中国の共産党、政府の現役官僚たちが北朝鮮情勢を分析した「対北朝鮮・中国機密ファイル」(欧陽善著、文藝春秋)を読んでいたら、「中国は道義上から、また、経済的にも軍事的にも朝鮮をずっと援助し続けてきたのだが……、この50年間余りの中朝間を見る限り、中国からのギブはあってもテイクはないという関係が続いてきたといって間違いないだろう」と記述されている。そして、このような一方的な関係に対し、中国内で不満の声が高まっているという。
中国官僚たちの不満は理解できる。よりによって、自主独立を建前とする主体思想を国是とする北朝鮮が、中国からの支援頼みである現状は異常だからだ。与える側(中国)が時間の経過と共に「与え疲れる」のは当然かもしれない。もちろん、著者が指摘しているように、中国を無視した北朝鮮の「ミサイル発射」と核実験が中国指導部を激怒させ、より「与え疲れ」現象を増幅させていったわけだ。
ちなみに、北朝鮮が国是の主体思想を決定的に放棄するようになった契機は、皮肉にも韓国の金大中元大統領が始めた太陽政策だ。そして、韓国側の過去10年間の太陽政策は北朝鮮の主体思想を完全に形骸化していった。歴史家は後日、太陽政策の歴史的意義としてその点を指摘するはずだ。
ところで、北朝鮮を弁護する訳ではないが、金正日労働党総書記は中国に「ギブ」している。最近では、北朝鮮は中国・四川大地震からの復興を助けるため、中国に10万ドルの資金を提供している。それだけではない。「憎き日帝」の日本に対しても1995年の阪神淡路大震災の際には、北朝鮮は被災した朝鮮住民のため支援している。北の支援額とその内容はあくまでも象徴的な水準だが、同国は時には「テイク」だけではなく、「ギブ」しているわけだ。
なお、「与え疲れた」中国側を慰労するとすれば、新約聖書「ルカによる福音書」第6章38節のイエスの言葉だ。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう」と。人間にとって、「与えて忘れる」ことは容易ではない。国家でも同様だろう。それゆえに「与える」ことの価値があるわけだ。
少し付け加えるならば、「与え、そして与えながら、忘れられることが多い国」もある。それは日本だ。日本は国連に20%余りの分担金を支払い、国際機関を通じてさまざま財政・金融支援を行っているが、国際社会からはそれ相応の評価を受けられないでいる。
中国官僚たちの不満は理解できる。よりによって、自主独立を建前とする主体思想を国是とする北朝鮮が、中国からの支援頼みである現状は異常だからだ。与える側(中国)が時間の経過と共に「与え疲れる」のは当然かもしれない。もちろん、著者が指摘しているように、中国を無視した北朝鮮の「ミサイル発射」と核実験が中国指導部を激怒させ、より「与え疲れ」現象を増幅させていったわけだ。
ちなみに、北朝鮮が国是の主体思想を決定的に放棄するようになった契機は、皮肉にも韓国の金大中元大統領が始めた太陽政策だ。そして、韓国側の過去10年間の太陽政策は北朝鮮の主体思想を完全に形骸化していった。歴史家は後日、太陽政策の歴史的意義としてその点を指摘するはずだ。
ところで、北朝鮮を弁護する訳ではないが、金正日労働党総書記は中国に「ギブ」している。最近では、北朝鮮は中国・四川大地震からの復興を助けるため、中国に10万ドルの資金を提供している。それだけではない。「憎き日帝」の日本に対しても1995年の阪神淡路大震災の際には、北朝鮮は被災した朝鮮住民のため支援している。北の支援額とその内容はあくまでも象徴的な水準だが、同国は時には「テイク」だけではなく、「ギブ」しているわけだ。
なお、「与え疲れた」中国側を慰労するとすれば、新約聖書「ルカによる福音書」第6章38節のイエスの言葉だ。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう」と。人間にとって、「与えて忘れる」ことは容易ではない。国家でも同様だろう。それゆえに「与える」ことの価値があるわけだ。
少し付け加えるならば、「与え、そして与えながら、忘れられることが多い国」もある。それは日本だ。日本は国連に20%余りの分担金を支払い、国際機関を通じてさまざま財政・金融支援を行っているが、国際社会からはそれ相応の評価を受けられないでいる。