ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

スーダン大統領のジェスチャー

 スーダンのバシル大統領はラマダーン期間、断食明けの政府主催の食事の宴を今回は中止すると決定した。その理由は「ダルフール地域(同国西部)で多数の難民が食事すらできない状況下にいる時、政府公舎で断食開けの食事をとることは宜しくない」ということからだ。
 それに対し、ハルツームのジャーナリストが「バシル大統領はラマダーン期間、断食開けの政府主催の宴を続けるべきだ。しかし、毎回招かれる政治家や実業家たちの代わりに、未亡人家庭や貧しい国民を招待すればいいだけだ」という主旨の記事を書き、話題を呼んでいるという。
 ラマダーン期間は太陽が沈むと、イスラム教徒は親戚や友人を招き、食事を共にする。食事をしながら、太陽が昇る前まで話に花を咲かす。一方、裕福なイスラム教徒は寺院に献金する。施しと慈善はラマダーン期間の義務だからだ。
 ところで、バシル大統領が政府主催の断食開け宴を中止した背景について、さまざまな憶測が流れているという。一致しているのは、ダルフール地方の政情と関連するということだ。
 ダルフールの状況は依然、危機的だ。今年5月5日に成立したダルフール和平合意は崩壊寸前だ。先月、国連安保理はダルフールの人道状況の悪化に深い懸念を表明した決議を全会一致で採択し、国連スーダン・ミッション(UNMIS)の任期を延長したばかりだ。一方、バシル政権は国連平和維持活動の展開に依然難色を示している。そのため、同政権への国際社会の圧力は高まってきている。
 ダルフールを視察した米俳優ジョージ・クルーニーさんは「21世紀最初のジェノサイド(大量虐殺)」が進行している」と証言しているが、ダルフールではこれまで約18万人が犠牲となり、200万以上の難民が厳しいテント生活を余儀なくされている。
 知人のスーダン人国連記者は「断食明けの政府主催の食事中止はバシル大統領の一種の政治的ジャスチャーに過ぎない。そんな些細なことに頭を巡らさないでダルフール地域の真の和平実現に努力すべきだ」と語った。同記者の声は何時になく大きかった。「ダルフール問題の解決が急務」ということを、アジア出身の当方にも伝えたかったのかもしれない。

ホメイニ師の迷い

 イラン革命の父、ホメイニ師は亡くなる1年前の1988年、「イラク戦争に勝利する為には核兵器が必要だ」という内容の書簡を送っていたことが判明した。5日、パリに拠点を置く国民抵抗評議会(NRC)からホメイニ師の書簡に関するメールを受け取った。同情報はUPI通信が9月30日テヘラン発で流した内容だった。
 小生は過去、イラン外交官から「イランは核兵器を絶対製造しない」と宣言したホメイニ師の遺訓を何度も聞かされてきた。それだけに、正直言って、少なからず驚いた。思わず、「ホメイニ師よ、お前もか」といった台詞が口から飛び出すほどだった。ホメイニ師の書簡内容が事実とすれば、イラン側が頻繁に引用してきた「ホメイニ師の遺訓」は色あせてくるからだ。
 「遺訓」を重要視する小生としては、ホメイニ師の書簡が作成された時代を検証してみた。ホメイニ師の書簡はイラン・イラク戦争(1980〜88年)の時にまとめられたものだ。イラン軍は当時、フセイン・イラク軍の攻勢の前に度々苦戦を余儀なくされていた。イラン指導部は戦況を打開する方策を模索していたに違いない。弁護するつもりはないが、イスラム教指導者ホメイニ師が「核兵器があれば、戦況を一挙に逆転できる」と考えても不思議ではない。対イラク戦争はテヘランの命運をかけていたからだ。
 故金日成主席は「核兵器を作らない」という遺訓を残したという。だから、北朝鮮は核兵器を製造しないと久しく主張してきた。しかし、同国は昨年2月、「核兵器保有」を宣言し、とうとう今月3日には「核実験をする」と表明したばかりだ。「故金日成の遺訓」はまったく地に落ちた。
 一方、イランは今なお、ホメイニ師の遺訓を盾に、欧米の核兵器製造容疑を一蹴している。同国のアハマディネジャド大統領は先日も「わが国は核兵器を製造する考えはない」と強調し、残虐な大量破壊兵器の核兵器は「イスラム教の原則とは一致しない」と説明している。
 88年の書簡内容は、ホメイニ師の一時の迷いから出た妄想に過ぎない、と小生は信じたいものだ。

ロシア人権視察延期の理由

 約束が反故にされたり、無視された場合、通常の人なら不愉快になったり、怒りが湧いてくるものだが、この人はそのいずれにも該当しない。2年前に国連人権委員会(現国連人権理事会=UNHRC)から「拷問に関する国連特別報告者」に任命されたマンフレッド・ノバック氏のことだ。
 オーストリア出身のノバック氏は9月20日、ジュネーブの国連人権理事会で「10月9日から20日までロシア連邦の北コーカサス地域、チェチェン共和国、イングーシ共和国、北オセチア共和国などを訪問、囚人たちをインタビューして刑務所内の拷問状況や人権問題を視察する予定」と報告したが、ロシア政府から先日、突然「視察計画にはロシア連邦の法と一致しない要素がある」との連絡が入ってきて、視察計画が延期された。文句の1つでも飛び出してもいいところである。
 ノバック氏は5日、国連プレスで会見を開き、「ロシア側の受け入れ体制が十分でない状況下ではわれわれの視察目的は実現できない。そのため、視察を延期した。しかし、北コーカサス地域の視察計画は非常に重要だから、ロシア政府と再度交渉を重ねて合意できるように努力する」と説明、視察は「延期であって、キャンセルではない」と主張し、ロシア批判を避けた。
 それどころか、「チェチェン共和国の政情は改善の方向にある。拉致して拷問、処刑するといった最悪のケースは減少してきた」と説明し、ロシア側の人権改善への努力を評価したほどだ。ノバック氏の口から厳しいロシア批判を期待していた記者たちにとっては当て外れとなった。
 「拷問禁止等条約」は1984年12月の第39回国連総会で採択され、87年6月に発効した国際条約だ。同条約では、あらゆる種類の拷問や非人道的な扱い、品位を傷つける取り扱い等が禁止されている。しかし、拷問は今でも幅広く行われている。アナン国連事務総長は「国家安全保障の立場から拷問禁止の例外を主張する国が出てきた。拷問はテロ対策の手段とは成り得ない」と強調し、テロ容疑者に対して拷問手段を駆使するブッシュ米政権のテロ対策を暗に批判したことがある。
 記者会見を傾聴していたロシア外交官は、「わが国の問題がなぜここで追求されるのか理解に苦しむ。中国が国連の視察を受け入れるまでに10年の交渉年月があった。われわれは視察を拒否していない。数カ月待ってほしいと要求しているだけだ」と強い不満を吐露する一方、「グアンタナモ空軍基地の拷問問題を抱える米国が批判の目をそらす為に、今度はわが国をターゲットにしてきた」と米国の謀略説を指摘した。
 ノバック氏がロシア側の視察延期要求に腹をたてたり、怒らないのは、視察が厄介な政治問題であることを十分に熟知してるからであろう。
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