ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2006年が突きつけた課題

 ドイツ・ベルリンで19日、厳戒態勢下でモーツァルトのオペラ「イドメネオ」が上演された。同オペラでイスラム教の創設者ムハンマドの首などが登場することから、イスラム教徒の反発を警戒し、上演の中止が一時決まっていたが、上演回数を減らすなど特別の対応を講じた末、今回上演された経緯がある。
 それに先立ち、欧州では2月、デンマークの新聞にムハンマドを風刺したイラストが掲載されて、イスラム教徒が強く反発するなど、イスラム教徒との衝突が多発してきた。その結果、欧米社会でイスラムフォビア現象(イスラム嫌悪)が広がる一方、イスラム教徒の批判、反発を警戒する余り、行き過ぎた自粛傾向も目立ち始めている。
 例えば、英航空会社「ブリティッシュ・エアウェイズ」(BA)が十字架のネックレスをしている職員にネックレスを見えないように指示する一方、英国郵政が宗教との関りを回避するためにクリスマス切手から、キリストを除いたデザインを作成するなど、イスラム教徒らの反発を恐れるばかりに、過剰とも思える対応が行われてきている。
 その一方、シンガポールでは今年7月、インターネット上でイエス・キリストを侮辱する内容の漫画が掲載されると、同国警察が即、関係者に厳重注意する一方、エジプトでは人民議会が6月、従来のイエスの生涯を否定する内容の映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上演禁止を決めている。その背後には、キリスト系議員からの強い要望があったという。このように、欧米のキリスト教社会だけではなく、イスラム教社会でも、程度の差こそあれ、他宗派(キリスト教)との対立を避けようとする動きがあるわけだ。
 これらの自粛は「文明間の衝突」を回避する賢明な対応なのか、表現の自由などの基本的人権を自ら放棄する自殺行為なのか、意見が分かれるとことだろう。
 欧州議会で5月、宗教者指導者が参加した会合でバローゾ欧州連合(EU)欧州委員長が「基本的価値観を実践する際、他者の感情への配慮が重要だ」と述べている。その通りだろう。問題は「他者の感情を配慮しつつ、基本的権利(「表現の自由」など)をどのように実践していくか」だ。このテーマは2006年がわれわれに突きつけてきた大きな課題だ。

やさしい国防相たち

 国の安全を守る責任を有する省は通常、国防省だ。敵国に対する監視と防衛体制の強化など、その任務は国の存亡を左右するほど、重みと責任がある。その国防省の総責任者は国防相だ。先進諸国ではシビリアン・コントロール(文民統制)が進んでいるから、昔のイメージとは少々、異なるが、その任務の内容から想像すると、国防相は権威的、高圧的、といった強いイメージが付きまとうもの。しかし当方がこれまで会ってきた国防相は皆、優しさに溢れた人物たちだった。
 オーストリアのファスルアーベント国防相は笑顔が魅力の政治家だ(1991年5月)。同相には国連平和維持活動(PKO)について聞いたが、会見中、当方の顔をみながら笑みを絶えさせなかった。忘れることができない国防相としては、ノルウェーのホルスト国防相を思い出す。同相とはウィーンの国際空港内貴賓室で会見した(92年11月)。帰国直前の会見だったが、いやな顔をせず、「君かね、私の後をしつこく追ってきた日本人記者とは」といって笑いながら会見に応じてくれた。同相は後日、外相に就任し、中東和平交渉の調停役として活躍している最中、急死した。当方は東欧の国防相としてはハンガリーの国防相と縁が深い。フェール国防相(94年1月)、ケレティ国防相(95年10月)、サボー国防相(99年4月)の3人の国防相とブタペストの国防省内で会見したが、同国の国防相はいずれも口調がソフトで典型的な紳士、といった印象がある。
 ところで、最も印象が強かった国防相は誰かと聞かれれば、冷戦時代のソ連邦のヤゾフ国防相の名前が直ぐ思い出す(1989年年11月)。制服に身を包んだ同相は典型的な軍人国防相だった。当方はオーストリア公式訪問中の同相に会い、日ソ両国間の最大の懸案である北方領土問題について質問したが、同相は「その問題は既に解決済みだから、話しあう必要がない」と一蹴。「極東ソ連軍が強化され、最新鋭戦闘機のMIG31やSU27が配置されたという情報があるが、事実か」と聞くと、「他国がわが国の防衛戦略に干渉することはおかしい。どの機種をどこに配置しようが、それはソ連の問題だ」と強く反発した。
 ヤゾフ国防相の発言はソ連軍最高指導者らしい貫禄と強さを感じさせたが、会見後、同相はニヤニヤしながら当方のところに近づき、握手を求めてきたではないか。差し出された国防相の手を握りながら、見上げると、ヤゾフ国防相は厳つい顔を緩め、ロシア語で何か話し掛けてきた。残念ながら、当方は理解できなかったが、国防相の仕草の中に一種の優しさを感じたものだ。

「ハヌカ祭」の意味

 ヘレニズムの象徴ゼウス像をエルサレムの神殿から撤去したことを祝う「ハヌカ祭」がイスラエルで今月15日の日没(現地時間)から始まった。ハヌカ祭は8日間続き、ユダヤ人家庭では揚げパンやドーナツなどを作って祝うという。ハヌカ祭は旧約聖書には言及されていないが、ユダヤ社会ではローソクを点しながら楽しく祝う期間でもある。
 日本ヘブライ文化協会のサイトから「ハヌカ祭」の起源について紹介する。イエス・キリストが生誕する前、紀元前2世紀、パレスチナ地方はセレウコス朝ギリシャに支配されていた。当時の王がローマに対抗するために帝国内のヘレニズム化に力を入れ、その影響がエルサレムにも及び、ユダヤ教禁止令が発令されると共に、エルサレムの神殿にゼウス像が祭られた。それに怒ったユダヤの祭司の家系マタティヤウやその息子たちが反乱を起こし、紀元前164年、セレウコス朝ギリシャ軍を撃破し、エルサレムを奪還し、神殿からゼウス像を撤去させ、「宮潔め」をしたという。その後、この勝利を祝う目的から、「宮潔め」を意味する「ハヌカ祭」が開かれるようになったという。
 興味のある点は、「ハヌカ祭」の歴史的な意味だ。日本ヘブライ文化協会は「もしユダヤ人がセレウコス朝ギリシャのヘレニズム化政策に屈して、聖書を捨て、ゼウス神を受け入れていれば、聖書は紀元前160年代に終わり、その後のユダヤ教ばかりか、キリスト教、イスラム教も誕生しなかったことになる」と指摘、「ハヌカ祭はユダヤ人の祭りだけではなく、ユダヤ民族以外の人にも大きな意味を持っている」と説明していることだ。
 確かに、ユダヤ人がヘレニズム化し、ゼウス神に屈していたら、ユダヤ教も、その後生まれるキリスト教、イスラム教も存在していなかったことになるわけだ。その意味で、キリスト教もイスラム教もユダヤ人の勝利に感謝を表明しなければならないわけだ、
 米国内多発テロ事件を契機に、イスラム教に関する知識や情報は急速に増えてきた。イスラム教徒に対するイスラムフォビア(イスラム嫌悪)への批判の声も高まってきている。その一方、ユダヤ教の歴史、文化、その祭りについては、残念ながら余り良く知られていないのが実情ではないだろうか。「ハヌカ祭」だけではなく、ユダヤ人が歴史で果たしてきた役割などについても、客観的に論じ合うことがそろそろ必要ではないだろうか。

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