ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年06月

前法王の列福が遅れる諸事情

 イタリアのメディアによると、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の聖人化プロセスのテンポがスロー・ダウンしてきたという。その理由として、日刊紙ジョルナレは26日付で「ヨハネ・パウロ2世の列福に不可欠な奇跡の証が疑わしくなってきたからだ。そのため、来年4月の列福式が非現実的となってきた」と報じた。
 これまで奇跡の実例としてフランス修道女がヨハネ・パウロ2世の死の直後、パーキンソン病が直ったという報告が伝えられてきたが、修道女を検診した医者は「修道女がパーキンソン病だったという報告は疑わしい」と述べたのだ。
 現在はパリで看護師として働いている修道女は、2002年からパーキンソン病に苦しんできたが、05年4月にヨハネ・パウロ2世に祈ったところ病気が治ったと証言した。この奇跡の証はヨハネ・パウロ2世の列福で貴重な役割を果たすことになっていたのだ。
 後継法王のべネディクト16世は05年6月28日、前法王の列福調査開始を宣言した。通常、列福調査は本人の死後、5年が経過してから始まるが、「特例」だったわけだ。前法王は現在、「尊者・神の僕」の段階で、列福が前進するためには「奇跡の承認」が必要となるのだ。
 ヨハネ・パウロ2世の列福プロセス担当者は「修道女の報告を今後詳細に調査するか、さもなければ、別の奇跡の実例を探すことになる」という。
 同2世の列福プロセスがスロー・ダウンしてきたもう一つの理由は、ヨハネ・パウロ2世の27年間余りの在位時代(在位1978年〜2005年)、聖職者の未成年者への性的虐待問題が多発していることだ。すなわち、同2世は聖職者の未成年者への性的虐待を隠蔽してきた疑いが浮上しているのだ。
 当方はこのコラム欄で「ヨハン・パウロ2世の『問題』」(10年4月29日)を書いたが、聖職者の性的虐待問題の多くはアイルランド教会でもドイツ教会でも主に1980年、90年代に集中している。オーストリアのカトリック教会最高指導者グロア枢機卿が教え子に性的犯罪を犯した不祥事は1995年だった。すなわち、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世時代に生じているのだ。特に、修道会「キリスト軍団」創設者で、未成年者へ性的虐待を繰り返してきた疑いがもたれたメキシコ出身のマルシャル・マシエル・デゴラード神父との関係は深刻だ。同神父の性的虐待問題はバチカン側に報告されたが、ヨハネ・パウロ2世は当時、それを無視したという情報があるからだ。
 べネディクト16世が特例として開始を指令した前法王ヨハネ・パウロ2世の列福調査がバチカンにとって次第に“重荷”となってきたのだ。



【短信】 バチカン、非常駐大使をベトナム

 バチカン放送(独語電子版)によると、ローマ法王べネディクト16世はベトナムに非常駐のバチカン大使(法王大使)を派遣する。これは今月23日から2日間、ローマで開催された両国間交渉の最終コミュニケの中で明らかになった。べネディクト16世は「これは両国関係正常化への第一歩」と評価している。
 バチカンとベトナム両国は1975年以来、外交関係が途絶えてきた。

米国人がサッカー好きでない理由

 南アフリカで開催中のサッカー・ワールドカップ(W杯)の決勝トーナメント1回戦の2試合をTV観戦したが、両試合とも副審の誤審が試合の流れを大きく変えてしまった。
 第1試合のドイツ対英国の欧州強豪同士の試合は戦う前から「W杯の最大の好試合」と期待され、熾烈な戦いが予想されていたが、結果は4対1でドイツの圧勝に終わった。
 問題は2対1でドイツに先行されていた前半38分、英国のMFランバードがミドル・シュートをゴールに入れたが、ドイツのGKが素早くボールを取り、打ち返した。主審も副審もボールがゴールライン内に入っていないと思い、ゴールとは認めなかったのだ。TV観戦していると、明らかにボールはゴールラインの内側に入っていた。それも50センチ以上だ。結局、ランバードのゴールは「幻のゴール」となった。
 2試合目のアルゼンチン対メキシコ戦ではアルゼンチンのFWテベスが前半26分、FWメッシからのボールをゴールしたが、テベスは明らかにオフサイドだった。しかし、ゴールと見なされたのだ。メキシコの選手たちは副審に激しく抗議したが、ダメ。TVではこの場面のビデオが繰り返し流されたが、明らかにオフサイドだ。前半序盤は有利に展開していたメキシコ・チームの勢いはこの誤審で大きく乱れ、最終的には3対1でアルゼンチンに敗北した。
 両試合ともミス判定で試合の流れが大きく変った実例だ。ランバードの「幻のゴール」がゴールとなっていたら、前半は2対2で終わっていた可能性が濃い。そうなれば、後半はまったく異なった試合展開が予想される。メキシコの場合も同じだ。
 しかし、「主審も副審も人間だ。彼らが間違ってもそれを批判できない。批判すべきは国際サッカー連盟(FIFA)の幹部たちだ」という声がある。すなわち、数年前から、ビデオ導入や電子チップ入りボールの利用を要求する声があったが、FIFAは頑固にそれを拒否してきたからだ。理由は「サッカーの面白さであるエキサイティングがなくなるからだ」という。詭弁もいいところだ。
 米国人がサッカーをどうしても好きになれない理由は、判定が曖昧で人間のミスで試合が左右されるスポーツだからだ、といわれてきた。テニスのウィンブルトン選手権をみても、ビデオ判定が行われ、判定が間違っていたら、即修正される。何故、サッカーだけが、ビデオ判定を拒否するか。ビデオを導入してもサッカーの面白さが減少することはない。むしろ「幻のゴール」や「テベスのオフサイド」が繰り返されるようならば、サッカーはスポーツ競技としての公平さや面白さを失う事になる。
 判定のミスが誘因で選手やサッカー・ファンたちの暴動が起きる前に、FIFAはビデオ導入を真剣に考えるべき時だ。

人権裁判所、十字架問題を再審へ

 フランスのストラスブールにある欧州人権裁判所(EGMR)は今月30日、公共学校での十字架を違法とした判決を再審議する。イタリア政府の上訴に基づく。
 EGMRは昨年11月、フィンランド出身のイタリア人女性の訴えを支持し、彼女の息子が通う公共学校内で十字架をかけてはならないと言い渡し、イタリア政府に「道徳的損傷の賠償として女性に5000ユーロを支払うように」と命じた。裁判所判決文によると、学校の教室内で十字架をかけることは両親の養育権と子供の宗教の自由を蹂躪するという。換言すれば、学校内で十字架をかけることは「欧州人権憲章」(EMRK)とは一致せず、国家は公共学校では宗教中立の立場を維持しなければならないというわけだ。
 それに対し、イタリア側は「十字架はイタリア文化と直結しているものだ」と主張し、直ぐに控訴した。イタリア政府の主張に対し、これまで10カ国が支持表明を出し、EGMRに提出している。10カ国は、アルメニア、ブルガリア、キプロス、ギリシャ、リトアニア、マルタ、モナコ、サン・マリノ、ルーマニア、ロシアだ。
 再審は17人の裁判官が大審議場で行う。ここで判決が下されれば、もはや上訴できない。なお、結審は今年末頃と予想されている。
 欧州では現在、各地で十字架論争が起きている。例えば、独ノルトライン・ウェストファーレン州でデュッセルドルフ州裁判所のハイナーブレシング長官が「新しい州裁判所建物内ではもはや十字架をかけない」と決定したことを受け、公共建物内で十字架をかけるか否かで議論が起きている。ドイツでは1995年、独連邦裁判所が公共建物内の磔刑像(十字架)を違憲と判決している。
 ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁もストラスブールの十字架違法判決に強い抗議を表明している。バチカンのロンバルディ報道官は「欧州人権裁判所はイタリアの国内問題に干渉する権利はない。裁判所は欧州のアイデンティティ形成でキリスト教が果たした役割を完全に無視している」と不満を吐露。その上で、「十字架は全人類への神の愛、統合、友愛のシンボルだ」と説明している。

宗教改革者ルターの「オムツ替え」

 マルティン・ルター(1483〜1546年)は宗教改革者として有名だが、そのルターの妻、カトリーナ夫人については余り知られていない。2009年に出版された最新のルター伝記「マルティン・ルター」(Christian Feldmann 著)を読む機会があったが、そこではルター夫人、カトリーナさんのことが紹介されていた。
 聖アウグスチノ修道院の神父だったルターは42歳の時、修道女のカトリーナ・フォン・ボラ夫人(当時25歳)と結婚したことになっている。ルターは人間は善行によって義となるのではなく、信仰で義とされると主張(信仰義認)、教会や修道院生活ではなく、信仰を土台とした生活の重要性を指摘、修道士、修道女には修道院から出て結婚するようにと説得。同時に、多くの修道女の結婚を斡旋したが、最後まで相手が見つからなかった修道女カトリーナさんを哀れに思い、結婚したという(夫人の肖像画をみると、最後まで結婚相手がいなかった女性とは思えないほど、きりっとした知的な女性だ)。
 さて、カトリーナさんの本領は結婚してから発揮されていった。家の整理整頓はプロ級。独身時代、ルターは藁袋をベット代わりに利用していたが、カトリーナさんはベットを造り、部屋の中を片付けていった。また、料理はうまく、「宗教改革者は結婚後、太ってしまった」という。
 とにかく、カトリーナ夫人は働き者で、毎朝4時には起床して家事を始めた。だから、ルターは夫人を「明けの明星」(Morgenstern)という愛称で呼んでいたという。
 ルターとカトリーナ夫人との間には6人の子供が生まれたが、カトリーナさんが忙しい時はルターがオムツ替えをしたり、子供の世話をした。改革者ルターは単にキリスト教会の改革だけではなく、女性蔑視の風潮が強かった当時の家庭生活様式も改革し、現代の共稼ぎ夫婦のような生活を送っていたことになる。
 「ルターは教会の改革案『95か条の議題』を提示し、当時教会が抱えてきた問題点に質問状を突きつけ、欧州全土に大きな影響を与えた」ということを学校の世界史で学んできたが、ルターを支えてきたカトリーナ夫人の役割について何も言及がなかったのは配慮を欠いている。
 宗教改革者は哲学者ではないので、ソクラテスのような悪妻(クサンティッペ)は必要ではない。ルター夫人は厳しい試練に直面していた夫を最後まで支えた、賢明な女性だった。

「洋服」を「和服」にする努力

 作家・五木寛之氏とカトリック教会司教・森一弘氏との対話集「神の発見」(平凡社)によると、日本のカトリック教会は17世紀のオランダの神学者ヤンセンの影響を受け、その教えは真面目で厳格な信仰を形成していったという。すなわち、日本のローマ・カトリック教会が魅力の乏しい教会となったのはオランダ人神学者のヤンセ二ズム(厳格主義)の影響が残っているからだというわけだ。
 神学者コルネリウス・ヤンセン(1585年〜1638年)は人間の罪深さを強調する一方、人間の自由意思の弱さを主張し、厳格な信仰を要求してきた。ヤンセニズムはその著書「アウグスティヌス」の中で記述されている。特に、フランスに大きな影響を与えた。ちなみに、フランスの教会は当時、アジア宣教の責任を担っていたのだ。
 当方は日本を離れ30年になることもあって、日本のカトリック教会やその信者たちの実態を知らない。当方が小さい時、カトリック信者といえば、特定のエリートの信仰、意味は分らなかったが、ハイカラな信仰といったイメージを持っていただけだ。
 日本でキリスト教が広がらなかった主因について、当コラム欄でもいろいろと考えてきたが、日本のキリスト教宣教は、外国宣教師が日本民族の文化を無視し、厳格な信仰を一方的に押し付け、結局、反発されてきた歴史であったといえるかもしれない。
 キリスト教と好対照はインドから到来した仏教だろう。五木氏によると、仏教は、インド、中国を経由して独自の日本仏教を形成していった。それはインド仏教でも中国仏教でもない、「日本仏教」というわけだ。
 キリスト教の場合、日本独自のキリスト教はこれまでのところ生まれてこなかった。カトリック作家・遠藤周作が厳格で厳しい父性の神ではなく、許しと癒しをもたらす母性の神を追い求めていったことは良く知られている。それはヤンセン主義の強い信仰から脱皮し、日本人の肌に合ったカトリック信仰を模索したパイオニア的な試みだった、といえるだろう。カトリック劇作家の矢代静一は遠藤の試みを「少年のときに着せられた洋服(幼児洗礼)を自分の体に合った和服にする努力」と表現している。

スナイダー選手が洗礼を受けた

 19日の対オランダ戦後半、日本に痛い失点となったゴールを撃ったオランダ代表の姿を思い出すファンも多いだろう。当方も敬意と悔しさを感じながらヴェスレイ・スナイダー選手(Wesley Sneijder)を思い出す一人だ。
 あのスナイダー選手が先週、カトリック教会で洗礼を受けた。オランダのメディアが22日、報じ、バチカン放送(独語電子版)が23日、伝えた内容だ。
 バチカン放送は、今月9日で26歳となったオランダ代表のMFが洗礼を受けた背景を少し紹介している。それによると、同選手のガールフレンドが昨年、ローマで教会の洗礼を受けるように助言し、それを受け入れたという。それ以降、スナイダー選手は毎日祈るようになったという。
 スナイダー選手はイタリアの名門クラブ、インテル・ミラノのスーパー選手だ。当方は2年前、スイスとオーストリア両国共催のサッカー欧州選手権でスナイダー選手を初めて知った。同選手の凄さはパスワークの正確さ、シュート力だ。初めて見た時、こんな選手がいたのか、とビックリしたほどだ
 南アフリカ開催のワールドカップ(W杯)直前に行われた欧州クラブ・チャンピオン選手権で、ドイツのバイエルン・ミュンヘンと対戦した時も活躍した。W杯でも怪我で負傷したMFアリエン・ロッベン選手の不在を補って余りある選手だ。日本人ファンにとって残念だったのは、同選手がその実力を対日戦でも遺憾なく発揮してしまったことだ。あのシュートはGK川島のミスもあったが、防ぐのが難しい弾丸シュートだった。
 スナイダー選手が所属するインテル・ミラノは2009−10年シリーズでイタリア史上初の3冠(セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ)に輝いたばかりだ。ジョゼ・モウリーニョ監督の手腕もあったが、同選手の活躍がなければ達成できなかった偉業だ。
 あのスナイダー選手が洗礼を受け、毎日、祈るのだ。パワフルな選手として今後も活躍が期待される選手の一人だ。

独裁者フセインの亡霊

 「俺が亡くなれば、君たちは後悔するだろう」
 イラクの独裁者サダム・フセインは生前、国民に向かってこのように豪語したという。そのフセインの遺言を今、苦い思いで想起する国民が増えているという。
 国連でアラブ語訳担当のイラク人は「フセイン政権が崩壊してから今日まで約100万人の国民が犠牲となった。フセイン独裁政権が継続していたとすれば、その犠牲者数は何十分の一だったろう。停電はなく、電気も通話も正常だったはずだ」という。この嘆きは彼一人のものではない。多くのイラク人知識人の本音だという。
 「俺は外交官の発言や文書を訳してきた。フセイン時代のイラク外交官は世界でも最も優秀だった。多くは大学教授出身者だった。フセイン政権崩壊後、海外駐在のわが国の外交官を見ろ。彼らは路上から拾われた人間たちだ。正式の学歴も知識も有していない。彼らがわが国の外交を担当しているのだ。これがフセイン政権後のわが国の実情だ」という。
 「イラクでは議会選挙が3月実施されたが、選挙で敗北した政党は依然、政権の甘い汁を忘れることができないから政権維持に固守している。民主主義とはまったくかけ離れた世界だ。フセイン時代は独裁政治だったが、少なくとも秩序と安定はあった。今の政情はカオスだ」
 当方はイラク人知識人の嘆きと同じ様な呟きを聞いたことがある。旧ソ連・東欧諸国の国民からだ。国連常駐のロシア人記者は今も「旧ソ連時代は良かった」と口癖のようにいう。そしてソ連邦を解体させたゴルバチョフ氏を「ロシア民族の裏切り者」と罵倒する。その理由もイラク人のそれと大きく異ならない。
 両者の相違は、ロシア人記者の嘆きが1991年12月のソ連邦解体後から次第に飛び出し、イラク人知識人のそれはフセイン政権崩壊(2003年4月)直後から聞こえ出し、7年後の今日、暴発寸前までふくれ上がってきたことだ。
 共産主義の独裁政治から解放された直後、大多数のロシア人は自由を享受したはずだ。イラク人だって同じだろう。フセイン政権下で弾圧されてきた国民にとって、フセイン政権の崩壊は大きな解放感を与えたはずだ。しかし、時間の経過と共に、解放感や自由の喜びは日々の生活苦や困窮下で忘れられていく。
 独裁者フセインの亡霊が完全に消滅するまで、あとどれだけの時間が必要なのだろうか。

欧米で注目される北のIT技術

 欧米では目下、北朝鮮の情報技術(IT)合弁会社ノソテーク(Nosotek)のコンピューター・ゲーム用ソフトに熱い関心が寄せられている。本社は北朝鮮の平壌、社員数は35人。それに中国にも10人の社員が働いている。ノソテーク社はIT分野では北の最初の西側との合弁会社だ。
 同社はドイツ人のIT専門家、ヴォルカー・エロエサー社長によって2007年に創設された。同氏は05年から北朝鮮のビジネス・スクールでITに関連した講義をしてきた人物だ。
 IT専門サイトに「キズモード・ジャパン」によれば、同社は「Windows、Mac、Linuxに完全対応し、主要なプログラミング言語を扱える社員がそろい、各種のサーバー技術、携帯電話アプリケーション、3D、ソフトウェアの設計開発などを請け負っている」という。
 同社では西側企業と同様の労働条件とインターネットへのアクセスが保証されているため、北朝鮮の優秀な若者たちを惹きつけている。同社は北朝鮮国内の大学とも密接なコンタクトを維持し、優秀な人材育成にも努力している。
 そのノソテーク社に訪朝中の独連邦議会使節団が先月27日、視察している。同使節団は元法相のヘルタ・ドイブラー・グメリーン氏を団長に、社会民主党(SPD)連邦議会副院内総務のウリリヒ・ケルバー議員、独・コリア議会友好議員グループのヨハネス・プフルーク副議長氏らが含まれている。蒼々たる面々が顔を揃えている。
 ちなみに、北朝鮮のITの中心は「朝鮮コンピューターセンター(KCC)」だ。1990年10月24日に創立された同センターでさまざまなソフト分野の開発が進められている。少々大袈裟だが、北朝鮮を「第2のインド」と期待する声もあるほどだ。


 <会社の住所>
Nosotek JV Company
10F Changgwang Foreign Office Bldg
Central District
Pyongyang
DPR Korea (North)
info@nosotek.com

バチカンとベトナム、国交回復か

 バチカン法王庁筋が20日、明らかにしたところによると、バチカンとベトナム両国は23日からローマで両国の外交関係樹立問題について協議に入る。両国は過去3年間、政府レベルの作業グループを設立し、両国関係の正常化を話し合ってきたが、今回、両国の国交回復に合意する可能性が高いと見られる。バチカン筋では、「ローマ法王べネディクト16世の来年のベトナム訪問が現実味を帯びてきた」と期待している。
 両国関係は、ベトナムで1975年、共産政権が樹立して以来、途絶えてきたが、べネディクト16世が2007年1月25日、法王庁内でベトナムのグエン・タン・ズン首相と会談し、両国グエン・ミン・チェット国家主席が昨年12月11日、同様にバチカンを訪問し、同16世と会談するなど、ベトナムとバチカン両国間の首脳交流は急速に進展してきた。
 ちなみに、「アジアニュース」は先月、「バチカン市国とベトナムはももなく国交を樹立し、べネディクト16世が来年初めにもハノイを訪問する可能性がある」と報じた。その根拠として、ローマ法王が4月、ピエトロ・グエン・ヴァン・ノン(Pietro Nguyen Van Nhon)氏をハノイ大司教区のゴ・クアン・キエト(Ngo Quang Kiet)大司教の補佐に任命したことだという。
 ベトナムでは過去、キリスト教会の活動は厳しく制限され、聖職者への迫害は絶えなかったが、グエン・ミン・チェット国家主席が06年10月、ベトナム司教協議会メンバーと会談し、「共産党と政府は今後、国民の信仰、宗教の自由を尊重する」と確約するなど、政策を修正してきた。
 一方、バチカンはズン首相との首脳会談後、「ベトナム首相の訪問は両国関係の正常化への新しい重要な一歩である。ベトナムではカトリック教信者は信仰の自由を一層享受してきた」と評価し、関係正常化に意欲を示してきた。
 バチカンにとって、ベトナムはフィリピン、韓国と共にアジアのカトリック国(推定信者約600万人)であり、バチカンのアジア宣教にとって非常に重要な国だ。
 なお、両国間には過去、司教任命問題や聖職者数の制限問題などで対立してきた。最近では、カトリック信者たちがハノイの旧バチカン大使館の土地の返還を要求して集会を開催し、ベトナム当局側は「教会が自発的に返還した」として、信者達の要求を退けている。

高位聖職者の汚職容疑

 ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁は聖職者の未成年者への性的虐待問題が欧州各地の教会で発覚し、その対応に苦慮してきたが、今度はバチカン法王庁の要職にあった高位聖職者が不動産取引きで汚職に関与した容疑が浮上し、イタリア検察庁が調査に乗り出しているという。イタリアのミラノ日刊紙コリエレ・デラ・セラが20日付で報じた。悪い事は重なるものだ。
 汚職容疑を受けた高位聖職者はナポリ大司教のクレシェンツィオ・セペ枢機卿(Crescenzio Sepe)。同枢機卿がバチカン福音宣教省長官時代(2001年〜06年)の05年、ローマの不動産を市場価格より安価で売り、買い手から報酬を得た疑いが持たれている。容疑の詳細な内容は明らかにされていない。
 ちなみに、バチカン福音宣教省は、「東方教会省所管地域を除く全世界の福音化、および宣教への協力を指導、調整する。教皇庁宣教援助事業は、この省に属している」(カトリック中央協議会より)。福音宣教省長官はバチカン保有の不動産を管理し、海外事業や宣教資金を捻出する機関の責任者だ。
 福音宣教省局長、ロベルト・サラ大司教は「わが省は検察庁当局の調査に協力する。疑問を一つ一つ答えていく考えだ」と、ローマの日刊紙レププリカとのインタビューに答えている。
 なお、バチカン法王庁のロンバルディ報道官が「セペ枢機卿を良く知っている。同枢機卿への容疑は調査が進めば解明されると信じている。枢機卿は教会の為にこれまで多大の人力を尽くしてきた聖職者だ。尊敬と評価を受ける権利を有している」と弁明する一方、「セペ枢機卿はイタリア当局の調査に協力する旨を表明している」と述べた。
 バチカン放送(独語電子版)によると、ナポリ大司教のセペ枢機卿の前任者、ミへレ・ギオルダノ枢機卿もセペ枢機卿と同様、汚職容疑を受けたが、調査の結果、その潔白が証明されているという。
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