ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2009年09月

欧州と日本の「信教の自由」の重み

 「宗教の自由」に関する欧州人の反応について、一般の日本人は理解できない面がある、という意見を頂いた。そこで当方が欧州で目撃した欧州人の「宗教の自由」に対する基本的姿勢を実例を通じて紹介する。
 時は、オウム真理教事件の余波を受けて自民党内で宗教の自由を制限する危険性が網羅された「宗教法基本法」案が作成された1996年だ。
 池田外相(当時)は、初めてサラエボを訪問し、帰国直前にウィーンのホテルで外務省主催懇談会を開催した。同懇談会には外務省から招待状を受け取った10人の記者が出席した。ドイツ通信(DPA)、ロイター通信、AP、フランス通信(AFP)の各通信社支局長やオーストリア日刊紙「スタンダード」などの一流紙の記者たちと、国連記者クラブ副会長といった錚々たる顔ぶれが招かれた。
 外務省国際報道課首席事務官である津川報道官(当時)は、池田外相の欧州歴訪について食事をしながら説明、日本外相の初のサラエボ訪問を「歴史的な訪問」と説明する一方、日本の経済支援の貢献度をアピールした。
 外国人記者たちとの質疑応答は外務省が前もって想定していた範囲で順調に進んだ。その時だ。一人の記者が「オウム真理教の犯罪後、日本では宗教団体を厳しく取り締まる宗教基本法案が検討されていると聞く。宗教の自由と関連してどうなのか」と質問したのだ。津川報道官の表情は一瞬こわばった。「津川報道官は約30秒、返答に苦慮して沈黙していた」と証言した記者もいたほどだ。
 憲法で明記されている「信教の自由」を侵す危険性があるとして宗教界や学界からも批判されてきた同法案について、欧州の外国人記者から質問されるとは考えていなかったからだ。想定外の質問だった。
 津川報道官は「同法案は一部の議員が提案したものだ。宗教活動を制限する法案が成立することはない。宗教と政治が密接な関係を有する欧米とは違い、日本では宗教と政治は明確に分離されている」と説明したまでは良かったが、「国民の大多数は今日、無神論者だ」と主張し、宗教が日本社会では余り尊重されていない、という見解を示したのだ。
 「大多数の日本人は無神論者だ」と聞いた外国人記者は「欧州で無神論者とは人生哲学も信念もない人間のことを意味する。外務省高官が『国民はバカだ』といっているのに等しい」と語り、同報道官の発言を「理解に苦しむ」と述べたほどだ。
 外国人記者の質問とそれに対する津川報道官の返答は、「宗教」「信教の自由」について欧州人と日本人との間でかなりのギャップがあることを端的に示した実例だろう。
 欧州社会も世俗化が進んでいる。キリスト教会関係者の性スキャンダルも頻繁に発生している。「神」は益々、その地位から追われようとしている。しかし、「宗教の自由」が危機に陥るならば、神を信じない欧州人も「宗教の自由」のために立ち上がろうとする。「信教の自由」は人権と同様に不可欠の権利であることを欧州人は歴史を通じて体験してきたからだ。

ヤン・フスの名誉回復を要求

 ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世は26日、プラハでクラウス大統領や同国カトリック教会指導者らの歓迎を受け、法王就任後13回目の外遊、チェコの司牧(訪問)を開始した。
 ドイツ出身の法王は「チェコ国民は共産主義政権に勝利した。あれから来月でちょうど20年目を迎える。国民は今日、その民族のルーツであるキリスト教を再発見しなければならない」と国民に語りかけた。そしてチェコ訪問中、最大の記念礼拝(約15万人の信者が参加)となったブルノ市の野外礼拝では、「神なき社会は無価値だ」と強調している。
 人口約1000万人の同国では現在、国民の60%が無宗教であり、カトリック教徒は約27%に過ぎない。民主改革直後、カトリック教徒の割合はまだ39%だったから、過去18年間で人口の12%の当たる国民が教会から去っていったことになる。
 民主化後、同国は世俗国家として発展する中で、そのルーツのキリスト教世界観を喪失していったわけだ。特に、チェコが宗教性の強い民族スロバキアとの連合国家を解体して以来、同国の世俗化は拍車がかかった。チェコは今日、欧州連合(EU)27カ国の中でも最も世俗国家といわれるほどだ。
 それに危機感を抱くべネディクト16世はチェコ国民に向かって、キリスト教の原点に返れと叫んだわけだが、同時期、プラハ市内では「ヤン・フスの名誉回復を」といったポスターを抱えデモをする市民の姿が見られたという。
 フス(1370−1415年)はボヘミア出身の宗教改革者だ。免罪符などに反対するフスはコンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。同事件はチェコ民族に深く刻印されたといわれる。歴史家たちは「同国のアンチ・カトリック主義は改革者フスの異端裁判の影響」と説明している。
 ちなみに、故ヨハネ・パウロ2世は西暦2000年の新ミレニウムを「新しい衣で迎えたい」という決意から、教会の過去の問題を次々と謝罪し、フスに対しても謝罪を表明している。
 べネディクト16世は28日午後、3日間のチェコ訪問を終え、ローマに戻った。

欧州で日本批判の炎が燃える

 当方はこのコラム欄でイラクでのキリスト者への迫害が続いていると報告してきたが、迫害されているのはイラクのキリスト者だけではないのだ。なんと当方の母国・日本で世界で最も激しいキリスト者への迫害が行われている。
 先進諸国の一員を自認する日本で1966年から約4000人の信者たちが拉致され、棄教を強いられている、というから驚きというより、どうしてメディア機関がこれまでその事実を報道しなかったかと不思議だ。それ以上に、どうして警察当局が人権問題に関るこの問題を無視してきたのか、理解に苦しむ。
 日本のキリスト者の数は人口の1%弱だ。戦後、最も飛躍してきたキリスト教グループは世界キリスト教統一神霊協会(通称統一教会)だ。その統一教会のメンバーが過去43年間で4000人、反対する父母や親族、教会関係者によって拉致され、棄教を強いられてきたという。それに対し、警察当局は「家庭問題」と言う理由で無視してきた経緯がある。
 欧州で発生する多くの事件は家庭問題に絡まっている。だからといって、警察側が「犯罪行為を無視する」ということは考えられない。拉致された多くの信者たちは20歳以上の成人だ。親族が教会に反対する権利はあるが、成人となった家族の一員をその意志に反して長期間、拉致する権利は親族といえどもない。
 しかし、現実は被害届が出ているにもかかわらず、日本の警察側は拉致犯罪の捜査を怠ってきたのだ。これは明らかに警察側の怠慢といわれても致し方がないだろう。
 先進国の成熟度はどの程度の「宗教の自由」が尊重されているかで測られる。旧ソ連・東欧諸国の民主化の原動力は「信仰の自由」を求める運動から始まったことはまだ記憶に新しい。
 その点、日本は開発途上国の段階に留まっているといわざるを得ないわけだ。自国民が信仰ゆえに10年以上、拉致されているにもかかわらず、捜査をするどころが完全に無視してきたからだ。
 統一教会メンバーの拉致事件を聞いた欧州のキリスト者グループの間では、「教会は異なるが、許されないことだ。拉致された信者たちの救済をしない日本は野蛮な国だ」という声が出てきたのだ。
 例えば、オーストリアの田中映男・日本国特命全権大使宛てに抗議の手紙が送られてきている。手紙を送った1人は「素晴らしい国と信じてきた日本で信仰ゆえに拉致されている人が数千人もいるとは知らなかった。日本政府は何をしているのか」と批判する。
 日本は1871年、条約改正のため岩倉具視を特命全権大使とした使節団をアメリカと欧州諸国に派遣したが、キリシタン迫害を知る欧州諸国では「キリシタンを迫害し、信教の自由を認めない野蛮な国とは条約が締結できない」と激しく非難を受けたという(永井隆著「乙女峠」)。
 日本側が4000人の拉致問題の解決に乗り出さない場合、140年前の岩倉具視使節団が直面したように、日本の外交官たちは世界の到る処で「信仰の自由」の蹂躪を訴える声に直面することになるかもしれない。

国連記者室から暫くお別れ

 ウィーン国連では数年前から発がん物質のアスベスト(石綿)の除去作業が進められてきたことは当ブロク欄でも伝えたが、いよいよ国連記者室があるCビル3階が閉鎖され、アスペスト削除作業が始まる。作業は約3年間の予定だ。すなわち、3年間、国連記者室は閉鎖され、Mビルに暫定的に移動する予定だ。
 当方のブログは国連記者室から報じてきたので、記者室が閉鎖された場合、「国連記者室から」という点は修正しなければならなくなる。
 もちろん、Mビルからも報じられるが、定着するまで少し時間がかかるかもしれない。毎日、更新できないことも考えられる。ご理解を願う次第だ。
 ところで、長く国連記者室で働いていた記者たちは山積した紙や文献を片付けなければならない。大仕事だ。1つひとつが思い出と繋がっているからだ。机の引出しから取り出した古くなった写真を見ながら考え込む女性記者もいる。捨てることができないのだ。捨てることができない物があまりにも多く、仕事が進まない。
 冷戦時代、国連記者室には東西両陣営の情報機関員が記者として屯していた。記者会見も連日開催された。ウィーンの国連情報サービス(UNIS)の関係者も記者たちに対し一定の尊敬を払っていた時代だ。しかし、冷戦時代も過ぎた今日、記者たちの質も数も変わった。国際的な通信社は国連内の事務所を閉鎖して市内に事務所をオープした。国連記者室は今日、フリーランサーやアラブ出身記者たちが過半数を占めている。
 ウィーンの国連都市は1979年8月末、オープンし、今年創設30周年を迎えたばかりだ。国連記者たちも長く利用してきたCビル3階から新しいビルMに移動する。スペースも小さくなる。しかし、新しいビルだけに明るい。そのうえ、アスペストはない。感謝して再出発するつもりだ。

カダフィ大佐の正論

 国連総会の一般演説に初参加したリビアの最高指導者カダフィ大佐は23日、「大国も小国も対等と明記した国連憲章は嘘だ。国連安保理は大国に拒否権を与え、小国を苦しめているだけだ」と、安保理を「テロ理事会」と酷評し、規定の1人15分を大幅に超過する1時間半以上の長期演説をしたという。久しぶりのカダフィ節だ。
 もしこの内容をカダフィ大佐以外の政治家が発言したとすれば、多くの国は「その通りだ」と喝采を送ったかもしれない。残念ながら、演説者がカダフィ大佐であったため、その内容が正しく受け取られなかった面がある。しかし、演説内容自体は決して大きく間違っていない。安保理批判は正論だろう。
 戦後直後に設置された国連安保理は大国の権益を堅持する狙いが強く、強国と弱小国家の対等な権利は完全に無視されてきた。その点、カダフィ大佐に反論できる政治家はいないだろう。
 当方も15年余り、ウィーンの国連でさまざまな会議をフォローしてきたが、国連はその憲章が明記するような理想機関ではなく、腐敗と汚職、縁故主義の温床であることを知っている。会議では大国の意向が強く、弱小国家は発言権はあるが、何も決定できないのが現実だ。
 日本のように、国連外交を通じて世界の平和が実現できると信じている国は珍しい。国連は久しく自国の権益をアピールする外交舞台に過ぎなくなっているからだ。
 繰り返すが、日本の政治改革を訴える鳩山首相がカダフィ大佐と同様の安保理批判発言をすれば、もっと多くの賛同者を得たかもしれない。国際社会はカダフィ大佐の発言を独裁者のパフォーマンスと受け取っただけだ。(安保理批判の)内容が正論だっただけに、非常に惜しい。

金総書記は完全な統治権を堅持

 知人の北朝鮮外交官は「わが国ではこれまで後継者問題が協議されたことも、公式発表された事もない。君がいう後継者名も一度も発表されたことがない。金永南・最高人民会議常任委員長が共同通信社とのインタビューの中で指摘した通りだ」という。
 すなわち、金正雲氏の後継者決定報道は一部のメディアが報じたものに過ぎず、公式発表はこれまで皆無というのだ。
 首都平壌では金正雲氏の後継決定がラジオ放送で伝達されているという報道記事があったが、としつこく聞くと、「公式発表がないのに、どうして国民に伝達できるのか。伝達順序は逆だ」と指摘した。もっともな論理だ。
 ところで、「150日戦闘」が終わったが、韓国の連合ニュースによると、同国労働党中央委員会は21日、経済再建の為に新たに「100日戦闘」を正式に発表したという。それに対し、知人は「韓国メディアの記事を読んだが、100日戦闘は公式にはまだ発表されていない」と強調し、党の「100日戦闘」の発表はまだ国の「公式発表」ではないことを示唆した。党の「正式発表」が国の「公式発表」となるまで一定の時間がかかるのかもしれない。
 話題を変えた。北で現在、何が最大の課題かの質問に対し、知人は「わが国の最大の課題は米朝対話の実現だ。第2は経済復興だ」と明瞭に指摘。健康問題が指摘されてきた金正日労働党総書記については、「総書記の健康は良好だ」と述べた。
 北側は「6カ国協議は死んだ」と主張してきたが、ここにきてその決定も修正される可能性が出てきた。知人は笑いながら、「わが国では金総書記が決定し、修正し、再考する。君には可笑しいかもしれないが、わが国はそうだ」と述べ、金総書記が今も全ての問題を掌握し、決定していることを重ねて強調した。

「神はいない」運動、東欧の本丸へ

 当欄で7月19日、「『神はいない』運動、始まる」というコラムを紹介した。オスマン・トルコ軍の北上を阻止した中欧の拠点、ウィーンに「神はいない」運動が始まったという内容だ。
 そして今度は東欧諸国の民主化運動で大きな役割を果たしたポーランドに上陸するのだ。「神はいない」運動もいよいよ東欧の本丸を狙ってきたわけだ。
 東欧の民主化から今年で20年が過ぎた。金融危機に直面している今日、多くの人は20年前の民主化運動について記憶が薄くなってきたが、東欧の民主化の原動力はキリスト教会の「信仰の自由」を求める草の根運動から始まった。
 ところで、あれから20年が過ぎ、多くの東欧諸国は今日、欧州連合(EU)の加盟国だ。その東欧諸国の要、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の出身地・ポーランドに「神はいない」運動が上陸するのだ。少し、長くなったが、当方の驚きを理解していただくために背景説明をした。
 「神はいない」運動は世界的に広がる兆候がみられる。今のところ、決して攻撃的なキャンペーンでないため、キリスト教会からの反発も強くない。静観、といったところだろう。
 音楽の都ウィーンでは市内の街灯塔にポスターを貼り、「神はいない。善行は人間的な行為」や「多分、神はいない。悩むのは止め、人生を楽しもう」といったメッセージを発信した。
 同運動は「無神論・不可知論的行動」、「人道主義と無神論者同盟」(AHA)、そして「自由思想家同盟」のイ二シャティブに基づく。ロンドンやマドリードでは既に一定の反響をもたらしている運動だ。その目的は有神論者を無神論者に改宗するのではなく、「無神論者の権利擁護のため」という。
 ポーランドでは、公共の電車やバスに「信仰なき道徳」などのポスターを貼る一方、来月10日、クラクフ市で無神論者や不可知論者が無神論者への差別を抗議してデモをする計画という。

韓国が再びIAEA理事国入り

 国際原子力機関(IAEA)の最高意思決定機関は35カ国から成る理事会だ。年5回の定例理事会が開催され、必要に応じて緊急理事会が招集される。
 例えば、ウラン濃縮関連活動を継続するイランの核問題で決議案を作成し、採択するのは理事国だ。それだけに、理事国の政治的ウエイトは重いこともあって、理事国入りはどの加盟国(150カ国)にとっても非常に重要なわけだ。
 35カ国中、米国や日本は常任理事国の立場だが、それ以外の加盟国は年次総会で地域毎に11カ国が選出される。
 第53回年次総会ではアジアからモンゴル、パキスタンが入り、欧州ではデンマークとオランダが理事国入りした。地域枠組み外からは韓国が選出された。
 ところで、韓国は2008年〜09年、非理事国だった。そのため、北朝鮮の核問題で発言はできるが、意思決定には参加できないから、韓国外交官はいつも不完全燃焼な気分を味わってきたわけだ。
 昨年9月にIAEA担当大使に就任したシム・ヨンジェ大使は理事国の立場をこれまで享受できずにきた。しかし、11月定例理事会からは理事国大使として堂々と発言し、協議にも積極的に関与できるわけだ。大使にとって大きな外交舞台だ。
 ちなみに、IAEA理事会は世界の目が注がれる外交の桧舞台だ。過去、多くの韓国外交官がIAEAの舞台で活躍し、帰国後、出世した。その代表は駐IAEA担当大使から外務次官、外相に出世し、そして国連事務総長に選出された潘基文氏だ。

ラマダン明けと国連記者

 ウィーンの国連は21日、ひっそりとしていた。国際原子力機関(IAEA)が先週と先々週の2週間、理事会、年次総会と続き、関係者の疲労が溜まったから休日となったわけではもちろんない。国連機関のれっきとした祝日だ。だだし、「どの祝日か」と聞かれ、直ぐに答えられる国連職員はあまり多くいないかもしれない。
 イスラム教のラマダン(断食の月)が19日、終わり、3日間、それを祝う(イード・アル・フィトル)祭日だ。IAEAも国連工業開発機関(UNIDO)もそれに合わせて休む。すなわち、国連職員は19日から3連休だったわけだ。イスラム教徒ではない国連職員にとっては、「もうけもの休み」といったところだろう。
 当方はイスラム教徒の知人記者が多いが、21日が休みだとは聞いていなかった。だから、濃いコーヒーを飲んで目を覚ましてから、いつものように国連に出勤したわけだ。そして国連ビル前に来て初めて祝日であることを思い出したわけだ。
 熱心なイスラム教徒の知人記者に電話で確認すると、「お前はイスラム教徒の祝日が国連祝日でもあることを忘れていたのか。とにかく、今日はイード・アル・フィトルだ。聖なる日だ」というと、あっさりと電話を切った。
 国連記者室を拠点に取材活動を始めて10年以上が過ぎたが、国連の祝日を忘れて出勤する、といった失敗をいまなお繰り返している。アルツハイマーの兆候ではないか、と自分が怖くなる。
 直ぐに自宅に戻って仕事をしてもよかったが、家族から「どうしたの」と聞かれるのが嫌なこともあって、市内の喫茶店に入り、ミランジェ(ミルク入りコーヒー)を飲んで新聞に目を通すことにした。この突然の休日をどのように有効に使うかを考えた。そして路上を行きかう市民の姿をみながら、「少なくともウィーン市は休みではないな」と呟いていた。

総会でみせたイラン側の譲歩

 国際原子力機関(IAEA)の第53回年次総会は18日、5日間の日程を終え、閉幕したが、議題24「操業中、建設中の核関連施設への武装攻撃や武装脅迫の禁止」では予想に反して決議案が提出されずに終わった。
 同議題はイランのソルタニエ大使が先月12日、エルバラダイ事務局長に提出したもの。イランは当初から総会決議の採択を目指していると受け取られた。総会決議が採択されれば、その外交上の拘束力は弱いが、大きな外交勝利を意味するからだ。議題タイトルには国名は明記されていないが、イスラエルのイラン核施設への軍事攻撃を意識した内容であることは明らかだ。
 イスラエルは1981年、イラクのバグダッド南近郊の「オシラク原子力発電所」を空爆して破壊した。最近では2007年9月にシリア北東部の核関連施設(ダイール・アルゾル施設)を空爆したばかりだ。イスラエルは国連安保理決議を無視してウラン濃縮関連活動を継続・拡大するイランに対し、これまで数回、軍事攻撃を示唆している。そこで、イラン側が150カ国の加盟国が集まる総会の舞台でイスラエルを牽制する狙いがあったはずだ。
 ところが、ソルタニエ大使は「わが国は元々、同議題で決議案を提出する考えはなかった」と主張、イランが決議案提出を断念したことを明らかにしたのだ。
 イランが方針変更した直接の主因は、議題協議前に開かれた非同盟諸国会議(NAM)加盟国の協議で意見の一致が実現できなかったからだ。具体的には、ペルーとシンガポールの2国が「議題の趣旨には賛成するが、核関連施設ではなく、平和目的の核関連施設への軍事攻撃と明確化すべきだ」と申し出たのだ。その主張が受け入れられれば、「平和目的の核関連施設」をどのように定義するか、という別の問題が浮き上がってくる。直ぐに、決定できるテーマではない。
 そこでイランは今回の総会では議題としたことで満足とし、決議案提出を諦めたのではないか。特に、ウィーンNAM議長国となったエジプトが加盟国の分裂を恐れていたこともある。その他に、総会では議題「イスラエルの核能力」と「中東地域での核保障措置の適応」で決議案が採択された直後であったので、「同一テーマの議題で3つの決議案が採択されるのは好ましくない」といった外交上の判断が働いたことも間違いないだろう。
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