独西部デュイスブルクで31日、「ラブ・パレード」に参加しようとし、将棋倒しになり死亡した21人の犠牲者を慰霊する超教派追悼礼拝が開かれる。同礼拝にはクリスティアン・ヴルフ大統領、メルケル首相ら政府首脳も出席予定だ。なお、独第2テレビ(ZDF)が同日午前10時40分(現地時間)、追悼礼拝を中継する。
24日起きた事件では、会場となった貨物駅敷地に140万人余りが参加し、入り口のトンネル付近では会場に入ろうとした若者たちが殺到し、パニック状況となった。そのため、十分な安全体制を敷かなかった「ラブ・パレード」主催者側と開催許可を出した市当局、警備担当の警察当局の3者の責任が現在、検察庁によって追求されている。このコラムでは事故の責任問題は語らない。事故の問題点が明確になり、同様の事故が再発しないことを願うだけだ。
亡くなった犠牲者は若者たちだ。彼らは同日、友人たちと音楽とダンスを楽しみながら週末を過ごす予定だった。彼らの誰一人として、将棋倒しとなって圧死するとは考えなかっただろう。
ドイツ社会は同事故にショックを受けている。ローマ・カトリック教会もプロテスタント教会も犠牲者に追悼を表明。同国出身のローマ法王べネディクト16世も避暑地から哀悼の意を表している。
独国民は若者たちの悲劇を悲しんでいる。その中で、元TVの著名なジャーナリストで著作家のエバ・へルマン女史(Eva Herman)は「ラブ・パレード」の享楽性、非道徳性を指摘し、「ラブ・パレードは巨大な麻薬、アルコール、性が織り成す宴会だ」と述べている。ただし、同女史は後日、自分の発言が犠牲者とその家族を傷つけたとすれば申し訳ないと述べ、謝罪している。
「ラブ・パレード」については、当方はヘルマン女史と同意見だ。若者たちは「ラブ・パレード」で死ぬべきではないからだ。
現代社会は享楽や快楽を求める社会だ。そのためにさまざまなイベント、大会が準備されている。そのような社会を独語ではSpassーgesellschaftと呼ぶ。そしてそこには必ず、「ラブ」という言葉が飛び交う。
「ラブ・パレード」は1989年から2006年の間、ベルリンで開催され、07年はエッセンで120万人が参加し、08年には160万人がドルトムントに集まった。今回の事故を受け、「ラブ・パレード」は今後、開催されないという。
そこで「ラブ・パレード」に代わって、若者たちが心置きなくエネルギー、創造力、その正義感が発揮できるイベント、大会を考え出そうではないか。
24日起きた事件では、会場となった貨物駅敷地に140万人余りが参加し、入り口のトンネル付近では会場に入ろうとした若者たちが殺到し、パニック状況となった。そのため、十分な安全体制を敷かなかった「ラブ・パレード」主催者側と開催許可を出した市当局、警備担当の警察当局の3者の責任が現在、検察庁によって追求されている。このコラムでは事故の責任問題は語らない。事故の問題点が明確になり、同様の事故が再発しないことを願うだけだ。
亡くなった犠牲者は若者たちだ。彼らは同日、友人たちと音楽とダンスを楽しみながら週末を過ごす予定だった。彼らの誰一人として、将棋倒しとなって圧死するとは考えなかっただろう。
ドイツ社会は同事故にショックを受けている。ローマ・カトリック教会もプロテスタント教会も犠牲者に追悼を表明。同国出身のローマ法王べネディクト16世も避暑地から哀悼の意を表している。
独国民は若者たちの悲劇を悲しんでいる。その中で、元TVの著名なジャーナリストで著作家のエバ・へルマン女史(Eva Herman)は「ラブ・パレード」の享楽性、非道徳性を指摘し、「ラブ・パレードは巨大な麻薬、アルコール、性が織り成す宴会だ」と述べている。ただし、同女史は後日、自分の発言が犠牲者とその家族を傷つけたとすれば申し訳ないと述べ、謝罪している。
「ラブ・パレード」については、当方はヘルマン女史と同意見だ。若者たちは「ラブ・パレード」で死ぬべきではないからだ。
現代社会は享楽や快楽を求める社会だ。そのためにさまざまなイベント、大会が準備されている。そのような社会を独語ではSpassーgesellschaftと呼ぶ。そしてそこには必ず、「ラブ」という言葉が飛び交う。
「ラブ・パレード」は1989年から2006年の間、ベルリンで開催され、07年はエッセンで120万人が参加し、08年には160万人がドルトムントに集まった。今回の事故を受け、「ラブ・パレード」は今後、開催されないという。
そこで「ラブ・パレード」に代わって、若者たちが心置きなくエネルギー、創造力、その正義感が発揮できるイベント、大会を考え出そうではないか。