ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2007年10月

数字の魔力と「歴史」

 沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の参加者数について、大会主催者は11万人と発表し、「復帰後最大の大会であり、歴史的大会だった」と豪語したが、その後日、参加者数は11万人ではなく、2万人を割る、ということが明らかになった。
 主催者側発表と実数で大きな相違が生じる背景には、沖縄の政情が深く関っているはずだ。専門家ではない当方が云々するテーマではない。ここでは、メディア機関がデモや集会で参加者数をどのように報道するかについて、当方が目撃した経験談を紹介したい。
 冷戦時代、ハンガリーでルーマニアのチャウシェスク政権のマジャール人政策に抗議するデモ集会がブタペスト市内の英雄広場で行われたことがあった。当方は現場で取材中だった。デモ隊は市内のルーマニア大使館まで行進を続けた。
 当時の事情を少し説明する。同じ共産政権国であったハンガリーとルーマニア両国は、ルーマニア国内の最大少数民族マジャール人(ハンガリー人)の取り扱い問題で対立を繰り返していた。ハンガリーでは反ルーマニア感情が強かったのだ。
 ところで、デモ参加者がルーマニア大使館に向けて移動中、当方の前に大手通信社の2人の記者がいた。彼らの会話が耳に入ってきた。
「君、今回のデモ参加数をどのぐらいとする考えだ?」
「僕は5万人集会というタイトルを考えている」
「そうか、3万人集会にしようと思っていたが。それでは5万人集会といくか」
 どちらの通信社記者が「5万人集会」と言い出したかは覚えていないが、両通信社記者がデモ集会のブタペスト発記事では「5万人集会」という見出しが付いていたことはいうまでもない。一方、駆け出し記者であった当方は「多く見ても1万人だろう」と推定し、ブタペスト発の記事では「1万人集会」の見出しを付け、送信したことを思い出す。東京のデスクは通信社の「5万人集会」記事と「1万人集会」の当方の記事を前に、「これは同じ集会か」と戸惑ったはずだ。
 東欧の当時の共産政権は反政府デモ集会を無視するか、意図的に極力過小評価して公表する傾向があった。参加者数が発表されることはほとんどなかった。だから、西側の取材記者は独自で判断しなければならなかった。もちろん、カウンター器など持参していないから、あくまで目算だ。
 世界の通信社が発信した「5万人集会」は歴史的事実として時間の経過と共に定着していった。誰かが後日、疑問を感じてその是非を検証しようとしたとしても、かなり難しい。沖縄の大会では、歴史に定着する前にその参加数が誤報であったと判明したことは、沖縄県民にとっても幸いだったはずだ。それにしても、教科書検定問題に関連した大会で参加数を意図的に工作するとは、「歴史(教科書)」を軽視した自殺行為といわれても仕方がないだろう。

「神」とニュー・メディア

 ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁の日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」は今後、インターネット部門の強化に乗り出す予定だ。ローマ法王ベネディクト16世は日刊紙創設日に際して、ジョヴァン二・マリア・ヴィアン新編集長宛てに送った書簡の中で「インターネットは教会の世界的活動を紹介するために新しい可能性を開く」と指摘、ニュー・メディアへの期待を表明している。
 2000年前の初期キリスト教会時代、イエスの使徒たちは長い道のりを歩きながら宣教していったものだ。しかし、インターネット時代の今日、一瞬に何百万人の人々に福音を伝達できる時代圏に入った。その意味で、バチカン日刊紙がインターネット部門を強化することは時代の流れだろう。
 ロンドンの英国国教会は昨年末、インターネット教会を創設し、クリスマスのメッセージを伝えているし、ローマ法王の慣例のメッセージが携帯電話でも聞かれる時代だ。教会まで足を伸ばす信者数が急減する一方、携帯電話で礼拝内容をフォローし、ミサの聖句内容を知る信者が増えている。教会側が礼拝に来てくれる信者を待っているだけではダメな時代になったわけだ。そこで、時代が提供する技術を駆使して、仮想の教会を発足させて、福音を数多くの人に送ろうとする動きが活発化してきたのは、これまた当然といえる。
 だから、聖書全巻を携帯電話に取り入れて信者に送信したり、米イェール大学のように旧約聖書の入門講義ビデオをインターネットを通じて配信する大学も出てきている。
 バチカンのお膝元のイタリアではカトリック教会系のサイトが約5万件もあるという。教会サイトは説教、聖句だけではなく、聖歌や賛美歌を流すサイトも開設されている。信者のニーズに応じて各種各様のサービスをインターネットを通じて提供するようになってきたわけだ。 最近では、インターネットの画像や音声を利用できる「ポッドキャスト」を伝道に利用すべきだという教会関係者の声も聞かれる。
 このように時代の恵沢を受け、「神」のメッセージは世界の隅々まで述べ伝えられてきた。換言すれば、「自分は(神のメッセージを)知らなかった」と弁明できない時代圏に入ってきた、ともいえる。

北朝鮮参事官の人間的な表情

 国際原子力機関(IAEA)担当の駐オーストリアの北朝鮮大使館のヒョン・ヨンマン参事官は寡黙だ。というより、何を聞かれても答えない。当方が「何か語ってくださいよ」と嘆願すると、笑いながら「自分にはジャーナリストの質問に答える権限が付与されていないからね」というだけだった。参事官が何度も「Authority」というので、「それでは誰が発言できる権威を持っているのですか」と聞くと、「少なくとも、自分はない」というだけだ。話にならなかった。
 先日、国連内の雑誌店にヒョン氏がニコニコして立っているのが見えた。ヒョン氏は気分が良さそうではないか。
 そこで「今日はチトンボー部長(IAEA査察局アジア部長)との会談ですか」と聞くと、「チラッと国連に遊びにきただけだよ。何もないよ」と答えてくれた。これは幸先がいい。ヒョン氏が答えたのだ。
 当方は素早く「IAEAと北朝鮮間で何か議題が進行しているのですか」と尋ねると、ヒョン参事官は当方の顔を見ながら、「核問題は6カ国協議の議題だ。IAEAとの間では何も新しいことはないよ」と返答したのだ。
 「6カ国協議は予想以上にスムーズに進展しているみたいですね」というと、参事官は「これまでとは違い、今回はうまくいっている」という。「どうして、今回はうまくいっているのですか」と次第に核心をついていくと、参事官は「米国の態度が変ったからだ」というではないか。すなわち、参事官はブッシュ米政権の対北政策が基本的に変ったことを示唆したのだ。
 当方は話題を変えて、「6カ国協議がうまくいくと、日本との関係改善も視野に入りますね」と語った。すると、ヒョン氏は「わが国は福田首相に期待していたが、失望したよ、日本の新政権はわが国への経済制裁を延期決定した。結局、福田も安倍と変らないことが明らかになったばかりだ」と、今度は語調を高めて批判し出した。ヒョン氏が核問題以外で自分の意見を語ることはこれまでなかった。その上、「日本との関係が改善されれば、君とのインタビューに応じてもいいよ」と冗談まで発したのだ。
 理由は知らないが、参事官は非常に気分が良かったはずだ。笑い、怒り、冗談までいったのだから。
 ヒョン参事官は17歳の時、中国で心臓手術を受けている。生まれつきの心臓疾患の可能性が濃い。ちなみに、若くして外国で手術を受けることができたのは、父親が労働党幹部であったからだ。ヒョン参事官について、それ以外は知らない。新しいことは、ヒョン参事官が当方に初めて人間的な表情を見せたことだ。

イスラム教学者からの書簡

 138人の主要なイスラム教学者が世界のキリスト教会指導者宛てに書簡を送り、「キリスト教徒とイスラム教徒が平和的に共存できない場合、世界は存続の危機に直面する」と警告を発する一方、「われわれは相違点ではなく、基本的な共通原理に立脚すべきだ」と記述し、キリスト教との対話を求めている。
 同書簡は、ローマカトリック教会最高指導者ローマ法王ベネディクト16世、世界正教会精神的指導者バルテロメオス1世、英国教会のカンタベリー大主教ローアン・ウィリアムズ氏、ルーテル世界連盟のマーク・ハンソン議長など、世界のキリスト教会指導者宛てに送られた。
 同書簡を受け取ったカンタベリー大主教のウィリアムズ氏は「イスラム教との直接対話に応じるべきだ」と積極的な対応を示しているが、同氏はむしろ例外だ。ローマ・カトリック教会を含む大多数のキリスト教指導者はこれまでのところ沈黙している。というより、イスラム教学者の意図を掌握できずに戸惑っている、というのが真相に近いかもしれない。
 ちなみに、ローマのユダヤ教の大ラビ、リカルド・デ・セグニ氏は「書簡では愛とか兄弟愛という言葉が使用されているが、それは一種の宣伝文句に過ぎない。イスラム根本主義問題に何の変化もないではないか」と厳しく批判している。
 同書簡はヨルダンのアンマン王立アアル・アルバイト・イスラム教研究所が3年余りをかけて作成したという。
 イスラム教にもさまざまな宗派があるように、キリスト教会にも数百の派が存在する。そして各派が自身の教義を絶対視している。カトリック教会とロシア正教、カトリック教会とプロテスタント(新教)の現状を想起するだけで十分だ。そこに、イスラム教学者から「対話」を求められ、それに応じない場合、「世界の存続危機」と警告されたわけだ。書簡を受け取ったキリスト教指導者が戸惑いを隠しきれないのは当然かもしれない。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教は信仰の祖・アブラハムから派生したものだ。その意味で教義的にも共通点が少なくない。イスラム教学者が今回、「共通原理」に基づいて対話を求め出してきたわけだ。その試みをどのように履行するかは明らかではないが、宗教間の共通点に立脚して対話努力することは、相違点を論争するよりも、少なくとも生産的だろう。

バイエルン州初の新教出身首相

 バチカン放送は先日、ドイツのバイエルン州のギュンター・ベックシュタイン首相(63)とのインタビューを報じた。同首相は同州を長期間主導してきたキリスト教社会同盟(CSU)のエドムント・シュトイバー首相の後継者として就任したばかりだ。
 同州(州都ミュンヘン)はドイツ16州の中でも最も保守的傾向の強い州であり、カトリック教会が支配している。婚姻関係は7年間で失効すべきだと表明し、CSU党首選に立候補したガブリエル・パウリ女史などは、バイエルン州では“異端中の異端”であり、そのリベラルな主張が支持される可能性はほとんどない(同女史は落選した)。
 ベックシュタイン新首相がユニークなのは、同首相がカトリック教徒ではなく、プロテスタント(新教)の熱心な信者だ、という点だ。キリスト青年同盟(CVJM)のメンバーでもあった。バイエルン州では約3分の2がカトリック教徒、3分の1弱が新教徒、そして10%弱がイスラム教徒だ。新首相はバイエルン州では新教出身の初の首相となる。ちなみに、ローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王ベネディクト16世は同じバイエルン州出身だ。
 同首相は会見では、「欧州連合(EU)は価値観共同体であり、そのルーツはキリスト教だ」と指摘し、「自分の使命は社会を安定させ、両親に子供の教育に自信をもたし、若い人々に家庭を築くことを鼓舞していきたい。もちろん、学校での宗教授業を継続していく考えだ」と述べている。バイエル出身のローマ法王ベネデイクト16世については、「ドイツ出身のローマ法王が選出されたことは幸福な事だ」とエールを送ることも忘れていない。
 バイエル州カトリック教会の司教任命問題では、「バイエルン首相は発言権を保有しているが、バチカン法王庁が決定したことに異議を唱える考えはない」と述べ、多数派のカトリック教会と連携を模索していく姿勢を明らかにしている。
 なお、バイエルン州では過去、十字架論争があったが、今日ではイスラム教の寺院、ミナレット(塔)の建設問題が大きな社会問題となってきた。新教出身の首相が、カトリック教会が過半数を占める社会でどのような政治手腕を発揮できるか、注目される点だ。

護衛兵とイスラム教

 ウィーン市のマリア・テレージエン兵舎勤務の護衛兵の約40%はイスラム教徒であるという。オーストリア日刊紙「クリア」のトイレツバッハー記者が21日、調査結果を報道したばかりだ。
 オーストリアはローマ・カトリック教を主要宗派とするキリスト教国だが、他の欧州諸国と同様に近年、イスラム教圏からの移住者、難民が殺到してきた。国内には約40万人のイスラム教徒が住んでいる。人口比にすれば、5%前後だが、イスラム系住民の増加率は年々、増加している。ただし、オーストリア連邦全土からみると、兵役義務者の約3・5%がイスラム教徒に過ぎない。それにしても、ウィーン市の護衛に当たる兵士の40%がイスラム教徒という事実は小さな驚きだ。
 同記者が指摘するように、ローマ法王ベネディクト16世など世界の首脳の訪問時にその護衛を担当する部隊だ。マリア・テレージエン兵舎でイスラム教徒の護衛兵が多い理由として、国防省の説明では、「イスラム教徒の兵士用の祈祷室がある唯一の兵舎だからだ」という。
 欧州連合(EU)の加盟国で女性が出産する子供の数、合計特殊出生率は年々、低下している。例えば、オーストリアでは昨年度、1・41だった。例外は、フランスなど、ほんの一部で、大多数のEU加盟国は少子化現象に直面している。東欧諸国の新規加盟国では、少子化は旧加盟国以上に深刻だ。
 その一方、欧州に移住するイスラム教徒の数は年々、急増している。欧州居住のイスラム教徒数(ユーロ・イスラム)は1400万人に及ぶと推定されている。ドイツやスイスで既に表面化しているように、殺到するイスラム教徒を迎える欧州側では、イスラム寺院、ミナレット(塔)建設問題などが大きな政治問題となっている。
 ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁のお膝元、イタリアでは、イスラム教は第2宗教となって久しい。欧州だけではない。イエス生誕の地ベツレヘム市では80%以上がイスラム教徒であり、キリスト教信者数は10%前後と少数派に過ぎない。その意味で、イスラム教徒の拡大は欧州だけではなく、世界的な現象と考えることができる。
 ウィーン兵舎でイスラム教徒の護衛兵が全体の40%を占めるという事実は、イスラム教徒の攻勢に守勢を余儀なくされているキリスト教社会の縮図を見る、という意味で注目されるわけだ。

ノーベル平和賞受賞者

 ノルウェーのノーベル賞委員会は今月12日、本年度ノーベル平和賞に国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)とアル・ゴア前米副大統領に授与すると発表した。その受賞理由は「気候変動に関する情報を普及させ、対策に尽力したからだ」という。
 ゴア氏は映画「不都合な事実」を製作し、地球の温暖化に警告を発してきたことは周知の事実だ。その意味で、同氏の努力はタイムリーであり、受賞に価する、という評価は多い。
 しかし、ゴア氏の平和賞受賞に異議をとなえている人も少なくはない。ゴア氏の豪邸が年間3万ドルの光熱費を食い、自家用ジェットで世界中を飛び回るなど、同氏の実態は地球の温暖化防止とはほど遠い、という批判が聞かれる。ゴア氏の活動は一種のポピュリスムに過ぎない、といった声もある。いずれにしても、政治信条の違いや妬みなど、さまざまな感情が入り込むため、評価も異議もそのまま100%鵜呑みはできない。
 ところが、世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁がゴア氏の受賞に首を傾げているのだ。バチカン法王庁の「正義と平和評議会」委員長のレナート・ラファエレ・マルティーノ枢機卿は「ノーベル平和賞はそれに価する人物、組織に授与すべきだ」と述べ、「ゴア氏の受賞に当惑した」と正直に告白している。その理由として、「ゴア氏はホワイトハウス時代、クリントン政権の副大統領として中絶の権利を奨励してきた政治家だった」と説明している。
 ローマ法王ベネディクト16世の前任者、ヨハネ・パウロ2世は当時、「中絶は死の文化」として中絶問題でクリントン政権と激しく対立してきたが、ゴア氏は中絶権利を積極的に擁護した中心的人物だったのだ。世界の平和と人権擁護という観点から判断した場合、中絶の権利擁護者はノーベル平和賞受賞者としては「不適格」というわけだ。
 他のノーベル賞とは違い、平和賞の受賞では過去、さまざまな議論を呼んできた。「どうしてあの人物が」といった例もあった。ノーベル賞委員会はその度に説明を強いられてきたものだ。誰もが納得する平和賞受賞者は最近、少なくなってきた、という印象がある。

ハンガリー動乱51周年

 ハンガリー動乱50周年を迎えた昨年10月23日、ハンガリーばかりか欧州各地で動乱を振り返る記念式典が挙行されたことはまだ記憶に新しい。昨年の最大の政治行事は、時期は早かったが、ブッシュ米大統領のブタペスト訪問(昨年6月)だった。
 動乱51周年目の今年10月23日、ハンガリー以外で動乱に関連した政治行事が開催されたとは聞かない。「50周年」と「51周年」は1年だけの違いだが、半世紀の時間経過を意味する動乱50周年のような歴史的節目は、51周年目の今年には期待できないことは当然かもしれない。分かりきっていることだが、歴史はある意味で人間の恣意に基づいて想起されるものだ、といった印象を受ける。
 ハンガリー動乱は1956年10月23日、旧ソ連共産政権に支配されてきた国民や学生が民主化と自由を叫んで立ち上がった民衆蜂起だったが、同年11月3日、旧ソ連軍の戦車によって壊滅させられた。同動乱で約2700人が犠牲となり、20万人以上の国民が西側に亡命していった。同動乱はチェコスロバキアの自由化路線(通称「プラハの春」)や80年代のポーランド危機に大きな影響を与えた。
 オーストリアはハンガリー動乱時、国境を開放してハンガリー難民を受け入れた。そのため、ハンガリー国民は今日までオーストリアの支援を忘れていない。それに対し、コール・オーストリア国民議会議長(当時)は昨年10月、ウィーンで開かれた50周年式典で「ハンガリー国民は今日、われわれに感謝を表明しているが、わが国こそハンガリー国民に感謝したい。なぜならば、ハンガリー国民は多大の犠牲を払うことで、自由、民主主義、人権の尊さをわれわれに教えてくれたからだ」と語っていたのが印象深かった。
 さて、ブタペストで動乱前夜の今月22日、非公認の反政府デモが行われ、警察部隊と衝突したばかりだ。極右派グループを含む約2000人が社会党政権のジュルチャー二首相の退陣を要求して投石するなど、一部暴動化した(同首相は昨年5月、同年4月の選挙で国内経済の実情を騙してきたと発言し、その内容がメディアに流れて以来、首相の嘘に抗議する国民のデモが頻繁に行われている)。今回もデモ参加者は「ジュルチャー二はくたばれ」と叫び、暴れた。
 「動乱の日」の前夜が反政府グループの暴動デモでかき乱されることは少々、寂しいことだ。デモ参加者も「ハンガリー国民が多大の犠牲を払って自由、民主主義、人権の尊さをわれわれに教えてくれた」と述べたコール議長の言葉を、もう一度、噛み締めてもらいたいものだ。

フィアカーの馬の突然死

 突然死は残された遺族に悲しみと共に、言い知れないショックを与えるものだ。その突然死が愛する馬に襲ってきた場合はどうであろうか。ウィーン市の観光目玉の一つ、観光馬車のフィアカー(2頭立て馬車)の1頭の馬がアム・ホーフを通過した時、突然、前屈みとなり、崩れるように倒れたのだ。フィアカー(Fiaker)に乗っていた観光客ばかりか、その現場を目撃したウィーンっ子もビックリした。
 検診の末、馬が心臓発作で急死したことが判明した。翌日の日刊紙社会面には、フィアカーの馬の突然死が小さく報じられていた。
 ウィーンに30年余り住んでいるが、フィアカーの馬が突然死したと聞いたことがなかったので、当方も驚いた。そこでシュテファン大寺院前で待機するフィアカーの御者に聞いたみた。
 今回突然死した馬は若い馬だったという。御者は「年に一度、フィアカーの馬も健康診断を受けることが義務付けられている。今回の馬もちゃんと定期診断を受けていた」という。
 ちなみに、フィアカー業はタクシー業と同様、ウィーン市に登録が義務付けられている。市内に現在、58台のフィアカーがシュテファン大寺院、ホフブルク宮殿など市内5個所に拠点を構え、観光客を待っている。
 2頭立ての馬車に乗ってホフブルク宮殿、国会建物などを見物すれば、中世時代の風情が蘇ってくる。一説によれば、フィアカーの営業は1693年から始まったという。観光シーズンになれば、多くのツーリストがフィアカーに乗る。値段は市内を小回りするか、リンク通り経由で大回りするかで決まっている。
 一方、フィアカーの馬にとって、車が走るリンク通りを観光客を乗せながら、走るのは大変だ。馬が車に驚かないように、前方しか見えないように一種の目隠しがつけられる。今年に入ってからは、フィアカーの馬の糞が路上に落ちるのは衛生上良くない、ということで、糞受けのバックを馬のお尻に付けて走らなければならなくなった。違反すると市から罰金を取られる。
 馬が好きな当方は客を待っているフィアカーの馬の目を見ながら、「人間を乗せながら、硬いアスファルトの路上を、車にビクビクしながら走るのは大変だね」と、呟くことがある。
 そんなフィアカーの馬の1頭が心臓発作で急死した。ストレスは人間社会だけでの専売特許ではない。フィアカーの馬だって、ストレスを感じながら生きているのだ。先の御者に聞いてみた。「フィアカーの馬は幸せですか」。

北外交官の韓国大統領選予測

 韓国大統領選は事実上、野党ハンナラ党候補者の李明博・前ソウル市長(65)と与党系の「大統合民主新党」候補者・鄭東泳元統一相(54)の一騎打ちになる。複数の世論調査によれば、李候補は鄭氏をリードし、新大統領のポストに最も近い政治家だ。
 北朝鮮が、金大中元大統領から始まり、盧武鉉現大統領が継承した対北融和政策(太陽政策)の継続を標榜する与党系候補者を支持していることは周知のことだ。北朝鮮最高指導者の金正日労働党総書記が盧武鉉大統領の願いを受け入れ、南北首脳会談に応じた理由も、12月の韓国大統領選で融和政策を支持する与党系候補者を応援する意味合いがあったはずだ。
 そこで当地の北朝鮮外交官に韓国大統領選の予測を聞いてみた。外交官は「世論調査の結果を見ても明らかなように、与党系候補者の鄭東泳元統一相が逆転するチャンスはほとんどない。李氏の勝利はほぼ間違いないだろう」とクールに受け取っている。
 「それで困らないのか」と聞くと、「わが国に対する李明博氏と鄭東泳氏の政策に大きな相違があるとは考えていない」という。
 「金正日総書記は李氏が主導する韓国政府の誕生を既に想定している、ということか」としつこく聞いてみた。外交官は「わが国は李政権ともうまくやっていくだろう」と自信を示した。
 北朝鮮国営メディアは過去、「ハンナラ党政権が発足すれば、核戦争の危機が生じる」と警告を発し、世論調査で優位な野党第1党のハンナラ政権の誕生を牽制してきた。その北朝鮮が李政権発足の回避は不可能と予想し、ハンナラ政権との関係改善に腐心し出したのだろうか。それとも、米朝関係の改善の兆しが見え出した今日、韓国でどの政党の政権が発足しようが、それほど重要な問題ではなくなったからだろうか。当方には、どうやら後者のように思える。
 ひょっとしたら、賢明な金正日労働党総書記のことだ、夢想家で経済分野には疎い盧武鉉大統領が首脳会談の席で公約した経済支援案の履行問題を、ビジネス界出身の李明博氏に任せた方が得策、と判断したのではないだろうか。
 なお、 李明博候補の対北政策は一方的な融和政策ではなく、相互主義を基本としている。同候補は、北朝鮮の1人当たりの国民所得を10年以内に3000ドルに引き上げる「生産的対北支援案」を公表している。
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