ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

バチカンでサッカーのナショナル・チーム

 ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁の新国務長官、タルチジオ・ベルトーネ枢機卿(ジェノバ大教区)は先日、「バチカンにサッカーのナショナル・チームを作りたい」と述べ、教会内外で大きな話題となった。
 ソダーノ国務長官の後任者であり、べネディクト16世の片腕の枢機卿の発言だけに、「そのアイデアは単なる空想ではないはずだ」といった期待感が既に聞かれる。
 バチカンとスポーツは決して無縁ではない。前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世がスキーを行うなど、非常にスポーツマンだったことはまだ記憶に新しい。ドイツのW杯では、教会をオープンにして試合の中継サービスをしたドイツ教会が出てきたほどだ。聖職者の中に熱狂的なサッカーファンがいても不思議ではない。
 サッカーは世界最大のスポーツだ。その影響も絶大だ。世界11億人の信者を有するカトリック教会の総元締めであるバチカンがナショナル・チームを作れば、大きな反響は必至だ。ナショナル・チームの創設案が“神の啓示”によるのかどうかは知らないが、先見のあるアイデアだ。
 バチカンは人口900人の最小国家だ。その国土も0・44平方キロに過ぎない。ムソリー二政権が1929年、ラテラノ条約を締結して、バチカン市国(正式国名は聖座)が公認された経緯がある。バチカンは今日、国連ではオブザーバーの立場だが、その政治的影響力は大国並のものがあり、けっして過小評価できない。
 そのバチカンでナショナル・チームが出来れば、八百長試合やドーピング問題などで揺れ動く世界のスポーツ界で新風が巻き起こることが期待できるわけだ。ひょっとすれば、若い神父の中にタレントのある有望選手が出てくるかもしれない。

オーストリア商務担当参事官の訪朝談

 オーストリア経済使節団が6月、北朝鮮を訪問したが、訪朝団を率いた駐中国の同国大使館商務担当参事官のクルト・ミューラウア氏と会見する機会があった。帰国中の同氏にウィーンの喫茶店で早速、訪朝成果を聞いた。
 オーストリアから7社が訪朝団に参加したが、具体的な商談については企業秘密ということで沈黙。それ以外については、同氏は饒舌だった。
 同氏曰く、「北朝鮮の政治、経済情勢では本格的な商談は難しい。可能なのは一種の物々交換形式の商談だ。北朝鮮の地下資源と西側商品の交換といった商談だ」という。
 冷戦時代にモスクワ駐在を経験した同氏は「故金日成主席の記念モニュメントなど非生産的な分野に投資している。典型的な共産主義経済だ」と説明。その一方、「オーストリアは欧州諸国の中でも北朝鮮と外交関係を樹立して30年以上になる数少ない国だ」と強調、北との交流の長さを誇示した。
 また、北朝鮮初の人工衛星(光明星1号)の展示館を訪問した時、「北の衛星技術がどれだけ優秀かを熱心に訪問者に説明していたが、西側では、北の人工衛星は軌道に乗る前に落下したと聞いている。しかし、北の国民は初の人工衛星と堅く信じていた」と指摘した。
 経済使節団は開城工場地帯の視察を要請したが、平壌当局が「軍部の許可なくしてはダメだ」と拒否したことを明らかにし、「開城工業地帯は軍の直接管理下にある」と語った。
 訪朝談は北朝鮮周辺の国際情勢にも及んだ。
「中国は北朝鮮カードを利用して米国の対台湾政策を牽制する一方、米国は北朝鮮の核の脅威を誇張することで国内の安保関連軍需産業を支援するなど、北朝鮮は周辺大国の政治カードとして利用されている側面もある。大国が北朝鮮から手を引けば、北朝鮮問題は案外、スムーズに解決するかもしれない」と、熱っぽく語ってくれた。
 オーストリア経済会議所から入手した最新経済統計によれば、本年度上半期のオーストリアの対北貿易は輸出総額約89万9千ユーロ、輸入総額約62万6千ユーロで、前年同期比で輸出約187%、輸入約74%と、それぞれ増加している。

ボスニアの教科書問題

 ボスニア・ヘルツェゴビナ和平が締結されて昨年12月で10周年目を迎えたが、ボスニアにはまだ共通の教科書がない。
 駐オーストリアのボスニア外交官は「わが国はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア人共和国に分かれている。国家レベルの外相は存在するが文部省はまだない。だから、共通の教科書は存在しない」と淡々と説明してくれた。
 具体的には、ボスニア連邦にはイスラム教徒用とクロアチア人用の2つの教科書があり、それにセルビア人共和国で使用されている教科書と、計3つの異なる教科書が存在するが、ボスニア全土の共通教科書は存在しないというわけだ。
 「文部省が創設されたとしても、共通の歴史教科書が発行できるだろうか」という思いが沸く。なぜならば、民族間で歴史観がまったく違うからだ。例えば、旧ユーゴスラビア連邦の創設者チトーについて、イスラム系用教科書では「イスラム系民族の自主性を認めた」として評価。一方、クロアチア系教科書では「民族(クロアチア)の独立を阻止した人物」と批判的に記述され、セルビア系教科書では「セルビア共和国に2つの自治州(コソボ、ボイボディナ)を認めることで、共和国の統合を意図的に弱体化させた」と酷評されている、といった具合だからだ。
 ボスニア紛争は死者20万人、難民、避難民約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇であった。イスラム系、クロアチア系、セルビア系の3民族間の戦いは終わったが、民族間の和解は余り進んでいない。
 ボスニアでは現在、デートン和平協定(暫定憲法)に代わる新憲法作成が進められているが、共通の歴史教科書が発行されるまでには、長い長いプロセスがまだ残されている。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ