北朝鮮問題をフォローする醍醐味は、可能な限り多くの情報(点)を集め、点と点の間の間隔を埋めていき、最終的にどのような線が浮上してくるかにある。このように説明すれば、松本清張の推理小説「点と線」を思い出す読者もいるはずだ。犯人を追い詰めていくためには、どれだけの情報(点)を集め、全体(線)を再構築していくかにかかっている。同じことが北朝鮮問題を考えていく場合にも当てはまる。
当方は7月13日に「金正男氏の訪欧」というタイトルのコラムを書いたが、その時、正男氏の訪問国、時期、目的に関する情報は非常に限られていたことを認めざるを得ない。だから、その後も機会のある度に、関係者に聞いてみた。その結果、新しい点も少し集まってきたので、ここで途中報告として、「正男氏の訪欧」第2弾を紹介したいと思う。
当方が描く線は以下の通りだ。北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記の長男、金正男氏(36歳)は6月25日頃、滞在地マカオから平壌に戻り、父親金正日総書記と会っている。そして6月末から7月初めにかけフランスを訪問した後、マカオに帰国した。
欧州居住の故成恵琳夫人(金総書記の第1夫人、モスクワ療養中に死去)の親戚関係者が「7月の第1週、第2週に正男氏から電話があった」と証言していることから、正男氏が訪仏後、平壌に戻った可能性は非常に少ない。なぜならば、「平壌から欧州に直接通話をすることは難しい」(親戚関係者)からだ。正男氏が北朝鮮ではなく、北朝鮮の外から欧州に電話したと考えざるを得ない。
正男氏の訪欧目的については、「金正男氏の訪欧」の第1弾で記述したが、「金正日総書記ファミリーの海外資金の管理と米国の金融政策解除の確認」と見ている。なぜならば、金総書記はマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮資金の移動問題が解決した直後(6月25日)、正男氏を平壌に呼び、何らかの指令を出したと見られるからだ。ちなみに、金総書記は海外資金問題では親族関係者以外にもはや誰も信用していない。
なお、今年1月のベルリンで開催された米朝会議で、北朝鮮の核関連施設の停止・封印、核の無力化の引き換えに、米国側が対北金融制裁を解除することで合意したと言われている。
当方は7月13日に「金正男氏の訪欧」というタイトルのコラムを書いたが、その時、正男氏の訪問国、時期、目的に関する情報は非常に限られていたことを認めざるを得ない。だから、その後も機会のある度に、関係者に聞いてみた。その結果、新しい点も少し集まってきたので、ここで途中報告として、「正男氏の訪欧」第2弾を紹介したいと思う。
当方が描く線は以下の通りだ。北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記の長男、金正男氏(36歳)は6月25日頃、滞在地マカオから平壌に戻り、父親金正日総書記と会っている。そして6月末から7月初めにかけフランスを訪問した後、マカオに帰国した。
欧州居住の故成恵琳夫人(金総書記の第1夫人、モスクワ療養中に死去)の親戚関係者が「7月の第1週、第2週に正男氏から電話があった」と証言していることから、正男氏が訪仏後、平壌に戻った可能性は非常に少ない。なぜならば、「平壌から欧州に直接通話をすることは難しい」(親戚関係者)からだ。正男氏が北朝鮮ではなく、北朝鮮の外から欧州に電話したと考えざるを得ない。
正男氏の訪欧目的については、「金正男氏の訪欧」の第1弾で記述したが、「金正日総書記ファミリーの海外資金の管理と米国の金融政策解除の確認」と見ている。なぜならば、金総書記はマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮資金の移動問題が解決した直後(6月25日)、正男氏を平壌に呼び、何らかの指令を出したと見られるからだ。ちなみに、金総書記は海外資金問題では親族関係者以外にもはや誰も信用していない。
なお、今年1月のベルリンで開催された米朝会議で、北朝鮮の核関連施設の停止・封印、核の無力化の引き換えに、米国側が対北金融制裁を解除することで合意したと言われている。
