ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2009年11月

「人間の最大関心事は宗教」

 内村鑑三はその著書「代表的日本人」の中で「人間の最大関心事は宗教であります。正確に言うならば、宗教のない人間は考えられません」と述べ、「死の存在するところに、宗教はなくてはならないものです」と語っている。すなわち、誰もが迎える「死」への恐怖を乗り越えるためにも「宗教」が必要だという。
 ところで、「われわれの時代、宗教が最大の関心事と受け取る人々は多くいるだろうか」と考えた。むしろ、「宗教は御免こうむりたい」と考える風潮が支配的ではないか。
 一方、「死」への恐怖そのものは無くなったか。医療技術は日進月歩だ。細胞の再生技術研究も進んできた。しかし、内村鑑三が生きていた時代と同じように、現代人にも確実に、「死」は訪れる。
 「余は如何にして基督信徒となりし乎」を書いた内村は神を見出すことで「死」の恐怖を超克し、和解した。それではわたしたちはどうだろうか。生活テンポが早まり、ゆっくりと「死」について考えることがなくなってきたが、「死」は依然、その暴力的な力で人間に襲い掛かってくる。
 麻薬、アルコール類、快楽、ディスコ・パーティなどに走ったとしても、それらは「死」を一時的に忘れさせるだけで、確実に近づいてくる「死」への処方箋とはなり得ない。科学が宗教を凌駕したと豪語する人も、「死」の到来を遠ざける手段を見出せないだろう。
 内村鑑三は「無宗教という人々にも宗教はあるのです」と述べ、どのような人間にも「宗教心」があるという。とすれば、何らかの理由から「宗教」を見失ってしまった人々は、早急に自身の「宗教心」と和解し、そして近い将来訪れる「死」を平静な心で迎え入れようではないか。

‘I believe in you’

 先日、当方の誕生祝に 娘が選曲し 息子たちが録音してくれたMP3プレイヤーをもらった。その中に イル・ディヴォとセリーヌ・ディオンのI believe in you が入っていた。
 当方は今回、初めて I believe in you を聴いたが、そのメロディー、その歌詞に非常に感動させられた。少々大げさな表現になるが、心が揺り動かされた、といった方が当たっているかもしれない。
 タイトルは‘l believe you’ではない。‘I believe in you’だ。あなたが言った内容、意見を「信じる」のではなく、「あなたを」「あなたの存在全て」を信じるというのだ。「あなたの言ったことを信じる」では、別の機会で、「あなたの言ったことを信じない」と変ることは十分、考えられる。わたしたちが生きている世界では珍しいことではない。
 繰り返すが、ここでは「あなたを信じる」だ。あなたがどのように考えているかはもはや重要ではない。なぜならば、「私はあなたを信じているからだ」。なんと絶対的な信頼だろうか。前置詞‘in’の深い、感動的な意味が伝わってくるではないか。


 歌詞の前半を原語で紹介する。当方が日本語訳を付けた。


 Lonely the path you have chosen
 A restless road, no turning back
 One day you will find your light again,
 don't you know
 Don't let go, be strong


 Follow your heart
 Let your love lead through the darkness
 back to a place you once knew
 I believe, I believe, I believe in you.


「あなたが選んだ道は孤独で、休息のない道、戻ることもできない。いつか、再びあなたの光を見出すだろう。諦めず、強くあれ。
 あなたの心の声に従い、暗闇をあなたの愛を灯しながら歩もう。あなたが昔知っていた場所に戻ろう。
 私は信じる、私は信じる、私はあなたを信じる」


 当方はこの歌を繰り返し、繰り返し聴いた。
 絶対的な信頼への強い憧憬、絶対的に相手を信じ、相手からも絶対的に信じられたい。わたしたちはそうありたいと願っているはずだ。

ロシア連邦国歌から「神」を追放?

 バチカン放送(独語版)が25日、報じたところによると、ロシアの野党、ロシア連邦共産党が国歌のテキストから「神」に言及した個所を削除するように要求した改正案を連邦下院に提出した。
 その理由について、「神に言及するテキスト内容は国家の統一を損い、多民族国家、多宗教社会ロシアのイメージを傷つける」というものだ。
 ロシア国歌に関する議論はこれが初めてではない。1991年には暫定国歌が歌われるなど、国歌にまつわる論争はかなり長いという。
 現国歌は2000年12月、プーチン大統領時代、ソ連邦国歌メロディに新しい歌詞がつけたものだ。テキストの反対者は「全ての責任はプーチンにある。プーチンは国家の統合を強化するために、キリスト教を利用してきた。プーチンは(消滅した)共産主義の代わりにロシア正教を利用し出した」と批判する。
 一方、ロシア正教側は国歌の中の神への歌詞の維持を主張、「国民の多数は現行の国歌テキストを支持し、修正を願っていない」と主張しているという。
 ちなみに、1944年の国歌では独裁者スターリンを称賛するテキストが含まれていたが、53年にその部分は削除された。新国歌テキストは1977年のものだ。そこではロシアを「聖なる祖国」「神の加護を受け」等の個所がある。
 当方はサッカーの国際試合や五輪大会で流れるロシア国歌が好きだ。力強いうえ、民族の歴史を感じさせる雰囲気がいい。
 ちなみに、ドイツの現国歌は本来、オーストリア国歌だったが、ドイツがそれを奪っていった――多くのオーストリア国民は今なお、心の中でそのように呟き、一種の不満を抱いている。具体的には、現ドイツ国歌はオーストリア人の作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1797年、ハプスブルク皇帝を賛美するために作曲したものだからだ。
 いずれにしても、ロシア国歌の歴史だけではなく、どの国の国歌もそれぞれ秘めたドラマを持っているものだ。

エルバラダイ氏の功罪

 国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は今月末、退陣し、12月1日から日本の天野之弥氏がIAEA事務局長に就任する。メディアではエジプト出身の事務局長の3期12年間をどのように評価するかで、意見が分かれている。
 ノーベル平和賞受賞者エルバラダイ氏の核拡散防止に向けた過去の歩みを高く評価する声がある一方、「国連機関の事務局長でエルバラダイ事務局長ほど多数のインタビューをこなした人物はいない。平和賞の受賞はインタビューによって蓄積された知名度による点が大きい。一方、核拡散防止への努力といっても目に見える成果は乏しい」といった冷静な分析も聞かれる。
 北朝鮮やイランの核問題では、事務局長は過去、ほぼ毎週、CNNやニューヨークタイムなど国際メディアとの会見に応じてきた。ある国連関係者は「エルバラダイ氏は国連事務総長より顔が知られている」と述べ、「エルバラダイ氏の巧みなメディア工作は特筆に値する」と驚いている。
 ところで、事務局長が関ってきた北朝鮮、イラン、シリアなどの核問題は依然、未解決のままだ。新事務局長の天野氏はそれらの難問を引き継ぐわけだ。
 エルバラダイ事務局長時代の12年間でIAEAは核の平和利用を促進する「専門機関」から「政治機関」に変っていった。
 駐IAEAのイラン代表、ソルタニエ大使は「IAEAは本来、核問題の専門機関だ。IAEAの政治化時代は終わるべきだ」と述べている。
 IAEAの政治化は、もちろん、エルバラダイ氏1人の責任ではない。理事国が査察関連情報を政治利用するからだ。IAEAが政治的発言を誘発しやすい機関である事も事実だ。
 ソルタニエ大使は「天野次期事務局長がIAEAの非政治化に成功すれば、素晴らしい事務局長となるだろう」とエールを送り、IAEAのトップに調停役型事務局長を願っている。
 当方の目からみて、エルバラダイ氏の12年間で問題点があったとすれば、事務局長が理事国に代わって主役を演じ続けたことだろう。国連機関では主役は加盟国(理事国)であり、事務局長ではないのだ。

ホワイト・クリスマスの「誤用」

 欧州の各地で既にクリスマス・マルク(クリスマス市場)が始まっている。音楽の都ウィーン市の市庁舎前広場のクリスマス市場は欧州でも有名だ。欧州のクリスマス雰囲気を満喫するために日本からも近年、ウィーンの市場を訪れる旅行者が増えている。
 ところで、読者を欧州のクリスマス雰囲気に誘った後で以下の話を紹介するのは少々、気が重い。
 オーストリアの隣国イタリア北部のコカリオ(Coccaglio)で現在、「ホワイト・クリスマス」というモットーのもとで、外国人排斥キャンペーンが展開中だ。オーストリアのカトリック通信社(カトプレス)が23日に報じたものだ。
 「ホワイト・クリスマス」は文字通り、雪で覆われた「白いクリスマス」を意味する。ビング・クロスビーの同名のヒット曲を思い出す人も多いだろう。しかし、ここでは北アフリカ出身の移民や難民を排除した、という意味が暗に含めている。美しい雪景色に包まれたロマンチックな「ホワイト・クリスマス」の世界ではない。
 人口約7700人の同市のフランコ・クラレティ市長は10月末、「クリスマス前までに全ての不法滞在の外国人や難民を町から一掃する」と宣言したのだ。
 市長の説明によると、「クリスマスは客(外国人)を手厚くもてなすお祭りではなく、キリスト教の伝統であり、われわれのアイデンティティだ」という。皮膚の色が異なる移住者や難民のお祭りではないといいたいのだ。
 市長の外国人排斥宣言には反対の声もある。イタリアのカトリック教会司教会議議長のアンゲロ・バグナスコ枢機卿は「外国人や移住者を排斥する運動はキリスト教精神と反する。厳しい状況下にある移住者や難民を支援することこそがキリスト教の伝統だ」と主張している。
 いずれにしても、ホワイト・クリスマスはあくまでも雪景色に追われたクリスマス・イヴの夜を表現した言葉であってほしいものだ。
 
(イタリアには毎年、数多くの移住者や難民が海を越えてやってくる。その全てを受け入れられないことは当然だ。移住者を歓迎すべきだ、という教会側の要求も非現実的だ。しかし、イタリアに到着すると直ぐ、入管収容施設に送られ、強制送還される現状に対しては、多くの批判があることも事実だ)

統一教会信者拉致とトルコ人問題

  オーストリアに住むトルコ人家庭問題が連日、当地のメディアで紹介されている。ウィーンに住むトルコ人家庭の17歳の娘が今月20日夜、パーティに出かけたが、兄(22)が妹をパーティから連れ戻し、自宅内に隔離し、逃げようとすると暴力を振るったという。娘は翌日、自力で警察に電話をし、「家族に自宅で拘束されている」と緊急通達した。数時間後、警察は現場に到着し、娘の意思に反して隔離し、暴力をふるった兄を「自由剥奪と暴行」などの理由で逮捕した。兄は妹が西欧文化に染まり、イスラムの教えを蔑ろにしていると批判してきたという。
 欧州に住むトルコ人家庭では同じようなケースが頻繁に生じている。
 西欧文化とイスラム教の教えの葛藤、イスラム教の教えを守らない子供たちに対し、親が力ずくで拘束したり、時には殺害するといった悲劇が生じている。例えば、オーストリアの第2の都市グラーツ市で、つい先日、トルコ人家庭の娘が強制結婚を嫌い、自殺した事件があった。
 警察当局は子供たちの権利を認め、自分の意思に反し親から拘束され、暴力を振るわれた場合、17歳の娘のケースに見られるように、家族に対しても厳しく処罰している。
 当方はこの欄で世界キリスト教統一神霊協会(通称・統一教会)の信者の拉致問題を書き、日本の警察当局が拉致された統一教会信者の保護救済を実施しないことに疑問を呈し、「日本の『信仰の自由』求める署名運動」(2009年10月8日)を書いたばかりだっったので、トルコ人家庭問題に対するオーストリア警察当局の対応に強い関心を向けていた。
 統一教会の信者が拉致された場合、これまで警察当局は「家庭問題」として無視し、関与してこなかった。30歳を越えている信者が親から拉致され、強制的に数年も隔離されていたにもかかわらず、警察当局は何も対応せず、静観するだけだったのだ。その点、事件に関った親や兄弟も逮捕するオーストリア警察とは好対照だ。
 ちなみに、統一教会の信者とトルコ人の娘の違いは、前者がその信仰を捨てるように強要され、後者はイスラム教の教えを守るように強要されたことだ。共通点は自己の意思に反して拘束されたという事実だ。そして注目すべき点は、オーストリア警察当局と日本警察の対応の相違だ。



INCB事務局長、年内に訪朝へ

 国際麻薬統制委員会(INCB)のコウアメ事務局長は年内に訪朝する予定だ。訪朝目的は北朝鮮政府主催の麻薬管理に関するワークショップに参加することだ。
 事務局長は「正式な日程はまだ決定していないが、年内には訪朝する。ワークショップでは北の麻薬問題担当者に麻薬管理に関するレクチャーをする予定だ」という。
 事務局長は2006年6月28日から3日間、訪朝し、平壌で外務次官など高官と協議した。その成果は翌年3月、北朝鮮の国際麻薬条約加盟となって現れたことは周知の事だ。
 北朝鮮は07年3月、「麻薬一般に関する憲章」(1961年)、「同修正条約」(71年)、「麻薬および向精神薬の不正取引に関する国際条約」(88年)の3つの国際条約に加盟した。
 北朝鮮外交官は加盟表明の直後、「INCBはわれわれを助けてくれたが、UNODCは批判するだけで何もしてくれなかった」と述べ、麻薬関連の国連機関、国連薬物犯罪事務所(UNODC)を貶す一方、INCBに対して称賛したことはまだ記憶に新しい。
 コウアメ事務局長は「INCBは過去、北当局とじっくりと話し合ってきた。その際、相手を決して批判せず、忍耐強く、彼らの主張を傾聴する一方、北当局に国際条約加盟の必要性を説得してきた」と説明し、対北交渉で成功するノウハウを披露してくれた。すなわち、「批判せず、相手の主張を忍耐強く聞くこと」だ。
 事務局長は「ワークショップの成果などについては帰国後、報告する」という。今回の訪朝がどのような成果をもたらすか、注目される。
 なお、北朝鮮が国家レベルで麻薬密売に関与しているという情報については、INCBは「それに関連したメディア報道は知っているが、北の関与を裏付ける物証はない。北の関与を主張する米国側に詳細な報告の提出を要請してきたが、これまで入手していない」と指摘し、米国の北の麻薬密売関与説については一定の距離を置いている。

同性愛者問題で東西間に相違

 オーストリア政府は17日、同性愛者の結婚を認めることを決定し、来年1月から施行することになった。ただし、夫婦として戸籍役場で登録することはできない。
 同国では、社会民主党と国民党の大連立政権だが、同性愛者の結婚問題では国民党が積極的だった。国民党はドイツのキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹政党で、その党綱領は「キリスト教の精神」をそのバックボーンとしている。
 そのキリスト教系政党が同性愛者の結婚を率先して認めた背景には、リベラルな有権者の支持を狙うプレル党首(副首相兼財務相)の意向があるからだ。シュッセル元党首ら党内長老派からは強い反対があった。
 欧州全土を見ると、西欧では多くの国が同性愛者の結婚を認めている。同性愛者の権利を最大限公認している国は、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、オランダだ。戸籍役場の結婚も認め、異性間の結婚と同等の権利が付与されている。
 フランス、ポルトガル、チェコはオーストリアと同様だ。結婚を認めるが、その権利は異性間の結婚より小さい。西欧で同性愛者の結婚を認めていない国はローマ・カトリック教会の総本山があるイタリアとアイルランドぐらいだろう。
 一方、旧ソ連・東欧諸国では多くの国が同性愛者の結婚を認めていない。ロシアしかり、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、アルバニアも同様だ。
 ロシア出身の知人記者は「ソ連共産政権時代では1980年代まで同性愛者問題はタブーだった。同性愛者であることが判明すると逮捕された。現代では同性愛者グループも存在するが、同性間の結婚は認められていない」という
 同性愛者問題では現在、西欧がリベラル、東欧が保守的――というわけだ。ちなみに、宗教的観点でみるならば、正教国家が同性愛者の結婚に強く反対する一方、新旧教会国家がリベラルな風潮に押されて容認傾向にある、といえるだろう。

国連事務総長が一日断食する日

 潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は14日、一日断食をした。胃の調子が悪いからでも減量のためでもない。世界で飢餓に苦しむ10億人以上の人々への連帯を表明する為という。
 国連事務総長の断食を、カリスマ性がなく、人気が低迷する事務総長のパフォーマンスに過ぎない、と切り捨てることは避けたい。
 空腹感、飢餓感はそれを経験しない限り、分らないものだ。3食十分食べることが出来る人には絶対に分らない。例え、1日3食を抜くだけでも苦しい。国連事務総長が率先して一日断食したということは素直に評価すべきだろう。
 ところで、世界食糧サミットが16日から3日間、ローマで開催された。190カ国以上から約1000人が集まり、世界の食糧問題を話し合った。
 現在、地球上の人間の6人に1人以上が満足に食事を取ることが出来ない状況下にある。西暦2050年までに世界の食糧問題を解決するためには現在の食糧生産量を70%アップしなければならない、といった統計も公表されている。
 世界食糧サミットに、ニンジンを効果的に収穫する方法とか、どうしたらコメの生産量を増加させるか―などの答えを期待した参加者は失望したことだろう。
 10億人が飢餓に苦しむ現代でも食糧自体は十分ある。問題は食糧の生産量ではなく、その公平な分配だ。食糧の生産問題より、公平な分配問題がもっと困難な課題となって残っているのだ。
 国連は2000年9月に開催されたミレニアム・サミットで、「21世紀における国連の役割」について検討し、世界中の全ての人がグロバール化の恩恵を受けることができるための行動計画を提示した「国連ミレニアム宣言」を採択した。貧困、教育、環境などの8項目(ミレニアム開発目標)を掲げ、数値目標と2015年という達成期限を掲げた。
 2015年までに飢餓者を半減することはできるか、その成否は、繰り返すが食糧生産量に依存しているのではなく、「新しい倫理観に基づいた」(べネディクト16世)公平な配布にあるというのだ。その意味で、食糧問題は人類の成熟度を測る課題となってわれわれの前に横たわっている、といえるわけだ。

国連で就職希望するオマル氏へ

 英誌ニュー・ステーツマン最新号は、国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者の息子の一人、オマル・ビンラディン氏がインタビューで、「平和を広めるために国連で働きたい」(時事通信社)と語ったという。そして「平和を広める機関としては国連が理想だ」とまで言い切ったという。
 その一報を聞いて、「オマル氏は国連を知っているのだろうか」という素朴な疑問が湧いてきた。国連憲章によれば、「国連は世界の紛争を調停し、世界の平和構築を目指す機関」であることに間違いない。日本人の多くもオマル氏と同様、国連に世界の平和を託している。
 しかし、国連の機構やその運営に目を向けると、どうしてもオマル氏のように国連を理想化できない。安保理事会を挙げるまでもなく、国連は加盟国の国益争いの舞台だ。常任理事国は拒否権を有している。どのような議案や決議案も一国の常任理事国が反対すれば、葬られる。
 国連内で働く職員にしても、多くの問題を抱えている。自殺あり、同性愛問題あり、窃盗からセクハラまで生じている。理想の職場とは到底いえない。
 オマル氏はノーベル平和賞を受賞した国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長をご存知だろう。それでは同事務局長の甥がIAEA事務局に勤務していることをご存知だろうか。事務局の職員ならば誰でも知っているが、口外してはならないタブー・テーマだ。トップの事務局長から下位職員まで国連は縁故主義や腐敗で汚染されているのだ。
 「国連で働きたい」という決意をもつ若者の熱意に水を差すつもりはないが、「世界の平和を実現するために」というオマル氏の発言を聞けば、どうしても「まず国連の現実を知ってもらいたい」という衝動に駆られてしまったのだ。
 「当方氏の懸念は分っている。それでも国連で世界の平和のために貢献したい」と言われるならば、当方はオマル氏の国連就職を阻止したいとは思わない。同氏の活躍を期待するだけだ。
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