ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2008年02月

コソボ独立宣言と宗教界の反応

 セルビア共和国帰属のコソボ自治州は17日、独立宣言を表明した。欧州連合(EU)を含む欧米諸国の大方は独立承認に傾いている(国内に少数民族問題を抱えるスペイン、キプロスなど5カ国は承認を渋っている)。ところで、宗教界はアルバニア系住民が大多数を占めるコソボの独立宣言をどのように受け止めているのだろか。
 アルバニア系住民はイスラム教徒が大多数だ。そのためか、世界のイスラム教国の中でコソボの独立宣言を批判した国はこれまでのところ皆無だ。興味をひく点は、米国がコソボの独立を積極的に支持してきたこと、同自治州のサチ首相が野党時代から米国と接触してきた人物であることなど、イスラム教国ではまったく問題視されていないことだ。
 一方、セルビアの主要宗派、正教はコソボ自治州の一方的な独立宣言を「国際条約の明確な違反だ。コソボはセルビア領土だ」と批判し、独立宣言の無効を主張する一方、コソボ内の正教徒に対し、「そこに留まり、神の公平が顕れるのを待つべきだ」と呼びかけている。正教のアルテミイェ主教は「「コソボ自治州の独立は欧州全土に修復不可能な悲劇をもたらす。コソボの独立はがん腫瘍と比較できる。それは単に地域だけではなく、全欧州に影響を及ぼすだろう」と指摘し、コソボの独立に警告を発している一人だ。
 コソボ紛争後、国連暫定統治機構(UNMIK)が9年間、自治州を統治してきたが、その期間に約20万人のセルビア人がコソボから母国セルビアに避難していった。実際、コソボ自治州では、約150の正教教会や修道院が破壊される一方、サウジアラビアや湾岸諸国から資金が流入し、400以上のイスラム寺院が建立されているという。セルビア正教側は「コソボが独立した場合、過去2000年間続いてきた同地域のキリスト教の歴史が消滅する」と深刻に受け取っている。
 世界最大のキリスト宗派、ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁は過去、コソボ問題では、内政干渉を回避するという立場から、独立に反対も賛成も表明してこなかった。ただ、「コソボが再び、民族闘争に巻き込まれないように、セルビアとコソボ側は直接交渉を継続して、双方合意できる解決策を模索すべきだ」と述べてきただけだ。なお、コソボの独立承認問題については、バチカンは早期承認の考えはなく、「独立宣言後の状況を慎重に注視していく」との立場を取っている。

孤独な人々

 最近、孤独な人々に会うことが多くなったように思う。しかし、「孤独な人々」といっても「私は孤独です」という人はあまりいない。厳密に言えば、当方がそう感じるだけだ。是非は別として、当方が相手の「孤独」を昔よりも感じるようになっただけかもしれない。
 A女史は夫を失ってからは、公務員だった夫の年金で生活をしている。夫の思い出が充満する部屋で独りでいるのが苦しくて、旅によく出かける。だから、電話すると、留守が多くなった。中東諸国を旅したい、といっていたから、A女史は今ごろ、文化の異なるイスラム教国の街を歩いているかもしれない。
 当方が「孤独な人」に初めて会ったのは、20代の時だった。老いた神父は夕拝が終わると、台所で簡単な夕食をしながら、NHKの教育番組で中国語や英語を聞いていた。神父がそれらの言語を学ぶためにテレビをみているのではないことは、直ぐに分かった。信者たちがいなくなった教会内で、神父は必死に孤独に耐えていたのかもしれない。当方が教会の裏口から台所に顔を出すと、神父はいつも喜んで迎え入れてくれたものだ。
 音楽の都ウィーンには多くの日本人音楽学生がいるが、留学した直後の目標や野心を持ち続ける学生は少ない。「あと1年」「もう1学期」と滞在を伸ばし、「とうとう、今更帰国したとしても、どうにもならない」という状況に陥る学生が、結構多い。才能の限界を早く見極めて帰国する音楽学生は少ない。次第に、ウィーンに滞在し続けることが目標となってくる。彼らはまだ若いが、生活が音楽とかけ離れていくにつれて、疲労感と共に「孤独さ」を帯びてくる。
 外国人記者クラブ時代に知り合った老人は医者からもらった睡眠薬を密かに集めていた。「いざ必要な時には、これまで貯めておいた睡眠薬を一挙に飲んで、人生をおさらばするよ」といっていた。老人は独り暮らしの辛さをよく吐露していたが、まだ若かった当方は老人の良き聞き手とはなれなかった。
 週末になるとカジノに出かけるイラク出身のベテラン記者がいる。彼曰く、「1人で部屋にいると、憂鬱になる。そんな時は多くの人が集まるカジノが恋しくなるんだ」という。5年前に妻を亡くし、昨年末、母親を亡くした。記者はその度に大声で泣いた。ベルリンに住む娘の写真を「俺の娘だ」と、当方に何度も見せる。カジノで損する度に、「俺は馬鹿だ。2度とカジノへ行かない」というが、週末が来ると、またカジノへ出かけていく。その繰り返しだ。

「4分33秒」

 この「4分33秒」とは何を意味すると思いますか。陸上競走1500メートルの中学生記録だろうか。国連記者室からレストランまでの歩行時間だろうか。それとも、当方が一杯のコーヒーを飲み干すまでの平均時間だろうか。
 正解は「作曲家ジョン・ケージ氏のピアノ曲の題名」だ。直ぐに答えられた人がいるならば、その人は当方の尊敬を勝ち得る音楽通に違いない。
 ところで、同ピアノ曲は、休止符だけで構成された曲で、音の出る音符はまったくない。だから、ピアニストは同曲を演奏する為に舞台に上がり、それから4分33秒、目で楽譜の休止符を追い、終わると、礼をして舞台から姿を消す。その間、観客はピアニストがいつ弾き出すか、固唾を飲んで待ちつづける。しかし、舞台上のピアニストはいつになっても鍵盤をたたかない。その緊張した時間が「4分33秒」なのだ。
 この話は音楽家・神津善行氏が著書「音楽の落とし物」(講談社)の中で紹介されている。当方はこれを読んで大笑いした。人生の後半に入った50代になって初めて、当方は「音楽の旋律は音符と休止符の調和から構成されている」という事実に目覚めることができたのだ。
 例えば、音符だけで構成された曲の場合、演奏家は常に楽器を演奏し続けなければならないから、疲れてしまう。適当な休止符があって初めて演奏者も聴く者も旋律に耳を傾ける余裕ができるのではないか。
 ちなみに、米ロサンゼルス出身の同作曲家(1912年〜92年)は、「4分33秒」だけではなく、全てが可能な「0分00秒」という曲も作曲している。音楽史では、ケージの音楽を「偶然性の音楽」と呼ばれているという。
 音楽をあまり理解できない当方もケージの「4分33秒」なら分かるかもしれない、と思った。4分33秒、何をしても、何を考えてもいいのだ。そしてピアニストが舞台から姿を消す時、大拍手を送ればいいわけだ。曲が終わってもいない時に拍手をして、怖い顔をされた苦い経験があるだけに、ケージのピアノ曲は救いだ。
 ジョン・ケージの音楽は「自己主張のない音楽」といわれているという。自己主張が氾濫する喧騒な現代社会で、ジョン・ケージの「4分33秒」が多く演奏(?)されれば、それだけ静かさが戻ってくるわけだ。

北京五輪で陸上の新記録は無理

 日本では中国製冷凍ギョーザ中毒事件で異常な高濃度の有機リン系薬物「メタミドホス」や有機リン系殺虫剤「ジクロルボス」が検出されたことで、中国製の食糧に対して強い警戒心が高っているが、ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)の残留性有機汚染物質問題の専門家、E博士は「中国は生産禁止された化学物質を依然、完全には生産・使用をストップしていない。なぜならば、中国政府は経済成長を食糧の安全問題より優先しているからだ」と指摘した。同博士はまた、「ロンドンで国際会議が開催されたが、そこでは中国製のステンレス製シャベルが紹介された。簡単に壊れるので調査した結果、シャベルにはステンレスなど使用されていなかったことが判明した、という話を聞いた。これでも分かるように、中国製は食糧だけではなく、衣服、おもちゃ、器具など、全商品に、禁止された化学物質が使用される一方、安価な代用物質が利用されているケースが少なくない。これは大きな問題だ」と述べた。
 特に、毒性が強く、分解が困難で長期間、人体や環境に悪影響を与える残留性有機汚染物質の場合、「数年後、10年後にその結果が現れる。汚染された土壌から生育する食糧の安全問題は深刻だ。中国当局はその深刻さを認識し出した。なぜならば、汚染された土壌から収穫された食糧の最初の被害者は国民だからだ。そこで中国政府は先日、国連機関に中国国土内の汚染土壌図の作成支援を要請してきたばかりだ。残念ながら、中国当局は自国の汚染地域を把握していないというのだ」と強調した。
 話が北京夏季五輪大会に及ぶと、同博士は「自国から食糧を持ち込む欧米選手が増えるだろう」と述べる一方、「北京市の大気汚染はひどい。五輪競技の中でも陸上競技が最も被害を被るだろう。具体的にいえば、北京大会では、100メートル競走を含め、世界記録は期待できないと予想される。選手も呼吸系の後遺症を懸念せざる得ない」と説明し、「陸上競技は北京市以外の空気のいい都市で実施すべきだ」と提言した。

ヒトラーを不合格にした教授

 アドルフ・ヒトラーが1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学を目指して試験を受けたが、2度とも落第した話は有名だ。もしヒトラーが美術学生となっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていただろう、といわれてきた(ウィーン美術学校の受験に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は次第に政治に関っていく)。
 ヒトラーの2度の入学を拒絶した人物は、ウィーン美術アカデミーのクリスチャン・グリーペンケァル教授(Christian Griepenkerl)だ。1839年生まれで、1916年に亡くなっている。同教授は歴史画家であり、画家エゴン・シーレの師としても有名だ。キリスト教徒であった同教授の性格は「保守的、独裁的な性格が強かった」といわれている。同教授がヒトラーの入学試験に初めて立ち会ったのは、教授が68歳の時だった。すなわち、グリーベンケァル教授はシーレを合格させ、ヒトラーを不合格にした美術教授として歴史に名を残したわけだ。
 恥ずかしいことだが、当方は長い間、ヒトラーを不合格にした美術教授を画家ルドルフ・イェトマル氏(1869年〜1939年)だと思っていた。ところが、実際、自分で調べていくと、イェトマル教授ではなく、グリーペンケァル教授であったことが今回、分かった(イェトマル教授が同アカデミー教授に就任するのは1910年だ。ヒトラーが受験した時、同教授はウィーン女性芸術学校の責任者だった。ただし、同教授が画家を目指すヒトラーに何らかの影響を与えた可能性は完全には排除できない)。
 グリーベンケァル教授の墓はウィーン市中央墓地の名誉市民地区に埋葬されている。当方は2月の早朝、墓地を訪れた。作曲家や政治家たちの名誉市民の墓が埋葬されている地域に、教授の墓もあった。墓碑には、「画家クリスチャン・グリーペンケァル教授、1839〜1916年」と記されている。古くなった墓石の周辺には、花はなかった。世界の歴史を変えた教授の墓のアドレスは、「中央墓地グループ0、番号79」だ。

サルコジ仏政権、北と国交?

 北朝鮮の国営朝鮮中央通信社(KCNA)が3日、フランス外務省代表団が1月末から2月2日まで訪朝、関係省と意見の交換をしたと報じたことから、フランスが北朝鮮と国交を締結する日が近い、といった憶測が流れている。欧州連合(EU)でもドイツ、スウェーデン、イギリスが平壌に大使館を設置するなど、対北外交を展開してきたが、フランスはこれまで対北外交では遅れを取ってきた。
 一方、北朝鮮は過去、外交関係樹立のために努力してきたが、人権外交を標榜するパリの前に成果を上げることができなかった。当方は昨年、欧州の北朝鮮外交官にフランスとの国交締結の可能性について質問したことがある。同外交官は「フランスが北朝鮮と外交関係を樹立する機会は過去、あった。社会党のミッテラン政権時代だ。しかし、国交回復論者のミッテラン大統領に外務省が強く反対したのだ。最終的には、人権問題や核問題があって外交関係樹立の一歩を踏む出すことなく、今日に到っている」と述べた。
 「仏外務省使節団が訪朝した」と報じられた直後、同じ外交官に両国関係の見通しを再び聞いてみた。すると「わが国は過去、10年間以上、フランスとの外交関係樹立のため人力を尽くしてきた。その努力が成果をもたらす可能性が出てきた」と述べ、サルコジ仏政権が北朝鮮と近い将来、国交を締結する可能性があると示唆したのだ。
 北朝鮮が今回、両国関係の国交に期待を抱く背景には、サルコジ大統領が就任直後から米国、ドイツ、ロシア、リビア、中国など次々と訪問し、積極的な外交を展開し、訪中では人権問題を議題とはせず、エアバスの売り込み、原発の技術提携契約など、実利外交を進めてきたことと関係があるのだろう。
 ちなみに、北朝鮮はフランスと国交関係がないが、国連教育科学文化機関(UNESCO)の本部のあるパリに同国代表部を設置している。その一方、金正日労働党総書記の長男・正男氏や次男・正哲氏がパリを頻繁に訪問したり、故金日成主席がリヨン大付属病院の心臓外科医に手術を受け、金総書記の夫人、故高英姫氏(04年死去)もパリでがん治療を受けるなど、過去もそして現在も、金ファミリーにとってパリは特別縁が深い国だ。

ルルドのマリア顕現150周年

 フランス南部の小村ルルドで1858年、聖母マリアが14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーに顕現して今月11日で150周年目を迎えた。聖母マリアのルルド顕現150周年を記念して、ローマ法王ベネディクト16世もルルドを訪問する計画という。
 羊飼いの少女ベルナデッタは喘息で悩まされていた。少女が牧場で独りでいた時、「良き神がおられるならば、文句は言いません」と祈り、神と共に痛みを分かち合いたいと願った。その時、白服の聖母マリアが黄金の雲の中から現れ、洞穴の傍に教会を建てなさいを語りかけた。その2週間後、聖母マリアは少女にマッサビエルの洞穴から湧く水を飲みなさいと指示した。そこで少女は洞穴の土を掘ると、鉱泉が湧き出てきたという。病む多くの人々を癒す「ルルドの水」の誕生だ。
 バチカン放送によると、1858年以来、ルルドの水を飲んで6500回以上の癒しが記録されている。その内、66回はバチカン法王庁が公式に奇跡と見なしている。ルルドは今日、世界的な巡礼地として毎年、数百万人が訪れている。
 ところで、少女の証を聞いた教会側は当時、少女の話を直ぐに信じることができなかったが、少女が聖母マリアが「無垢な受胎」という言葉を使用したと話したので、少女の証を事実と信じるようになったという経緯が伝わっている。「無垢な受胎」という神学用語は当時、14歳の少女が知るはずのない、新しいカトリック教義であったからだ(少女は1879年、35歳で病死し、1933年に聖人に召されている)。
 ちなみに、バチカンは過去、奇跡や霊現象には慎重な姿勢を維持してきた。イタリア中部の港町で聖母マリア像から血の涙が流れたり、同国南部のサレルノ市でカプチン会の修道増、故ピオ神父を描いた像から同じように血の涙が流れるという現象が起きた時も、バチカン側は懐疑的な対応を示した。バチカンがこれまで認知した個人的啓示や奇跡は、1917年5月に羊飼いの3人の少女に聖母マリアが再臨した“ファティマの奇跡”や“ルルドの奇跡”など、非常に限られている。

クリスチャンフォビア

 米国内テロ多発事件(2001年9月)以降、イスラム教徒に対するイスラムフォビア(イスラム嫌悪感)現象が欧州の各地で広がる一方、デンマークの保守系有力新聞「ユランズ・ポステン」のムハンマド風刺イラストが契機となって、イスラム教徒が反発、イスラム教徒との衝突が各地で多発したことはまだ記憶に新しい。
 ドイツ、スイス、オーストリアではイスラム寺院やミナレット建設問題が社会問題となる一方、イスラム教移住者の急増問題は欧州各地で政治問題にまで発展してきている(是非は別として、ドイツの街のイスラム寺院から祈りの時間を告げる「アザーン」が鳴り響けば、「教会の鐘」を聞きながら成長してきたドイツ国民が「違和感」を感じたとしても、不思議ではない)。
 ところで、キリスト教文化圏の欧州で最近、イスラムフォビアではなく、「キリストフォビア」、ないしは「クリスチャンフォビア」(キリスト嫌悪感)とも呼ばれる社会現象が表面化してきている。Anti-Semitism(反ユダヤ主義) 、Islam phobia(イスラム・フォビア)と共に、Christian phobia(クリスチャンフォビア)という社会学用語が人権問題を扱う会議などで使用され出したのだ。ただし、同用語が学会で初めて使用されたのは2004年12月だ。だから、歴史の長い反ユダヤ主義とは違って、新社会学用語といえる。イスラム・フォビアと同様、キリスト教徒への非合理的な恐怖感、嫌悪感、偏見、不法な差別などを意味する。
 「クリスチャン・フォビア」の実例を挙げるとすれば、ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世が先月17日、イタリア国立サピエンツァ大学の始業式に出席し、そこで演説する予定だったが、同大学の67人の物理学教授や学生たちが「ローマ法王は大学で何を演説したいのか」と抗議し、訪問反対のデモ集会を学内で開いた事態がそれに該当するだろう(法王は訪問をキャンセルしている)。
 ここで注視しなければならない点は、イスラム教諸国のキリスト教徒への迫害問題ではなく、キリスト教文化圏でキリスト教会(信者)への嫌悪感が拡大しているという事実だ。欧州社会の世俗化問題とも関ってくるだろう。イスラム・フォビアと同様、クリスチャン・フォビアの詳細な社会学的研究が必要だ。

なぜ、音楽を無視するのか

 ウィーンに住んでいるというと、「小澤征爾氏(指揮者)に会ったか」とか「楽友協会のコンサートはどうか」と聞かれることがある。その度に「まあね……」といって、中途半端に答え、可能な限り直ぐに話題を変えるように努力してきた。
 「お前はどうしてウィーン発で北朝鮮問題やバチカン法王庁のことを書くのか。国立歌劇場のプログラムやオペラ歌手の話題の一つぐらい紹介したらどうか。今年はへルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年(1908年4月5日生まれ)を迎えるぞ」と忠告してくれる友人もいる。その度に「私は文化部記者でもないし、それにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のことなど、楽団のHPを開けば誰でも最新情報を入手できる世の中だ。私がそんなことに時間を投入する必要はない」と反論する。しかし、内心はやっぱり動揺している。
 確かに、ウィーン発で「北朝鮮情報」も「バチカン情報」もあったものではない。私はウィーン駐在記者だ。音楽の都ウィーンの顔といえば、国立歌劇場であり、楽友協会(ムジークフェライン)を中心としたコンサートだ。お前はそれらのことは完全に無視しているではないか、といった声が自分の中からも聞こえる。
 だから、その痛みを少しでも和らげるために、過去、モーツアルト生誕250周年(2006年)や、フランツ・シューベルトの生い立ちなどについて、汗をかきながらコラムを書いてきた。
 これまで国立歌劇場でオペラを観賞したことも、楽友協会でウィーン・フィルのコンサートを直接聞いたこともない。「音楽がなければ生きていけない」という人にとって、信じられないような生き方をしてきたのかもしれない。
 絶対音感をもっている人に出会うと、それだけで「この人は天才だ」と思い、音符を読める人に出会うと、それだけで尊敬心が自然に湧いてくる。ひょっとしたら、「音楽」に対する崇敬の念が余りにも強く、「音楽」の世界に近づくことに躊躇しているのかもしれない、と考えたりする。
 早死した義兄が好きだったドボルザークの「新世界」に心が動かされるし、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」を聞くたびに、カーレンベルグ周辺の情景が浮かび上がってくる。しかし、音楽の旋律が直接、自分の中に侵入して、自分のものではない思いや感性を押し付けてくることがある。音楽は非常に「霊的な世界」と感じるからだ。音楽のもつその魔性を恐れているのかもしれない。

「黄色い歯」の話

 アフリカ中部内陸国のチャドでは現在、反政府勢力と政府軍間の衝突が続いているが、ここでは同国のアベシ市(Abeche)の市民の歯が黄色い、という話を紹介する。歯の色を見ただけで、「アベシ市出身だ」と直ぐに分かるほどだという。水の影響で歯が自然と黄色くなるのだ。
 同じように、イスラエルに包囲されているパレスチナのガザ地区の住民の歯が黄色いことは良く知られている。これも水の影響だ。「黄色の歯」の主因は水の中に含まれるカルシウムとフッ素からなる無機化合物フッ化カルシウムの影響という。健康には問題なく、「虫歯予防にも貢献している」と主張する学者もいるほどだ。イエメンやシリアの一部でも黄色い歯の国民が多い。
 ただし、「黄色い歯」は外からみれば、歯磨きをせず、汚れた歯のように受け取られやすいし、タバコの脂が付いているようで、あまり歓迎されないかもしれない。
 「歯の話」といえば、アフリカでは数年前まで、息子が歯医者になるといえば、「どうして、そんな職業を選ぶのか」と、親から叱咤されたという。なぜならば、歯の治療に来る人間などめったにいないからだ。だから、歯医者は将来性のある職業とは見なされなかったわけだ。それがここにきて、急変した。歯医者への需要が広がってきたのだ。すなわち、アフリカ人の食生活も急速に変化し、西欧風の甘い菓子や食事を取る大人や子供たちが増え、虫歯になる人が増加したからだ(職業の将来性が時代の需要・供給のバランス関係によって決定される好例だろう)。
 平均的日本人が日に何度、歯磨きをするか知らないが、キリスト教社会やイスラム教社会では友人、知人に挨拶代りにキスをしたり、頬を付け合う習慣があるから、口臭防止の為にも熱心に歯磨きをする人が多い。だから、アベシ市民やガザ地区のパレスチナ人のように、「黄色い歯」をした人に出会うことは余りない。
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