映画「ダ・ヴィンチ・コード」の続編として注目を集める「天使と悪魔」(ロン・ハワード監督と主演トム・ハンクス)は目下、日本でも上演中という。
ここでは映画の内容を紹介するつもりはない。当方は当ブログ欄で「悪魔(サタン)の存在」(2006年10月31日)についてコラムを書いたことがある。その時から「天使(エンジェル)の存在」についてもいつか書きたいと思っていた。映画「天使と悪魔」の話題を聞いた時、「天使の存在」について所感を述べる機会が到来した!と思った次第だ。
「神の存在」を問う人々は結構いるが、神に対峙する「悪魔」(サタン)の存在を深刻に考える人は案外少ない。一方、「天使の存在」については、漠然とだが、「わたしの守護神」といった表現で受け止める人々が今日、増えてきている(「天使」と「守護神」は同一存在ではないが、ここでは詳細に言及しない)。
聖書の中で悪魔について約300回も言及されている。例えば、「悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(ヨハネによる福音書13章2節)とか、十字架に行く決意をしたイエスを説得するペテロに対し、イエスは「サタンよ、引きさがれ」(マルコによる福音書8章33節)と激怒している、といった具合だ。
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は「悪魔は擬人化した悪」と規定しているが、世界のカトリック教会では今日、「悪魔」について話すことを避ける傾向が強い。バチカン法王庁が1999年、1614年の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を修正し、新エクソシズム儀式を公表した時、教会内で大きな動揺が起きたほどだ。
一方、「天使」も聖書の中で頻繁に登場してくる。天使は「神の使い」として創造され、さまざまな役事を行っている。例えば、聖母マリアの受胎告知は天使ガブリエルの業だった。
一般的に「天使」といえば、愛らしい存在と考えやすいが、残念ながらそれは事実ではない。17世紀の英国詩人・ジョン・ミルトンの「失楽園」(Paradise Lost)の中で記述されているように、天使(ルシファー)は人類始祖を罪に誘っている。すなわち、“堕落した天使”が存在するのだ(悪魔とは、堕落した天使だった、という結論が出てくる)。
著名なエクソシスト、ガブリエレ・アモルト神父は「悪魔の憑依現象は増加しているが、聖職者はそれを無視している」と警告したが、「悪魔」(落ちた天使)が実際に存在するとすれば、それらの事実に口を閉じたり、否定する聖職者や神学者は、悪魔にとって心強い味方、といえるわけだ。
いずれにしても、「天使か、それとも悪魔か」といった視点からではなく、「悪魔となった天使」という観点から、聖書66巻の世界の謎解きを始めるべきだろう。
ここでは映画の内容を紹介するつもりはない。当方は当ブログ欄で「悪魔(サタン)の存在」(2006年10月31日)についてコラムを書いたことがある。その時から「天使(エンジェル)の存在」についてもいつか書きたいと思っていた。映画「天使と悪魔」の話題を聞いた時、「天使の存在」について所感を述べる機会が到来した!と思った次第だ。
「神の存在」を問う人々は結構いるが、神に対峙する「悪魔」(サタン)の存在を深刻に考える人は案外少ない。一方、「天使の存在」については、漠然とだが、「わたしの守護神」といった表現で受け止める人々が今日、増えてきている(「天使」と「守護神」は同一存在ではないが、ここでは詳細に言及しない)。
聖書の中で悪魔について約300回も言及されている。例えば、「悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(ヨハネによる福音書13章2節)とか、十字架に行く決意をしたイエスを説得するペテロに対し、イエスは「サタンよ、引きさがれ」(マルコによる福音書8章33節)と激怒している、といった具合だ。
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は「悪魔は擬人化した悪」と規定しているが、世界のカトリック教会では今日、「悪魔」について話すことを避ける傾向が強い。バチカン法王庁が1999年、1614年の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を修正し、新エクソシズム儀式を公表した時、教会内で大きな動揺が起きたほどだ。
一方、「天使」も聖書の中で頻繁に登場してくる。天使は「神の使い」として創造され、さまざまな役事を行っている。例えば、聖母マリアの受胎告知は天使ガブリエルの業だった。
一般的に「天使」といえば、愛らしい存在と考えやすいが、残念ながらそれは事実ではない。17世紀の英国詩人・ジョン・ミルトンの「失楽園」(Paradise Lost)の中で記述されているように、天使(ルシファー)は人類始祖を罪に誘っている。すなわち、“堕落した天使”が存在するのだ(悪魔とは、堕落した天使だった、という結論が出てくる)。
著名なエクソシスト、ガブリエレ・アモルト神父は「悪魔の憑依現象は増加しているが、聖職者はそれを無視している」と警告したが、「悪魔」(落ちた天使)が実際に存在するとすれば、それらの事実に口を閉じたり、否定する聖職者や神学者は、悪魔にとって心強い味方、といえるわけだ。
いずれにしても、「天使か、それとも悪魔か」といった視点からではなく、「悪魔となった天使」という観点から、聖書66巻の世界の謎解きを始めるべきだろう。