ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年05月

ウィーンで韓国人、北に抗議デモ

 オーストリアの応用美術博物館(MAK)前で29日午後2時(現地時間)、同国居住の韓国人らが北朝鮮による韓国哨戒艦「天安」爆破に抗議するデモ集会を開いた。海外在中の韓国人が「天安」爆破問題で北に抗議デモを開催したのは欧州では初めて。デモ集会は「オーストリアの韓国人会」(朴ジョンボム会長)の主催。
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 集会では「北の哨戒艦への魚雷攻撃に抗議する」という声明文が行きかう市民に配られ、「北側は韓国の領海に侵入し、わが哨戒艦に魚雷を発射して沈没させた。韓国国民は46人の同胞を犠牲にした北の蛮行を絶対許さない。北朝鮮の非道を全世界に知らせる。オーストリアを含む欧州諸国の連帯と支援を求める」とアピールした。
 集会後、「独裁者金正日打倒」「北側の軍事蛮行を許すな」などと書かれたプラカードを掲げ、国会までデモ行進した。主催者側の発表では約200人の韓国人やウィーン市民が参加した。
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 抗議デモがMAK前で開催された背景には、MAKで5月18日から9月5日まで北朝鮮の芸術品展示会が開催中だからだ。北の芸術展示会のMAK開催ではウィーン市民から「国民を蹂躙する独裁国家の芸術品をわざわざ展示する価値があるか」「国民の税金を使って北のプロパガンダを支援する必要があるか」といった批判の声がある。
 ウィーンでビジネスをしている1人の韓国人は「北朝鮮は46人の同胞を殺害した。許すことはできない」と批判し、「わが国は北側に強い決意をもって臨むべきだ」と述べた。
 なお、駐ブタペストの韓国大手日刊紙「朝鮮日報社」のオ・ヨンへ記者がウィーン入りして抗議デモを取材していた。同記者によると、「海外に住む韓国人の対北デモ集会は珍しい」という。

独旧教会の昨年度教会脱会者数

 独ローマ・カトリック教会の2009年度教会脱会者数は12万3585人で、前年度(12万1155人)比で微増した。
 同教会司教会議議長ロベルト・ツォリチィ大司教が同国27教区の脱会者数を合計した数字だ。昨年度の統計だから、聖職者の未成年者への性的虐待事件の影響はまだ反映していないが、「懸念すべき数」(ツォリチィ大司教)であることには変らない。
 また、昨年度の洗礼者数は約17万8000人(前年度18万5600人)だ。主に、新生児の洗礼数だ。その他、約4000人が教会に入会し、約8500人が再入会している。
 上記の数字からいえることは、新生児の洗礼数が教会脱会者数を上回っている限り、教会の勢力は急速に低下することはないということだ。実際、ローマ・カトリック教会の信者数は微増だが、増え続けている。世界で今日、11億人を超えるカトリック信者がいる。
 ここまでくると、「聖職者の未成年者への性的虐待問題で信者たちが教会から大量脱会したとしても、教会の土台は揺るがないのではないか」と質問されれば、信者数では「その通りだ」と答えざるを得ない。
 しかし、それは教会脱会者数と洗礼者数を同列に置いて計算することからくる錯覚だ。実際、ツォリチィ大司教は「洗礼者が多いということは、教会が生き生きしている証拠だ」と誇示している、
 前者と後者はその意味するところがまったく異なる。新生児の洗礼は、キリスト教会社会では一種の通過儀式だ。洗礼を受ければ、立派に信者に数えられる。問題は、教会脱会者数の増加であり、幼児洗礼者の数に騙されてはならない。少子化が急速に進む欧州では、幼児洗礼者も減少傾向にある。
 そのように考えれば、ドイツ教会の昨年度の実質的成果は新加入者と再加入者を合わせた数、1万2500人だ。教会脱会者数の12万3585人にははるかに及ばない数字だ。独教会司教会議が洗礼者の数を喜んでいたら粉飾財政で破綻したギリシャの二の舞となるだろう。独ローマ・カトリック教会は次第に溶け始めているのだ。

韓国進出の外国企業の反応を追え

 韓国の哨戒艦「天安」(1200トン級)が北朝鮮の魚雷によって爆破されたことが明らかになって以来、南北両国は準戦争状況下だ。相手の挑発があれば、「報復攻撃をする」と、双方が宣言している。
 朝鮮半島の緊張はこれが初めてではない。1955年の休戦条約が締結された後も、南北間は常に緊迫状況だった。これまで大きな軍事衝突がなかったこと事態が奇跡だ。
 ところで、戦争は経済発展にとっては最悪のシナリオだ。外国の企業や投資家は当然、紛争地域への投資を避けようとする。
 今回の南北間の緊迫状況は韓国経済にどのような影響を及ぼすだろうか。韓国の連合ニュースによると、韓国企画財政部は「北朝鮮リスクの実体経済への影響は制限的」と予測し、バンクオブアメリカ・メリルリンチも「南北間の緊迫は韓国経済に大きな影響はない」と楽観的に受け取っているという。
 ところで、大韓貿易投資振興公社(KOTRA)は現在、「南北間の衝突の経済的影響」について独自に現地調査を進めている。
 調査では、センセーショナルな報道が先行しやすい現地メディアの論調を総括するのではなく、ソウルに投資している現地企業関係者の生の声を集めることだという。
 そこで知人のウィーンのKOTRA関係者に電話で調査結果を聞くと、「これまでのところ全般的に冷静だ。状況を注視しているところだろう」という。企業側がパニックになり、ソウル市場から撤退するといった声はまったくなかったという。
 「韓国市場に進出している外国企業は既にさまざまな体験を持っている。彼らは今回の政治情勢も過去のそれと同様、大きな衝突はないだろうと受け取っている」と説明。一方、「これからソウルに進出を検討している潜在的な顧客の中には不安の声があることは事実だ」という。
 ソウルから流れてくる情報によると、偶発的衝突の危険性が高まってきている。今回の事態も北朝鮮から仕掛けられたものだ。北朝鮮国内の事情が不透明だけに、平壌の意図が読めない。例えば、欧州気鋭の北朝鮮問題専門家、ウィーン大学東アジア研究所のルーディガー・フランク教授はオーストリアの経済新聞とのインタビューの中で南北間の戦争勃発の危険性を予測しているほどだ。
 いずれにしても、同民族間で再び血を流し合うような事態が発生しないことを切に願う。

「国王」と「祭司長」が堕ちる日

 旧約聖書の中には、国王が堕落し、それを支えるべき祭司長(宗教指導者)が神の教えから遠ざかった場合、その国は敵国に侵略されて消滅していった、といった話が記述されている。
 政治を司る国王と神の教えを述べる祭司長が躓いた国は国家を維持できなくなる。換言すれば、「政治」と「宗教」の責任者がその使命をまっとう出来なかった場合、国を失うというわけだ。
 なぜそんなことを書くか、といわれれば、欧州の現状を見ていると、国王と祭司長の話を思い出してしまったのだ。
 欧州はキリスト教社会だ。そのキリスト教会は現在、ローマ・カトリック教会が聖職者の未成年者への性的虐待問題でその権威を失い、新教会は同性愛者の聖職者叙階など、本来の教えから逸脱してきた。すなわち、欧州の精神的バックボーンともいうべきキリスト教会がその使命をまっとうしていないのだ。
 昨年末から今年に入って、欧州各地で聖職者の性犯罪が発覚した直後、ギリシャの財政危機が浮上した。虚飾財政を繰り返してきたギリシャの財政運営は行きつまり、破産の危機に陥った。他の欧州諸国はユーロの安定を死守するためにギリシャ支援に乗り出したが、その成果は未定だ。財政危機がスペインやポルトガルに波及するのではないか、といったシナリオすら囁かれ出してきた。欧州の盟主ドイツでは「どうしてギリシャの放漫財政を支援しなければならないのか」といった不満の声が聞こえる、といった具合だ。
 欧州では今、聖職者の性的犯罪問題とユーロ諸国の財政危機が同時進行している。決して偶然ではないだろう。国家運営の基盤となる財政と国民の精神的支柱であるべきキリスト教会が同時期に危機に陥っているのだ。
 欧州で近年、国王と祭司長が同時期、倒れた国があった。1995年直後のオーストリアだ。同国の精神的支柱ローマ・カトリック教会の最高指導者グロア枢機卿が教え子に性的虐待を行っていたことが判明、国民に大ショックを与えた。同じ時期、同国の大統領だったクレスティル氏は久しく連れ添ってきた夫人と離婚し、密かに関係があった愛人と再婚した。「家庭の価値」を提唱して選出された国家元首はその後、「家庭の価値」については語らなくなった。国王も祭司長も同時に倒れた瞬間だ。
 その後、同国で極右政党が参加した連立政権が誕生。それに反発した欧州連合(EU)や国際社会から制裁を受け、同国は一時、孤立したことはまだ記憶に新しい。
 無い物ねだりの感もするが、ユーロが危機に直面し、欧州の国民が失業の不安や生活の困窮にある時、キリスト教会指導者が国民を鼓舞し、連帯を呼びかけることができれば、どれだけ国民の重荷は軽くなるだろうか。しかし、現実はキリスト教会自身が存続の危機にあり、国民からも見捨てられている状況だ。
 “癒し手”のない欧州の財政危機は予想以上に深刻なのだ。

しつこいがもう一度、考える

 ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁があるイタリアで過去10年間、約100件の聖職者による未成年者への性的虐待が起きた。これはイタリアのローマ・カトリック教会司教会議事務局のマリアノ・クロツィアタ司教が25日、公表した数字だ。
 この数字をどのように受け取るかは、立場によって異なるかもしれない。1年間に平均10件の計算になる。これは多いのか、少ないのか、という判断は統計学者に委ねるとして、10年間で100件の性的虐待は「悲しくなるほどの数」だ。
 それもローマ法王が拠点を置くイタリア教会で発生しているのだ。ローマ法王は同時にローマ教区の責任者だ。
 隣国オーストリアでも独立調査委員会が発表した聖職者の性的虐待件数は、判明しただけで174件だった。同国では欧州カトリック教会を震撼させたグロア枢機卿の教え子への性的虐待事件(1995年)が発覚した教会だ。当時、教会責任者はショックを受けると共に、悔い改めて再出発したはずだ。それがその後も聖職者の未成年者への性的虐待が起きているのだ。
 オーストリア教会最高指導者シェーンボルン枢機卿が今年、聖職者の未成年者への性的虐待が明らかになった直後、「教会の刷新」を宣言して、教会の再出発を誓ったばかりだが、その内容をどうしてそのまま鵜呑みできるだろうか。
 悲観的にいえば、教会が何度、讒言し、悔い改め、再出発を決意したとしても、聖職者の性的犯罪は繰り返されるのだ。
 ここまで考えていくと、結論は見えてくる。カトリック教会は自身の聖職者の性犯罪を制止できないのだ。身内の犯罪を阻止できないカトリック教会がどうして信者たちに「悔い改めなければならない」と説教できるのか。
 「われわれは出来ないが、愛の神がわれわれの罪を贖って下さる」という説教者の声が聞こえてくる。全ての責任を神側に押しやり、自身は罪の中に溺れているわけだ。そして教会はサロン化していく。
 カトリック教会は認めるべきだ。十字架信仰では罪はもはや清算できないのだ。

教会内施設でホモ・ネットワーク

 オーストリアのローマ・カトリック教会サクト・ぺルテン教区のクラウス・キュンク司教は独カトリック系日刊紙ダーゲスポスト紙(22日付)とのインタビューの中で「神学セミナーや教会聖職者の一部に同性愛的(ホモセクシュアル)な雰囲気を感じることがある。彼らは特定な人物に強い関心を示す」と述べた上で、神学セミナーや修道院で同性愛者のネットワークが存在すると指摘。「彼らが教会や修道院で拡大、増殖していった場合、教会や修道院の存続が危機に陥る。セミナーや修道院を閉鎖して、新しく出発する以外に解決の道がない」と語った。カトリック教会高位聖職者が教会関連施設内に「ホモ・ネットワーク」の存在を認めたのは初めてだ。
 参考までに付け加えるならば、世界の平和実現に努力する国連内にも「ホモ・ネットワーク」が存在する。ウィーン国連の同性愛者サークルは大きな影響力を持っている(2009年1月8日「国連内の同性愛とポルノ」というタイトルで当ブログで紹介済み)。国連や教会関連施設という外部では“聖域”と見なされている場所や機関内で「ホモ・ネットワーク」が増殖してきているわけだ。
 キュンク司教は聖職者の独身制については、「意識して結婚と家庭を断念する」ことの意義を主張し、「独身制の廃止」を支持表明したオーストリア教会アイゼンシュタット教区パウル・イビ司教とは立場が異なる。独身制問題では司教間で意見が分かれているわけだ。キュンク司教はまた、「同性愛とペドフィリア(少年、児童性愛)とは直接な関係はない」という立場だ。
 なお、オーストリア教会の要請を受けて設置されたクラスニック元シュタイアーマルク州知事が主導する「聖職者による性的虐待の犠牲者保護委員会」が21日、明らかにしたところによると、聖職者による性的虐待の犠牲者件数はこれまでのところ174件だ。今夏までに第1次調査報告書をまとめる予定という。

バチカンの「言論の自由」弾圧

 当方は「バチカン法王庁内で“異変”!」(5月12日)というタイトルのコラムを書いたばかりだ。オーストリア・ローマ・カトリック教会最高指導者クリストフ・シェーンボルン枢機卿が「ハンス・グロア枢機卿(Hans Groer )が教え子に性的虐待を犯したことが発覚した時、当時教理省長官だったべネディクト16世は調査委員会を設置して徹底的に究明する意向だったが、当時の国務省長官だったアンジェロ・ソダノ国務長官(現枢機卿会議議長)がそれをストップさせた」と、バチカン内の当時の事情を暴露したという話だ。
 この話はオーストリアのカトリック通信(カトプレス)が先月下旬に報じたが、その数日後、イタリアのメディアがその記事を掲載したため、大きな話題を呼んだ。
 シェーンボルン枢機卿の暴露発言はオーストリアのジャーナリストたちとの一種のオフレコの中で語られた内容だった。そのため、発言内容がイタリア・メディアに流れるまで少々、時間があったわけだ。
 ところで、同記事に関連して面白い話を後日、聞いた。バチカン法王庁がシェーンボルン枢機卿の発言を知ってビックリ、その対応に大慌てとなったという。「同胞の枢機卿を批判することは余り良くない」(前列聖長官、ホセ・サライバ・マルチンス枢機卿)といった批判の声は当方もコラムの中で紹介したが、それだけではなかったのだ。
 バチカンは「枢機卿の発言内容を報じたカトプレスの記事を抹消するように」とカトプレス編集局に圧力をかけたのだ。親元バチカンから圧力を受けたカトプレスはシェーンボルン枢機卿の爆弾発言記事を消滅したのだ。当方が記事内容を再読するためにサーチしたが、見つからなかったのは当たり前だ。既に消滅した後だったのだ。
 ローマ法王べネディクト16世は2007年6月末、中国のカトリック信者への書簡を公表した。そこで中国共産党独裁政権下で弾圧を受けている地下教会の聖職者、信者たちを鼓舞する一方、北京政権に対しては「信仰の自由」の保証、特に、バチカンの聖職者任命権の尊重を要求した。その書簡内容をインターネットを通じて中国の信者たちが読めるようにしたが、中国共産党当局は法王の「中国キリスト者への書簡」をインターネット上から追放したのだ。中国共産党政権の検閲、「言論の自由」の弾圧は日常茶飯事で珍しくはない。最近では、グーグルとの対立を思い出せば、分かるだろう。
 一方、バチカンはこれまで「信仰の自由」ばかりか「言論の自由」も支持してきた、と思っていた。そのバチカンが身内のカトリック通信社の記事とはいえ、「都合が悪い」といってそれを抹殺したのだ。それだけシェーンボルン枢機卿の発言がバチカン内の事情を正確に反映してしたからだろうが、明らかに「言論の自由」の蹂躙だ。

ベートーヴェンとオーストリア人

 楽聖ベートーヴェン生誕240周年を記念して生誕の地、ドイツのボンを中心に欧州各地で記念コンサートや関連行事が開かれているが、ベートーヴェンが通算35年間を過ごしたオーストリアでも240周年記念行事が今月24日から7月31日まで音楽の都ウィーン市やニーダーエストライヒ州などで開催される。
 オーストリア生まれのモーツアルトやシューベルトの場合、生誕記念行事の開催に問題はないが、一応ドイツ人のベートーヴェンの場合、オーストリア側が率先して大々的に記念行事を開くことに躊躇してしまう。気が引けるのだ。
 ウィーンの「ベートーヴェン・センター」が先日、240周年記念行事を紹介する記者会見を開いたが、その際、「ベートーヴェンは1787年、17歳の時に初めてウィーンを訪れ、1792年に再訪し、亡くなる1827年までウィーンに留まっていた。だから、35年間、オーストリアに住んでいた計算になる。もはや心情的には、ベートーヴェンはオーストリア人だ(Herzensoesterreicher)」とわざわざ説明している。こんな説明を聞いていると、「オーストリア側はベートーヴェンの生誕祭を祝うことに少し気兼ねしているな」と直ぐに分かるわけだ。これは典型的なオーストリア人気質だ。
 ベートーヴェン研究家によれば、ウィーン市内だけでもベートーヴェン縁(ゆかり)の地は36カ所もある。ベートーヴェンは引越し魔として有名だ。ベートーヴェンの気質や隣人との付き合い方にも問題があったことは間違いないが、30年余り、ウィーンに住んでいる当方の目からみると、ベートーヴェンの引越しは彼の性格だけが原因ではなく、オーストリア側にも責任があるように感じる。オーストリア人、特に、ウィーン市民の気質と密接に関係があるはずだ。
 オーストリア人は外面を非常に気にする一方、外国人に対しては一定の距離を置く。会って直ぐに打ち解けることなどできない民族だ。だから、米国人から見たら「冷たい」といった印象を与えるらしい。
 「ヒトラーはドイツ人、ベートーヴェンはオーストリア人」と、ウィーンっ子は冗談半分でいう。確かに、ヒトラーの生誕ハウスがあと数百メートル北に位置していたら、そこは独バイエルン州だ。すなわち、立派なドイツ領土だ。だから、「ヒトラーは限りなくドイツ人に近い」といっても大きな間違いではない。一方、ベートーヴェンは生まれはボンだが、その生涯の大部分をウィーンで過ごし、数多くの交響曲を作曲し、そこで死んだ。オーストリア人といって文句は出ないはずだ……、といった思考がどうしても働くわけだ。
 それにもかかわらず、ベートーヴェン生誕祭を祝う場合、少し気が引ける。これがオーストリア人だ。外からの批判など無視して堂々と生誕祭を祝えばいいのだが、オーストリア人はそれほど厚顔無恥でも非文化的な民族でもないのだ。ちなみに、ベートーヴェン研究家としても有名なロマン・ロランはその著書「ベートーヴェンの生涯」の中で、「ウィーンは軽佻な街だ」と評している。


【短信】「トリノの聖骸布」展示会が閉幕

 オーストリアのカトリック通信が23日、報じたところによると、トリノの大聖堂で開催されていた「トリノの聖骸布」展示会は同日、閉幕する。210万人以上の訪問者があったという。
 2000年前のイエス・キリストの遺骸を包んでいた布といわれる「聖骸布」の展示会は先月10日から今月23日まで、イタリア北部のトリノ市で開かれてきた。10年ぶりの聖骸布展示会ということもあって、イタリア各地からキリスト者が大聖堂を訪れたという。約13万人はフランスやドイツなど隣国からの巡礼者だ。ローマ・カトリック教会のローマ法王べネディクト16世も5月2日、トリノの聖骸布展示会を訪ね、その前で祈りを捧げている。
 通称「トリノの聖骸布」と呼ばれる布は縦4メートル・35センチ、横1・1メートルのリンネルだ。その布の真偽についてはこれまでさまざな情報があり、多種多様の科学的調査も行われてきた。現時点では、「その布が十字架で亡くなったイエスの遺体を包んだもの」と100%断言はできない。1988年に実施された放射性炭素年代測定では、「トリノの聖骸布」の製造時期は1260年から1390年の間という結果が出ている。

並大抵でない「理想的聖職者」の道

 ローマ・カトリック教会バチカン法王庁福音宣教省長官イヴァン・ディアス枢機卿は先日、「3次元的な神父、宣教師が求められる」と語った。同枢機卿が表現した「3次元的(立体的)」という言葉の意味が良く分らないが、多分、「教え、規律、そして敬虔の徳を重視する聖職者」という意味が含まれているのだろう。
 明確な点は、ディアス枢機卿が「3次元的な聖職者像」を思いつきから発言したわけではないということだ。今年が「神父(司祭)の年」であること、そして、聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚し、聖職者のイメージが悪化している事を考えた上での表現だろう。
 ディアス枢機卿は「礼拝やサクラメントの時、聖人的な雰囲気を発信し、信者たちを救い主イエス・キリストと一体化させなければならない」と強調した上で、「全ての神父、キリスト者はDNAの中に宣教魂が刻み込まれていなければならない」と述べている。
 ところで、デイアス枢機卿は3次元の条件を満たした聖職者の実例として、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(1801−1890年)の名を挙げている。ローマ法王べネディクト16世が9月の訪英の際、列福予定の聖職者だ。
 そこでニューマン枢機卿について少し紹介する。同枢機卿は英国国教会の聖職者だったが、44歳の時、ローマ・カトリック教会に改宗した聖職者だ。英国国教会のカトリック教会復帰を促進する「オックスフォード運動」の中心人物だった。ニューマン枢機卿は1879年、レオ13世から枢機卿に任命されている。
 デイアス枢機卿が提唱した「3次元的な聖職者」に一致するかどうかは分らないが、ニューマン枢機卿は19世紀の英国教会を代表する聖職者として知られてきた。
 ちなみに、列福されるためには、殉教したか、その聖職者が関与した超自然現象(奇跡)が実証されなければならない。バチカンによると、これまで一件、病人が同枢機卿の名前で痛みがなくなったという奇跡が報告されているという。それに対し、批判精神が旺盛な英国メディアは早速、「それは自然の治癒現象であって、奇跡ではない」といった記事を流している。いずれにしても、「3次元の条件を満たした理想的な聖職者」となる道は並大抵ではない。

ハンガリー版「日曜日を守れ」

 ハンガリーで先月実施された議会選挙の結果、フィデス・ハンガリー市民同盟が第一党に復帰し、キリスト教民主国民党(KDNP)との中道右派政権が発足した。金融危機で財政が厳しい折、どのような舵取りをするか、注目される。
 ところで、オーストリア代表紙プレッセによると、新政権は早速、日曜日の営業を禁止する議案を提出する意向という。
 オルバン政権に参加しているKDNPの国会議員は「この秋に議会で協議する方向で準備してる。社会党政権時代、多国籍の大企業からの圧力もあって日曜日の営業が許可されたが、日曜日は本来、国民が一週間の疲れを取る休日だ。休日のない生活は癒しのない人生だ」と説明、日曜日の重要性を主張している。ハンガリー版「日曜日を守れ」といったところだろう。
 欧州各地でみられる「日曜日を守れ」キャンペーンの先頭に立っているのは通常、ローマ・カトリック教会と労組関係者だ。「日曜日に働けば病気になる危険率が高まる」といった警告も飛び出してきた。発信元はカトリック教会系の「フリーな日曜日のための同盟」だ。それによると、「定期的に休息することが健康維持には欠かせられない」と指摘している。
 創世記によれば、神は全てを創造された後、7日目を聖なる日として休まれた。そこから、キリスト教では日曜日は聖日として休日に定められている(イスラム教では金曜日、ユダヤ教は土曜日が休日)。
 キリスト教社会の欧州では、これまで日曜日の営業は禁止されてきたが、「日曜日も店を開きたい」という経済界の要望が次第に高まってきた。日曜日の営業が一部、認められているところもある。
 1週間7日間、24時間営業が普通の日本や米国の国民から見た場合、「どうして日曜日に店を閉めるのか」と首を傾げるかもしれない。
 KDNPは昨年、日曜日の営業禁止を再導入するため労働法・商法の改正案を提出したが、同案は議会の多数を握っていた社会党前中道左派政権によって葬られた経緯がある。
 ハンガリー商工企業従業員組合(KASZ)のサーリンク会長は「日曜日の労働は職員の家族を崩壊させるだけではなく、職員の健康にも良くない」と指摘、KDNPの案を支持している。
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