ローマ・カトリック教会で聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、教会内外で「聖職者の強制独身制が不祥事の原因となっている」といった声が頻繁に聞かれる。バチカン法王庁はその度、「聖職者の性犯罪問題とその独身制とは関係がない」と反論してきた。
ところが、ここにきてバチカン関係者から新しい風が吹いてきたのだ。改革をもたらす旋風となるか、一時的な突風に過ぎないのか、後日、判明するだろう。
バチカンのタルチジオ・ベルトーネ国務省長官はスペインのTVとのインタビューの中で「聖職者の独身制は有意義であり、実り豊かな教会の伝統だ」と独身制を評価する一方、「独身制も決してタブー・テーマではない」と述べ、独身制の再考の余地を示唆している。そしてラッツィンガー教理省長官の後継者、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ教理省長官も米国のテレビとの会見の中で聖職者の性的虐待問題に言及し、「原因は社会の大きな変化だ。それに対し、教会も聖職者も十分、準備がなかった。例えば、性の革命時代にどのように独身を維持していくか、といった問題を考えてこなかった」と述べている。
ベルトーネ国務省長官もレヴェイダ教理省長官もバチカン法王庁の高位聖職者だ。彼らが「独身制の再考」を示唆する発言をメデイアに向けて発したということは非常に興味深いことだ。
バチカンが聖職者の独身制を再考する兆候はその前にも見られた。べネディクト16世の弟子の1人、オーストリア教会最高指導者、シェーンボルン枢機卿は「聖職者の性犯罪とその独身制はまったく無関係だ」と主張していたが、聖職者の性犯罪が拡大してきた今日、「(問題の解決のためには)独身制も議題の一つに含まれる」と、その見解を修正してきたのだ。
バチカンはこれまで聖職者の独身制堅持の姿勢を貫いてきた。エクソシストとして世界的に有名な聖職者エマニュエル・ミリンゴ大司教が2001年、世界基督教統一神霊協会(通称、統一教会)の祝福式に出席し、韓国人女性と結婚した時、バチカンは大きな衝撃を受けた。
ベネディクト16世はその直後(06年11月)、幹部会会議を緊急招集し、「聖職者の独身制」の堅持を再確認する一方、07年3月13日には世界のカトリック信者に向けて「愛のサクラメント」と呼ばれる法王文書を公表し、その中で「神父に叙階された聖職者はキリストと完全に同じでなければならない。独身制は言い表せないほどの価値ある財産だ」と主張、独身制を弁護している。
ただし、「イエスがそうであったように」、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えるという神学的な意味は依然、非常に薄弱だ。「教理の番人」(教理省長官)を久しく務めたべネディクト16世自身も「聖職者の独身制は教理ではない」と認めている。
キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあった、といわれる。
なお、ローマ・カトリック教会の神父が結婚などを理由に聖職を断念した数は1964年から2004年の40年間で約7万人と推定されている。
ところが、ここにきてバチカン関係者から新しい風が吹いてきたのだ。改革をもたらす旋風となるか、一時的な突風に過ぎないのか、後日、判明するだろう。
バチカンのタルチジオ・ベルトーネ国務省長官はスペインのTVとのインタビューの中で「聖職者の独身制は有意義であり、実り豊かな教会の伝統だ」と独身制を評価する一方、「独身制も決してタブー・テーマではない」と述べ、独身制の再考の余地を示唆している。そしてラッツィンガー教理省長官の後継者、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ教理省長官も米国のテレビとの会見の中で聖職者の性的虐待問題に言及し、「原因は社会の大きな変化だ。それに対し、教会も聖職者も十分、準備がなかった。例えば、性の革命時代にどのように独身を維持していくか、といった問題を考えてこなかった」と述べている。
ベルトーネ国務省長官もレヴェイダ教理省長官もバチカン法王庁の高位聖職者だ。彼らが「独身制の再考」を示唆する発言をメデイアに向けて発したということは非常に興味深いことだ。
バチカンが聖職者の独身制を再考する兆候はその前にも見られた。べネディクト16世の弟子の1人、オーストリア教会最高指導者、シェーンボルン枢機卿は「聖職者の性犯罪とその独身制はまったく無関係だ」と主張していたが、聖職者の性犯罪が拡大してきた今日、「(問題の解決のためには)独身制も議題の一つに含まれる」と、その見解を修正してきたのだ。
バチカンはこれまで聖職者の独身制堅持の姿勢を貫いてきた。エクソシストとして世界的に有名な聖職者エマニュエル・ミリンゴ大司教が2001年、世界基督教統一神霊協会(通称、統一教会)の祝福式に出席し、韓国人女性と結婚した時、バチカンは大きな衝撃を受けた。
ベネディクト16世はその直後(06年11月)、幹部会会議を緊急招集し、「聖職者の独身制」の堅持を再確認する一方、07年3月13日には世界のカトリック信者に向けて「愛のサクラメント」と呼ばれる法王文書を公表し、その中で「神父に叙階された聖職者はキリストと完全に同じでなければならない。独身制は言い表せないほどの価値ある財産だ」と主張、独身制を弁護している。
ただし、「イエスがそうであったように」、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えるという神学的な意味は依然、非常に薄弱だ。「教理の番人」(教理省長官)を久しく務めたべネディクト16世自身も「聖職者の独身制は教理ではない」と認めている。
キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあった、といわれる。
なお、ローマ・カトリック教会の神父が結婚などを理由に聖職を断念した数は1964年から2004年の40年間で約7万人と推定されている。