2009年06月 : ウィーン発『コンフィデンシャル』

2009年06月

2009年06月20日06:00

カテゴリ: 北朝鮮

「正雲氏極秘訪中報道」の教訓

　朝日新聞が１６日と１８日の２度に渡り、１面で北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記の後継者に決定したといわれる３男・正雲氏が今月１０日頃、中国を極秘訪問し、胡錦濤中国国家主席と会談したと報じたが、その直後、中国外務省側が「全面否定」するといった事態が生じた。
　そこで当方は知人の北朝鮮外交官に朝日の記事への感想を聞いてみた。知人は笑いながら、「クレージだ」という。「どうしてそう思うのか」と、その根拠を尋ねたら、「報道内容はわれわれの通常の思考では受け入れ難いからだ」という。
　当方は朝日新聞の肩をもつわけではないが、更に質問した。「記事を読むと、情報源は金総書記に近い北朝鮮関係者と中国駐在の北朝鮮関係者と書いてある」
　知人は「彼らは多分、金をもらったのだろう」という。朝日新聞の北京特派員が北朝鮮関係者に金を提供して情報を引き出した可能性がある、というわけだ。
　われわれジャーナリズムの世界では情報を買うこともある。情報提供者が報酬を要求する場合があるからだ。
　そこで支払うと、情報提供者の口は途端に軽くなる。問題は正しい情報だけを話してくれたらいいのだが、軽くなった口は滑りやすくなる。サービス精神も手伝って未確認情報や噂をあたかも事実のように喋る、という場合も出てくる。もちろん、情報を提供する度に新たな報酬を要求する、といったしっかり者の情報提供者もいる。
　朝日新聞の記者の情報提供者がどのタイプかは知らない。知人は「北朝鮮外交官も金には弱いからね」と語った。
　ところで、北情報市場では目下、後継者に決定したといわれる正雲氏の成人後の写真が、いつメディアに掲載されるかが最大関心事となっている。正雲氏の写真は数百万円からそれ以上の値段がつくという。駐中国の北朝鮮外交官たちが金稼ぎのため西側メディア機関に正雲氏の写真を密かに売り出す可能性があるというのだ。
　いずれにしても、謝礼金を払う前に写真の信憑性を厳密にチャックする必要がある。さもなければ、テレビ朝日のように２度も訂正放送を流さなければならなくなるだろう。

2009年06月19日06:00

カテゴリ: 国連記者室

エルバラダイ事務局長の「野心」

　国際原子力機関（ＩＡＥＡ）のエルバラダイ事務局長が英国放送協会（ＢＢＣ）とのインタビューの中で、「自分はイランが核兵器開発に関する技術修得を願っているように感じる」と答えたことが伝わると、今年１１月末に退陣予定の事務局長の発言の狙いに関心が集まっている。
　事務局長の爆弾発言は、もちろん、イラン側を激怒させたことはいうまでもない。イランのＩＡＥＡ代表、ソルタニエ大使は「事務局長の発言は間違っている。わが国の核開発は核エネルギーの平和利用が目的だ。イスラム教の教えからいっても大量破壊兵器である核兵器の製造は受け入れられない」と反論している。
　ＩＡＥＡ理事会は過去６年間、イランの核問題を協議してきた。理事会開催前には事務局長が査察履行状況に関する報告書を理事国に提出してきた。ソルタニエ大使が指摘したが、事務局長は通算２０回の報告書の中で「イランの核計画が軍事目的に利用されたことを実証するものは見つかっていない」と記述してきたのだ。それがどうしてここにきて「イランの核兵器開発意思」を示唆するような発言をしたのか。
　ＩＡＥＡ担当の西側外交筋は「エルバラダイ氏の発言はイランの核問題で強硬派の米国にウインクを送る意図があったはずだ。すなわち、カリスマ性の乏しい天野之弥大使（在ウィーン国際機関日本政府代表部大使）に不満を感じている米国に向け、その指導力を見せたわけだ。事務局長の爆弾発言は４選出馬を視野に入れた、計算されたパフォーマンスだ」と分析している。
　エルバラダイ事務局長は一応、退陣後は米国のシンクタンクに所属しながら、世界中で講演活動をする予定といわれてきたが、混沌とする次期事務局長選の動向をみて、４選を密かに考え出したというわけだ（エルバラダイ事務局長の前任者、ハンス・ブリクス氏は４選）。
　とすれば、エルバラダイ事務局長の爆弾発言は次期事務局長の最有力候補者・天野大使への挑戦状ともいえるわけだ。

2009年06月18日06:00

カテゴリ: 北朝鮮

北のニセ情報を見破る「原則」

　日韓メディアでは目下、多種多様の北朝鮮情報が流れている。同国の２回目の核実験後、北情報の露出度は更に増した感がする。
　理由はある。北朝鮮は隣国であり、独裁者が支配している国だ。次に何が飛び出すか予測ができない。それだけに、隣国の国民は「不安」を感じる。読者のこの「不安」を解消するために、メディア機関は日々、せっせっと北情報を流すことになる。問題は、情報が増えたことで、その「不安」が解消できればいいのだが、現実はどうやらそうではないのだ。
　当方は当コラム欄で「北情報の『需要』と『供給』」（２００８年６月３日）という記事を書いたが、北情報市場は資本主義の市場経済システムに基づいて動いている。すなわち「需要と供給」の原則だ。需要あるところに供給が生まれる。特に、北問題では先の需要を見越した情報ブローカーの“投機情報”も少なくない。それだけに、北朝鮮に関する情報市場は玉石混淆といった状況を呈してくるわけだ。
　ここで読者のために、どの情報がニセ情報かを判断できる簡単な尺度を紹介したい。その判断基準はもちろん絶対ではないが、かなりの確率で当たる。
　例えば、金正男氏の動向に関する情報を考えてみる。金正男氏は過去、２度、暗殺の危機があったという。２００４年１１月と今年６月だ。両記事は酷似している。主語と関係者名を入れ替えればほぼ同一記事だ。読者には、後継者に決定した正雲氏派から粛清の危機にある正男氏のイメージが湧いてくる。そこに「正男氏暗殺計画」が暴露（？）されれば、簡単に信じてしまう。経済学的にいえば、需要のあるところに供給が生まれるからだ。心理学的にいえば、読者は自身のイメージに合致した情報ならば、無条件で受け入れようとするのだ。
　ニセ情報の記事の場合、その記述はどうしても詳細とならざるを得ない。金正日労働党総書記の病状を伝えた記事を思い出して欲しい。まるで、金総書記の病床から記事を書いているように詳細だったではないか。
　西側情報機関の知人が「北情報では詳しく書いてある記事は先ず疑う」と語っていたことを思い出す。金正雲氏が極秘に中国を訪問していた、という最近の記事を再度読んでいただきたい。非常に詳細だ。情報の発信者は、“相手（記者や読者）を信じさせるために”詳細に説明せざるを得なかったからだ。これがニセ情報の宿命なのだ（ここでは「ニセ情報工作」については省略した）。

2009年06月17日06:01

カテゴリ: 北朝鮮

２つの「正男氏暗殺計画」記事

　「北朝鮮の金正日労働党総書記の長男・金正男氏（３８）がマカオで後継者に決定した総書記の３男・金正雲氏（２６）派によって暗殺されかけたが、計画を事前にキャッチした中国側が正男氏を保護した」
（２００９年６月）

　「後継者問題に絡んで反正男グループが正男氏をウィーンで殺害しようとしたが、その情報をキャッチしたオーストリア内務省は直ぐに駐オーストリアの北朝鮮大使に連絡し、暗殺計画の中止を要請。そのため、正男氏暗殺計画は阻止された」
（２００４年１１月）

　この２つの記事は非常に酷似している。最初の記事では「中国当局」が、２番目の記事では「オーストリア内務省」が、正男氏暗殺を阻止しただけで、内容は全く同じだ。そして０４年の暗殺計画記事が全くの作り話だったことは既に関係者によって確認されている。今回の暗殺記事も同じ運命を免れることはできないだろう。
　後継者が誰に決定したとしても、父親・金総書記が正男氏の暗殺計画を許可するはずがない。そのため、記事の中では「暗殺計画は金総書記が関知せずに進められた」とわざわざ説明しているが、金総書記が知らないところで、長男・正男氏の暗殺を行える人物は北朝鮮国内にはいないはずだ。

2009年06月17日06:00

カテゴリ: 北朝鮮

北の核実験を確認できるか

　北朝鮮が２回目の核実験を実施してから既に３週間が過ぎたが、核実験を確認する放射能物質（クリプトンやゼノン）は依然、検出されていない。
　核実験を監視する包括的核実験禁止条約（ＣＴＢＴ）暫定技術事務局のトート事務局長は先日、「核実験であったことは間違いないが、今回は放射能物質を検出できない可能性がある」と表明しているほどだ。
　その理由の一つとして、北朝鮮の核実験場所（豊渓里）の岩石が堅く、地下深い場合、放射能物質が大気に放出され難いからだ。ちなみに、前回は核実験の２週間後、カナダの監視施設が放射能物質を検出している。
　ＣＴＢＴ機関が「核実験だった」と確信する背景には、国際監視システム（ＩＭＳ）の６１施設（主に、地震観測者所）が北のイベントをキャッチしたからだ（前回は２２施設がキャッチした）。
　しかし、科学者の中には「北朝鮮が通常のＴＮＴ爆弾を爆発させて核実験を装った可能性も排除できない」と考える学者がいる。俗にいう、ＳｃｅｎａｒｉｏｏｆａＢｌｕｆｆだ。
　北朝鮮の核実験の確認が難しい理由は、爆発力が小さいからだ。米国家情報局（ＤＮＩＩ）は１５日、「北の核実験の爆発力は数キロトン」という調査結果を明らかにしている。１キロトン以下だった１回目の核実験と比べるならば、その数倍の爆発だが、長崎や広島の核爆発よりかなり小さい。
　北朝鮮の核実験が小規模に留まっている理由として、国際原子力機関（ＩＡＥＡ）元査察官のウイリー・タイス博士は「第１には核物質の兵器化技術がまだ十分でないからだ。大規模の爆発力を生じさせる為には高度な技術が必要だ。その他、抽出した核物質（プルトニウム）の使用を出来るだけ節約したいという理由も考えられるが、主因はあくまでも前者だ」という。
　ＣＴＢＴ機関関係者は「核実験を確認する最終的な方法は、人工波がキャッチされた場所の現地査察（ＯＳＩ）以外にはない」という。しかし、実験場所は通常、軍事エリアだ。外部関係者に査察を許可するとは考え難い。
　北朝鮮のように、小規模な核実験で、放射能物質も検出されない場合、核実験を確認する作業はかなり難しいわけだ。

2009年06月16日06:00

カテゴリ: 国連記者室; 北朝鮮

北の国連加盟資格の有無を問う

　国連安保理が１２日、核実験を実施した北朝鮮に対し追加制裁決議を採択したが、その席に北朝鮮代表が欠席していたことから、「北朝鮮は国連脱退を検討しているのか」といった懸念の声が聞かれたという。
　北朝鮮は１９９１年９月、韓国と同時に国連に加盟したが、核問題でニューヨーク国連本部の安保理で反論する時や、ジュネーブの国連人権理事会で日本の戦争犯罪を追及したり、日本人拉致問題で弁明する以外、北朝鮮外交官の声を国連で聞くことはほとんどない。北朝鮮には、アラブ諸国のような国連を舞台とした華やかな外交は存在しない。その意味からいうならば、北朝鮮にとって国連脱退云々は本来、テーマとはならないのだ。もちろん、北朝鮮は必要に応じて国連機関を利用してきた。食糧問題が危機になれば、国連食糧農業機関（ＦＡＯ）や世界食糧計画（ＷＦＰ）にそれとはなく支援を要請してきた。
　国連安保理が北朝鮮の１回目の核実験を受け、対北決議を採択した時、米国のボルトン国連大使（当時）は北朝鮮の朴吉淵国連大使（当時）が制裁決議の受け入れを拒否して退席する姿をみて、「北朝鮮には国連加盟の資格がない」と激怒している。
　ボルトン氏は間違ってはいない。国連決議を無視する一方、国家レベルで不法な麻薬取引に関与しているとすれば、国連憲章第２章（加盟国の地位）の明確な違反となるからだ。
　北朝鮮の国連脱退云々を考えるよりも、同国の国連加盟資格有無を問うべきだろう。国連脱退は元々、加盟資格を有する国しか出来ない問題だからだ。

2009年06月15日06:00

カテゴリ: カトリック; キリスト教

「ライアン報告書」の衝撃

　アイルランドのカトリック教会経営の教育施設内で多数の児童・生徒たちが性虐待されたり、暴行を受けていた事件を調査してきたライアン委員会は先日、報告書（通称「ライアン報告書）をまとめて同国教育・科学省に提出したが、その内容が報じられると、国民に大きなショックを与えている。
　報告書によれば、８０年代までにカトリック教会関連教育施設内で２０００人以上の子供たちが性虐待や暴行を受けていたという。驚かされるのは、その数の多さばかりではない。蛮行が学校施設内で組織的に行われていたという事実だ。１人の異常者による犯行ではなく、多くの学校関係者が関与していたというのだ。
　アイルランド国民の９５％はカトリック信者と推定され、同国の教育施設ではカトリック教会系学校が多い。そこで学んでいた児童・生徒たちが聖職者や教師たちから性虐待や暴行などの蛮行を受けていたというわけだ。
　報告書が発表されると、教会への批判が高まる一方、「教会学校運営を監督する政府がどうしてそのような不祥事を阻止できなかったか」といった政府批判が出てきた。
　バチカン放送によると、同国教会最高指導者ショーン・ブラディ枢機卿とダブリン教区のマーチン大司教は５日、バチカン法王庁でべネディクト１６世と会見し、「ライアン報告書」の内容を伝えた。法王庁関係者によると、べネディクト１６世も大きなショックを受けていた様子だったという。
　ブラディ枢機卿は「キリストの教えに反する行為が教会の学校内で行われてきたことは恥ずかしい。われわれは悔い改めなければならない」と述べている。
　当コラムの読者ならば既にご存知と思うが、カトリック教会内や関連施設内では現在も性犯罪が起きている。特に、欧米教会では被害者へ支払う賠償金が巨額となり、破産宣言を強いられる教会が出てきているほどだ。残念ながら、第２、第３の「ライアン報告書」が出てくるのは避けられないだろう。

2009年06月14日06:00

カテゴリ: カトリック

麻生首相の信仰問題

　バチカン放送は昨年９月２２日、日本の与党・自民党の総裁選で麻生太郎幹事長が圧倒的な勝利をした時、「日本で初のカトリック信者の首相が誕生」と急報を流し、カトリック信者の首相誕生に大きな期待を寄せたほどだ。あれから９カ月が過ぎようとしている。
　７月には主要国首脳会議（Ｇ８サミット）がイタリア中部ラクイラで開催されるが、麻生首相はその前後にバチカン法王庁を訪問し、ローマ法王べネディクト１６世を表敬訪問したい意向という。カトリック信者にとって、ローマ法王と会見することは大きな喜びであり、名誉だ。
　首相がＧ８サミット会議に拘るのは、世界の耳目が集まるサミット会議に参加したいからというより、１人のカトリック信者として法王に会いたいからではないか――当方はここでは好意的に解釈している。
　日本の過去の首相を振り返ると、現職中に病死した大平正芳は聖公会のクリスチャンであった。大平は演説の中で聖書を引用することもあったという。ちなみに、大平はイタリア・ベネチアで開催予定のサミット会議（１９８０年）に参加できずに急死した。なお、現内閣では与謝野馨財務相がカトリック信者だ。
　麻生首相のバチカン訪問が実現すれば、バチカン側も大歓迎だろうが、同時に、べネディクト１６世との会見では日本の死刑廃止問題が飛び出してくる可能性が高い（バチカンは死刑廃止を支持）。
　ところで、日本では政治家の信仰問題が話題となることはほとんどない。日本と好対照は米国の政界だろう。米大統領選挙でも候補者の信仰姿勢が重要な争点となる。いい加減な信仰では国民の信頼を勝ち取ることができない。宗教は飾り物でも見栄でもなく、その人の生き方を示すバロメーターだ。日本とは大きな違いだ。
　麻生首相、日本で良かったですね。ホテルのバーで酒を飲むことが日曜日の礼拝参加よりも好きな首相では、米国では選挙に勝つことは絶対できませんからね。

2009年06月13日06:00

カテゴリ: 北朝鮮

北の３回目の核実験は危険

　北朝鮮は３回目の核実験を準備しているという。その真偽は当事者しか分らないから、ここでは言及しない。当欄では「３回目の核実験が実施される」という仮定のもと、その目的を考えてみた。
　当方は数年前、英核燃料会社（ＢＮＦＬ）の企業内部文献「核燃料サイクルと核拡散の道」を入手した。コラム欄でもその内容を紹介したことがある。その文献には、核兵器の歴史から核兵器の構造と関連機材、核兵器化、フランスの海底核実験の仕組みまでが記述されている。そして「核兵器化プログラムの最終段階として核実験がある。核実験を履行する理由は６点ある」という。その６点とは、①Technical assurance （技術保証）、②Data acquisition（データ取得）、③Effects test（爆発効果テスト）、④Science experiment（科学実験）、⑤Peaceful nuclear explosions（平和的核爆発）、⑥Demonstration（示威）だ。
　それでは北朝鮮の１回目の核実験（２００６年１０月）はどうか。先ず、①と③が該当するだろう。北側も試行錯誤の段階だった。２回目（０９年５月）は１回目と同様、①と③が中心だ。なぜならば、１回目の実験が小規模すぎたし、爆発も不十分だったからだ。５月の核実験は実験の貫徹が主要目的だったはずだ。問題は３回目の核実験だ。①もあるが、それ以上に⑥が狙いだ。国連安保理の追加制裁決議への抗議が主要目的となるからだ。
　北朝鮮の核実験が「技術保証」「爆発効果テスト」の実験段階から、「示威」という政治的、軍事的目的が強まってくると、それに呼応して核実験の危険性は高まる。「北朝鮮の３回目の核実験は危険だ（事故や不祥事の発生など）」という一部の科学者の懸念もその辺を考えた上での発言だろう。
　３回目の核実験は北側にとって想定外であり、準備が十分ではない。例えば、地下核実験の場合、最低地下１キロの深さの穴を掘らなければならないのだ。
　「英明な同志」という呼称を受けた金正雲氏は後継者の実績つくりのために核実験を主導しているという。それが事実ならば、父親・金正日労働党総書記に代わって、３回目の核実験の危険性を警告し、実験を回避すべきだ。

2009年06月12日06:00

カテゴリ: 北朝鮮

北朝鮮大使にまといつく「不安」

　駐オーストリアの北朝鮮・金光燮大使（金正日労働党総書記の義弟）の夏期休暇がまた始まろうとしている。例年通りとすれば、金大使は今月末か来月初めには平壌に帰り、ウィーン帰任は９月末から１０月初めとなる。それにしても長期休暇だ。
　ところで３カ月余りの夏期休暇を前に金大使が喜んでいるか、といえば、そうともいえないのだ。学生や子供ならばワクワクするが、金大使の場合、平壌で何が待っているか、本人も知らないのだ。
　欧州の北朝鮮ビジネスマンが巨額の資金を投機で失った直後、平壌から帰国指令が届いた。その時、そのビジネスマンの夫人は「帰国が怖い」と関係者に漏らしたという。金大使の場合、巨額の資金を失ったり、金正日総書記を批判したりしたことがないから、「怖い」わけではないだろうが、それでも「何かが起きるかもしれない」といった一種の強迫観念が大使を苦しめているのだ。
　故金日成主席と金聖愛夫人との間で生まれた娘、金敬淑夫人と結婚した金大使は自動的に故金主席と金正淑夫人（故人）との間の長男・金正日総書記の義弟となったが、同時に外様大名のような立場に置かれた。これは金大使の運命だ。金大使の結婚は故金主席の仲人で成立したが、金大使には当時、他の選択肢はなかった。ちなみに、金大使は海外に赴任する直前、義兄の金総書記の前でその忠誠を誓ったといわれている。
　しかし、義兄の金総書記は昨年夏、重病となった。平壌の権力構造にも変化がみられる。ひょっとしたら、金総書記の３男・正雲氏が後継者に選出され、新たな権力構造が確立しているかもしれない。金総書記の妹（敬姫）の夫、張成沢・労働党行政府長の台頭が伝えられてくる。金大使は新しい状況にどのように対応すべきか、本人も不安に違いない。選択を間違えれば、家族、氏族が粛清されることだって排除されない国柄だ。
　長期夏季休暇を間近いに控え、金大使の顔色がもうひとつ冴えないのは“この不安”があるからだ。