ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年07月

「デュイスブルクの悲劇」への一考

 独西部デュイスブルクで31日、「ラブ・パレード」に参加しようとし、将棋倒しになり死亡した21人の犠牲者を慰霊する超教派追悼礼拝が開かれる。同礼拝にはクリスティアン・ヴルフ大統領、メルケル首相ら政府首脳も出席予定だ。なお、独第2テレビ(ZDF)が同日午前10時40分(現地時間)、追悼礼拝を中継する。
 24日起きた事件では、会場となった貨物駅敷地に140万人余りが参加し、入り口のトンネル付近では会場に入ろうとした若者たちが殺到し、パニック状況となった。そのため、十分な安全体制を敷かなかった「ラブ・パレード」主催者側と開催許可を出した市当局、警備担当の警察当局の3者の責任が現在、検察庁によって追求されている。このコラムでは事故の責任問題は語らない。事故の問題点が明確になり、同様の事故が再発しないことを願うだけだ。
 亡くなった犠牲者は若者たちだ。彼らは同日、友人たちと音楽とダンスを楽しみながら週末を過ごす予定だった。彼らの誰一人として、将棋倒しとなって圧死するとは考えなかっただろう。
 ドイツ社会は同事故にショックを受けている。ローマ・カトリック教会もプロテスタント教会も犠牲者に追悼を表明。同国出身のローマ法王べネディクト16世も避暑地から哀悼の意を表している。
 独国民は若者たちの悲劇を悲しんでいる。その中で、元TVの著名なジャーナリストで著作家のエバ・へルマン女史(Eva Herman)は「ラブ・パレード」の享楽性、非道徳性を指摘し、「ラブ・パレードは巨大な麻薬、アルコール、性が織り成す宴会だ」と述べている。ただし、同女史は後日、自分の発言が犠牲者とその家族を傷つけたとすれば申し訳ないと述べ、謝罪している。
 「ラブ・パレード」については、当方はヘルマン女史と同意見だ。若者たちは「ラブ・パレード」で死ぬべきではないからだ。
 現代社会は享楽や快楽を求める社会だ。そのためにさまざまなイベント、大会が準備されている。そのような社会を独語ではSpassーgesellschaftと呼ぶ。そしてそこには必ず、「ラブ」という言葉が飛び交う。
 「ラブ・パレード」は1989年から2006年の間、ベルリンで開催され、07年はエッセンで120万人が参加し、08年には160万人がドルトムントに集まった。今回の事故を受け、「ラブ・パレード」は今後、開催されないという。
 そこで「ラブ・パレード」に代わって、若者たちが心置きなくエネルギー、創造力、その正義感が発揮できるイベント、大会を考え出そうではないか。

カトリック内でホモ・フォビア?

 2001年9月11日の米国内多発テロ事件以来、欧米キリスト教社会を中心に「イスラム・フォビア」なる社会学用語が定着していった。イスラム教やその信者に対し、恐怖、嫌悪感を意味する。その数年後、今度は「キリスト・ファオビア」なる用語が飛び出してきた。「イスラム・フォビア」と同様、キリスト教やその信者に対する不当な恐怖感を意味する。
 当方はこのコラム欄で「ドイツで席巻するテクノフォビア」(09年7月29日)を紹介した。最新技術への懐疑や恐怖感だ。このように、恐怖、嫌悪感を意味する「フォビア」(phobia)が多方面で頻繁に使われてきた。
 ところで「ホモ・フォビア」という言葉を読者の方はご存知だろうか。この新用語(?)を初めて使用したのは、ローマの聖トマス・アクィナス法王アカデミーのメンバーで、雑誌「神学的なもの」の発行人兼編集長だった独神学者ダビット・ベルガー氏(David Berger、42)だ。
 同氏は今年4月末、独日刊紙フランクフルター・ルンドショウとのインタビューの中で、「自分はホモ」と告白。その発言を受けてかどうか分らないが、同氏はこの度、法王アカデミーから除名されたのだ。28日付のフランクフルター・ルンドショウによると、アカデミー側は除名処分の理由を「ベルガー氏の言動がカトリック教義と一致しない点が出てきたから」と説明するだけで、同氏の「ホモ告白」には何も言及していない。
 ベルガー氏は独紙との会見で、「カトリック教会はホモ・セクシュアルに対し、偽善的で、信心ぶった態度を取っている。カトリック主義の中にホモ・フォビア傾向がセクトのような広がりを見せてきた」と批判している。ここで「ホモ・フォビア」という造語が使われている。
 一方、オーストリア教会のクラウス・キュンク司教はメディアとのインタビューの中で、「神学セミナーや修道院で同性愛者のネットワークが存在する」と指摘し、「彼らが教会や修道院で拡大、増殖していった場合、教会や修道院の存続が危機に陥る」と警告を発している。
 カトリック教会内の「ホモ・ネットワーク」にしろ、ベルガー氏が主張する「ホモ・フォビア」にしろ、バチカンは同性愛問題に対し曖昧な姿勢を取らず、明確な指針を表明すべき時だろう。

金正男氏と正銀氏が手を結ぶ時

 知人の北朝鮮外交官は笑いながら「君たちジャーナリストたちは正男氏と正銀氏が権力闘争を展開しているという観点からしかみないが、正男氏と正銀氏が手を結んで権力を掌握し、一緒に政権を運営するという選択肢を考えないのかね」という。
 金正男氏(39)は金正日労働党総書記と故成恵琳夫人との間の長男だ。一方、正銀氏(27)は金総書記と故高英姫夫人との間の次男で、9月の党代表者会議で後継者としてデビューするものと予想されている。
 北朝鮮の歴史を振り返ると、権力を掌握した人物は政敵を含むライバルを悉く粛清していく。金総書記の父親、故金日成主席もそのようにして権力を固めていった。
 とすれば、金総書記から後継者として権力を受け取る正銀氏は当然、義理の兄、正男氏を近い将来粛清するだろうし、政治に関心がないという実兄、正哲氏(29)も中央政界から追放されるだろう。このように考えるのが歴史に基づいた最も現実的な予測だ。実際、過去2度、反正男派の金正男氏暗殺計画が報じられたことがある。昨年6月と04年11月の2回だ。
 しかし、知人の北外交官は「正男氏と正銀氏が手を結ぶ」可能性を除外すべきではないと強調したのだ。ひょっとしたら、その予測は同外交官の単なる願望に過ぎないのかもしれないが、金総書記が依然、病気から完全に回復せず、同国が昨年11月末に実施したデノミネーション(通貨単位切り下げ)の結果、国内経済は一層混乱し、民心の離反傾向が出てきた時だ。権力を完全に掌握してきた金ファミリーが政権維持の為、一体化することもあり得るかもしれない。
 今年6月7日に国防委員会副委員長に任命された張成沢氏は久しく正男氏の後見人とみられたが、現在は正銀氏の擁護者と受け取られている。キングメーカーの張氏の夫人は金総書記の実妹・敬姫だ。すなわち、北の現在の権力構図は以前より一層、金ファミリー色が強いのだ。
 先の知人は「正男氏は自由にマカオと平壌間を行き来している。正男氏の行動範囲が制限された兆候はみられない。唯一、過去1年間、変化といえば、正男氏が欧州まで足を伸ばしていないことだ」と説明した。

伊で宗教書籍の売上げが増える

 ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁のあるイタリアで宗教書籍の売上げが伸びているという。ミラノの保守紙ジョルナレが26日付で同国出版会社組合の情報として報じたものだ。
 同紙によると、2007年から09年の間で宗教書籍を読む読者数が10・1%増加したという。読者層は若い世代が増えている。年齢的に見ると、18歳から54歳が2000年、全体の読者数の44・2%を占めていたが、その割合が52・85に伸びた。ちなみに、宗教書籍の市場占有率は約13%、売上げ総額は2億6000万ユーロという。
 イタリアを含む欧州各地で聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚し、教会の信頼性が揺れ、宗教一般への懐疑心が高まっているにもかかわらず、宗教書籍を求める読者が増えてきた背景について、出版関係者は「宗教書籍の性格の変化がある。従来の神学的な著書から、家庭、倫理、心理学分野を宗教的、精神的観点から扱う文学のような宗教書簡が増えてきた」と説明する。要するに、堅苦しい教義中心の書籍から、具体的な日常生活をテーマとして精神的な価値を追求する書籍が増えてきた、というわけだ。
 読者が愛読する宗教書籍としては、修道院創設者エンゾ・ビアンキ著「幸福への道」、ヨハネ・パウロ2世との関係を綴ったヴァンダ・ボルタヴスカ著「友情日記」、アンドレア・トル二エリ著のローマ法王自叙伝「サント・スビト」などが挙げられている。もちろん、現ローマ法王べネディクト16世の著書は常にベストセラーだ。例えば、「ナザレのイエス」だ。変ったところでは、イタリアのトリノを本拠地とするサッカー・クラブ「ユベントス」のDF、レグロタリエ選手の「信仰で数百倍良く生きる」などがある。

 以上、オーストリア・カトプレスのローマ発の記事から紹介した。 

 私たちが生きている時代は一見、宗教から最もかけ離れた時代のようにみえるが、人々が「幸せ」を求める限り、宗教は人々の心を捉えていくのだろう。宗教書籍に人気が集まるのは、現代人がひょっとしたら「幸せではない」からかもしれない。

ローマ版「ジキル博士とハイド氏」

 伊ニュース雑誌「パノラマ」は最新号(7月23日号)でローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁のあるローマ教区の聖職者が「同性愛の生活とミサに仕える生活といった2重人格的な生活を送っている」と批判する記事を掲載した。すなわち、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの「ジキル博士とハイド氏」のローマ版というわけだ。
 欧州各地で聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、メディアの報道に神経質となっているローマ教区側は雑誌の記事が掲載されると早速、「聖職者が同性愛的活動と聖職を共に行うことは許されない」と批判する一方、「336教会に約1300人の聖職者が教区に従事しているが、大多数の聖職者は真面目にその聖職を行っている」と弁護し、「スキャンダルな報道で聖職者の信頼性を震撼させることは容認されない」と、雑誌の報道姿勢を非難している。
 25日のバチカン放送(独語電子版)によると、ローマ教区側は二重人格者のような生活を送ってきた聖職者に対しては、「そのような人間は聖職者になるべきではない。われわれは彼らに敵意はないが、容認できない。彼らの所業は聖な職務を真摯に実施する者にもダメージだ」と主張している。
 ところで、一種の解離性同一性障害といわれる二重人格者(多重人格)は礼拝の合間に同性愛的行動を繰り返してきたローマ教区の神父たちだけではないだろう。未成年者に性的虐待を繰り返してきた数千人の聖職者も同様だ。
 もちろん、二重人格者は教会内だけにみられるものではない。社会の各層で目撃できる。「聖なる宮」といわれる教会内では、2つの異なる人格の格差が他の社会より一層鮮明に浮かび上がるだけだ。悪に仕える「肢体」と神を求める「本心」との間で葛藤した聖パウロを思い出すだけで十分だろう。
 聖書学的にいうならば、人間始祖が堕落して以来、全ての人間は程度の差こそあれ二重人格者のような人生を送っている、といえるかもしれない。
 ただし、異なる人格を巧みに使い分け、人生を享受するか、聖パウロのように内なる葛藤に悩み、「人格の統合」を図ろうと苦闘するかで、人生の生き方は明らかに異なってくるわけだ。

教会分裂の危機にあるルーテル派

 世界ルーテル連盟(LWF)の第11回大会が20日から27日まで、独シュトゥットガルトで開催中だ。大会には140教会から約400人の代表が参加した。ルーテル教会は世界79カ国に約7000万人の信者を有する。ローマ・カトリック教会、正教会、聖公会について、世界第4のキリスト教派だ。
 LWF会長のマーク・ハンソン監督は20日、シュティフツ教会でのオープニング礼拝で今回の世界大会について、「福音の力への鼓舞と信頼の印を掲げよう」と信者たちに呼びかけている。
 そのルーテル教会は今日、同性愛問題や女性の聖職叙階問題で教会内に不協和音が高まってきている。「状況は次第に聖公会のそれに似てきた」という声も聞かれるほどだ。
 同性愛問題や女性の聖職叙階問題は大会の正式議題ではないが、作業グループが設置され、代表者間で意見の交流が行われた。アフリカ、アジア、そして東欧出身の教会では、同性者の夫婦公認には強い反発があり、教会リベラル派と対立している。ちなみに、スウェーデンのルーテル教会ではレスビアンの女性監督が就任している。
 ハンソン監督は「キリスト者は同性愛問題や女性の聖職叙階問題で意見の相違があっても、対立するのではなく、互いに尊敬すべきだ」とアピール、教会の分裂に危機感を発している。
 ルーテル派教会では1992年、独ルーテル教会ハンブルグ教区でマリア・イェプセン女史が始めて監督に選出されて以来、保守派とリベラル派間で女性の聖職叙階問題で対立が絶えない。
 なお、同監督は今月16日、教区内で聖職者が未成年者へ性的虐待を行っていたことを知らなかったと主張してきたが、その発言に疑惑が浮上したことを受け、「信者たちの信頼を失っては職務を継続できない」として辞任を表明したばかりだ。同大会には参加していない。
 LWFのイシマエル・ノコ事務局長は21日、「女性の聖職叙階を認める方向で進めるべきだ」と述べているが、世界ルーテル連盟に加盟する140教会の中でも依然、約30教会が女性の聖職叙階に反対している。
 宗教改革者マルティン・ルターが1517年、ローマ教会の腐敗に抗議し、95か条の論題を提示してからまもなく500年目を迎えるが、世界のルーテル教会は今、大きな難問に直面しているわけだ。
 大会では24日、7年間の任期を終え辞任するハンソン会長の後任としてヨルダン教会のムニブ・ユナン監督(Munib Junan、59歳)が選出された。また、宗教改革史の影といわれてきた、16世紀のアナバプテストの教派メノナイト派へのルーテル派の弾圧に対し、LWFは22日、公式に謝罪を表明した。

“スモレンスクの十字架”を撤去

 ポーランドの次期大統領(8月11日就任予定)に選出された中道右派「市民プラットフォーム」のブロニスワフ・コモロフスキ氏はまた勝利した。
 レフ・カチンスキ大統領を含む96人の死者を出した政府専門機ツポレフ154型機墜落事故(今年4月10日)を追悼するためワルシャワの大統領府に近い聖アンナ教会に建立された十字架を撤去、移動させる問題で自身の主張を貫徹したのだ。
 同十字架は墜落事故直後、聖アンナ教会で建立されたもので、高さ約4メートルの木製だ。カチンスキ大統領らは、旧ソ連秘密警察によってスモレンスク(ロシア西部)で銃殺されたポーランド人将校らの慰霊碑(カチンの森事件)に参拝する途上だったことから、同十字架は“スモレンスクの十字架”と呼ばれてきた。
 大統領選後、十字架を今後どうするかでコモロフスキ氏と民族派の野党「法と正義」の間に激しい議論が起きたが、ワルシャワ大司教区など関係者が22日、十字架の撤去を主張するコモロフスキ氏の意見を支持し、十字架を適当な場所に移すことで合意したのだ。
 コモロフスキ氏と大統領選を争ったカチンスキ大統領の双子の兄、ヤロスワフ・カチンスキ氏とその「法と正義」は“スモレンスクの十字架”の撤去と移動に強く反対してきたが、コモロフスキ氏に押し切られた形だ。
 ヤロスワフ・カチンスキ氏は大統領機墜落事故後、大統領選に出馬を決定し、国民の同情票を得て、下馬評で有利が予想されていたコモロフスキ暫定大統領(下院議長)との差を縮めたが、最終的には、その民族主義的言動に対する国民の懸念を払拭できずに苦杯を喫した。そして「スモレンスクの十字架」問題でも国民の支持を得ることが出来ず、コモロフスキ氏に敗北したわけだ。
 冷戦時代、そして同国の民主化運動の原動力、自主管理労組「連帯」が主導した時代からポーランドは確実に変りつつある。カトリック教国ポーランドで一旦建立された十字架が撤去されることはこれまで考えられなかったことだ。
 なお、スモレンスクの十字架は近日中に撤去され、8月には同国カトリック教会の総本山ヤスナ・グラ僧院があるチェストホヴァの巡礼地に運ばれる予定という。

エイズ会議に宗教者も参加を

 ウィーン市見本市会場で18日から開催されていた第18回「国際エイズ会議」が23日午後、全日程を終えて、閉幕した。
 世界193カ国からエイズ問題の専門家、医療者、エイズ患者の支援活動をする非政府機関(NGO)の関係者ら1万9300人が参加し、その体験や意見の交流を行った。
 会合では、HIV感染者が最新の治療を受ける権利を「人権」と呼び、その履行を求めていた。エイズ治療として、北米や西欧で1995年以来導入されているHAART治療( Highly Active Anti-Retroviral Therapy)がある。少なくとも3種の抗レトロウイスル薬の併用療法を通じてウイルスの増殖を抑え、エイズの発病を防ぐ。既に一定の効果は確認されているが、専門医不足や高価な薬剤などがネックで、全てのエイズ患者が同治療を受けることは難しい。そこで、両親からエイズを感染された子供たちを優先的に治療すべきだという声が聞かれた。
 また、エイズ感染の主要ルーツとなっている麻薬問題では、専門家たちがまとめた「ウィーン宣言」の中で、麻薬摂取者を犯罪人扱いし、逆にHIV感染を広める結果となっている従来の麻薬政策(War on Drugs)を変更し、「治療優先」の政策を取るべきだと助言している。
 会議場周辺には、NGO関係者が通行人にコンドームを配布していた。コンドームがエイズ感染防止の有効手段というわけだ。当方が取材届けをした時、赤い会議用バックをもらったが、その中にもコンドームが入っていた。
 大多数の会議参加者はエイズ感染者の救済のため、努力している。その熱意は当方にも伝わってきたが、なぜかもう一つ心に響かないのだ。
 会議参加者は「批判する前に、救うべきだ」という。その通りかもしれない。しかし、HIV感染は拡大し続けている。何かが欠けているからではないか、といった内省が必要な時ではないか。
 そこで批判を覚悟で当方の私見を述べたい。エイズは「結果」だ。それをもたらしたさまざまな原因がある。放縦な性関係、輸血問題、麻薬の注射針からの感染などだ。それらの中でも、性の問題が核だろう。そして原因への対応を真剣に考えなければ、対症療法に留まるだけだ。
 ウィーン会議ではエイズ対策費の増加や治療拡大に焦点が集まり、「性モラル」の啓蒙などには余り関心が払われていなかった。NGOグループの中には、「自由なセックス」を要求するプラカードを掲げていた関係者もいたほどだ。
 国連は2000年9月に開催されたミレニアム・サミットで、「21世紀における国連の役割」について検討し、世界中の全ての人がグロバール化の恩恵を受けることができるための行動計画を提示した「国連ミレニアム宣言」を採択したが、エイズ問題では2015年までにHIVの拡大をストップさせることをミレニアム開発目標に掲げたが、その実現の見通しは現状では厳しい。
 エイズ感染問題の多くは、純潔教育や「健全な家庭つくり」を通じて解決できる問題ではないか。コンドームの配布は感染を防ぐという意味で必要だが、エイズ問題を根本から解決することはできない。
 そのような意味から、宗教指導者は今後、国際エイズ会議にもっと積極的に参加し、医療関係者、エイズ専門家たちと連係しながら、その宗教的な観点からエイズ対策に貢献すべきではないか。

東欧で急増するエイズ感染者

 ウィーン市見本市会場で開催中の第18回「国際エイズ会議」を取材した。主要テーマはエイズ対策への資金確保と治療問題の2点だ。エイズ問題専専門家たちからは「主要国のエイズ対策援助の停滞」が指摘される一方、エイズに感染した子供たちへの治療強化がアピールされた。
 ところで、エイズ感染者数は依然、アフリカとアジア地域が多いが、ここにきて東欧と中央アジア地域で急増してきたという。
 国連児童基金(ユニセフ)のアンソニー・レーク事務局長は19日、「東欧と中央アジア地域ではエイズ感染の拡大テンポがアフリカより早まっている」と報告し、「エイズ感染者数は2006年以来、7倍化。ウクライナでは国民の1・5%がエイズに感染している。最大の犠牲者は子ともたちだ」という。
 ユニセフのHPでは「この地域で抗レトロウイルス薬治療を受ける必要がある人々のうち、治療を受けている人の割合は、わずか24%に過ぎない。エイズ問題には、麻薬注射の常習者などの問題もあり、強い偏見や差別が存在している」と指摘している。
 世界保健機関(WHO)エイズ対策局上級戦略アドバイサー、バル博士も「西欧でエイズの感染状況に大きな変化がない一方、東欧では急速に拡大してきた」と警告を発する。
 2008年現在で欧州では、120万人以上のエイズ感染者が存在する。08年10万人以上の新感染者が出たが、その内訳をみると、西欧で約2万人に留まっているが、東欧で約8万人が新たに感染している。その拡大テンポは速い。
 東欧諸国の中ではウクライナが最もエイズ感染者が多い。同国だけでも今日、150万人のエイズ感染者がいる、という統計すら発表されているほどだ。いずれにしても、東西の両欧州間でエイズ感染の拡大速度が異なってきたわけだ。
 感染のルーツをみると、欧州では感染者の50%以上が麻薬の注射針から感染しているという。

「あなたと私」が変らなければ

 来月26日、貧者の救済の為に生涯を歩んだカトリック教会修道女、マザー・テレサ(1910年〜97年)の生誕100年目を迎える。世界各地でさまざまな追悼イベントが開催されるだろう。
 マザー・テレサは1979年、修道会「神の愛の宣教者会」を創設して貧者救済に一生を捧げたとしてノーベル平和賞を受賞し、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いで2003年年10月19日に列福されている。
 当方は過去、この欄でテレサのことを何度か書いてきた。テレサ修道女が生前,書いた書簡が公表された時、「マザー・テレサの苦悩」(2007年8月28日)というタイトルのコラムを書き、読者から批判の声を頂いたこともあった。
 生誕100年祭を間近に控え、テレサが生前語った言葉をもう一度思い出してみたい。
 一つは、読者の皆様もご存知と思うが、「愛の反対は憎悪ではありません。無関心です」という言葉だ。初めてその言葉を聞いた時、感動すると共に、テレサは「無関心」のもつ冷酷さを誰よりも知っていたのだろう、と感じた次第だ。
 もう一つは、一人の記者がテレサに「教会で何が変らなければなりませんか」と聞いた時、「あなたと私がね」と答えたという。シンプルなやり取りだが、テレサの答えはことの核心を突いている。そして、今、わたしたちに最も必要な内容を含んでいると思うのだ。
 オバマ米大統領は「We can change」をモットーに大統領選を勝利した。米国民は8年間のブッシュ政権から変革を求めていたので、「チェンジ」は米有権者の心を動かしたわけだ。しかし、テレサの観点からいうならば、オバマ大統領のチェンジも決して十分ではないのだ。
 わたしたちは多くの場合、相手(個人、社会、政府、国家など)に「チェンジ」を求めるが、テレサは「あなたと私」が先ず変らなければならない、と優しく諭しているのだ。
 もちろん、「あなたと私」が変ったとしても、相手が変らないこともあるだろう。しかし、「あなたと私」が変れば、少なくとも相手はその変化に気付くはずだ。それはチェンジへの第一歩となる。
 いずれにしても、素晴らしい数多くの言葉を残してくれたマザー・テレサに感謝したい。それらの言葉一つ一つが人々に感動を与えるのは、テレサ自身がそれらを行動と実践を通じて勝ち取ってきたからだろう。
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