ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

国連警察官とデモ隊

 ウィーンの国連で5日、クルド系グループの約50人が不法侵入し、国連敷地内の広場で、トルコの刑務所に収容中のクルド労働者党(PKK)のオジャラン前党首の釈放と国連の責任を追求するデモを行った。
 国連警察官は不法に国連内に侵入したデモ参加者を広場で包囲して、建物内に入る直前に阻止し、国連の敷地外に出て行くようにデモ隊を説得し始めた。
 人数で圧倒的な国連警察官がデモ参加者を強制的に退去させるものと思われたが、包囲するだけに止めた。なぜならば、当日は国際原子力機関(IAEA)の定例理事会が開催中であり、国連内には取材中の多数のメディア関係者がいたからだ。TVカメラが向けられている時、国連警察官がデモ隊を力で退去させるシーンを撮られては、世界の平和のシンボルでもある国連のイメージが傷つく危険性があるからだ。その意味で、IAEA理事会初日に国連内でデモを計画したデモ主催者側の作戦勝ちだ。
 国連警察官とデモ隊は2時間あまり、見詰め合っていた。国連警察官はその時にはヘルメットを被り、棍棒を準備するなど、完全装備で臨んでいた。正午となり、昼休みに入ると、多数の国連職員が広場で展開されている国連警察官とデモ隊の様子を窓越しから見ていた。国連職員の中からは、完全装備した国連警察官に包囲されたデモ参加者をみて、「可愛そうだ」という同情の声がもれてきた。
 状況は膠着していた。国連側がとうとうオーストリア内務省に治安部隊の出動を要請した。ちなみに、国連敷地は治外法権で、ホスト国・オーストリア側も国連側の要請がない限り、敷地内には入れない、治安部隊が国連内に出動し、デモ参加者を1人、1人を担ぎ出していった。全てのデモ隊が強制退去させられたのは午後1時頃。デモ隊の侵入から3時間以上が経過していた。
 オーストリア内務省治安部隊がデモ参加者を次々と担ぎ出している間、ヘルメットと棍棒で完全装備した国連警察官はデモ隊が広場で散らかした抗議文のパンフレットを回収していた。
 米国内多発テロ事件を契機にウィーンの国連でも警察官の数が約80人から160人と倍に増やされた。同時に、警察官は定期的にテロ対策の実習を繰り返して、「Xデー」に備えてきたが、不法デモ隊への対応では、オーストリア治安部隊が国連警察官より数段、迅速であり、プロフェッショナルであった。

米国発の情報依存から脱皮を

 米国務省は先日、「国際麻薬統制戦略報告2007年度」を公表したが、そこで北朝鮮の麻薬問題については平壌当局の国家ぐるみの不法麻薬密売を批判してきた過去の報告とは異なり、「国家ぐるみの証拠は見当たらない」と記述するなど、ソフトな表現で終始している。
 ここで思い出してほしいことがある。ウィーンに本部を置く国際麻薬統制委員会(INCB)は過去、北朝鮮の国家ぐるみの麻薬密売容疑を主張する米国に対し、「国家ぐるみの麻薬犯罪の証拠は見当たらない」と懐疑的な立場を取って来た。その上で「ワシントンが平壌当局の関与を証明するものがあるならば、提供してほしい」と要求してきたが、米国当局はこれまでINCBの要請を無視してきた。
 また、INCBが北朝鮮当局と接触し、麻薬問題で協議する計画をたてると、米国は「あからさまにサポタージュして、計画の履行を阻止してきた」(シェッペ前INCB事務局長)という。残念ながら、INCBの見解はこれまで、ワシントンの情報の前には完全に無視されてきた。
 米国はここにきて「国家ぐるみの関与」を引っ込め、北朝鮮の国内法体制の構築を間接的に評価した上で、「北朝鮮国内でも麻薬の乱用が増加してきている」と分析している。昨年までの米国の主張が正しいのか、今回の見解が事実なのか、一般の読者は迷うのではないだろうか。
 米国は6カ国協議で合意した「初期段階の措置」をスムーズに履行し、米朝作業部会の進展を期待するために、北朝鮮当局が激怒する麻薬問題の国家関与容疑を抑える、といった自己規制が働いたのかもしれないし、「国家ぐるみ容疑」を実証できる証拠がないことが明確になったのかもしれない。多分、両方だろう。
 問題は、ワシントンから流れてくる情報に翻弄されているわれわれの側にある。米国は世界で最も情報収集能力を有した国家であることは疑いないが、それゆえに、米国は「いとも簡単に情報操作ができる」という現実を忘れてはならない。
 終戦後から今日まで、われわれは米国発の情報で世界の動きを見、分析することに慣れてきた。しかし、独自の情報衛星を保有するまでになった今日、日本はそろそろ米国発の情報依存から脱皮すべき時なのかもしれない。日本が独自情報を有し、それに基づく政治決定が出来るようになれば、世界での日本の政治発言力は自然に高まるはずだ。

使徒パウロ生誕2000年祭

 音楽の天才・モーツアルトの生誕250年年祭が昨年終わったばかりだが、次はキリスト教神学に大きな功績を残した使徒パウロの生誕2000年祭が計画されている。世界に11億人の信者を擁するローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世は2008年、ないしは09年にパウロ生誕2000年祭を挙行する考えだという。
 聖書研究家によれば、パウロは西暦7年から10年の間に生まれたと考えられている。それが正しければ、イエスの十字架後、その教えを広げていったキリスト教最大の伝道師、使徒パウロの生誕2000年がまもなく到来するわけだ。
 使徒パウロは初期キリスト教神学を構築した人物だが、12弟子とは異なり、生前のイエスとは会った事がない。使徒パウロの著書は新約聖書では「ローマ人への手紙」「コリント人への第1の手紙」「コリント人の第2の手紙」「ガラテヤ人への手紙」「エペソ人への手紙」など多い。パウロの著書といわれる外典も少なくない。それほど、初期キリスト教会で大きな足跡を残していった聖人だ。
 パウロに関する有名な話は、ダマスコへの途中、復活したイエスに会って回心する、通称「パウロの回心」と呼ばれている出来事がある。パウロはそれまではユダヤ教徒としてイエス・キリストを信じる人々を迫害してきたが、復活イエスに会って回心するという内容だ。
 パウロは現在のトルコ中南部メルスィン県のタルスス生まれ。復活したイエスにあって回心した後、殉教するまで3度の宣教に出かけている。パウロは厳格な律法の教えを信奉すれば救われるというユダヤ教の信仰から、「イエスの十字架を信じれば、救われる」という教えに帰依し、パウロ神学を構築していった。
 キリスト教神学にはパウロ神学の影響が強いが、「十字架を信じれば、救われる」というパウロ信仰も、「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して闘いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしを虜にしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ人への手紙第7章23―24節)というパウロ自身の嘆きをみても明らかなように、救済という観点で大きな限界に直面している。
 その意味で、使徒パウロ生誕2000年祭はパウロの功績を称える一方、パウロ神学の限界点を冷静に吟味する機会となれば、有意義となろう。
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