ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ガザ地区のキリスト教徒「存続の危機」

 イスラエルの首都エルサレムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の聖地だ。アブラハムを「信仰の祖」とする3大唯一神教は過去、エルサレムの帰属権で争ってきた。そして現在、イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム過激テロ組織ハマスとの間で1週間の戦闘休止を挟んでガザ紛争が続いている。宗教的な立場からいえば、ハマスがイスラム教をその精神的バックボーンとするグループか否かは別にして、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教を掲げるハマスの間の戦いだ。特に、ハマスはユダヤ民族の撲滅をその最終目標に掲げているテロ組織だ。

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▲「アブラハムファミリーハウス」のオープニング式典(2023年2月19日、バチカンニュース公式サイトから)

 ここにきて、ベツレヘムをイエスの生誕地とするキリスト教はどうしたのか、といった問いかけが聞こえてくる。換言すれば、ユダヤ教とイスラム教は互いに戦闘し、その存在感をアピールしているが、ユダヤ教を母体として誕生したキリスト教の存在感が見られないのだ。

 中東専門家のスティーブン・ヘフナー氏(Steven Hofner)は3日、ポータルkatholisch.deに寄稿した記事の中で、「聖地のキリスト教徒に対する脅威が増大している。イエス生誕の地にキリスト教徒が存在することは歴史的な現実だが、将来にわたって保証されるものでは決してない」と警告を発している。同氏はヨルダン川西岸のラマラにある「コンラッド・アデナウアー財団」の責任者だ。

 イスラム教が席巻する中東では少数宗派のキリスト教への迫害は今に始まったわけではない。中東ではイスラム根本主義勢力、国際テロリスト、そしてトルコ系過激愛国主義者によるキリスト教徒への迫害が拡大している。例えば、イラクでは戦争前までいた約120万人のキリスト系住民の半数以上が亡命していった。カルデア典礼カトリック教会バグダッド教区関係者は、「信者の亡命は現在でも続いている。このままいくと、キリスト教会自体が存続できなくなる」といった懸念を抱いているほどだ。

 エジプトではコプト典礼カトリック信者がさまざまな弾圧を受けてきた。エジプトではイスラム教徒が主流だが、コプト系キリスト教徒も人口の約1割いる。イスラム教徒とコプト系教徒間の衝突が絶えない。

 イラク出身の友人は、「中東ではキリスト者はハイ・ソサエティに属する者が多かった。イラクのフセイン政権時代のタレク・アジズ副首相もカルデア典礼のカトリック信者だったし、シリアのバース党創設者ミシェル・アフラク氏はギリシャ正教徒だった。キリスト教会は独自の教育システムを構築して信者たちに高等教育を施した。イスラム教は子弟の教育体制では遅れを取った。しかし、イラク戦争後、状況は変わってきた。中東では少数宗派のキリスト教徒も攻撃対象となってきた」と説明していたことを思い出す(「中東で迫害されるキリスト教徒」2006年10月31日参考)。
https://wien2006.livedoor.blog/archives/50346639.html
 ヘフナー氏は、「ガザ戦争の影響で長年にわたって不安定だったキリスト教徒の状況はさらに悪化している。彼らは現在、2つの潜在的な危険に直面している。国家宗教的なユダヤ人過激派の脅威にさらされる一方、ヨルダン川西岸とガザ地区でイスラム化が進んでいる」と指摘。

 ガザ地区では約1000人のキリスト教徒が閉じ込められ、爆弾攻撃にさらされている。ヨルダン川西岸と東エルサレムでは、イスラエル占領により移動の自由が制限されている。東エルサレムのキリスト教徒パレスチナ人とヨルダン川西岸のキリスト教徒パレスチナ人のクリスマスの家族再会は、特別な許可がなければ不可能だ」と批判する。

 キリスト教徒に対する差別の増大により、その地域からの移民が加速し、その結果、地元コミュニティは弱体化してきた。パレスチナ自治区ではキリスト教徒は約47000人で、人口の1%未満にすぎない。

 ヘフナー氏は、「キリスト教徒人口の割合は減少しているが、パレスチナ自治区の社会的、経済的生活の改善には貢献している。キリスト教徒組織はヨルダン川西岸で3番目に大きな雇用主だ」と強調し、パレスチナ人もキリスト教の社会制度から恩恵を受けているという。「聖地におけるキリスト教徒の人道的・開発的重要な役割は、この地域の理解、安定、緊張緩和にとって不可欠な基礎である」と説明する。
(ヘフナー氏の発言はバチカンニュース12月3日の記事から引用)

 “アブラハム3兄弟”(ユダヤ教徒=長男、キリスト教徒=次男、イスラム教徒=3男)が共存できる時は訪れるだろうか。3兄弟が和解し、団結できれば、世界は平和へと前進できるだろう。その意味で、3兄弟が密集する中東地域は世界の平和実現へのモデルケースともなり得るわけだ。

戦時下のウクライナで2度目の冬到来

 雪が初めて降った日はこのコラム欄で必ず記したものだ。初雪の日を忘れないためという意味もあったが、雪が初めて降った日はやはり特別な思いが湧いてくるからだ(「雪が降る日、人は哲学的になる」2015年1月8日参考)。

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▲ドイツのショルツ首相と防衛政策の協調で電話会談するゼレンスキー大統領(2023年11月30日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

 8年前のコラムの中で「『ベートーベンの生涯』を書いた作家ロマン・ロランは『ウィーンはどこか軽佻(けいちょう)な街だ」と表現している。非日常的なイベントで明け暮れる観光の街に住んでいると、人々は落ち着きを失い、内省する習慣もなくなっていく。例外は雪が降る日だ。ウィーン子は雪の降る日、人生について考え出すのだ」と書いたほどだ。

 その音楽の都ウィーンはここ数年、雪が余り降らなくなった。地球の温暖化のせいかは知らないが、暖冬が続いたので重いマンテル(外套)を着て冬用の靴を履く、ということはここ数年なかった。

 雪が降らなければ、雪掻きをするサイドビジネス(お小遣い稼ぎ)をしている人々にとっては収入源の喪失を意味する。雪掻きの仕事を希望する市民は市当局の担当部署に登録しておく。そして雪が降って、路上の雪掻きが必要となれば、市当局から登録していた市民に電話が入る。通常、早朝、3時、4時ごろから雪掻きが開始される。

 アルプスの小国オーストリアのチロルなどアルプス山脈地域は、ウインタースポーツのメッカだ。ただ、アルプスの地域でも雪が十分に降らないためにアルペンスキーW杯大会が開催できないという事態もあった。

 幸い、今年はそのようなニュースは届かない。今夏は例年にない暑い日々が多かったというニュースを聞いたばかりだったが、ここにきて「今年の冬は寒くなるだろう」という予測が出ている。

 今年のウィーンの初雪は11月25日から26日にかけて降った。ただ、太陽が昇るとすぐに消えてしまった。そして12月2日、本格的に雪が降った。自宅のベランダには約30センチの雪が積もった。本当に久しぶりの雪だ。その翌日(3日)、近くの教会から朝7時を告げる鐘の音がいつもより小さく響いてきた。教会の鐘の音が積もった雪に吸収されてしまったのだろう。路上から聞こえる音も3日が日曜日ということもあるが、静かだ。

 ところで、ウィーンから1000キロも離れていないウクライナでは既に冬が始まっている。「初雪だ」といって当方のようにのんきなことをいっている場合ではない。ウクライナの冬はウィーンより寒い。ウィーン大学で学生が「今日は寒いわ」と呟くと、キーウ出身の女学生が「寒い?この程度の寒さなど問題ではないわ。ウクライナではマイナス20度は普通」と答えたという。「ウィーンの寒さ」と「キーウの寒さ」では大きな差があるわけだ。

 ウクライナ国民にとって寒さだけではない。ロシア軍の攻撃を受け、電力・水道などの産業インフラが破壊されたこともあって、停電は日常茶飯事、自宅で温かいスープで寒さをしのぐといった贅沢なことは難しい。爆撃で窓が吹っ飛んでしまったアパートメントに住むキーウ市民は新しいガラスは直ぐに手に入らない。寒さがもっと厳しくなる前にビニールを貼って緊急処置をする。

 マイナス20度、停電、空腹の状況下に生きている人々がどんなに大変かは体験しないと理解できないだろう。ロシア軍と戦うウクライナ兵士は更に大変だ。生命の危機を常に感じながら、戦場でロシア軍兵士と闘っている。冬になれば、通常の戦闘は難しくなるから、無人機攻撃やミサイル攻撃が中心となってくる。兵力の増強を決定したロシア軍は戦時経済体制のもと武器を依然十分保有しているから、欧米諸国からの武器供与に依存するウクライナ軍はやはり不利だ。

 ウクライナ軍によると、ウクライナ軍とロシア軍の間の戦闘はここにきてウクライナ東部に集中している。アヴディウカ戦線では、過去24時間に20回のロシア軍の攻撃が撃退された。ウクライナ軍参謀本部の最前線報告によると、ロシア軍はバフムートを15回攻撃した。ウクライナ南部ヘルソン地域では、ウクライナ軍がドニプロ川南岸の新たな陣地を維持しているという。

 ウクライナ戦争は来年2月24日でまる2年目を迎える。ウクライナ国民の祖国への愛国心、防衛の決意は途絶えていないが、2022年上半期のような高まりはないだろう。犠牲者も増えれば当然のことだ。この冬を何とかして乗り越えなければならない。ゼレンスキー大統領はどのような思いを持ちながら、国の指揮をとっているのだろうか。同大統領は11月30日、AP通信とのインタビューの中で「期待した成果は実現していない」と、現状が厳しいことを認めている。

 欧米諸国はウクライナ支援の継続と連帯を繰り返し表明しているが、欧州諸国(EU)の27カ国でも対ウクライナ支援で違いが出てきている。スロバキア、ハンガリーはウクライナへの武器支援を拒否し、オランダでも極右政党「自由党」が11月22日に実施された選挙で第一党となったばかりだ。もはや前政権と同様の支援は期待できない。欧州の盟主ドイツは国民経済がリセッション(景気後退)に陥り、財政危機に直面している。対ウクライナ支援でも変更を余儀なくされるかもしれない。最大の支援国・米国では連邦議会の動向が厳しい。共和党議員の中にはウクライナ支援のカットを要求する声も聞かれる、といった具合だ。もちろん、イスラエルとハマスの戦闘は米議会の関心を中東に傾斜させているため、ウクライナへの関心は相対的に薄くなりつつあることは事実だ。

 ウクライナ国民は今、内外共に厳しい時を迎えている。ウィーンで空から静かに落ちてくる白い雪を見つめていると、キーウ市民はどのような思いで今、雪を眺めているだろうか、と考えざるを得なかった。

「小さな灰色の脳細胞」が綴る話

 英国の推理作家アガサ・クリスティ(1890〜1976年)の名探偵小説の主人公エルキュール・ポワロの「小さな灰色の脳細胞」は難解な事件を事実の積み重ねから論理的な思考で解決していくが、当方の「小さな灰色の脳細胞」は残念ながら論理的な思考からはほど遠く、直感と推理によって事件の背景を追っていく。以下の話は、当方の灰色の脳細胞に浮かび上がった思考を論理的ではなく、思いつくまでに書き綴る。

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▲ウィーンの「雪が降る日」(2023年12月02日、撮影)

 イスラエルが1日、イスラム過激テロ組織ハマスが戦闘休止の合意内容に違反したとしてガザ戦闘を再開したというニュースは少し残念だったが、ネタニヤフ首相ら戦闘内閣には他の選択肢がなかったのかもしれない。ハマスは戦闘休止が終わる直前、ロケット弾をイスラエルに向けて発射した。戦闘休止の延期を模索していたイスラエル側は、ハマスの戦闘再開の意思表示と受け取らざるを得なかったのだろう。

 戦闘再開については、米国から強い制止の圧力がかかっていた。ブリンケン米国務長官がイスラエル入りしたばかりだ。ハマスの壊滅を図るネタニヤフ首相にとって余り時間が残されていないことが分かってきたはずだ。急いで今、ハマスを叩かないと、米国と国際社会からの戦闘中止への圧力が高まり、「ハマス壊滅」の目標を達成できなくなるという焦りがあっただろう。

 参考までに、欧米メディアがハマスの10月7日の奇襲テロ計画をネタニヤフ首相は事前に詳細に知らされていたと報じたこともあって、同首相を取り巻く国内外の圧力と批判は高まってきている。注意しなければならない点は、中東紛争の場合、多くの偽情報が流れてくることだ。当方の「灰色の脳細胞」によると、「詳細な情報ほど偽情報が多い」ことだ。偽情報であるゆえに、それが正しいことを証明するために長く、詳細になっていくからだ。曰く、「詳細にわたる、長い情報には気を付けよ」だ。

 当方が「イスラエル・ガザ戦闘」で考えているテーマはこのコラム欄でも数回、紹介したが「平和」と「公平・正義」の選択問題だ。イスラエルは現在、10月7日のハマスのテロ奇襲への報復を実行し、失われた公平・正義の回復に全力を投入している。一方、イスラエルの自衛権を認める欧米諸国はここにきてガザ住民の人道的危機のカタストロフィを回避するために戦闘の休止、停戦を呼び掛けてきた。

 テロの実行者はハマスであり、大多数のパレスチナ住民はガザ戦闘の犠牲者だ。イスラエル側はテロ実行者のハマスへの報復を履行する中で、ガザ紛争でパレスチナ住民の犠牲をも強いてきた面がある。イスラエル側は「ハマス撲滅」を継続する一方、パレスチナ住民の安全を確保しなければならない、といった難問に直面しているわけだ。

 当方は、「イスラエル側は『公平』ではなく、『平和』を求めるべき時を迎えている」と考え出している。もちろん、「平和」といっても、紛争双方の合意に基づいた「和平」は現時点では期待できないが、犠牲が「公平」より少なくて済むというメリットがあるからだ。

 ところで、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1995年11月、3年半以上続いた戦闘後、デイトン和平協定が成立した。その結果、ボスニアはイスラム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」とに分裂し、各国がそれぞれの独自の大統領、政府を有する一方、それぞれが欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)加盟を目標としてきた。

 ボスニア紛争は死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇だった。イスラム系、クロアチア系、セルビア系の戦いは終わったが、現状は民族間の和解からは程遠く、「冷たい和平」(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)だった。必要に差し迫られた和平だった。

 しかし、和平協定後、紛争勢力間で些細な衝突はあったが、大きな戦闘はこれまで回避されてきた。これが「冷たい和平」の成果だ。同じことが、イスラエルとパレスチナ紛争でも当てはまるのではないか。イスラエルとパレスチナ間の「冷たい和平」こそイスラエルが今、戦闘を停止して追及していかなければならない目標ではないか。もちろん、「冷たい和平」が民族間の和解に基づいた「暖かい和平」に進展していく、という期待は排除すべきではないだろう。

 話は少し飛ぶが、「トラベリング・イスラエル」という動画によると、イスラエルの合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの推定数)は3・1でOECD(経済協力開発機構)で最も高出生率国だ。同国の少数派だが、超正統派ユダヤ人の地域の合計特殊出生率はなんと7・2だ。超正統派ユダヤ人が多くの子供を生む背景にはナチス・ドイツによって失った同胞600万人を取り戻す目的があるといわれ、ユダヤ民族を撲滅しようとしたアドルフ・ヒトラーへの復讐というのだ。

 21世紀のイスラエルではリベラルな考えの国民が圧倒的に多くなったが、「ヒトラーへの復讐」は今なお国民の脳細胞に刻み込まれているといわれる。
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