ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2008年03月

法王と「ピアノ」

 ローマ法王ベネディクト16世は4月19日、法王就任3周年目を迎えるが、それに先駆け同月16日に81歳の誕生日を祝う。
 ドイツ出身の法王に、ここにきて少々疲れが見え出してきた。復活祭前後の信者の謁見回数が制限される一方、バチカン法王庁のトップ、国務省長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿が法王の意向を受けて外遊するケースが増加している。同枢機卿は国務省長官就任10カ月間で7度の外遊を行っているほどだ。異常に多い。これも高齢法王の健康を配慮し、国務長官が法王の代行を行っていることが伺える。
 ベネディクト16世は4月に入ると、今年最大の外遊が控えている。米国訪問だ。期間は4月15日から21日まで。ハイライトは、ワシントンでブッシュ米大統領との首脳会談(15日)と国連総会での演説(18日)だ。
 ローマ法王が今から心待ちしているのは7月28日から2週間の夏期休暇という。法王はその期間、大好きなピアノを心ゆくまで演奏したいという。そのため、休暇先の南チロルの法王夏季用別荘にピアノが運び込まれる予定だ。
 歴代の法王もそれぞれ趣味を持っていた。例えば、前任者、故ヨハネ・パウロ2世は山登りとスキーが好きであり、ギター演奏もプロ級だった。外交センスもあった同2世は法王時代、100回を越える外遊を行っている。その点、ベネディクト16世は法王選出時に既に79歳の高齢だったこともあって、就任当初から前任者のような華やかな外遊は期待できなかった。その代わり、といったら可笑しいが、「ナザレのイエス」など数多くの著書を出版し、学者法王としてその存在感を誇示している、といった具合だ。
 外遊、謁見、イベント、ミサなど、秒刻みのスケジュールから解放される夏季休暇の日々、ベネディクト16世はピアノの前に座して、どのような曲を演奏しながら神との対話を重ねていくのだろうか。

金大使、駐ウィーン16年目に

 駐オーストリアの北朝鮮・金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟)は土曜日の学習会が終わると大使館前に駐車中のベンツに乗るために出てきた。
 大使館前で張り込んでいた当方は早速、「大使、久しぶりですね。お元気ですか」と声をかけると、大使は「おお、君か。久しぶりだね」と答えてくれた。気分は良さそうだ。「大使の健康悪化説が流れていますが」と聞くと、「誰がそんな馬鹿げたことを風潮しているのかね。君も見て分かるように、僕は元気だよ」という。
 「大使は先月13日、大使館内で開催された金正日総書記誕生日祝賀会で倒れた、という情報がありますよ」と食い下がって聞くと、大使は「僕は風邪で2、3日間、体調を壊したことはあるが、それ以外、全く問題がないよ」と、健康悪化説を一蹴した。大使は少なくとも病人ではない。
 「大使、健康悪化説は誤報だったことが分かりました。ところで、核問題の6カ国国協議の合意履行が遅れていますが、どう思われますか」と、テーマを核問題に変えた。ゆっくりと話す時間などないのは分かっていたからだ。大使は「わが国は6カ国合意を『行動対行動』の原則に基づいて履行する方針にまったく変らない。しかし、わが国を除く5カ国が約束を実施していないため、わが国は核無能力化プロセスの進展を意図的に遅らせているだけだ」と説明した。北朝鮮当局の公式声明の繰り返しだ。
 「それでは、北朝鮮は近日中に核施設の完全申告を提出する予定ですね」と聞くと、「もちろんだ。わが国は5カ国の出方を見守っているところだ」と強調した。
 次に、韓国の李明博新政権について聞いた。
「大使、ジュネーブでは南北両国が人権問題で互いに批判を展開しましたが、韓国の新政権に対してはどのように受け止められているのですか」と尋ねた。大使は「ジュネーブの件は聞いているが、わが国は依然、韓国新政権を見守る続ける立場を変えていない」と強調し、李政権と正面衝突する考えは現時点ではないことを示唆した。
 最後に、「大使、駐ポーランドの金平一大使(金正日総書記の異母弟)がまもなく帰国するという噂がありますが、本当ですか」と尋ねた。すると金大使は少し驚いた顔をしながら、「聞いたことがないね。分からないよ」と答えるだけに留めた。
 当方が「大使は帰国されることはないですよね」と念を押すと、金大使は笑いながら、「君は私を帰国させたいのかね。新しい指令がない限り、自分はまだここにいるよ」と述べた。
 なお、金大使のオーストリア駐在期間は今月で16年目に入った。

ゴルバチョフ氏の回心?

 旧ソ連連邦最後の大統領だったミハイル・ゴルバチョフ氏(77)がクリスチャンに回心した、という情報が流れてきた。英国メディアが復活祭前(3月19日)、「ゴルバチョフ氏がイタリアのアシジの聖地を訪問し、聖フランチェスコの墓の前で30分余り祈っていたのが目撃された」と報じ、「同氏はクリスチャンの回心したのではないか」といった内容の観測記事を伝えたのだ。
 それに対し、同氏は後日、ロシアのメディアの質問に答え、「1人の旅行者としてアシジの聖地を訪問しただけだ。巡礼者としてではない」と報道内容を否定し、「宗教が社会にとって重要であることを知っているから、教会、シナゴーク、イスラム寺院を訪問するが、信者となったからではない」と説明している。ちなみに、ローマ・カトリック教会のバチカン放送は27日、「ゴルバチョフ氏はやはり無神論者だ」と報じている。
 旧ソ連邦は「宗教はアヘンである」と主張する唯物論的世界観に立脚した共産主義国家の盟主だった。フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンといった歴代のソ連共産党書記長は当然、無神論者である、と信じられてきた。
 しかし、ソ連邦が解体され、ロシア共和国となった今日、元共産党幹部の中にも頻繁にロシア正教を訪問する者が出てきた。その代表はソ連国家保安委員会(KGB)メンバーだったプーチン大統領だ。同大統領はロシア正教を積極的に支援し、国民の愛国心教育にも活用し、教会の祝日や記念日には必ず顔を出し、敬虔な正教徒として振る舞っている。
 チェコスロバキア共産政権下の最後の大統領、グスタフ・フサーク氏は1991年11月の死の直前、ブラチスラバ病院の集中治療室のベットに横たわっていた時、同国カトリック教会の司教によって懺悔と終油の秘跡を受け、キリスト者として回心している(同氏は1968年8月にソ連軍を中心とした旧ワルシャワ条約軍がプラハに侵攻した「プラハの春」後の“正常化”のために、ソ連のブレジネフ書記長の支援を受けて共産党指導者として辣腕を振るった人物であり、チェコ国民ならばフサーク氏の名前は苦い思いをなくしては想起できない)。
 知人のロシア人記者は「共産党内にも隠れクリスチャンは存在したが、公の場で信仰告白することはなかった。個人的には、ゴルバチョフ氏の回心は信じられない」と述べた。一方、ロシア正教関係者は「ゴルバチョフ氏はクリスチャンに回心する途上にあるのではないか。彼が信者になれば、われわれは歓迎する」と、ロシアのメディアに答えている。

元イスラム教徒、法王から洗礼

 ローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世が復活祭の聖週間にイスラム教徒だったイタリアのジャーナリストに洗礼を施したことに対し、イスラム教圏から激しいブーイングが挙がっている。
 洗礼を受けたのはエジプト出身のマグディ・アラム氏。同氏はイタリア最大日刊紙「コリエレ・デラ・セラ」の要職にあり、イスラム根本主義勢力からこれまで批判を受けてきたジャーナリストだ。
 バチカン放送によれば、ロンドンのアラブ語日刊紙「アル・クッズ・アルアラビ」はマグディ・アラム氏の洗礼を一面で掲載し、「ローマ法王は、イスラエルを支持し、イスラム教に対して嫌悪感を抱く人物として知られている元イスラム教徒に洗礼を施した」と報じ、別のアラブ・メディアは「「マグディ・アラムはイタリア秘密情報員であり、アラブ人やイスラム教徒を誹謗してきた」と述べている。インターネット新聞「アル・シャルク・エルアウサト」などは「法王がマグディ・アラムの頭に落とした水は文明間の衝突に火をつける油のようなものだ」と警告を発しているほとだ。
 肝心のジャーナリストは「洗礼は個人問題だ。(洗礼を受けるまでに)長い内的な道程があった」と説明している。同氏はクリスチャンの女性と結婚している。
 ベネディクト16世は2006年9月、訪問先のドイツのレーゲンスブルク大学での講演で、イスラム教に対し「ムハンマドがもたらしたものは邪悪と残酷だけだ」と批判したビザンチン帝国皇帝の言葉を引用したことから、世界のイスラム教徒から激しい反発が起きたことがある(同法王はこれまで正式の謝罪はしていない)。
 ちなみに、ベネディクト16世はまた、聖金曜日(3月21日)ミサの祈りで、第2バチカン公会議で廃止された異教徒に改宗を促す「祈り」を承認したことで、世界のユダヤ教指導者から批判を受けている。ドイツ出身の学者・法王は他宗派との対話で試練が結構、多い。

「百済人の夜」

 友人の韓国外交官が突然、離任した。李明博政権の発足に伴う外交官人事で、ソウルに呼び戻されたわけだ。母国では国際関係担当のポストに就任する予定だ。
 イースター明けの25日、電話があって「突然だが、帰国することになった」という。当方は薄々、友人がソウルに呼び戻されるだろう、と考えていた。特に、国際関係担当の外務次官に抜擢された前オーストリア駐在大使の金ソンファン次官が優秀な外交官の友人を高く評価していたことを知っていたからだ。
 早速、「栄転ですね。おめでとうございます」というと、友人は照れくさそうに「どのような職務が待っているかまだ分からないがね」という。
 「ウィーンに赴任してまだ1年余りだ。もう少しウィーンにいたかったね」といいながら、「この1年間、君には本当にお世話になったよ。お互いに健康に気をつけて、また再会したいね」と言った。
 友人夫妻は市内の日本レストランに妻と共に招待してくれたことがあった。その夜、食事をしながら話題は「百済」(古代朝鮮半島の国家、4世紀〜660年)のことになった。当方が「私の先祖はどうやら百済人らしいんですよ」というと、友人は「本当か、僕も百済人だ」と嬉しそうにいうので、当方は冗談混じりに「すると、新羅から追われ日本に逃げていった百済の後孫と、朝鮮半島に留まった百済人の会合ということになりますね」と付け加えた、友人は「そうだ。われわれは百済人だ」と声を出して笑った。
 当方は一度、自分のルーツを調べたことがある。なぜならば、当方を初めて見る大多数の人間は「中国人ですか」と先ず聞く。違う、というと「韓国人ですか」と尋ねる。最後に、「日本人らしくないですね」といって終わるパターンが過去、余りにも多かったのだ。そのため、「ひょとしたら、自分は朝鮮半島から流れてきた先祖の血を引いているのではないか」と考えたからだ。そして、結論は「自分はどうやら朝鮮半島から追われ日本に渡った百済人の末裔らしい」ということになった。
 友人夫妻とのその夜は「百済人のウィーン会合」となった。友人は一片の紙に朝鮮半島の地図を描いて、百済人の運命について、熱心に説明してくれた。「百済人の夜」は遅くまで続いた。

無神論者よ、バッハを聴こう

 東京から先日、頼んでいた茂木健一郎著「すべては音楽から生まれる」(PHP新書)が届いたので、イースターの休暇期間、読んだ。脳科学者の著書は、人間の1000億のニューロン(神経細胞)が脳内でシンフォニーを演奏していることを口語調で分かりやすく説明している。とても勉強になる本だ。
 著書の中で感動した部分は2個所ある。ひとつは「記憶の成長」という表現だ。当方は記憶とは年々、希薄化していくものと思っていたが、著者は「記憶の成長とは、いわば、目にみえない道路や空港のようなインフラが、脳の中に張り巡らされていく現象である。……なにもないところから新しいものは生まれ得ないように、このインフラも自然発生する類のものではなく、実体験という土台なくしては生まれない。記憶のもとになる体験が豊かであればあるほど、それをインフラとして育っていくものの可能性も大きくなる。体験にさらなる体験を重ね、人は創造的な存在となっていく」と説明している。もうひとつは「人間が獲得したものの中で、一番の福音でもあり呪いでもあるのは、『意味』だと思う、意味に拘泥してしまうと、生命の活動から遠ざかってしまう傾向がある」と指摘し、言葉や定義に固守すると、脳内のニューロンの活動も「喜び」につながるような生命運動とは程遠くなるというわけだ。
 右脳、左脳の機能の相違など、人間の脳構造が次第に明らかになりつつあるが、人間の脳が音楽を演奏しているとは驚きだ。著者は「本当の感動を知っている人は、強い」という。感動した実体験の数が多いほど、その人はすばらしい音楽を脳内で流していることになる。
 最後の章で、音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」のプロデューサー、ルネ・マルタン氏との特別対談が紹介されているが、その中でマルタン氏が「無神論者の人でも、バッハの『無伴奏ソナタ』を聴けば、神というものを信じるような気持ちになるかもしれませんね」と述べている。音楽は最高の宣教師なのかもしれない。

最近、ちょと感動した話

 知人はすでに20年以上、ドイツに住んでいる。機械関係の会社で経理を担当している。真面目を絵に書いたような男であり、上司の言われたことは確実に実施するから、上司の受けもいい。夫人は活発な性格の持ち主で、いろいろな付き合いで多忙な日々を過ごしている。その知人が数年前、かなり深刻な欝になった。その時、「自分は何のために生きてきたのか」「自分は仮面をかぶって生きてきたのではないか」などと考え、次第に何もする力を失っていった。家庭も会社も捨てて、どこかに逃げ出したい衝動すら覚えたという。
 その知人の姿を心配した夫人は夫と旅行に出かけることにした。ドイツは寒い。「暖かい南の国に旅行したい」ということになった。好きな本を持って夫人と旅行に出かけた。3人の子供たちは「パパ、大丈夫だからね」と送り出してくれたという。
 それから、家計を節約して年に1、2度、行きたい国に夫人と旅にでかけることになった。
 南の国からドイツの自宅に戻った知人に隣人の老人が声をかけてきた。普段は余り愛想の良くなかった老人だが、「そうか、君は旅行に行っていたのか。どうりで姿が見えないと思っていたよ。旅行は楽しかったかね」と微笑みながら聞いてきたという。老人が知人にそのように親しく話しかけてきたことはこれまでなかったことだ。老人は「君が嬉しそうな顔しているから、つい声をかけたくなったよ」といったという。
 彼は「自分は真面目に生きてきたが、心からの喜びが少ないことに気がついた。義務感だけで生きてきたのかもしれない。だから、そんな自分に老人は話しかけたいとは思わなかったはずだ。余りにも意味や形式にとらわれ過ぎて、大切なものを見逃してきたのだろう」と、しみじみと語ってくれた。
 人間、50代に入ると、体の健康だけではなく、心のバランスも崩れやすい。俗にいう更年期に入ることもある。
 知人は人生のひとつの“節”を乗越えようとしている。

北朝鮮大使館の監視カメラ

 ウィーン市14区の北朝鮮大使館の写真掲示板にあったサッカーの神様ペレ氏が2003年2月4日、金正日労働党総書記に贈った署名入りのサッカー・ボールの写真を撮ろうと思い、大使館に出かけた。幸い、ペレ氏の署名入りボールの写真はまだ掲示されていたので、早速、デジカメで撮影した。すると、大使館の門が開き、ヒョン・ヨンマン参事官(核物理学者)が顔出してきたのだ。
 「お前は何を撮影したのか」と聞くので、「ペレ氏の署名入りボールの写真を記念に撮影しただけですよ」と説明し、「参事官、ペレ氏が平壌を訪問し、金総書記と会見した、という話を聞いたことがありますか」と逆に質問した。
 参事官は「俺は聞いたことがないね」と述べ、当方が大使館を密かに撮影していたのではないことが分かったのか、「まあ、いいか」といって戻って行った。
 ところで、ヒョン参事官は当方が写真を撮っていることをどうして分かったのだろうか、と大使館の周辺を見渡すと、なんと小型監視カメラが写真掲示板の隣り窓の上に設置されていたのだ。この監視カメラが大使館前の路上をうろついていた当方をキャッチしたわけだ。ちなみに、2週間前には監視カメラはなかったから、最近、購入して設置したということになる。
 当方は後日、知人の北朝鮮外交官に「大使館は最近、監視カメラを設置されましたね」と聞くと、外交官は「ああ、そうだ。どこの大使館でも設置しているだろう」という。そこで、「大使館は最近、門の壁から大使館内部が見えないように壁を完全に閉鎖する一方、監視カメラを設置するなど、安全問題にかなり腐心されているわけですね」と、少々皮肉を込めていうと、外交官は嫌な顔をして「そうだ。それが問題かね」と答えた。
 人間は窮地に陥れば、開き直って攻勢にでるか、外部との交渉を断ち、孤立するかの二通りの対応が考えられる。北朝鮮の場合、10年前までは大使館のブザーを押せば、戸が開き、大使館内に足を踏み入れることはできた。それがここにきて、壁が完全に閉鎖される一方、ついに監視カメラまで設置されたのだ。ここ数年間で、ウィーンの北朝鮮大使館は一層閉鎖的になってきた。

立ち消えた対朝取引き

 オーストリアのカールハインツ・グラッサー財務相(当時)は2005年、北朝鮮の対オーストリア借款を同国のマインドル銀行に売る交渉を進めていたが、肝心の同国管理銀行が難色を示したために、実現しなかった。オーストリアの銀行関係筋がこのほど明らかにした。
 グラッサー財務相は約1億5000万ユーロの北朝鮮借款をマインドル銀行に売り払う計画を考え、同銀行も乗り気であったという。すなわち、額面総額より低い額で買取り、それを将来、額面価格で南北統一後の政府、ないしは韓国に売れば莫大な利益を得ることになるからだ。財務省としては、北朝鮮の借款を早く処理したい、といった思惑もあったという。
 しかし、管理銀行のルドルフ・シォルテン頭取は「この取引で問題生じた場合、オーストリア政府が責任を負う危険性がある」と懸念、財務相の申し出を拒否したため、同案は水泡に帰したという経緯がある。
 ところで、北朝鮮は過去、外貨不足をカバーし、輸入代金などを支払うための外貨獲得方法として同国外国貿易銀行が大量の銀行保証債を発行したことがある。北朝鮮は1990年代、額面総額220億ドルにも達する銀行保証債を発行したことが明らかになっているほどだ。例えば、南アフリカの武器ディーラー、A・M・フォン・エック氏は北朝鮮の外国銀行発行の銀行保証債を額面の2〜3%の価格でドイツ不動産会社「UNIMO」(ドレスデン市)に売ったことが確認済みだ。同氏はコルシカのマフィア・グループと繋がりがある実業家であり、北朝鮮とは密接な関係を有する。また、スイス・ジュネーブの「ザ・アツゥリンター」社が航空機ディーラーのスペシャル・エア・オプテーション・グループ(SAOG)から飛行機を購入する際、北朝鮮貿易銀行保証債(額面40億ドル)での支払いを打診するなど、北朝鮮発行の銀行保証債は欧州各地で流通していることが発覚したほどだ。
 債務返済能力のない北朝鮮銀行保証債の発行に対し、韓国政府は「北朝鮮の経済事情に通じている西側経済関係者は北朝鮮発行の銀行保証債を信用しないが、国際犯罪組織やマフィアなどは南北統一後を見越して額面より極端に低い価格で大量に購入する動きがある。北朝鮮発行の銀行保証債は南北統一後の大きな財政負担としてはね返ってくる危険性がある」と警戒している。
 その意味で、グラッサー財務相の申し出を拒否したオーストリア管理銀行の判断は当然といえるだろう。

ムハンマドの生誕祭

 イスラム教創設者ムハンマドの生誕日(マウリド・アン・ナビー)は今年は3月20日だった。イスラムのカレンダー、ヒジュラ暦によれば、生誕日はラビー・アル=アウワル月の12日だ。すなわち、イエス・キリストの生誕日とは違い、ムハンマドの誕生日は移動祝日だ。
 イスラム教徒は同日、家庭やモスクに集まって預言者の生誕を祝うが、キリスト教のクリスマスのような華やかな行事はほとんど見られない。コマーシャリズムに汚染された感が年々強まってきたクリスマスとは好対照だ。そのためか、ムハンマドの生誕祭はクリスマスよりも宗教的な祝日となっている感がする。
 エジプト出身の国連記者は「イスラム教徒はムハンマドの生誕日には、家で甘い菓子を作って食べるぐらいで、特別なことはない。ムハンマドの教えや生き方を回想する程度だ」と説明してくれた。
 アラブの盟主サウジアラビアではムハンマドの生誕祭を公式に祝うことを禁じていると聞く。その理由は、預言者の生誕日が宗教的な目的以外に悪用される危険を回避するためだという。ムハンマドの生誕の家も公表されていないほどだ。
 実際、ムハンマドの生誕日は過去、政治的に利用されることが結構、あった。最近では、イランのアハマディネジャド大統領は昨年4月、領海侵犯した英国兵士を裁判にかけず、「ムハンマドの生誕祭だから、拘束中の英国兵士に恩赦を与える」として釈放している。同大統領は「ムハンマドの生誕祭だから」と強調することで、英国との正面衝突を回避する一方、拘束中の英国兵士を解放することで世界にイランの威信を高める狙いに宗教的意味合いを付け加えている。過去の民族紛争でも、クリスマスが近づくと「クリスマス休戦」が紛争当事者間で合意されたものだ。イエスにしろ、ムハンマドにしろ、預言者の生誕祭は死後も政治家に利用される宿命を負っているわけだ。
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