ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年01月

亡命イラン人映画製作者の「主張」

 バチカン放送(独語電子版)は今月15日、「覚醒したイラン人たち」というタイトルで独ベルリン居住の亡命イラン人映画製作者、アヤト・ナジャフィ氏(Ayat Najafi)の見解を掲載している。以下、その要点を紹介する。
 イランでは現在、青年、学生、女性たちが自由と民主化を要求して路上デモを繰り返している。ナジャフィ氏は「国民は覚醒した。国民は人権や民主主義について多くのことを知っている。自分がまだイランに住んでいた時、国民は政治や人権などを語る熱意もなく、もっぱら個人生活の改善に専心してきたが、今日、人権や民主主義といった基本権利の獲得に心を砕き始めた」と証言した。
 同氏はインターネットを通じ、母国の民主化の促進を進めているが、「自分の人生で最も困難な時を過ごしている。多くの友人、知人が治安当局に逮捕され刑務所に送られている」という。
 イランは目下、「急激な改革」か「完全な独裁政治」の選択を問われているという。中途半端な選択肢ではない。
 イラン国民の70%は30歳以下だ。そのため、政権側は学生運動の拠点の大学を監視対象にしている。テヘラン大学教授で科学者のマスード・モハマディ氏が今月12日、遠隔操作による爆弾テロで殺害される事件が発生したが、同事件もその流れから理解すべきだという。
 政府側は事件後、「外国のテロリストの犠牲となった」と表明したが、実際は政府側の仕業だ。大学教授は核物理学者ではなく、核分野とはまったく関係のない学者だ。しかし、政府側は核物理学者だと虚言し、「米国とイスラエルの仕業」と堂々と主張している。
 ナジャフィ氏によると、「教授は昨年6月の大統領選では野党候補のミルホセイン・ムサビ氏(元首相)を支持し、大統領選後の抗議デモにも参加した。それゆえに、殺害されたのだ」という。また、「他の大学教授たちが先日、最高指導者のハメネイ師宛てに書簡を送り、『どうして大学を監視するのか』と抗議した。そこで政府はモハマデイ氏を殺害することで、他の教授たちを威嚇した」と分析する。
 同氏は最後に、「イラン当局への制裁は必要だが、核開発計画への制裁ではなく、人権蹂躙に対する制裁だ」と述べ、「国連はイランに人権監視団を派遣すべきだ」と提案している。

金総書記の68歳祝賀準委会発足

 北朝鮮の金正日労働党総書記は来月16日、68歳の誕生日を迎える。それに先立ち、世界の親北友好協会で誕生祝賀準備委員会が発足されている。
 北朝鮮国営の朝鮮中央通信社(KCNA)によると、中国の漢民族総協会は昨年12月29日、「金総書記誕生祝賀準備委員会」を他に先駆けて発足させ、祝賀会、書籍写真展示会、フィルム・芸術祭などの記念行事の開催を決定している。
 欧州ではスイス・コリア友好協会が1月10日、バーゼルで祝賀準備委員会を設立し、1月10日から2月17日までを祝賀期間とし、さまざまな記念行事を計画している、といった具合だ。
 金総書記は2008年8月頃、脳卒中に倒れ、その健康が懸念されたが、昨年は工場、協同農場など約200カ所の現地視察をこなすなど、健康回復を内外に誇示した。今年も、養豚工場を視察したり、KCNAが17日報じたところによると、陸海空3軍の合同演習を視察するなど、活発な動きを見せている。ウィーンの北外交官も「金総書記は健康だ。問題はない」と強調する。
 当方が住むオーストリアでは昨年2月12日、ウィーンの北朝鮮大使館で金正日労働党総書記67歳の誕生祝賀会が開催されたが、同大使館前の写真掲示板には、「金総書記、革命の継続者の若者たちに期待」という説明付の写真が展示されていた。
 金総書記の誕生祝賀会用の写真は過去、同総書記の功績称賛がそのテーマだった。それが昨年、「革命の継続者の若者たち」に焦点が置かれていたのだ。そのことから、「金総書記の後継者発表の布石か」といった憶測が流れたほどだ。
 駐オーストリアの北大使館の写真展は1月現在、同国の各分野の一流スポーツ選手を紹介している。金総書記の祝賀会が近づけば、新しい写真が展示されるものと思われる。
 ちなみに、海外の北大使館の写真展示は、1970年代の中国の壁新聞のような面がある。展示された写真を通じて閉鎖された北朝鮮の内部事情が漏れてくることがあるからだ。
 北大使館で今年はどのような写真が飾られるか、今から注目される所以だ。

大統領批判はタブー

 海外居住のエジプト出身コプト派正教グループの記者会見については書いたばかりだ。ここでは海外に住むエジプト人のタブーについて紹介する。
 コプト派正教徒は記者会見で、7人のコプト派正教信者たちが殺害され、多数が重軽傷を負ったナグハマディ射殺事件の責任を追及し、イスラム過激派グループと治安担当関係者を批判したが、ムバラク大統領への批判は最後まで聞かれなかった。
 コプト派正教代表の1人は「大統領は事件の詳細な情報を入手していないのだろう」と、批判の先が大統領に及ぶのを意図的に回避したほどだ。
 1人の記者が「事件の全容解明を要求しながら、大統領の責任を追及する声がない。コプト派正教徒への射撃事件の最終責任者は大統領だ。大統領に事件の釈明を求めて当然ではないか」と問い質した。
 すると、コプト派正教徒代表の1人は「あなたの質問に感謝する」と述べたが、他の代表の立場を配慮してか、それ以上語らなかった。他の代表たちは沈黙し続けた。
 海外に住むエジプト人は治安関係者や政府を批判するが、長期政権に君臨するムバラク大統領を公の場で批判することを避ける。なぜならば、大統領を批判した場合、さまざまな制裁が待っているからだ。
 例えば、海外居住のコプト派正教グループの中にも治安要員が潜んでいる。信者の1人が記者会見で大統領を批判したならば、カイロの治安当局に即、通報されるだろう。そのエジプト人が休暇で母国に戻った場合、治安当局によって、拘束される危険性が出てくるのだ。すなわち、大統領を公の場で批判した場合、帰国できなくなるのだ。
 当方も母国に戻れないエジプト人を知っている。彼は大学生時代、反政府デモに関与し、大統領を批判したため、それ以後、2度と母国の土を踏めなくなったケースだ。
 母国に父母や親戚がいる多くの海外居住エジプト人にとって、帰国できないことは厳しい制裁を意味する。だから、彼らは自然と公の場では大統領を批判することを控えるようになるのだ。これは海外に住むエジプト人の偽りのない現実だ。

信者の教会脱会が急増

 オーストリアのローマ・カトリック教会で昨年度、5万3216人の信者が教会から脱会した。前年度比(4万0654人)で約30・9%の急増だ。オーストリアのカトリック信者数は約553万人。教会の新規信者数は4650人だった。
 アルプスの小国オーストリアのカトリック信者数は2008年、全人口の約67%。1951年ではその割合はまだ約89%だった。
 信者の脱会が昨年、急増した背景として、リンツ教区のワーグナー神父の「天罰発言」の影響が挙げられている(参照「『羊飼い』と『羊たち』の関係」2009年2月13日)。
 ワーグナー神父は、ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)が米国東部のルイジアナ州ニューオリンズ市を襲い、多くの犠牲者を出したことについて、「同市の5カ所の中絶病院とナイトクラブが破壊されたのは偶然ではない」と述べ、「神の天罰が下された」と宣言して憚らない。また、「同性愛者は病人だ」と語り、大きな波紋を投じた聖職者だ。同神父は昨年2月初め、べネディクト16世から補佐司教に任命されたが、物議発言の責任をとる形で任命を辞退している。
 ちなみに、同国で戦後、教会信者の大量脱会を引き起こした最初の出来事は1990年代、同国教会最高指導者グロア枢機卿が教え子に性犯罪を繰り返していたスキャンダル事件だ。第2はサンクト・ペルテン教区の聖職者たちの性スキャンダル事件(2004年)。そして今回のワーグナー神父の「天罰発言」問題と続く。各事件後、大量の信者たちが教会から去っていった。
 同国の教会聖職者は「信者が教会から背を向ける直接の理由は確かに聖職者のスキャンダル事件があるが、それ以外のさまざまな理由が複雑に関与している」と分析する。すなわち、聖職者のスキャンダル事件は平信徒の教会脱会決定への最後の一撃となるかもしれないが、そこに到るまでには、教会指導部への不信感や不満が山積している、というわけだ。
 同国では、カトリック信者の脱会が進む一方、イスラム教徒の移住者が年々、増加している。

スーダンでの中国資源外交に批判

 スーダンの英国教会のダニエル・デンク大監督は「中国の関心はその地下資源だけだ。その一方的な経済利益中心政策はスーダンの和平プロセスを破壊している」と批判し、「ダルフール紛争の解決や南北間和平プロセスの促進にもっと貢献すべきだ」と北京政府に強くアピールした。同大監督によると、中国は昨年度、63億ドル相当の原油をスーダンから輸入している。
 もちろん、中国だけでない。ダルフール地域には良質のウラン鉱山がある。その利権を得るためにイランが触手を伸ばしている。核計画を推進中のイランにウラン鉱山利権が取られることを恐れる米国とイスラエルが、その商談をボイコットするためにさまざまな工作を推し進めている、といった具合だ。ただし、中国の資源外交は徹底しているといわれる。
 スーダンでは今年4月、議会選挙が実施され、翌年11年には南部の独立を問う国民投票が実施される予定だ。それに先立ち、同国では南北間で再び政情不安定の兆しが出てきている。例えば、2003年初めに勃発した同国西部ダルフール紛争では、これまでに約20万人の国民が死亡し、「21世紀最悪の人道的悲劇」といわれてきたが、紛争が治まる見通しはまったくない。民族間の衝突は各地で頻繁に生じている。
 「国連常任理事国の中国はスーダンの紛争解決に大きな影響力を有しながら、資源外交を優先して和平プロセスには消極的だ」と、国際社会からの批判の声はここにきて高まってきたわけだ。
 ちなみに、スーダンでの中国の影響は資源問題だけではない。社会の倫理、道徳にも影響を与えているという。スーダン出身の知人は「中国ビジネスマンはその事業を成功するためにあらゆる手段を駆使する。わが国に賄賂や腐敗といった経済慣習を植え付けたのは彼らだ」と嘆く。中国企業と商いを成功させたスーダン実業家は今日、スーダンのミリオネアーだ(参照「スーダンのミリオネアー」2008年1月30日)。

前法王暗殺未遂犯の「出所後」

 ローマ・カトリック教会の前ローマ法王、故ヨハネ・パウロ2世が1981年5月13日、サンピエトロ広場でアリ・アジャ(Ali Agca、52)の銃撃を受け、大負傷を負った出来事は今でも多くの人々の記憶に焼きついている。その暗殺未遂犯のアジャは今月18日、トルコで刑の満期を終え、出所する予定だ(イタリア政府は200年6月13日、アジャに恩赦を与え、トルコに移送した。アジャはそこで別件殺人のためこれまで服役してきた)。
 それに先立ち、アジャの弁護士は14日、「アジャは出所後、ローマを訪問し、故ヨハネ・パウロ2世の墓参りを希望している」と述べた。同弁護士は昨年3月、その件でローマでフェデリコ・ロンバルディ報道官と個人的に話し合い、バチカン国務長官のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿にも書簡で要望済みという。ただし、アジャの希望が実現するかどうかは目下、不明だ。
 弁護士によると、アジャは出所後、暫く休暇を取り、刑務所生活の疲れを癒す。その後、2カ月以内に映画会社や書籍会社から申し込まれた提案を検討し、どのオファーに応じるかを決定するという。
 オーストリアのカトリック通信社(カトプレス)によると、アジャは釈放後、米国TVと200万ドルの独占インタビューを結んだという。アジャがそこで法王暗殺計画の詳細な内容を語る可能性があるという。
 故ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件には多くの謎がある。アジャは逮捕直後から「自分はイエスの生まれ変わりだ」「自分は神の願いを受けてローマ法王を暗殺する考えだった」とか、不可解な言葉を繰り返してきた。
 故ヨハネ・パウロ2世自身は著書「記憶とアイデンティティー」の中で、81年の暗殺未遂事件の黒幕を「共産主義国」と示唆している。すなわち、旧ソ連のKGB(ソ連国家保安委員会)だ。
 いずれにしても、アジャは出所後、暫くの間、世界のメディアに追いかけられる日々を過ごすことになるだろう。

コプト派正教の「6項目」要求

 海外に住むエジプトのコプト派正教グループは14日、ウィーンで国際記者会見を開いた。当方も招待を受けたので参加した。エジプトのコプト派正教はキリスト教東方教会の一派で、アラブ・イスラム諸国では最大のキリスト教派だ。
 記者会見の目的は、エジプトのキリスト教コプト派正教徒への迫害実態を国際社会にアピールすること。直接の契機は、同国南部ケナ県ナグハマディで6日夜、3人のイスラム過激派がクリスマスを準備中のコプト派正教徒を狙って機関銃で乱射した事件だ。同襲撃事件で7人の信者たちが死亡、多数が重軽傷を負った。
 コプト派正教代表は「エジプトでのコプト派正教徒への迫害は激しさを増してきた。国際社会はその実態を調査し、信教の自由の尊重をエジプト当局に要求すべきだ」と主張し、ナグハマディ襲撃事件に対し、以下の「6項目」を要求した。


1)襲撃犯人とその黒幕への公平な刑罰を。彼らはキリスト者への襲撃を目的とした組織化されたイスラム過激派だ
2)犠牲者と遺族への補償
3)治安担当責任者ナジャ・ハマディ(Nag Hamady)の責任を裁判で追及し、解任すべきだ
4)政府の公式な謝罪と内相の辞任要求
5)コプト派信者襲撃事件の全容解明、国家メディアのコプト派への憎悪宣伝の中止
6)射殺が明らかなのに、若い犠牲者の遺体を解剖した。どうして解剖が必要だったのかを関係者は説明をすべきだ(臓器摘出とその売買を示唆)


 なお、コプト派正教グループは今月21日午後14時、ウィーン市内でナグハマディ襲撃事件に抗議するデモを開催する。

中国地下教会所属司教の「葬儀」

 中国カトリック教会の姚良(Yao Liang)司教は昨年12月末、河北省張家口市教会で死去した。87歳だった。
 葬儀は1月6日に行われた。中国共産党政権は同日、葬儀を妨害する為にさまざまな手段を駆使し、信者たちが参加しないように腐心したが、約5000人の信者たちが集まったという。バチカン放送(独語電子版)によると、同日はマイナス30度と凍るような日だった。
 バチカン放送は上海のミヒャエル・バウアー神父とインタビューしているが、同神父は「中国のキリスト者は姚良司教が真の聖職者として生涯を捧げたと感じたから、当局の締め付けにもかかわらず、葬儀に参加したのだ」と述べている。
 1923年生まれの司教は神父に叙階後、中国共産党政権の官製組織「カトリック愛国会」に所属を拒否し、ローマ法王に忠誠を尽くしたため、過去30年間余り収容所生活や強制労働を余儀なくされた。2006年7月には、当局の許可を受けずに聖職者を任命したとして、30カ月拘束されている。なお、中国当局は地下教会所属の司教を「司教」と呼ぶことを禁止している。
 ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁の日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノは12日付で死去した姚良司教の功績を称える異例の追悼文を掲載し、「人生を信者たちの為に尽くしてきた良き羊飼いだった」と指摘。その一方、「政府当局は葬儀に参加しようとした信者たちを恐喝した」と述べている。
 中国のカトリック教会には94人の司教がいるが、その内38人の司教は地下教会に所属している。
 当方は冷戦終焉直後、世界で最初に「無神論国家」を宣言したアルバニアのティラナで、25年間、収容所生活を送ったカトリック教のゼフ・プルミー神父と会見したことがある。神父からは恨みや批判の声は聞かれなかった。その穏やかな笑顔をみていると、宗派や教派に関係なく、その信仰の強さと素晴らしさに脱帽する。
 姚良司教やブルミー神父の人生は、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだならば、豊かに実を結ぶようになる」(ヨハネによる福音書第12章24節)という聖書の聖句を思い出させる。

安保理の対北制裁対象者、尹さん

 「縁」という言葉があるが、北朝鮮の核専門家、尹浩鎮(ユン・ホジン)さんとは不思議な「縁」で結ばれてると感じることがある。
 尹さんが国際原子力機関(IAEA)担当の北参事官時代(1990年代)、当方は尹さんと知り合った。尹さんは10年以上、ウィーンに駐在していたが、尹さんのお父さんが儒教を信じていること、北朝鮮が特別査察を発案したエルバラダイ前IAEA事務局長を嫌っていることなど、付き合いの中で知った。
 米中央情報局(CIA)が1997年、北の核開発計画に精通している尹参事官(当時)をリクルートするために尹さん宅を盗聴していた。そのことが発覚すると、尹さんは家族と共に平壌に急遽帰国した。
 尹さんのことを忘れかかっていた時、尹さんの名前が西側で報じられた。独週刊誌シュピーゲルは2003年、「尹浩鎮氏がドイツ企業家からウラン濃縮施設で使用する遠心分離機用のアルミニウム管を密輸入しようとしていた」と報じたのだ。
 その5年後、当方は尹さんのことを完全に忘れていた。それが偶然、尹浩鎮さんの家族写真を市内の写真屋で発見したのだ。その時の驚きを今でも鮮明に覚えている。どうして尹さんの家族写真が市内の写真屋で展示されていたか、などは、「北朝鮮外交官の家族写真」(2008年7月3日)というタイトルのコラムで紹介済みだから、参考にして欲しい。
 その尹さんの名前を今回は北朝鮮情報誌「デイリーNT」の記事(1月11日)の中で見つけたのだ。尹さんは南川江貿易会社(ナムチョンガン、原子力総局の傘下企業で核関連機材の調達会社)の責任者ということで国連安保理の対北制裁(昨年7月)の個人制裁対象者の5人の中に入っていたのだ(当方は制裁決定当時、そのことに気がつかなかった)。
 尹さんがIAEA担当参事官時代、「DKS」などロシア系企業と頻繁に電話し、ロシアの軍需企業「マオ」とも接触していたことが判明している。
 尹さんは北朝鮮外交官の中でも小柄だったが、闘争心が体から溢れる、といったタイプだった。話している時、顔は笑うが、心は別の所にある、といった印象を受けた。
 その尹さんの名前を安保理決議の制裁対象(個人)の中で発見した時、尹さんの家族写真に出合った時のような驚きはなかったが、尹さんが遠い所に行ってしまった、といった一種の寂しさが湧いてきた。

法王、年内に枢機卿を大量任命か

 イタリアの情報週刊紙パノラマ最新号は「べネディクト16世は6月28日に新たに15人の枢機卿を任命する」と報じた。ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁は同報道に対してコメントを控えているが、信頼性が高い情報と受け取られている。
 その背景には、次期ローマ法王を選出できる80歳以下の枢機卿数が1月11日現在、112人で、定員の120人までまだ余裕があるからだ。
 枢機卿団に所属する高位聖職者数は現在、182人。70人の枢機卿が80歳以上でコンクラーベ(法王選出会)参加資格を有していない。ちなみに、年末に、アイルランドのデリ枢機卿(92)、日本の白柳誠一枢機卿(81)が死去し、今年に入り、マダガスカル出身のラザフィンドラタンドラ枢機卿(84)が1月9日死去するなど、年末年始にかけ3人の枢機卿が相次いで亡くなっている。
 枢機卿は高齢者が多いこともあって、ローマ法王は定期的に新しい枢機卿を任命する必要が出てくるわけだ。ベネディクト16世は2007年11月24日、23人の新しい枢機卿に大量任命している。
 07年末現在の枢機卿勢力図をみると、パウロ6世(在位1963年6月〜78年8月)が任命した枢機卿は7人、前法王ヨハネ・パウロ2世(1978年10月〜05年4月)によって枢機卿となった数は156人で、枢機卿団の最大派を形成している。
 05年4月に法王に就任したベネディクト16世が過去2年半で任命した枢機卿は38人だ。同16世が今年、15人の枢機卿を任命すれば、その数は53人となるが、27年間の長期政権を務めた故ヨハネ・パウロ2世任命の枢機卿数にはまだ及ばない。
 次期法王の選出を考える時、枢機卿団の中でもコンクラーベに参加できる80歳以下の枢機卿の動向が重要となる。故ヨハネ・パウロ2世が任命した枢機卿の内、91人が選挙権を有し、ベネディクト16世の38人の枢機卿のうち、30人が選挙権のある80歳以下だ。
 もちろん、世界の11億人のカトリック信者のトップ、ローマ法王の選出は、どこかの国の党首や総裁選のように派閥所属の議員数(枢機卿数)で決定するものではない。
 5年前のべネディクト16世の選出はサプライズの少ないものだったが、ポーランド出身の故ヨハネ・パウロ2世が1978年10月、イタリア人以外としては455年ぶりに法王に選ばた時などは、「神のみ手」が介入したといわれたほどだ。
 今年4月16日で83歳を迎えるべネディクト16世は目下、深刻な健康問題を抱えてはいないが、高齢だけにいつどうなるかは不明だ。その意味で次期法王の選出権を有する枢機卿の動向は無視できないわけだ。
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