ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2009年11月

ベルリンの壁が示した「壁」の限界

 ベルリンの「壁」が崩壊してから9日で、20年目を迎えた。旧ソ連・東欧共産政権時代、当方は取材に奔走していたが、ポーランドやハンガリーで勃発した民主化の火は、瞬く間にチェコスロバキア、ブルガリアなど他の東欧諸国に広がり、目を覚ましたら、ベルリンの「壁」の崩壊ニュースが飛び込んできた、といった感慨が当時、強かった。
 あれから20年の年月が過ぎたが、ここにきて旧東西両ドイツ間の経済格差の「壁」だけではなく、さまざまな「壁」が到る処で復活してきている。
 当方はこの欄で「『壁』のリバイバル」(2007年5月17日)というタイトルのコラムを書いた。そこで、先進諸国首脳会談(サミット会談)の開催地では毎回、過激なデモ対策のため会議場は鉄条網のフェンス(壁)が構築されること、隣国アフガニスタンから麻薬密輸業者の侵入を防止するために、イラン側が対アフガン国境線に「壁」を設置中であること、イスラエルがパレスチナ過激派のテロ攻撃を阻止するため「分離壁」を築いていることなどを挙げ、「壁」の復活現象を指摘し、「『壁』は対立・衝突を阻止し、問題の解決に導くというより、それを先鋭化するだけだ。『壁』を構築したことで、問題が解決されたと聞いたことがない」と述べた。
 「壁」について、当方は今もそのように考えている。国と国、民族と民族の「壁」から、貧富の壁、夫婦間、親と子の「壁」まで無数の「壁」がある。それらの「壁」の共通点は、関係者(国)間の対話、歩みよりを阻むことだ。換言すれば、「壁」の構築は問題解決の放棄を意味する。
 しかし、ベルリンの「壁」の崩壊はドイツ国民だけではなく、全ての人々に希望を与えた。「壁」が永遠に続くものではなく、「壁」の限界を実証したからだ。もちろん、「壁」の崩壊までに多くの犠牲が払われ、血と汗と涙が流されていったことはいうまでもないことだ。
 付け加えるならば、当方が南北間の38度線という壁が近い将来崩れると確信するのは、「ベルリンの壁」の崩壊を目撃したからだ。

北、宗教弾圧国批判に猛反論

 米国務省は先日、北朝鮮を宗教の自由を弾圧する国家リスト(8カ国)に挙げた。米国務省の慣例の報告書で、北朝鮮は「宗教の自由」弾圧国の常連国だ。それに対し、北朝鮮は過去、米国務省の報告書内容を完全に無視するか、軽くいなす程度だった。
 ところが、北朝鮮の国営朝鮮中央通信社(KCNA)は4日、労働新聞の署名記事を紹介し、そこで反論を展開しているのだ。曰く「通称、宗教問題に関する米国のわが国への批判は根拠のない、政治的扇動に過ぎない」と主張している。
 脱北者の証言を想起するまでもなく、北朝鮮では数万人、数十万人の国民が収容所に隔離されている。ある者は政治犯として、ある者は聖書を所持していたという理由だけで処刑されている。にもかかわらず、労働新聞は「コリア型社会主義国家のもとで宗教の自由は保障されている」と言い張り、「国際宗教団体やグループはわが国を訪れ、自由な宗教活動が行われていることを目撃している」と弁明する。
 北側はここでは、世界的な宗教指導者が先月、首都平壌を相次いで訪問したことを言いたいのだ。米国キリスト教福音派の指導者、フランクリン・グラハム師は10月13日から15日まで訪朝し、世界教会協議会(WCC、本部スイスのジュネーブ)の使節団(団長・サミュエル・コビア総幹事)はその数日後(17日〜20日)、同じように平壌を訪れている。
 北側の反論は続く。1950年の韓国動乱に言及し、「米軍は戦争で1900以上の教会と寺院を破壊し、数十万人の宗教者たちを殺害した」と糾弾する。
 北朝鮮の首都、平壌はかつて“東洋のエルサレム”と呼ばれ、キリスト教活動が活発な時代があったが、故金日成主席が1953年、実権を掌握して以来、同国にいた30万人のキリスト者が消え、当時、北に宣教していた大多数の聖職者、修道女たちは迫害され、殺害された。これは歴史的事実だ。しかし、北側の論理にかかると、全ては米国の仕業ということになる。
 オバマ米政権は北朝鮮と核協議を始めようとしているが、交渉相手が歴史的事実も簡単に歪曲し、自説が唯一正しいと信じる国家であることを忘れてはならない。米国務省の宗教弾圧批判に対する北側の反論を読めば、そのことが一目瞭然だろう。

問われる国連の「危機管理」

 「しつこい」といわれるかもしれないが、なかなか忘れる事が出来ないテーマであるので、読者にはもう少し付き合ってもらうことにした。
 包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)の職員が自殺して半月が過ぎた。昨年2月には国際原子力機関(IAEA)職員が19階から飛び降り自殺をした。一昨年10月には国連工業開発機関(UNIDO)の米国人職員が行方不明となった。現地警察の調べでは、ドナウ河水路に飛び込み自殺したらしい。死体は見つかっていない。
 当方は5日、国連セキュリティの最高責任者と話す機会があった。同責任者は「君は自殺というが、まだ断定したわけではない。ただし、国連側には調査権がないから、事件の詳細を知りたければオーストリア警察当局に聞くべきだ」という。
 そこで当方は「メディアでは殺人疑惑報道すら流れている。国連職員の中にそれを聞いて不安や動揺が見られるのではないか。国連セキュリティ側としては可能な情報は開示し、事件の経緯を職員たちに説明する責任があるのではないか」と聞いてみた。当方は国連側の危機管理を知りたかったのだ。
 すると、その責任者は当方の「責任」という言葉を不快に感じたのか、「君、国連職員の中に不安や動揺があるとすれば、殺人疑惑などの報道をした君たちメディア側にある。君たちこそ正しい報道をすべきだ」と、喧嘩腰になって反論してきた。
 米国内テロ多発事件後、安保理決議に基づき、世界の国連機関は対テロ対策としてさまざまな対策を実施した。ウィーンでは、国連機関の全建物の窓を補強する一方、セキュリティ職員を約60人から約150人に増強した。ウィーン国連では現在、30人に1人は警備職員という計算になる。
 その後、幸いにもテロは生じていないが、国連職員の自殺や不可解な事件、犯罪が生じている。それに対し、セキュリティ側は「国連側には調査権がない」と弁明するだけではなく、事件が発生した場合、職員への影響を慎重に調査し、必要ならば情報の開示といった危機管理を実施すべきだろう。さもなければ、警備職員の数は増えたが、国連内の治安は悪化した、と揶揄されてしまう。
 もちろん、メディア機関の責任も忘れてはならない。センセーショナルな情報を流すことに腐心するのではなく、事件ならばその事実の掌握に全力を投入すべきだ。

友人記者が倒れた!

 友人は国連の記者室の顔だった。記者会見では必ず質問した。その質問は時にはテーマと一致しないこともあったが、本人はいつも真剣だった。友人は20年余りオーストリアに住みながら英語中心の生活をしてきたので、独語はあまり話せない。
 その友人記者が脳出血で倒れた。頭が痛いといって病院に運ばれた。その数時間後、緊急手術を受けた。手術は成功したが、その後の回復は不明だ。手術後、友人は喋ろうとしたが、言葉にならないことを知って泣き出したという。友人の親戚関係者は「ショックで不安定だから、見舞いは控えて欲しい」といってきた。
 友人はレバノン出身だ。60歳を越えている。サウジアラビアの日刊紙オカズ特派員として活躍していたが、ここ数年はフリーランスとしてアラブ語メディア向けに国際原子力機関(IAEA)の核問題と石油輸出国機構(OPEC)に関する記事を中心に書いてきた。
 IAEAのエルバラダイ事務局長は理事会前にイランの核問題に関する査察履行報告書を理事国に提出するが、友人は毎回、他のメディアに先駆けて報告書を入手していた。アラブ系外交筋に特別なチャンネルを持っているからだ。
 国連記者室が先日、移転したばかりだ。友人は国連情報サービス(UNIS)関係者と記者代表として、いろいろと交渉してくれた。小さくなったが、新しい建物内に記者室が与えられた背後には、友人の努力があった。ラジオ・TV記者からプリント・メディア関係者、そしてフリーランサーまでさまざまなジャーナリストたちの寄せ集め所帯が今日まで消滅することなく存在できたのも友人の存在が大きい。
 友人はまじめなイスラム教徒だ。ラマダン期間を守り、食事にも気をつけていた。イスラム教の教えについて、彼から何度も教えてもらったものだ。
 国連記者室の一日は、友人が午前10時ごろ顔出してから始まる、といった感じだった。その友人が顔を見せなくなって1週間が過ぎた。友人が回復し、再び記者室に顔を出す日が早く到来することを祈るばかりだ。

再考の時を迎えた「十字架」論

 ストラスブールの欧州人権裁判所(EGMR)が3日、イタリア人女性の訴えを支持し、公共学校での十字架を違法と判決した、とのニュースが流れると、欧州全土で大きな反響と動揺が生じている。
 「バチカン放送」(独語版)は4日以降、異例とも思えるほど、判決に関する反論や批判コメントを報じている。ストラスブールの判決が教会関係者に大きなショックを与えたことが分る。
 EGMRの判決文は「公共学校内の十字架は両親の養育権と子供の宗教の自由を損う違法行為」という。それだけではない。「十字架は原罪からの救済」というキリスト教の教義を象徴したもので、「単なる欧州文化のシンボル」ではないと指摘している。すなわち、欧州人権裁判所は「十字架」の神学的意味まで踏み込んで、「公共学校内の十字架は欧州人権憲章とは一致しない」と判断したわけだ。
 十字架擁護者は「キリスト教は欧州の歴史と文化に密接に関る」(バチカン法王庁のロンバルディ報道官)と説明し、キリスト教=十字架=欧州アイデンティティと主張してきた。それに対し、ストラスブールは十字架を「欧州文化のシンボル」ではなく、「キリスト教の教義」と指摘し、「宗教と国家」の分離原則から「公共学校の十字架は違法」と判断したわけだ。
 それだけに、バチカンにとっても欧州人権裁判所の判決理由を覆すことは安易ではないだろう。一方、ストラスブールの判決を聞いた十字架反対派の両親たちから「勇気つけられた。自分もEGMRに訴える」という声が出てきている。
 10年前までは「公共学校の十字架」は当然のことで、それに反対する声はほとんど聞かれなかった。それがここにきて高まってきた。さまざまな理由が考えられる。欧州社会の世俗化が進み、「宗教と国家」の分離が加速してきた。神学的には、人類救済をもたらすと主張されてきたイエスの十字架の神学的意味が問われ出してきた(独神学者オイゲン・ドレバーマン氏)。
 イエスの死から2000年が過ぎた。キリスト教のシンボルであった「十字架」の本来の意義について、イエスの生涯をも含め、再考の時を迎えているといえるかもしれない。

公共学校内の十字架に違法判決

 フランスのストラスブールにある欧州人権裁判所(EGMR)は3日、フィンランド出身のイタリア人女性の訴えを支持し、彼女の息子が通う公共学校内で十字架をかけてはならないと言い渡し、イタリア政府に「道徳的損傷の賠償として女性に5000ユーロを支払うように」と命じた。同判決に対し、イタリアのジャルミー二教育相は早速、控訴した。
 裁判所の判決文によると、学校クラス内で十字架をかけることは両親の養育権と子供の宗教の自由を蹂躪するという。換言すれば、学校内で十字架を掛けることは「欧州人権憲章」(EMRK)とは一致せず、国家は公共学校では宗教中立の立場を維持しなければならないというわけだ。
 それに対し、イタリア政府だけではなく、ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁もストラスブールの今回の判決に強い抗議を表明した。BBC放送によると、バチカンのロンバルディ報道官は「欧州人権裁判所はイタリアの国内問題に干渉する権利はない。裁判所は欧州のアイデンティティ形成でキリスト教が果たした役割を完全に無視している」と不満を吐露。その上で、「十字架は全人類への神の愛、統合、友愛のシンボルだ」と説明したという。
 なお、イタリア政府の上訴を受け、欧州人権裁判所は公共学校内の十字架問題について改めて審議するが、今回の判決は、欧州レベルでは、学校内の宗教シンボルについて下された初めてのものだ。それだけに、そのインパクトは大きい。欧州各地で同様の訴えがあるからだ。ちなみに、独連邦憲法裁判所は1995年、公共学校内の磔刑像(十字架)を違憲と判決している。
 イタリアでは今日、公学校でイスラム教の宗教授業を導入すべきだという主張が聞かれ、それに対し賛否両論がある。公共学校の十字架問題は、イタリア国内のイスラム教の台頭とも密接に関連してくるだけに、一層複雑なテーマだ。

EU大統領候補のダークホース

 アイルランドが批准を完了し、欧州連合(EU)の異端児チェコも特例が認められたので批准するだろうから、EUの新基本条約リスボン条約が年内にもいよいよ発効する見通しとなった。
 次の焦点は欧州理事会常任議長(EU大統領)の選出だ。メディア報道によると、英国のブレア前首相の名前が真っ先に挙がったが、ここにきて英国のEU政策が障害となって選出される可能性が小さくなった。それを受け、ルクセンブルクのユンゲル首相やオランダのバルケネンデ首相らの名前のほか、ラトビアのビケフレイベルガ前大統領ら女性政治家の名も取りざたされている。
 ところで、上記に名前が挙がっていないが、ドイツのメルケル首相が強く推す候補者がいる。オーストリアのウォルフガング・シュッセル元首相(64)だ。同元首相はEU委員委員長選でも一部のメデイアに有力候補者としてその名前が挙げられたことがある。
 EU大統領は加盟国27か国の象徴的代表であるから、大国出身ではなく、小国出身の政治家が理想だ。もちろん、政治力、交渉力が重要だ。英語、仏語、独語など多数の言語を流暢にこなす弁舌と語学力が問われる。そのうえ、EU大統領は「中道右派出身の政治家」が求められている。
 以上の条件を全て満たす政治家はEU全体でも多くいない。シュッセル元首相はそれらの条件を全て満たしている。政治家として経済相から外相、そして首相、EU議長などを歴任してきた。そればかりではない。サッカーから漫画書きまで多彩の趣味を持っている。
 EU大統領選が混戦するようなことがあれば、シュッセル元首相の名前が急浮上してくることは十分予想される。

「奇跡」を待って徹夜する人々

 アイルランドのアイリッシュ・タイムズが1日、報じたところによると、同国西部の小さな町ノック(Knock)で聖母マリアが再現するという霊能者の予告を信じて数千人が集まったという。
 ノックでは1879年8月、聖母マリアが出現し、それ以来、巡礼地として多くの信者たちが毎年、訪れている。故ヨハネ・パウロ2世も1979年、「ノックの奇跡」の地を巡礼している。
 霊能者によると、聖母マリアが10月31日に再現するという。霊能者の聖母マリアの出現予告に対し、当地のカトリック教会側は強い懐疑を表明してきた(アイルランドでは約95%がカトリック信者)。
 カトリック教会側の反応は当然だろう。教会の総本山バチカン法王庁は過去、聖母マリアの出現や奇跡と呼ばれる霊現象に対し、常に一定の距離を置いてきたからだ。
 バチカンが聖母マリアの再臨現象として公認した巡礼地としては、ルルドとファティマが有名だ。フランス南西部ルルド(人口1万6000人余り)で1858年、聖母マリアが14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーに顕現した。昨年で150周年目を迎えたばかりだ(約600万人の人々が昨年、ルルドを巡礼したという)。ポルトガルのファティマ(1917年5月)でも聖母マリアが羊飼いの3人の子供たちに顕れ、有名な第3の予言を伝えている。
 ちなみに、バチカンは昨年7月、メジェゴリエ(ボスニアヘルツェゴビナ)の聖母マリア再臨について、その真偽を調査する調査委員会を設置したばかりだ。バチカン関係者によると、聖母マリア再臨現象は過去、数千件にも及ぶという。
 当方はこの欄で「若者たちは奇跡に飢える」(2008年9月15日)というタイトルのコラムを書き、そこで「若者たちは奇跡を追体験したがっている。科学文明が席巻する今日、若者たちは奇跡に飢えている」という教会関係者のコメントを紹介した。
 アイルランドで聖母マリアの「ノックの奇跡」を目撃しようと集まった多くの人々は徹夜しながら待っていたという(聖母マリアが再臨した、とはこれまで聞かない)。

大学街にスープ・バーが開店

 「食べるという行為は精神のありように深くかかわることであり、魂の滋養とは不可分の間柄にあることを思い知る」――石井美樹子著「中世の食卓から」(筑摩書房)にこのような文を発見し、根が食いしん坊な当方は「わが意を得たり」と膝を打った。
 中世時代の食卓事情やその歴史的背景が詳しく紹介されていて、教えられることが多かった。著者によれば、世界のベストセラーは聖書といわれるが、聖書に匹敵する本は「料理の本」ではないかという。なるほど、どの本屋にいってもカラフルな料理の本が書棚を占領している。
 中世時代、腹一杯食べる事が最大の贅沢であり、果物やスパイスは高価な品物だったという。時間の経過とともに、人間の嗜好が開拓されていき、フランス料理やイタリア料理といった世界的な料理が出来上がっていくわけだ。
 ところで、著者は文庫版によせて、「アダムのりんご」というコラムを書いている。それによると、「中世時代のヨーロッパの人々は、エバが食した禁断の木の実をりんごであると理解していたが・・北方の果物であるりんごは聖書時代の近東で知られていなかった・・・・・・われわれがいまオレンジと呼ぶ果物は、オランダでは『中国のりんご』と呼ばれていた」など、食に関して多くの情報が溢れている。
 石井氏の本を抱えてウィーン大学の周辺を歩いていた時、「近日中に、スープ・バーを開店」という看板が目に入った。なるほど、冬のシーズンには空腹の学生たちには暖かいスープは堪らないだろう。看板には「私はおいしいスープで生きているのであり、空虚な演説ではない」といった仏劇作家モリエールの言葉があった。しゃれた言葉だ。

20年前の取材ノートから

 東欧諸国の民主改革から今年で20周年を迎えた。国際金融危機の嵐が吹き荒れる今日、20年前の共産政権の崩壊について、じっくりと検証する時間がなくなった感がするが、共産主義の非人間的思想が過ちであったという歴史的事実は変わらないだろう。
 当方が昔の取材ノートを整理していた時、一枚のメモが出てきた。その内容から判断すると、20年前の取材メモだ。当時の思い出を読者の皆さんに伝えたいという思いが溢れてきたので、ここに紹介する。

    ◇        ◇

 東欧諸国がめ目まぐるしく変動する今日、東欧取材は猫の手も借りたいような忙しさだ。1年前に今日の東欧諸国の激動を予想することはできなかった。
 特にベルリンの壁が実質的に崩壊したニュースを聞いた時、記者は一瞬唖然とした。
 東方諸国のウォッチャーとして今年で8年目を迎えたが、その間にはいろいろと忘れることができない思い出がある。
 昨年3月(1988年)、チェコスロバキアのブラチスラバで、信教の自由を要求したキリスト者集会が行われた。雨が降る中、キリスト者たちが集まり始めた。写真を撮るためにフラッシュをたいた。すると傍にいた私服警察が素早く当方を逮捕。その後7時余り警察当局で尋問を受けることになった。
 その時、通訳を担当したペーターという1人のスロバキア人の言葉を今でも鮮明に思い出す。尋問後、部屋から出た彼は「残念だがチェコではまだペレストロイカは遠い先だ」と呟いた。
 いま彼に再会したらどのように答えるであろうか。彼の国にも民主化の波が激しく襲っている。
 スイスのアルプスを一度見たいと、故郷の山からいつも西側を仰ぎ見ていたドナというチェコ人、いつでも宿を提供してくれたハンガリーのマルタさん、記者が忘れたスカーフを1年後届けてくれたミロバン・ジラス氏(ユーゴ元副首相)、日本人びいきのワルシャワの老婦人、両替の闇取引のやり方を話してくれた陽気なセルビア人等々、東欧取材で心優しい人々に会った。
 記者の希望はそれらの人々が自由に西側と交流できることであったが、その時はそこまで来ている。
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