ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2007年05月

ワルトハイム氏の入院

 国連事務総長を10年間(1972年1月〜81年12月)、そしてオーストリア大統領職(86年〜92年)を一期務めたクルト・ワルトハイム氏(88)が聖霊降臨祭の月曜日(28日)の夜、高熱を出しウィーンの病院に緊急入院した、というニュースが入ってきた。幸い、同氏の症状はその後、回復に向かっているという。
 当方は、ワルトハイム氏がオーストリア大統領に選出された当時のことを鮮明に覚えている。世界の主要メディアは同氏をナチス戦争犯罪容疑者として酷評し、文字通りバッシングを繰り返した。英国の戦争歴史学者がワルトハイム氏が参戦したナチスの旧ユーゴスラビア戦線を調査した結果、同氏がナチス戦争犯罪に直接関与した証拠は見つからなかったが、メディアの批判は続いた。
 同氏は大統領時代、バチカン法王庁以外の国から招待状を受けたことがなく、「さびしい大統領」と揶揄された。結局、国際世論の批判にさらされたワルトハイム氏は再選出場を断念して、政界から退いた。
 同氏は後日、出版した自伝「返答」の中で、「国際社会からナチス戦争犯罪者呼ばわりされ、私ばかりか家族も苦しんできた」と説明し、「家族をこれ以上苦しめたくない」という理由から再選出馬を断念したと述べている。
 当方は94年、大統領退陣した直後のワルトハイム氏と単独会見したことがある。テーマは国連の改革問題だった。同氏は会見前に当方に、「どのような質問を準備しているのか」と聞いて来た。そこで当方は「国連事務総長の体験者として、国連の現状と改革について見解を聞きたい」と説明した。同氏はそれに頷いた後、「それではインタビューを始めてください」と言った。ワルトハイム氏は戦争犯罪容疑問題以降、メディア機関に対して非常に神経質で、インタビューにはなかなか応じないことで知られていた。実際、想像を越える警戒心だった。
 同氏は会見では、「国連では国益が優先され、理想と現実が乖離している」と指摘し、国連改革が急務であると主張する一方、日本の常任理事国入りを支持した。
 ワルトハイム氏との会見は40分間に及んだ。当方は会見を終えると、同氏に「一緒に写真を取れませんか」と聞いた。同氏は初めて笑顔を見せ、「もちろん。私の秘書に撮影させましょう」と言ってくれた。この時、撮影した写真は当方のアルバムに保管されている。
 ワルトハイム氏はメディア機関の怖さを肌で体験すると共に、国連の現状と課題を誰よりも熟知している時代の証人の一人だ。

平壌のペンテコステ

 ペンテコステは聖霊降臨祭、五旬節とも呼ばれ、キリスト教会ではクリスマス、イースター(復活祭)と並んで重要な宗教行事となっている。イエス・キリストが十字架で死去してから3日後に復活(イースター)し、それから50日後、聖霊が降臨したことを記念して祝賀する宗教行事だ。
 新約聖書の使徒行伝第2章を見ると、「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった」と記述され、一同は聖霊に満たされて、御霊が語らせるままに、様々な他国の言葉で語り出したと記されている。
 エル・グレコの有名な宗教画「聖霊降臨」を見ると、炎のような舌(聖霊)が信者たちの頭の上に漂い、その上に鳩が描かれている。聖霊に満たされた信者たちが紅潮した表情を漂わせて天を仰いでいるシーンがとても印象的に描かれている。
 聖霊に満たされたキリスト者たちはその後、もはや死や迫害も恐れず、イエスの教え(福音)を述べ伝えていくことになる。その聖霊降臨祭は移動祝日であり、今年は5月27日だった。
 その当日、聖霊降臨祭の記念礼拝がなんと主体思想を国是とする北朝鮮の首都平壌のロシア正教の三位一体教会で行われたのだ。記念行事はウラジオストク教区のロシア正教使節団とロシア正教神学校を卒業したばかりの2人の北朝鮮正教聖職者が参加して執り行われた。
 ちなみに、北朝鮮にはカトリック教会、プロテスタント教会の他に、ロシア正教の教会(三位一体教会)が昨年オープしたばかりだ。
 北朝鮮には2002年、北朝鮮正教委員会が設置されたばかりだ。それ以後、モスクワのロシア正教指導部は北朝鮮当局に正教の公認を強く要求してきた経緯がある。今回の聖霊降臨祭が正教で挙行されたことから、「正教が公認された」と一般的には受け止められているという。ただし、公認といっても、北朝鮮当局によって厳しく活動が制限されていることはいうまでもない。
 平壌は昔、“東洋のエルサレム”と呼ばれるほど、キリスト教が盛んだった。故金日成主席の権力掌握後、キリスト教を含む全ての宗教は迫害され、地下活動に追いやられてしまった。平壌でペンテコステが再び起きる日が近いことを祈りたい。

泣くな、ザルツブルクよ

 ザルツブルクが泣いている。モーツアルトの生誕地がここにきて悲嘆に暮れているのだ。モーツアルト250年生誕祭は昨年終わったが、モーツアルトの音楽を愛する世界のファンは今年もモーツアルトの生誕地ザルツブルク詣で押し寄せてきているのに。
 それでは「何故」か。ザルツブルク市の念願であった2014年冬季五輪開催地に選出される可能性が限りなく「ゼロ」に近づいてきたからだ。同市は10年度冬季五輪開催地にも立候補し、そこでは大方の予想に反して決戦投票にも進出できず、オーストリア国民をガッカリさせたことはまだ記憶に新しい。
 雪辱戦として14年度冬季五輪に再出馬したわけだが、今度も決戦投票に進出できなくなりそうなのだ。国際オリンピック委員会(IOC)関係者は既に「7月の総会ではロシアの開催地候補ソチ市と韓国の平昌市の決選投票」と予測しているほどだ。
 ザルツブルク市は国際スキー大会の開催経験も豊富であり、冬スキーのメッカとしてインフラは既に完備している。最終候補地に残った3都市の中では「経験」と「インフラ」ではダントツだ。それにもかかわらず、「何故」ここにきてザルツブルク市が後退したのだろうか。原因は明らかだ。トリノ冬季五輪(06年)でオーストリアのスキー距離、バイアスロンの6選手がドーピング事件に関与したとして、IOCが4月、6選手の永久追放を決定する一方、今月24日、オーストリアのオリンピック委員会に100万ドルの罰金を科したからだ。この処分はIOCとしては最大級だ。
 それだけではない。「IOCはオーストリアのスポーツ選手の夏冬五輪大会参加拒否まで検討していた」と明らかになると、国民のショックは一層、深まった。同国日刊紙「オーストライヒ」は「これでザルツブルクの14年度冬季五輪開催の目はなくなった」というインサイダーのコメントを紹介しているほどだ。
 同国のグーゼンバウアー首相は「わが国がこの問題を手際よく処理できれば、ザルツブルク市のチャンスはまだ残っている」と楽観的な予測を述べている。「手際よく処理する」とは、スキー王国を築き上げてきた同国スキー連盟のボス、シュレックスナーデル会長を辞任させることを意味する、と一般的には受け取られている。
 いずれにしても、総会をあと40日後に控えたこの時、IOC理事会が厳しい決定を下したということは、「ザルツブルク市の冬季五輪開催は難しい」と宣言されたことに等しい。ザルツブルクが泣くのは当然だ。ゴール寸前になってスタートのミスを指摘され失格となった陸上選手のようなものだ。
 しかし、泣くな、ザルツブルクよ。捨てる神あれば、拾う神ありだ。必ず、日はまた昇る。

カルヴィンと「イフ」

 「もしヒトラーの生誕地が数百メーター離れたドイツ領土内だったら」「もしヒトラーがウィーン美術大学に合格していたならば」
 これらの「もし」が許されるならば、ヒトラーはオーストリア人ではなく、ドイツ人となり、民族主義と反ユダヤ主義を標榜する独裁者ではなく、美術学生としてその才能を発揮していたかもしれない。
 アドルフ・ヒトラーの出生地はオーストリアの小村ブラウナウ・アム・インだ。村を通過するイン川を越えると、そこはドイツのバイエルン州だ。ヒトラーの出生地とバイエルン州は実際、数百メーターも離れていない。多くのオーストリア人が「ヒトラーはドイツ人であり、ベートーベンはオーストリア人だ」と宣伝したくなる衝動も理解できる、というものだ。
 また、ヒトラーがウィーン美術大学に合格していれば、彼はウィーンに留まっていたかもしれない。しかし、2度の入学試験とも不合格となってしまったヒトラーは美術学生となる夢を捨て、ドイツに未来を求めて出て行ったわけだ。
 美術大学学長がヒトラーを入学させていたならば、ナチスの蛮行、ひいては第2次世界大戦も勃発しなかったかもしれない、一学校の入学不合格が世界の歴史を変えてしまったともいえるわけだ。
 「もし(イフ)」という言葉は歴史を考える際、タブーだが、歴史の中には「もしそうであったならば」と考えてしまうような状況が少なからずあるものだ。「イフ」は単に国家や民族レベルの出来事だけでなく、個人レベルでも考えられる。「もしあの大学に入学していたならば」「もしあの人に会わなかったならば」「もし両親が健在であったならば」等々、さまざまな「イフ」がある。ただし、その「イフ」の内容がもはや「現実とは成り得ない」という厳格な理由から、「イフ」を考えることは、一種の空しさが伴う作業だ。
 人生には選択し、決断しなければならない機会が少なくない。極端に言えば、人生は選択し、決断する瞬間の集合体だ。そして、いつも正しい選択と決断を下せるわけでもない。時には間違った選択、誤った決断を下す。
 ジョン・カルヴィンの「予定説」を信じる者には、この「イフ」の思考はない。全てが神によって予め決められていると考えるからだ。その意味で「イフ」を愛する人は、カルヴィン説を信じる人には味わう事ができない、「思考の自由」と「内省の時」という恩恵を享受できるのではないだろうか。

北朝鮮の宗教事情(2)

 「アジア・ニュース」が23日、報じたところによれば、北朝鮮当局はローマ・カトリック教会使節団が国内の病院を訪問し、結核患者を慰問することを初めて認可したという。カトリック教会は北朝鮮で病院の建設などを支援してきた。同教会によれば、北朝鮮国民の10%は結核に悩まされているが、同国には治療施設から医薬品まで欠乏しているという。
 海外の宗教団体の慈善活動が認められたことは朗報だが、宣教や伝道活動が認知されたわけではないから、両手を挙げて「万歳」と喜ぶわけにはいかない。その上、韓国の脱北団体「北朝鮮民主化委員会」が21日、「北朝鮮ではキリスト教徒と判明すれば強制収容者に送られている」というショッキングな報告を明らかにしたばかりだ。
 その一方、平壌で昨年8月、ロシア正教会会堂の献堂式がキリル府主教を迎え挙行されているし、ロシア正教会モスクワ神学校で学んできた4人の北朝鮮留学生が一昨年5月、卒業するなど、一定の宗教活動が容認されてきた兆候も無視できないだろう。
 韓国側の情報によれば、北朝鮮にはカトリック教会1カ所、プロテスタント教会2カ所、そして正教堂1カ所、とキリスト教3派の建物が存在している。もちろん、教会建物が即、「宗教の自由」を実証するものではない。北朝鮮カトリック教会指導者が「わが国は憲法5章68条に基づき、完全な信仰の自由が保証されている」と説明するが、この発言は明らかに当局のプロパガンダに加担したものに過ぎないだろう。
 ところで、米国宗教専門サイトが先日、「世界主要宗教の信者数」を発表したが、そこで北朝鮮の国是、主体思想を「宗教」と見なし、主体思想信者数を1900万人と推定、信者数で「世界第10位の宗教団体」と位置付けている。その数はユダヤ教徒(1400万人)よりも遥かに多い。共産主義イデオロギーが一種の偽宗教といわれて久しいが、主体思想が宗教体系を内包した思想という判断は正しいだろう(信者数のトップはキリスト教で21億人、第2イスラム教13億人、第3無宗教者11億人)。
 このように見ていくと、主体思想を国家宗教とする北朝鮮当局が他の宗教団体の国内宣教活動を迫害するのは、「宗教の自由」の欠如云々ではなく、ロシア正教当局が冷戦後、国内で宣教活動を活発化するカトリック教会に対し、「正教徒をカトリック信者に改宗させている」と批判し、同教会宣教師の査証発行を妨害するのと同じ対応ではないか。換言すれば、北朝鮮当局は他の宗教団体による国民の「改宗」を恐れている、といえるわけだ。

冬季五輪とプーチン大統領

 ロシアのプーチン大統領が23日、オーストリアを公式訪問し、フィッシャー大統領らホスト国の政府首脳らと会談したが、記者会見の場で決して公表されなかった内緒話があった―はずだ。それは2014年冬季五輪大会開催地問題で両国間の取引だ。
 オーストリアは14年度冬季五輪の開催地にザルツブルク市を、ロシアはソチ市を擁立している。それに韓国の平昌市を加えて、3都市が誘致争いをしている。国際オリンピック委員会(IOC)は7月初めに開催されるグアテマラ総会で開催地を決定する。立候補地を抱える国はあらゆる機会を利用して最後の誘致合戦を展開させているところだ。
 総会の第1回投票で当選可能な過半数の票を獲得できる候補地はないはずだ。そこで第1回投票の上位2都市で決選投票が実施される。その際、落選した都市を支持したIOC票の動向が当落の鍵を握ることになる。
 次に、(当方が描く)内緒話に移ろう。プーチン大統領曰く、「同士、ハインツ(フィッシャー大統領)、ここは紳士協定を締結すべきではないか。ソチ市かザルツブルク市が第1回投票で惜しくも落選した場合、決選投票ではわれわれ相手国の候補地を支持することにしたらどうだろうか。韓国の候補地は強い。ここはお互いに助け合うべきだ」。
 フィッシャー大統領は少し驚き、モスクワのゲストの顔を見ながら、「いやー、それはいい考えだ。わが国もザルツブルク市がダメとなれば、欧州の一員でもあるロシアの開催地を応援することに異存はない。でも逆の場合にはザルツブルクを忘れないでほしい」と相槌を打ち、テーブルの上にあったシャンペンをとって乾杯した、ということだ。両大統領はこの話を絶対にメディアに公表しないことで一致したことはいうまでもない。
 14年度冬季五輪開催にかけるプーチン大統領の熱意はすごい。新興財団(オリガルヒ)を総動員させ、インフラ整備に当たらせる一方、テニスの女王マリア・シャラポワ選手らを駆使して熱いメセージを世界に発信させている。
 ローテーション原則から判断すると、ソチ市は最も有利だ。冷戦時代のため欧米主要国が不参加した中で開かれたモスクワ大会(1980)以降、五輪大会が開催されていないからだ。ただし、懸念される点は、ソチ市が国際冬季スポーツ大会を開催した経験に欠けること、インフラ整備がまだ不十分ということだろうか。
 プーチン大統領は新生ロシアを世界にアピールする機会としてソチ冬季五輪大会の開催を考えているといわれる。しかし、それだけではないだろう。ソチ市の五輪開催が決定すれば、2012年の大統領選にプーチン大統領の再登場の道が自ずから開かれるからだ。ロシア憲法によれば、大統領の3選は禁止されているが、一任期(4年間)途切れば、前大統領の再出馬は認められているからだ。

下半期の南北首脳会談は不可

 韓国の盧武鉉大統領が任期中に北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記と南北首脳会談を開催する意向だが、同サミット会談が年末に実施される韓国大統領選に影響を与えることは必至だ。だから、野党勢力はサミット会談を大統領選に利用すべきではないと警告を発してきたわけだ。
 先ず、一般論を述べてみたい。あと数カ月で任期が終わる大統領は、もはや何らかの政治的拘束のある合意を外国と締結できない。なぜならば、あと数カ月で選出される新任大統領に外交上の拘束を与える結果となるからだ。相手国にとっても、政治合意が出来ない大統領とトップ会談を開いても意味がない。極端にいえば、相手国に対して非礼ともなる。
 具体的にいう。盧武鉉大統領は南北両国の将来に関する政治合意を北朝鮮と締結できない時期に入ってきている。なぜならば、あと数カ月で後任大統領が選出されるからだ。北朝鮮との首脳会談は新任大統領に委ねるべき政治課題となる。
 例を挙げてみよう。シラク仏前大統領は同国大統領選直前(5月6日実施)、ロシアと重要な外交文書に締結はできない。そのようなことをすれば、数日後に選出される新任大統領(サルコジ氏)の外交力を拘束することになるからだ。もちろん、ロシア側も応じないだろう。
 それにもかかわらず、盧武鉉大統領が首脳会談開催に固守する場合、金総書記とサミット会談を開催することで太陽政策の継続を確認する一方、年末の大統領選で太陽政策支持候補者を擁護したいという政治的狙いがあるからだ、といわざるを得なくなる。
 一方、北朝鮮の場合は異なる。すなわち、新任大統領が太陽政策の継続者であることが非常に重要だ。だから、盧武鉉大統領の願いに応じて、年内に南北首脳会談に応じる可能性は高い。
 興味をひく点は、金大中元大統領が今月14日、ドイツ訪問先で「盧武鉉大統領が南北サミット会談を開きたいならば、下半期前に実施すべきだ」と指摘していることだ。正しい政治判断だ。
 このように見てくると、盧武鉉大統領が南北首脳会談を開催できる時間は制約されてきたといえる。遅くとも今夏前までだろう。それ以後の開催は、北朝鮮側が応じたとしても、「大統領選を狙った政治的サミット会談」という批判が付きまとうはずだ。

スターリンとウィーン

 恥ずかしいことだが、オーストリアに長く住みながらソ連共産党の独裁者スターリンがオーストリアの首都ウィーンに居住していたという事実を最近まで知らなかった。「ウィーンの恋人たち」(D・グリーザー著、宮内俊至訳)という本を日本文化センターから借りて読んで、初めて知った次第だ。スターリンは1913年、数週間、ウィーンのシェーンブルンナー・シュロス通りに住んでいた。そこには今でも記念碑が残っている。
 一方、スターリンのライバル、レフ・トロツキーは1907年から7年間、第1次世界大戦が勃発してチューリヒに避難するまでウィーンに住んでいた。しかし、40年5月、メキシコシティー郊外で暗殺されたトロツキーのウィーンの住居には何の記念碑もない。だから、多くのウィーン子はロシア革命の指導者トロツキーがウィーンに住んでいたということを知らないのではないか。ロシアのプーチン大統領が23日、ウィーンを公式訪問したこともあって、当方はスターリンやトロツキーらロシア革命家とウィーンの因縁を思い出したのだ。
 オーストリアは第2次世界大戦後、米、英、仏、ソ連の4カ国占領時代を体験している。プーチン大統領が今回宿泊したホテル「インペリアル」は旧ソ連統治下にあった地域であり、ソ連軍が拠点として利用したホテルだ。そのような歴史的背景もあって、ロシアから国家元首や高官がウィーンを訪問するといつもホテル「インペリアル」に宿泊するわけだ。ちなみに、天皇皇后両陛下が2002年7月、ウィーン訪問された時も同ホテルに宿泊されている。
 ウィーンは冷戦時代、西側社会のショー・ウィンドーと呼ばれ、東西間の掛け橋的な役割を果たしてきた。旧ソ連・東欧諸国からは多くの政治亡命者がウィーンに避難してきたし、ホフブルク宮殿には全欧安保協力会議(CSCE)の本部があり、そこで東西両陣営が激しいイデオロギー論争を繰り返してきた。スターリンやトロツキーが束の間とはいえ、音楽の都ウィーンに住んでいたとしても不思議ではないわけだ。

プーチン大統領のウィーン訪問

 ロシアのプーチン大統領は23日、1日半の日程でオーストリアを公式訪問する。同大統領にとって、サマラで開催されたロシアと欧州連合(EU)首脳会談(5月18日)後、初のEU加盟国訪問となる一方、オーストリアにとってはEU議長国を務めた昨年上半期以来の大国のトップ訪問となる。
 ロシア・サマラ近郊の首脳会談ではEU議長国ドイツのメルケル首相から人権問題でかなり厳しく追及されるなど、プーチン大統領は欧米諸国の批判にさらされてきた。欧米との間には、ポーランドの農産物輸出入問題から米国のポーランド、チェコへのミサイル防衛システム配置計画、人権・言論の自由問題まで、多くの難題が山積している。
 ホストのフィッシャー大統領、グーゼンバウアー首相、プラスニク外相はEUの加盟国としてプーチン大統領との会談ではモスクワの人権問題を議題に挙げる意向という。人権問題を無視すれば、内外のメディアから批判を受けることは必至だからだ。その意味で、オーストリアの政治家たちには、ゲストの心情を傷つけないで人権問題に言及するという離れ業が要求されるわけだ。
 プーチン大統領の訪問はオーストリアとの2カ国関係の強化、特に経済関係の拡大が主要テーマだ。同大統領はオレグ・デリパスカ氏、ビクトア・ヴェクセルベルク氏らロシアの代表的な新興財団(オリガルヒ)を随伴させる一方、オーストリア商工会議所で演説を予定するなど、両国間の経済発展に強い関心を示している。
 なお、ウィーン市内では訪問前日の22日、非政府団体(NGO)の「国境なきレポーター」がロシアの人権弾圧を批判する記者会見を開催する一方、大統領のウィーン入りする23日には、2カ所で反ロシア・デモが計画されている。オーストリア側はプーチン大統領のウィーン滞在中、会議場所、宿泊ホテル周辺に1000人の警察官と100人の特別部隊を警護に当たらせるなど、治安維持に神経を尖らしている。

アベ・ピエール神父の訴え

 「世界キリスト教情報」が仏誌「宗教ルモンド」最新号に基づいて報じたところによると、フランスの聖人と呼ばれ、今年1月22日にパリで死去したローマ・カトリック教会の神父アベ・ピエール(本名アンリアントワンヌ・グルエ)さんが昨年11月、ローマ法王ベネディクト16世宛てに一通の手紙を送り、その中で「熱意と能力のある妻帯者を聖職者に叙階すべきである」と助言していたことが明らかになった。
 故アベ・ピエール神父の名前は日本でも有名だ。全ての財産を投資して慈善団体「エマウス」を創設、貧者、失業者たちを支援し、現代の聖者と呼ばれていた。その神父が妻帯者の叙階をローマ法王に助言していたというわけだ。ピエール神父は手紙の中で「支持者、司祭、司教、枢機卿たちと相談し、彼らは妻帯者の叙階を支持していた」と語っている。ちなみに、ピエール神父の手紙に対して、ベネディクト16世が返信したとはこれまで報じられていない。
 カトリック教会聖職者の独身制問題については、ザンビア出身のエマニュエル・ミリンゴ大司教の結婚問題で再び話題となり、教会内外で是非が議論されてきた。それに対し、べネディクト16世は昨年11月16日、高位聖職者会議を招集し、「聖職者の独身制は神の恵みである」として独身制の堅持を再確認している。
 ところで、ピエール神父の法王宛て手紙は11月1日付けであったことから、ミリンゴ大司教の既婚聖職者問題やピエール神父の妻帯者の叙階アピールが、法王をして高位聖職者会議を招集せざるを得なくなった理由であったと考えられる。なお、同法王は今年に入っても世界のカトリック信者に向けて「愛のサクラメント」と呼ばれる法王文書の中で、「神父に叙階された聖職者はキリストと完全に同じでなければならない。独身制は言い表されないほどの価値ある財産だ」と主張、独身制の意義を重ねて強調している。
 イタリアのイエズス会雑誌「チビルタ・カトリカ」によれば、ローマ・カトリック教会の神父が結婚などを理由に聖職を断念した数は1964年から2004年の40年間で約7万人という。
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