通常兵器とデュアル・ユース・アイテム(汎用品)技術の輸出を管理するワッセナー・アレンジメント(WA)の創設10周年については、当コラムで報告済みだが、今回は汎用品について、もう少し考えてみた。WAはデュアル・ユース・アイテムとして約1000品をリスト・アップしている。民間目的と軍事目的の両面使用可能な製品リストだ。ところで、「自分もひょっとしたらデュアル・ユース・アイテム(dual-use-item)ならず、デュアル・ユース・ビーイング(dual-use-Being)ではないか」という考えが突然、閃いたからだ。
当方は「人を殺すことも、愛することもできる存在」だ。破壊することも、建設することもできる存在だ。英国の小説「ジキル博士とハイド氏」ではないが、人間は両面の気質を内包した存在であることは疑いない。デュアル・ユース・ビーイング(汎用人)と呼ぶのに相応しい存在だ。
科学技術の発展は想像を越えたスピードで進展してきた。携帯電話からコンピューターまで、我々の周辺は科学技術発展の成果に取り囲まれているといっても過言ではないだろう。その携帯電話は久しく交流が途絶えた友人と通話が出来る一方、テロの起爆誘発の手段として利用できる。コンピューターも学習に役立つ一方、ポルノ・サイトを容易に拡大できる。我々を取り巻く環境は全てデュアル・ユース・アイテムで溢れている。その使い方によって破壊的にも建設的にも利用できるわけだ。その選択権を有しているのは通常、人間だ。しかし、その人間もデュアル・ユース・ビーイングであるとすれば、どうすればいいのだろうか。
デュアル・ユース・ビーイングの人間をアイテムのように輸出禁止はできないからだ。それを監視できる機関もない。出入国管理局は「入国拒否人物リスト」を作成し、それに基づいて入国制限を実施しているが、デュアル・ユース・ビーイングはけっして一部の人間ではなく、ほぼ全ての人間がそれに該当するのだ。制限することなどは出来ない。デュアル・ユース・アイテムを監視する機関としてWAが存在するが、どうして、デュアル・ユース・ビーイングを監視する機関がこれまで存在しなかったのだろうか。
当方の思考はどこかで飛躍し過ぎたのかもしれない。しかし、考え続けた末、「ひょっとしたら、人間は『監視される存在』ではなく、『責任を持つ存在』だからかもしれない」という結論が見えてきた。ということは、その人間が責任を拒否、ないしは無視した場合、(デュアル・ユース)「ビーイング」から「アイテム」に格が下がるわけだ。すなわち、当方は「ビーイング」に留まるか、「アイテム」化するかの選択を迫られていることになる。換言すれば、「主体」として留まるか、「対象」化するかの選択といえる。
当方は「人を殺すことも、愛することもできる存在」だ。破壊することも、建設することもできる存在だ。英国の小説「ジキル博士とハイド氏」ではないが、人間は両面の気質を内包した存在であることは疑いない。デュアル・ユース・ビーイング(汎用人)と呼ぶのに相応しい存在だ。
科学技術の発展は想像を越えたスピードで進展してきた。携帯電話からコンピューターまで、我々の周辺は科学技術発展の成果に取り囲まれているといっても過言ではないだろう。その携帯電話は久しく交流が途絶えた友人と通話が出来る一方、テロの起爆誘発の手段として利用できる。コンピューターも学習に役立つ一方、ポルノ・サイトを容易に拡大できる。我々を取り巻く環境は全てデュアル・ユース・アイテムで溢れている。その使い方によって破壊的にも建設的にも利用できるわけだ。その選択権を有しているのは通常、人間だ。しかし、その人間もデュアル・ユース・ビーイングであるとすれば、どうすればいいのだろうか。
デュアル・ユース・ビーイングの人間をアイテムのように輸出禁止はできないからだ。それを監視できる機関もない。出入国管理局は「入国拒否人物リスト」を作成し、それに基づいて入国制限を実施しているが、デュアル・ユース・ビーイングはけっして一部の人間ではなく、ほぼ全ての人間がそれに該当するのだ。制限することなどは出来ない。デュアル・ユース・アイテムを監視する機関としてWAが存在するが、どうして、デュアル・ユース・ビーイングを監視する機関がこれまで存在しなかったのだろうか。
当方の思考はどこかで飛躍し過ぎたのかもしれない。しかし、考え続けた末、「ひょっとしたら、人間は『監視される存在』ではなく、『責任を持つ存在』だからかもしれない」という結論が見えてきた。ということは、その人間が責任を拒否、ないしは無視した場合、(デュアル・ユース)「ビーイング」から「アイテム」に格が下がるわけだ。すなわち、当方は「ビーイング」に留まるか、「アイテム」化するかの選択を迫られていることになる。換言すれば、「主体」として留まるか、「対象」化するかの選択といえる。
