ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2008年10月

KCNA発の「祝電」への一考

 北朝鮮国営の朝鮮中央通信社(KCNA)には当方もお世話になっている。北朝鮮当局の政策や訪朝団の動向が報じられるので参考になるからだ。
 今回はKCNAが発信する外国の建国記念日への祝賀メッセージを振り返ってみた。ここでは、10月26日のオーストリアの建国記念日に対するKCNAの祝賀メッセージを紹介したい。
 KCNAは毎年、26日前後にオーストリア大統領宛てに建国記念日を祝賀する金永南・最高人民会議常任委員長のメッセージを発信している。今年は25日発だが、フィッシャー大統領宛てメッセージは14日に送られている。2005年にも20日に送信されている。それ以外は当日の26日か、その前日だ。過去10年間で「26日」後の祝電報道は2000年度の「27日発」だけだ。
 祝賀メッセージの内容は毎年ほぼ同じだ。今年も大統領の職務の成果と国民の繁栄を祝しているが、前年までは常に「2カ国間の関係の発展を祈願する」という文書があったが、今年はそれが削除されていた。
 目を引く点は、北朝鮮が核実験を実施した06年度だ。KCNAはオーストリア建国記念日の祝賀メッセージと共に、訪朝中の同国労組協会事務局長が北朝鮮の先軍政策を称賛した、という内容の記事を付け加えていることだ。オーストリア建国50周年を迎えた05年度には、フィッシャー大統領宛てだけではなく、プラスニク外相宛てにも白南淳外相(当時)が祝電を送っている。相手国の政情の変化や北朝鮮の事情も反映して、その祝電内容に微妙な変化があるわけだ。
 いずれにしても、韓国で李明博政権が発足して以来、KCNAでは日本と共に韓国を批判する記事が急速に増える一方、金正日労働党総書記の健康悪化説が流れて以来、同総書記への外国VIPからの贈呈報道が目立つ。KCNAは北朝鮮の国内事情を鮮明に反映させる“貴重な”メディアといえるだろう。

李北参事官の怒り爆発

 国連を訪問し、大使館に戻る途上の李イルチュル北朝鮮参事官をつかまえて質問をした。以下はその一問一答だ。

 ――金光燮・北朝鮮大使(同国最高指導者・金正日労働党総書記の義弟)は先週、国連薬物犯罪事務所(UNODC)のアントニオ・コスタ事務局と会見したが、その目的は何か。
 「わが大使はいつも国連の事務局長らと会見している。珍しいことではない。今回も通常の会見だ。特別な目的は聞いていない。意見交換と思っている」
 ――ところで、北朝鮮はここにきて韓国を厳しく批判してきた。関係断絶も辞さない剣幕だ。
 「当たり前だ。前政権がわが国と合意した内容を破棄する現政権とは関係を維持できない。わが国は過去2度、首脳間で合意事項を決めたが、韓国の現政権はそれらをことごとく破棄している。どこの国が前政権が他国と交した合意事項を無視し、破棄するだろうか」
 ――参事官は過去2度の南北首脳会談の合意事項の不履行を指摘しているのか。
 「当たり前だ。わが国はソウルの出方次第では関係を断ち切る考えだ」
 ――国交断絶を意味するのか。
 「その通りだ。韓国政府は政策を変更すべきだ」
 ――平壌は韓国だけではなく、日本に対しても連日、激しい批判の雨を降らしている。
 「日本は完全な主権国家ではない。全ての決定が米国追従だ。どこに主権国家としての威厳があるのか。わが国政府は既に表明したが、日本は6カ国協議の参加国の資格を有していないのだから、出て行くべきだ」
 ――北朝鮮は目下、韓国、日本と隣国を罵倒し続けているが、国内情勢はどうか。例えば、金正日労働党総書記の健康悪化説が9月以来、流れている。
 「問題などない。まったくない。とにかく俺は今、忙しい」

 李参事官は日頃から日本のことを聞くと怒りを発する外交官だったが、今回は韓国に対しても激しく怒っていた。金総書記の健康問題を聞いた時だけ、その怒りは急速に萎縮し、声が小さくなった。

前ウィーン市長の意外な申し出

 TVジャーナリスト、教育相などを歴任した後、1984年から10年間、ウィーン市長を務め、国民的人気があったヘルムート・ツィルク氏が24日早朝、入院先の病院で心不全のため死去した。81歳だった。
 同ニュースを聞いた時、市長時代のツィルク氏と大きな市長室で1時間余り会見した時のことを思い出した。会見内容は既に忘れたが、会見後、同氏が当方にいった内容は今でもよく覚えている。
 「君、いいアパートが必要ならば、僕に電話しなさい」といったのだ。同氏の声は「僕が乗り出せば、アパートは直ぐに見つかるよ」と自信に満ちていたのだ。ツィルク氏は当時、市長職の他、不動産屋を経営していたのでは、もちろん、ない。オーストリアの首都、人口約150万人の市長だ。その権限は凡人の記者が考えるよりはるかに大きなものだった。
 ツィルク氏には当時、日本の田中角栄元首相を想起させる「親分肌」の雰囲気が漂っていた。当方が「今のアパートは景色が良くないので、市長、いい景色が見えるアパート一軒を宜しくお願いします」とでもいっていたならば、市長は直ぐに手配してくれたと確信している。同氏にとって、一軒のアパートを見つけるぐらい朝飯前だったろう。
 ツィルク氏は1993年、手紙爆弾の犠牲となって指を失うなど、波乱万丈の生涯を過ごした。同氏の死が伝わると、市民の中から同氏の死を惜しむ声が聞かれ、同国の日刊紙は特集号を発行して同氏の生涯を振り返っていた。
 当方にとって、退職後のツィルク氏は中国ロビイストの印象がある。内務省の知人が「ツィルク氏は親中派の政治家として舞台裏で暗躍していた」といっていた。ツィルク氏は社会民主党が社会党であった時代の典型的な政治家だったと思っている。義理と人情、そして縁故主義で政治が統治されていた時代の政治家だ。だから、腐敗などいろいろな問題もあったはずだ。
 是非は別として、当方にとって、ツィルク氏はスケールの大きいオーストリアの最後の“田中角栄型政治家”だったと思っている。葬儀は11月8日に行われる。冥福を祈る。

スキャンダルを探せ

 日本の大手新聞社の記者がしみじみという。
 「最も読者に受けるのは結局、政治家や外交官のスキャンダルだ。面白い話を知らないかね」
 記者の顔は冗談をいっているのではなく、真剣だ。
 ウィーンにはほぼ全ての主要な日本の新聞社、テレビ局が特派員を常住させている。彼らは平均3年から4年間、駐在して現場から記事を東京に送信する。
 ウィーン特派員は冷戦時代、東欧諸国の政情がメーンの取材対象だったが、冷戦の終焉後は国際原子力機関(IAEA)の北朝鮮、イランなどの核問題が中心となってきた。IAEA理事会となると、各社は2、3人の助手を動員して取材活動に走る。ただし、イラン問題はニューヨークの国連安保理事会に上程されて以来、ウィーンのIAEA理事会の価値が下がる一方、北朝鮮問題は6カ国協議で話し合われ、IAEAはその下請け作業を受け持っているだけとなった。その意味で、ウィーン発のIAEA関連記事もインパクトがなくなってきたわけだ。
 そこで、というわけではないが、記者魂はスキャンダルを追うことになるわけだ。いま、最も注目されているのは在ウィーン国連機関日本政府代表部の天野之弥大使だ。同大使は昨年末、エルバラダイ事務局長の後任事務局長に立候補を早々と表明し、外交舞台裏で周到な準備をしてきた。日本人としては、同大使の当選を期待するのは当然だが、記者となると、少し違うようなのだ。
 「天野大使のスキャンダルが暴露されれば、凄い反響を呼ぶだろうね」という。賄賂から汚職、家族問題を含むプライバシーまでがその対象だ。
 IAEA事務局長選の立候補届出は年末まで。その後、来年6月開催の定例理事会で後任選出を決め、同年9月の年次総会で正式に決定する運びだ。現時点では、天野大使と駐IAEA担当の南アフリカ大使の2人が立候補を表明している。天野大使の当選の可能性は高い。そういう中で、同大使のスキャンダルが暴露されれば、「大きなダメージを受ける」ことは必至だ、ひいては、立候補を撤回しなければならない羽目になるかもしれない。
 だから、というわけではないが、多くの日本人メディア関係者は「天野大使の周辺」を密かに調べている、というわけだろうか。
 昔、恐れられたのは狼や天災だったが、現在はスキャンダルを血眼になって探す記者魂かもしれない。

外交官があなたを招く時

 海外駐在の外交官はその立場や職務によって異なるものの、知人や情報提供者を昼食や夕食に招待する機会が結構ある。もちろん、それなりの理由はある。まず、情報入手だ。だから、情報提供者をもてなすために食事に招く。次に、交友を深めるためだ。情報の即入手などは期待できないが、近い将来、情報を提供してくれる潜在的な可能性があるゲストを招く。一種の投資だ。最後に、時間があり、高級レストランで食事をしたい場合だ。
 通常の場合、第1の理由が圧倒的に多いが、第3のケースも決して少なくないのだ。特に、外交官でも公使や参事官といった高官が結構、そのグループに入る。情報入手活動は書記官が担当しているから、情報提供者を招いて食事をする機会は書記官ほど多くない。しかし、上から支給される外交手当て、機密費は少なくない。そこで考えられるのは、「食事のため」に誰かを招待する、といった場合だ。主客転倒だが、これが多い。関係者の名誉を守るために匿名で書くが、ある公使は「君が俺と付き合ってくれないと食事できない」と公言してはばからなかった。換言すれば、「君が来ないと、公金で食事はとれない」というわけだ。これは実話だ。
 大使や公使でも自分の食事を公金で払うことは出来ない。そこで公金で食事を楽しむためにはどうしてもゲストが必要となる。先の公使は「時たま、高級レストランで食事をしたくなる。その時、君のような友人がいると助かるよ」と説明していたほどだ。また、奥さんを同じレストランで食べさせ、その領収書を招待したゲストの食事代金の中に入れて支払う、といった手の込んだ方法で公金を悪用する場合がある。これも実話だ。
 日本でもエリート官僚が高級料亭で食事を楽しむために、さまざまな誘惑に負けるケースは後が絶たないが、海外駐在の外交官も案外、食事には弱いのだ。

オーストリアの建国記念日

 10月26日はオーストリアのナショナル・デー(建国記念日)だ。敗戦後、同国は1945年から10年間、米英、仏、露の4カ国の占領時代を経験した。そして1955年、当時のレオボルト・フィグル外相がベルヴェデーレ宮殿内で「オーストリア イスト フライ(オーストリアが自由に)」と叫び、再び独立国となった。あれから今年で53年目を迎えたわけだ。
 同国は冷戦時代、永世中立国家として東西両欧州の掛け橋的な役割を果たし、東欧諸国から約200万人の政治亡命者を受け入れ、難民収容所国としての名を残す一方、ホフブルク宮殿で全欧安保協力会議(CSCE、現在は欧州安保協力機構=OSCEと改名))のホスト国として冷戦の終焉に大きな足跡を残してきた。
 同国は今月17日、日本と同様、国連安全保障理事会の非常任理事国選(2009〜10年の任期)で当選したばかりで、外務省関係者も元気がいい。建国記念日の当日は午前11時から16時まで外務省の戸をオープンし、国民に開放する。プラスニク外相、外務省高官が国民を歓迎し、同国の外交政策などの質問に答えることになっている。
 以上、当方がお世話になっているオーストリアの建国記念日の簡単な紹介だ。ところで、注意深い読者ならば既に気がついておられると思うが、26日は祝日だが、同時に休日の日曜日に当たる。日本の場合、翌日を休日にする振り替え休日制があるが、オーストリアではそのような気の効いた制度はない。仕事より休日を愛する国としては不思議なことだ。
 そこで連邦外務省広報部に電話して早速聞いてみた。すると、「国会で振り替え休日制度について議論されたことがない。祝日が休日と重なった場合、残念なだけだ」という。あっさりしている。
 そういえば、同国には十分過ぎるほどカトリック教関連の祝日がある。その上、5週間の有給休暇もある。振り替え休日制が導入された場合、余りにも休日が多くなり、働く時間がなくなる恐れが出てくるわけだ。

北朝鮮の国連ロビー活動

 ロビー活動は今日、不可欠だ。あるプロジェクトや計画をスムーズに履行する場合、周囲の関係者を説得し、啓蒙することは重要だ。その点、米国はロビー社会だ。それぞれの分野に専門家ロビーたちがいて、顧客の要望を実現するために昼夜、専心している社会である。
 国連にもロビストがいる。ある国が国連の支援を必要とする場合、その青写真と計画を提出して支援を求めるが、190カ国を超える加盟国を抱える国連にとって、全ての要望や希望に応じることは予算上、人材上、できない。そこで選択が行われるが、その際、ロビー活動が重要となる。大きな声で叫び、要望をアピールする国が勝つのは、政治家の選挙運動と似ている。
 長々と前口上を述べたが、当方がここで述べたい点は、北朝鮮も国連内でロビー活動を行っているということだ。北朝鮮の食糧支援問題を例に挙げてみよう。核兵器も製造し、鼻が高くなってきた北朝鮮指導者たちは国内の食糧不足が深刻だとは大きな声で叫べない。国家の威信にもかかわるからだ。そこで彼らは国連機関を利用する。国連食糧農業機関(FAO)、世界食糧計画(WFP)、そして国連児童基金(ユニセフ)などだ。食糧不足が深刻となれば、それらの国連機関が世界に対北食糧支援を訴える、といったパターンがここ数年、繰り返されてきた。
 今回も例年通り、ユニセフ平壌事務所代表が23日、「北朝鮮で1990年代の最悪の食糧難が再来する」と警告を発し、WFPは22日、月例報告書の中で「北の食糧事情が急激に悪化してきた」と記述している。もちろん、それらの警告は深刻に受け取らなければならないが、韓国統一部は24日、「北の食糧事情は危機状況ではない」という別の判断を下している。事実はどちら側にあるのかは定かではないが、明確な点は、北朝鮮の対国連機関へのロビー活動が活発に行われているということだ。
 ほかの例を挙げよう。北朝鮮はウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)に、外交官歴があり国際情報に精通するY氏をロビストとして出向させている。Y氏の日々の努力もあって、UNIDOは数年前から対北支援計画を実施し、支援を行っている。Y氏はUNIDO幹部に定期的に対北支援を要請する一方、2、3の職員を買収し、ロビー活動を応援させている、といった具合だ。なお、Y氏はローマのFAO本部にも出向した経験を有し、派遣された国連機関では必ず成果を挙げている、北が誇る最高のロビストであることを付け加えて置く。

金融危機と「金正日海外資金」

 独裁者は過去、海外に巨額の富を隠していた。ルーマニアのチャウシェスク大統領は当時、その海外資産のかなり部分をオーストリアのCreditanstalt銀行に隠していたことは、同国の政変後、明らかになった。現代の独裁者の筆頭、北朝鮮の金正日労働党総書記も同様だろう。その海外資金は40億ドル、50億ドル以上と推定されている。米韓情報機関は金総書記の隠し資金がスイスに保管されていると見ている。例えば、スイスの最大大手銀行UBS銀行の名前が挙げられている。
 永世中立国であり、銀行機密を絶対に遵守することで有名なスイスの銀行は世界の資産家を引き寄せてきた。ところで、米国から発生した金融危機はそのスイスの銀行機関にも波及してきたのだ。スイス政府は16日、同国最大手銀行UBSへ公的資金を注入することを決定した。
 スイス政府の対応が英国や独政府に比べて迅速でなかったことについて、経済専門家は「影響が大きすぎて、世界の資産家への悪影響を考えていたからだ」と分析したほどだ。
 金融危機が発生して以来、スイスに資産を保管してきた世界の資産家も眠れない日々を過ごしてきた。その中には、今夏、脳卒中に倒れたといわれる金正日総書記が含まれていたはずだ。英エリザベス女王の資産が今回の金融危機で数億ドルも減少したといわれている。ひょっとしたら、金総書記の海外資金も同様、大きな損失を被ったのではないか。
 金総書記は十数年前、ジュネーブ郊外に数百万ドル相当の大別荘を購入している。当時、金ファミリーの亡命先とまでいわれたほどだ。ちなみに、スイスには金総書記が信頼する李哲大使が金ファミリーの海外資金を管理してきた。
 UBS銀行への公共資金注入のニュースを聞いた時、当方は先ず、金総書記の顔を直ぐに思い出した。病床にあった?金総書記にとって、スイス政府の発表は数少ない朗報であったはずだ。

金光燮・北大使の正直な答え

 駐オーストリアの金光燮・北朝鮮大使(同国最高指導者・金正日労働党総書記の義弟)は21日、ウィーンの国連建物内で当方との会見に応じた。同大使は今月4日、3カ月余りの療養休暇を終えて平壌からウィーンに帰任したばかりだ。金大使は義兄に当たる金正日労働党総書記の健康問題について、「問題はない」と述べ、日韓メディアに流れている同総書記の「今月6日死亡説」や「健康悪化説」については「言及するのに値しない」と一蹴した。
 同会見に先立ち、金大使は国連薬物犯罪事務所(UNODC)のアントニオ・コスタ事務局長と会談している。そこで当方は金総書記の健康問題を聞く前に別の質問をした。大使の緊張を解す、という狙いがあったからだ。
 まず、コスタ事務局長との会談については、金大使は「通常の会談だ」と述べ、国連麻薬関連憲章に加盟した同国のその後の情況をコスタ事務局長と話したことを示唆した。また、心臓病に悩む同大使は自身の健康問題については「体調は良い」と強調し、今後ともウィーンの大使として職務を継続すると語り、欧州連合(EU)の本部ブリュッセルへ移動する噂などを否定した。
 金総書記の健康問題に入るまでは、金大使はこのように躊躇なく返答してくれたが、いよいよ肝心の金総書記の健康問題に入ろうとした時、それを予感した大使は一瞬、緊張した表情をしたほどだ。そして、上記のような答えを残すと、これ以上の質問を受けれらないとばかりに、待機中の車に乗るためにガレージに向かったわけだ。金大使の仕草は、金総書記の健康問題について一切答えてはならない、といった緘口令が海外駐在の同国外交官に出されていることを窺わさせた。
 当方は昨年も金大使に金総書記の健康悪化説について聞いたことがあるが、その時は「金総書記は健康だ。メディアの報道は嘘だらけだ」と力強く反論したものだ。しかし今回、大使は最後まで「金総書記は健康(gesund)だ」とは発言しなかった。大使は金総書記の死亡説を否定しただけだ。すなわち、当方流に金大使の答えを再構築するならば、「金総書記の健康情況は良くないが、死んではいない」ということになる。金大使の答えは案外、正直ではないか。

笑顔が戻ってきた北の夫人たち

 どんな醜男でもその笑顔だけは綺麗だ、というのを聞いたことがある。笑顔はそれだけ相手を和ませる魅力を持っているのだろう。美しい女性が笑顔を見せれば、その美しさは何倍も増幅されることはいうまでもない。
 ところで、最近、北朝鮮外交官の夫人たちに笑顔が戻ってきたように感じる。金正日労働党総書記の重体説、死亡説が巷に燻り続けている時期にもかかわらず、その笑顔は輝きを放つ、といえば誤解を呼ぶかもしれないが……。
 北朝鮮大使館に住む外交官の夫人たちは普段、買物、庭掃除、料理、洗濯などを担当する。時には、門番のような仕事も任せられ、監視カメラに写る路上の通行人に厳しい目を投げかける。
 大使館前で取材する事が多い当方などは、いつもその監視カメラの中に映し出され、その結果、大使館の門戸は一層堅くなることを体験してきた。路上を動物園の熊のようにうろうろする当方を見ながら、夫人たちは笑い出す。何がそんなに可笑しいのか知らないが、当方の仕草を監視カメラで追いながら、女学生のような笑う。「O(当方の名前)が又来た」といっては笑う。
 笑われているのを感じながら、当方にも笑顔が漏れる。夫人たちは益々笑う。そういえば、北大使館から笑い声が外まで漏れることはこれまでなかったことだ、という少し苦い回想が浮かぶ。「O、帰れ」、「スパイめ」――夫人たちも主人の外交官と共に当方に罵声を浴びせ掛けてきたものだ。その罵声が何時の間にか消え、笑い声が響きだした。
 当方は、といえば、外交官夫人の笑いを聞いて、嬉しくなる。そして「どうして彼女たちは笑い出したのだろうか」と考え出す。夫人たちは近い将来起きるであろう何かを予感しているのだろうか。「将来は今より必ず幸せになれる」という確信でもあるかのように、夫人たちは笑う。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ