ベルリンの「壁」が崩壊してから9日で、20年目を迎えた。旧ソ連・東欧共産政権時代、当方は取材に奔走していたが、ポーランドやハンガリーで勃発した民主化の火は、瞬く間にチェコスロバキア、ブルガリアなど他の東欧諸国に広がり、目を覚ましたら、ベルリンの「壁」の崩壊ニュースが飛び込んできた、といった感慨が当時、強かった。
あれから20年の年月が過ぎたが、ここにきて旧東西両ドイツ間の経済格差の「壁」だけではなく、さまざまな「壁」が到る処で復活してきている。
当方はこの欄で「『壁』のリバイバル」(2007年5月17日)というタイトルのコラムを書いた。そこで、先進諸国首脳会談(サミット会談)の開催地では毎回、過激なデモ対策のため会議場は鉄条網のフェンス(壁)が構築されること、隣国アフガニスタンから麻薬密輸業者の侵入を防止するために、イラン側が対アフガン国境線に「壁」を設置中であること、イスラエルがパレスチナ過激派のテロ攻撃を阻止するため「分離壁」を築いていることなどを挙げ、「壁」の復活現象を指摘し、「『壁』は対立・衝突を阻止し、問題の解決に導くというより、それを先鋭化するだけだ。『壁』を構築したことで、問題が解決されたと聞いたことがない」と述べた。
「壁」について、当方は今もそのように考えている。国と国、民族と民族の「壁」から、貧富の壁、夫婦間、親と子の「壁」まで無数の「壁」がある。それらの「壁」の共通点は、関係者(国)間の対話、歩みよりを阻むことだ。換言すれば、「壁」の構築は問題解決の放棄を意味する。
しかし、ベルリンの「壁」の崩壊はドイツ国民だけではなく、全ての人々に希望を与えた。「壁」が永遠に続くものではなく、「壁」の限界を実証したからだ。もちろん、「壁」の崩壊までに多くの犠牲が払われ、血と汗と涙が流されていったことはいうまでもないことだ。
付け加えるならば、当方が南北間の38度線という壁が近い将来崩れると確信するのは、「ベルリンの壁」の崩壊を目撃したからだ。
あれから20年の年月が過ぎたが、ここにきて旧東西両ドイツ間の経済格差の「壁」だけではなく、さまざまな「壁」が到る処で復活してきている。
当方はこの欄で「『壁』のリバイバル」(2007年5月17日)というタイトルのコラムを書いた。そこで、先進諸国首脳会談(サミット会談)の開催地では毎回、過激なデモ対策のため会議場は鉄条網のフェンス(壁)が構築されること、隣国アフガニスタンから麻薬密輸業者の侵入を防止するために、イラン側が対アフガン国境線に「壁」を設置中であること、イスラエルがパレスチナ過激派のテロ攻撃を阻止するため「分離壁」を築いていることなどを挙げ、「壁」の復活現象を指摘し、「『壁』は対立・衝突を阻止し、問題の解決に導くというより、それを先鋭化するだけだ。『壁』を構築したことで、問題が解決されたと聞いたことがない」と述べた。
「壁」について、当方は今もそのように考えている。国と国、民族と民族の「壁」から、貧富の壁、夫婦間、親と子の「壁」まで無数の「壁」がある。それらの「壁」の共通点は、関係者(国)間の対話、歩みよりを阻むことだ。換言すれば、「壁」の構築は問題解決の放棄を意味する。
しかし、ベルリンの「壁」の崩壊はドイツ国民だけではなく、全ての人々に希望を与えた。「壁」が永遠に続くものではなく、「壁」の限界を実証したからだ。もちろん、「壁」の崩壊までに多くの犠牲が払われ、血と汗と涙が流されていったことはいうまでもないことだ。
付け加えるならば、当方が南北間の38度線という壁が近い将来崩れると確信するのは、「ベルリンの壁」の崩壊を目撃したからだ。
