ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2007年04月

イラク特派員

 駐オーストリアのイラク大使館から再び昼食会の招待状が届いた。今回はオーストリアのメディア機関の編集次長級の記者たちが主に招かれた。タリク・アカラウィ大使がわざわざ当方に「君も来たらどうかね」と誘ってくれたので、喜んで出かけた次第だ。
 昼食会は堅苦しいものではなく、飲み物を楽しんだ後、別室に準備されていたブフェ形式の昼食が始まった。
 新聞やテレビで良く見かける記者たちがいたので、当方も名刺交換しながら交流した。ゲストの中に国営オーストリア放送のイラク特派員のフリードリッヒ・オルター氏がいた。夜のニュース番組でバグダッドから報道している花形記者だ。ウィーンにたまたま帰国中だという。そこでイラク取材の苦労話などを聞いてみた。
 「テロに遭遇する危険はいつもある。自分が住んでいるホテルのそばが爆弾を受けたことがある。テロ対策としては、テロリストにこちらの日程を知られないように車の走るルートを変えたり、帰宅の道を変えたりしている。イラクでは取材中、何が生じるか分からない。会社(オーストリア放送)は自分に生命保険をかけてくれているが、問題は拉致だ。テロリストは報道関係者と西側外交官の区別ができない。だから、プレス関係者が拉致される危険性は排除できない」と語り、「ただし、拉致には生命保険がきかないのだ」と付け加えた。
 同記者はバグダッドに駐在する前は旧ユーゴスラビアを担当してきた。ボスニア紛争では常に戦争地から報道してきた。
 そこで「イラク取材は会社からの要請ですか」と聞くと、「会社ではなく、自分から希望した」という。その理由を「報道機関に従事する者として、世界が注目する紛争地で取材したいという願いが強いんだ」と説明してくれた。
 同氏は今後、イラク北部でクルド系の動きを報道する予定という。特に、クルド労働者党(PKK)関係者とのインタビューを狙っているという。同氏の活躍を期待したい。
 ちなみに、ウイーンに本部を置く「国際新聞編集者協会」(IPI)によると、今年に入り、世界で22人のジャーナリストが取材中に殺害されている。犠牲者数ではオルター氏の任地イラクが最も多く、これまで14人のジャーナリストが犠牲となっている。

「東海」の国際化を狙う韓国

 「日本海呼称問題」に関する第13回国際会議が26日から2日間の日程でウィーン大学法学部の会議室で開催された。同会議は韓国東海協会、ウィーン大学韓国語学研究所、北東アジア歴史財団が主催し、韓国海洋学研究所、駐オーストリアの韓国大使館などが後援した。その意味で、「国際会議」と命名されているが、「日本海」は日本の朝鮮半島植民地時代の結果、呼称されたものに過ぎないから、本来の「東海」に改名すべきだと主張する韓国側の立場を鼓舞するために開かれた「一種のプロパガンダ会議」(会議参加者)というわけだ。
 会議参加者の80%は韓国の大学教授、政府関係者だ。残りは、ロシア、中国、ブルガリア、米国の学者の姿がみられただけだ。会議には日本側からは誰一人、参加していない。
 竹島(韓国名独島)問題と同様で、日本海呼称問題も日本と韓国両国間の主張は異なっている。日本側は「日本海の呼称が朝鮮半島植民地時代とはまったく関係がない。1602年には既に西洋に『日本海』との呼称が使用されている」と反論。それに対し、韓国側は「公海の呼称に特定の名前を使用するのは良くない。特に、日本海は日本帝国主義の覇権結果に基づくもので、歴史的な背景はない」と強調する、といった有様だ。
 報道関係者として同会議を傾聴した日本人の当方は、韓国人学者以外の意見を聞いてみたかった。当事者の議論はとかく主観的になりやすいからだ。そこで同会議に参加した米国人海洋地質学者、ノーマン・チェルキス氏(「日本海呼称問題」の元米政府調査担当者)に意見を聞いてみた。同氏は笑いながら「世界が学者と子供だけだったら、紛争は生じないのだが、政治が関与すると対立が生じてくるんですよ」と述べ、「自分としては日韓両国は妥協すべきだと思う。例えば、日本海を二つに分け、日本側に近い海を「日本海」に、韓国の側を「東海」と呼べばいいではないか」という。当方は「日本海の真中に線を付けるというが、その際、また新たな問題が生じないだろうか。世界地図の普遍性という観点からもみても、地域名や海の呼称は統一すべきだと思う」と反論した。同氏はまた笑いながら、今度は小声で、「君、知らないのか、呼称問題で最も喜んでいる者は地図作成業者だよ」と述べ、呼称問題も経済的利害が絡んでいると示唆したのだ。
 当方は会議でもらった膨大な資料を抱えながら帰途についた。それにしても、自国の主張を「国際化」するために、積極的な活動をする韓国側に改めて驚かされた。会議の休憩時間には、日本軍の慰安婦問題を糾弾するパンフレットも参加者に配られていたほどだ。
 ところで、会議場のウィーン大学法学部と日本大使館は20メートルほどしか離れていないのに、日本大使館からは誰一人、会議に顔を出さなかった、ということはどういうことだろうか。「東海」の国際化を目指して欧州で会議を開催する韓国側の行動力に対し、日本側の積極性のなさ、受身の姿勢に歯がゆさを覚えたほどだ。

大連立政権の蹉跌

 オーストリアの大連立政権は水と油の関係に近い政党間の“強制結婚”だったというべきかもしれない。もともと結婚すべきではなかったが、新政権の早期発足を望む世論に押され、意思に反して結びついてしまった。
 だから、というべきか、当然の結果というべきか、結婚後のハネムーン期間の百日間は安らかな時がほとんどなかった。対立と葛藤、後悔と批判の連続だった。選挙は終わって久しいが、政権内ではその延長戦が繰り広げられてきたのだ。
 オーストリアで昨年10月1日、総選挙が行われ、大方の予想に反して野党の社会民主党が第1党に復帰し、与党の国民党は第2党に後退した。しかし、社民党としても安定政権を発足するために政権パートナーが必要だ。そこでライバル政党の国民党に声をかけた。
 両党は101日間という同国史最長連立交渉記録を樹立後、今年1月11日、ようやく“結婚”にたどり着いた。しかし、先述したように、もともと相思相愛の関係ではないので、連立政権発足後のハネムーンの100日間(今月20日まで)は冷たい雨降りのような日々が続いたのだ。
 ユーロ戦闘機購入問題から学費問題、教育問題、社会福祉政策まで、社民党と国民党の間には政策と路線が違う。社民党はユーロ戦闘機購入契約を撤回させ、その浮いた金で学費全廃をカバーし、社会福祉分野の予算にあてたいと考える一方、国民党はユーロ戦闘機購入契約の堅持を主張し、社民党の選挙公約であった学費全廃に対しては強く拒否するなど、機会あるごとに対立してきた。
 そもそも首相に就任したグーゼンバウアー氏は社会党(社民党の前身)青年指導者時代、当時のソ連連邦を訪問した際、モスクワの第一歩を踏む大地にローマ法王のようにキスをしたほどの人物だ。社民党内でも左派に属する政治家だ。一方、国民党はドイツのキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹党であり、経済界と強い繋がりのある保守派政党だ。
 隣国ドイツでも大連立政権だが、オーストリアでは社民党主導の大連立政権であり、CDU主導のドイツイ大連立政権とは異なる。大連立政権は安定政権として議会運営から法案成立までスムーズにいく利点がある。その一方、政策論争が少なくなり、連立政権内のジュニア政党がその存在感を発揮しにくく、表舞台に立つ第1党政党の影に隠れてしまう危険性が出てくる。独・社会民主党(PSD)がCDU主導の連立政権下で苦悩しているように、国民党は社民党主導の連立政権下で歯軋りをする機会が増えてきたわけだ。
 オーストリアの場合、離婚はもはや回避できないと見られる。問題はいつ離婚手続き(早期総選挙の実施)をするかだ。社民党も国民党も有権者の動向を注意深く分析しながら、離婚の申し出時期を模索するだろう。

囚人数から見た米社会の苦悩

 読者の皆様はご存知だろうか。世界の刑務所に現在、約925万人の囚人がいることを。そして世界で最も囚人数が多いのは、世界に向かって民主主義と自由を呼びかけている米国なのだ。その数は約219万人だ。ちなみに、米国に次いで囚人数が多いのは世界最大の人口を誇る中国で約155万人だ。囚人数だけでは正しい比較が難しいので、人口10万人に対する囚人数を見ると、これまた、米国がダントツで738人。中国は118人に過ぎないから、米国が文字通り、世界一の犯罪社会であることが一目瞭然となる。
 残念なことだが、大学内事件として最大の犠牲者を出した米バージニア工科大の銃撃事件はけっして特筆すべき事件ではなく、米国社会の実態を表面化させた出来事に過ぎないのではないかと思える。米国は囚人数だけではない。弁護士から精神科治療士の数まで世界でダントツに多い。米国型民主主義は明らかに限界を迎えている。
 当方がこのような事を考えたのは、ウィーン国連で先日開催された「外国人囚人」についてのパネル討議を聴く機会があったからだ。上記の囚人数の統計はロンドンに本部を置く「国際刑務所研究センター」(ICPS)のデーターに基づく(http://www.prisonstudies.org)。
 当方が住む欧州でも犯罪は増加傾向にあり、犯罪対策は大きな課題となって久しい。欧州のどの国でも刑務所は囚人で一杯だ。刑務所もその収容能力を超えたところが多い。ICPSによれば、欧州25カ国の刑務所で2005年11月現在、約10万7960人の外国人囚人が収容されている。外国人囚人数では、ドイツの2万2676人を筆頭に、イタリア1万7977人、スペイン1万7798人と続く。囚人数が最も少ないのはラトビアで62人、マルタ97人、リトアニアの129人だ。
 一方、囚人の中で外国人囚人の占める割合が高い国は、ルクセンブルクで72・9%だ。同国では囚人の3分の2が外国人ということになる。次いでキプロスの42・9%、ギリシャ41・7%となっている。参考までに、ドイツは28・2%、フランスは21・4%だ。英国が12・5%と割合は予想外に低い。
 ちなみに、日本の場合、2005年12月現在、総囚人数は7万9055人、人口10万人に対する囚人数は62人、外国人囚人率は7・9%といずれも低い。青少年の犯罪が増加している日本だが、世界の国々と比較すると、日本が依然、世界で最も安全な国の1つといえるわけだ。

人間の顔をしたテロ

 ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁教理省局長のアンジェロ・アマト大司教は堕胎と安楽死を「明らかにテロ行為だ」と指摘し、「人間の顔をしたテロリズム」と言い切っている。
 「人間の顔をした…」という表現を聞くと、冷戦時代のチェコスロバキアでアレクサンデル・ドゥプチェク共産党第1書記が「人間の顔をした社会主義」を標榜し、民主改革に乗り出したことを思い出す。“プラハの春”と呼ばれたチェコの民主化運動はソ連軍(当時)を中心としたワルシャワ条約機構軍の侵攻で頓挫したが、イタリア人高位聖職者はその「人間の顔をした…」という表現を付けて、「堕胎と安楽死はテロ」と呼んだわけだ。
 同大司教がわざわざ「人間の顔をした」という表現を使用することで、堕胎や安楽死が人間的なカモフラージュを付けて堂々と行われている事に対する警告が含まれているのかもしれない。
 ミラノの日刊紙コリエレ・デラ・セラ(24日付)によれば、大司教の発言は、ローマで先日行われた「悪の問題」というタイトルの講演の中で述べられたものだ。同大司教は「メディアは堕胎や安楽死のような暴力を悪巧みに扇動している。堕胎や安楽死という概念の悲劇的な事実を巧みに操作し、流布している」と述べ、メディア機関を「人間の顔をしたテロ」の共犯者と批判しているのだ。
 堕胎や安楽死問題は欧州では久しくその是非が問われてきた。安楽死問題は別として、堕胎問題ではある一定の堕胎は認めるべきだ、という方向で議論が交されている。堕胎を厳禁してきた保守派政党も選挙でリベラルな有権者の支持を得るために堕胎を認めるところも出てきた。例えば、カトリック国ポルトガルで先月、妊娠10週までの堕胎を合法とする法案が可決したばかりだ。バチカン法王庁のお膝元のイタリアでも妊娠12週までの堕胎を合法としている、といった具合だ。それに対し、キリスト教会では懸念の声が聞かれる。バチカン教理省ナンバー2のアマト大司教の発言はバチカンの懸念を明確に表したものだ。
 ところで、悪魔(サタン)も「人間の顔をした存在」として現れてくるという。女には美男子として、男には美女として出てくるというから、堪ったものではない。

「物乞いの権利」について

 オーストリアで路上の物乞い(乞食)を全面的に禁止すべきだという声がある。それに対し、ローマ・カトリック教会の慈善団体関係者は「貧しい人間には『物乞いする権利』が保護されるべきだ」と反論している。
 オーストリアの民間放送は先日、「物乞いを禁止すべきか」というテーマで、商店街関係者、政治家たちを招いて議論を行った。ウィーン市一の商店街マリアヒルファー通りの店舗関係者は「組織的な物乞いが行われている。彼らは朝、車で運ばれ、一定の間隔で配置されている。明らかに組織犯罪だ。買物客にとっても迷惑だ」と主張し、物乞いの全面禁止を主張する。同関係者によると、同通りで物乞いをする乞食はオーストリア人は4人だけで、後は全て外国人だ。彼らは東欧諸国出身の組織的な物乞いグループだという。
 一方、カトリック教会の慈善組織「カリタス」関係者は「組織的物乞いは取り締まるべきだが、物乞い一般を全面的に禁止することは正しくない。貧困のため路上で物乞いをせざるを得ない国民が存在するという事実を忘れてはならない」と指摘し、人間には貧困を克服する為に「物乞いする権利」が保証されるべきだと強調する。
 それに対し、グラーツ市国民党の政治家は「貧しい国民は国家によって救援が行われている。失業手当から社会手当てまで必要な支援は得られるはずだ。物乞いをする人は組織的物乞いに過ぎない」とやり返す。
 番組では、30年間、マリアヒルファー通りで物乞いをしてきた老人が紹介された。老人は昔、会社を経営していたが、夫人と離婚して以来、事業は破綻した。ある日、途方に暮れて路上に立っていた。暑くなったので被っていた帽子を抜いたところ、1人の通行人がその帽子の中にお金を入れてくれたのが物乞い人生の始まりだったという。最近では常連客ができ、毎日お金を入れてくれる。1日平均30ユーロの収入があるという。
 当方もこの議論を聞いて考えた。組織的な物乞いは取り締まるべきだが、物乞いの全面的禁止はどうだろうか。人生は「晴れの日」も「雨の日」もある。「雨の日」となり、生きていく為に物乞いをする人に、「君には物乞いする権利がない」といえるだろうか。われわれだってある日突然、「雨の日」を迎えるかもしれないのだ。

おらが国の出身者

 大多数は生まれた国でその生涯を終えるが、経済的、政治的理由などから母国を後にし海外に移民し、そこで定着するケースもある。移民や経済難民として外国で定着し、そこで家庭を築き、その子供たちが成長し、その国の指導者になる、といったケースは珍しくなくなった。
 フランス大統領選第1回投票で1位となった二コラ・サルコジ氏(国民運動連合=UMP)もそのような移民(ハンガリー)の子弟だ。だから、クリントン大統領時代に米国務長官を務めたマデレーン・オルブライト女史が出身地プラハ(チェコの首都)で大歓迎されたように、ハンガリーでは「おらが国の出身者」として人気が高い。ちなみに、世界の大富豪ジョージ・ソロス氏もハンガリー出身者だ。将来の仏大統領有力候補者と世界的投資家の出身国ハンガリーの国民はさぞかし誇らしいことだろう。同じ出身地、国といわれれば、その政治信条や立場を超えて歓迎したくなるのは人情だ。
 参考までに、出身地から愛されなかった歴史的人物もいる。その1人はイエスだ。新約聖書のマタイによる福音書13章57節を読むと、イエスは「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこでも敬われないことはない」と述べている。すなわち、「預言者は故郷では敬われない」というのだ。実際、イエスは故郷ナザレでは敬われなかった。同福音書第8章20節を見ると、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と嘆いている。青年イエスの悲しみが的確に記述されている。
 当方を含む大多数の読者は幸いにも預言者ではない。だから、出身地・国から迫害されるという体験はほとんどないはずだ。フランスのサッカー選手のジネディーヌ・ジダン選手が引退後も出身国アルジェリアで国民的英雄であるように、選挙結果の如何によらず、サルコジ氏は出身国ハンガリーでは暖かく迎えられるはずだ。歓迎してくれる故郷や出身国を持っている人たちは幸いだ。彼らは慰められる場所を見出せるからだ。

7万人の神父が聖職を離脱

 ローマ・カトリック教会の神父が結婚などを理由に聖職を断念した数は1964年から2004年の40年間で約7万人という。イタリアのイエズス会雑誌「チビルタ・カトリカ」が明らかにしたものだ。同誌によれば、離脱後、後悔して再び聖職に戻った神父数は1万千人を超えるという。
 同誌は「バチカン法王庁(カトリック教会総本山)がここにきて聖職離脱者に対して慈愛的に対応してきた。ただし、聖職者の独身制廃止といった抜本的な改革は考えられていない。既婚聖職者数は推定5万7千人以下と見なされ、バチカン側は個々のケースを慎重に検討した上で、聖職復帰を認めてきた」という。聖職を断念する理由は結婚が第1だが、それだけではなく、聖職者の信仰の危機、高位聖職者との対立、教理への不信などが挙げられている。
 当方は過去、このコラム欄で聖職者の独身制については何度も言及し、独身制が教理的な理由ではなく、教会の経済的な理由に基づくと紹介してきた。
 旧約聖書創世記第1章27節をみると、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と記述されている。神の似姿は「男」でも、「女」でもなく、「男と女」だというのだ。聖職者は独身では「神の似姿」にもなれないのだ。一方、キリスト教史を振り返ると、4世紀に聖職者の結婚は禁止されたが、1651年のオスナブリュクの公会議での報告によると、当時の聖職者は多数の特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子女ができて遺産相続問題が生じないために、教会の財産保護という経済的理由が背景にあったといわれる、といった具合だ。
 ローマ法王ベネディクト16世は昨年11月、聖職者の独身制問題について緊急幹部会(法王庁聖省高位聖職者)を招集し、「カトリック教会では聖職者の独身制は意義と価値がある」として、「独身制の堅持」を確認している。
 一方、結婚などを理由にバチカンから昨年破門されたザンビア出身のエマニュエル・ミリンゴ大司教は「聖職者の結婚こそ、教会の性モラル回復の唯一の道だ」と表明し、聖職者の独身制の廃止を要求している。

ベストセラー作家のローマ法王

 ローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王のべネディクト16世がイースターの聖週間に出版した「ナザレのイエス」は出身国ドイツで既にベストセラー入りしている。出版社のHerderによれば、第1版として25万部が印刷済みだ。このままいくと、英国の児童文学作家J・K・ローリング女史の「ハリー・ポッター」に匹敵する部数の売上げが期待できるという。
 「ナザレのイエス」は第1弾としイタリア語、ポーランド語、そしてドイツ語訳が出たが、現在32カ国訳が準備中という。イタリア語の場合、最初の5万部が既に完売し、ポーランド訳は10万部が印刷済みだ。いずれの完売は時間の問題といわれる。世界に約11億人の信者を抱えるカトリック教会の最高指導者の著書となれば、ベストセラーは出版する前からほぼ間違いないわけだ。
 オーストリアのカトリック教会でも16日夜、シェーンボルン枢機卿がウィーン大司教区宮殿で法王著書出版祝賀会を開催したので、当方も出かけてみた。宮殿内は聖職者や信者たちで溢れ、文字通り立錐の余地もなかった。
 「ナザレのイエス」の表紙には最上部にヨーゼフ・ラツィンガー、その下にべネディクト16世と2つの名前が記されている。すなわち、「ナザレのイエス」はべネディクト16世が教理省長官のラツィンガー枢機卿時代に書き始められたものであることを明確にするためという。2部から構成され、今回はその第1部が出版されたわけだ。べネディクト16世は出版前、「この著書は法王公文書ではない。私個人がこれまで求め、考えてきたイエス像に過ぎないから、自由に批判してほしい」と述べている。
 シェーンボルン枢機卿は祝賀会での講演で、「『ナザレのイエス』はべネディクト16世が一求道者として『イエスは誰か』を求めていった内的路程を本にまとめたものだ。本の中でラツィンガー枢機卿とユダヤ教ラビとの対話部分は非常に示唆に富んだいる。過去のイエス像の中には、革命家イエス、社会改革者のイエスなどの捉え方もあったが、著者は最終的には、イエスは神を我々にもたらした、と受け取っている」と述べている。
 イエスが結婚していたというテーマを扱った小説「ダヴィンチ・コード」が映画化されて、世界的に大反響を呼んだばかりだが、イエスの生涯に対する関心はここにきて非常に高まってきている。今年に入ると、「ダヴィンチ・コード」の監督、ジェームズ・キャメロン氏とカナダのユダヤ人映画監督のヤコブビッチ氏が「イエスの家族の墓をめぐるドキュメンタリー番組を製作する」と発表している。そのような中、カトリック教会最高指導者がイエスの実相に迫ろうとした野心的な著書を出版したわけだ。イエスの降臨目的を再度、考えてみる時なのかもしれない。

世界のコリア情報の拡大

 「わぁー、1面はコリアのことだけだ」
 オーストリア日刊紙スタンダード(18日付)を読んでいた知人が突然叫んだ。日刊紙の1面トップには米バージニア工科大銃撃事件が占め、米大学内の最悪の銃撃事件の犯人・韓国籍学生について報じられている。そのサブ記事では、「北朝鮮、核関連施設の稼動停止か」といった韓国情報筋の記事が掲載されている。トップとサブ記事はいずれもコリア関連記事だ。
 残念ながら、トップの記事は悲しい内容だ。今回の銃撃事件は世界の韓国人にとっても辛いニュースだったに違いない。朝鮮日報の19日付の朝刊ヘッドラインには、「バージニアの悲劇、韓国人の心も濡らす」という見出しが付けられていたほどだ。
 知人の韓国外交官が事件の翌日、当方に電話をかけてきて、「事件をどのように受け取っているか」と聞いて来た。外交官が銃撃事件にかなりショックを受けている事が直ぐに感じられた。当方は「事件の背景が分かるまでは冷静に対応した方がいい」と答えただけで、それ以上何もいえなかった。
 一方、北朝鮮の核問題関連記事は後日、米国側から「そのような事実はない」と否定されたが、北朝鮮の核問題は欧州のメディアでも大きく報道される機会が増えた。欧州メディアは過去、地理的な理由もあってイランの核問題には強い関心を寄せるが、北朝鮮の核問題への扱いは相対的に低かった。しかし、北朝鮮が昨年10月、核実験を実施して以来、当然ながら関心度が広がっていったわけだ。
 当方がウィーンで取材活動を開始した1980年代、「韓国がどこにあり、朝鮮半島が南北に分断されている」といった初歩的な事実すら知らないオーストリア人が多いことに驚かされたことがある。極端にいえば、アジアといえば当時、日本だけだった。韓国は未知の国だった。
 その後、中国と共にコリア民族が台頭してきたわけだ、オーストリア国民の多くは今日、朝鮮半島が南北に分断され、韓国が経済立国として発展し、北朝鮮が金正日労働党総書記が君臨する独裁国家である、ということを知っている。すなわち、世界のコリアに関する情報が飛躍的に拡大してきたのだ。それだけ、注目度も高まってきたわけだ。
 韓国籍学生の銃撃事件や北朝鮮の核問題ではなく、南北コリア民族の喜ばしいニュースが世界に溢れる日の到来を期待している。
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