ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

米テロ事件5周年目のオーストリア内相の総括

 オーストリア内務省内で9日午前9時、リーゼ・プロコップ内相の記者会見が開かれた。
 記者会見としては少々早朝のうえ、土曜日だ。高級紙「プレッセ」や「スタンダート」は日曜日は休刊日。多くのハンデイが予想されたが、同国の国営放送記者や日刊紙「クリア」紙の花形記者も姿を見せた。テーマは米国内多発テロ事件5周年の総括がテーマだったからだ。
 プロコップ内相はメモに目をやりながら「ロンドン、ドイツのテロ未遂事件は国際協調と情報交換がテロ対策では不可欠だということを実証した」と強調。特に、テロ関連情報の交換が最重要であると述べる一方、「テロ対策では基本的権利である人権の遵守も忘れてはならない」と米ブッシュ政権の行き過ぎたテロ対策に釘をさすことも忘れなかった。
 一方、「わが国は目下、テロの危険はないが、監視を忘れてはならない」と警告を発した。具体的には、「ドイツの列車爆発未遂事件でも明らかになったように、監視カメラはテロ監視で重要な武器だ」として、国内の重要拠点、鉄道や市内で監視カメラの設置を今後とも促進していく考えを明らかにした。
 ところで、オーストリアで過去3度、大きなテロ事件が発生している。有名なテロリスト・カルロスが率いるパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が1975年12月、ウィーンで開催中のOPEC会合を襲撃、2人を殺害、閣僚たちを人質にした事件が起きた。81年8月にはウィーン市シナゴーグ襲撃事件、そして85年にはウィーン空港で無差別銃乱射事件が起きている。両事件とも、アブ・二ダル・グループの犯行だった。
 中東テロ問題専門家のアミール・ベアティ氏は「オーストリアにも約5000人のイスラム過激派がいる。イスラム寺院には憎悪説教者もいる。イスラム系国民の人口は急増している。オーストリア生まれの若いイスラム教徒が過激派に走る危険は十分考えられる」と分析している。
 オーストリアには30を超える国際機関の本部がある。災いは忘れた頃にやってくるものだ。要注意が必要だ。

マクドナルドのハンガリー第1号店開店日の体験

 ハンガリーで1988年6月、ユーゴスラビアのベオグラード店について東欧第2号のマクドナルド店がオープンした時の話だ。
 ハンガリー第1号店はブタペスト市のペスト地区の繁華街バーツィー通りから少し横道に入ったレギポスタ通りにあった。
 マグドナルド店のオープンは数カ月前からクチコミで流れていたから、多くの市民は開店日を首を長くして待っていたほどだ。
 開店数時間前には既に多数のブタペスト市民が長い列を作っていた。当方はその列の先頭に立っていた。ここで少し弁明するが、当方はハンバーガー・ファンでも、空腹で苦しかったわけでもない。ブタプスト市民の波動を肌でキャッチするために列に加わっていたのだ。
 時間が来た。戸が開いた。列が大きく揺れ動く。青年たちは素早くカウンターに殺到した。老人たちも負けない。当方も彼らについて走った。店の第1号客という名誉は得られなかったが、ハンガリーでマグドナルドのビック・マックを初めて食べた“最初の10人”には入ったはずだ。
 当時、ビックマック1個が43フォリント、ハンバーガー1個が25フォリントだった。ブタペスト市民の平均所得からみると、かなり高価だ。それでも、皆は不満を言わなかった。
 席に座ってゆっくりと食べることはできないから、多くの客はテイクアウトした。彼らの顔には一様に「何かを達成した」といった満足感があった。
 「これが噂のハンバーカーか」「これが米国のファースト・フードか」といった面持ちだ。米食文化との出会いの瞬間でもあったのだ。ちなみに、ブタペストの第1号マクドナルド店は1年後、1日売上高で世界1を記録している。
 米ハンバーガー店の開店が大きなニュースとなった冷戦時代の終焉直前の懐かしい思い出だ。

テルアビブからの訪問者

 北朝鮮とイスラエルの接近が報じられた直後、テルアビブから電話があった。ウィーンを訪問するが、その時に当方と会いたいという。その数日後、電話の主から、ウィーン市内のビジネス・ホテルに宿泊中と連絡が入った。
 ホテルの指定の部屋に行く前に、ホテルの受け付けにその人物について聞いた。定期的にホテルを利用する客で、今回も数日間、ウィーンに滞在する常連客という。
 部屋に入ると、電話の主が当方を歓迎してくれた。名刺をみると、輸出入業の会社経営をしている。ここではN氏と呼ぶ。
 話のテーマは北朝鮮とイスラエル間の外交交渉だった。N氏は政府から北朝鮮との交渉の調停役を命じられているという。
 同氏は「ジュネーブで李哲北朝鮮大使と既に会合した」という。北朝鮮の要人の名前が同氏の口から出てきた。かなり、北朝鮮情勢に熟知しているといった印象を与えた。
 しかし、N氏の会合目的が最後まで読めなかった。イスラエルが北朝鮮との通商に関心がある、ということだけは分かった。当方の身元を調べている、といった感じも受けた。
 シモン・ペレス氏がラビン政権下の外相時代、「北朝鮮との外交関係樹立か近い」といった情報が流れたことがあった。ウィーンを訪問した同外相は当時、当方の質問に答え、「北朝鮮に経済支援をするほどイスラエルは豊かではない」と述べ、北の中東ミサイル輸出停止と引き換えに経済支援を実施するという一部メディアの報道内容をやんわりと否定したものだ。
 イスラエルにとって、イラン、シリアにミサイルを輸出する北朝鮮と外交関係を締結することで、同国の中東ミサイル輸出を止めたいという意向が強い。その上、北朝鮮の豊かな鉱物資源に関心がある。一
 方、アラブ諸国と深い関係がある北朝鮮はイスラエルと関係を結ぶことで、先端科学技術の獲得の道が開かれる上、イスラエルの背後に控える米国に一歩近づくことができるという期待がある。その意味で、両国の外交樹立はそんな遠くない将来に実現するかもしれない。
 ちなみに、当方は、N氏がモサドのメンバーであったと確信している。

訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ