないから、一旦、外出すると逃げ場所がない。先日など、国鉄急行列車の冷房装置が故障し、車内は50度まで気温が上昇。窓は閉められているため、次の駅までサウナに入っているような熱地獄を味わった、というニュースがドイツから飛んできたばかりだ。
 しかし、苦しいだけではない。救いもある。止む得ず外出したが、暑さが耐えられなくなった時、最寄の教会に直ぐに飛び込めばいいというのだ。例えば、ウィーン市の場合、Michaelerkirche(ミヒャエル教会)教会内が最も涼しい教会という。外の温度が35度でも同教会内は22度だ。教会に一歩、足を踏み込めば汗もひき、呼吸も安定してくる。普段、信仰の欠片もない人もこの瞬間は神の癒しを肌で感じることができるというのだ。これは、オーストリアのローマ・カトリック教会通信社(カトプレス)が先日実施した教会内の温度測定の調査結果に基づく。
 参考までに、ウィーン市の観光名所、カールス教会とシュテファン大聖堂内は26度だ。もっと涼しいところにどうしても避難したい人はシュテファン大聖堂の地下納骨堂まで足を運べはいい。そこは10度だ。
 聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、どの教会でも信者たちの教会離れが目立ってきた。それだけに、教会側が積極的に「暑い日々には教会へ。心休まることを保証します」とアピールでもすれば、教会のイメージ回復に役立つのではないだろうか。

「国際エイズ会議」開催を控え

 ウィーンで今月18日から23日まで5日間の日程で第18回国際エイズ会議が開催される。国連合同エイズ計画(UNAIDS)が主催する同会議には世界から約3万人の参加者が予想される一方、約3000人のジャーナリストたちが会議を取材するとみられている。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)、国連児童基金(ユニセフ)、国連開発計画(UNDP)など8機関が参加してエイズ対策のために設置されたUNAIDSによれば、世界に現在、約3340万人がエイズウイルス(HIV)に感染している。ちなみに、1980年代にHIVが見つかって以来、約30年間で7000万人が感染し、2600万人が亡くなっている。
 国連は2000年9月に開催されたミレニアム・サミットで、「21世紀における国連の役割」について検討し、世界中の全ての人がグロバール化の恩恵を受けることができるための行動計画を提示した「国連ミレニアム宣言」を採択した。貧困、教育、環境などの8項目(ミレニアム開発目標)を掲げ、数値目標と2015年という達成期限を掲げた。エイズ問題では2015年までにHIVの拡大をストップさせることを目標に掲げてきたが、現状は厳しい。08年度だけでも約270万人が新たに感染し、200万人が死去しているのだ。
 HIV感染者の90%以上は開発途上国出身者だ。最大の感染地はサハラ南部だ。同地域では2250万人が感染し、ボスワナやスワジランドでは感染率は20%から30%にも達する。感染者数では南アフリカとインドが最も多い。
 ここにきて、新たに感染する人間の半分は若い世代だ。特に、若い女性の感染者が増えている。ちなみに、世界では今日、両親がエイズで死去した15歳以下の子供たちの数は約1500万人にも上る。その内、1210万人はアフリカに住んでいる。
 HIV感染者数は全世界で増えて続けている。特に、東アジア地域と東欧・中央アジア地域で急増。アジアではインド、インドネシア、ベトナムで感染が拡大してきている。
 エイズ治療としては、北米や西欧で1995年以来導入されているHAART治療(Highly Active Anti-Retroviral Therapy)がある。少なくとも3種の抗レトロウイスル薬の併用療法を通じてウイルスの増殖を抑え、エイズの発病を防ぐ。既に一定の効果は確認されているが、発病を遅くするだけで完治はできない。その上、専門医不足や高価な薬剤などがネックとなって、全てのエイズ患者が同治療を受けることは出来ない。
 以上、国連資料に基づいて紹介した。HIVは性関係や輸血などを通じて拡大していく病気だ。治療方法の開発と共に、性モラルの啓蒙が不可欠となる。

スパイたちが愛するウィーン

 東西冷戦時代からオーストリアの首都ウィーン市には旧ソ連と欧米諸国のスパイたちが暗躍してきた。彼らはいろいろな名目で潜伏しながら、歴史の舞台裏で活躍してきた。
 それではなぜ、中欧の盟主ハプスブルク王朝の拠点ウィーンにスパイたちが結集するのだろうか。先ず、考えられる点は、(1)ウィーンが地理的に東西両欧州の中間点に位置する、(2)オーストリアが中立国家である、(3)ウィーン市が第3国連都市である、(4)石油輸出国機構(OPEC)など30を越える国際機関の本部がある、等が挙げられる。
 それでは、スパイたちはどのような名目で暗躍するか。ベスト3を挙げるとすれば、(1)自国大使館内の1等、2等書記官の立場、(2)ジャーナリスト、(3)国連職員や国際機関のスタッフだろう。
 冷戦時代から国連記者室に常駐してきた中東記者は「記者室は東西両陣営のスパイたちで溢れていた」と述べ、「両陣営からいつも多くの招待状や食事に招かれたものだ」と証言する。
 それでは、東西のスパイたちの活動舞台となるオーストリア側の反応はどうだろうか。外国人スパイたちの諜報活動は明らかに「主権の蹂躙」に該当する。だから、スパイ活動が判明した場合、それを無視できない。オーストリア側は「わが国の国益を蹂躙しない限り、逮捕はせず、国外退去を要求する」という立場を取ってきた。特に、スパイが外国外交官の場合、国外追放が唯一の対応となる。
 実例を一つ挙げる。米中央情報局(CIA)職員が駐国際原子力機関(IAEA)担当の尹浩鎮(ユン・ホジン)北朝鮮参事官(当時)の私宅を盗聴、それに気がついたオーストリア内務省側は盗聴カセットの交換に現れたCIA職員を拘束する一方、外交官旅券を保有するCIA職員に即、国外退去を要請。CIA職員は急遽、ワシントンに戻った。もちろん、2度とオーストリアに入国できない。スパイは一旦顔を知られてしまうと、活動できなくなる。
 CIA職員の北参事官宅盗聴事件を担当したオーストリア内務省関係者は「米国は敵対国ではないが、わが国内でスパイ活動をするCIAに警告を発する意味合いがあった。逮捕する意図は元々なかった」と語ったものだ。
 「会議は踊る」と揶揄されたことがあるウィーンでは、舞踏会のシーズンとなれば到る処からワルツが流れる。ウィーンっ子はモーツァルトやベートーヴェンの音楽よりも、ヨハン・シュトラウスのウィンナー・ワルツをより愛する。そのワルツに乗ってスパイたちが息を潜めながら舞い続ける。

駐米のロ外交官を追放しない理由

 「もう済んだことだからいいではないか」といわれそうだ。当方には昔から悪い癖があって、「分らない点があると、いつまでもそのことが忘れられない」といった習性だ。
 最近では、ウィーンの国際空港で9日、展開された米露スパイの交換劇だ。米国から10人、ロシアから4人のスパイたちを乗せた2機の飛行機がウィーン空港に到着すると、直ぐにスパイが交換され、また離陸していった。オーストリア内務省関係者はもちろん、スパイ交換劇に立ち会うことはできない。パス・コントロールもない。米露両国関係者しかスパイ交換劇の真相は分らないままだ。
 当方がひっかかるのは、(1)ロシア側が米国で服役中の元CIA職員オルドリッチ・ヘイゼン・エイムズ氏の釈放をどうして要求しなかったかだ。同氏は、CIA史上最大のスパイ事件を犯した人物だ。(2)米国のFBI当局は、今回逮捕され、交換されたロシア人スパイたちと連絡を取り合っていた駐米ロシア外交官(3等書記官)を国外追放処分にしなかった。なぜか。ロシア側の説明によると、米国側から「追放処分する考えはない。安心していい」という内容の通知があったという。(3)ロシアに服役中のスパイが交換要員としてモスクワを出国する際、元KGBメンバーで現連邦議会議員が「いつでもモスクワに遊びに来たらいいよ」と声をかけたという。
 以上の点を考えるだけでも、世界のメディアの関心を集めた今回の米露スパイ交換劇が冷戦時代のそれとはまったく異なった雰囲気の中で行われたことが推測できる。冷戦時代、西側に出国するロシア人スパイに「モスクワにまた遊びに」といった台詞を吐くロシア当局者がいただろうか。
 米司法省が先月28日、11人のロシア人スパイを逮捕したと公表した時から少しおかしかった。その点は当コラム欄でも既に指摘したから、重複しないが、スパイ逮捕劇がロシア人の美人スパイの動向に集中し、米露両国の意図が最後まで不透明だったのだ。なぜ、米当局関係者は美人スパイ情報をメディアにリークし、情報を操作したのか、等の疑問が残る。
 米露両国は一応、「関係改善が見えてきた両国関係をスパイ問題で険悪化させない、といった政治的判断があった」という。疑い深い当方は「それだけであろうか」と、呟いてしまうのだ。

“ブブゼラ大会”の総括

 世界のサッカー・ファンを喜ばしてくれたサッカー世界選手権(W杯)南アフリカ大会は11日、幕を閉じた。ファンにとって、欧州の各国のリーグ戦が始まるまで、サッカーはしばらくお休みとなる。
 そこでアフリカ大陸で初めてW杯が開催された南ア大会の総括をしたい。
 南ア大会を振り返ると、まず、ブブゼラの騒音問題があった。南アの民族楽器に慣れていない多くのサッカー・ファンからは「耳が痛くなる」といった苦情が出た。観戦者だけでなく、選手たちの間でも「他の選手とコミュニケーションができない」といった不満が聞かれるなど、「大会はこれからどうなるのか」と不安になったほどだ。
 幸い、W杯の試合を実況中継する放送局はブブゼラの騒音を抑制するフィルター装置を設置するなど対策を講じた。120デシベルを超えるブブゼラは強度の難聴を引き起こす危険性があるとの警告が医療関係者から発せられたが、国際サッカー連盟(FIFA)は「ブブゼラはホスト国の民族音楽だ」として、その禁止を最後まで拒否した。ファンの多くは時間の経過と共にブブゼラの音にも慣れ、それに呼応して、ブブゼラ批判は小さくなっていった。
 最大の問題点は誤審だ。決勝トーナメント1回戦のドイツとイングランド戦、アルゼンチンとメキシコ戦で生じた。特に、ドイツ対イングランドの欧州強豪同士の試合で歴史的な誤審が生じたのだ。問題は2対1でドイツに先行されていた前半38分、イングランドのMFランバードがミドル・シュートをゴールに入れたが、ドイツのGKが素早くボールを取り、打ち返した。主審も副審もボールがゴールライン内に入っていないと思い込み、ゴールとは認めなかったのだ。TV観戦していると、明らかにボールはゴールラインの内側に入っていた。それも50センチ以上、内側だ。結局、ランバードのゴールは「幻のゴール」となった。
 2試合目のアルゼンチン対メキシコ戦では、アルゼンチンのFWテベスが前半26分、FWメッシからのボールをゴールしたが、テベスは明らかにオフサイドだった。しかし、ゴールと見なされたのだ。メキシコの選手たちは副審に激しく抗議したが、ダメ。前半序盤は有利に展開していたメキシコ・チームの勢いはこの誤審で大きく乱れ、最終的には3対1でアルゼンチンに敗北した。
 両試合とも誤審が試合の流れを決定してしまった実例だ。ランバードの「幻のゴール」がゴールとなっていたら、前半は2対2で終わっていた可能性が濃い。そうなれば、後半はまったく異なった試合展開が予想される。メキシコの場合も同じだ。
 数年前から、ビデオ導入や電子チップ入りボールの利用を要求する声があったが、FIFAは頑固にそれを拒否してきた。理由は「サッカーの面白さであるエモーションに水が差されるからだ」という。
 しかし、大会でも誤審が頻繁に発生し、試合の公平性が問われ出した結果、FIFAは「大会後、審判員の増員、ビデオ導入などを検討する」と記者会見で確約した。スポーツの勝敗で公平性が問題視されれば、スポーツの喜びは半減してしまう。その意味で、FIFAは今後、誤審対策に積極的に取り組んでいただきたい。
 南ア大会では、前回の独大会(2006年)の優勝国イタリアと準優勝国フランスがベスト16にも入れず、惨敗してしまった。特に、フランスの場合、選手とコーチ間の対立などが表面化し、自滅していった感がする。また、メッシー選手(アルゼンチン)やロナルド選手(ポルトガル)など、スーパー・スターが今回、その実力を十分に発揮できずに終わった。今大会ほど「サッカーというスポーツ競技が個人スポーツではなく、団体競技であり、チームプレーが勝敗の行方を握っている」という競技の鉄則を一層明らかにした大会はない。スーパー・スターがほとんどいないドイツ・チームの活躍はその実例だろう。
 大会の開催直前まで、「南アで果たして組織的、運営的に世界的イベントが開かれるか」といった素朴な懸念があったが、幸い、杞憂に終わった。特に、治安問題でも大きな衝突は生じなかった。南ア国民だけではなく、アフリカ諸国の国民たちにも「南ア大会はアフリカの大会だ」といった意識があり、W杯の開催を成功させようとする意気込みがあったからだという。「アフリカ諸国の結束を強めさせた」という意味でも南ア大会は成功だったわけだ。南アに初めてW杯開催を決定したFIFAの勇断をここで改めて評価したい。

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