沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の参加者数について、大会主催者は11万人と発表し、「復帰後最大の大会であり、歴史的大会だった」と豪語したが、その後日、参加者数は11万人ではなく、2万人を割る、ということが明らかになった。
主催者側発表と実数で大きな相違が生じる背景には、沖縄の政情が深く関っているはずだ。専門家ではない当方が云々するテーマではない。ここでは、メディア機関がデモや集会で参加者数をどのように報道するかについて、当方が目撃した経験談を紹介したい。
冷戦時代、ハンガリーでルーマニアのチャウシェスク政権のマジャール人政策に抗議するデモ集会がブタペスト市内の英雄広場で行われたことがあった。当方は現場で取材中だった。デモ隊は市内のルーマニア大使館まで行進を続けた。
当時の事情を少し説明する。同じ共産政権国であったハンガリーとルーマニア両国は、ルーマニア国内の最大少数民族マジャール人(ハンガリー人)の取り扱い問題で対立を繰り返していた。ハンガリーでは反ルーマニア感情が強かったのだ。
ところで、デモ参加者がルーマニア大使館に向けて移動中、当方の前に大手通信社の2人の記者がいた。彼らの会話が耳に入ってきた。
「君、今回のデモ参加数をどのぐらいとする考えだ?」
「僕は5万人集会というタイトルを考えている」
「そうか、3万人集会にしようと思っていたが。それでは5万人集会といくか」
どちらの通信社記者が「5万人集会」と言い出したかは覚えていないが、両通信社記者がデモ集会のブタペスト発記事では「5万人集会」という見出しが付いていたことはいうまでもない。一方、駆け出し記者であった当方は「多く見ても1万人だろう」と推定し、ブタペスト発の記事では「1万人集会」の見出しを付け、送信したことを思い出す。東京のデスクは通信社の「5万人集会」記事と「1万人集会」の当方の記事を前に、「これは同じ集会か」と戸惑ったはずだ。
東欧の当時の共産政権は反政府デモ集会を無視するか、意図的に極力過小評価して公表する傾向があった。参加者数が発表されることはほとんどなかった。だから、西側の取材記者は独自で判断しなければならなかった。もちろん、カウンター器など持参していないから、あくまで目算だ。
世界の通信社が発信した「5万人集会」は歴史的事実として時間の経過と共に定着していった。誰かが後日、疑問を感じてその是非を検証しようとしたとしても、かなり難しい。沖縄の大会では、歴史に定着する前にその参加数が誤報であったと判明したことは、沖縄県民にとっても幸いだったはずだ。それにしても、教科書検定問題に関連した大会で参加数を意図的に工作するとは、「歴史(教科書)」を軽視した自殺行為といわれても仕方がないだろう。
主催者側発表と実数で大きな相違が生じる背景には、沖縄の政情が深く関っているはずだ。専門家ではない当方が云々するテーマではない。ここでは、メディア機関がデモや集会で参加者数をどのように報道するかについて、当方が目撃した経験談を紹介したい。
冷戦時代、ハンガリーでルーマニアのチャウシェスク政権のマジャール人政策に抗議するデモ集会がブタペスト市内の英雄広場で行われたことがあった。当方は現場で取材中だった。デモ隊は市内のルーマニア大使館まで行進を続けた。
当時の事情を少し説明する。同じ共産政権国であったハンガリーとルーマニア両国は、ルーマニア国内の最大少数民族マジャール人(ハンガリー人)の取り扱い問題で対立を繰り返していた。ハンガリーでは反ルーマニア感情が強かったのだ。
ところで、デモ参加者がルーマニア大使館に向けて移動中、当方の前に大手通信社の2人の記者がいた。彼らの会話が耳に入ってきた。
「君、今回のデモ参加数をどのぐらいとする考えだ?」
「僕は5万人集会というタイトルを考えている」
「そうか、3万人集会にしようと思っていたが。それでは5万人集会といくか」
どちらの通信社記者が「5万人集会」と言い出したかは覚えていないが、両通信社記者がデモ集会のブタペスト発記事では「5万人集会」という見出しが付いていたことはいうまでもない。一方、駆け出し記者であった当方は「多く見ても1万人だろう」と推定し、ブタペスト発の記事では「1万人集会」の見出しを付け、送信したことを思い出す。東京のデスクは通信社の「5万人集会」記事と「1万人集会」の当方の記事を前に、「これは同じ集会か」と戸惑ったはずだ。
東欧の当時の共産政権は反政府デモ集会を無視するか、意図的に極力過小評価して公表する傾向があった。参加者数が発表されることはほとんどなかった。だから、西側の取材記者は独自で判断しなければならなかった。もちろん、カウンター器など持参していないから、あくまで目算だ。
世界の通信社が発信した「5万人集会」は歴史的事実として時間の経過と共に定着していった。誰かが後日、疑問を感じてその是非を検証しようとしたとしても、かなり難しい。沖縄の大会では、歴史に定着する前にその参加数が誤報であったと判明したことは、沖縄県民にとっても幸いだったはずだ。それにしても、教科書検定問題に関連した大会で参加数を意図的に工作するとは、「歴史(教科書)」を軽視した自殺行為といわれても仕方がないだろう。