ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2009年08月

イラクのキリスト教徒、消滅?

 イラクのキリスト教徒が迫害から逃れるために隣国へ亡命する傾向が絶えない。このままだと同国の少数宗派キリスト教が途絶えるのではないか、といった懸念すら聞こえてくる。
 バチカン放送によると、同国北部キルクークのルイス・サコ大司教はNGO「危機に瀕するキリスト教会」関係者に対し、「イラク国内の少数宗派への迫害が継続する今日、キリスト者にとって希望がない。キリスト者は最も容易に犯罪グループの襲撃の対象となる。イラク治安関係者はキリスト者の安全にあまり関心がない。国際社会はイラク政府に圧力を行使して、キリスト者の保護を要求すべきだ」と語っている。
 同大司教によれば、イスラム教のシーア派が強いイラク南部では「キリスト教徒の家庭は300家庭に過ぎない」と明らかにした。絶滅の危機に直面しているという。
 イラクのマリキ首相は昨年、バチカン法王庁を訪問、ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世と会談したが、法王からはイラク国内のキリスト信者を危惧する声が飛び出したほどだ。
 戦争前に約85万人いたイラクのキリスト教信者(同国人口約3%に相当)は今日、半分以上が国外に避難し、同国南部ではもはやキリスト教のプレゼンスはなく、首都バグダッドと同国北部にかろうじてキリスト教社会が生きのびているだけだ。
 イラク北部モスルでは2008年3月13日、武装集団に殺害されたカルデア典礼カトリック教会のパウロス・ファライ・ラホ大司教の遺体が見つかっている。
 なお、サコ大司教は29日、キリスト教会関係者とイスラム教学者ら50人と共に、イラクの和平と民族間の和解をアピールした。同大司教は「イスラム教徒もわれわれも兄弟であり、神の子だ」と強調し、イスラム教徒のキリスト信者への理解を求めている。

亡命ソマリア人のアピール

 ソマリア沖で海賊が出現し、欧米諸国の船舶が襲撃され、その乗組員が殺害されたり、人質として身代金を要求されるといった事件が頻繁に発生、同沖での船舶の安全が脅かされている。
 日本も海上自衛隊の護衛艦を派遣する一方、今年6月、海賊対処法を成立させるなど海賊対策に乗り出している。
 ところで、在独の亡命ソマリア人(匿名希望)と最近、話す機会があったが、彼によると、海賊問題は海賊退治だけで済まない、別の深刻な問題が潜んでいるというのだ、
 それによると、「欧州連合(EU)は海賊対策に腐心する前にソマリア海岸に有毒物質や放射性物質の廃液が入ったドラム缶を海に捨てる業者を取り締まるべきだ。ソマリア沖での不法な漁獲でソマリア人の生活の糧である魚類が激減したが、その上、有毒物質や放射性物質の廃液が入ったドラム缶を海底に捨てるため、地元住民のがんに罹る率が高まっている。業者らはソマリア政府の無秩序を悪用している」という。
 その主張を裏付けるように、国連環境計画(UNEP)は「1980年代からアフリカの海岸で有毒・放射性物質が入ったドラム缶が捨てられている」と指摘している。バーゼル行動ネットワークの報告では、米国の先端技術機材(コンピューターなど)のスクラップの50%から80%が開発途上国で処置されているという。
 亡命ソマリア人は「海賊退治も大切だが、不法な有毒物質を海に投げ捨てる業者を厳しく取り締まるべきだ。国際社会は強国の権益を保護し、弱小国家の権利を無視する、ということであってはならない」とアピールした。

ザイラー氏の果たせなかった夢

 1956年の冬季オリンピック(コルティナダンペッツォ大会)で滑降、回転、大回転の3種目で金メダルを獲得し、アルペンスキーで初の3冠王となった伝説的なオーストリアのスキー選手のトニー・ザイラー氏が24日、死去した。73歳だった。
 翌々日の26日、オーストリアの日刊紙ばかりか世界のメディアも偉大なスキー選手だったザイラー氏の訃報を詳細に報じた。同氏の存在の大きさを改めて知った。
 当方は昨年、「トニー・ザイラー氏の闘病」(2008年1月23日)というコラムの中で紹介したが、ザイラー氏がザルツブルク市の2010年冬季五輪大会開催地誘致の為に活動されていた02年9月、ウィーン市のホテルで同氏と会見する機会があった。
 こちらが日本人記者と分ると、「日本には多数の僕のファンがいる」と嬉しそうにいうと、「日本人がオーストリア、そしてザルツブルクに対して良き思い出を持っていることを信じている。プラハで開かれるIOC総会で日本の支援も受け、ザルツブルクが正式に開催地となれることを夢見ている、と伝えてほしい」と熱心にアピールされたことを思い出す。何事にも一生懸命に取り組むザイラー氏らしい、少々せっかちなコメントだった。
 残念ながら、ザルツブルクで冬季五輪を開催するという、ザイラー氏の夢は果たせずに終わった。モーツアルトの生誕地として有名なザルツブルク市は過去、2度、開催地に立候補したが、いずれも敗北した。ザイラー氏は、巨額な資金が動き、政治が関与する五輪開催地誘致が、スキー競技のようにはいかないことを肌で感じられたのではないか。
 終戦後の混乱期に競泳で世界記録を連発し、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、日本国民を勇気づけた古橋広之進氏と同じように、ザイラー氏は冬季五輪で3冠王の偉業を果たし、戦後の厳しい状況下にあったオーストリア国民を鼓舞したといわれる。ザイラー氏に「20世紀最高スポーツ選手賞」が授与されたのも当然だろう。
 その古橋広之進氏もトニー・ザイラー氏も今月、亡くなられた。冥福を祈りたい。

ウィーン国連都市、創設30周年

 ウィーン市22区のドナウ河沿いに聳える国連都市(VIC)がスタートして今月末で30周年目を迎えた。28日には国連の潘基文事務総長を迎え記念式典が開催される。
 ウィーンの国連都市は1979年8月末、オープンした。永世中立国のオーストリアの外交は冷戦時代、東西両陣営の掛け橋的役割を果たしてきたが、国連都市はそのシンボルと受け取られてきた。
 ウィーンの国連の敷地は約18万平方メートル。工期は約2年間。市内に事務所を開いていた国際原子力機関(IAEA)がVICに引越ししたのを皮切りに、国連工業開発機関、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)、国連薬物犯罪事務所(UNODC)、国際連合宇宙局(UNOOSA)など15余りの国連機関が次々と移転してきた。現在、約110カ国から約4000人の職員が勤務している。
 ウィーンの国連都市は、ニューヨークの国連本部、ジュネーブの欧州本部、そして、国連環境計画(UNEP)本部を置くケニアの首都ナイロビ市と共に4大国連都市と正式に命名されている。
 ちなみに、ホスト市のウィーン市側が国連側と交した契約によると、国連建物の家賃は当時1シリングとなっていた。ウィーン市が無料で建物を国連に貸しているわけだ。もちろん、ウィーン市にも大きなメリットがある。国連の国際会議開催などで年間、多数のゲストを迎え、そこから入る観光収入は年間3億6000万ユーロに達するというから、国連、ウィーン市双方にとって国連都市は魅力的、といったところだろう。
 なお、ウィーンの国連機関の花形、IAEAの事務局長に、在ウィーン国連機関日本政府代表部の天野之弥大使が今年12月1日、正式に就任することになっている。

マドンナと「洗礼ヨハネの斬首」

 米ポップス界の女王マドンナがブルガリアの首都ソフィアで今月29日、コンサートを開催する予定だが、同国の主要宗教・正教会関係者は「グリゴリオ暦では29日は洗礼ヨハネの斬首の祭日に当たる。その日にいかがわしい歌手がコンサートを開催するとは何事か」と激怒、「キリスト教の価値を汚すものだ」とコンサートの中止を要求している。
 当コラムの読者ならば既にご存知だと思うが、マドンナは今月15日、ポーランドの首都ワルシャワでコンサートを開催したが、15日がローマ・カトリック教会では「聖母マリアの被昇天祭」の祝日に当たることから、カトリック教会根本主義者や愛国主義者からコンサートの中止を要求する声が挙がったばかりだ。ちなみに、ワルシャワでのマドンナのコンサートは強い反対にも関わらず、開催された(駐オーストリアのポーランド大使館)。
 「洗礼ヨハネの首切り」の話は、新約聖書の「マタイによる福音書」14章や「マルコによる福音書」6章に記述されている。「洗礼ヨハネの斬首」をテーマとしたオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」を読まれた読者も多いだろう。
 さて、洗礼ヨハネの評価について、聖書学的には「大預言者」から「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」「天国で最も小さな人間」までさまざまな見解がある。正教会ではイエスの先駆者であったという点から、「前駆授洗者」という称号をつけている。それを祝日が8月29日なのだ。
 当方はマドンナの歌をまったく知らないが、サンクトペテルベルク、ワルシャワ、そしてソフィアと、コンサートが開催される都市でいずれも「コンサート・ボイコット」が叫ばれるということは、通常の歌手ではないはずだ。
 それにしても、「洗礼ヨハネの斬首」の日にマドンナのコンサートを開くという提案は誰の発想だったのだろうか。コンサートではサロメがマドンナに憑依したかのような錯覚に陥るファンも出てくるのではないか。

人工衛星の失敗は神の贈物

 韓国初の人工衛星搭載ロケット「羅老(ナロ)号」は25日、同国南部・全羅南道の羅老宇宙センターから打ち上げられたが、ロケットから分離した衛星が予定の目標軌道から外れ、失敗に終わった。
 韓国の代表紙中央日報は同日、発射後のロケットの動きを詳細に報じたが、韓国時間午後6時15分ごろ。「羅老は目標軌道進入に失敗」と流した。今後は衛星が正確に分離されず、軌道に進入できなかった原因の解明が課題となる。
 ところで、韓国初の人工衛星の打ち上げ失敗は案外、一回目の試みで成功するよりいいかもしれない。決して慰めの言葉でも、もちろん皮肉でもない。本当にそのように考えている。
 先ず、第1回の打ち上げで成功していたならが、韓国は「世界10番目の人工衛星打ち上げ国」ということで、政府も国民もハイ状況に陥る危険性があったが、失敗したことで、自国の実力を冷静に謙虚に見つめ直す機会となるからだ。
 繰り返すが、1回目の打ち上げ失敗は恥でも何でもない。日本を含むどの国でも経験していることだ。失敗を5回、6回と繰り返したならば、少し恥ずかしいが、今回は1回目だ。飛躍の機会として甘受できる範囲の失敗だ。
 その上、南北両国が交流再開の機会を模索している時だ。韓国が1回目の試みで成功していたならば、必ずや同胞民族の北朝鮮から激しい批判を受けていただろう。すなわち、「わが国が人工衛星打ち上げに成功した時、国際社会は激しくわが国を批判したが、韓国が同じようにロケットを発射させても批判せず、称賛すらしている。これは明らかにダブル・スタンダートだ」といった言いがかりだ。
 幸い、1回目の試みが失敗した事で、北側もソウルを批判できない。その上、ハイになってわれを忘れがちな韓国国民も少しは冷静になれる。
 読者の皆さんも韓国の人工衛星打ち上げが1回目の試みで成功していた時のことを想像して欲しい。韓国の民族主義は高揚し、社会はますます喧騒となり、北からはジェラシーを含んだ根拠のない批判が連日、流れてきただろう。今回の失敗は神からの贈物だ。

ウィーンの北大使館、弔問せず

 韓国の連合ニュースによると、在外の北朝鮮大使らが現地の韓国大使館に設置された金大中元大統領の焼香所を訪ね、弔問したという。
 同ニュースによると、駐英北朝鮮大使館の慈成男(チャ・ソンナム)大使、パリの駐国連教育科学文化機関(ユネスコ)の孫武信(ソン・ムシン)大使、ニューヨークの駐国連北代表部の申善虎(シン・ソンホ)大使、そして駐南ア北大使館の安煕正(アン・ヒジョン)大使が現地の韓国大使館を訪ね、弔問したという。かなり異例なことだ。北朝鮮が「太陽政策」を提唱した故金大中元大統領に対し、特別な思いがあることを示している。
 ところで、当方が住むオーストリアの韓国大使館にも北朝鮮外交官の弔問があったかどうかを確認するためにウィーン18区にある韓国大使館に電話した。それによると、駐オーストリアの北大使館からは誰も姿を見せなかったという。ウィーンの韓国大使館側は23日まで弔問を受け入れていたが、芳名録には北朝鮮関係者名はなかった。
 駐ウィーンの北朝鮮大使館を弁明する気はないが、金大中元大統領死去のタイミングが良くなかった。駐オーストリアの金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟)は6月末から約3カ月間の日程で平壌に帰国中だ。金大使の代理は一応ハム・ソンフン参事官だが、参事官レベルでは政治的インパクトがない。それとも、大使不在の駐オーストリアの北朝鮮大使館には平壌から弔問の指令が届いていなかったのかもしれない。
 蛇足だが、金光燮大使は重要な時にいつも任地のウィーンを離れている。2回の核実験前後もそうだった。駐オーストリアの駐在期間は既に16年を過ぎたが、大使の長期駐在の秘訣は「難題や不祥事には関与せず、毎年3カ月間の夏期休暇を享受することではないか」といいたくもなる。

イスラム教の第3ウィーン包囲

 ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁統計局によると、昨年度末現在で世界のイスラム教徒総数は12億8000万人でカトリック信者数の11億6500万人を初めて上回った。ただし、プロテスタント(新教徒)を含むキリスト者総数は21億4500万人で、依然、イスラム教徒数を大きく引き離している。
 イスラム教徒数の場合、スン二派、シーア派、その他のグループの区別はなく、イスラム国で生まれたならば、その人は自動的にイスラム教徒と数える。その意味で、イスラム教徒数はあくまでも参考数字と受け止めるべきかもしれない。
 ところで、西欧のキリスト教社会では久しく少子化に直面し、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供数)は2・0を越える先進諸国は少ない。例えば、オーストリアの昨年度合計特殊出生率は1・41だった。バチカン法王庁のあるイタリアでは少子化現象が著しく加速。犬の数が子供の数より多い地域もあるほどだ。先進諸国の中でフランスなど少数の国が移住者の増加、出産奨励策などで健闘しているだけだ。ちなみに、イスラム教国では合計特殊出生率は4・0以上の国が多い。
 当方が住むオーストリアのイスラム教徒数は約35万人と推定され、その数は年々、増加している。トルコ系と旧ユーゴスラビア出身のイスラム教徒が大多数を占める。
 ウィーン市23区の中でも「労働者の区」といわれる16区ではイスラム教徒が多い。週末になると、小学校の子供たちがコーランを学習するために近くのイスラム寺院に通う姿を良く見かける。16区のOttakring(オタクリング)地域に住んでいると、オーストリアが伝統的なカトリック教国であることを忘れてしまうほどだ。
 オスマン・トルコ軍は1529年と1683年の2度、ウィーンを包囲したことがあったが、キリスト教国が当時、一体化してウィーンを死守、イスラム教の北上を阻止した。21世紀に入った今日、移民と高出生率を武器にイスラム教徒が再び、ウィーンを包囲してきている、といえるかもしれない。
 ウィーン市民が近い将来、教会の鐘ではなく、イスラム寺院のミナレット塔から祈祷の時間を知らせるアザーンで目を覚ます、といったこともあり得るかもしれない。

アフリカ出身の元留学生の話

 スーダン出身の友人シェリフ国連記者はしみじみと留学生時代を語ってくれた。同記者は1970年代初め、東欧共産圏時代のハンガリーの工科大学に留学した。
 12歳の時、父親を失った彼は6人兄弟姉妹の長男だったが、学校の成績が優秀だったので、親戚の支援を受けてハンガリーの工科大学に留学した。「親戚の助けがなければ大学に通うこともできなかったね」という。彼は首都ハルツームから約300キロ南にあるアバという島で生まれた。
 さて、 ブタペストの学生寮に着くと、先輩学生が部屋にやってきて、「アフリカ出身者が知らなければならない事」として2点を挙げた。1つは「時間を知る」、もう1つは「カレンダーを置く」ということだ。
 どういうことかというと、「時間を意識しなくても生活できる国からきた学生たちが最初にしでかす失敗は約束を忘れ、試験日を間違うことだ。部屋に帰ったら、カレンダーに直ぐに試験日や友人と約束した日付などを記入すること。カレンダーは銀行に行けばタダで手に入る」(先輩学生)ということだ。
 友人は思い出し笑いをしながら、「スーダンで生活していた時は時計をみて行動する、ということはなかったね。故郷では時間は無限にあると思っていた。今ではアフリカ出身の学生も時間やカレンダーのある生活をしているが、当時はまったく違っていたよ」という。ちなみに、友人は学校で知り合ったベトナム出身の女学生と友達になって、その方に忙しくてよく授業を忘れたという。
 ところで、スーダン出身の学生たちを驚かしたのは冬の朝、人々の口から白い煙が出てくることだったという。友人は当初、「何か口に入れているのか」と考えたという。空気が冷たい為に吐く息が白くなる、というシンプルなことを後日知ったという。ハンガリーの冬は隣国オーストリアと同様、長く厳しい。アフリカ出身の留学生にとって冬は大変だったろう。

縮小するオーストリア教会

 オーストリアのローマ・カトリック教会昨年度の信者数は557万9493人で前年度比で約2万3700人減少した。日曜日礼拝参加者数は平均72万9879人で前年度(77万9418人)比で微減した。礼拝参加率は14%から13%に低下した。
 アルプスの小国オーストリアのカトリック信者数は全人口の約67%。1951年ではその割合はまだ約89%だったから、57年間余りで約22%の国民が教会から去った計算になる。
 ちなみに、カトリック教会の成長地域であった南米カトリック教会では今日、毎年人口1%に当たる信者数が減少しているところが少なくない。その点、オーストリア教会の縮小はまだそのスピードが緩やかだ。
 ウィーン大教区の報道官によると、教会から脱会した元信者の再入信数が増えている。2007年度は再入信者数は4262人だったが、昨年度は5037人と微増した。同時に、成人後、洗礼を受けた信者数も同様に増えているという。具体的には、5039人から5261人に増えた。
 オーストリアでは1990年代、同国教会最高指導者グロア枢機卿が教え子に性犯罪を繰り返していたことが暴露され、多くの信者たちが大ショックを受けた。その後もサンクト・ペルテン教区の司教問題、最近では「天罰発言」で物議を醸したリンツ教区のワーグナー神父問題などが影響して教会への信頼性は失墜している。ただし、聖職者の性犯罪や犠牲者への補償問題から財政危機に直面している隣国・ドイツのカトリック教会のような状況はまだみられない。
 日曜礼拝参加者の減少に対抗する為に、教会全体で「日曜日を守れ」キャンペーンが展開されているが、国民の関心を再びキャッチするほどの効果は今のところない。
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